6月生まれの偉人伝

今日生まれの偉人達
1日 ミハイル・イワノビチ・グリンカ (1804〜1857) ロシア 作曲家 ロシア国民楽派の祖
19世紀前半のロシアでは、貴族達はドイツ音楽やイタリア・オペラに夢中になり、ロシア独自の音楽は廃れていた、彼は、ロシア独自の国民的な音楽文化を築き上げようと決意。やがてロシア5人組にその影響をあたえ、国民楽派の基礎を築きあげた。代表作歌劇「イワン・スサーニン」と「ルスランとリュドミラ」
2日 エドワード・エルガー(Sir Edward Elgar)(1857〜1934)イギリス 作曲家
専門的に音楽を学ぶ機会は与えられず独学で勉強した。ヴァイオリン教師として収入を得るかたわら作曲活動を続け、ついに「エニグマ変奏曲」が大きな評判となる。その後、行進曲「威風堂々」は、大評判を得、今でも第2の国歌と呼ばれるほどです。1904年にはナイトに叙せられてその名声は揺るぎないものとなりました。
3日 佐々木信綱(のぶつな)(1872〜1963)国文学者 歌人
和歌の歴史的研究、万葉の基礎的研究に尽力した。明治和歌革新運動を起こし竹柏会を設立。機関誌「心の花」を刊行。著編書に、「万葉集の研究」「校本万葉集」。歌集に「おもひ草」「豊旗雲」。25歳の時、新編教育唱歌集に「夏はきぬ」を発表、現在もも歌い継がれている。第1回文化勲章受章。
4日 後藤新平(しんぺい)(1857〜1929)政治家
政治家。岩手県出身。須賀川医学校卒。内務省に入り、台湾民政長官、貴族院議員、満鉄初代総裁、第二次桂内閣の逓相兼鉄道院総裁などをつとめ、以後、内相・外相・東京市長を歴任。1923年(大正12年)の関東大震災で内相・復興総裁となり、大掛かりな大東京復興を計画し「大風呂敷」の異名をもつ。
5日 アダム・スミス(Adam Smith)(1723〜1790)イギリス 経済学者
生まれた時には父が亡くなっており、母の手で育てられた。1776年、有名な「諸国民の富の性質と原因に関する研究」を著して、その名声を高めた。経済でも自由が大切だととき、自由主義経済を主張。パン屋がパンを、肉屋が肉を売るのも、自由にしておけば競争しあって、安くて良いものを売るようになるという論。
ジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes)(1883〜1946)イギリス 経済学者
ルース・ベネディクト(Ruth Benedict)(1887〜1948)アメリカ 文化人類学者
「彼等(日本人)は自分の行動を他人がどう思うだろうか、ということを恐ろしく気にかけると同時に他人に自分の不行跡が知られない時には罪の誘惑に負かされる」
6日 ロバート・ファルコン・スコット(Robert Falcon Scott)イギリス 南極探検家
1901年に南極探検隊の隊長として南極に行き、エドワード7世半島を発見、南極内地やロス海を測量。1910年再び南極に向けて出発。1912年1月18日に南極点に到達するが、既にアムンゼン隊が到着した後だった。スコット隊5人は失意のうち帰路に就くが途中、猛吹雪に遭遇し全滅する。
7日 ポール・ゴーガン(ゴーギャン)(Paul Gauguin)(1848〜1903) フランス 画家
17歳で商船の見習い船員になり。1871年パリに帰って株式仲買人となって家庭をもって日曜画家として絵を描いていたが、1883年、画家になる決心をして店をやめ、家族とも別れる。タヒチ島にわたり、先住民達の生活を多く描く。画風は重厚な線条と輝かしい色調とを特徴とする。代表作は「タヒチの女」「黄色いキリスト」など。
ボアソナード (1825〜1910) フランスの法学者
梅謙次郎(うめけんじろう)(1860〜1910)明治時代の代表的私法学者。
8日 ロベルト・アレクサンダー・シューマン(Robert Alexander Schumann) (1810〜1856)ドイツ 作曲家
歌曲集「女の愛と生涯」「詩人の恋」のほか、ピアノ曲集「子供の情景」(有名なトロイメライを含む)など多くの器楽曲をつくり一九世紀前半のドイツ、ロマン派の巨匠となる一方、音楽評論家としてショパン、メンデルスゾーン、ブラームス、ベルリオーズなどを世に紹介した。晩年は精神錯乱状態におちいり遂に入院したまま生涯を閉じる。
9日 ピョートル1世(大帝)(1672〜1725)ロシア皇帝
西欧化政策をとる一方、北方戦争やトルコとの戦争で領土を拡大し、スウェーデンに対する要塞として新都市、「サンクト・ぺテルブルク」の建設を開始し、1712年、彼は首都をモスクワからペテルブルグに移した。陸海軍の近代化、中央集権化、農奴制の強化、マニファクチュアの育成など、ロシアの近代化、強国化に努めた。
滝沢馬琴(本名 滝沢興邦 又は 解 、曲亭馬琴)(1767〜1848)江戸後期の小説家
10日 徳川光圀(みつくに)(1628〜1700)
34歳で第2代水戸藩主となり、勧農政策、藩士の規律・士風の高揚に努め、藩内外から名君と仰がれた。また、全国から優れた学者を集め、「大日本史」の編さんに努める。このとき、歴史編纂をした人々を史臣といい、彼らは全国各地に史料を求めて旅をしたため、これが後に「水戸黄門漫遊記」として脚色された。
11日 ジャック・イブ・クストー(Jacques Yves Cousteau)(1910〜1997)フランス 海洋探検家
フランス海軍に勤務し、E・ガニャンの技術協力を得て、スキューバ(商標名アクアラング)を開発。その後、カリプソ号で世界の海を回り、1953年には著書「沈黙の世界」がベストセラーになる。同名の映画「沈黙の海」もカンヌ映画祭グランプリを受賞。「世界でもっとも有名にして愛されたフランス人」と称賛された。
川端康成(1899〜1972)
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」昭和期の小説家
12日 ヨハンナ・シュピーリ(Johanna・Spyri)(1827〜1901)
彼女は44歳になるまで主婦として生活していたが、戦争のための義援金を集めるために小説家としてデビュー、最初は大人向けの作品が中心だったが、姪からの要望で「ハイジの修業時代と遍歴時代」と「ハイジは習ったことを使うことができる」を出版し、世界中で親しまれている。
13日 白瀬 矗(のぶ)(1861〜1946)
南極探検を計画するが、政府の援助もなく、隊員29人は、わずか200トンあまりの木造船「開南丸」に乗って出発した。到着後、2台の犬ソリで南極点を目指したが、猛吹雪にはばまれ撤退を余儀なくされるも、一名の死傷者も無く帰国。この事業は当時の日本の画期的な壮挙として内外に知られた。
14日 ハリエット・エリザベス・ビーチャー・ストー(Harriet Elizabeth Beecher Stowe)(1811〜1896)アメリカ 女流作家
奴隷解放運動に関心をもち、夫とともに逃亡奴隷の世話もしていたが。1851年、第2次逃亡奴隷取締法による奴隷の悲惨な状態を描いた「アンクル・トムズ・ケビン」(アンクルトムの小屋)を書いた。この作品は、大きな反響を呼び、奴隷制度反対の世論をいっそう高め、南北戦争のおこる一つのきっかけとなったといわれている。
15日 空海 (774〜835)平安時代の僧 真言宗の開祖
804年に遣唐使と共に、唐に渡り、青竜寺の恵果阿闍梨のもとで密教の伝授を受け、帰国して真言宗を開き、816年には高野山を賜り金剛峰寺をたてた。その後、東寺を与えられ、これを国家鎮護の祈祷道場とした。彼の死後、弟子達の熱心な奏請により、朝廷より「弘法大師」の諡号が贈られた。書にすぐれ、三筆の一人といわれる。
16日 バーバラ・マクリントック(Barbara・McClintock)(1902〜1992)アメリカ 遺伝学者
彼女は助手も弟子もなく、たった一人で斑入りトウモロコシの遺伝研究をつづけ、1951年に画期的な発見「動く遺伝子」説を発表したが、当時、顧みられることなく、そのぬきんでた先駆性が認められるまでには、実に30年の長い年月を必要とした。1983年度ノーベル医学生理学賞を女性としてはじめて単独で受賞。
17日 シャルル・フランソワ・グノー(1818〜1893)フランスの歌劇作曲家
幼いときから文学、美術など広く芸術教育を受け、オペラ、宗教音楽に傑作を残し、近代フランス音楽の先駆者となる。1859年には名作「ファウスト」が初演されて大成功をおさめ、ついで「シバの女王」「ロメオとジュリエット」でさらに名声を高めた。他にも「セレナード」「アベ・マリア」等の歌曲も有名
イーゴル・ストラビンスキー (1882〜1971) ロシアの作曲家
18日 エドワード・シルベスター・モース (Edward Sylvester Morse)(1838〜1925)アメリカ 博物学者 日本の動物学・人類学の育ての親
貝類の研究をしていた彼は、腕足類の研究のため、1877(明治10)年に来日、東京大学の教授になることを依頼され就任した。わずか2年の間に彼は、近代動物学の導入、東京大学生物学会(現日本動物学会)の創設、大森貝塚の発見・発掘で日本の考古学・人類学の幕を開きました。
19日 ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal )(1623〜1662)フランス 思想家、数学者、物理学者
子供のころから図形遊びが好きで、早くから天才を示しました。又、16歳で「円錐曲線論」を発表し数学者を驚かせた、その後、計算機や、「パスカルの原理」等を発明発見確立した。1654年に修道院に入って病気と闘いながら、「パンセ」(瞑想録)を作成中に死亡。その中の「人間は考える葦である」ということばは有名です。
太宰治(だざい おさむ)(1909〜1948)昭和初期の小説家
20日 ジャック・オッフェンバック(Jacques Offenbach )(1819〜1880)ドイツ オペレッタ作曲家(ドイツに生まれフランスに帰化)
1855年ブフ・パリジャンという小屋を持って自作の上演を行って成功を収めた。その後、1858年有名なオペレッタ「天国と地獄」(原題:地獄のオルフェ)を上演して成功を収め、以後、彼のオペレッタ作品は次々と上演され名声を獲得した。1860年にフランスに帰化し、翌年にレジオン・ドヌール勲章を受ける。他に「ホフマン物語」等
21日 ジャン・ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)(1905〜1980)フランス 哲学者 文学者
実存主義を提唱し、その活動は文学・哲学上の著作から、政治評論にいたるまで広範囲に及ぶ。第2次世界大戦に看護兵として出征しドイツ軍の捕虜となったが、脱出しパリに戻り抵抗運動を行う。著に「嘔吐」「存在と無」「自由への道」など。1964年ノーベル文学賞を贈られたが、辞退した。
22日 エリッヒ・マリア・レマルク(Erich Maria Remarque)(1898〜1970)ドイツ 小説家
1929年「西部戦線異状なし」を発表して一躍有名になる。戦争の残酷さを、俗語を駆使してリアルに表現したこの小説は、25ヵ国語に翻訳され、350万部という大ベストセラーとなるが、ナチスに迫害され、スイスへ亡命。その後、アメリカ合衆国へ亡命し、1947年にはアメリカ市民権を得た。第2次大戦後も「凱旋門」等を発表。
23日 三木露風(ろふう)(1889〜1964)
相馬御風、人見東明らと早稲田詩社を創設。「廃園」により北原白秋と並び称せられた。のち北海道に渡ってトラピスト修道院講師に着任し、信仰生活に入る。そこで、彼は、母を想い、子供の頃の郷愁とはるかな、ふるさと龍野を想い、童謡「赤とんぼ」を作り、1927年(昭和2年)に山田耕筰が曲をつけた。
24日 加藤清正(1562〜1611)戦国時代の武将
幼名虎之助。尾張国(愛知県)の人。賤ケ岳七本槍の一人。豊臣秀吉に仕えて戦功多く、熊本城主となる。文禄・慶長の役には先がけとなり、蔚山(うるさん)籠城などで勇名を高める。関ケ原の戦いでは徳川方につき肥後一国を受領したが、19歳の秀頼が二条城で徳川家康と会見した時は、死を覚悟して秀頼の後見人を果たした。
25日 アントニ・ガウディ・イ・コルネット(1852〜1926)スペイン 建築家
自然界の造形物の構造的合理性を基本に、「ヒューマンタッチ=人にとって、住みやすい快適な空間」という要素を盛り込み、類まれな建築物を多く産み出しました。1883年サグラダ・ファミリア聖堂の主任建築家に任命され、亡くなるまで、この仕事に専念しました。バルセロナ市内で路面電車にはねられ亡くなった。
上田秋成(1734〜1809)国学者、浮世草子・読本(よみほん)作家
26日 木戸孝允(たかよし)(1833〜1877)維新の志士 桂小五郎
維新三傑の一人「情の西郷」、「意の大久保」、「知の木戸」と呼ばれた。初めは桂小五郎、後に木戸姓を名乗る。長州の政治の中心的人物。坂本龍馬らの斡旋で薩摩藩士小松帯刀・西郷隆盛らと倒幕の薩長連合密約を結び、倒幕に努める。維新後は版籍奉還、廃藩置県などに尽力。
パール・バック(Pearl S. Buck)(1892〜1973)アメリカの女流作家
27日 ヘレン・ケラー(Helen Adams Keller)(1880〜1968)アメリカ 婦人教育家
生後19ケ月のとき、熱病にかかり、目も耳も不自由となり、口もきけない3重苦の障害をせおう。サリバァン女史の教育を受けて、指を動かして読み取る話術の法を学び、努力を続け、1904年ラドクリフ大学を卒業。盲人や広く身体障害者の福祉事業に尽くし、世界各地で講演。1934年以来、数度来日。
小泉 八雲(ラフカディオ・ハーン)(1850〜1904)文学者、随筆家
28日 ジャン・ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau)(1712〜1778)フランス 思想家 啓蒙主義者
当時の人工的退廃的社会を鋭く批判,感情の優位を強調し、「自然に帰れ」と説き、ロマン主義の先駆をなした。又、「人間不平等起原論」「社会契約論」で人民主権を説いた。彼の著書「エミール」は、自然に即した人間像を示し、近代の学校の形を造り上げたペスタロッチーや、幼稚園を作ったフレーベル等に多大な影響をあたえた。
ルーベンス(1577〜1640)「いうことなすこと、すべてだれにもよろこばれるように生まれついていた」
フランドルの画家、外交官
29日 アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ(1900〜1944)フランス 飛行家 小説家 童話作家
初期の長距離航空路開設に重要な役割を果し、第2次世界大戦では偵察機パイロットとして従軍。パイロットの体験をもとに人間の崇高さ、勇気、知恵などを扱った作品を残す。著書「夜間飛行」「戦う操縦士」、童話のスタイルによる「星の王子さま」など。任務でコルシカ島を飛立ってのち、消息を断った。
30日 アーネスト・サトウ (1843〜1929)(Sir Ernest Mason Satow)イギリス 外交官
14歳の時、ローレンス・オリファントの著書を読み日本行きを決意する、19歳でイギリスの在日公使館付きの通訳として来日、1862年から1869年まで日本に滞在する。その間、特に明治維新後において倒幕派を支持し、西郷隆盛,木戸孝允ら倒幕派雄藩の指導者とイギリス公使 H.パークスとの連絡に努めた。著書に「一外交官のみた明治維新」がある。

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