子欲居的東アジア世界


2017年12月30日 更新再開 

2006年12月1日~  by 子欲居

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2018年1月20日追加。

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沖縄は中国と最も縁遠い存在なのか 
 【2018年1月20日】 ウーマン村本氏の件以来、沖縄と中国との関係について、人々の関心が集まっているらしい。ややもすれば、「日琉同祖論」に見られるように、日本との関係を一方的に強調する傾向が目立つが、言語の面などを見ると、中国大陸とのかなりの関係が際立ちそうである。1月18日にブログに載せたものを改訂の上、本ページに掲載する。。

日本民族の形成(2)日本民族の構成要素
 
 【2018年1月14日】 日本は多民族国家であり、日本民族という以上、大和族だけではなく琉球族・アイヌ族を含んでおり、「日本民族=大和族」という見方には賛同できない。琉球族に関しても、それを大和族の一支として見るのではなく、大和と対等の存在として考えるべきである。

日本人はどこから来たか!改訂版
 
 【2018年1月13日】 日本人というのは、元々は中国大陸に居住していた人間であり、それが日本列島に渡来して日本人になったと言っても、過言ではないのではないだろうか?このようなことを言うと、「いや、中国だけではない。南方、北方と色んな所から来たのだ」と反発する向きもあるだろうが、ここで注意を喚起しなければならないのは、中国というものの多様性である。
 ※主には、出典・参考文献を明記しました。

日本民族の形成(1) 筆者の問題意識
 

 【2018年1月8日】 「日本は単一民族で古くからの統一国家」という戦前皇国史観とそう変わりのない通説を壊した網野善彦の功績は大きい。しかし、壊した後の新たな日本史像がなかなか見えてこない。思うに、網野は列島の孤立性を否定して、多様性を強調したものの、それらが中国文明を「にがり」として、徐々に日本の独自性を形成していったという観点がないため、新たな日本史像を提起でききれずに終わったのではないか。     

和歌を初めて作ったのは中国人?

 【2018年1月4日】 和歌を初めて作ったのは渡来中国人だという説があるが、十分あり得る話だと思う。

太古における中国大陸からインド亜大陸への民族移動 
 【2018年1月3日】 インド文化の一つの基層をなしているという南アジア語族は太古、長江流域から稲作を携えてインド亜大陸に進出したのではないか。もし、アルタイ語族との関連が指摘されることもあるドラヴィダ人も、元は中国北方より中央アジアを経てインドに進出した可能性を考えてもいいのではないか。

日本国号は中国起源という問題に関連して
 【2018年1月2日】 そもそも、日本列島を「日の本」(太陽の下=東方)と認識するのは、西方大陸の中国人であり、列島から見れば、「日の本」は太平洋であり、根っからの列島先住民なら、このような認識は持たないだろう。

「日本」形成における中国文明の働き
 【2018年1月1日】 中国文明の日本への影響について言及した時、少なからぬ人が、日本の文化的要素は「色々な所」から来たのだと反論する。筆者は、中国大陸の色々な要素が伝わった言うべきではないかと考えるわけだが、ここで忘れてならないのは、中国漢字文明の役割である。

初期人類の婚姻形態について   
 【2017年12月30日】 初期人類が群れ内部の争いを解消できたのは、いわゆる人類学者が主張するような一夫一婦制の採用ではなく、集団婚(多夫多妻)の結果である。


2007年までの記事

子欲居的列島社会史論  
 【2007年1月21日】 内藤湖南に倣い、「応仁の乱」に始まる戦国時代を列島史上の最大画期とし、それまでの列島は雲南などと同じ中国辺境部と同じような存在であったものが、戦国以降の下からの再編統合により、現在につながる政治的文化的(国家的民族的)実態として、中国とも対等な日本が形成されたとする。

中国の南北と「南北」   
 【2007年1月8日】 現在、黄河流域に代表される中国「北方」と長江流域に代表される「南方」との間には、顕著な違いが見受けられる。しかし、このような違いは歴史的に形成されたものであり、おそらくは周代以降の産物であろう。それ以前の、黄河流域と近頃「長江文明」の名の下に注目されている古代長江流域との間に顕著な差があったとは考えられない。どちらも、定住農耕社会として、中国の南方を形成しており、北方の遊牧民と対置する存在であったのではないか。

古代エジプトのピラミッドを作ったのは奴隷か?   
 【2007年1月7日】 一般にイメージされるような「奴隷制」は古代エジプトにはなかったのかもしれないが、実質はファラオの奴隷同然の人々と言うほかないだろう。

日本と中国との文化的共通性について [小論集『中国文化が日本文化を誕生させた』]  
 【2007年1月4日】 言語が異質であるから、日中の文化が異質であるなどと言うのは、いわゆる「現代の神話」である。そもそも、言語語族区分というものは、文明や文化の問題とは何ら関係のない問題である。また、日本語だけでなく、朝鮮語もベトナム語も、「孤立した系統不明言語」であるし、日本の中の「南方」「北方」要素と称されるものも、元々中国本土にあった要素が、民族間の興亡の中で、四散した結果、南(北)に移動したり、海を渡って東に移動したりした結果なのではないか。どちらにしろ、そのような「南方」的、「北方」的要素を日本文化というものに凝集したのは、中国文化の力があってこそである。

東アジアの北方系言語と南方系言語、及び両者の混合による漢語の形成  
 【2007年1月4日】 言語学者・橋本萬太郎によれば、東アジアの諸言語は、語族の違いを超えて、「南方系」言語と「北方系」言語に大別でき、両者はそれぞれ構造上の共通点を持っているという。そして、漢語(中国語)は両者の中間に形成された、言わば「南北」混合の構造を持っているという。

中国文化が日本文化を誕生させた [小論集『中国文化が日本文化を誕生させた』]
 【2006年12月30日】 「改正」教育基本法は、我が国の伝統と文化の尊重を規定しているが、我が国の伝統と文化は決して「我が国」だけではぐくまれたものではない。中国、韓国・朝鮮はじめアジア近隣諸地域との長期にわたる交流の中で、はじめて形成されたものである。特に、中国文化の問題は単なる影響にとどまらず、中国文化の流入によって、はじめて日本文化と言えるものが形成されたのであり、つまり中国文化無くして、そもそも「日本」自体が存在し得なかったのである。

日本語の数の数え方(「大和言葉」とはどういうものか?) [小論集『中国文化が日本文化を誕生させた』] 
 【2006年12月26日】 漢字・漢語伝来以前の「大和言葉」には、20(はた)より上の数を示す言葉はない。「モモ・チ・ヨロズ」が100・1000・10000の意味を持つに至ったのも、それらの語が「百・千・万」という漢字の翻訳語(訓読み)として採用されたからであり、数を示す言葉だけでなく、「大和言葉」(和語)と称されるものの多くは、漢字・漢語の翻訳語(訓読み)として採用される中で、再編・形成されていったものであり、更に言えば、日本語自体、元からそんな言語があったのではなく、漢字・漢語の翻訳作業の中で編成・体系化され、形成されていったものである。

海と陸 日本と雲南との違い  
 【2006年12月14日】 日本はじめ朝鮮、ベトナムなどの列島・半島地域が、中国とは独立した国家と、その主体たる大民族を形成した要因について、従来よく言われた海による相対的「孤立性」とともに、海による相対的開放性が上げられるだろう。

東アジア世界史論・はじめに
  
 【2006年12月13日】 古い原稿を整理していると、かつての『私的東アジア世界』HPに載せなかった習作が出てきた。とりあえず、これに大幅に手を加えて、その「東アジア世界史論」を述べる端緒とすることにする。後、小論集『中国文化が日本文化を誕生させた』の「あとがき」として採用した。

鈴木孝夫『ものとことば』を読んで
   
 【2006年12月3日】 授業で取り上げた言語学者・鈴木孝夫の評論。確かに、「実念論」者の言うように、言葉は決して「ものにレッテルを貼る」ように作られたものではないだろう。かといって、「ことばがものをあらしめる(初めにことばありき)」という鈴木の唯名論的主張にも同意できない。そもそも、数百万年もの歴史を持つ人類は最初から言葉を持っていたわけではないのである。その生存闘争の中で、自然を始め世界に対する認識を深めていく過程の中で、人類は事物の区別を認識し、言葉を創造していったのである。

古橋信孝『「知る」-和語の文化誌』を読んで  
 【2006年12月1日】 「シル」という語が「領有する・支配する」と言った意味を持つようになったのは、「大和朝廷の日本支配の成立」、つまり日本列島において、「領有」とか、「支配」とかいった事象が出現してからだという古橋の主張に同意するとともに、子欲居は「シル」という和語が現在の「知る」の意味を持つようになった要因として、漢字の到来をあげ、「知」という漢字を「しる」と「訓読み」(翻訳)する過程で、「シル」という在来語に新しい意味が付与されたのだと主張する。そして、多くの和語について、このような関係があるであろうことを指摘し、漢字を「訓読み」する過程において、和語、しいては日本語が形成されていったのだと主張する。なお、子欲居の主張は、書道家・石川九楊氏の所説に負うところが大きい。

上記についての若干の補足
―「もの」と「ことば」の関係について  
 【2006年12月1日】 上記の授業の際、「この世に存在しないものに、名前は付かない」と説明した筆者に「それでは、河童はどうなるのか?」とツッコミを入れた生徒がいた。それで、筆者は「もの」と「ことば」との関係について整理することにした。