〓 | いいですね。主人公アイコの切ない片思いの気持ちがヒシヒシと伝わる。ハチャメチャな語り口の中で、愛と人生を語る王太郎節が炸裂。なかなか奥深いぞ。個人的に非常におもろかったのは、崖文字のところ。アイコのイメージの中で片思いの陽治の叫びが崖に文字になって浮かんだり消えたりするんであるが、アイコが「それどうやってやってんの?」との問いかけに「え?人にたのんでやってもらってんだよ、うるせーな。…」と答えるところ。そりゃ、人に頼まにゃそんなことできまへん。。。ってことでもないが。何故か異常におもろかった。それとグルグル魔人の章。あのテンポ良さも凄いぞ。&第16回三島由紀夫賞受賞だって。これまた凄げえ。 |
〓 | 「社会」ではなく、「世界」との関係を持つところのもの。それがサイファだ。家族、職場、その他趣味の団体、これらの帰属から離れたところのものがあるかないか。これらへの帰属がかなわなくなっても、まだ持ちこたえられるようになるには、この第4の帰属がキーになると言う。単なる習慣の宗教ではない。というとどんなもんかと思いきや。けっこうどんなもんでもいいようである。「端的なもの」と表現しているが、最後には自分自身が「サイファ」になるのだ。と言う。で、「覚醒せよ!」となる。宮台氏は「まったり生きる」ことから「サイファであることへの覚醒」へと進む。まるっきりのアウトサイダーではなく、内、外の両方にそっと足を置いておくのだ。それがコツか。 |
〓 | やっと読み終わった。と言っても上巻だけであるが。しかもわからんとこは読み飛ばしまくり。読めたと思えるところは、この世には理性で説明が可能なことと不可能なことがある、ということだ。考えられることと、それが説明できることは別物だということだ。例えば、純粋な時間、純粋な空間というのがそうだ。対象があっての時間であり、空間であるのだ。時間とは対象の変化なのだ。あることが始まり、そして終わる。そこにはどれくらいの時間の長さがあるか、ということはわかる。そしてそれがどんなに長くても、始まりと終わりがあれば時間の制限ができるのだ。それがどんなに長くても、というところがミソだ。単に時間が無限だ、と言っているのではない。また、なにもない空間というのもないのだ。あるように思えることと、あることは違う。その辺りをカントはある意味、宙ぶらりんにさせている。というか、わかろうとすることを諌めている。説明することが不可能であるからだ。可能なことと不可能なことの見極めをしっかりしろ、と言っている、ようだ。成熟した考えとはこういうものか、とふと思った。わけわからんとこはバンバン飛ばしていったので、十分理解できていないとは思うが。とりあえずこの調子で、中巻、下巻を続けて読みます。 |
〓 | あいかわらず疲れた心でも読める。これはやはり日常の雑多ことからトリップできるからだろうと思う。ジャンルで言えばSFなんやろうな。物語そのものが象徴っぽいので、「神話」ということになるのかもしれん。。象徴的には親殺しで、一人前の男になる。いや、世界一タフな15歳になろうとする田村カフカ君。並行して語られるナカタさんと星野君の物語がどういう意味をもつのかはよくわからない。文学と音楽とSEXがほどよく、お洒落に(あざとく)ミックスされているのはいつものことだ。(動物で言えばイルカだ)。 |
〓 | 主人公にチャットの仕事を紹介する小学生が変なヤツだ。本の中味より帯に書いてある「読者から感動の声!」の方が理解できん。 |
〓 | いいですねえ、この角のない文章。大阪弁と相俟って、柔らかいええ雰囲気でています。切った張ったはないが、日常から少しずれたところに居る男と女。これがいい。『雪の降るまで』の大庭の言葉ではないが、正に<…じっくり楽しむことのでける余裕が人間の教養>です。 |
〓 | 外科医・石月畔奈、人を切って興奮する。サドかと思いきや、舐めさせるのもお好きなようである。内科医一族を敵に回し、孤軍奮闘。最後は手術ロボットで遠隔操作。さっさと切ってしまいたい外科医と、じっくり薬漬けでこねくり回したい内科医の確執、まあ実際あるやろな。 |
〓 | 堪能しました。期待通りって感じで。内容はさほど複雑ではなく、関口君のどっちつかずのダラダラが長い。しかしこれがいい味でています。名探偵の榎木津礼次郎についてはもっとハチャメチャにやって欲しかった。京極堂は最後の最後に登場し、いつもの名セリフ、「この世には不思議なことなど何もないのです」から始まり、事件を解きほぐしていく。見事です。ちょっと回りくどいが。今回のテーマは、「死」と「存在」。ところで、中禅寺秋彦(京極堂)の妹、敦子ってのはどうしているんでしょうかね。 |
〓 | ぼやーっと読んでいて、なんか話がわかりにくいなあ、と思っていたら、主人公は2人いて、交互に語っていたのであった。それがわかってからは、すいすい読めて、なかなかおもろいんでやんの。2人の性格は陰と陽。陽の中沢は、女の子に軽口をたたくが、陰の広瀬の方が実際には、ふれあいが多かったりする。共通点は陸上の800m走者ということ。合宿での練習の夜、プールに忍び込むあたりは昔を思い出した。おきまりのパターンてな気もするが、青春してるって感じでいいんじゃないですか。にしても、陸上競技って男女一緒に試合をするってか。陸上やっときゃよかったかなあ。いや水泳かな。 |
〓 | ビジネス・エージェント、ルイス・ケインの仕事は、実業家マガンハルトをリヒテンシュタインまで送り届けることであった。相棒は、アルコール中毒気味のガンマン、ハーヴェイ・ロヴェル。ロヴェルの任務はマガンハルトの命を守ること。ケインのシトロエンは、相棒とマガンハルトとその美人秘書を乗せて深夜を爆走する。無事目的地までたどり着けるか、というわかりやすいストーリーに登場人物の魅力が加わる。ストーリーは単純であるが、細かいところにもなるほどな、と思わせるところがあり、最後のどんでん返しも鮮やかで、気持ちのいい終わり方であった。 |
〓 | 貫井徳郎の症候群シリーズ、第2弾。前回の『失踪症候群』よりも面白く読めた。今回は武藤が誘拐事件に関わっていく。テーマはとして最後に語られる、人を殺すというところであろう。ある時人間は、人を殺すことが快感になる。または、人を殺しても自分のエゴを貫いていく。てなところかな。次回は『殺人症候群』。タイトルがもろにテーマとなっているのか。楽しみだ。 |
〓 | 売れっ子ゲーム作家が、そのゲームの通りの殺人事件に巻き込まれる。その裏には、けっこう複雑な人間関係があった。現在では、ゲームにストーリー性があり、表現の自由があり、映画とはまた違った価値になっていることを再認識した。それはまあ、作者によって作られたものではあるが、ストーリーが変わったり、裏のルートがあったり、ゲーマーの選択による部分がけっこうある。またバージョン・アップということで書き換えられたりすること自体も、コンピューターソフトやゲームの世界ではある種前提になっている。点取りゲームや勝ち負けだけがゲームの世界だけではない。本を読む以上に楽しめるかもしれない。この本を読んでそんなことを感じた。それをゲームと呼ぶのは、なんとなく安っぽく感じるのだが。 |
〓 | あれっ、終わってしまった、という感じ。環をリーダーとする原田と武藤と倉持。なんか怪しげな雰囲気で、必殺仕事人てな感じでスタートするんで期待したが、盛り上がることなく終わってしまった。他人の戸籍と入れ替えて、今までの人生をキャンセルしたい連中などの心の葛藤とかももうちょっとあればなあ、という感じ。 |
〓 | これもいつかは読みたい、と思っていた本。父親も、母親もダメ人間で、離婚後も息子を取り合いしたり、押し付けあったりしている。本当に子供に関心はないのだ。そういう不幸な子供を両親から救うのが、主人公の探偵スペンサーである。スペンサーはその子供、ポールにいろんなことを教えていく。両親に頼らず、自分で生きていくために。教える内容はスペンサー独自のもので、偏りはあるようにも思う。しかし、それでいいのだ、と思った。偏りがあろうが、自分の得た知恵、体験を教えていく。それが、子供に伝わるのだ。ほのぼのとした光景もあり、また命がけの戦いもあった。ポールとスペンサーの最後の会話はいかす。<「ただし、ぼくは、なにも自分のものにすることができなかった」「できたよ」「なにを?」「人生だ」>。子供に本当に教えなければならないこと。それは自分で生きる、ということ。これぞハードボイルドかも。 |
〓 | 『慟哭』の次は、これを読め!と帯に書いてあったんで、読んでみたが、やっぱり『慟哭』の印象が強烈で、それに比べるとインパクトにはかける。妻・絢子に逃げられた男、迫水が主人公。妻を捜しているうちに事件に巻き込まれていく、というわけだ。まあ、毎回強烈な作品を書け、なんてことは無理なんで、こういうのがあっても、まあしゃあないとは思うが、自分的にはイマイチであった。主人公が自分でつっこみを入れたりするところも、ユーモラスに、という狙いなんかもしれんが、違和感を感じてしまった。ラストもう〜ん、って感じ。 |
〓 | ああ、そうかあ、そういうことやったんやな。なるほどなぁ。そうくるか。最後の最後でそうなるか。こういうパターンは読んだことないな。ミステリあんまり読まんけど。おもろいなあ。たまに読むと。途中もあきさせず、最後でガツンときよるなあ。ま、言うたら時間のトリックってやつか。あんまり言うとネタバレになるからもう言わんとこか。お話は、連続幼女誘拐事件。テーマは父と子。おもろいです。 |
〓 | 武術の探求者である甲野善紀氏は、いつも着物を着ている。流石、武術家という感じである。<着物というものは、もともと捻じらない身体の使い方のためのもの>と言い、氏の言う井桁理論にマッチしたいでたちをしてるんやな、と思っていた。しかし、著者の理由はさにあらず。ボタンが大嫌い、なんだそうだ。よほど嫌いみたいで、ボタンとは書かず、<ボで始まる三文字のもの>とか、<芍薬に似た花をつける木と同じ発音>だとかで、その単語を書こうともしない。なあ、そんなことは本書の主題からは外れるが、おもろい話であった。他に面白い、と思ったところは、甲野氏による千葉周作評。あの北辰一刀流の千葉周作は、昔ながらの武術の良さを半減させた張本人であるらしい。面籠手竹刀の打ち合いを主唱して、武術の敷居を低くしたのはいいが、その反面すぐれた型稽古が消え、名人・達人が出てくる要素をなくした、ということらしい。しかし、人間としてはなかなか現代的思考の持ち主であり、人身収攬術のすぐれた狡猾な人物であったと言う。実践に強い、やり手って感じだ。 |
〓 | 「犯人はこの部屋にいる」というのが間暮警部の口癖である。そしてそれがいつもズバズバ当たるから困ったもんなんである。いつもマグレ当たりとしか思えない。しかし、端から見たらマグレでも、この警部の頭ん中では論理だっているようでもある。9つの話からなる短編集。そして事件解明の鍵は古い歌謡曲。すべてが「見立て」殺人であると間暮警部はほざく。登場する時は、その歌を歌いながらだ。これがまた美声でまわりの人間を感心させる。助手の谷田貝警部も美声だ。マグレで真犯人を当てていく間暮警部。天才か大馬鹿者か、なかなか素敵だ。 |
〓 | あ〜面白かった。だけでは申し訳ないので。ま、とりあえず。主人公は趙無忌。江湖に一大勢力を持つ大風堂の三大堂主の一人、趙簡の息子だ。その趙簡が趙無忌の婚礼の日に何者かに殺害された。生首を持って行かれたのだ。疑われたのがなんと、同じ大風堂三大堂主の上官刀だ。ライバルの唐家に寝返りやがったのだ。復讐に燃える趙無忌。剣の修行をし、唐家に潜入する。この物語でもまあ、いろんなやつが出てくるし、展開は早い。特に一番の敵である唐家の3兄弟の長兄・唐缺と3男の唐玉が強烈。(何故か次男は登場しない)。2人とも「陰陽怪気」をあやつる。この世の陰と陽を超えるもので、男であれば去勢が必要とされるものだ。金庸の小説に出てくる東方不敗もそうであったが、武侠小説において、欠くことのできないキャラクターのようだ。金庸の小説に比べてるとはちゃめちゃ度は高いが、最後の最後で救われる、というかあったか味があるような気がする。クサクて熱く、不良度が高い。 |
〓 | 1955年に発表された金庸の処女作。訳は御存じ?岡崎由美。時は18世紀。愛新覚羅弘暦(乾隆帝)が、清朝の第六代皇帝であった頃のお話。中国全土を支配した清(満州人)は明(漢民族)を滅ぼしたんであるが、漢民族の中には復興を願う者たちがおり、秘密結社【紅花会】なるものができた。その2代目当主(総舵主)が陳家洛であり、本書の主人公である。【紅花会】には、総舵主を除き14名の主要メンバーがおり、彼らがまたそれぞれ凄腕で、いろんな得意技を持つ。人呼んで【追魂奪命剣】やら【千手如来】、【奔雷手】、【武諸葛】、…。【九命錦豹子】なんてほとんど意味不明。この辺りは中国武侠小説の面白いところで、陳家洛の師匠は【天池怪侠】と呼ばれている。なんだか強そうで好きだ。ちなみに悪役の張召重は【火手判官】ってわけだ。こいつの最後はかなり悲惨。そこに美少女姉妹のホチントン【翠羽黄衫】とカスリー【香香公主】がからむ。陳家洛と乾隆帝の戦い、そして出生の秘密。さらにはホチントン、カスリー姉妹との愛の物語。悩み多き主人公であったが、大いに楽しめた。第4巻のみに出てくる頓知の達人、アファンティも忘れちゃいかん。 |
〓 | かなり以前に買っておいた本で、気になっていたんであるが、ようやく読み通してみた。今では「モダン」という言葉自体が古臭い。ここで言う「モダン」とは、自由や解放、富の発展、社会的正義、科学的真理というような物語が信じられていた時代のこと。そして「ポストモダン」とは、それらが崩壊した時代。それぞれがそのローカルな場において通用するものであり、絶対のというか、唯一のメタ物語は存在しない、という時代である。ということだ。真理も効率化も同列な時代。現代はまさにそういう時代だと思う。そんな時代だからこそ、普遍的なものを追求する欲求が高まっていくんであるが。 |
〓 | 大量生産用の考えられたベルトコンベアーにさまざまな機械化。これらがムダになる。売れない物をつくるムダ。それらを保管するスペースのムダ。著者の考える製造現場のムダは、停滞のムダ。運搬のムダ。動作のムダ。これらを解消させるキーワードは、作業者同士の間隔を詰める「間締め」。これが「活人」となり、「活スペース」となる。機械まかせではなく、やはり人間中心でなけりゃならん。線路は続くよ、どこまでも。しかし、ムダを徹底的に取って製造する物自体がムダであればお笑いだ。 |
〓 | 「トヨタ式改善力」とは、改善、改善、また改善。1に改善、2に改善、3、4も改善で、5に改善。それくらいしつこい、そうだ。トヨタグループの強さの一つは、「やりつづける文化」ではないか、と著者は言う。1割、2割の原価低減なんぞ考えたらいかん。1/2にすることを考えろ。それの方が一から考え直さないかんから、楽やで?、やそうや。 |
〓 | 標題作『熊の場所』と『バット男』、『ピコーン!』の3作が収められている。舞城王太郎の第一短編集だ。息をつかせない流れるような文体はあいかわらず。僕の父は昔熊に出会い、逃げ出した。しかし、二度と来ることができない場所ができるのが嫌で、心の決着をつけにもう一度熊の場所に行き、熊を叩きのめす。僕はそれを見習って友人の奇怪な行動をしっかりと見届けようとする。<恐怖から逃れたければ、できるだけ早く熊の場所に帰らなくてはならない>(『熊の場所』)。皆からいじめられる浮浪者、通称バット男。バットを持っていたが、それは威嚇用なのだ。そいつが死んだ。バットを残して。<人生ってのは大きな引き分け試合だ。でもそれぞれの局面において、勝ち負けはちゃんとある。っていうか勝ち負けしかない。でも負けたときしか、勝ち負けの判断はうまくできないのだ>(『バット男』)。フェラチオして欲しさに真面目に働き出した赤星哲也。車に撥ねられて死んでしまう。彼女であったチョコは、そこから立ち直っていく(『ピコーン!』)。3作とも人生の応援歌であるな。 |
〓 | う〜ん、『AKIRA』ってこんな話やったんですね。こんなわけわからんものやったとは意外でした。運命が決定されている、ということからの脱出なんかな。宇宙の意志に対抗する人類、てな具合かな。まあ、宇宙の意思もわからんが、それにどう抵抗しようとしてるんかもいまいちわからんかった。ちょっと時間をおいて、読み直しかな。一番かっこいいのは、健康不良少年の金田君。スーパーマン過ぎるが。 |