私が赤穂市を捨てた理由(区画整理に見た行政の実態)

2008.11.13 更新

 2003年11月、私たち家族は赤穂市を捨てた。
 一市民として、平々凡々として暮らし、このまま人生を終わるものと信じていた。適当に田舎で、適当に便利な、この地方都市は、様々な問題を含んでいながら、私たちの生活にはほとんど影響がなく、普通に暮らせるまちだと思っていた。
 しかし、20年前から行政が始めた、塩屋地区区画整理事業によって、行政の実態が私たちの生活に黒い影を落としたのである。赤穂市を去るにあたり、行政の実態を、私なりに総括することで、今まで親しくしていただいた友人への別れの言葉とし、これから区画整理事業に巻き込まれる力無き一市民の皆様への警鐘としたい。
 なお、この内容は、事実ですが、私の一方的な意見であり、主観的な意見であります。読者の皆様に、何ら求めるものではありません。
 また、このページは、市民の皆様を愚弄して「赤穂市非公式ホームページ」と名付けたのではありません。やり場のない怒りと、せつなさゆえのふざけ心です。長年暮らしたまちを捨てる気持ちをお酌み取りいただき、ご容赦。

 2008年11月、赤穂市、及び兵庫県の行政にこれ以上の期待を持つことを止めることとした。
 これ以上の期待を込めた取り組みや願いを持つことに精神的に疲れたのである。と言うより、行政は私にとって期待するほどの価値がある対象ではなかったと言うことだ。ただ、私同様、いやそれ以上の不信感をもたれている方々、これからそのような立場に立たされようとしている方々が一人でも少なくなることを願っている。


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