〓 | 「朝ドラ」とは言うまでもないが、毎朝やっているNHKの「連続テレビ小説」のことである。『ほんまもん』にハマり、最近では『純と愛』を観て、そのまま『あまちゃん』に突入して大ハマり。その後は現在放映中の「わろてんか」までずっと観ている。この本は2010年代の朝ドラを中心に語っているので、そのほとんどは面白く読めた。『まれ』が<人生なめ過ぎな主人公>と紹介されているのには笑った。『まれ』のオーディションで土屋太鳳に敗れた清水富美加(まれのライバル役で登場)のエピソードは興味深い。特別枠で紹介されている『てるてる家族』(石原さとみ主演)はBSの再放送で観て面白かったが、当時はあまり視聴率はよくなかったようで。あの『おしん』はいつか観てみたい。誰か『ほんまもん』を語ってくれる人はおらんかな?DVDも出てないし。。 |
〓 | テレビドラマでやっていた。阿部サダヲと深田恭子が夫婦役、そして娘・香織をやっていた山田美江羽がまたなんともよかった。面白かったので、原作も読んでみた。この親子、いいですね。熱いですねえ。父親の熱い中にも、自分を冷静に見つめ反省する態度は素晴らしいし、何よりも娘といっしょに勉強するところがいい。父親が娘に体調を訊くと、<ずっと座っているから背中も腰も痛い。父さんみたいにわたしもシップ貼りたい>なんて言う。娘も一緒に頑張っている。一緒にやるから頑張れる。わかると嬉しいし、勉強も楽しい。最難関を目指し、諦めなかったからの結果であったと思う。 |
〓 | 脳は意外と簡単に騙される。身なりもきちんとしていると、他人もきちんと扱ってくれる。家の周りもきれいにしていると、通行人もゴミを捨てない。改めて結構大事なことやと思う。面白かったのは、<認知不協和>が起きた時、どちらかの認知を変化させる。つらい仕事で給料が安いと、実は好きでやっている仕事であると自分自身を納得させる。その他、<サンクコストの錯覚>、<バンドワゴン効果>、<ハロー効果>、<ゲイン効果>など、日常生活で起きていることを名づけることで、逆に利用できるようになりそうだ。 |
〓 | ルー・テーズ、カール・ゴッチ、うれしいな。フレッド・ブラッシー、ボボ・ブラジル、フリッツ・フォン・エリック、うれしいな。ディック・ザ・ブルーザー、ジン・キニスキー、ブルーノ・サンマルチノ、ディック・マードック、ウィレム・ルスカ、ビル・ロビンソン、うれしいな。ジプシー・ジョー、微かな記憶。大木金太郎、うれしいな。みんな好きなレスラー達だ。著者は馬場派で、アンチ猪木。そしてテーズ派で、ゴッチ嫌いだそうだ。嫌いの理由が<幾何学的なゴッチのファイト>というのが面白い。白覆面の魔王、ザ・デストロイヤー、スピニング・トーホールドでジン・キニスキーを破り、NWA王者になったドリー・ファンク・ジュニア、千の顔を持つ男、ミル・マスカラスもあったらよかったのになあ。 |
〓 | この人もNHKの『ニッポンのジレンマ』に出演していた若き起業家だ。これから社会に出ていくのに大事なのは<プログラミングと英語>、と言っていたのが印象的だ。ミレニアル世代とは、<1982年以降に生まれ、2000年頃にアメリカで大人とされる18歳になった人々のことを指す>とちゃんと説明してくれいる。先ず言葉がわからないといけない。スタートアップ(ベンチャーのこと)、キックスターター(クラウドファンディングサービス)、ウーバーが提供するモビリティ、エアビーアンドビーが提供するバカンシィ、UX(ユーザーの体験)とUI(ユーザーが触れる面、みたいな意味合い)の違い等々。インターネットの世界を中心に、新しく生まれた企業やそのサービスは凄い。そんな世の中でどうやって生きていくかを、自身の経験を基に語る。己の快を知り、仲間を増やしていく。但し、<自分の人生の配られたカードで最善のプレーをする>ということだ。それが未来の生きる道。 |
〓 | 『太陽がいっぱい』の続編。いつの間にか、大富豪の娘エロイーズを娶り、パリ近郊の立派な家に住んでいる。その経緯も気になるところであるが、今回のトムは既に死亡したダーワットという画家の贋作を作り、販売する一味だ。その贋作のアイデアを思いついたのはトムだ。そしてその贋作がバレそうになり、必死になってそれを防ごうとする。ある時はトム自身がダーワットに成りすましたり、ある時は殺人も犯す。詐欺師で殺人犯だ。妻のエロイーズもなんとなく犯罪者っぽい性格というのが、不謹慎だが面白い。こんな悪い奴だが、この小説を読んでいると思わず、頑張れ、と言いたくなる。すっかり犯罪者の目線に立場になってしまっている自分が怖い。というかハイスミスが怖い。 |
〓 | なんという甘美なタイトル。努力は不要です、努力してはいけません。楽して儲けるような甘い言葉。なんてことを思うと、それは間違い。簡単に言えば、無駄な努力はするな、ってことだ。日本人は苦労をした分だけ報われる、ということにひかれがち。回り道をし、自分を痛めつけるような努力は止めるべき。もっと目的に向かって要領よく、というか正しく努力することを説いた本。まあ、そうなりがちなので、時々振り返るのがよさそう。 |
〓 | あれれっ、映画のラストとえらい違いますがな。映画のラストは衝撃であったが、原作のラストはじわっと恐ろしい。確かに、原題の『The Talented Mr.Ripley(才能あるリプリー氏)』という方が、原作のタイトルに似合う。次回作『贋作』への展開も出来るし。前回読んだ3作目『アメリカの友人』のような余裕は本作では見られない。やってることは大胆だが、いつ捕まるかを常に気にしながらの綱渡りだ。最後のグリーン・リーフからの手紙を読んだ時、<冗談だろうか?>と思ったほどだ。 |
〓 | 地球上の動物を駆逐しつつ、神のごとく振る舞うサピエンスであるが、それは個々のサピエンスの幸せとは無関係だ。ということをあれやこれやで語る。そして未来はどうなるのか、サピエンスを超えた生命体が出現し、サピエンスは滅びてしまうのか。そしてそれを作り出すのがサピエンス自身であるという皮肉。フランケンシュタイン博士の作った怪物になぞらえる。それは現在のコンピューターやインターネットの延長上、生命科学の延長上にあるかもしれないと著者は語る。その進化は止めることはできない。そしてそれは意外と早くくるかもしれない。あな恐ろしや。 |
〓 | トム・リプリーという男はなんて奴だ。いざとなったら殺人もいとわないが、かといってそんなに悪人というわけでもない。マフィアの暗殺をできる人間を仲間に推薦するが、自ら引き受けない。しかし、その人間(アメリカの友人)がやりとげられないと思うと、自ら乗り込み、手助けをする。善人ではないが、悪人でもない。不思議な魅力を持った男だ。トム・リプリーが登場する1作目が『太陽がいっぱい』、2作目が『贋作』。そして、3作目が本書『アメリカの友人』だ。、アラン・ドロン主演の映画『太陽がいっぱい』は見たが、原作も読んでみよう。『贋作』もだ。 |
〓 | あの『太陽がいっぱい』の作者、パトリシア・ハイスミスの恋愛小説。『アメリカの友人』とどちらにしようかなと迷ったが、表紙の絵が大好きなホッパーの絵だったので、先に本書『キャロル』を買った。女同士のレズビアン小説。出版当初はハイスミスの名前ではなく、クレア・モーガン。ミステリ作家としての名を守る為であったそうだ。最後がハッピーエンドになるというのが、当時では珍しかったようで、かなり評判はよかったらしい。デパートに勤める主人公テレーズとキャロルの最初の出会いはこちらもドキッとさせられた。 |
〓 | 面白いのは真理について。<カントは真理とは、認識と対象が一致することではなく、人間が認識した像が経験的な規則にどこまでしたがっているか、そして認識された他の像とどこまで矛盾なく共存することができるかにあると考えているのである>。まさに<経験が真理の源泉である>ということだ。ということは、経験値が高まれば、真理も変わっていくことがある、ということか。またデカルトの二元論(心と体)には批判的で、考えるのも、体の器官を使い認識するからなので、考え、処理することと体という入力システムを分けること自体がおかしいとする。そもそも何も入力されなければ、何も考えることはない。 |
〓 | 記憶では、鯨に食われるはず、と思いつつ読み進めていったが、原作では鯨ではなく、巨大なサメであった。巨大も巨大、なんと1キロメートル以上もあるのだ。そこで親代わりのジェッペット爺さんに会うことができる。まあここまで来るまでに七転八倒の大活躍だ。キツネや猫に騙されたり、悪ガキの<ランプの芯>にそそのかされて遊びの国に行くが、ロバにされる。あげくの果てにはサーカスに売られるが、見切りをつけられ、ロバの皮目当ての業者に売られ、海に沈められ、溺れ死ぬ寸前で助かる。そしてついにサメに食われてしまうのだ。やることなすことてんでダメ。でも温かく見守る仙女、そしてジェッペット爺さんは見放しはしない。最後はサメからジェッペット爺さんを救い出す。この物語は、ピノッキオが途中で死んで終りにしようとしたらしいが、これを読んでいた子供たちからの声で物語を再開したらしい。 |
〓 | 帯にある通り、NHKの「クローズアップ現代」で紹介されていたので、気になっていた。ホモ・サピエンスが生き延び、同じ人類種であるネアンデルタール人や、大型動物が絶滅したの言語を使えるようになったことだ。そして言語は言語でも、他の動物種にはない<虚構、すなわち架空の事物について語る能力>としている。そのおかげで集団行動がとれるようになった。その他、面白かったのが、その後帝国社会となり、ホモ・サピエンス同士でも、宗教は相いれないけれども貨幣であれば、それを乗り越えてなんなく使用する、というところ。下巻も楽しみ。 |
〓 | 日本のスパイ養成機関、通称「D機関」。『ジョーカー・ゲーム』から始まる、シリーズ4作目。イギリスの情報機関、軍事情報部・第5課の「MI5」、そして映画「007シリーズ」にも出てきた(?多分)、ソ連の秘密諜報機関、「スメルシュ」も登場する。D機関自体は表立って出てこない。いろんな事件が起こり、裏で暗躍していたのが、実は「D機関」であったという結末。姿を見せない分、不気味な印象を与える。『ジョーカー・ゲーム』シリーズも本書で最後かな? |
〓 | クリスティーの中でも最も衝撃的な小説。凄いトリックなどではなく、すごく悲しく、痛々しい小説。主人公は外交官のチャールズ・ヘイワード。父はロンドン警視庁の副総監。チャールズの婚約者は、聡明な女性ソフィア。ソフィアの祖父アリスタイドは大富豪で、<ねじれた家>の大黒柱であった。その大富豪が死んだ。当然、ただの死ではない。殺人事件の始まりである。犯人について、チャールズの父は<大抵の家族には、なにか遺伝している弱点が1つある。それが面白いことに代々変わらないのだ。…両家ともそれぞれ他家の持っている欠点は持ち合わせていないわけだ。この両家の欠点をうけついだ人間を探せばいいわけだ>と言った。 |
〓 | この本を読んだような読まなかったような。読んだけれども、すでに半分忘れていたなら、読んだことにならないとも言える。しかし記憶のどこかにひっそりと隠れていて、何かのきっかけで、思い出すこともあるかもしれない。なんてこんな調子で書かれた短編集。作者も物語を綴ることに興味はなく、思考のプロセスを表現したいということのようだ。心がザワザワするので、元気な時に。 |
〓 | この7巻目で、本篇のお話は終了となる。最後は盛り上がって面白かった。シェイクスピアのファースト・フォリオを巡って、振り市(オークションのようなもの)が開催される。世界の稀覯本なので、その金額もぐっと跳ね上がり、緊張感が漲る。そこでの栞子さんと母親の智恵子の対決も見ものだが、五浦大輔の栞子さんへのフォローが光っていた。今まではちょっと蚊帳の外感が強かったが、今回は覚悟を見せた大輔であった。このシリーズも段々と盛り上がりを見せ、うまくフィナーレを迎えたと思う。今後は番外編とか、スピンオフドラマで読めそうなんで、それも楽しみだ。 |
〓 | タイトルの「月と六ペンス」はどこから名づけられたのかと思いつつ読んだが、よくわからなかった。しかし、とんでもなく面白く、胸にグサリときた。妻も子もある40過ぎの男が、突如として、絵描きになると言って家族を捨てる。世俗を捨てて、出家するようなもんか。彼の描いた絵は、大変高く評価され、天才と呼ばれるようになるが、本人はその才能をわかっていたのか。心の底から絵をかかなくちゃならない、というどうしようもない思いが湧き出たということが、その才能の証なのか。その執念のようなものが、素晴らしい絵として表現されたのか。最後は悲惨な死を迎えるが、見方によっては素晴らしい最後であったのかもしれない。やりたいことをやり切った人間、羨ましくもある。 |
〓 | ご存じ、芥川賞受賞作。格調高い情景描写で、ちょっと読みにくいかなと思ったが、途中からはスイスイと読め、面白くて安心した。主人公の漫才の師匠というべき神谷さん、いいですね。純粋に面白いことに拘るが、世間というものを気にしなさ過ぎ。そういうところが破滅的。反面教師とも言えるが、魅力的な人物だ。中途な半端俺たちは、こういう人はいいなあ、と思う。しかしまあ、最後のオチというか、なんというか、そらやり過ぎやろ、と突っ込みをいれたい。 |
〓 | 今や大人気の星野源。昨年の紅白でも『恋ダンス』を披露していた。俳優としても『逃げ恥』や『真田丸』に出演するなど引っ張りだこだ。音楽家、俳優、文筆家の肩書を持つ。初めてのエッセイ集がこの『そして生活はつづく』だ。これは笑える。一人遊びが好きな星野源の、恥ずかしい、あんな話やこんな話をぶっちゃけ読める。死ぬまでず〜っと続く、バカで地味でつまらない生活を努力と根性で面白くする。この心意気が大事やな。 |
〓 | 作家司馬遼太郎が、司馬遼太郎になる前に、本名の福田定一の名前で出版した本。三上延の『ビブリア古書堂の事件手帖2』で紹介されていて、一度読んでみたいと思っていた。文春新書から新刊されたのを本屋で見つけたので即購入。20年以上も前に司馬遼太郎は亡くなっていたんだと思うと、20年はあっと言う間。いわゆる手に職をもった職人ではなく、会社という組織に属しているサラリーマン。そこには職人のような職種もあるが、団体行動としての仕事のやり方となる。サラリーマン生活も残り少なくなってきてこの本を読んだが、なかなか新鮮で面白かった。 |
〓 | この恐ろしく悲しい話を書いたのが女性で、しかも書き始めたのは19歳というから驚きだ。フランケンシュタインは怪物を創ったが、非常におぞましい姿に怯えて逃げた。一人にされた怪物はどこに行っても恐れられ、排除される。怪物は、フランケンシュタインを探し出し、何とかしてくれ、伴侶を創ってくれと頼む。ところで、どうやって彼は言葉を覚えたのか?ある一家の近くの納屋に住み、その家族の話を聞きながら覚えたのだ。これは目茶苦茶凄い。伴侶を創ることを断られた怪物は怒り、フランケンシュタインの親友、妻をも殺す。フランケンシュタインは自らの手で創造した怪物を殺そうと探すが、力尽きて死ぬ。それを確認した怪物も死を選ぶ。とても悲しいお話。怪物がフランケンシュタインではなく、怪物を創ったのがフランケンシュタイン博士である。怪物の名前はない。 |