日本と中国との文化的共通性について



所属「語族」の一致は文化の一致を示すものではない
 日本語と中国語が全く「異質」な言語であることを理由に、日本と中国との文化的関連を否定する意見が存在するが、それに対する見解はどうか?
 日本語と中国語とが「異質」だというのは、あくまで近代ヨーロッパで誕生した「比較言語学」によれば、中国語(正確には、漢族の言語である漢語)と日本語は少なくとも、同じ「語族」には属してはいないと言うことに過ぎない。しかし、この「語族」の共通性というものは、別に何らの文化的共通性を保証するものでもない。
 それは、いわゆる「インド・ヨーロッパ語族(印欧語族)」を見ても明らかである。実際、ヨーロッパの英仏語などの言語も、中東のペルシア語も、そしてインドのヒンディー語なども、みな印欧語族に属する言語であるとされる。しかし、この語族区分というものは、言語(それも「話し言葉」)だけをみて、その言語の実際の話者を見ていない。
 実際、多くはキリスト教徒であるヨーロッパ人と、多くはイスラム教徒であるペルシア語の話者であるイラン人、そして多くはヒンズー教徒であるインド人との間に、「語族」が同じと言うことだけで、言うにたるほどの文化的共通点があるのだろうか。
 むしろ、語族的には別でも、英仏人とハンガリー人(ハンガリー語はウラル語族に属す)が同じ西欧文化圏に属していることは明白であるし、同じく「セム語族」に属するアラビア語の話者であるアラブ人とイラン人が、大枠では中東イスラム文化圏に属していることは明白であろう。インドしかり、非常な民族的多様性を抱えながらも、印欧語族に属する言語を話すインド人とドラヴィダ語族に属する言語を話すインド人とが、大枠でインド文化圏に属するという共通性を持っていることは明白である。
 このように考えれば、むしろ文化的共通性のメルクマールとして大きいのは、むしろ「話し言葉」の共通性よりも、「文字」の共通性ではないか。インドはさておき、英仏人もハンガリー人も共にラテン文字を使用し、アラブ人もペルシャ人も共にアラビア文字を使用している。
 中国から伝わった漢字と、それから派生した仮名文字を使用する日本と中国との間に大きな文化的共通性があることは、文字の問題を見ても明白であるとしか言いようがない。

文字は決して単なる符号ではない
 文字は単なる符号であって、根源的なものは、「言語」であるという意見があるが?
 むしろ問われるべきは、そのようなソシュールに代表される近代ヨーロッパ言語学ではないか。実際、ヨーロッパでは、「言語」(話し言葉)的にはほとんど同一でも、使用文字が違うために民族的一体性を持てない人々が存在する。例えば、旧ユーゴスラビアのセルビア人とクロアチア人の言語(「話し言葉」)は、「セルビア=クロアチア語」と呼ばれるほぼ共通の言語であり、少なくともお互いに話して通じないと言うことはない。下手な日本の方言よりも、よほど「話し言葉」としての共通性が高いことは事実だろう。
 しかし、問題は宗教と使用文字の違いである。セルビア人はロシア人などと同じくギリシア正教を信じキリル文字を使用するのに、クロアチア人はカトリックを信じ、ラテン文字を使用し、西欧の方に所属感を持つ。これは、元々は同じ民族であったものが、どこの支配下に入ったかと言うことで生まれた文化帰属感の違いであろうが、世界には他にも類似の例がある。
 旧ユーゴスラビアというのは、オーストリア=ハンガリー帝国のように、民族的には比較的「うまく行っていた」という意見もある多民族国家を解体して、第一次大戦後作られた国である。ちなみに「ユーゴ」とは「南」という意味であり、「ユーゴスラビア」とは「南スラブ人の国」という意味である。しかし、ユーゴスラビアは「多民族・多言語」を標榜しながら、結局、上のような多様な所属文明・文化の問題を無視し、過去の血統や「話し言葉」の同一性によった「南スラブ人」の「単一民族国家」を無理やりに作ろうとした試みであったといえないこともない。結局、そのような無理な結合の結果が、「ユーゴ内戦」の悲劇を生み出したとも言えるのではないか。第二次大戦の際も、一部クロアチア人はナチス・ドイツに味方して、セルビア人を虐殺したりしている。
 確かに、人類が「話し言葉」を持っても、文字を持たない時代は、おそらく百万年単位で存続していたのであり、人類が文字を持ち出したのは、せいぜい数千年単位のことに過ぎない。その意味では、「話し言葉」の方が「本源的」と言えないこともない。しかし、文字を持たなかった時代の人類がごく小規模な集団しか形成できなかったことを考えれば、それとは比べものにならないような大きな集団を形成したの文字の力である。
 その点、文字の発生は文明の発生と機を一にしており、人類が原始段階から文明段階に入ったことを示す重要なメルクマールである。このように考えれば、人々により大きな文化的帰属意識をもたらすのは、「話し言葉」ではなく「書き言葉」、さらには文字の共通性であろう。

書き言葉の一致が、話し言葉の不一致を超えて民族の共通性を保証する
 漢族のことを言っているのか?彼らは「話し言葉」的には、全然通じ合わないものどうしが、基本的に同じ民族を形成していると言うが?
 しかり。中国全土の面積は、ロシアのヨーロッパ部分を含んだ全欧州の面積に匹敵する。それは、「話し言葉的」には、もともと中国はヨーロッパ並みの多様性を持っていると言うことである。それが、秦漢以来、漢字・漢文という「書き言葉」の共通性で民族的同一性を保ってきたのである。
 同様のことは日本にも言える。南北に長い分、日本の方言差も激しい。日本の方言差はヨーロッパに行けば、外国語並みである。特に、琉球方言と本土方言とは、「語族」系統は共通でも、明治以前までは、外国語どうしと見なされ、実際、琉球王国という「独立国」が存在していた。
 そんな言語差の激しい日本人が、一つの民族という共通性を持てるのも、漢字仮名交じり文という「書き言葉」の共通性によるところが大きいのではないか。特に、南北朝から戦国時代にかけての、社会経済の発展の結果による識字層の拡大が、現在のような日本民族の一体化をもたらしたと言えよう。

日本語の「系統不明」性は何によるものか?
 しかし、日本語は大陸のアジア諸国に「同系」語を見ない。このような「日本語の孤立性」は何に起因するものなのか?これについては、日本文化がアジアの諸文化とは別個に発展してきたことを意味するものどという意見もあるが?
 というか、「系統不明の孤立言語」は別に日本語だけではない。朝鮮語、越南(ベトナム)語にしても、諸説はあるが、「系統不明」とする説がむしろ有力である。それどころか、諸説有るものの、漢語(中国語)こそ、最大の系統不明言語と言えるかもしれない。
 このように、中国周辺の日本、朝鮮、越南という、早くから中国文明の影響を受けて、国家と民族の形成を進めてきた三大民族の言語が、皆「系統不明の孤立語」であるという事実は、非常に興味深いことである。
 日本列島だけでなく、朝鮮半島、中国大陸、アジア太平洋地域、すべて原始は、多民族・多言語状態で、現在の55の中国少数民族を連想させるような小規模で多様な人々が交流往来する地域であったと考えられる。その中で、文明の発展と共に、比較的大規模な民族も形成されていったのであるが、そういう大規模諸民族は、多くの小民族を結集して形成されたのであり、言語も、おいおい人工的な性質を帯びざるを得ない。
 その典型が漢語(いわゆる中国語、漢民族の言語)であり、言語学者・橋本萬太郎によれば、漢語は北方系言語と南方系言語の混合物であるという
(*1)。筆者などは、もともとは各民族の「話し言葉」とは性質の違った、ちょうど今の「コンピューター言語」のような「占い」(神との対話)のために、漢字を一定の規則に基づいて羅列した人口言語(「書き言葉」)であったものが、後に多民族結集のための共通語のように使われ出した可能性を考えるのである。
 おそらく、日本語、そして朝鮮語、越南語も、何かベースとなった部族の言語があるのかもしれないが、その国家形成の際の必要(国家の経営には当然、政治的文書のための「書き言葉」が必要である)から、中国の漢語・漢文の翻訳作業の中で、域内の諸系統の民族の言語を再編して作られた人工的言語であるという説に筆者は賛同するのである。だから、これらの言語の形成は比較的新しい時代に属するものと考える。

色々なところから「来た」のは日本人だけではない
 日本人は、アジアの南方・北方含めたいろいろなところから来たのであり、中国だけから影響を受けたのではないという人もいるが?
 はっきり言って、「日本人はどこから来たか?」というほどの愚問は存在しないと思う。北方から来たとか、南方から来たとか、色々なことが言われるが、それでは「北方」人、例えば以前、日本人との外見的類似性で話題になったシベリアのブリヤート人はどこから来たのか、そんなに大昔から同じ場所に住み続けて来たのか、また「南方」人、例えばポリネシア人はどこから来たのか?太平洋の孤島で発生したのか?
 実際、ポリネシア人は何千年か昔、現在の南中国から東南アジアの沿海部からカヌーで船出して、ハワイに至るまでの太平洋諸島に広がったというのが定説である。「北方」民族についても、ブリヤート人については、具体的なことは分からないが、古代中国の「北方」民族、例えば匈奴は、春秋時代、まだ「中原」(華北、当時の中国中心部)におり、それが北方に移動したのだという説もある。そして、その現在の蒙古高原にいて、漢と対立した匈奴の一部が、西方に移動して、古代ローマ末期にはフン族として「出現」し、いわゆる「ゲルマン民族の大移動」を引き起こしたことはほぼ定説となっている。
 このように、民族というものは移動するものであり、大昔から、そこに定住していた民族など存在しない。
 そもそも、現在の日本列島、朝鮮半島、シベリア、中国本土、東南アジア、さらに広範な南アジア、太平洋諸島などは、大枠で一体の地域であり、それどころか、モンゴロイドは南北アメリカ大陸にまで移住している。
 そこには、大きくても、2~3千人を超える集団など存在せず、非所に多種多様な人々が、移動を繰り返していたといえる。移動を妨げる現在のような国境線もないし、ポリネシア人の例を見ると、海だって移動を妨げるものではなかった。それに比べれば、日本と大陸の間の海など、それこそ「一衣帯水」(帯のように細い海)であり、移動にそれほどの困難が伴ったとは思えない。
 色んな所から、日本列島に人々がやってきたというよりも、広範なアジア太平洋地域は、大枠で一体であり、色んな人々が居住し、移動を繰り返していたと考えるべきである。
 そのような、今でいう少数民族のような人々が、文明の発生とともに、より大きな民族、しいては国家を形成していくのであるが、それらが中国であれ、朝鮮であれ、日本であれ、ベトナムであれ、国家の形成に際して、色んな人々を結集したことは言うまでもない。
 その際、日本列島において、色んな人々を凝集するのに必要であったのは、列島に流入してきた先行中国文明であったということである。
 日本に「南方」的要素があるというのも、実際に南方から人が来たというよりも(そういうこともあったかもしれないが)、もともと現在の中国本土にいて四方に移動した人が、あるものは現在の南方に移動し、あるものは東して海を渡って日本列島にやってきたのかもしれないし、南方に移住してから列島にやってきたのかもしれない。「北方」的要素、その他、しかりである。
 実際、東南アジアのタイ人などの祖先は紀元前には長江流域に居住(その前には黄河流域に居住)ていたという。よく雲南の少数民族中に日本と類似の文化現象が見られ、一部で「日本の源流」と言われるのも、元々も中国中心部に住んでいた同じような文化を持った集団が、民族間の争闘などが原因で、あるものは東の方、日本に渡来したのに対し、あるものは南西、雲南の方に移動した結果かもしれない。
 中国での文明の発生、秦漢巨大帝国の出現という大激動の中で、民族間の興亡はすさまじく、中央部での民族間の争闘で敗北したものは、勝者に同化されるか、周辺部に逃げるほかなかっただろう。また、それが民族間のドミノ的移動を引き起こしていったことも十分考えられる。
 この際、指摘すれば、中国もまた、昔から漢族という巨大民族が居住していたのではなく、春秋・戦国から秦漢帝国の成立によって、当該地域住民が一体化され、現在に続く漢族となったのである。実際、その「話し言葉」の非常な多様性を見れば、漢族が非常に多様な人々から構成されたことが分かるし、「日本人」(「大和族」と言っていいと思う)もまた、程度の差こそあれ、漢族と同様、多様な要素から構成されているのである。
 最後に指摘すれば、色んな構成要素からなる漢族を結集し、その一体性を保障した重要な要素は、漢字・漢文という「書き言葉」であるし、日本の場合も、中国から伝わった諸文化、わけても漢字・漢文、そしてその翻訳作業の中で構成された漢字仮名交じり文という「日本語」であったのである。

(*1) 拙文『東アジアの北方系言語と南方系言語、及び両者の混合による漢語の形成』を参照のこと。


  2007年1月3日 



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