市役所のアキレス腱
あくまでもアキレスです。アキレタではありません。









汚職の構図
 2007/02/02の新聞に、赤穂市役所総務部契約検査担当課長が収賄容疑で逮捕された記事が出ていた。汚職では5年ぶりの摘発である。これを特異な例と見るか、氷山の一角と見るかであるが、私は、構造上の病巣であると考えている。
 市役所に勤めると、殆どが出世を目指す。より高い地位と、名誉と、収入を目指すわけである。一般的には、それは決して悪いことではなく、人間の欲望が仕事の成果を生む場合が多いから当然ではあるが、そこに「使命感」とか「誇り」と言った要素が欠落している。そのような職場であると言うことだ。
 つまり、役所内部は封建制度そのもので、上意下達、上司や権限のある者に逆らうことは出来ない。もし、そうすると出世をあきらめなければならないのである。命令に従って黙々と働いても、上位のポストは少ないピラミッド型なのだから、自分の出世のビジョンは見えてくる。地位と名誉はおいそれと手に入らないのである。「収入」を目指す者が出てきて当然であろう。富はより一層の富を求める。そこそこの生活をしていても金銭欲はきりがなくなる。
 本当は、市民のために何をしたかで評価や点検をしなければならない。その役割を果たすのが議会のはずだが、今の議会を見るとそこにも「使命感」や「誇り」が感じられない部分が多々ある。政党や会派という徒党を組んで、自分の地位と名誉を守ることに専念している人々には、とてもそのような役割が果たせるとは思えない。
 使命感や達成感に目標を置き、誇りを持って市民に奉仕する人が、それに見合った地位や名誉を手にする役所でないと、第2、第3の夕張市となるであろうし、とても住みやすい市ではない。今一度、誇り、使命感、達成感が上位の目的意識のもてる組織の構築が必要だろう。ま、利益誘導型の政治行政が息づいている気配がするうちでは無理だろう。市民にもそれほど切実感がないし、怒りも表面化してこない。病巣とはそんなものか。

意識が低いのでは?
 忠臣蔵でおなじみの「息継ぎ井戸」付近でのことである。
 そこは、観光バスのために、乗降用及び待機場所として、スペースが確保してあるが、市の中心部でもあり、金融機関が多いので駐車場からあふれた市民が駐車している場合がある。なかなか適当な駐車場もないので、気持ちは分かるが、マナーとしてはあまり好ましくないと思っていた。
 しかし、某月某日、市のマークの付いた車が、堂々と駐まっていたのである。公用か私用かは知らないが、市外から来られるお客様のために確保してあるスペースに、公用車が堂々と駐車しているのはいかがなものか。私は、意識の低い行政だなと思っている。
 取るに足らないことかもしれないが、一事が万事と言うこともある。先日、当市で起きた市職員の殺人事件も、職場での不倫が原因だったという噂もある。よほど暇な職場なのだろうか。昨今、公務員に対して風当たりが強くなっているが、当人たちにはどこ吹く風のようにも見えることがある。何かあったら、居直ればいいとでも思っているのだろうか。
 私はあまり支持はしないが、武士道を掲げて闘った赤穂浪士を売り物にしている市としては、お粗末なのでは無いだろうか。品格を磨いてほしい。

台風の被害者の思いは誰が受け止める
 2004年秋は、赤穂市でも台風による大きな被害があった。東有年地区あたりでは酷かったと聞く。かつて私も洪
水には悩まされた時期があった。このようなときこそ行政の価値が見える。
 スーツ姿で視察に来た市長や、それについて何も進言しない市幹部の感覚を疑う。まさに、法や条例を盾にして口
先だけの市民サービスを唱える体質を露呈している。長靴を履いて作業着姿で来た議員がいたと聞いたが、それが
偉いのではなく、当たり前なのだ。

行政(市長)の姿勢が見えた
 2004年3月29日、退職教員を送る会が行われた。長年、赤穂市のために貢献したことに感謝の気持ちを表し、記念品を贈る会で、時間にすれば30分あまり、参加者も市長・教育長・市教委職員と該当の退職予定教員だけの会である。趣旨の善し悪し、適不適はともかく、市民の代表である市長が感謝の意を表する会だと思えたが、市長が欠席した。市議会が長引き、人事異動の内示をするために、欠席したそうだ。
 人には出会いと別れがある。私は、特に別れを大切にしたい。二度と出会うこと、かかわることがないかもしれないからこそ、別れを大切にしたい。ほんの30分あまりの時間を惜しんで欠席した市長の本質が見えた。片づけ仕事でしかないのならやめてしまえ。

あくまでも噂ですが
 以前、○○電力の発電所ができるとき、市内の夜のお店は、とても活気があったらしい。もちろん工事等にかかわる人たちが増加したこともあるが、実は、市の職員の利用が増加したのが大きな原因だそうだ。とても公務員の月給ではおいそれと出入りできなさそうな店にも頻繁に出入りしている様子が目撃されている。
 何でも、○○電力の関係者から、「いくらでも飲ませてやってくれ。」なんて指示が出ていたんだそうだ。あくまでも噂ですが、有りそうな話。
 本当だとすると、その時の市の職員はもう定年退職しているか、出世して役職に就いているのか。
 2003年11月赤穂駅周辺整備株式会社が経営破綻(赤穂民報掲載)
 こんなことは、やる前から分かっていた。赤穂駅は列車がいないときは閑散としているのが特徴の駅なのだ。メディアにおんぶにだっこで、何ら工夫のない観光行政で、年間何人の観光客が利用しているのか。義士祭という、年に一回の進歩のない祭りの日以外、駅前が賑やかなのを見たことがない。
 観光バスにしても、ついでに寄ってくれるだけ、リピーターが少ない。いかに市のリーダーたちが澱んでいるかが、よく分かる。フロンティアスピリットがないのだ。多分、意味も知らないだろう。赤穂浪士は、赤穂市の特徴ではなく、遺産なのだ。つまり、食いつぶすだけ。先細りは当然だ。
 私が問題にしている区画整理にしても、20年も前からかかって、途中で破綻していることは、分かっていたはずだ。これだけ土地が値下がりをして、何が区画整理か。公共の福祉とは、みんなが幸せになることだ。このままでは、一部の者だけが利益を得ることになる。先の駅周辺の問題も、破綻しても儲けているやつがいるのかも。責任を取るのが嫌で知らん振りをしているのかも。
 かつて、市内の学校に何年か計画で、ビデオレコーダーを導入しようとしたことがある。当時はオープンリールだった。テープが摩擦でひっついて、トラブルが続出。そして、カセットタイプが発売された。トラブル回避のため、行政に機種変更を申し入れたところ、計画の実行中だから、変更はできないとの回答だったそうだ。結局、市内の学校全てに配置されたその機種は、ほとんど使われないまま、廃棄になったという。そんな話を聞いたことを思い出した。
 総括と計画変更を大胆に繰り返す、中小規模の都市に必要な小回りの良さ(柔軟性)がこの町にはない。土日でもシャッターの閉まっている商店が目立つ現状をいつまで放っておくのだろうか。

 2003年4月、回覧板で保留地販売(パオーネの近く、幹線道路から少し入った閑静な土地)の知らせがあったそうだ。ある人が気に入って、申し込みに市役所へ出向いたが、先着順で、既に売れてしまっていると言われた。
 回覧板は全員に回るには1週間以上かかる。先頭だった彼は他の人のことを考慮し、2日ほどして申し込みに行ったが、時既に遅し。抽選ではなく、先着順だったとは。

  ・一番に申し込める人は、情報発信元の市役所関係者か?議員か?それとも・・・・。今までにもこんなことがあっ
   たらしい。
   これって、当局の言う民主主義?公平?
   赤穂ではコネが無いと損をするっていう噂は、やはり本当?市役所もコネの固まり? 

 聞いた話だが、先着順といえば、市のある職場の職員の採用も先着順らしい。1番に応募する人は、やる気があるからだそうだ。
 皆さん、赤穂市に就職したいのなら、遠くの学校や忙しい学校へ行ってはだめだ。それでもだめならあきらめよう。きっと奥の手(コネ)を使わないとだめだから。

 最近、区画整理事業対象地域で、市の道路工事があった。ある住民が、何をしているのかと訊ねたところ、「算が余っているので・・・。」との答え。
 余っている金があるのに、困っている住民から金を取るのか。

2003年6月21日の説明会と称する(住民側は交渉と思っている)会でのことだ。

 公共の下水道付きマンホールのある小さな保留地を無断でプレゼントされ、その土地の分も清算金を請求された(つまり、ゴミを押しつけられて、処理代を払えと言われているようなもの)住民の方が、違法性を抗議すると、H課長は「調査中はした。対応を協議中です。」と、得意そうに答えた。
 実は、調査に来たことは事実だ。しかし、住民の方々が立ち合うと、その職員は「どこか下水道が詰まっているんですか。」と訊いた。これが、H課長の言うところの調査ですか。対応ですか。何を協議しているのですか。詰まっているのは、市の行政の頭の中身の方だろう。

同じく、区画整理の問題で。
ある住民の方は、千円単位で書かれた清算金の金額を見て、300万円を30万円と勘違いしていたそうだ。
 精算金を請求するのに、千円単位で書く市当局も不親切というか、非常識というか。誰でも3桁削られた金額は勘違いしやすい。おまけに、表の中の小さな数字。老眼では見えないかも。
 そう言えば、H課長も、ずっと以前に「清算金は、15万円ぐらいです。」と、住民の一人に言ったそうだ。彼も勘違いしていたのか、老眼か。お粗末。

 市役所では、配置転換がある。次々と出世していくためだ。
 ある時、出世した前任者が来て、「早いうちに、○○をきちんとやっておくように。」と、偉そうに言った。
 実は、その前任者は、かつて、その○○ができなかったのである。いじめか、憂さ晴らしか。

 T係長の発言「審議会で多数決によって決まりました。これが正しい。民主主義の常識です。」
 彼は、民主主義をはき違えている。民主主義とは、少数意見を大切にし、できるだけそれぞれの意見を考慮した方法を考えていくことを言う。彼の言うのは、全体主義とかファシズムという。彼が言うとおりだと、極論すれば、いじめや村八分を容認することになる。「一人ひとりのことは考慮していない。そんな暇はない。」と言い切る姿勢はいかがなものか。
 さらに、「会議で決まったことは正しい。」と言い切る姿勢もいかがなものか。かつて、新製品が出たにもかかわらず、会議で決まったからと、既に陳腐になった製品を導入し続けた過去があった。税金の無駄遣い。間違ってはいなかったのかと常に点検する姿勢や、間違いをすぐに修正する姿勢こそ大切なのに。

 いまだに、単年度で予算を使い切る傾向が続いている。
 あくまでも予算の出所は税金である。無駄なものに使わないで、一円でも残すことが何故いけないのか。普通の家庭では、これを無駄遣いという。企業でも許されないだろう。こんな不景気な時代に、誰も市民に対する背信行為とは言わないのか。

 お粗末な弁明書
 私が提出した審査請求に対して、市当局の弁明書が届いた。その中の文に、まことにお粗末なもののを発見した。
   「申立人の審査請求について棄却の採決を求める。」
 採決とは、物事を多数決などで決めることで、この場合は、裁決が正しい。
 私たち素人が間違えるならまだしも、多くの職員がかかわり、さらに、決済まで受けた文書がこれでは、市長を筆頭にレベルの低さを感じる。その程度の認識で私たちの生活が左右されているのかと思うと、ぞっとする。

 そう言えば、以前、市が作成した文書に「部落問題」とするところを、「無落問題」となっていたことがあった。ワープロの変換ミスですましていいのだろうか。長い間差別を受け続けた人たちにどうやっていいわけをするのだろう。住民の立場、弱いものの立場に立った行政なら、そんなことはしないだろうし、笑って許してもらえるかもしれないが。