トップページへ  
  『原点にもどる』 お寺とは?

 2011年の宗祖親鸞聖人の750回御遠忌法要では、同時にその特別記念事業として、木造建築では世界一といわれる、本山・真宗本廟(東本願寺)の両堂のご修復をいたしました。
 さて、私たちの宗派であります「浄土真宗」は鎌倉時代に遡ること800年近くの歴史を持ちます。ちなみに、真宗教団連合(真宗教団十宗派で構成)により立教開宗は、『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』制作の1224年4月15日とさだめられています。(大正12年に立教開宗七〇〇年記念のために真宗十派協和会が組織され、毎年4月15日に法要を勤めることがさだめられました。)
 また、真宗大谷派は、「お東」と呼ばれ、浄土真宗本願寺派(「お西」)ともに、真宗教団の中心を成しています。と同時に、日本の仏教教団の中でも、その占める位置というのは、主要四大教団(曹洞宗・浄土真宗本願寺派・真宗大谷派・浄土宗)の一角を占めています。
 ということは、長い伝統を持ち、かつ大教団である私たちの真宗大谷派は、日本の社会の中でも、その教団の動向は、大いに影響力を持つものであり、また注目もされているのであります。同時に、仏教教団として、教えを弘め開いていく、また伝達していく責任を果たす事を社会から大きく求められています。というよりも、時代社会の課題に宗教団体としてどう応えていくのか、その役割を果たしていく事が社会との約束事なのではないではしょうか。
 そこで少し足元を省みますと、多くの真宗寺院の成り立ちは、村に仏法を聞く人たちのつどいができますと、その仏法を聞く仲間のどなたかのお家が、聞法の道場として定まり、そこにご本尊を置き、やがて「お寺」となったといわれております。したがって、「お寺」イコール○○さんのお家という出発点での成り立ちがあります。(住職の世襲制、解散時の残余財産の帰属先が住職にあることなどは、この成り立ちに一因があるようであります。)
 しかしながら、私もそうでありますが、「お寺」に長く居住すると、いつのまにか率先して聞法の場に座るべき自分を忘れ、拝む存在から拝まれたい存在に変身してしまうのです。すると同時に、ご門徒と共にといいながらも「してあげる」という意識になってしまうのです。
 長い歴史の中で、お寺が権威化され、そこに住む者も変わってしまったというよりは、私たちの誰もが持っている権威主義が、お寺を変えてしまったと言えます。仏法が聞こえてくる聞法の道場のご本尊のお給仕をさせていただき、その場所を聞法の場として開いていくのが、「お寺」に住む者の役割であります。繰り返しこの『原点にもどる』歩みが、宗門の歴史・伝統としてわたしたちにうながされてきているのではないでしょうか。
 このたびの御遠忌・両堂ご修復を機に、お寺を「我城」から聞法の道場たる「法城」に、そして悩めるもののオアシスに取り戻していこうではありませんか。

合掌(禿)





先頭のページ 前のページ 次のページ 末尾のページ