6月


1日
ミハイル・イワノビチ・グリンカ (1804〜1857) ロシア 作曲家 ロシア国民楽派の祖

ロシアの西部にある、ヨーロッパとモスクワを結ぶ街道の要地スモレンスクのノボスパススコエの貴族の家に生まれました。成長してJ.フィールドやC.マイヤーにピアノを学び。1830年にイタリアへ行き、その後ベルリンのS.デーンに音楽理論を学んでいます。帰国後は、ロシア国民音楽の創造に全力を注ぎました。

19世紀前半のロシアでは、ドイツ、イタリア、フランスなどの音楽的先進国の勢力が強く。ロシアの貴族達は、ドイツ音楽やイタリア・オペラに夢中になり、ロシア独自の音楽は廃れ、一般民衆のための芸術音楽はほとんど皆無に近い状態でした。彼は、そんな状況を何とか改善したいと思い、ロシア独自の国民的な音楽文化を築き上げようと決意します。

しかし状況は厳しく、彼の代表的な二つの歌劇「イワン・スサーニン」と「ルスランとリュドミラ」はどちらも失敗に終わりました。両作とも現在では傑作とされ、特に後者は序曲だけ単独で演奏される機会に恵まれ、現在は大衆的な人気を博しています。しかし、当時のロシア貴族には、ロシア民族音楽を取り入れたオペラなど、野暮ったいものとしか思われなかったのです。

落胆したグリンカは心の傷を癒すため、ヨーロッパへ旅行し、そこでベルリオーズに励まされ、スペインでは強烈な民族音楽を堪能します。その結果2つのスペイン序曲、「ホタ・アラゴネーサ」と「マドリードの夏の夜の思い出」が生み出します。ここで見せたオーケストレーションの見事さは「カマリンスカヤ」でも発揮されています。

彼は、保守主義者からは攻撃されながらも自己の主張を貫きとおし、やがてロシア5人組にその影響をあたえ、国民楽派の基礎を築きあげました。
ベルリオーズ
フランスの作曲家 (1803〜1869)
ロマン的、劇的な傾向が強く、標題音楽の新しいジャンルを開拓し、音楽理論家としても業績を残す。代表作は、「幻想交響曲」「ファウストの劫罰」など。

五人組
バラキレフ、キュイ、リムスキー・コルサコフ、ボロディン、ムソルグスキーの5人を指し、ロシア近代音楽を築き上げた。
「ルスランとリュドミーラ」
初演は不評でしたが、序曲だけ単独で演奏される機会に恵まれ、現在は大衆的な人気を博しています。

プーシキンの叙情詩にもとづいた物語で、リュドミーラをめぐる3人の騎士の苦心談の中に悪虎や魔法使いなどが登場するおとぎ話風構成です。

序曲はニ長調2/2拍子プレストで激情的ともいえるほどに活発な第1主題からはじまり、ルスランの歌うアリアにもとづく第2主題へとうけつがれてゆき、快適なリズムと力強い盛りあがりのその項点できっぱりと終結します。
ちなみにこの歌劇は、第4幕のチェルノモール行進曲が、非常に大胆な手法で作曲されており、それがシェーンベルクらが到達するよりもずっと以前に無調音楽の一種を駆使して書かれていることから、今日でもロシアの自慢の種となっているそうです。
なお1843年ロシアに演奏旅行したリストが注目してピアノ曲に編曲しています。
「イワン・スサーニン」
この歌劇は、政治的事情で“皇帝に捧げた命”と改題された時期があったそうです。


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