〓 | 新宿鮫シリーズの第9弾。外国人を使い、泥棒市場のシステムを構築する宿敵・仙田。その相棒(愛人)の中国人・呉明欄。片や、外国人に席巻されつつある裏市場を阻止したい警察。鮫島の同期で、エリートの香田は、暴力団・稜知会の力を借りようとする。それに反発する鮫島。仙田のシステムを乗っ取りたい稜知会。それぞれが利用し、いいとこ取りをしようとの思惑がぶつかり合いながら物語は進む。裏社会の様子や麻薬の知識も得ることができ、それによりリアリティも増し、物語がぐっと面白くなる。渦中の中の登場人物では、紅1点、仙田の愛人・呉明欄の逞しさは凄いなと感心した。 |
〓 | 横溝正史のジュブナイル小説の1冊。主人公は立花滋少年。金田一耕助の一番弟子。仲間の少年が2人。村上達哉と小杉公平。彼らが横溝流の少年探偵団だ。対するは金色の魔術師。次々と少年少女を生贄としてさらっていく。そして、頭の狂った赤星博士に謎の杉田画伯。立花少年の後ろ盾には等々力警部。師匠の金田一耕助も登場するぞ。数々のトリックも、本当にそれで?って感じはするが、微笑ましい。物語の展開も良く、少年物のワクワクドキドキ感は味わえる。トリックの説明の挿絵、金田一耕助が立花少年に送った手紙(自筆??)の挿絵も楽しい。 |
〓 | このシリーズは『ビブリア古書堂の事件手帖1〜7』の後、栞子と大輔との娘・扉子が登場する『ビブリア古書堂の事件手帖 〜扉子と不思議の客人たち〜』ときて、今回『ビブリア古書堂の事件手帖U』となった。本のネタとしては、横溝正史の唯一の家庭小説『雪割草』。そして同著者の『獄門島』。『雪割草』は新聞小説として掲載され、当時は本にはならなかったようである。現在角川文庫にあったので、是非読んでみたいと思った。それと横溝正史は、江戸川乱歩よりも早く、ジュブナイル小説を書いているのをこの本で知ることができた。これも読んでみたくなったので、早速『金色の魔術師』を買ってきた。今回の『…事件手帖U』では、栞子にそっくりな娘の扉子の成長を見ることが出来る。このシリーズもまだまだ続きそうなんでいい感じ。 |
〓 | 超能力を持つ女性の物語3篇。『鳩笛草』、主人公の本田貴子は、人の心を読むことができる。それを利用すべく警察官になった。その能力が薄れていくが、同僚の大木に救われる。『燔祭』、主人公の青木淳子は火を発生させる能力を持つ。バイロキネシスと言うらしい。後の長編『クロスフィア』にも登場する。それが宮部みゆきの初映画化作品となった。人を焼き殺せるというインパクトが映画化しやすかったのか?『朽ちてゆくまで』、主人公の麻生智子は予知能力を持つ。幼い彼女の予測を両親(交通事故で死亡)はビデオに記録していた。『鳩笛草』と『朽ちてゆくまで』の主人公は普通の人間として生きているが、『燔祭』の青木淳子は相当やばいヤツだ。 |
〓 | クリスティー文庫、66冊目。トミーとタペンスのシリーズ、最後をついに読んでしまった。『秘密機関』、『おしどり探偵』、『NかMか』、『親指のうずき』ときてついにラスト。この作品がクリスティーの実質最後の作となったらしい。2人合わせて45歳に満たない、スポーツ感覚で結婚したカップルが、とうとうどちらも75歳になってしまった。孫も登場する。助手のアルバートも健在。余生をのんびりするつもりで田舎に引っ越して来たが、やはりのんびりはできなかった。昔ほどのスピード感はさすがにないが、人生いろいろ経験してきておかげで、事件と直接関係ない薀蓄話が多い。この作品はクリスティー自身が83歳の時に書いたもので、さすがにそのゆったりした感じが味わえる。 |
〓 | ニーチェの永劫回帰のように何度も繰り返される人生であれば、反省をしてやり方を変えていくことができるが、一度きりの人生としか考えられない場合は、重さのない、軽いものとなるであろう。ドイツの諺に「一度はゼロ度」というのがあるという。一度の人生はゼロ度の人生。こういう人生に責任や義務の重荷を背負い、地に足付けて生きることがいいのか。もっと軽くなって自由になる方が良さそうに思えるが、その時に人生が無意味となり、そういう状態に逆に耐えれるのか、という重い話ではある。主人公の外科医トマーシュ、恋人のテレザ、愛人のサビナ、息子のシモン、サビナの愛人フランツ、犬のカレーニンらが登場。当時の社会情勢(プラハの春等の)で、チェコを離れたり、またチェコの田舎に戻ったりしながら、トマーシュは重さと軽さをいったりきたり。最後は年老いて軽くなり、恋愛対象とは少し違うテレザと共に幸せな気分を味わったようでもある。 |
〓 | 令和4年に文庫本で発行された、松本清張の初期ミステリ傑作集。『顔』、『殺意』、『なぜ「星図」が開いていたか』、『反射』、『市長死す』、『張り込み』、『声』、『共犯者』の8つの短編集。本書の解説にもあるように、松本清張はそれまでの探偵小説にあったような荒唐無稽さを否定し、実際にどこにでもいるような人物、よくありそうな事件を描いた。そして、物語の中心もトリックとかではなく、犯人の動機に重きをおいた。それでこそ人間が描かれる、というのが清張本人の言葉でもある。今回の8編も登場人物に感情移入ができ、ドキドキ、ワクワクしながら読めて、あらためて、松本清張面白い、と思った。 |
〓 | 村上龍が30代半で書いた1969年。彼が17才の頃の話だ。自分は村上龍よりも6才下で11才だった。ビートルズ、ローリングストーンズ、ベトナム戦争、チャート式数UB、旺文社豆単なんてワードが出てくる世界。進学校に通う主人公のヤザキ、友人アダマと岩瀬、英語劇部の天使・松井和子、ラッパズボンの城串裕二、妖婦・佐藤由美、他校の長山エミ、工業高校の番長、2人の体育教師カワサキとアイハラ、ササキ刑事、ジャズクラブオーナーのアダチ、ボーカルのフクちゃん、そしてプールの女子更衣室、バリケード封鎖、フェスティバル。あほで、スケベで、好奇心旺盛。青春ですね。自由で何でもできる時代。居ごごちのいい読書タイムだった。 |
〓 | 新宿鮫シリーズの第8弾。新宿での車の盗難と転売にヤクザと中国人がからむ。鮫島は出所したヤクザ真壁と出会う。真壁の愛人とその母親が登場。そして元警察官の大江の過去の秘密。それは、今は暗渠になったが、新宿にはかつて淀橋上水場があった。その風化した水脈のごとく、実は現在も流れ続けていたのだった。そして真壁もかつて抗争のあった中国人・王と再び出会う。昔を掘り起こされ、関係のあった人間模様の続きが描かれる。その他、Nシステムと呼ばれている、車の自動ナンバー読み取り装置が全国いたるところに設置されていること。そして水中や泥の中、雪の中などの水分の多いところでの死体は、<死ろう>という状態になり、人の形が保たれる永久死体となることがある等、知識が増えた。 |
〓 | 『ソロモンの偽証』は全6冊で、この5冊目と6冊目が第V部の『法廷』となる。中学3年生の夏休み、ついに裁判が始まる。中学生の行う裁判に周りの大人たちも、証人、傍聴人として参加する。最初はとまどっていたが、ゆるいながらも真摯な裁判に協力的になっていく。検事・藤野涼子と弁護人・神原和彦の対決はお見事。判事、廷吏、陪審員たちも頑張った。大出が犯人かどうかの問題を超えて、中学生たちが言いたいことを十分言えた裁判であった。特に「未必の故意か自己防衛か」という弁護人の助手・野田健一の発言には感心した。そして告発文を書いた三宅樹里の叫びも。結末も感動的で納得のいくものであった。彼らも大人たちだけでの結果だけでは決して得られることのない満足感を得たに違いない。第6巻の最後に掲載されている『負の方程式』は、この裁判から20年後の話で、弁護士となった藤野涼子の姿を見ることができる。 |
〓 | 『ソロモンの偽証』は全6冊で、この3冊目と4冊目が第U部の『決意』となる。柏木卓也が自殺であったのか、それとも告発状にあったように大出たち3人組によるものであったのか、真実を突き止めようと藤野涼子学校内の裁判の準備を始める。協力してくれそうな人物からは断られたり、逆に意外な人物かから協力を得られたり、人集めに苦労する。ここで登場するのが、他校の生徒である神原和彦である。藤野涼子は検察側、神原和彦が弁護側に立ち、いいライバル関係ができる。大出も被告人になることを承諾。中学生たちによる聞き込み調査が始まる。周囲の反対を押し切り、藤野の父親の刑事、マスコミの茂木、辞任した津崎・森内、弁護士たちを逆に巻き込み、協力要請をしていく。そしてついに裁判が始まることになる。しかしまあ、中学生なのにしっかりし過ぎやな。 |
〓 | 『ソロモンの偽証』は全6冊で、この1冊目と2冊目が第T部の『事件』となる。クリスマスの日、城東第三中学校で、生徒の柏木卓也の死体を同じクラスの野田健一が発見した。いったんは自殺であるとされたが、同じ中学校のワル3人組(大出、井口、橋口)の仕業であるとの告発状が送られてきた。送ったのは生徒の三宅樹里。その友達と思われていた浅井松子が亡くなり、3人組のうち2人(井口、橋口)が仲違いし、井口が教室の窓から落ちた。さらには3人組の頭・大出の家が全焼した。学校長・津崎、担任の森内は辞任した。学校の対応、マスコミの対応に翻弄されるなか、クラス委員長の藤野涼子が立ち上がる。というまでが第T部。藤野涼子が、両親や、マスコミ、教師の制止を振り切り、この事件の真相を究明しようとするところがイカス。女優の藤野涼子がこの役を演じ、そのまま芸名としている。 |
〓 | YouTubeで、箕輪厚介らが村上龍のことを熱く語っており、改めて読んでみたくなった。近くの本屋では文庫本があまり置いてなく、最新刊の本書があったので購入した。内容は、70過ぎの作家・矢崎健介(著者自身と思われる)が、自称世界一もてない男と組んで、ユーチューバ―になり、過去の女性遍歴を語る、というもの。女性遍歴を語りたい、という気持ちは良くわかる。少し幸せな気分になる。また、それに対するコメントを見たくない気持ちもわかる。ほっといてくれ、って感じか。ほんならなんでユーチューブで?であるが。またどんなユーチューブを観ているかというところでは、グラフとマンドリコワのテニスの試合が美しいとあったので、実際に見ると2人とも足が長く、片手バックハンドの姿が美しかった。映画『にがい米』のシルヴァーナ・マンガーナも観ることができた。カテリーナ・ヴァレンテの歌も聞いてみよう。 |
〓 | いやー暇ですね。5月末で退職して暇人になった。で、『暇と退屈の倫理学』。この本によれば、先ず暇と退屈は違うということ。暇で退屈。暇はあるが退屈しない。暇はないが退屈。暇がなくて退屈しない。の4つのパターンがある。自由な時間はあるが、やることがない。自由な時間があって、面白いことができる。面白くない仕事で忙しい。仕事が忙しくて充実している。これを考えると、暇があろうがなかろうが、面白いと思えることをやっているかどうか。人にとっては退屈というのが、一番耐え難いことのようだ。のみならず、動物は退屈しない、と言い切れないと著者は言う。本書は哲学的、生物学的に暇と退屈を解明しようとする。それぞれの生物によって見えている世界が違うという、ユクスキュルの環世界という考え方。そしてダニの生態のところは非常に面白い。最後は人が退屈しない為の心得みたいなことを示す。環境を脅かすものがあれば、人はなんとかしようとして忙しく、退屈はしない。それが落ち着くとまた退屈が訪れる。退屈しないようにするには、文化を楽しむことができるように勉強し、理解する、ということ。付録の『傷と運命』も面白い。人は物心がついていからは、精神の傷、記憶の傷を持つようになる。これは避けがたい運命である。<自分一人では消化できない記憶を抱え、その作業(意味を与え消化する)を手伝ってくれる人を求めている>。これは確かに泣けてくる。 |
〓 | 仕事のできる人、生産性が高い人の仕事のやり方を解説した本。イシューとはなんぞや。その定義は、<2つ以上の集団の間で決着のついていない問題>、<根本にかかわる、もしくは白黒がはっきりしていない問題>ということだそうだ。またよいイシューの3条件として、<本質的な選択肢である>、<深い仮説がある>、<答えを出せる>を挙げている。本当に取り組むべき仕事をやっているのか、そんなに重要な問題ではないことに時間を使っていないか。イシュー度の高いものを選ぶことこそが最も重要である。ということだ。そしてそれらをやっていくコツが詳細に書かれている。その中で面白い思ったものは、情報を集めすぎるのもよくない、ということ。知り過ぎているとその中でなんとか解決してしまい、新しい知恵が生まれにくいそうだ。結果を表現するグラフの書き方。そして発表するときの<1チャート・1メッセージ>など参考になるところは多い。 |
〓 | 今時なかなか強烈なタイトルの本。12編の短編集。フレドリック・ブラウンといえば、松岡正剛の365冊に入っていた『宇宙をぼくの手の上に』を読んだ。内容はすっかり忘れていたが、この本の紹介で、<一発で本好きにした>という紹介が記憶に焼き付いている。昔読んだその本を見るとなんの『緑の地球』は『みどりの星へ』、『ノック』は『ノック』、『シリウスゼロは真面目にあらず』は『シリウスゼロ』、『さあ、気ちがいに』は『さあ、気ちがいになりなさい』として収録されていた。そして今回の訳が星新一というのが凄い。不思議で、不気味で、心がざわざわするような小説群。表題作の『さあ、気ちがいになりなさい』は、こちらの心が持って行かされそうになる。『電住ヴァリヴェリ』は<電気を食料とする>存在が登場する。これは『タイタインの妖女』に出てくる目の見えない生き物で、震動を食料とすやつと双璧だ。 |
〓 | 秀吉の命により、関東に飛ばされた徳川家康。そこは大湿地帯で、まともに生活できるようなところではなかった。ここで活躍するのが、職人たち。伊奈忠次は、その子、孫と3代に渡って、江戸を水浸しにしている元凶の利根川を東に曲げた。橋本庄三郎は、全国で通用する金の小判を作った。大久保藤五郎、そして内田六次郎は、江戸に飲み水を引いた。見えすき悟平、そして喜三太は、江戸城の石垣を積んだ。中井正清は、漆喰による真っ白な天守閣を建てた。彼らの活躍により江戸の町ができていく。水を引くときに上下に交差させという「水道橋」と地名の由来や、枡を用い、のこぎり歯のような形の水路とすることで、どこまでも水を引いていけること等、なるほどと感心した。まさに「地上の星たち」だ。天守作りの際の家康の考えと、天守など不要と考える2代目将軍・秀忠の意見のぶつかり合いも面白かった。 |
〓 | 3DCG技術とVR技術によって生み出される世界の可能性について語った本。そこで生み出される世界は、リアルな世界に近くなっていくということ。また複数の世界が創れるので、それぞれにアバターを置けば、複数の人格を持てるということ。著者はメタバース世界を1つの生態系と捉え、その創り方を解説しているところが面白い。生態系が有機的に動き、成長していく為には、ヒエラルキーがあり、不安定さ、不確実さ、複雑さ、不明瞭さが大事な要因であるという。メタバース世界でいろんな社会実験が出来、それを検証した上でリアルな世界に落とし込める。宇宙開発においても、仮想空間で条件を模した世界を創ってシュミレーションできる。仮想空間では失敗をしても許されそうなところがいい。 |
〓 | 自分に合う靴を見つけるは難しい。特にローファーの革靴。皮なのでそのうち伸びるからと、きつめを選ぶとなかなか馴染まず、履かなくなってしうことが多い。大き目の靴でゆるく履いていると、靴のなかで足が前にすべり、指先が靴に当って指を痛めることもある。本書の中でも「幅の広い靴が楽で良い」というのを鵜呑みにしてはいけないと言っている。履いてすぐに楽なのにも注意。ちゃんと測るを意外と足回りは細いことが多いそうである。靴はぶかぶかはダメで、足との一体感があるということが大事。先ずはかかとの形状が合っているかどうか。足の太さと靴が合っているかどうか。そして足の甲の部分が抑えられて、足が前にすべらないこと。爪先立ちでかかとが浮かないこと。履きなれていって解消できそうなことの見極めが難しい。カッコ良くって、一体感があって、これを履いて歩きたいと思う靴に巡り合いたい。 |
〓 | 本書を太田光が絶賛していることを岡田斗司夫のYoutubeで知った。岡田斗司夫が推すSF小説3冊。残りはハインライン『月は無慈悲な夜の女王』とラリー・ニーヴン&ジェリー・パーネル『神の目の小さな塵』。登場人物は、地球の大富豪の若者マラカイ・コンスタント、妻となるビアトリスと息子のクロノ。時間等曲率漏斗に入り、時空を超えて存在できるラムファードと愛犬カザック、15万光年先のトラルファマドール星から来た生物・サロ(実は機械)等。活躍の場所は地球と月、火星、そして土星と土星の衛星の1つであるタイタン。火星人が地球を攻撃するという話が中心となるが、要所要所で面白い発想に溢れる。物事を推し進める為の最も重要な要素は?死の直前に幸せになるには?などが面白い。特に<人生の目的は、どこのだれがそれを操っているにしろ、手近にいて愛されるのを待ってるだれかを愛することだ>というのはぐっときた。 |
〓 | 志村けんは常識人であった。約束の時間は守る。礼儀をわきまえる。準備を怠りない。そして職人であった。マネの効用として、<徹底的にマネてマネて、それでもマネしきれないところに、たぶん自分だけの「オリジナルなもの」が、おぼろげながら見えてくる>。酒とタバコと女が彼の三種の神器であった。<酒と女という二大要素がくっついたときは要注意だ。…何倍ものパワーになってサイフを直撃するからたまったもんじゃない>。<困った時は原点に帰る>。もったいないと思って、なんとか立て直そうとすると逆にドツボのはまる。というのは、覚えておきたい。誰もが知る「変なおじさん」、「バカ殿様」。まんねりのスタンダードをつくった。そして大いに遊んだ。 |
〓 | 麻衣子という彼女のいる大学生が、新入生の灯に思いを寄せるが振られる。という恋愛小説であるが、なんか違和感がある小説。<突然、他人のために祈りたくなった>あと、<しかし、祈った後で気づいたが、私は神を信じていない。私の願いなど、誰も聞いてはくれないだろう>とか、<公務員を志す自分が、そのような卑劣な行為に及ぶべきではなかった>や、<私は麻衣子の彼氏だ。麻衣子の嫌がることはできない>とか、<私は灯に飲み物を買ってやれなかったことを、ひどく残念に思った>。悲しくて涙が出て、実はずっと前から悲しかったのかと思ったが、これまでに人生を振り返り、悲しくなる原因は実はないと思い至り、悲しくなくなる等、状況を分析して行動を決める、のはそうだがなんかAIロボットのようだ。もっと迷ったりしてもいいと思う。周りもりもみんなそうだと、少し違うと離れてしまう。そういう悲しみがただよう小説。2020年、芥川賞受賞作。 |
〓 | ゴルフのショットのメカニズムを全く語らない、メンタルカウンセラーの本。球を打つ練習をしないで、スコアアップする方法を説いた本。ショットする前のルーティーンの大事さ、素振りの大事さ、パットも素振りが大事。パットは「入れる」のではなく「入る」と考える。ベストスコアを目指すのではなく、身の丈のスコア(最近の平均スコア)からのマイパーの設定する。コース攻略のシュミレーションとPDCAを回すこと。上半身は筋力よりも柔軟性、カートに乗らずに歩け等々。とりあえずできそうなのは、「パットは入る」と思うこと。マイパーももう少し身の丈に合わせるかな。 |
〓 | 昔の人はけっこう長生きだった。最高齢は、ヒコホホデミノ(山幸彦)の580歳。まあこれは神話の話なんで置いておくとして、『古語壱拾遺』を編纂した齋部広成は80過ぎ。『大鏡』の語り手、大宅世次190歳、夏山重木180歳。ほんまかな?藤原頼道は83歳。頼道の姉・彰子は87歳で死ぬまで政治の世界で現役。天海和尚は政界デビューが81歳、108歳で死んだ。藤原貞子は数え107歳まで生きた。88歳まで生きた医者・曲直瀬同道三。貝原益軒は84歳で『養生訓』を書いた。杉田玄白は83歳で『蘭学事始め』を書いた。井原西鶴の『世間胸算用』には92歳のばああが登場する。平安時代の傀儡である乙前は歌人して尊敬され、84歳まで生きた。鶴屋南北は71歳で『東海道四谷怪談』を発表した。葛飾北斎90歳。三女の阿栄は、父に負けない才能があった。曲亭馬琴は75歳で『南総里見八犬伝』を完成させた。小林一茶は52歳で初婚、通算3度の結婚をした。現在の老人の自殺者は、独居老人よりも、同居老人の方が多いという。看護や介護の負担をかけていると思いがあるからだそうだ。昔話に登場する老人たちは、実は善人であることを止めた、くそ爺婆達であるという。 |