トップページへ  
  『大同小異』

 2011年は、宗祖親鸞聖人の750回御遠忌法要の勤修の年でありました。同時に「宗祖親鸞聖人とは」そして「御遠忌とは」という問いが一人ひとりにいよいよ迫ってまいった年でもありました。
というよりも、「御遠忌」という節目を迎えるにあたって、「親鸞聖人」の方から私たちに近づいてくださったのではないでしょうか。大変有り難い、また申し訳ない年でありました。

さて、そのようなわたくしたちの周りは、特に、アメリカの同時多発テロからアフガン空爆、そしてイラク戦争と、絶え間なく「戦争」が続いる中で、戦争地域への自衛隊派遣、教育基本法の改正、新しい国立追悼施設の建設等々、過去の過ちを忘れているかのごとき有様を示しております。何か大きな流れに押し流されていくようで、恐さをぬぐいきれずにいるわけでありますが、そのような中で次のような話をお聞きしました。

あるレストランは夜10時からバ―タイムになる、客が1人の時もあるが、オーナーは次のような理由で時間帯の変更はしないそうであります。
「スーパーマーケットの商品には8対2の割合の法則があり、たとえば10個の内8個は売れ筋を、2個は高価でも上質の品を並べる。すると2個にも必ず購入希望者がおり、しかも着実なリピーターになることが多いそうである。もし少数派を切り捨て、多数派に迎合すると、客僧に変化が表れ、やがて存亡にかかわる事態になることもあるという。これはレストラン経営にも言え、少数でも、良質の会話や情報をもたらす客は、新たな客を誘うことになる。」というのであります。

「大同小異」という言葉を思い出します。私たちは案外この言葉の意味を「小異を棄てて大同につく」と理解しておりますが、中国の人たちは「小異を存して大同を求める」と考えるそうであります。これが本来的な意味であろうと思いますし、また大切な視点であると思います。
大きな流れに押し流されていく時、そこに大切なものを見失っていくのではないかと思わずにいられませんし。「小異」の中にこそ生きることの敏感さがあり、原点に帰る矢印があるのではないかと思われるのです。

         (かむろ)



先頭のページ 前のページ 次のページ 末尾のページ