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  御遠忌とは −合わす手の中に−

 「御遠忌法要」といいますのは、毎年欠かさずお勤めする「報恩講」とは違い、50年に一度の大きな年回法要であります。私は、この「御遠忌法要」を「御(おん)願いが、遠い彼方から、今、私(己、おのれ)の心に届いた」ことに対する御礼の勤行といただいております。
 この「御(おん)願いが、遠い彼方から、今、私(己、おのれ)の心に届いた」という歴史は、釈尊誕生以前から続くもので、七高僧、親鸞聖人をはじめとする、数え切れない多く念仏者、そして私たちの御先祖により、願い願われて、今、私の心に届いた歴史をいうもので、「御遠忌法要」は、その歴史に私も参加することを誓う式でもあります。

 では、「御(おん)願い」とはいったいなんなのでしょう、それも釈尊誕生以前から続く「御(おん)願い」とは・・・。いつも持って、はかなく消えていく私の願いというものとは違うのでありましょう。また、はかりきれない歴史の長さからいうと、それは人類共通のものであり、誰にでも共有できるものでありましょう。そして、誰もが本来持っている人類誕生から永遠と続く願いでありますから、この「御(おん)願い」は人類にはどうしても必要であり、きっと人類を目覚ましめる「はたらき」をもっているに違いありません。
 「御遠忌法要」は、この「御(おん)願い」を、合わす手の中にいただいていくことではありませんか、そこに、釈尊・七高僧・親鸞聖人・数え切れない多く念仏者・御先祖の眼差しを感じていくことでありましょう。

 そこで聞こえてきます
「おまえの生き方、本当にそれでいいのか?」と。
50年に一度の大きな叫びです。しっかり受け止めていかなくてはなりません。、仏様の眼差しの中、与えられたいのちを生ききってまいりたいと念じております。
合 掌(禿)





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