〓 | 宮台真司の半生を、近田春夫がインタビュー形式で聞き出した本。近田春夫っていうのが久しぶり。宮台真司の母親は、<女の身になり切れる男に育って欲しかった>、<わざわざ紛争校(麻布)に入れた>という個性的な人物であった。フィールドワークなんかで女子学生と仲良くなる方法については、東大博士課程の時、早稲田大学教授の丹下隆一教授に感染し、<同じ世界に入る>ことを覚えたことでうまくいくようになったという。しかし、後年これが行き過ぎることにもなる。麻布中高の空手部時代、恋愛経験、ナンパ師を経て、45歳で結婚にいたるまでの性愛エピソードは非常に興味深い。そして、かけがえのない伴侶を得、子供をもつことで変わったと言う。最近の宮台真司は、結局は「愛ですね」ということを語っている理由が本書でわかる。また、<「聖」は力が湧きだす時空、「俗」を力が使われて減る時空>と定義している。 |
〓 | 地球は太陽からの短波放射で地表に吸収され、長波放射で地表から放出される。長波放射のエネルギーを吸収する水蒸気、二酸化炭素が温室効果ガスと呼ばれる。気圧の差によって高気圧側から低気圧側へ空気が動く。気圧傾度力とコリオリの力(地球の自転によってはたらく力)がつりあって流れる風を地衡風という。風は等圧線に沿って流れる。中緯度で西から東へ吹く偏西風は地衡風であり、地球をぐるっと1周回っている。低緯度で東から西へ吹く風は貿易風と呼ばれる。偏西風は東西に並ぶ渦の列であるロスビー波によって蛇行する。チベット高原や、エルニーニョやラニーニョの海温の変化が、日本の気候に影響を及ぼす。気象はカオスではあるが、それぞれのメカニズムが働いていることは考えていかなくてはならい。眞鍋淑カさんが2021年にノーベル賞を受賞したのも本書で知った。 |
〓 | 『同時代ゲーム』を書き直したとされる本。巻末に収録されている『語り方の問題』によれば、<私は自分が生まれて育った四国の森の村の、神話と伝承をはらんでいる独自の宇宙観・死生観を小説に表現したいと考えてきました>とある。そして『同時代ゲーム』を書いたが、<バフチンや山口昌男の文体に、沖縄や韓国の民族誌の声、そしともとより祖母の語り口の木霊を取り込むというものとなり、およそ捩じくれ曲がった複雑な構造をとってしまいました>という。書き直した本書では<自分の記憶の耳と魂の中に響き続ける祖母の語り口を、新しい小説の語り方として再現することでした>という。確かに本書の方がちゃんと順を追って分かりやすく書かれている。しかし、インパクトは『同時代ゲーム』の方が強烈だ。わけのわからないが故のパワー、家族(祖母、父、母、兄、妹、弟)を語る時のエロさと無茶苦茶さが本書ではそがれている。より現実に近い、息子の光のことに言及したりいている。 |
〓 | 交通事故で記憶の蓄積が1975年で止まってしまった数学の博士。現在の事は80分しか記憶がもたず、それ以前の記憶は消えていく。しかし、博士の数学に関する能力は健在で、数字を愛している。語り手の私はそこに家政婦としていく。毎日自己紹介をしなければならない羽目になるが、素数を愛し、友愛数を愛し、完全数を愛する、その語り口に惹きつけられる。また阪神タイガースを応援し、今でもピッチャーの江夏が現役であると思っている。10歳の息子の頭を見て、√(ルート)と名付けてくれ、かわいがってくれた。博士の唯一の友達になる。博士の背広には、忘れてはいけないことのメモが沢山貼り付けられているが、記憶を維持する時間が徐々に少なくなっていく。数学を愛するだけでなく、数学に対しての謙虚な気持ちが良く伝わる。数学を志すなら是非読んでおくといいと思う。 |
〓 | 先日NHKのドラマ10でやってましたね。主演の河合優実よかったですね。ダウン症の弟役・吉田葵、母役の坂井真紀、祖母役の美保純もよかった。やはり原作から面白い。心筋梗塞で亡くなった父、大病をして車椅子生活になった母、ダウン症の弟、認知症が進む祖母。そんな環境の中、ネットで家族のことを書いて評判になり、本をだし、ドラマにもなった。何しろ文章が面白い。自ら<100文字で済むところを、2000文字で書く>作家としている。読む人を、ただでは帰さへんで、って感じ。ドラマでは河合優実のキャラとばっちり合っていた。<愛したのが家族だった>というのは、家族だから愛するもの、というのではなく、愛する対象として、家族を選択した。という感じ。 |
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買ったのは40年位前になる。『百年の孤独』が文庫化され、買ったはずの単行本の『百年の孤独』を探していたら、この『同時代ゲーム』を見つけた。こんな箱入りの本なんか買うな、と当時母親に言われたことを覚えている。そして読んだのか読んでないのか、覚えていないのは、多分読んでないからやろな。ちょっと汚れているけど。
メキシコに赴任していた主人公は、闘牛場で故郷の盆地の村を思い出す。父にスパルタ教育をされた村の歴史を、妹への手紙の形として書くこと決意する。その村の歴史とは、<壊す人>によって始まる。四国の藩から追い出された人たちが、引き返して、川を逆流し、その上流にある大きな岩を粉砕する。そこから泥だらけの濁流によって洗い流されたあとにできた村。外部を遮断し、独立国家を目指す。そこは1つの宇宙であった。村の創建時に巨人化した<壊す人>。暗殺され、みなのうちに共有されてよみがえるようにと、その体を切刻んで村人全員で食われる。その為か、<壊す人>の影響はいつまでも続くことになる。自由時代とよばれる長い時代を経て、明治維新後、日本帝国軍との50年にわたる戦争に敗北する。そして現在、神主である父、巫女として教育され、村の性の象徴でもあった双子の妹。軍隊に行った長兄。女形になった次兄、野球選手になった弟。そして彼らの末路まで、<壊す人>との長い歴史が語られる。 |
〓 | 最初の5巻を豊橋?のBOOKOFFで買ったのが、7、8年前。それ以降読み進める気がなくなって放置していた。この物語、ようやく完結したということは知っていたので、それではと、今度は難波のBOOKOFFで続きを購入して(33、34巻は新刊で買った)読んだ。けっこう複雑なので、さらっと読むだけでは頭に入ってこない。YouTubeの「ヤングサンデー」の進撃の巨人の回なんかを見ながら再読し、ようやく全体がわかった。壁に囲われて生きる人間たち。壁の外には巨人が住み、彼らは人間を捕食する。ある日、大型の巨人により壁が破られた。壁の中に入り、人間を食らう巨人。その巨人に立ち向かう調査兵団。エレン、ミカサ、アルミンの幼馴染の3人は共に調査兵団に入る。巨人とはいったい何者か、それは他国との戦いの歴史でもあった。知性をもった9体の巨人。その中でも始祖の巨人、進撃の巨人がやっかいな奴らだ。巨人による人類の危機を断ち切ろうとする物語。調査兵団の連中やそのリーダー達は、けっこう自己犠牲の塊だ。自分は死んでも次の者に託すことができればそれでいいという精神。そこがハードなところで、かっこ良くもある。ラストは一旦解決したかに見えるが、結局歴史は繰り返すか、って感じ。 |
〓 | 水に性欲を感じる者。どんな形にでも変化できる水、そんなものに性欲を?そうとうおかしなヤツだ。と思う。そいつらはいくら説明してもわかってもらえない、と諦めている。唯一の救いは同じ考えをもつもの同士でつながること。そうとうおかしな奴でなくても、ちょっとおかしなヤツと思われているは、目茶苦茶いると思う。マジョリティである振りをしているが、実は隠れおかしなヤツはもっといる、と思う。繋がる時もベクトル(量と方向性)は違えども、自分も、基本おかしなヤツである、ことが前提であることが大事かな? |
〓 | クリスティー文庫、67冊目。ポアロ物の短編集。名探偵ポアロも引退を考えるようになった。そして最後に自分のクリスチャンネーム、エルキュール(=ヘラクレス)に因んで、ヘラクレスの行ったという「12の難行」を自分に強いることにした。解決する事件もヘラクレスの神話と同じように「ネメアのライオン」から始まり、「ケルベロスの捕獲」で終わるように、それに因んだ12の事件を選ぶ。登場人物が再度登場したりするが(それもまた面白い)、それぞれ独立した短編として読める。短編でテンポが良く、一ひねり、二ひねりあり、ポアロの愛ある事件の解決も見事で、カタルシスが味わえる。 |
〓 | キャッチ―なタイトルやけど、桐島自身は登場しない。登場するのは周辺の生徒たちで、バレー部のキャプテンの桐島が部活を止めることで、彼ら彼女らの生活にどのように影響を及ぼしたのか、そうでもないのか。同じバレー部の小泉風助、孝介、日野、野球部でさぼりがちな菊池宏樹、竜汰、友弘、ソフトボール部の宮部実果(孝介の彼女)、絵理香、ブラスバンド部の沢島亜矢、詩織、志乃(帰宅部?)、映画部の前田涼也、武文。彼らは池脇千鶴主演の映画『ジョゼと虎と魚たち』が好きだ。バトミントン部の東原かすみ(彼女も『ジョゼと虎と魚たち』が好きになる)、美紀、友未等の学校生活、私生活を描く。それにしても朝井リョウって。女性の会話や気持ちをスラスラ良く書けるなあ、と思った。『何様』の時もずっとしゃべってんのは男やと思っていたら、実は女やったってことがあった。まあ、勝手な思い込みやったが。。。 |
〓 | 横溝正史のレアな家族小説。金田一シリーズの探偵小説を書く前に、1941年に新聞小説として発表された。しばらく単行本にはなってなく、2018年に単行本化され、2022年に文庫本化された。三上延の『ビブリア古書堂の事件手帖U』では、この本を題材にしたミステリとなっていて、それを読んで本書の存在を知った。文庫本になっているのはわかったが、本屋にもなかなか置いてなく、難波のジュンク堂書店でようやく見つけて買った。上諏訪の有力者の娘・有爲子は、婚礼直前で破談となった。母はすでに亡くなっており、父親が実の親ではないことがわかったのだ。やがて育ての父も亡くなり、実の父を探しに東京へ行く。その後、「おしん」のように度重なる不幸に見舞われていくので、どうなることかと読み進めてしまう。戦時中の小説で、馬まで出征していく様子や、画家の生活ぶりも面白い。 |
〓 | 新宿鮫シリーズの10冊目。今回はレギュラーメンバーとの別れの回となった。同期の香田、恋人の晶、そして、上司でマンジュウと言われた桃井。キャリアエリートであった香田は前回の事件きっかけ警察を止めたが、鮫島とのつながりは続く。フーズ・ハニーのリードボーカルで全国区の人気となった晶であったが、バンド仲間がヤクで逮捕され、鮫島との間も解消しようとする。そして常に鮫島をカバーしてきた上司の桃井。ああ、とうとうついに。。。出所して、警察官を殺そうと考えている樫原。そして中国残留孤児二世らで組織されている、不気味で無茶苦茶な事を平気でやる「金石」というやつらとの戦いの中、桃井は樫原に会いに行くが。。。 |
〓 | この『何様』は、以前に読んだ『何者』の先日談やら後日談。『何者』読んだのが8年前。今回読み返した。『何者』の光太郎は就活をしていたが、『何様』では高校時代の話となる。忘れられない恋人のことが熱く語られるのが『水曜日の南階段はきれい』。理香が宮本隆良と同棲をするに至った経緯がわかるのが『それでは二人組を作ってください』。『逆算』では、沢渡先輩は就職しているので、これは後日談?主人公松本有季に沢渡さんは言う。<きっかけとか、覚悟とかって。多分、あとからついてくるんだよ>。『きみだけの絶対』は、烏丸ギンジの姉がインタビューに答える。その高校2年生の息子・亮博と花奈が主人公。<こういうときは、ピボットだ>。『むしゃくしゃしてやった、と言ってみたかった』は田名部瑞月の父親が登場。心の病が抱える妻がいる身であるけれども。。『何様』は、人事部の採用担当になった松居克弘が感じたこと。1秒でも本気になった瞬間があれば、それでいいんでないか、ということ。 |
〓 | 伊良部総合病院シリーズ第2弾。直木賞受賞作。『空中ブランコ』、『ハリネズミ』、『義父のヅラ』、『ホットコーナー』、『女流作家』の5編。精神科医・伊良部一郎のハチャメチャぶりはエスカレートし、ついに空中ブランコに乗る。今回の患者は、サーカス団員、ヤクザ、医者仲間、プロ野球選手、女流作家と多彩だ。皆が伊良部のペースに巻き込まれていく。『ホットコーナー』の患者、坂東真一は言う。<普通の医師だったら、自分はもっと格好をつけていた。己の弱さを吐露することはなかった。伊良部には秘密を知られても気にならないのだ>。伊良部一郎は、みんなが心を開く、優秀な精神科医ってことで。 |
〓 | 伊良部総合病院の地下にある神経科に次々と患者が来る。診断するのは伊良部一郎。こいつが飛んでもないふざけたヤツだった。いや本人は、ふざけているつもりはないだろうが。100sを超すデブで、マザコンで、好奇心旺盛で、恐いもん知らず、思い立ったら躊躇なくやる。この病院に来るとすぐに看護婦のマユミに注射を打たれるが、胸チラ、太ももチラのエロいヤツだ。その注射しているのをジッと観察する伊良部一郎。毎回このパターンで始まる。『イン・ザ・プール』、『勃ちっ放し』、『コンパニオン』、『フレンズ』、『いてもたっても』の5編からなる。どの患者も、伊良部の強引なペースに巻き込まれていく。この医者と行動を共にし、その態度(予想を超える圧倒的な悩まなさ)を見るにつれ、患者は徐々に回復していくということになる。面白いパターンの小説やな。 |
〓 | 原題が『FOUR THOUSAND WEEKS』となっており、人生を80年くらいと仮定すると、たった4000週間ほど、ということを言いたいらしい。週に直すとけっこう短く感じられる、というのがミソだ。お前は既に死んでいる状態である。短い人生なので大事なことをやろう、ということだ。効率よくいっぱいやろうではない。生産性を上げるとタスクが増えるだけなので、自分の人生においては意味がない、という。本当にやりたいことは今すぐやる。いろいろ周りを片づけて、整ってからやりたいことをやろうでは遅すぎる。いつまでたっても整うことはないのだ。準備期間は終わらないので、今すぐ始めろ。来ることもない未来の為に、今を犠牲にするな、と。目標を必要以上の高みに設定しないことや、仲間との共通体験を増やすことが大事。巻末には、自分の人生を豊かにする10のテクニックを付録として載せている。 |
〓 | 星新一、13冊目。著者にとっては5冊目の短編集。36篇収録。未来の地球人と宇宙人。地球よりもすぐれた文明をもつ星もある。『宇宙の男たち』、長年宇宙で活躍した老人と青年が乗ったロケット。老人は最後に地球に戻りたくなった。しかし、途中で隕石にぶつかり、ロケットが故障してしまう。死を覚悟した2人は、決して慌てることはなかった。氷と闇の世界で死んだいった仲間たちを想い、地球に向かって、家族への別れの言葉を積んだ通信ロケットを飛ばすが、静かに冬眠剤を飲み、お互いに「さようなら」と言った。けっして慌てずに死を迎えるところが、妙にリアルでしみじみした。『治療』、劣等感という感染病がひろがった。それは、<平和な世の中が続いたせいだった>。マール氏の考えた治療方法は、<幸福検定クラブ>。完全な標準人間を作り、患者と対面させるという方法だった。半数の人間は標準人間より勝っていると安心して治るというもの。その結末やいかに?。 |
〓 | ようやく5冊目を読了。4つの理念について二律背反の抗争を解説する。その1:世界は時間的な端緒をもち、空間にも限界がるかどうかの問題。その2:世界において、合成された実体はすべて単純な部分で構成されているかという問題。その3:自然法則に基づいた因果関係だけでなく、自由意志に基づいた因果関係もあるのかという問題。その4:世界にはその原因であるような絶対に必然的な存在者が存在するのかという問題。その1については、そのどちらも間違っているというと言う。時間と空間の絶対的な限界を知ることはできない。また、空間の外の空虚な空間は認識できないし、時間が始まる前の空虚な時間も認識できない。<すべての場所が宇宙にしか存在しないのだから、宇宙そのものは、いかなる場所にも存在しない>。(弁証論的対立で、矛盾対当的な対立ではない)。その2、<…物体は無限に分割できるのだが、だからといって物体が無限に多くの部分で構成されているということにはならない>、物体は現象であり、分割してゆくときには<この現象の性質にしたがって、経験的な背進を絶対に完結されたものとみなしてはならない>。その3の因果関係は自然法則によるものだけではなく、理性によって自由意志による因果関係の「原因」を作ることはでき、またその「結果」は現象としての自然法則と両立できる。その4の世界の原因となる絶対者については、考えることが強く促される問題であり、詳細は次巻で語られることになる。 |
〓 | 『選択の科学』の著者、シーナ・アイエンガーの最新作がこの『THINK BIGGER』。<あらゆる複雑な問題に価値ある解決策を生み出す方法>である。これを6つのステップに分けて解説している。ポイントの1つが、自分の領域外での解決策を盗むということ。そして、それらをうまく組み合わせること。その例として、ピカソの絵画、自由の女神、フォートの工場、アイスクリーム作りを挙げている。2つ目のポイントは、課題、サブ課題に分けて考え、本当に解決したい課題を特定すること。3つ目のポイントは、あなた、ターゲット、第3者のすべてがいいと思えることを実行するということ。いろんな成功例を挙げながら解説するので納得感がある。その他、ブレインストーミングは創造的なアイデアはでない、失敗を重ねることはいいことではない等、陥入りがちな罠についての解説も面白い。 |
〓 | 安部公房生誕100年ということである。本書の『飛ぶ男』は、フロッピーディスクに残されていた作品で未完のもの。1994年1月1日、妻・安部真知の加筆・改稿によって単行本が発売されたが、今回、2024年2月28日、加筆部をなくしたものが、文庫本として発売された。のっけから安部公房ワールドに引き込まれる。登場人物それぞれが、何じゃそりゃの奴らばかりで、負けていない。安部公房の得意の比喩も健在だ。まあ完結していないが、久々の安部公房作品に触れて面白かった。表題作『飛ぶ男』と『さまざまな父』の2作が収録されている。前後するが続き物のようだ。 |
〓 | 今のインターネットは速い。この速さゆえに物事を良く考えずに読んだり、書いたりしていることを諌めている。SNSにより個人の発信が簡単にできるようになった。誰かの意見に同調して「いいね!」をつけたり、あるいはアンチコメントをつけたりで承認欲求を満たしている。しかし世界を手で触れられてように見える人たちはごく一部だ。その人たちも巨大化することがゲーム化し、個々人の幸せに結びついているとは言えない。ウクライナでの戦争も、この速いインターネットによることが多いと分析している。では今後どうしたら?ということで遅いインターネットを提唱している。面白いのは、人と人ではなく、人と物とのつながりを強化するというところ。高価なものを買って満足することではなく、その物と接することで予期せぬ事が起ること。自分の思い通りにいくものではなく、居心地の悪いようなものとの付き合うこと。そこの快楽を覚えること。社会のプラットフォームは、アップデートされた情報技術と市民の成熟?どうなっていくかな? |
〓 | 過去にとらわれず、未来を憂いず、現在を精一杯楽しく生きるのがタモリ。目標を持たず、反省もしない。夢があるから絶望がある。<「『自分がいかにくだらない人間か』ということを思い知ることで、スーッと楽になる。…そして楽になると同時に、打たれ強くにもなるんですよ」>。番組も無理やり盛り上げようとはしない。流れに身を任せる。<場のリズムをつかんだときは、おもしろいし、うれしいい、自由ね。自分が完全になっちゃたんじゃないかと思うくらい、すごいいい気持になりますね>。「ネクラ」と「ネアカ」については、<根が明るいやつは、なぜいいのかと言うと、なんかグワーッとあった時に、正面から対決しない。必ずサイドステップを踏んで、いったん受け流したりする。暗いやつというのは、真正面から、四角のものは四角に見るので、力尽きちゃったり、あるいは悲観しちゃったりする」「でもサイドステップを肝心な時に一歩出せれば、四角のものもちがう面が見えてくるんじゃないか。そういう時に、いったん受け流したりして危機を乗り越えたりなんかする力強さが出るし、そういう男だと、絶対に人間関係もうまくいく」>と言う。巻末には、60ページにも及ぶ「大タモリ年表」付く。 |
〓 | 再読。新潮文庫のPREMIUM COVERの綺麗さに魅かれて買ってしまった。『雪国』にふさわしいライトブルー。島村は東京下町育ちで、文筆家の端くれで妻子持ち。1人旅の雪国で<不思議なくらい清潔>な駒子に出会う。島村は駒子に対しては、最初は言いしゃべり相手で、友情のようなものを感じたが、やがて2人は深く惹かれあっていく。そしてもう1人の女性、<悲しいほど美しい声>の葉子も気になる。島村と駒子が一緒の時に、時々現れる葉子。葉子と駒子は、病人の行男(駒子の師匠の息子)に対して、運命共同体のような知り合いであった。奔放な駒子と真剣な葉子。やがて行男も亡くなり、すっかり芸者になった駒子。東京へ連れて行ってくれと願う葉子。雪深い村と山並みの風景、温泉と芸者で日本を描写した小説。ラストは悲劇と天の川の雄大さと深遠さが相俟って心打たれる。 |