9月


30日
ジャン・パティスト・ペラン(1870〜1942)フランスの化学者、物理学者

フランスのリールに生まれました。パリのエコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校)でまなび、1897年に陰極線とX線の研究により博士号を取得。その後パリ大学の物理化学講師をへて、1910年から30年間同大学の教授をつとめました。

第1次世界大戦中は、潜水艦の音響探知機の研究にあたりました。また、フランス国立科学研究センターを設立し、科学研究担当国務次官として、若い人々に科学を広めました。第2次世界大戦中にフランスがドイツに侵略されるとニューヨークにのがれ、フランス国内の抵抗運動への支援をあつめ、またフランス・ベルギー学派の結成をたすけました。71歳のとき、ニューヨークで没し、遺体はパリのパンテオンに葬られました。

彼のおもな業績は、ブラウン運動の研究に関するもで、1908年〜13年、彼は数々の困難な実験を重ね、分子理論を実証したのです。彼は顕微鏡写真をつかって何千回も観測し、水中のいろいろな高さにある水1滴中の粒子の数をかぞえ、粒子の数は、底部にあるときがもっとも多く、高くなるにつれて減少することを発見。また、粒子の循環も観察し、これらの発見により、彼は分子理論を実証し、また分子の大きさやアボガドロ定数を計算しました。

1913年に発表した著書「原子論」では物質の不連続性を論じました。これにより原子と分子が実在することが広くみとめられるようになったのです。物質構造と沈降平衡の研究で1926年ノーベル物理学賞を受賞しました。さらに化学反応の原因には光のエネルギーが関与すると考え、反応の放射説を立てました。
ブラウン運動と分子の実在証明
1827年に植物学者のロバート・ブラウンが、水中に浮遊する花粉の粒が不規則な運動をしていることを観察し、液体内で平衡状態にある粒子はつねに移動や回転、上昇や降下をつづけていることを発見しました。ブラウンはこの運動の原因を解明することはできませんでしたが、発見者の名前にちなんで「ブラウン運動」とよばれています。

1905年、アインシュタインは、微粒子のまわりにある気体や液体の分子の運動が、ブラウン運動の原因と考え、数学的に解析しました。そして1908年にフランスのペランは、ブラウン運動を観測し、アインシュタインの理論が正しいことを証明。これにより、原子や分子の存在が信じられるようになったのです。
ペランは「もし我々のまわりの世界が体も部屋も教会も分子の世界ほど小さかったら、教会の屋根に登るにも何の努力もいらない。熱運動によって自然に連れていってもらえるだろう。その代わりそこにとどまる自由もないだろう。」と述べています


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