塩屋地区の実態



2008年 取り組みと経過



区画整理問題で学んだこと
  • 行政は決して間違いとか非を認めない。そして、防御策として持ち出すのが法律や条令である。時代に即しているかとか、実情にあっているかなどは決して考えない。彼らは、自分たちの行動目的や基準の裏付けになる方策を日夜研究して給料を取っている。決して市民、県民のために働いているという自覚はない。
  • 行政の施策は、実施されたらもうおしまいだ。計画段階、いやそれ以前に否定・抵抗しない限り、決して止めようとはしないし、自分たちに都合が悪くならない限り変更もしない。
  • 行政に物申すには、出来るだけ多くの住民が共通の価値観を持つことが必要である。つまり数の力である。実は、そんな生真面目な方法ではなく、別の力、うさんくさい方法があるらしいが、我々には縁がない。
  • 人は、利害関係がない場合には、他人の事情には興味がない、と言うよりも、予断と偏見を持つ場合が多い。現に、私が当事者であることを知らなかった友人が、私に対してこの間の取り組み批判をとうとうと述べ、のちにバツの悪い顔をしたことがあった。私も、この問題がなければ、区画整理に興味も持たなかっただろう。ほぼ同様の立場に立ってこそ、共感が得られる。
  • 行政サービスと言うが、彼らは決してサービスをしているという自覚はない。たぶん、未だに「お上」意識がある。
  • 区画整理等で都市化することは、経済成長期には、確かに金銭的に潤うこともあるだろうし、財政的にも豊かになるだろう。しかし、何かを得ると言うことは、何かを失うと言うことになる場合が多々ある。我が家でも数年前から、家のまわりに置いている物が無くなる。ほとんどが端材や、中古家電だが、無断で敷地に侵入し、持ち去っている人間がいるわけだ。排他的な気持ちはさらさら無いが、人が増えると開放的な気分で暮らすには不都合な環境になる。
10月20日 期待はしていなかったが.... 県の裁決書が届く
 ザーッと読んだだけで、しばらくは見る気も起きなかった。結論は予想していたが、どの程度の取り扱いだったのかを確かめたかった。再審査請求の期限が過ぎた今(12月)、結論を出すことにした。
 私の憤りは、金額の多い、少ないになかった。行政の不誠実さに腹を立てたのであった。
 嫌気のさした私は、赤穂市から転居した。八つ当たりかもしれないが、市役所へ出向くことも無くしたかったのだ。年に二回の清算金払い込みの時だけ、忘れてはいないという意思確認を、自らに対して実行していた。

 県の担当も、何人も代わり、住所変更したことを伝えていたにもかかわらず、決裁書が現住所ではなく、元の住所に届いた。そのこと一つをとらえても、中身を見るまでもなく県の姿勢、行政の姿勢が見えている。私には、顔も見たことがない住民の訴えを採決できる精神が信じられない。担当が変われば余計に、一度ぐらいは、現地調査や面談に来るのかと思っていた。

 私はこの問題のプロではない。もちろん法律なんかは全く興味がなかった。今でもない。「法のために人があるのではなく、人のために法があるべし」と思っている。
 実際の所、この間の問題は、清算金の額よりも、無断で土地が削られたり、不誠実な対応に憤りを感じたことが私にとっては重要で、口頭陳述でもそのことを強調したつもりだったが、紙の上の判断で裁定がなされるむなしさは、予感していただけに、憤りよりも、心がすーっと離れる感があった。

 赤穂市の行政に信ずるに足るものを感じなかった。兵庫県の行政にも同様の予感がしたが、予断で判断するべきではないと考え、審査請求をした。結果は、予期したとおり、信ずるに足る行政ではなかった。

 知事の「地震はチャンス」発言は、私の心が離れるにはあまりにもお粗末な事件だったが。裁決書に彼の名が書かれているだけで、「コリャだめだ」という気持ちになってしまう。

 再審査請求を国に出して、その結果として日本を嫌いになっても外国暮らしをする財力も気力も私にはない。情けないと思われても、ここで打ち止めとしたい。と言うよりも、今は行政を相手にすることにばかばかしさを感じている。
  
6月10日 誰かの役に立つ!!
 先日、一通のメールが来た。
 岐阜県某市にお住みのご両親を心配してのメールだった。そこでは土地区画整理事業が進んでいるらしい。そして、公社方式から、組合方式へ移行しながら進行しているらしいのだ。
 もちろん詳しい事情までは分からないが、何十年も前の法律に基づいた事業が見直しもされずに進められている現実がここにもあったのだ。

 公社なんてものは、天下りや責任転嫁の隠れ蓑に過ぎないし、利権の温床でしかないのはこれまでの行政のやってきたことと破綻の状況から見れば明白である。
 組合は更に該当住民を組合員として責任を分散させようとしている点で悪質だ。破綻の責任をもろにかぶってしまう。

 ご両親は年金暮らしながら、数百万の負担金を請求されるらしい。自分の土地は一切変化無くても、取り上げられるしくみになっている。更に、事業計画に変更があったり、資金不足が起こると追加の負担がかかってくるだろう。地方都市で劇的に地価が上がるなんて事は、もう殆ど可能性はないし、居住している土地にいたっては売るわけにもいかず、固定資産税が増えるだけなのだ。

 年金問題、ガソリン税、後期高齢者医療制度と、よくもこれほど弱いものいじめというか、搾取というか、政治行政の意図的無策が続くものだと思っている。

 金、金、金の世の中で、思いやりの心を捨て去ってしまった我が国の現実を思うと、信頼しているつもりで無関心になり、無知になってきた我々への罰なのかと暗澹たる思いになってしまう。

 政治にしても、世の中にしても、平穏を求めるあまり、淀んでしまっていたのではないかとも思う。昨今の凶悪犯罪や無責任から発した事件と根っこの方で繋がっているようにも思えてならない。

 少なくとも私のこのホームページがお役に立てるならば、こんな世の中に対する「ごまめの歯ぎしり」を脱却して、「千里の道」への一歩でありたいと思っている。
4月29日 清算金の振り込み用紙がこないが
 毎年、3月と9月に支払っていたが、今年は用紙が届かない。つまり請求がない。この3月で、満額となるはずだが、どういう訳だろう。払う側が催促するわけにも行かないが、ミスをしない(認めない)お役所仕事だからと言って迷惑かけられても困るのだが。嫌々払っている私としては、「もう少しきちっと仕事をしろよ。」と言ってやりたい。ま、それぐらい税金を含めた我々からの徴収金に注意を払っていないと言うことなのだろうか。昨今の公権力のドタバタ振りを見ると、「なるほど」とも思うのだが。
 
 皮肉でも言わないと、何の進展もない現状を忘れてしまいそうになる。

2月13日 2007年度中に片が付くのか
 県の審査担当者も3人目だそうだ。公務員というものは、出世が第一で、住民はずーっと下の序列である。
 担当者が変われば、一からやり直し、見直しになるのは当然の結果である。当事者にどうこう言うつもりはないが、何年何十年もかける審査請求は、よほど気の長い人でないと、テンションは下がってしまう。諦めるのを待っているのだろうかと思う。行政に対する不信感から、同じ穴の○○ではないかなどと余計な思いに駆られるのも無理からぬ話ではないか。
 話は変わって、
Aさん宅の話
 市から押しつけられた土地に、下水管があり、それを指摘された市は、どうやら買い取って道路にし直したみたいだ。ただ、お笑いなのが、それをミスとは報告せずにあたかも当然の処置のように予算決算を済ましたそうである。公務員は、ミスをしないんだそうだ。余分にかかった工事費も税金から払われるのだから、ミスとは思っていないんだろう。
 そういえば、かつて私がもめたときも、口では謝罪するが決して文章にはしないし、ミスという言葉には非常に敏感に反応していた。
 綱紀粛正の取り組みをしていると言うが、眉唾、話半分に聞いてしまうのは相手が公務員だから?



2007年 取り組みと経過

1月29日 雑な工事  
 朝、赤穂に来て雑用をしていると、玄関のチャイムが鳴った。回覧板だった。1月23日付の舗装工事の通知である。期間を見てみると、1月29日から、1月30日までの3日間、我が家の北側道路(駐車場及び玄関側)を舗装工事すると言う内容だった。
  • 回覧板は、場合によっては、1週間以上もかかる場合がある。ちなみに、我が家は4軒目。あとの家には、通知の意味がない。何十軒もあるわけではないのに、なぜ個別通知なりができないのだろうか。机に座ったままで何でもこなせると思っているのだろうか。
  • 今、家が揺れている。道を重機で削っているのだ。当然、車の出入りはできない。短時間で済むからと思っているかもしれないが、たまたま、出かけようと思っていた私は、予定変更を余儀なくされた。こんなことで、いちいちトラブリたくはないが、無神経だとは思う。
  • 留守なら仕方ないが、直前に挨拶ぐらいないのか、車をかわしておくことだってできる。先日、NTTが簡単な工事をしていたが、それでも挨拶に来て、話していった。中々行き届いた態度だったから、市の対応が余計雑に思える。税金にあぐらをかいている役人の無神経体質なのだろうか。




2006年 取り組みと経過

年末 大岡越前や遠山の金さんはいない
 県からは何の知らせもなく暮れようとしている。来年には結論が出そうだという話が届いた。しかし、当局の事情も分からぬではないが、こんなに長くかかると、我慢しきれない人も出てくるだろう。民主主義とか多数決と言った一見理想に見えるところに危険が潜んでいる。甘い蜜はそう簡単には手に入らないし、甘そうに見えても実際はそれほどでもないのかも。
 多数決とは結局多数派の意見を通すことだ。それを民主主義とか、公共の福祉のためとかいう言葉に置き換えている。いや、置き換えるというより、利用する輩がいるということだ。私見だが、民衆支配の形態は江戸時代と何ら変わっていない。支配者が武士から、行政に変わっただけなのだ。赤穂市もきな臭い匂いがいつもする。北海道の○○市と同じ道をたどるのではと想像してしまう。多数派が、数の力を頼っている限り、昨今問題になっている「いじめ」も生き残っていくだろう。バランスを無視した力関係や自浄作用の欠如ばかりが目につく。
 赤穂市長選挙も近づいているらしい。私はすでに市民ではなくなっているのでどうのこうの言えないが、組織票だらけの選挙しか目にしない。多数派とか有力者たちが代表者を決める行事と言っても良いぐらいだ。現状では、今のあり方に疑問を感じていても中々立候補者は出にくいし、当選してもつぶされてしまう可能性が高い。
3月6日 NTT西日本より書状が届く
 郵便の再配達が届いた。NTT西日本からの書状だった。このようにキチッと対応をしてもらうと、行政との格差があまりにもあるので、感心すらしてしまう。
2月27日 NTT西日本の素早い対応
 夕方、NTTの担当者を名乗る方から電話があった。私の質問に対して、できるだけ早い対応をしたいとの申し入れであった。電柱と支線の設置段階での確認をすべきではなかったのかという私の主張を受け入れてもらえた形だ。企業に対する私の不信感は、とりあえず解決した。
 私は、強請たかりをするつもりはない。何が正しく、何を為すべきかにこだわりたいだけだ。電話をかけてきた担当者氏は、常に私の気持ちが分かるという姿勢で対応してくれた。赤穂市の行政に不信感を抱き続けてきた私でも、信じてみる気になった。
 何が何でも撤去をと思っていたが、支線の移動で手を打つことにした。通信業務の必要性は十分判っているし、自分だけが良ければ良いなんて思っているわけではないので、落としどころは判っているつもりだ。
 それにしても、行政と企業の対応の違いは何だ。公共の福祉や法律を盾にする行政は、市民の立場に立つ気もないし、その意義すらも知らないのだろう。主張が通ったことよりも、主張を理解してもらえたことの方が大切なのだ。
2月25日 NTT社長宛に質問状を送信
 社長が対応するわけはないが、礼儀として、社長宛に送った。
2月23日 そろそろ動くか
 年が明けてから、我が家ではさまざまなことが起こった。幸と不幸がほぼ同時にやってきたので、対市役所、対NTTの問題は、放っておいた。
 もちろん、市当局は、初めから形式的な対応しかするつもりはなかったし、説明という言葉ですり替えた自己弁護も、それほど積極的でなかったので、私の方から拒否の気持ちを臭わしたことにすぐに乗ってきた。その程度のことだ。市民がどう思っているのかなど歯牙にもかけるつもりは無さそうだ。
 NTTに至っては、何の音沙汰もない。おそらく、先の下請け業者のレベルで止まっているのだろう。丸投げしたNTTと無責任な下請け業者が公共事業を行っているのかと思うと、郵政民営化のお先も真っ暗ではないのか。


2005年 取り組みと経過
年末年始の奇妙な出来事
 お役所というのは、いつまでも変わり映えがしない。いつでも、同じような答弁が帰ってくる。問題の道路へ出入りできるように考えたが、何か変。顛末を記録する。
12月15日 2005年も終わろうとしている
 赤穂市から住民票を抜いて2回目の年の瀬を迎えた。アクセスカウンタはトップページにしかおいていないのと、繰り返しの訪問はカウントを制限しているので、あまり増えていないようにも思えるが、元々関心を持つ状況にある人以外は、閲覧しないようなテーマなのでこんなものだろう。ただ、日本全国、見知らぬ土地からのアクセスが多いのには驚く。同じ立場に立たないと、なかなか理解できないことなので、そんな意味では数の多さに驚きもする。同じような問題で悩む人の多さ、問題が生じている地域の多さに悲しい気持ちにもなる。
 私にしても、このような問題には無関心なところが多かった。このことをきっかけにして、さまざまなことに関心が持てるようになった。ただし、良く言えばである。悪く言えば、簡単に人を信用しなくなった。役人たちについては、はなから疑問視するようになった。喜ぶべきか、悲しむべきか。
12月2日 所詮他人事なのか?
 このたびの耐震偽造の事件報道を見ていて、「やっぱり」と思った。ある意図を持って行った設計や計算は、一見妥当性があるように見えるし、所詮、説明をする側はマイナス面は言わない。そのためのチェック機関も、民であろうと公であろうと同じである。目的が違うだけで、見逃しは減らない。民は、効率優先、収益優先のチェック業務を目指すし、公は、仕事量軽減優先のチェックを目指す可能性が大であろう。その意味では、元々やる気がなかったということだ。
 被害者住民への対応でも、「やっぱり」と思った。ある区役所の対応だが、「法や規則に則ってやっている」と説明していたが、法や規則を破った事件の結果の被害住民に、法や規則で対応できると思っているところに、お役所の限界がある。所詮他人事なのである。超法規的対応、緊急避難的対応というものがとれない。危機管理が机上の空論になっている。想定できなかった事件事故こそ危機なのに。お役所は、人命優先でなく、法律規則優先なのだ。いや、もしかして、出世優先?
 
11月21日 資料CD
 塩屋土地区画整理を考える会の代表としてお世話いただいているKさんからCDが届いた。これまでの資料や全国の区画整理問題、法令などが収録されていた。大変なご苦労があっただろうと、この欄を借りて感謝。

 ものすごい数の問題がある。このような多くの問題を巻き起こすと言うことは、良い法、良い施策とはとても言えない。景気が上向きつつあると言われているこれからは、もっと被害を受ける住民が増えることだろう。赤穂市にしても、有年地区、坂越地区と、どんどん事業を進めようとしている。既成事実を積み重ねて、諦めさそうという悪徳業者さながらの手法である。保留地で儲け、固定資産税で儲け、実質税の二重取りを実行している。

 Kさんからの連絡文に、気になる点が書かれていた。
清算金の概念について
 単なる減歩に伴う権利調整(土地収奪の方法として考案された)だから、交付と徴収は当然同額となる。
 問題は、
    1 同額になるように設計・計画したことは明白なのに、市当局は、路線価評価を持ち出し、
      係数がいかにも妥当なように説明した。係数から決めれば、交付と徴収は同額になり得ないし、
      同額になるように係数を調整したのなら、係数の妥当性は低くなる。市当局は、我々に
      単なる言い逃れの説明を続けたと言うことである。
    2 農地や島地は、区画整理によって資産価値が増加する。ただし、売却することを前提にしてだが。
      だから、いくばくかの減歩はやむをえないかもしれない。宅地にしたくない人にとってはこれも迷惑。
      既存住宅の住民は、道路も隣接しているし、住環境は人それぞれだから、メリットは不明である。
      おまけに、住民から求めた事業でなく、市当局やもしかして有力者たちの意図であるので、
      利益は、彼らに有利な計画に違いないのである。
      固定資産税の増加以外に収奪されるいわれはない。
      
 私は今、周りを木に囲まれた「ど」の付きそうな田舎に住んでいる。鳥の声を聞き、木々のざわめきを聞き、あふれるほどの星を眺めて暮らすことの幸せは、赤穂の家の周囲には無い。周りが都市化するのは仕方がないとしても、清算金を取られなければならないいわれはない。
6月29日 2年過ぎて
 6月で審査請求から2年過ぎ、3年目となった。まだ何の動きもない。日々の生活では殆ど忘れてしまっている。住所を移したことも原因の1つだろう。ただ、ネットやテレビなどで、住民と行政のトラブルなどを見たとき、興味関心を持ち、理解できるようになったし、人々の憤りや主張が理解できるようになった。所詮同じ立場に立たないと、中々理解できないものなのである。数百万の負担を強いられている奈良県某市のニュータウンなど、人ごとには思えなかった。
 確かに、今まで関心の無かった世の中の、いろいろなことに興味を持ち、政治や行政についても考えるようになったが、決してこの問題のおかげだなどとは言わない。何年もの間、住民を精神的にも経済的にも苦しませる行政の、封建時代の支配体制をそのまま残した行政手法の、心のこもらない対応に対する憤りと不信感は、おそらく消えないだろう。
 どちらかというと、公務員に対して理解しようとしていた方だったが、やはり他人のふんどし(税)で相撲を取っている人間には、自分たちの行為を見直したり、反省したり、改善したりする意志が欠如しがちなのであると思うようになってきた。
3月17日 負担金請求
 負担金分割納入の請求が来た。年に二回だが、文書が来る度に嫌な思いがよみがえり、この思いを継続するために、一括納付はしないぞという気持ちになる。
 赤穂市を転出して、もう一年と四ヶ月になる。未だに前の住所に届く。請求している限り、相手の住所は確認すべきだろう。おまけに普通郵便だ。相手に届いたことをどこで確認するのか。やっぱりお役所仕事だ。そういえば、この問題でごたごたし始めた頃、地権者本人に通知が届かず、本人の家族に届いていたと聞いた。普通郵便で役所からの封書だとそこらのダイレクトメールと同じ感覚になる場合もある。結局本人も眼にせず、この問題が公になってから、家族も確認したそうだ。他人の財産は当局にとっては、歯牙にもかからぬものなのか。お気楽なことだ。ま、今問題になっている○阪市の職員の厚遇問題とさして変わらんのだろうか。市民の財産、生活を守るのが役目だという基本的なことが理解できないらしい。権力を持っている輩や、権力に庇護されている輩は、ろくなもんに育たんと言うことか。



2004年 取り組みと経過

7月2日 口頭陳述の内容確認
 県から口頭陳述の録取内容を確認する用紙が届いた。口頭でしゃべったことは、文章で確認すると、主語は無いし、無駄な言葉も多いし、結構自己嫌悪に陥るものだ。やはり、専門家の補助が必要なのかな。人より比較的話し慣れていると思っていたが、話すことが苦手な人はもっと苦痛だろう・
 誰にでも分かるように話さないと、県や市にしても担当者が変わることもあるし、主張は伝わっていかないだろう。
 奈良県のK市だったかのニュータウンの問題は、我々以上に気の毒だ。組合制の区画整理がいかに危険かを表している。本来区画整理は、都市計画事業によって利益を得る自治体や大地主が負担すべきものだが、法律はそうなっていない。
 「人間は法の下に平等だが、法そのものは全ての人のために平等に作られていない。」というのが実感である。そんな法を振りかざすのが行政や権力なのだ。自分たちに都合が良い法律を「守っている」と自慢されてもなあ。
5月30日 無神経な赤穂市役所
 市役所(都市計画課)から負担金自動振り込みの手続き案内が来た。こんな無神経な奴らが公務員と呼ばれているから、このご時世、公務員が攻撃される。
 我々は、負担金を払いたいわけではない。納得もしていない。だから審査請求をしたのだ。裁判に訴えようにも費用を払うことも負担だし、進んで取りあげようという弁護士もそうはいないだろう。
 半年に1回、市から来る請求に対し、憤りを込めて支払う。延滞金覚悟で支払いを拒否している住民もいるらしい。払うに払えない人もいるだろう。
 いかにも自動で払い込めば手数が省けるように勧めているが、手数を省きたいのは行政の方だ。積極的に支払っているというねじ曲げた事実を作ろうというのか。そんなことでは、我々の払い込んだ金額や憤りを、行政に対する思いを軽んじていると受け取らざるを得ない。そんな奴らだからこそ、市民の血税を平気で無駄遣いできる。そんな体質だからこそ、「ブラット」が破産するし、30億とも70億とも言われる市民の負担を「蛙の面にションベン」で居れるのだと思う。
3月22日 口頭による意見陳述
 赤穂市ハーモニーホール3F
 午後8:25〜9:00
 15分前に来ておくようにとの連絡だったので、8:10に着くと、前が空いていたようで、すぐに始まった。県からの2名と、速記者を前にしての意見陳述だった。
 @ 土地を無断で削られたこと
 A 精算金の算出方法の納得できない点
 B 市の対応や弁明の不誠実な点
充分とは言えないが、文章で述べてきたことを補足する形で、20分ほど話した。内容の詳細は後日。
 @については、かなり丁寧に質問を受けた。私固有の問題なので当然だ。
 Aについては、他の人と共通点も多いので、土地の状況だけの質問。
 Bについては、質問なし。
思った以上に時間を費やして質問してくれた。少なくとも、市のようにさっさと切り上げようという姿勢ではなかったので、嫌な思いはしなかった。
2月29日 口頭による意見陳述実施日についての問い合わせ
 県からの封書が新しい住所に転送されてきた。3月下旬に赤穂市役所周辺で設定したい旨が書かれてあっ
た。封書の表書きを見ると、区画整理によって変更された住所でなく、従前の住所が記載されていた。これ
は、県レベルでは、住所表記の変更は成立していないことなのか、理由が不可解だった。
 やり場のない怒りや、行政に対する憤りから、赤穂を去り、田舎に居を移してやっと、精神的な健康を取り戻
しつつあったため、本心を言うと、「嫌なことを思い出してしまった」が、第一印象だった。何の力も知識もない
平凡な市民が、どこまでできるのか。言いかえれば、行政という大きな組織が、どれほど丁寧で住民を尊重し
た行為ができるのかを確かめなければならない。もう一度気持ちを奮い立たせよう。
 私はもう赤穂市行政は見限っている。彼らに市民生活を云々する資格はない。次は県の番だ。法的知識な
ど皆無の一市民の素朴な意見をどうとらえるのか見ていきたい。
 期待はあまりしていない、裏切られることが嫌だからだ。あんな不備の多い弁明書を送りつけてそのままにし
ておく市の姿勢を県は認めたのかな。
 先日の奈良法隆寺門前の騒動を悲しい気持ちで見た。どちらがどうとは言えないが、少なくとも奈良県の方
が強い。強いものが力で押し通したら世の中終わりだ。「公共の福祉のため」という決まり文句で、あんな状況
を発生させたらいかん。車で門前まで乗り入れることを誰が喜んでいるのか。便利さと人間らしさとを交換して
いるようで嫌だ。



2003年 住民の取り組みと経過

12月30日 2003年の総括
 まもなく2003年を終えようとしている。ある意味、激動の年であった。色々なことを学んだ。
 行政を信じていてはだめだと言うこと。これが一番の収穫?だったようだ。転居をしたことにより我が家の経
済は、今の日本を象徴している状態であり、借金漬けで将来の見通しもない。しかし、幸いなことに今回の行
政の対応が反面教師になり、家族生活で何が大切かがよく見えてきた。今の住まいは、ほとんど車の通過の
ない場所で、20年前に赤穂に住み始めたときとよく似ている。夜は本当に静かだ。心も体も健康になれそうな
気がする。スローライフを満喫できそうだ。
 区画整理や都市計画がいかに私たち家族の健康を阻害していたのかがよく分かった。そういう意味では、
行政は不健康なんだろう。予算を使い切るなんてことは、税の無駄遣い。そこが改善できない限り、私たち庶
民の生活とは離れていくばかりなのではないか。自分たちのシステムに疑問を持ち、勇気を持って改善できな
い行政組織には、一生馴染めないだろう。
 尊敬できる住民の方々、愛すべき友人の方々、色々な出逢いができた1年であったことは、感謝し、新しい
年を迎えたいと思う。

12月3日 応援者よりのメール
 東京のKさんより、区画整理問題のメールが来た。もちろん何の面識もない。同じように減歩され、清算金発生を心配しているそうだ。土地を手に入れたとき財産となり、住居を建てたときから生活の基盤となる。そんな財産や生活の基盤を脅かされる事態がここにもあった。何十年も前の法をたてりに、地価高騰の時代のままに、利権を求めて行われる行政の暴力は、もういい加減にやめるべきだ。
 見ず知らずの方の激励は、心が温かくなります。感謝。
12月1日 愛犬も赤穂を去る。
 突然の電話。「お宅の犬はどうしたのですか。いつも散歩の時に近寄って挨拶してくれていたのに。」こんな心優しい住民もいる。以前に飼っていた犬も、近所の子どもたちの人気者だった。広い道路と危ない運転のこの地域は、その犬にとっても優しい街ではない。
 優しい人々が優しい心で、ペットとともにのんびりと暮らせる街を返してもらいたい。私にとっては、今の塩屋は優しい人がいても優しい街ではない。
11月7日 赤穂を去る
 こんなことをする行政に税金まで払う気にはならない。少なくとも、所得税や住民税はお断りだ。極力赤穂市で買い物もしない。
 とうとう市役所に転出届を出した。
11月7日 反論書2を発送。
 言いたいことはいくらでもあるし、反論点もまだまだあるが、我々の税金でやっている仕事で、こんな稚拙な弁明書しか書けないなんて、情けないとしか言いようがない。ひとつ直ればまたひとつ。書いてるやつもやつなら、決済しているやつもやつだ。いや、もっと責任は重い。こんな弁明書を採択するなら、県も同様と言わざるを得ないか。
11月1日 住民集会
 色々な事情で参加できなかった。状況報告と、今後の取り組みが話し合われたらしい。清算金を払わない取り組みをしている人も多いらしい。市の対応も、弁明書と同様みっともなく情けない様相を露呈している。
10月9日 弁明書2が届く
 間違いだらけで、お粗末。あいもかわらず法律がどうのこうのと住民を無視した弁明が続く。
 住民集会で、今後寄付金などは自治会に協力しないでおこうという話が出たそうだ。確かに私たちの苦しみを無視し続けている自治会には協力する義理はない。自治会を脱会したいくらいだ。
 娘が事情を知らずに祭りの寄付金を払ってしまっていた。残念だが、娘はできるだけ巻き込みたくない。
9月19日 第1回振り込み用紙が届く。
何の感動も、感想もない。表情ひとつ変えずに開封する妻はすごい。すぐに払うという。
9月12日 分納許可書到着
人様から多額の金を何の苦労もなく巻き上げるのに、「許可」は無いよな。
9月1日 反論書送付
 市当局の不誠実な対応に対し、反論を展開した。
8月30日 住民集会
 反論書の書き方などを学習。
8月22日 分納申請書を提出
 やっぱり、お役所は傲慢だよ。汗を流さず、足を運ばず、頭を下げず、他人の金を得るなんてことは、一般には考えられないことだ。世の中で無駄なもの、それは行政。
8月21日 県より、執行停止の申立に対して、却下する旨の決定書が届く。
 前回とほぼ同じ内容で、市当局と同じ穴の狢(むじな)の県が、我々の側に立つはずがないし、訳の分からん法律論だけで終始している。住民と行政が手を携えて進むなんてことは、都市化すればするほど無くなるのだろう。
8月20日 住民集会
 回答書を受けて、これ以上の不利益を防ぐため、内容証明郵便で、「異議を留めて支払う」旨を通告することを決定。21日提出。
8月19日 市当局よりの回答書
8月11日 執行停止申立書を県へ送付
 清算金納付を拒否した場合の不利益を回避するため。
8月10日 住民集会
 清算金不払いの意思表示を決定。分割納付の申込期限延長を申し入れる。
8月9日 清算金決定通知書
 先日の弁明書に続いて、長崎に原爆が投下された今日、暗示されていたかのように「清算金決定通知書」他が届いた。分割納付の説明と申請書、延滞金の説明など、内容は事務的なものである。
 素朴な感想だが、足を運ばなくても書類の送付だけでどんどんと金が集まるなんて、行政というのは何と楽な商売なんだなと思う。取りはずれはないのかな。「これでは、払う側の苦しみなんて分からないだろう。」なんて思ってしまう。疑い深くなった自分に嫌気がする。
 普通、税金は一括支払いで軽減されると思うが、これは分割で利子が発生する。この利子は何に使うのかな。
8月6日 市当局の弁明書が届く
 広島に原爆が投下され、多くの人々が犠牲になった日に、弁明書が届いた。何かを暗示しているのか。
 内容を見ると、市当局のこれまでの姿勢そのままの内容であった。区画整理事業の一般的な適法性の主張を繰り返し、私が提出した審査請求の、14項目にわたる理由(主張)に対して、一括して答えるやり方である。これは、弁明と呼べるものではなく、一方的な主張である。これだけでも、聞く耳持たない、市当局の姿勢が現れている。さらに、驚くことに(やっぱりと思っただけで、驚きはしなかったが)、近所のOさんに来た弁明書と、ほぼ同じ内容であった。先の審議会で、私たち個人個人の主張が一括審議されたことと同じ扱いなのだ。主張が正しいかどうかではなく、誠意そのものの無さに、あきれ果てた。
 こんな奴らが行政である赤穂市に、私の幸せはない。
7月12日 住民集会
7月4日  説明会(K部長 登場
6月30日 審査請求の事由・主張の追加
2003年6月24日  兵庫県知事(代理 知事室長)から、返信メールが届いた
 生を受けてから今まで、大学生活4年間をのぞき、この県で生きてきた。少し離れているが、親も県内で暮らしている。友人も多くいる。そんな兵庫県に対する思いが薄れようとしているとき、行政の長である知事さんに訊いてみたかった。面識もない人を、このまま敵視したくなかった。「ホームページを見て下さい。できれば意見を聞かせて下さい。」とだけ求めた。

 「暴れん坊将軍の目安箱や黄門様の印籠」を期待したわけではない。一県民に目を向けてもらえるかどうかということがテーマだった。ホームページも、私の一方的な意見だし、知事という立場上、どうこう言えるものでもないだろうし、西の端、赤穂の一地区、塩屋をご存じのはずもない。簡単には私見は述べられないだろう。それでも、兵庫県もそんなに捨てたものではなかったのかな。無視してもよかったんだから。

私なりの評価
   良かったこと
      1.メールを取り上げて、返事をくれた。
      2.ホームページを(知事室長は)見てくれた。
      3.状況を、当該の課に確認してくれた。
        私が提出した審査請求について、現時点での状況を知らせてくれた。
        今後の手続き(市の弁明書に対する反論の機会があるということ)を知らせてくれた。

   残念だったこと
      1.土地区画整理事業の趣旨や法に添った手続きを踏んでいることなど、行政独特の言い
        回しというか、一般論の説明というか。(一般論は知っている。)
      2.知事がどうしたかは分からない。つまり、知事室長は少し見えた。メールを無視するよう
        な、下品な行政ではないことが分かった。しかし、知事は見えなかった。

   総 括
      少なくとも、無視をし続ける、どこかの市長や行政とはかなり違う対応だ。少し心
      がゆるんだ。
執行停止申立書に対する決定書が届いた。
6月21日 説明会
 初めて、当局が地域に出てきた。もちろん、彼らが自主的にするはずはない。積極的に幹事を務めて下さっている方々の、ねばり強い交渉の結果である。
疑問点と私の主張
6月14日 住民集会
6月14日 赤穂民報に掲載
6月7日 住民集会
6月2日 第2回対市交渉
6月2日 審査請求
5月31日夜  対市交渉に際しての打ち合わせ
 ほぼ共通している立場の、9軒だけが集まるのかと思ったが、かなり事情の違った人々も集まっており、団結の難しさとこの運動が前途多難であることを痛感した。着工時、住宅であった場合と更地の場合とでも、事情が違ってくる。金額が違うだけでも、微妙な関係になる。これが当局のねらいなのか。住民同士の仲違いは、絶対に避けたい。よって、この会の規約は存在せず、入会・脱退自由にせざるを得ない。一人でも闘う気持ちで、必要最小限の共闘しかないのか。唯一、成功者が一人でもでることを望む。修正させることで、また誰かが後に続く。やっかみやねたみは厳禁なのだ。
5月30日夕 市当局(T係長)よりの電話
当局 「来週月曜日午後3時から、説明の機会を持ちたい。了解してもらえるか。」

私  「何とかする。了解した。合同でと言うことだな。」

当局 「同じような事情の9軒でと言うことです。」

急に休みを取ることは難しかったが、彼とはあまり話をしたくないので、確認だけにして電話を切った。
5月29日夜 市当局(S氏)よりの電話
5月27日 住民学習会
5月26日
 異議のある住民が集まって、市に抗議に行くことになった。私は、仕事の都合上参加できなかったので、妻に頼むことにした、もちろんボイスレコーダを持参させた。
 夜、妻に報告を聞きながら、録音した音声を聞いた。当然、市は門前払いをしようとしていたらしいが、最終的にはT係長が対応することになった。
   第1回対市交渉
 彼は思ったとおり、言い逃れや、責任回避をしていた。「この話し合いで納得してもらおうとは思っていない。」の発言に至っては、職場放棄に等しい。納得させるのが仕事だろう。
5月16日
 まだこのころは、市当局に対して少しは期待もしていた。というより、期待をしていたかった。市長を筆頭に、本当に不誠実な人間ばかりなら、あまりにも悲しいから。
再々度の質問
 市当局に期待する価値はない。当然のごとく、いまだに黙殺されたままである。

 腹立たしい毎日を過ごしていると、郵便屋さんが封筒を届けてきた、こんな時だけ配達記録をとる市の対応に腹を立て、受け取りを拒否した。

市職員の訪問(5月22日)
   換地処分の通知だったことが分かり、同じ思いをしている人々と、知事に対する審査請求を含めて対応
  を相談している中で、再度訪問を受けた。
    「通知を受け取らないならば、文書を公的な場所に公示すればこちらの仕事は終わる。それではみっと
  もないでしょう。」。これが彼らの言い分である。まるで脅しだ。長い時間をかけて抗議した。
    ○ 責任のあるものが、説得するのが正しい方法ではないのか。
    ○ 質問に対しては、一つひとつ丁寧に答えるのがスジである。これまでの文書や説明はとても誠意が
      感じられない。
    ○ こちらが間違っているのならば指摘してほしい。
    ○ 市長でも誰でも会わせてほしい。
   話し合いの場を持つことを約束し、文書をおいて、2人は帰っていった。
   この時点での私の考え
 責任者としての立場である現市長に、会見の要望を出したが、当然のごとく黙殺されたままである。名もない一市民には、返事すらない。こんな下品な人間たちは、期待する価値もないのだろうか。下々のことには関与しない、封建時代そのままである。これが彼らの体質なのだ。
3月15日
 納得できない私は、再度意見書(質問書)を提出した。回答と称するものを2人の職員が持参したのは、5月の半ばであった。
再度提出した質問書と回答と称するもの
2月初旬
 都市計画事業が終了を迎え、換地・精算負担の処理をするというのだ。元来、無頓着な私は市からの縦覧案内にも気づかずにいた。隣人が親切に教えてくれたのである。「とんでもない負担が課せられている」と。
 既に居住している土地に、負担金などかかるはずがないと思っていた私は、縦覧をして驚いた。100万あまりの負担金を請求されることになっていたのだ。
意見書と通知


審議会・評価委員会
 会議というものは、概ね提案者(行政)の意向通りに進むものだ。いちいちひっくり返っていてはたまったものではない。しかし、その意向も、必要なことも知らせず、「粛々」という言葉を使って進められたらどうだ。善意の人も悪行をなすことになる。他人の数10坪の土地に、数百万円の負担を強いることを、平気で賛成できる人ばかりではない。



縦覧と説明
 何回か説明会や縦覧を行ったと、当局は言う。前述のとおり、無関心になった(させられた)住民は、参加するものが少ない。当局の思うつぼ。
 他人の土地を削ったり、負担を強いるのに、なぜそのままにするのか。何故迷惑をする方が出向かなければいけないのか。20年もかかった事業、一人で毎日まわっても、2年で説明できる。



20年前
 塩屋地区の区画整理事業の計画が発表された。既存住宅の住民は、減歩をされては困るので、当局に問い合わせた。
 当局の説明  「既存住宅は減歩しません。」

 当局の言い分
     住宅が既に建ち、生活している土地は減歩できないので、そう言った。清算金がいらないなんて言っていな 
    い。

疑問点
     清算金がいるとも言っていない。清算金は、金納でする減歩だ。「減歩しない。」とは、負担が発生しないと言
    うことだ。
     ある住民には、清算金が必要だと言ったそうだ。それも、10万か20万円。これでは、よけいたちが悪い。

 既存住宅の住民は、何も変わらないことを信じて、事業に対する関心を弱めていった。気づかれないうちに事を進める。まるで奇襲だ。