〓 | TV「¥マネーの虎」に出演していた高橋がなりの本。佐川急便に入社したあと、テレビの仕事であのテリー伊藤の下に居たらしい。今はビデオ制作会社の社長だ。元TVマンらしいと思ったのは、「アオリ」と「フカン」の例え。演歌歌手をテレビカメラで撮る場合、イントロの時には上からの「フカン」で、サビのところで下からの「アオリ」となる。逆境に陥った時など、「アオリ」で感情たっぷり、自分中心になりがちだが、時には離れて「フカン」で自分自身を見ろ、とまあそういうことだ。佐川急便の頃からトップをとっていたらしい。会社を潰して失敗しても、かつての成功体験が彼を支えているのだ。成功体験のない人は「勝ち馬に乗れ」と言う。彼にとっては、テリー伊藤がそうであったらしい。 |
〓 | ポアロは2つの解を出した。あれとあれだ。どちらが正しい解答であろうか?といっても遠い昔、映画で見たので犯人は最初から知っていたのだ。イングリッド・バーグマンをリアルタイムで初めて観た(かなりのおばちゃんになっていたが)。ショーン・コネリーも出演してたような。今回も役者が出てくる。って言っても小説の中での役者。後でわかるが、これがまた相当の曲者だ。内容を知っていても面白いが、何も知らずに読むのが一番じゃな。それくらいオチが強烈。 |
〓 | ミス・マープルもの。本書にはめずらしく序文がある。その中でクリスティーは、探偵小説におきまりのテーマ「書斎の死体」、この「よく知られたテーマに変化をつけた素材」を長年模索してきたという。書斎はオーソドックスかつ伝統的なもの、そして死体は奇想天外な、あっといわせるもの、というのが自分でつけた条件であった。はてさてその出来はというと、「書斎の死体」についてはかなり強引じゃな、これは。まあ、でもミス・マープルの人を見る目はなかなかのもの。例によって、長年住んできたセント・メアリ・ミード村での様々な人物に当てはめていく。今回の主人公でもある脚の不自由な初老の男の心も見事にその例に当てはめてみせるのだ。まったく嫌なおばはんである。小説の中で探偵小説好きの少年が、作家のサインを持っていると自慢するシーンがあるのだが、その作家の中にちゃんとアガサ・クリスティーも入っていた。 |
〓 | 前作で『チムニーズ館の秘密』というのがあったが、またもや同じ場所、チムニーズ館で殺人事件が起こった。このチムニーズ館の所有者はケイタラム卿という。この人がなかなか「おもみき」のある人物なんである。政治には全く興味なしで、そのかわり<数々の玄妙な人生の楽しみ>を充分堪能しているのだ。自宅の庭でゴルフの練習をする場面があるのだが、左手のリストをどの様に効かそうかと悩んでいる。自分の館で殺人事件が起こったのに、なかなか「おもむき」があるではないか。そしてその娘アイリーン・ブレンド、通称バンドルは積極果敢なヤンチャ娘だ。愛車「イスパノ」を爆走させ、事件に顔をつっこんでいき、その騒ぎを大きくする、てな感じだ。ラストでめでたく結婚をする。今回のどんでん返しも見事で、大変「おもむき」のある作品であった。 |
〓 | 『氷点』の続編。陽子は自殺をはかったが、一命をとりとめた。そしてその後北大に通うようになる。ルリ子を殺した左石の娘であると思われていた陽子であったが、実はそうではなかった。この辺りから話はややこしくなる。左石の娘は別にいた。しかも身近に。北大に通う陽子と兄の徹。そして陽子に思いをよせる北原。その友人の順子。陽子の本当の母親、本当の兄弟との出会い。夏枝と村井の関係。啓造に思いをよせていた松崎由香子との出会い等、人間関係は複雑。人間が関係していくとは、いいことばかりではない。悪いことの方が多いのかもしれない。犯した罪は許して欲しいと思う。しかし誰に許してもらうのであろうか。懺悔をすれば許されるもんでもないだろう。やはり背負って生きるしかないんであろうな。背負って生きるというとなんか重苦しいが、それが生きる力にもなる。どうしても生きなけりゃならない訳ではないが、せっかくだから命を燃焼させたいと思う。本書に出てくる言葉、<一生を終えてのちに残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである>というのは教訓にしよう。 |
〓 | 出ました。役者です、役者。今回も出まくりです。クリスティーの得意技。役者は人に化ける、役者は人を騙せる。ああ、役者、役者。という訳で、今回は美人女優ジェーン・ウィルキンスンと、個性派女優カーロッタ・アダムス。そしてブライアン・マーチンの登場です。さあ、どいつが一番役者か。ポアロも騙されかける。お馴染みヘイスティングズも彼なりに大活躍。ポアロも云う通り、ヘイスティングズはヘイスティングズでなければならない。決して第二のポアロであってはならない。平凡な人柄。これこそがミスター・ヘイスティングズだ。しかし、名探偵ポアロ。今回も納得のできるええ仕事してます。 |
〓 | 辻口病院を経営する辻口啓造とその美人妻・夏枝。その間に2人の子供、徹とルリ子がいた。ちょっと退屈な夏枝は、医師・村井に心が惹かれる。2人の密会中にルリ子が殺された。ルリ子を殺した男は直に自殺。その妻も生まれたての子供を残して死んでいた。夫啓造は、「なんじの敵を愛せ」と「不貞の妻に重荷を負わす」ということで、殺人犯人の子供を引き取ることにする。陽子と名付けられた。犯人の子供であることは、啓造と友人の医師だけの秘密であった。夏枝は陽子を非常にかわいがり、すくすくと育った。後、夏枝は真相を知ることになり、陽子に対して冷淡になる。最後で陽子も真相を知ることになる。ところが。。。というのがあらすじ。陽子は殺人犯人の娘であることで、生きていく力を失う。自分の中に罪人の血は流れている、ということを悲観したものだ。そんなこと陽子自身が気にせんでもええのに、と思うが、母(夏枝)に冷たくされても頑張ってきたのは、「自分は悪くない」というが生きる拠り所であったからなのだ。自身の「原罪」に気づいた陽子。ってことで『続・氷点』に続くらしい。 |
〓 | 今回ヘイスティングズ氏は登場しません。思うにクリスティーの小説には、変装名人がよく登場する。普通の人たちにはわからないが、みる人が見ればわかる。見るポイントは耳の形だそうだ。前回のビッグ4に出てくるナンバー4も変装名人であった。でもある行動の癖があったのだ。本書にも変装名人が登場する。彼らの職業は現役の役者か、元役者だ。お話はブルー・トレイン(青列車)の中での強盗殺人事件。ひかえめなキャサリン・グレーが印象的。 |
〓 | いやビックリですね。クリスティーがこんな冒険小説のようなもんを書くとは。世界を闇で動かしているのが、ナンバー1の中国人。ナンバー2は、大富豪のアメリカ人。ナンバー3は、フランス人の科学者。ナンバー4は、変装名人の殺し屋。ポアロとヘイスティングズがこのビッグ4と対決する。彼らと対決するポアロの秘策はなかなか凄いぞ。ナンバー4の殺し屋との直接対決も、迫力がある。本書では、ポアロの兄アシール・ポアロが登場する。アシールとは、アキレスのこと。またエルキュールとは、ヘラクレスのことらしい。短編をつなげて1つの物語にしたというだけあって、面白ネタは満載だ。 |
〓 | ポアロ登場っていうから、最初にポアロが登場したいきさつなんかが書かれているのかと思いきや、さにあらず。いきなりポアロとヘイスティングがしゃべっている。やっぱりポアロは『スタイルズ荘の怪事件』でデビュー、という認識にしておこう。本書は14の話からなる短篇集。特筆すべきは、最後の『チョコレートの箱』。ポアロが唯一解決できなかった、失敗談である。 |
〓 | いつ、どこで買ったかも忘れていた星新一。とりあえず鞄に入れて時々読んでいった。オモシロイ。「源ちゃんラーメン」や、「CoCo壱」で、注文して出てくるまでのひと時に丁度いい長さの短編。人生を達観したようなピリリと効く内容。ドロドロ、ギラギラした心を洗い流してくれる。『会議のパターン』が特によかった。 |
〓 | クリスティーの描く女子は冒険心に富んだ魅力的な人物が多いな、と思っていたが、今回の主人公は非常に魅力的な男だ。その名をアンソニー・ケイドと言う。明るく、冒険心に富む。しかし、その彼もこういうことを言う。<だれだって代価を払えば、ほしいものが手に入るーそれがぼくの持論です。そして十中八、九まで、その代価はなんだか知ってますか?妥協ですよ>。なんのことはない、彼は恋してしまったのだ。<…ほしい女を手に入れるために、ぼくはーぼくはいま、まともな仕事に就こうとさえしている>。とさ。お話はかなり大掛かりだ。ヘルツォスロバキアの王政復古を望む者、石油の利権を争う者、そして大泥棒。彼らがチムニーズ館に集まる。個人的には、大泥棒のキング・ヴィクターにもっと活躍して欲しかったかな。 |
〓 | 今回の主人公で、エンド・ハウスの女主人であるニック・バックリーもなかなかの女性だ。ポアロをも騙そうとする。若くて美人で、悪い女。ポアロはよくぞ冷静でいられたもんだ。ところで、ポアロの友人のヘイスティング、本書では妻帯者となっている。さすがにこの女主人ニックや、従姉妹のマギーを見てもくどく事はなかった。人の良さは変わらんが。 |
〓 | 火曜クラブとは、ちょいと暇な人たちが毎週火曜日に集まり、自分の知っているある事件の話をみんなに聞かせる。そして、犯人当てゲームを行うのだ。その中のメンバーにミス・マープルがいた。ミス・マープル短編初登場という訳だ。この世にミス・マープルが登場したのは、先に読んだ『牧師館の殺人』よりも、こっちが先のようである。すべての事件に関してマ−プルはズバズバと当てていく。この事件は前にあったあの事件とそっくりです、てな具合である。そして、こういうタイプの人間はたいていこうする、のだと言う。つまり推理するのではなくて、すでに知っているのだ。大変嫌なおばはんなのだ。全13話。12話目の『バンガロー事件』が特によかった。 |
〓 | ミス・マープル、長編初登場というのが本書である。「一芸に秀でた者は、万芸に通ず」とはこのミス・マープルのことだ。田舎町、セント・メアリ・ミードに住むこの老嬢は、一日中編み物をしながら過ごしている。そして、この村にすむ人々の様子をじっと観察しているのだ。村の人間を深く、良く観察すれば、人間というものがわかる。どこに住んでいる人間もしょせんは同じ。人間はいかにバカな存在かということを知っている、大変嫌なおばさんなのだ。多分、クリスティー本人に最も近い登場人物なんでしょうな。 |
〓 | これまた奔放な女子だ。前回のタペンスよりもブッ飛んでいる。考古学者の娘、アン・ベディングフェルドだ。そして、登場する悪党?がイカス。アン自身もこの悪党に対しては、<わたしは彼を尊敬していた。おそらく根っからの悪党なのだろうがーそれにしても愉快な悪党だった。その後、彼の半分ほども面白い人物にお目にかかったことがない>。てな具合だ。恋あり、冒険あり。なかなかよかった。アンにしろこの悪党にしろ人生を楽しんでいる感じが凄くいい。 |
〓 | いいなあ、仲良くて。というのはこの物語の主人公2人。トミーとタペンスだ。ふたり合わせても45にもならない若さ。暇で退屈なもんで、二人して青年冒険家商会を設立した。するとたちまち依頼が来たのだった。この名コンビ、とにかくよく飯を食う。何事もとりあえず飯をくってから、って感じが凄くいい。貧乏なんでそんな高い店には入らない。こんな溌剌とした主人公の物語をクリスティーが書いていたとはちょっと意外であった。タペンスの結婚観というのがまたいかす。「スポーツよ!」てな具合だ。そういや全体的にスポーツ感覚あふれ、非常に小気味いい。仕事もスポーツマンシップが大事だと誰かが言っていたが、まさにそんな思いがした。結婚もスポーツ感覚がけっこういいのかも知れんな。すっかりこの2人のファンになってしまいました。 |
〓 | 女好きのポアロの友人、ヘイスティング大尉。残念ながら今回は登場しません。この『アクロイド殺し』、フェアかアンフェアか、なんてことが後に議論になったりしたようである。しかしながらこの小説でクリスティーは、英国探偵小説の代表作家の地位を築いた、と解説にある。ともあれ注目された作品であったようだ。真犯人らしき者が次から次へと現れる。みんなそれぞれ怪しいのだ。そしてその人物の愛人、関係者は、彼・彼女らが真犯人かもしれないと勝手に思い込み、庇うために本当のことを言わなくなってしまうのだ。それが真相をわかりにくくさせる。正直に言うと疑われる恐れがあると思ってしまうのだ。と言うか、みんな行動が怪しいのだ。それぞれ事情はあるやろうけど、怪しいやつらの集まりなんである。そこでポアロは論理的に秩序立てて本当のことだけを見抜いていくという訳だ。最後は、そうか!ではなく、う〜ん、という感じ。面白かったけどね。ヘイスティング大尉が登場しないのも読めばわかる。 |
〓 | ↓『ポアロ初登場』というタイトルはなかった。『ポアロ登場』でした。さて、この『ゴルフ場殺人事件』であるが、語り手であるポアロの友人、ヘイスティング大尉、なかなかの男です。というのは、会った女性には(もちろん美人)には、必ずといっていいほど愛の告白をする。本書においても2人の女性に「愛している」といっている。前作の『スタイルズ荘の怪事件』でも「結婚してくれ」とほざいている。この調子やと毎回しよると読んだ。タイトルは『ゴルフ場殺人事件』であるが、ゴルフ好きやからと思って読むと大間違い。何故ならほとんどゴルフとは関係ないから。(死体が建設中のゴルフ場のバンカーの中にあっただけ)。どちらかというと『なんちゃら荘殺人事件』なんであるが、前作が『スタイルズ荘〜』であったので、タイトルにメリハリをつける上ではいいと思うが、ゴルフ場ってかあ?って感じである。今回の見所の1つは「人間猟犬」刑事ジローと「灰色の脳細胞男」ポアロとの対決。 |
〓 | エルキュール・ポアロ初登場の作品かな、と思ったが、短編集で『ポアロ初登場』 というのがある。そっちの方が先かな?ポアロは、ベルギー人で元警察官。彼がい らいらした時の癖は、花瓶などを正しい位置に置き直すというのだが、これがよう わからん。心を静めようとしてやっとんのかな。この『スタイルズ荘殺人事件』で ポアロが最後の方で言うのが、ポアロが考える「この世で一番大切なこと」。そう かも知れんな、と思った。 |
〓 | パーカー・パインはクリスティーの小説の中ではマイナーな探偵のようだ。しかし、なかなかいい味でてます。「あなたは幸せ?でないならパーカー・パイン氏に相談を」と新聞広告に出す。これを見て依頼者が来るのだ。パイン氏は探偵になる前に35年間、ある官庁で統計収集の仕事をしていた。その経験を生かして仕事をするのだ。不幸というものは五大群に分類できる、とおっしゃる。そして依頼者の内容も詳しく聞かずに「知っている」という。統計によって依頼者をパターンに分けるのだ。そして治療。パインの弟子たちに一芝居打たせるのだ。ジゴロ風の男、妖婦等。犯人を当てるだけの探偵ではない。心の治療を行うのを得意としている。パインが休暇で旅行している時にも依頼がくる。これがよくわからんのだが、困っているような人に誰かが、パーカー・パイン氏に相談しろ、とメモを渡す。こいつはいったい誰なんや。パーカー・パイン自身か?そして相談者に会うと最初に、休暇中は仕事をしない、などと言うくせに結局は仕事を引き受ける。やっぱりパイン、お前か。 |
〓 | <逃げないことが、最良の逃げ道>。主人公ツバメが最後の土壇場で人生のルールとした言葉だ。ツバメは中国人。近未来の刑務所の中から話は始まる。悪ではあるが、ツバメは気持ちのいいやつだ。クールとポップが共存しているところがいい。作者はエルモア・レナードの文体が好きだという事だが、なるほどなと思わせる。どちらも「大人の小悪党」をうまく書く。この小というところがミソだ。本当に悪くて嫌なやつではないのだ。逆にこういうヤツになりたい、と思わせる。知恵と体力を兼ね備え、クールとユーモアで人に接する。これが大悪党ともなると、体力とユーモアがなくなり、本当に嫌なやつ、てなことになる。読んでいて視点がころころ変わるのはわざとかもしれんが、少々読みにくい。しかし、最後の土壇場&ラストは面白かった。 |
〓 | 天橋立から丹後半島を回り、木津温泉の『ゑびすや』という旅館に泊まった。そこはなんと松本清張が約2ヶ月滞在し、『Dの複合』を執筆した宿だという。清張の書斎と呼ばれる部屋があったり、旅館の雰囲気が古き日本の風情たっぷりでなかなかよかった。で、この『Dの複合』は、天橋立駅から始まる。そして主人公の作家・伊瀬忠隆と編集者・浜中三夫は木津温泉に行き、『ゑびすや』に宿泊する(本の中の宿名は『ゑびすや』ではないが)。そこで殺人事件に遭遇する。物語は浦島伝説などを織り込みながら、うまくというか強引に現代の事件にからませていく。このパワーは凄い。最後までまずまず面白かった。それにしても新潮文庫の活字、読みやすくなったと思う。 |
〓 | すんまんのう。またまた小林よしのりで。だって買ったんだもーん。ゴーマニズム宣言の中の差別論に関するものを集めたもの。部落差別のことを語る。世の中にはいろんな差別があって、人は基本的に差別することが好きなんやな。あと、中途半端な知識が差別を増長させたり、問題を作り出したりしとるんやなあ、と感じた。 |
〓 | すんまんのう。またまた小林よしのりで。だって気合が入るんだもーん。この3巻目では特攻隊について熱く語る。特攻隊というものがいいか、悪いかと言えば、いいことないに決まってる。しかし、そこには特攻隊員たちの「私」と「公」のギリギリの選択がある。自分の目前の死をしかり見つめ、死んでも守るものがあるということで覚悟を決める。建前と本音というが、どちらも本音なのだ。死にたくない気持ちと、死んでも日本を守るという気持ち。そして、建前が本音に変わる時がある。その時こそ無我の境地に達することができるのかもしれない。 |
〓 | 副題に<初動負荷理論が「世界」を変える>とある。この初動負荷というとちょいとわかりにくいが、要は、動きのきっかけは重力を利用する、ということだ。自らバランスを崩し、動き出さずにはいられない状態をつくる。これによってスタートが早くなり、タメがないので相手に悟られにくい。この重力を利用する、というのは空手の柳川理論でなれ親しんだものであるが、この本の特徴は、そのトレーニング方法(初動負荷トレーニング)が示されている点だ。巻末にそれが載せてある。無理に動かし続けてガタがきている体を矯正できそうな感じだ。腰痛、肩凝りにも効きそうだ。早速とりいれてみよう。 |
〓 | この古典、こんなに面白いとは知らなんだー、ああ、知らんなんだ。今年度フィクション部門でNo.1、早くも決定かな。時間旅行家(という言葉も何かプロっぽくていい)がタイムマシンに乗って未来に行くのだが、映画「バック・ツー・ザ・フューチャー」などのつっかけで行けるぐらいの近所未来ではないぞ。何と80万年後というから驚く。それだけ未来になると人間自体が、生物として変態している。人類の未来、この本では悲劇だ。スウィフト『ガリヴァ旅行記』の「馬の国」よりも辛らつだ。そして人類の未来だけではおさまらない。地球の未来まで行ってしまうから、さらに驚く。ここまでやると相当な科学的知識が要求されてくる。博学ウエルズならではであろう。時間旅行している時の描写は妙にリアルだ。というかリアルに感じる。本書は標題作『タイム・マシン』の他9篇の短編からなる。『タイム・マシン』ほどではないが、どれも面白い。 |
〓 | すまんのう、また小林よしのりで。だって面白いんだもーん。今回のは、現在イラクに派遣している自衛隊について。現在進行形なんで、臨場感溢れる。自衛隊派遣については、安全か、安全でないかが問題ではない。その大義があるかどうかだ。名誉ある行動であれば、危険はいとわないのだ。小林よりのりが面白く、よくわかるのは、ブレてないからだ。諸所の事情とか、強者の意見になびくとかがないからだ。かといって、ガチコチでもないのだ。「よしりん説法・青年たちへ」を読めばよくわかる。みんなも読んでくれ。(とまあ、すっかりはまり気味)。 |
〓 | 分厚い。内容も一段と濃くなっている。日清、日露戦争から大東亜戦争にいたるまでの経緯が詳細に書かれている。南京大虐殺のトリック写真など、資料としても面白い。過去に起こったことは、過去の価値観で考えねばならない。それを現在の価値観でもって反省し過ぎている、と言う。一番強く感じたのは、他国からの情報に振り回されすぎってことかな。日本人のアイデンティティのなさがいい面でもあるのだが、度が過ぎるとみっともない。現在のテレビ、新聞からの情報では知りえない内容が書かれた貴重な本であると思う。 |
〓 | 最後はなかなか感動的でもある。いい子ぶって、反省ばかりしている日本人に喝を入れる一書。何が正しいのかではなく、何を守りたいのか。「個」の為でなく、「公」の為に。個人の幸せを追求しても生きる醍醐味は得られない。自分自身を超えて、戦おうって気になる。素直で力強い。 |
〓 | 下から読んでも戦争論争線。ってことで、真面目な2人が真剣に話しあっていて非常に面白かった。一途さは小林よしのりで話はわかりやすい。田原総一郎は、引き出しが多いといういうのか、あの手この手で応戦しているって感じがした。これからの日本の行方についての見解が2人は違う。簡単に言えば、小林よしのりは、日本が喧嘩に強くなることを強調するが、田原総一郎は、喧嘩しないことを強調しているようだ。 |
〓 | <「私的(プライベート)な言葉」は簡単だが、「公的(パブリック)な言葉」を吐くのは難しい。それは覚悟がいるからだ>。そしてその覚悟とは、それができるかどうかのシミュレーションをして生まれると言う。この金美齢との対談が深く心に沁みた。やはり個人を超える何かを持って命を賭けたい。己を捨ててこそ浮かばれる、という訳だ。その己を捨てることのできる対象。それが日本という「国」であると、小林よしのりは言う。国とは、自然や、歴史によって育まれた文化のことである。そして故郷を愛する心である。俺もそうありたい、と思った。 |
〓 | けっこい濃いですね。事件の証拠として、主人公(清原奈津美)が書いた日記をかなり長く読むことになる。女性が書く日記と言うものを、著者(男)が創作しているのを思い浮かべるとなかなか愉快。自分で反省したり、励ましたり。。。まあ考えりゃ、男も女もそんな変わらんかもしれん。人にはその相手によって隠しておいてもいい事と、まずい事がある。相手によって、知ってもらうべき範囲を考えんといかん。現状が心地よくても、あとで自分で自分を苦しめることになる。てな話です。本文中や、あとがきに坂口安吾が登場する。読み返してみたくなった。 |
〓 | 食わず嫌いであった小林よしのり氏の本であるが、読んでみて非常に面白かった。共感できるところが多い。「私」と「公」、あるいは「個」、「国」の関係など納得できる。うまく解説くれた、って感じ。『戦争論』も読んでみようと思う。 |