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  『一年の計は元旦にあり』

 いささか旧聞ですが、2002年の日本新語・流行語大賞の候補の中で、もどうも気になる言葉が「偽装」でした。
 その年は、一流企業が新聞の下段に毎日のように「訂正とお詫び」なる謝罪文を掲載し、またテレビでは責任者が頭をたれ、お詫びお詫びの連続でありました。あきれかえるとともに、まさに「欲にきりなし、地獄に底なし」であります。たまたま魔が差したような出来事として詫びてはいますが、実は欲に目がくらんだ末の出来事でありましょう。高く掲げた会社の創立理念などどこかへいってしまって、利益追求のために嘘偽りの有り様になってしまったのです。

 さて「一年の計は元旦にあり」とはよくいわれます。まず今年はどんな年でありたいか、しっかり計画を立てることが大切であるということであり、行きあたりばったりでは何事もうまくいかないということでしょう。また同時に「初心忘るるべからず」ということでもありましょうか。
 特に、「計」は、計画の計、計算の計でありますが、「かぞえる・はかる」という意味があります。一年の始まりの元旦にこれから一年間の計画をしかと立てることと同時に、昨年一年間に、様々な方々からおせわになった御恩と、いただいた様々ないのちを数え、あわせてその数えきれない御恩によって生かされてきた私の重さを量るということではないでしょうか。

 「後生の一大事」の「後生」は、生きている背景、後ろ側、つまり支えてくれているものということでもありましょう、「一大事」とは、そのことを知らずしては生きることは成就しないことを教えていただいているのですが、そのことを知らされ気づかされれば、私の人生を最後の生として、しかと生きていかなければならないということではないでしょうか。

 ご恩をいただく大晦日、そしてその喜びをもって歩み始める元旦。実は「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えさせていただくごとに、本当はそこに大晦日と元旦が一緒にやってきていたのであります。
         (かむろ)



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