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  『刺激の洪水』

 現代社会は、365日・24時間営業で、さらにあらゆる事柄のスピードがアップし、めまぐるしく環境が変化しています。そのため、私たちは、知らず知らずのうちに絶え間ないストレスにさらされ、心のエネルギーを知らず知らずのうちに目減りさせているのです。
 日本は「疲労大国」といわれています。国連の調査では、15歳から65歳で疲労を感じている人は59パーセント。さらにその半分の人は、半年以上疲労感が続いているといいます。ちなみに、「疲労」と「疲労感」とは異なります。仕事で成果が上がると、達成感や快感から「疲労感」を感じませんが、実際は、知らず知らずのうちに、体に「疲労」がどんどん蓄積されています。やりがいを持って仕事をしている人ほど過労死が多いと言われているのはそのためだそうです。
 映画監督の大林のぶひこさんは、以前「まあい」という話をされていました。サッカー国の少年が日本で野球を見て、「外野のところには一度も玉が飛んだことがなかったけれど、その外野の選手はいったい何をしていたの」と言ったのです。野球は不思議な遊びで、「まあい」があって、そしてその「まあい」がゲームに必要である。しかし、サッカーは常に全員が動き回る。そして見ているものをあきさせない。映画はかつてはそうだった。「まあい」がその映画のよしあしを決めていた。今は映画もすべて動き回る。そしてその楽しさを人々は好む。
 さて今、サッカーのワールドカップに日本も出場しており、すさまじいサッカー人気です。そういう私もテレビにかじりついていますが、よく考えてみれば、ヒットしている映画も同じで、見ているものをあきさせない、まさに、刺激の洪水の中にいるようであり、それに快感をおぼえ、私たちは喜んで見、満足感を得ているのです。
 「私は大丈夫です」と思っている方。実は知らない間に退屈な時間がすごせなくなっているのです。また、我慢ができなくなっているのです。だからすぐキレルのではないでしょうか。そしてストレスか溜まり疲労が溜まっているのです。
 「人間」。人の間(あいだ)と書きますが、その間を、「まあい」と考えると、現代はその「まあい」がない。「刺激の洪水」に酔っているときはいいけれども、酔いが醒めると、周りの人がまったく見えていなかったために、人間関係がギクシャクしてくるのではないでしょうか。
 宗祖親鸞聖人の七百五十回御遠忌テーマは、「今、いのちがあなたを生きている」であります。「まあい」というものを「人(相手)を感じる心」とするならば、同時にそれは「いのちを感じる心」であるといえるのではないでしょうか。
 あらためて、何もたさない何もひかない「いのち」そのものの意味をゆっくりといただきなおなす歩みを始めようではありませんか。

合 掌(禿)






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