〓 | なんちゅう素直な小説、って感じ。素直すぎてこちらが恥ずかしくなるくらいだ。椎名林檎とのSWITCHインタービューも面白かったし(椎名林檎のイメージがガラリと変わった)、とりあえずデビュー作の『あおい』から、ってことで。次の『さくら』も読んでみるかな。 |
〓 | この光文社の新訳で読み直し。先ずはアポリオリとアポステオリ。経験がなくてもわかることと経験によってわかること。本書ではその違いについて語る。時間と空間、これは経験がなくてもわかること。これが直観的にわかった上で、物事が認識できるからである、ということ。 |
〓 | 出光興産の創業者・出光佐三の半生を描いたもの。本書での名前は国岡鐡造となっているが、政府要人等は実名で登場する。彼は人を大切にした経営方針を貫いた。タイムカードなし、定年なし、馘首なし。そして自分が正しいと思ったことをやり遂げる時には、決して群れない。当然敵も多くなるし、石油業界や政府も敵に回した。しかしながら彼の考えは、世の流れを十分読んだものであった。だからこそ戦ったし、また彼を応援する人物も現れたのだと思う。但しやり方が海賊なんである。出光興産の成り立ちと日本の石油の歴史がわかる。 |
〓 | 田原総一郎と若手論客20人の対談集。対談相手は古市憲寿(1985)、與那覇潤(1979)、加藤嘉一(1984)、安藤美冬(1980)、坂口恭平(1978)、宇野常寛(1978)、萱野稔人(1970)、土井香苗(1975)、新雅史(1973)、細谷雄一(1971)、速水健朗(1973)、開沼博(1984)、木村草太(1980)、家入一真(1978)、山崎亮(1973)、西田亮介(1983)、小川仁志(1970)、今野春貴(1983)、白井聡(1977)、堀江貴文(1972)の20人。()内は生れた年。29〜44歳だから、まあ若手だ。『ニッポンのジレンマ』出演メンバーも多い。それぞれがコンパクトにまとまっているので読みやすい。日本も彼らとともにどんどん変わってきているんだなと思う。 |
〓 | 北大柔道部のお話。この話が面白いのは、派手さはないが本当に強い寝技や絞め技の柔道をとことん追求しいているところ。そしてその寝技、絞め技が十分発揮できる七帝戦というのがあること。そして北大は連続最下位であることだ。北大、東北大、東大、名大、阪大、京大、九大で争うことを七帝戦という。彼らにとって、その七帝戦で優勝することが最大の名誉である。講道館柔道のルールとは違い、寝技で膠着状態となっても待ったはかからない。技をかけられてもすぐに参ったしないので、審判は絞め技で確実に落ちたかどうか、関節技で骨が折れたかどうかで判定をくだすという、めちゃめちゃハードだ。もう死んでもいい、と思うような日々の練習。七帝戦で勝つという1つの明確な目標に向かって学生時代の全てを捧げる。しかし、挫折に次ぐ挫折。全てをこの柔道に捧げたことの意味を問いかける。彼らの得たものは何か?人を見る時の<やさしい眼差し>がその答えの1つなんだろうな。 |
〓 | エースというと野球のピッチャーに使われることに馴染みがあるが、AKBという団体にもエースが存在し、それが前田敦子であった。前田敦子はエースかつセンターでもあったが、著者の言葉を借りれば、センターはそのチームの顔であるが、エースは顔であるとは限らない。センターを目指すのではなく、エースを目指せ、という。著者は「エースは誰にでもなれる」と言う。エースになるための条件として著者の独特の言い回しがある。短所は消すのではなく、出したり入れたりする。自己を確立する為に群れない。間違った自己犠牲はしない。謙虚と遠慮は違う等々、なるほどと思った。誰もが違った形でエースになれる、という勇気を与える書。こう書いていて、テニス漫画『エースをねらえ!』というのがあったのを思い出した。ちょっと違うか。 |
〓 | 40年以上も前に書かれた本であるが、現在最もホットな問題でもある。もっと暗い話かなと思っていたが意外とそうではなく、深刻ではあるがユーモラスな一面もあった。アルツハイマーになった親を持つ家族の物語。周りの人間にとっては、その苦労は大変なもんなんであるが、このお父さんは、子供にかえって楽しんでいるようにも見える。徘徊したり、下の世話が大変であったりと苦労が多いが、もっと深刻なのは、当人の苦しみが続くことであると思う。植物人間となり、全くコミュニケーションがとれなく、生命維持だけの為に多額の費用が嵩むのも辛い。<恍惚の人>になった人は幸せかもしれない。 |
〓 | サブタイトルは『日中「文明の衝突」一千年史』。のっけからぶっ飛ばされる。世界で一番進んでいるのが中国で、日本はこれから中国化していくのだという。グローバルでスタンダードな社会というのが、自由競争社会であるなら、それは既得権益のない開かれた社会であり、中国は今から1000年以上も前の「宋」の時代に貴族制を全廃し、自由競争の社会となった(ただし政治は皇帝独裁の一極支配)。日本が何故遅れているかというと、居心地のいい江戸時代に戻りたがっているから。不自由であるが、安定している。でもこれからは、江戸時代のように鎖国して日本の中だけで成り立っていける状態ではないので、そうもいかないよ、ということを警告している。なかなか刺激的な内容の本。 |
〓 | NHKブックスの装丁がいつの間にか変わっている。この人もNHKの『ニッポンのジレンマ』で知った。現在の社会問題をコンパクトにまとめた本になっている。水俣病やハンセン病などの昔からある差別問題(が今も引きずっているもの驚きだが)や、現在新たに起こっている問題を示してくれる。あたりまえだが、社会が変わればその問題も変わる。例えば監視カメラ。犯罪は減るかもしれないが、自分の行動も監視される。そういうログを<取られない権利>や<消す権利>、逆に<見る権利>。ストーカーから逃れる<縁を切る権利>。<犯罪者にならずに済む権利>。ネットに拡散した不都合な個人情報を<忘れられる権利>。著者は<新たな権利を考えるということは、いまだ達成されていない新しい社会を構想することです>という。そう考えるとなんだか面白そうだ。 |
〓 | 現在NHKの連続テレビ小説で『花子とアン』をやっている。訳者の村岡花子の生涯だ。この『赤毛のアン』を読んでいると、主人公アン・シャーリーと『花子とアン』の「はな」がダブってくる。アンがマリアとマシュウの家に引き取られたとき、道行く景色にいろいろ名前をつけたり、<「わたしをコルデリアと呼んでくださらない?」>と言ったり、果樹園の丘にいるダイアナ・バーリーを<腹心の友>と呼んだり、ライバルの男の子、ギルバートの頭で石盤を叩き割ったり、ワインをたらふく飲ませたり(ここはアンが飲むのではなく、いちごジュースと間違えてダイアナに飲ませてしまう)とか、アンと「はな」はほとんど一緒だ。空想好きで生意気なアンであるが、大人をそれなりに納得させてしまう。<努力のよろこび>をわかったアンは、大学入試の結果を待つ時も<いっしょうけんめいにやって勝つことのつぎにいいことは、いっしょうけんめいにやって落ちることなのよ>と言う。しかし、親代わりであったマシュウの死により、大学に行くことを止め、マリアと一緒に住むことを選ぶ。そして作者はこう結ぶ。<道がせばめられたとはいえ、アンは、しずかな幸福の花が、その道にずっと咲き乱れていることを知っていた。…なにものも、アンは生まれつきもっている空想と、夢の国をうばうことはできないのだった。そして、道には、つねにまがりかどがあるのだ。「神、天をしろしめし、世はすべてよし。」とアンはそっとささやいた。>。空想によって、どんなときも常に前向きに自己をコントロールできるアンの才能と覚悟は凄い。 |
〓 | 死ぬときは穏やかに死のう。生命を維持する為だけの無理やりの治療は止めよう。しんどいだけだ。一番いいのは、やはりピンピンころりん。50過ぎたらやりたいことはすぐにやっておこう。最後はどこでで死のうか。自宅が一番いいが、それがかなわないならホスピスが良さそうだ。と思わされる本。 |
〓 | 表題作『共喰い』。下水道設備のない川のそばに住む主人公篠垣遠馬と父親、別居の母親。その川では鰻がつれる。母が捌き、父が食う。なんか食べたくないな。母は戦争で右手首を失くし、それでも結婚するという年下の父と一緒になった。父はSEXの時に殴るという癖を持つ。だんだんと嫌な父親に似てくる遠馬。決断は母が行った。強烈な個性は母にあった。『第三紀層の魚』主人公信道と曽祖父、祖母、そして母親。曽祖父は釣りの指南役であったが、亡くなってしまう。信道は母とともにその家を離れ、東京へ行く。印象的なのがここでも母の決断。芥川賞受賞作。『源氏物語』について語る巻末の瀬戸内寂聴との対談も面白い。 |
〓 | 面白い。アップルのスティーブ・ジョブスについては、<彼が本当にすごいのは、大したことのない技術を「革命」のように見せる手腕だ>とか、<日本が「ものづくりの国」であり得たのは、冷戦のおかげだったとも言える>とか、<素敵で便利な「監視社会」(ただし、現在日本は不十分な監視社会)>とか、冷静というかシニカルというか、なかなか浮かれさせてくれない。彼が語る2040年の日本はなんだか不気味だ。結局、<「今、ここ」にいる「僕たちを充実させることから始まる」>、<「やさしい革命」>でしかないのかな? |
〓 | 文庫本になったら読むぞと決めていたが、文庫本になって早や11年半。やっと手に取った。『火車』、『レベル7』、『返事はいらない』、『淋しい狩人』を読んだのが16年前。『スナーク狩り』を読んだのは15年前。この頃はけっこう読んでいた。いやーひさしぶりの宮部みゆき。いいですね。本人はNHK特集的にやろうとしていたみたい。殺人事件が起きて、犯人はもちろん、その事件の周辺にいた人たちの事件への関わり方や、どういう家族と暮らしてきたなどの背景が詳しく語られる。かれらも事件にかかわったのは一部でそれまでの、それぞれのドラマがあるのだ。物語はインタビュー等、事件を振り返る形で進められる。殺人事件が物語なのでなく、それに関わった多くの人間の物語だ。1999年の直木賞受賞作。 |
〓 | 著者の與那覇潤も『ニッポンのジレンマ』の出演メンバーだ。独特のトーンで冷静に語る。本書も冷静な分析によるシニカルなもんかなと思ったが、けっこう未来へ向かってのメッセージが読み取れた。元々の日本人とか、昔から日本のものであるということがいかに怪しいものあるかがわかる。日本人とは誰のことか。その定義は時代によって変化する。今後どのようなことが起こり、どのようにとらえるかによって変化していく。それは再帰的なものであるからと彼は言う。再帰的なものであるがゆえに、書き換えられていく。ということは、今後私たちがよりよく基準を作っていける、というのが著者のメッセージだ。タイトルにある、<日本人はなぜ存在するか>という問いの答えは?? |
〓 | 人間やっぱり、飯食ってなんぼのもんじゃ。ほんでもって子供にはしっかり食わせるのが、何よりも大事。わが子となるとそりゃあもう、飯の心配ばかり。ああ、ごちそうさん。NHKのドラマ10でこの『八日目の蝉』を見た。主演は壇レイと北乃きいだった。別れの最後の言葉に心を打たれた。映画の『八日目の蝉』も観た。主演は永作博美と井上真央だった。そして原作を読んだ。それぞれ微妙に話を変えているが、母親の心配するところは同じ。そんなことをいつも気にしている。その瞬間は本当の母親だ。なんかいいよね。 |
〓 | やっぱりクリスティーは面白い。安心して楽しめる。今回の舞台はなんと紀元前二千年頃のエジプト。家長のインホテブは墓所を管理する墓所僧侶。そして死者がでるとミイラにする習慣が描かれている。この辺りは古代エジプト?クリスティー自身も<といっても場所も年代も物語自体にとっては付随的なもので、どこの場所でいつ起こったとしても構わないものです>と言っている。職業や習慣は違うが、人の行動は同じというわけだ。登場するのは家長のほか、三人の息子と一人の娘、母親、妾、いとこ、書記、お手伝い、奴隷の娘等だ。今回のポイントは人の見かけの性格は変わる、ということ。家長が妾をつれて帰って来た。すると家族の各々の性格が変わり、次々と殺人事件が起きる。おお、恐。 |
〓 | 最高の選手、最低の選手とあるが、最低の選手は出てこない。但し、あの名のある選手が野村の目から見るとそうでもなかったりする。というか、こうしたらもっとよくなるのに、ということだ。その代表がイチローであり、清原だ。イチローついては個人プレーを批判しているが、ヤンキースに移籍してからチームプレーに徹していることを認めている。清原については、弱点を克服する方向にいかなかったのを惜しがっている。長所を伸ばすだけでなく、短所を克服することをやらなければ大成しないというのは、野村の持論だ。なるほどと思う。 |