6月


17日
シャルル・フランソワ・グノー(1818〜1893)

フランスの歌劇作曲家

パリで、父は画家、母はピアノ奏者の家庭に生まれました。幼いときから文学、美術など広く芸術教育を受け、パリ音楽院に入学して作曲を学び、1839年ローマ大賞を受けてローマに留学をして中世教会音楽を研究しました。

パリに帰って後、オルガニスト・作曲家として活躍し、シューマンやベルリオーズの音楽にふれて歌劇に興味を持ち「サフォー」を作曲して歌劇作曲家の第一歩をふみ出しました。彼の音楽は穏やかな叙情性を特徴としており、1859年には名作「ファウスト」が初演されて大成功をおさめ、ついで「シバの女王」「ロメオとジュリエット」でさらに名声を高めました。

晩年には宗教音楽に戻り「オラトリオ」などを作曲しましたが、「ファウスト」を中心とする優美な歌劇は後世のフランス歌劇に大きな影響をあたえました。「セレナード」「アベ・マリア」などの美しいメロディーも彼の作曲です。
ファウスト
一六世紀ドイツの伝説中の人物。15世紀末から16世紀にかけて実在した錬金術師ゲオルク・ファウストに、種々の魔術伝説が結びついて形成された人物で、悪魔と契約を結び、その魔力によって、豪奢と快楽を手に入れるが、契約期限が切れると悲惨な最期をとげたといわれる。
「ファウスト博士物語」として一六世紀末に集成され、イギリスの劇作家マーローの「フォースタス博士の悲劇」で初めて文学に登場。後にゲーテ、トーマス=マン、バレリーらの文学作品やグノー、ベルリオーズ、リストらの音楽作品の素材となった。
「ファウスト」は。ゲーテの作品を歌劇化したもので、初演のフランスでは不評でしたがドイツでの上演で好評を博しました。
なぜフランスで不評だったかというと、バレエ場面がなかったため、バレエ好きのフランス人に受け入れられなかったのだといわれています。
10年後、パリ・オペラ座での上演の際にフランス歌劇の伝統に従ってバレエの場面を挿入し好評を博しました。
バレエが登場するのは最終幕の「ワルプルギスの夜」の場面で、これはベルリオーズの幻想交響曲の第5楽章と同じで、5月1日の前夜、ハルツの山に魔女が集まって饗宴を繰り広げるという設定です。
ロミオとジュリエット
シェークスピア作。ルネサンス期のイタリアのベロナで、互いに不和の間柄の名門モンタギュー家のロミオとキャピュレット家のジュリエットとの悲恋物語。

6月


17日
イーゴル・ストラビンスキー (1882〜1971) ロシアの作曲家

ペテルブルグに生まれました。バス歌手を父に持つ音楽的環境で育ち、子どもの時からピアノを習い、演奏会を開くなど早くから音楽に親しんでいましたが、両親の希望で官吏の道を目ざしてペテルブルグ大学の法学部に入学し法律学を学びました。

しかし、20歳の夏に作曲家になる決心を固め、リムスキー・コルサコフに師事し、作曲の基礎を学び、独創的な手法で軽妙な交響曲を作って認められ、1910年にはバレー曲「火の鳥」が、パリで初演され有名になりました。

その後も、1911年に「ペトルーシュカ」、1913年には「春の祭典」と次々と発表し、この三大バレエ作品で名声を確立しました。

しかし、第1次世界大戦とロシア十月革命によって故国ロシアに帰れなくなり、スイスの各地を転々としながら作曲を続け、1934年にはフランス国籍を獲得し生活してましたが、第2次世界大戦が始まり、彼はその難を逃れるためにアメリカに渡りハリウッドに定住し、1945年にアメリカの市民権を得たのでした。

晩年、彼は十二音技法に興味をもち、「カンティクム・サクルム」「説教・説話・祈り」「レクイエム・カンティクルズ」など、十二音技法による宗教音楽を数多く残し、1971年4月6日ニュー・ヨークで亡くなりました。
彼は、多くの国を渡り歩きましたが、そのためか、彼の作品はあるときはロシア的であり、またあるときはフランスの、そして、またあるときはアメリカ的であるというように作風は変化を続け、カメレオンのように二転三転したため「1001の顔を持つ男」「カメレオン」などといわれたそうです。


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