6月


22日
エリッヒ・マリア・レマルク(Erich Maria Remarque)(1898〜1970)ドイツ 小説家

ドイツのウエストファーレン、オスナブリュック市に生まれました。家庭はカトリックを信仰する製本屋でした。18歳の時、ギムナジウムの級友とともに第1次世界大戦に出征し、西部戦線へ配属されましたが、負傷してしまいます。1918年のドイツ敗北後、病院を退院し復員しています。

その後、小学校教員、ゴム会社勤務を経て、ベルリンでジャーナリストとなり、雑誌などに記事を寄せていましたが、自らの体験をもとに、1929年「西部戦線異状なし」を発表して一躍有名になります。戦争の残酷さを、俗語を駆使してリアルに表現したこの小説は、25ヵ国語に翻訳され、350万部という大ベストセラーとなりました。

ところが、第二作目の「帰り行く道」も反戦的気分が書かれていたため、ヒットラーのナチスに迫害され、1932年にスイスへ亡命します。

ヒトラー政権が樹立した1933年、「西部戦線異常なし」は宣伝相ゲッベルスの指揮のもとでベルリン、オペラハウスの前で焚書となっています。さらに5年後の1938年には、ドイツ政府はレマルクの国籍を剥奪しています。

その翌年、彼はアメリカ合衆国へ亡命。1947年にはアメリカ市民権を得ました。第2次大戦後は「凱旋門」を発表し、この本は200万部のベストセラーとなり、ふたたび世界的な名声をはくしました。続いて「命の火花」「愛する時と死する時」などを発表しました。
彼の作品は、その多くが映画化されていますが、彼自身も1958年、自作「愛する時と死する時」の映画化にさいし、老教師ポールマンとして出演しています。
西部戦線
第一次世界大戦中、ドイツ軍が連合軍と対峙(たいじ)したドイツ西部国境(フランス東北国境)の戦線。

西部戦線異状なし
第一次世界大戦中のドイツ。ポールと友人たちは、愛国精神を説く先生に半ばのせられ出征志願しました。しかし、実際の戦場は、想像以上の悲劇に満ちていたのです。「西部戦線異状なし」と報告された休戦直前のある日の主人公の死をもって終る、戦争の悲惨さを描いた反戦文学の傑作です。ベストセラーとなり、30年アメリカで映画化された。
レマルクの女性関係

ディートリッヒ
ディ−トリッヒの男性関係は、派手でいずれも本物の男ばかりでした。俳優のジャン・ギャバン、二十八歳年下の作曲家、バート・バカラックなど、知的でマチョタイプが彼女の好みだったそうです。なかでも特別なのは、作家のエリッヒ・レマルクで、彼はフットボールのクォーターバックにでもなれそうな大男でした。彼は『西部戦線異状なし』でデビューしましたが、その後は、ヒット作が続かず、それを支えたのが、ディートリッヒだったのです。そのかいあってか、次作の『凱旋門』は大ベストセラーとなりました。

ゴダード
ゴダードが47歳の時、レマルクと付き合っていました。彼の著書「黒いオベリスク」はゴダードのために書かれたものだといわれています。ところがおかしなことに、2人は結局一度も同棲しておらず、ゴダードは形だけのレマルク夫人を楽しんだのです。ところが、彼の死後は、遺産相続で色々ともめてしまったようです。


   トップページに     今日生まれの偉人伝に