当時、肉食妻帯は僧侶にあるまじき行為でありますが、現代を生きる私の日常生活に非常に近い生活形態であるため、とても親近感を覚えます。そしてそこに一人でなく二人で歩く人生、それぞれの人生の成り立つ背景を考えれば、自分一人の世界よりも二人の世界は二倍どころかとてつもなく広がる世界を感じるのであります。 しかしながら親鸞聖人を想うときの大切なキーワードの受け取りはこれでいいのでしょうか。当時の社会において僧侶が結婚することの重大さ。書は人なりといいますが、親鸞聖人のあの激しい字体。なんとか死罪を免れたとはいえ越後流罪の重さ。親鸞聖人を人生の依り処としていただくとき、生暖かい親鸞聖人像ではどうも違うような気がしてなりません。 |
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