赤穂市への提言

あくまでも自分本位の意見です



なぜ18歳?(合併の是非を問う住民投票の不思議)
 平成7年9月9日、上郡町との合併の是非を問う住民投票が行われるそうだ。合併の是非についてここで論じるつもりはないが、推進する方法に疑問を感じる。

その1
 合併した方が財政的に良いという意見に疑問を感じる。市民が払う税金には限度がある。もちろん、国庫に入る税金もである。市として執行できる財源にも限度がある。基本的には、収入の中で支出しなければ赤字である。住民サービスと称して慢性的な赤字が続く上に愚かな事業のつけがある。当座、有利か不利かは知らないが、健全な財政の執行をしない限り借金は増えるばかりであろう。
 「一人で食えなくとも二人なら食える。」と昔の人は貧しくても結婚をしてきたそうだが、今の世の中は違う。まして、行政がそんな考えであってもらっては困るのである。

その2
 選挙権は20歳からと決まっている。なぜ、住民投票は18歳なのか。有権者を増やすことにどんな意味があるのだろうか。現在のことはもちろん、将来のことを決めるにも権利は20歳からとしてきた。よって、「将来のこと」だからといった理由では成立しない。ある人が、「有権者を増やすことで、実質投票率を下げて、推進派に有利にしようという意図が見える。」と言った。確かに、今の有権者の意識からすると、50%いくだろうかという投票率予測かもしれない。それほど日本人は政治に対する権利意識が低い。個人的な単純利益に対してはシビアだが、行政レベルから上は間接的な影響ととらえている。
 色々な思惑が渦巻いているのだろう。ただ、この件だけ年齢を変えることは、損得などではなく、不可解だ。○○協議会とか、○○推進委員会といったものの構成員は、行政サイドや推進派サイドの者である場合が多い。大きくなればなるほど、住民と行政は離れていってしまう傾向があるように思う。
 第2の夕張にはなりたくないとよく聞くが、なってみないと身にしみないのも事実。


何のための工事?
 市内の中心部のあちこちで道路を中心とした工事が行われている。何のためなんだろう。以前、上海に行ったとき、唖然とするぐらい町中が工事、工事。近代化を求めて、街そのものをそっくり変えているようだった。ある意味では、目的意識がはっきりしていた。中心部から周辺部への住居の移動もスムーズに行われていたようだ。
 しかし、毎年どこかで訳の分からん工事を繰り返している日本(赤穂市)のやりかたは、納得できない。予算を消化するためだけの工事なのか。こんな思いでいるのは私だけだろうか。


駅前からお城までの拡幅工事
 以前から気になっていたのだが、赤穂駅から赤穂城まで、道路の幅が広げられつつある。何の意味があるのだろう。赤穂の行政は、道幅を広げることが趣味なのか。
 まるで、かつての姫路市のマネをしているようだ。かの市も、50m道路は見る影もなく狭苦しくなってきている。赤穂駅にしても、利用客は徒歩である。お城までの行き来で、観光客は片側の店しか立ち寄れない。広い道を渡って買い物をする人は少ないだろう。狭く、入り組んだ道の方が安全で、楽しいこともある。人通りの少ない、広い道は、かえって淋しい。

経営が成り立つはずがないよ、プラット赤穂
 同じく、姫路の駅ビルをまねして造ったような、ブラット赤穂。赤字になるのは当たり前。人は人を呼ぶ。しかし、人が集まっているのかどうか外からは見えない。オープンエアの部分が少なすぎる。集客力にしたって、ジャスコ周辺に勝てるわけがない。駐車スペースの少ないところに集まる客は、基本的に、徒歩なのだ。赤穂の駅周辺で、歩いている人が何人いるのか。時間待ちする人が、何人いるのか。
 挫折したが、ステーションホテルにしても、市内の宿泊施設が、がらがらの状態で、誰が泊まる。ホテルが必要なビジネス客は何人いるのか。赤穂へ来る観光客は、多くがバスや自家用車なのではないのか。
 初めに予算や事業ありきなのか。どうもこのまちは、入れ物だけを造って、後々の運用を考えていない気がする。都会に対するコンプレックスなのか。
 もっともっと、家庭教育や、社会教育、学校教育に力を注いで、人づくりをしないと、心だけは都会並みにすさんでしまう。文化レベルもまだまだなのに。施設を造るのではなく、文化に貢献する人にこそ予算を使え。駅周辺の事業の損失のため、そんな予算ももうすでに無いようだが。

区画整理は続く
 野中地区と有年地区で区画整理が進められているそうだ。あまり詳しくは知らないが、野中地区の人から聞いた話では、組合組織で実施するそうだ。市の事業でも負担が大変なのに、組合組織だと、損失は全て自己負担になる。
 地価が高騰するならば、利益も上がるかもしれないが、野中地区や有年地区で、農地を宅地にして地価が上昇するのだろうか。私たちのような不幸な市民が増えなければよいが。

体験・参加型の観光と徹底したまちづくりを仕組むべし
 全国的に見ると、成功している観光地と、じり貧のものとがある。九州のハウス・テン・ボスの失敗は、参加体験型でなかったこと。ホテルと展示が主体では、リピーターは育たない。一度行きたいが、二度行かない。
 ディズニーランドは主体的に参加できるので、次々と観光客自体が、アイデアを考える。
 豊後高田市は、徹底した「昭和のまち」を造った。境港市も、「水木しげるワールド」を造った。それにもまして、文化レベルと意識の向上がすばらしい。
 赤穂市はどうだ、観光地か、商業地か、工業か。
 なぜ、仮屋川沿いを利用しないのか。川は重要なポイントだ。江戸時代を彷彿させる町並みが似合う。川や水路を利用したところは成功している。
 赤穂インターを降りたところの寂しさは、いかん。料金所を出たときに夢や期待がしぼむ。「着いた。これからが楽しそうだ」とか「何か懐かしい。」とかを感じさせる方策はないのか。
 見るだけ、買うだけの義士祭は、頭打ち。全国から募集しての義士行列は、誰も思いつかないのかな。たとえば、午前中は、市民が主体で楽しみ、午後は観光客が楽しむ義士祭(義士行列)なんてアイデアは、どうだろう。
 どちらにしても、もっと文化レベルが上がらないとだめだけど。