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  柿の種

 2013年、大好きだった天野祐吉さんが亡くなられました。連如上人五百回御遠忌法要のときに本山にて講演していただいたのを思い出します。その天野さんが長年書いてこられた朝日新聞のコラム『私のCMウォッチング』の第1回目(1984年)の題が「違いがわからない」でした。当時のコーヒーのCMでもてはやされていた「違いがわかる男」というフレーズについて天野さんは「「違いがわかる男」がそれだけ強調されるといういうことは、違いがわからない男がそれだけ多いということである」、また「違いというと性能や品質の違いだと思いこんでいる」「いい悪いのモノサシで計れる違いしか違いと思わない」、そして「いい悪いのモノサシのほかに「好き嫌い」のモノサシでも計っている」。最後に「違いがわからないボクたちはホント悲しい」と語られていた。(2013・11/18朝日新聞)

 そういえば、食品偽装(2013に流行?)も、あれよあれよというまに、一流ホテルに一流料亭などなど、まさに多くのところでお詫びの連呼。まあ、居酒屋やスーパーの「ひしゃも」が「カペリン」であることは誰でも知っていますし、くるくる寿司のネタが・・・ということもみんな薄々気が付いていましたが、一流どころの「○○産の○○」がまさか偽装とは、高い料金を払っていることもあり、誰も思っていなかったのではないでしょうか。とはいうものの、偽装も悪いが、それを疑わないし、分からないという方も問題じゃないでしょうか、つまり「違いがわからな」くなっていたのです。 「美食は悩みを忘れさせる」という言葉もありますが、美味しいものが大好な私も、大変ショックでありました。

 先日、新潟県の燕三条の駅で「柿の種」を買いました。「ホワイト柿チョコ」をはじめ全6種類。とても美味しかったのですが、コーティングされた味が強すぎて、元々の「柿の種」の味がわからないのです。でもこれがまた欲張りな味覚に応えるがごとく、とても美味しくできているのです。いうなれば、何を食べているかわからなくて、まさしく表面だけ(名前とブランドと料金)を見て、中身が見えていないという状態でした。

  「柿」には「種」があります。そして人間にも、「種」があります。表面に惑わされず、内面にある「種」を探さなくては、いただいた人生を全うできない気がいたします。一日一日と時間は過ぎていくわけですが、「また一つ年とった、年とる度に目が開いて、世の中少し広くなる」と教えられるように、どうも、寄る年波は、眼を内に向けるようです。
なんとか、仏法聴聞の人生といたしたいものです。        合 掌(禿)




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