6月


2日
エドワード・エルガー(Sir Edward Elgar)(1857〜1934)イギリス 作曲家

ウスター郊外にあるブロードヒースで楽器店を経営する父親のもとに生まれました。父親は、聖ジョージ・カトリック教会でオルガニストもつとめていました。

しかし、彼は、専門的に音楽を学ぶ機会は与えられず、ライプツィヒ音楽院へ留学する夢は、経済的な問題でかないませんでした。彼は独学で勉強し、ヴァイオリン教師として収入を得るかたわら、バーミンガム市のW・C・ストックリー管弦楽団で第1ヴァイオリンを担当するなど、音楽との関わりを深めて行きました。

その後、 キャロライン・アリス・ロバーツという女性と結婚したエルガーは作曲家としての成功を目指してロンドンに新居を構えますが、得るものは少なく、1891年にはモールヴァンに引っ越しふたたびヴァイオリン教師に逆戻りします。
しかし、そのような仕事の合間にも作曲活動を続け、ついに「エニグマ変奏曲」が大きな評判となり、彼は一躍名声を手に入れることになります。

このあと作曲した行進曲「威風堂々」は、やはり大評判を得ました。特に第1番の中間部の旋律は「戴冠式頌歌」の終曲「希望と栄光の国」に転用され、第2の国歌と呼ばれるほどになります。

その後オラトリオを中心に創作活動を続け、何度かの挫折も味わいながら国際的に認められていきます。そして、1904年にはナイトに叙せられてその名声は揺るぎないものとなりました。

その後も、意欲的に活動を続けていましたが、しかし、1920年に妻アリスが亡くなり。いつも自分を支えてくれた夫人の死はエルガーにとってあまりにも大きく、その後は創作意欲をなくしたのか、あまり曲を残していません。そしてアリスの死後14年後エルガーも76歳で亡くなりました。
彼は32歳の時、退役少将の娘で8歳年上のカロライン・アリス・ロバーツと結婚しました。彼女はまだ無名だった彼の才能を信じ、心の支えとなり、そして、彼は妻のためにたくさんの曲を書きました。バイオリンとピアノのための小品「愛の挨拶」はその代表作です。
エドワード・エルガーの代表作のひとつ、行進曲「威風堂々」は、1901年にロンドンで初めて演奏され、大成功をおさめ、当時のイギリス国王エドワード7世の耳にもとまりました。国王はこの曲のメロディを「いずれ世界中に広まるだろう」と絶賛し、エルガーに歌詞を付けることを勧めました。そこでエルガーは、このメロディにイギリスの高名な作家A.C.ベンソンの祖国を讃える内容の詩を付け、「希望と栄光の国」というアルト独唱、合唱団とオーケストラのための曲を作りました。さらにこの曲は歌曲にも編曲され、国歌につぐ国民的な愛唱歌となっていったのです。
威風堂々のエピソード
国王であったエドワード七世は、中間部の旋律が流れると、その威厳に起立したため、側にいた聴衆がこれにならって全員起立したそうです。
エニグマ変奏曲のエピソード
モールヴァンでエルガーはすばらしい友人に恵まれ、充実した生活を送ることができました。彼は、このことに感謝し、妻をはじめ親しい友人たちを音楽で描写し、この作品をそれらの友人に献呈しました。
その後、1899年に初演されたこの曲は、大きな評判となり、エルガーは一躍名声を手に入れることができたのです。


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