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  「入関八百年」

 先ごろ(2014年6月21日)茨城県常総市にて、真宗大谷派茨城一組「宗祖親鸞聖人七百五十回忌御遠忌・入関八百年記念法要」が御つとまりになりました。
 宗祖親鸞聖人七百五十回忌御遠忌法要は、2011年に本山東本願寺で厳修されてから、全国の別院・教区・組・寺院・教会、または同朋会やお講、さらには海外の開教区などで順次御つとまりになっています。それこそ、50年に一度の大法要でありますから、多くの方々の願いの結集となり、仏法興隆の熱い思いが湧き上がっております。

 そしてこのたびは、宗祖の御遠忌法要とともに、宗祖親鸞聖人がこの関東の地に入られて八百年目となる季(とき)をお迎えしたことを記念して法要が執り行われました。
 親鸞聖人は、建暦元年(1212年)に、越後(新潟県)にて流罪を許され、建保2年(1214年)に、「さぬき」(北関東)で、三部経千部読誦を発願され、やがて中止。常陸の国(茨城県)に行かれと記録にあります。このことから、およそ40歳のころに、越後からこの北関東(茨城県)に移られたと思もわれます。以来20年の長きにわたり北関東でお過ごしになられました。
 親鸞聖人の90年にわたる人生の中でも、長きにわたる滞在と布教の歩み、そして立教開宗の書といわれる『顕浄土真実教行証文類』(教行信証)を執筆された、大変ご縁の深い地ならではの法要でありました。

 この法要の意義は、この地で宗祖に遇われた先達の思いを、あらためて訪ねていくことではないかと思われます。この北関東の地における、宗祖と先達との、特別な学問や修行をするわけでなく、田畑を耕すなどの日々の生活の中で仏のはたらきを受け取っていかれたという歩み、つまり生活そのものを仏教とされていったその精神を、立教開宗の精神としていただくことではないかと思うのです。

 生活の一部としての仏教ではなく、仏教の中に生活があると、宗祖の人生は教えてくれているようです。

合 掌(禿)



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