6月 20日 |
ジャック・オッフェンバック(Jacques Offenbach )(1819〜1880)ドイツ オペレッタ作曲家(ドイツに生まれフランスに帰化) ドイツのマイン河畔のオッフェンバッハに生まれました。彼は父からヴァイオリンを学びますが、1833年に学長ケルビ−ニの推薦でパリ音楽院に入学します。 しかし彼は1年で退学し、劇場付オーケストラのチェロ奏者をしながらアレヴィに作曲を学びます。その後、しだいに作品が認められ、またチェロ奏者としてサロンでも知られるようになりました。 革命騒ぎでパリを離れることもありましたが、テアトル・フランセで作曲家として幕間の音楽を書いていました。1855年(パリ万国博覧会が開催された年)にブフ・パリジャンという小屋を持って自作の上演を行って成功を収めました。 その後、1858年有名なオペレッタ「天国と地獄」(原題:地獄のオルフェ)を上演して成功を収め、以後彼のオペレッタ作品は次々と上演され名声を獲得していきました。1860年にフランスに帰化し、翌年にレジオン・ドヌール勲章を受けました。 しかしオッフェンバックも晩年になって、真面目なオペラで名を残したいと考え、もう一つの代表作「ホフマン物語」を完成させました。第2幕の美しいメロディが「ホフマンの舟歌」として知られるこの名作オペラにより、彼の名前はオペラでも有名になりました。 オペレッタ(イタリアoperetta「小さいオペラ」の意) オペラより小形式で音楽も軽妙な、地口的要素を含む歌劇。一九世紀後半、喜歌劇。軽歌劇。 |
ジャック・オッフェンバック。フランス人作曲家と思われがちですが、彼はもともとドイツ生まれのユダヤ人で、オッフェンバックというのは、彼が生まれたドイツの地名、オッフェンバッハ・アム・マインから取ったものです。 |
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オッフェンバックの生きた時代というのは、いわばワーグナー全盛期の時代でした。そういう中でオッフェンバックは“ワーグナーの誇大で退屈な音楽”を敬遠したほとんど唯一の人で、彼みずから退屈防止保険会社なるものをつくろうとしました。長大で深刻なものが嫌だったのです。 |
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彼の作品は、民衆に圧倒的に受け容れられ、その常打ち小屋ブッフ・パリジャン座には王侯貴族も馬車で馳せつけたほどでした。その陽気な音楽から彼は“ビタミン・オッフェンバック”とか“シャンゼリゼのモーツァルト”などとよばれていました。 |
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「舟唄(バルカローレ)」はイタリアのゴンドラこぎの人たちが舟を動かす時に歌った唄です。 この曲は森永製菓の100周年記念キャンペーンのテレビ・コマーシャルでも使われていました。CMで使われていたのは、シャルロット・チャーチという現在ロー・ティーンのイギリス人少女の歌でした。ちなみに彼女のセカンド・アルバム「シャルロット・チャーチ」の中にも「舟唄(バルカローレ)」は収録されており、彼女の透明な歌声を楽しむことができます。 |
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