〓 | なんとも壮大な勝負の物語だ。江戸時代、「大和暦」と言われた日本初の暦をつくった男、渋川春海の物語だ。渋川春海は囲碁棋士の家に生まれたが、囲碁よりも算術を愛した。当時算術の問題は絵馬に掲げられ奉納され、それに回答するのが慣わしであった。そこにはどんな難題でも解答してしまう、後に和算の大家と呼ばれる、関孝和という天才がいた。碁の実力、算術の力を認められた春海は、<天に不動たる北極星を、各地で測定し、その緯度を判明させる>という幕府のプロジェクトメンバーに選ばれた。これを切欠に春海の人生は大きく変わる。春海をメンバーに加えた張本人、徳川家光の異母弟で会津藩初代藩主・保科正之はこう言った。<どうかな、算哲、そなた、その授時暦を作りし三人の才人に肩を並べ、この国に正しき天理をもたらしてはくれぬか>。黄門様と呼ばれた水戸光圀、そして何よりも前述の関孝和が深く絡んでくる。従来の暦を改め、新しい暦に変えるという人生を賭けた大勝負に魂が揺さぶられた。そして羨ましいとも思った。大変だが、こんな大勝負をしてみたい、と思った。2010年の本屋大賞第1位も頷ける。 |
〓 | 春、夏、秋、冬と章が分かれているので、1年間のことかと思ったら、4年間の出来事だった。麻雀の為に集められた東堂、南、西嶋、北村。そして仕切り屋の鳥井。彼らが大学に入学し、卒業するまでの物語。主人公の北村は何事にも冷静である。超能力を持つ南はおとなしい。仕切り屋の鶏冠のような髪型をした鳥井はオッチョコチョイ。東堂はクールな美人。そして何と言っても強烈な個性を見せるのが、オタクっぽい西嶋だ。麻雀では世界平和を願うあまり「平和」の役に固執し、なかなか上がれない。チンピラとのボーリング対決から始まるいろんな事件に会いながら、彼らの結束がどんどん強くなっていくのがわかる。卒業式で学長が引用した<人間にとって最大の贅沢とは、人間関係における贅沢のことである>は、サンデグジュ・ペリの言葉だ。特に学生時代のそれは本当に贅沢なものだと思う。 |
〓 | 伊坂幸太郎は村上春樹に似ている、と思う。ミステリー色はより強いが、そこに漂う空気みたいなもんが似ている。凄くハードな描写や、頑張れ!頑張れ!はない。非日常の世界に引き込まれるので、疲れた時にも読める。つっぱねたところがなく、どこかに救いがある。最初に読んだ『オーデュポンの祈り』にその傾向を強く感じた。本書『フィッシュストーリー』にもその世界が凝縮されている。もはやミステリーではないな。表題作『フィッシュストーリー』は、時間と空間の広がりをみせた小説。『サクリファイス』、『ポテチ』には、あの空き巣の黒澤が登場する。知っている人間が登場することでまた親近感がわく。『動物園のエンジン』。いろんな社会にエンジンとなる人たちがいるんだろうな。 |
〓 | 韋小宝は、なんだかんだでこの小説の主要な女全てを妻とした。うらやましい限りだ。通吃島でまったり過ごしていたが、最後の大仕事、ロシアとの戦いのリーダーに抜擢される。領土争いの交渉では、また彼らしいハッタリで大成功となる。それとともにこの最後の八巻では、主だった人物達があっけなく死んでいく。さびしい限りだ。清の皇帝・康煕帝とはガキの頃から仲がいい。しかし、その清を滅ぼそうとする天地会のメンバーでもある。両方の義を果たすべく、二股をかけ続けるが、結局両方から責められたりもする。最後に彼がとった態度は、まあそうかな、って感じだ。常に追い詰められ、冷や汗タラタラ必死で凌ぎ、最後に大逆転。サイコロ博打好きの韋小宝は、逆転ドタバタヒーローだ。いいねえぇ。 |
〓 | あの「2ちゃんねる」の開設者、ひろゆき。そして堀江貴文。そしてあの勝間和代の3名による座談会。これを「鼎談」と言うらしい。政治の話からプライベートの話まで巾広く語られる。生き生きと気さくにしゃべっていて、なんか同窓会って感じだ。でも実は勝間和代が一番上で、ホリエモンがその4つ下。ひろゆきがそのまた4つ下だ。それぞれの幸福感の違いなどがよく見えて面白かった。勝間和代のかなりのオタクっぷりがよくわかったし、ホリエモンは一番落ち着きがなかったし、ひろゆきはけっこう冷静で繊細であった。 |
〓 | ロシアから戻った韋小宝は、故郷、揚州の麗春院で母と再会する。そして呉三桂の謀反に加担するモンゴルのガルダン、チベットのサンチェを言いくるめて義兄弟となる。順調に行くと思えた時、<神拳無敵>と異名をとる帰辛樹が妻子とともに登場。こいつがとんでもなく強い。皇帝を狙う帰辛樹。満州人である皇帝と漢人の復興を願う天地会との狭間に立つ韋小宝。彼は、満州人だ、漢人だに拘りはないだけにどっちつかずで、更に窮地に追い込まれる。しかし、そんな時でも、友達で師父である皇帝・康煕帝を助け、師父で天地会の総蛇主の陳近南を助ける。行方不明の小間使い・双児も助けにゃならんし、韋小宝、必死の綱渡りが続く。 |
〓 | 雲南の平成王と言われる呉三桂は、モンゴル、チベット、さらにはロシアと手を組み皇帝の座を狙う。それに加担するのは、洪教主率いる神龍教だ。雲南から逃げ出すように戻ってきた韋小宝は、呉三桂の魂胆を康煕帝に話し、結局、神龍教の討伐に行く羽目になるが、可愛い小間使い・双児に助けられる。双児は常に陰から韋小宝を見守る。健気だ。そして双児とともに『四十二章経』に隠された秘密の場所・鹿鼎山へ。そこで出会うのがロシアの皇帝の姉ソフィアだ。こいつも結構あばずれだ。ソフィアに連れられモスクワへ。そしてソフィアが幽閉されそうになるのを救うのが韋小宝だ。後半になりまた大きく広がった。これからどういう結末にもっていくのか、楽しみだ。 |
〓 | 韋小宝はとんでもなく嫌なやつだ。美少女・阿珂を我が物にする為に、阿珂が恋心をいだく鄭克ソウへ執拗な嫌がらせを行う。そこまでせんでも、って感じだが、この鄭さんも鼻につく奴なのでまあええか。前回から登場した超絶の武芸を身に付けた白尼の名は九難という。元明朝崇禎帝の長女であるが、強いのなんのって、この物語中、今んところナンバー1だ。あの問題児、皇帝の妹・健寧公主も雲南平西王・呉三桂の息子の元へ嫁がされる羽目になる。『四十二章経』の秘密も韋小宝の手の中だ。阿珂の母親も登場する。 |
〓 | のっけからとんでもないキャラが登場する。康熙帝の妹、健寧公主だ。相手にした韋小宝を、殴るわ蹴るわで半殺しにしても笑っている。反対に痛めつけてもうれしがっている。SかMかわからんやつだ。そして超絶の武芸を身に付けた白尼。この世のものとはおもわれないくらいの緑衣の美少女、阿珂。そして何よりも驚いたのが皇太后の秘密だ。『四十二章経』を狙う奴らもまた増えた。 |
〓 | 韋小宝は、皇后との対決では殺し損ねたが、ガキ皇帝(康煕帝)の父が生きて五台山にいることを知る。康煕帝は、皇太后の企みを知り、韋小宝を五台山へ使わす。その道中で双児というかわいらしい女の子を小間使いとして連れて行くことになった。この双児というのが素直でかわいいだけでなく、とんでもない武芸の使い手なのだ。韋小宝は何度も命を助けられる。すでに出家した皇帝の父・行痴に会った帰りに、洪教主率いる秘密教団・神龍教の連中に捕まるが、これまた急展開で神龍教の幹部に取り立てられる。彼らが狙っている『四十二章経』全八部うち、五部を韋小宝はすでに持っているのだ。今回の登場のキャラでは、<デブ行者>が面白い。 |
〓 | 金閣寺の放火という実際の事件を元にしたお話。実際の放火犯人が舞鶴出身であり、吃音であったこと、母親の期待が過度であったことなどそのまま主人公の設定にしている。本書の中で主人公に最も影響を与えたのが、足の悪い柏木という男だ。彼は言う。<俺は君に知らせたかったんだ。この世界を変貌させるものは認識だけだと。…この生を耐えるために、人間は認識の武器を持ったのだと云おう>。それに対して主人公は<世界を変貌させるのは行為なんだ>という。実に若者らしいやりとりだ。対照的なのが、その後に主人公が出会う桑井海禅和尚だ。主人公の真面目な質問に人生を達観したような言葉を返す。実に大人だ。この小説の中で唯一救われた気分になる。 |
〓 | タイトルのイメージからもっとほんわりした小説かと思ったら、まあとんでもない小説だった。荒唐無稽ではあるが、そうもあると思わせる。主人公ミチオは小学4年生というのに、その名探偵ぶりは凄い。そして妹ミカも3歳だというのになんとしっかりしたことか。この妹には、再度驚かされる。夏休み前の終業式の日、ミチオは友達のS君が首吊り自殺した現場を目撃したところから物語りは始まる。ちょっと変なミチオの母親、ミチオとミカの相談相手、近所の製麺工場のトコお婆さん。担任の岩村先生。古瀬という爺さん。人は物語なくしては生きて生けない。そしてやはり人は本当に生まれ変わるのかもしれない。暑さを忘れさせてくれる強烈な1冊であった。 |
〓 | 空手の型や約束組み手を中心に、その1つ1つの動きが<正中心>、<居つかぬ足捌き>、<浮き身と沈身>を使うことを解説している。これを武道空手の「理」の三要素としている。<浮き身>とは、移動する時の一種の無重力状態。<沈身>とは重力を利用した動き出しと決めだ。この両者をミックスして移動し、極める。そして<居つかぬ足捌き>によって、あやつり人形状態となり、いつでも技が出せるようになる。初動の際、重力を利用する為の膝の力の抜きなんかは、目で見てわかるものではない。ある種のフィーリングを掴むことが重要になる。このフィーリングこそが「理」である、と柳川先生は言っている。言われてみて気になる<突き技や打ち技などを極めるときに、「ブルッ」と瞬間的な動きが伴い、見た目で手が止まった位置よりも実際には拳一つ分程度、先まで動いているようなことである>「フォロースルー」については、今後解説するという。楽しみだ。 |
〓 | かつてソニーは「普通」でなかったと元社員の著者は言う。普通になった原因の1つが、入社したい企業の上位になったこと。これで一流大学の学生が入社するようになり、生意気な優等生が増え、異端児を赦さない普通の企業になった。またアメリカに迎合するような風潮にもなった。かつて大崎工場で物つくりをしていたソニーが、いつの間にか社外に委託するようになった。また製品作りにおいて、機能を詰め込むことを良しとする<機能価値>が優先され、<使用価値>がないがしろにされて来たことが、ソニーの製品が面白くなくなった原因だとも言う。かつては本気で超能力を研究していたエスパー研究所なるものがソニーにあったというのは驚いた。 |
〓 | いつかはチェ・ゲバラ物を読もうと思いつつ、どれも取っ付きにくい。ということで、マンガ偉人伝があったので買った。大雑把にわかった。何故「チェ」と呼ばれたのか、カストロとの出会い、そして日本の広島にも来たという。1度目は活動家のイルダ、そして2度目はアレイダと結婚した。ゲリラ仲間のカミロの死、カストロとも別れ、1人次なる戦いに挑んでいった。アルゼンチン人でありながら、南アメリカの自由を求め、国籍にこだわらず、搾取する支配者と戦った。そんなところが、世界中で愛される男になったんだろうな。 |
〓 | 天地会の総舵主・陳近南と会い、ガキの分際で、天地会青木堂の香主となった史上最低のヒーロー・韋小宝。今回は雲南の沐王府、沐剣声の妹で郡主(親王の娘)と呼ばれる娘・沐剣屏(もくけんぺい)。そして方怡(ほうい)。この二人の娘を匿う羽目になる。純粋無垢な・沐剣屏、そしてしっかり者の方怡、そしてガキでやくざな韋小宝とのやりとりが実に面白い。その他、皇太后が一癖あるやつで、武芸を習得しており、韋小宝も危機一髪の事態になる。その後、皇太后の事を「クソばばあ」と呼ぶ。一体何を目指しているのかもさっぱりわからんが、この主人公のゴロツキさはなかなかのもんじゃ。 |
〓 | 10年前に買っておいた本がひょんなところから出てきた。おっ『あら皮』がここに。すぐに読んでみようと思った。読む気になった時に一気に読む。これがまたいい。この物語の<あら皮>とは、オナガーというロバの皮で出来ていて、人が欲望を持つたびにどんどん縮んでいくというもの。そしてそれが、その人の余命を表す。時は1830年、場所はパリ。パリにはパレ=ロワイヤルという賭博場があった。そこに自殺を考えていた主人公ラファエルがトボトボ入っていくところからこの物語は始まる。賭博場であっというまに一文無しになり、ふらっと入った骨董屋で<あら皮>を受け取った。大金持ちになる、女と快楽に浸る、欲望を持つたび縮んでいくあら皮。しかし、欲望を抑えることはできない。最後は壮絶だ。登場する女性は男を弄ぶフェドラ、方や純粋素朴なポーリーヌ。縮むあら皮を無理やり伸ばそうと試みる科学者たち。人間の足掻きが見事に描かれる。著者が構成した「人間喜劇シリーズ」の一冊だ。 |
〓 | 金庸はこれで3作目。最初に読んだのがあの『秘曲 笑傲江湖』。これは面白かった。今回は今までとは違った主人公だ。揚州の妓女の息子で、イカサマ博打が得意で、口が悪く、要領のいいお調子物だ。帯の文句も「史上最低のヒーロー登場!」ときたもんだ。大人の遊びの中で育ったので、講談、芝居の知識は抜群だ。しかし、英雄・豪傑に憧れる気持ちは強く、知り合った茅十八とともに北京へ旅立つ。なんだかんだで清朝第4代皇帝・康煕帝とも知り合う。またその清朝に反対し、明を復活させようとする秘密結社・天地会とも関係を持つ羽目になる。この史上最低のヒーロー、必死の活躍が面白い。さあ次はどうなる。 |
〓 | 会議室で椅子を一掃して時間短縮をなしとげ、パソコンの使用ルールを徹底することで、社員が遊ぶ時間を少なくした。キャノン電子で実際に行った赤字からの脱却の一例だ。その他、情報漏洩を防ぐには、社内失業者をつくらないこと。アウトソーシングを止めることで外部流出金を防ぐ。設計者はスペシャリストではなく、ゼネラリストになれ。指令を出すだけではなく、自主性に委ねることの重要性、不良品は工場内の移動距離に比例して増える等、覚えておきたいことが多い。特に色んな事例においての、人との接し方がうまいと思った。 |
〓 | 今まで漫才でおもろいと思ったのは、初代Wヤング(平川幸雄と中田治雄)とダウンタウンだ。爆笑問題もおもろいが、漫才を見たことはあまりない。本書は「笑い」を人生の一部とする島田紳助と「笑い」を追求することが人生である松本人志のかけあいエッセイ。松本人志が島田紳助の漫才に影響されたというのは意外であった。スタイルが全然違うから。松本曰く、色気のようなものを感じたということだ。方や紳助は、B&Bの洋七に影響を受けるも、個性というものにかける、と思ったそうだ。松本人志について、島田紳助がどう語るかが、本書の読みどころだ。特に「さんま」との比較は面白い。松本人身は、<さんまは指揮者で、自分は演奏家>と位置づけた。演奏家としては、分析・評価の大御所、島田紳助に評価されることが一番うれしいに違いない。 |
〓 | コイツは面白い。さすが山本周五郎章受賞だ。さすが本屋大賞第2位だ。なんと言っても女子大生の主人公のキャラがいかす。学生生活でのいろんなオモチロイことに積極的に挑んでいく。それに思い世寄せるクラブの先輩のずっこけぶりもいい。想像以上にハチャメチャで、筒井康隆のSF小説を思い出す。女子大生・<黒髪の乙女>と、クラブの<先輩>の交互の語りで物語は進む。地に足をつかない生活をしたおかげで、空中浮遊を可能にした自称天狗の樋口くんのキャラもいい。どうでもいいが、一体彼らは何クラブの先輩・後輩なんだろうか。最後までよくわからんかった。必殺技<おともだちパンチ>も可愛い。 |
〓 | <成果は組織の外部にしかありえない>。一番印象に残った言葉だ。この言葉は<マネジメントの領域は組織の内部にあるなどということが前提とされてきたために、組織の内部における努力に焦点を合わせるようになってしまった。組織の内部に存在するものは努力だけである。内部で発生するものはコストだけである>という文章に続く。マネジメントも起業家精神を持たなければならない。<変化ではなく沈滞に対して抵抗する組織をつくることこそ、マネジメントにとって最大の課題である>。そして企業は何の為にあるのか。それは<顧客を創造することである>。営利追求ではいけない。またドラッカーは人間主体であることを強く語る。そこがいいところだ。人間は弱いものであることを前提とするが、<組織の目的は、人の強みを生産に結びつけ、人の弱みを中和することにある>ということだ。 |
〓 | ああ、重力から自由になりたい。私事であるが、飛行機が嫌いでね。飛行機に関する本を読めば、飛行理論に詳しくなって、安全な乗り物であることが確信できると思った。しかし、逆だ。なんと操縦は難しいもんであるかが解かった。今度乗るときは、積乱雲に突っ込まないかとか、離陸決心速度になったら絶対飛べよとか、機長も結構ヒヤヒヤして操縦してるとか、操縦の苦労を知るに連れ、心配事が増える一方だ。最後の方で、<飛行機は自分で安定しようとする性質を持っている>とか<そうそう飛行機というものは簡単に落ちるものではない>という文章に出会うが、絶対安心ではない。「頑張ってください」としか言えません。まあでも話は面白いし、読んでよかったと思う。昔は飛行機の現在位置を知るのに、コックピットの上の窓を開け、天体望遠鏡で星を見て確認したという。のどかだな。大連の東方ホテルの日本料理店にこの単行本が置いてあった。1/3ほど飯食いながら読み、後は日本に帰ってから文庫本を買って読んだ。 |
〓 | 兄・泉水、弟・春。2人とも「スプリング」なのだ。復讐劇というのかな。ナントも時間をかけ、段取りを踏んだ復讐である。良いことか、悪いことかと問われれば、悪いことだ。ありか、なしかと問われれば、この場合は「あり」だ。DNAの絆に縛られる必要はない。それよりも体験だ、実績だ、そして愛情だ。そして彼等の父親がまたカッコイイのだ。不気味な「利己的な遺伝子」野郎に対抗しようではないか、と思えるようなお話だ。そして舞台はまたも仙台なのだ。 |
〓 | <ロマンはどこだ>が、彼らの突入の合図だ。彼らとは銀行強盗4人組、成瀬、響野、久遠、雪子だ。先見の明があり、人の嘘を見抜く成瀬。揉め事に絡むのが好き、演説好きの響野。人間よりも動物好きでスリの名手の久遠。絶対時間を持ち、運転の名手の雪子。彼らの計画は風のように「盗んで、逃げる」ものだ。それが思わぬ形で破綻。この物語の始まりだ。いつの間にか雪子の夫・地道も絡む。地道は臆病だ。雪子は言う。<地球が回るように、この人も裏切る。…臆病は理屈じゃないから>。全編を通して愛が感じられる4人組だ。それがこの物語の痛快さの源だ。響野の妻・祥子、雪子と地道の息子・慎一も登場する。成瀬は自閉症の息子・タダシを持つ。自閉症とは<人間の曖昧な部分が嫌いな性質のこと…そして、人よりも物事に敏感なんですよ>。覚えておこう。相手を理解してやること、これも愛のある行動なのだ。 |
〓 | 武士道シリーズ、第3弾。シックスティーンから始まり、セブンティーンときて、今回がエイティーン。甲本早苗、磯山香織も高校3年生となった。ライバル校となった2人は最後のインターハイで対決する。磯山香織の最大のライバル黒岩伶那、後輩の田原美緒ももちろん登場。その他、甲本早苗の姉でモデルの西荻緑子の事、後輩・田原美緒の事、磯山の通う桐谷道場の歴史、福岡南高校の吉野先生のエピソード等が詳細に語られ、最終まとめに入った感じだ。いやいや、まとめて欲しくない、これからも続けて欲しいと思う。武士道を貫く生き様を見せ続けて欲しい。ということで『武士道ナインティーン』に期待。それにしても剣道の試合の様子というか、攻防の様子を描くのがうまいと思う。『ジウ』での戦いの場面も凄いなと思ったが、今回も感心した。 |
〓 | NHKの趣味悠々をたまたま観て、高松志門って面白いおっさんやなぁ、と思った。その教え方は独特だが、一貫している。クラブをいかに速く振るかを徹底的に説く。ゆるゆるグリップもその1つだ。すべてはヘッドスピードをいかに速くするかに集約される。<ボールを真っ直ぐ飛ばすのはヘッドの速さである>と言い切る。痛快だ。飛距離だけでなく、方向性も良くなるというのが良い。著者の師匠が橘田規だ。橘田規は小柄で細身また胃潰瘍という持病に悩まされ、体力の一番無い時にこの打法を編み出したそうだ。プロで勝利を重ね、あのジャンボ尾崎も、この人を見てプロになろうと決意したという。前半は「水平打法」と呼ばれたその教えを中心として解説し、後半は著者によるその応用編だ。その応用編で思わず笑ったのが、下り斜面へのアプローチでの、低くよれよれのボールの打ち方。<きちんと立ってはいけない。…アドレスで先ずだらしない立ち方をして、適当な気持ちで打つようにしたほうがよい>。なるほど。 |
〓 | 夢のような話だった。主人公・伊藤は仙台から荻島に連れて行かれる。その島は百年以上、本土との交流はない。そこには未来がわかる「優午」と呼ばれる案山子いた。喋ることができたが、未来のことは教えてくれない。不幸にあった人間は何故教えてくれなかったのかと詰め寄るが、やがて人生どんな事が起きてもそれを受け入れるしかない、と思い至る。しかし、優午は唯一未来を変えようとした。絶滅の危機にあった鳥「リョコウバト」を救おうとした。そして優午はバラバラになった。登場人物も個性的。犯罪を起こした人間を銃殺する「桜」。撃つ前のセリフは「理由になってない」だ。市場には食べ過ぎて動けなくなった「ウサギ」。寝るときは頭を上に向けるだけ。動けないので夫が妻の体をふいてやる。伊藤と行動をともにするのが日比野。憎めないが何かが欠けている奴だ。『ラッシュライフ』も仙台であったが、本書の主人公も仙台から来た。仙台のこだわりは、著者が東北大学卒業だったからか。荻島は実在しない。オーデュボンは実在の人物。画家で鳥類研究家。鳥の絵は実物大で描く。 |
〓 | フリーと言っても、昨日金メダルを取ったキム・ヨナや惜しくも2位となった浅田真央の演技の「自由」の方ではなく、「無料」のことだ。世間には「無料」ということを餌に大金を稼ぐ商売が多く存在する。試供品をタダで配り、気に入れば買ってもらったり、ネット上でタダ同然で流し、コンサートやグッズで稼いだり、無料で提供するものには、広告が入っていたりする。無料で配布して得られるのは、評判だ。それを利用して有料のものを出す。<フリーは魔法の弾丸ではない。無料で差し出すだけでは金持ちになれない。フリーによって得た評判や注目を、どのように金銭に変えるかを創造的に考えなければならない>と著者は言う。面白いのは、お金を払える人のみ払うというパターンが存在すること。また、著者が<フリーになりたがるもの>と表現している、簡単にコピーできるデジタルソフトは、放置するとタダ同然になってしまう。その品質は同等で、その勢いは強烈だ。これらをいかに回収するかがポイントでもある。金儲けもダイレクトではなく、間接的で複雑になってきている。 |
〓 | いくつもの物語が並行して進み、話が入れ子になっている小説。その場所は仙台。単なる脇役であった噂のあいつが違う話の中で活躍したり、殺された男が車に轢かれて2度殺されたり、仙台駅前にいる野良犬に人生を救われたり、その野良犬も鋏をもった女に襲われかけたり、街頭で「好きな日本語を書いてくれ」と言われ、言葉を書いたり、エッシャー展のポスターを見て想ったり、となんやかんや皆が忙しい。まさにラッシュだ。しかし考えてみれば、そう言うことなんだな、と思う。ある場所である関係を持ち、別の場所で別の関係を持つ。そしていろんな人が同じものを見て、いろんな感想を持つ。実際そんなモザイク模様で成り立っている。そんな、ある意味当たり前の全体小説を書いて見せつけたって感じだ。 |
〓 | 唐の第6代皇帝、玄宗(李隆基)が治めていた頃、県令を退職した王滔の息子で本書の主人公・王弁は仕事もせずにブラブラしていた。父王滔はいう<世間には大きな道が二つある。孔孟と老荘だ>。かつて孔孟の道を歩んできた王滔は、息子にそのもう1つの道、老荘の道を薦める。そこに現れたのが、美少女の仙人、<姓は僕、名も僕、字はそうだな、野人とでもしておくか>だ。その僕僕と王弁の2人の旅が始まる。仙人かつ美少女というのがエキサイティングだ。先ずは都、長安(現在は西安)を目指す。僕僕の仙人仲間との出会い、玄宗皇帝との出会い、そして最大の危機が渾沌との出会いだ。時間と空間が一体になる前に世界を治めていたのが渾沌だ(その逸話も面白い)。大冒険を経て、王弁は次第に恋心を抱くが、涼しい顔で巧みにかわされる。そのやりとりが愉快だ。実は僕僕も不肖の弟子、王弁を愛する。本格的な薬丹作りの修行、そして別れ。「日本ファンタジーノベル賞」というのも頷ける。続編もあるので非常に楽しみだ。 |
〓 | 堀江貴文とゴルフというのも、なんともミスマッチな組み合わせと思ったが、最近は時間があるらしく、ゴルフを始めてから500ラウンドもしたらしい。頭を使うゴルフを目指すという堀江貴文ならゴルフをどう語るのかは、興味がある。伊藤正治というプロにマンツーマンで教えてもらったそうで、そのレッスン内容が書かれている。本書でも語られているが、基本が身を持ってわかっていなければレッスン書の中味を理解できない。自分の思い込みに気付き基本に帰る、という作業が必要だ。堀江氏は伊藤プロによって、アドレスで右を向いていることに気付かされた。やっぱ他人に見てもらうことも重要だ。バンカーショットで距離が短い時は頭を低く、距離が長い時は頭を上げる。フィニッシュから戻してフェースの向きをチェックする等は使えそうだ。にしても財界展望新社というのが凄い。 |
〓 | 異彩を放つお笑い芸人と言えば、鳥居みゆきだ。何を言い出すか、ワクワクする人物だ。その鳥居みゆきの初めての著書。ぶっ飛び感は健在だ。タイトルもユニークだし、文章のセンスもあると思う。破滅的であるが、読めば心の浄化作用はある。暗さの中にもアッケラカンとしたところがあって、歌手の中島みゆきを思い出す。あれれ、「みゆき」繋がりだ。<あなたの無邪気さを破壊>(←帯の言葉)されてください。但し、赤い地に黒い字のページは読み辛い。なるべく明るくして、なんなら眼鏡もかけて読みましょう。 |
〓 | ヒッコリー・ロードにあるその学生寮には、外国人の留学生が多く、イギリス人以外にフランス人、アメリカ人、ジャマイカ、西アフリカ人が住む。そこで相次いで盗難事件が起き、ポアロが呼ばれ、学生たちがざわめき立つ。そしてついに死者が出た。盗難事件の裏にある核心に迫るポアロ。決め手となるのは、<詐欺や殺人を計画するような悪知恵があり、それを実行する大胆な度胸のあるのはだれか>、また<残酷でうぬぼれが強いといえばだれか>、<虚栄心が強いこと、執念深いこと、向こうみずなこと>ということになる。ポアロが割り出す犯人像には、それなりの資質があるのだ。そこが納得できなければならない。今回は西アフリカ人のアキボンボが、惚けた感じでいい味出している。 |