西尾幹二『国民の歴史』批判投稿録


 最初、同時期に更新していた『歴史雑談』ホームページを載せていましたが、既に失われているページも少なくなく、替わって本文を掲載することにしました。1999年末から2000年初めにかけて、ヤフー掲示板『国民の歴史』トピックに投稿した筆者(当時のハンドルネームはSumikomama)の投稿記録です。他者の投稿は当然省いてあります。また、掲載に当たっては一部の誤変換等を訂正しました。また、お断りしておきますが、>の付いた部分は、筆者の発言ではなく、他者の発言であり、筆者がそれに応答するために引用した箇所です。これは当時(たぶん、現在も)の掲示板論戦の慣行でした。今回は、分かりやすいようにフォントカラーを変えておきます。ですから、青文字の部分は他者の意見で、筆者が批判のために引用した箇所です。それと(  )内の数字は同トピックへの総投稿数(他者の投稿も含んだ数字)です。

1(70) 人種的には皆黄色人種、同じです 1999年12月22日14時3分
 人種は、民族とは違って、生物学的特徴であって、文化的特徴の相違を示すものではありません。確かに、insiaさんのおっしゃる通り、朝鮮・韓国人、中国人、日本人、皆黄色人種であり、文化的な民族の違いはあっても、人種的な違いは言うほどのものではありません。
 また、民族的な違いといっても、日本列島の住民が、そんなに古くから文化的一体性を持っていたわけではありません。例えば、西日本人にとって、朝鮮半島の人間も、東日本の人間も同じく異民族であるような時代は案外、長期に渡って続いたのではないでしょうか。よく日本文化の東西差異とか言いますが。例えば、この頃でこそ、関西でも東日本の納豆や朝鮮のキムチも同じように食卓に並びますが、納豆が、関西でも店頭に並ぶようになったのは、まだ戦後の話だといいます。古い関西人の中には、キムチよりもむしろ納豆に違和感を示す人が少なくありません。
 
2(73) アジアの一部、日本1999年12月23日22時12分
 西尾氏の本に充満していると感じたことは、逆説的な言い方になるが、中国に対する言われなき劣等感である。一見、中国に対する優越感と見えるものは、むしろ中国に対する劣等感の裏返しに過ぎない。しかし、日本が中国などから文化的影響を受けてきたことが、それほど恥じるような事なのだろうか。
 実際、「日本は孤立した島国」などは、全く史実に反することであろう。これは、せいぜい江戸時代の鎖国によって初めて実現しえた事柄であろう。鎖国以前の列島には、結構、恒常的に中国や朝鮮から人の流れがあったのではないか。こんなものは、なかなか記録に残らないが。例えば、赤穂47士の一人は、祖父が中国人だったという。一般に孤立していたと言われる縄文時代でも、結構海を通じた流れはあったらしい。交通の発達していない過去においては、陸路より海路の方がむしろ便利である。陸路、近畿から、関東・東北に行くよりも、海路、朝鮮半島に行くほうが便利な時代があったのではないか。また、中国との公的関係が断たれても、私的な中国船などは結構、列島各地に渡来したらしい。

3(75) そもそも日本が昔からあったわけではない 1999年12月23日23時57分

 「日本列島」の上で発生したから、日本独自などというのは当たらないと思います。大体、「日本列島」なんて、自然地理概念ではなく政治概念です。例えば、北海道が日本列島の内に入っていて、樺太が入っていないのなんて、全く明治初年の日露の力関係の結果ではないですか。石垣島や沖縄だってそうです。
 そもそも列島自体、出来たのはそう古いことではありません。それまでは、大陸と陸続きです。そんな頃の石器だって、発見されるようになっています。

4(81) 「日本人のエートス」(日本民族)はいつ成立したの? 1999年12月24日17時55分
>そりゃそうです、劣等感丸出しの学者連中を批判しているんですから
 誤解のないように言っておきますが、私が中国に対する言われのない劣等感を持っていると批判したのは、西尾氏自身に対してです。一見、中国に対する優越感と見える箇所は、その劣等感に対する裏返しだと思います。
 明治以来の日本の流れは、やはり「日本固有文化の過大評価」と「中国文化に対する過小評価」だと思います。その点、最近流行の「網野史学」にしても、まだまだです。だから、何か要領を得ないものしか出来ない。
 大体、近代以前の要素で、日本固有のものなんてどれだけあるのですか?これこそ「日本固有」と思うものが、案外中国渡来だったりしますよ。例えば、西尾氏の本で知ったことですが、床の間(私はこれは日本独自と思っていた)だって、源流は中国だというじゃないですか。
>西尾氏への批判を行うとすれば、中国文化の影響をより深く吟味すべき事でしょう。「劣等感」云々では、議論にはなり得ないでしょう。
 これは、その通りだと思いますので、受け入れます。レッテルの張り合いでない、歴史学の討論を行いたいと思っています。

5(82) 「日本人のエートス」(日本民族)はいつ成立したの?続 1999年12月24日18時35分
 また、諸民族の交流が「友好的」であるとは限らない、むしろ征服といった問題も含む。これは歴史上よくあることです。ですから、
>「交流」なるものもあまり過大評価しない方がいいかもしれません。
とおっしゃる文脈がよく分からないのですが。
 まあ、一つ言える事は、toka3akiさんが「れ:日本人の起源」でおっしゃった論理で行くならば、かつて「日本」(今の日本の領域)に住んでいた人間もまた、必ずしも「日本人」のエートス(民族的特性)を保持していたとは言えないわけです。
 まあ、「交流」が「友好」的でないというのなら、列島内の歴史を見ても、本当に戦争続きです。平安貴族と坂東武者なんて、ほぼ異民族同士だったのではありませんか。
 私は、琉球とアイヌを除いて、つまり東北から九州までの住民が一つの民族として、文化的統一性を持ったのは、案外新しいことではないかと思いますし、その統合の際に、大きく影響したのは、当時既に高度に完成していた中国文明だと思います。これがなかったら、日本文明など成立し得なかったでしょう。

6(86) re:日本固有の表象を具現化できた時点でせう 1999年12月24日21時15分
 魏志倭人伝に依って、邪馬台国所在論争に終始する史学界の現況は苦々しく思います。ですが、古事記・日本書紀などには全く依存できません。史学に対する影響を一度一切払拭すべきです。文学としては価値はあります。
 言語の問題。確かに日本語は漢族の言葉とは違います。ただ、旧ユーゴの民族問題等を見ていると、言語の同一性よりもむしろ使用文字の同一性の方が、民族のアイデンティティとしては重要なようです。日本人が漢字を採用し、更にこれこそ日本固有の仮名文字が漢字から作られた事実は大きいと思うのですが。
 食事。中国でも華南は米食です。中国=粉食というのは違います。
 土器。あくまで現在発見されている限りでは、列島のものが「最古」なだけで、これだけで、土器が列島で発生したとかは言わない方がいいと思います。近頃は、中国でも開発が進んでいるそうですから。
>中国を起源とする事物が多いことは、私も認めます。但し、日本人が一度受容した事物が、元祖とは似ても似つかぬほど変容するケースは多いはずです。
 ですから、「日本人」のエートスがいつ形成されたかが問題になります。少なくとも縄文時代じゃないですよ。

7(87) re:同感で〜〜す 1999年12月24日21時19分

 反省を忘れると、この長引く不況、「世界第二位の経済大国」の座も危ないよ。この不安の産物が、西尾氏の本ではないのかな?
 toka3akiさん、やっとつながりました。今まで全然投稿が出来なかったのです。どうも申し訳ありません。

8(88) 日本民族の形成  1999年12月24日21時38分
 なるほど、「つまみ食い」などは、日本文化のお家芸かもしれません。ただ一つ言える事は、こんな中国文化の取捨選択の出来る日本文化というものが、昔からあったわけではないということです。一定の段階で成立したといっているのです。その際には、中国文化の諸要素は大きな影響を果たしていると思います。確かに、言われるとおり、律令国家の成立は、そんな取捨選択の出来る主体の一つの完成かもしれません。
 なお、「東北から九州までの住民が一つの民族として、文化的統一性を持った」のは、私は律令国家の成立よりもっと後だと思います。応仁の乱の後じゃないでしょうか。
 それから、琉球は、中国文化の影響を受けて、一定段階で小ながらも一つの民族的統合をなしたと思います。その意味では、琉球文化というのは大和(日本)文化と対等です。
 現代日本文化はもとより、現代中国文化とは対等です。しかし、日本文化が歴史的に中国文化に起源しているとは、言ってもいいと思います。

9(90) そうなんですよ!(89)に対して 1999年12月24日22時26分
 確かに、今の日本は「世界第二位の経済大国」と言うよりも、おっしゃる通り、超借金大国。現状を野放しで誇れるものではありません。
 大体、日本が「世界第二位」になったのは、もう30年近くも前のこと。それを今まで、そんなに自慢してきましたか?何か、平成不況と言われるようになって、かえってそんな「自慢」が聞かれるようになっている。(まあ、一頃、「ジャパン アズ ナンバーワン」というのがあったけど)。
 結局、不安なんですよね。「自慢」は、その不安の裏返しですよ。
 
 明治維新だって、確かに価値は認めます。日本は植民地にされませんでした。しかし、戦後アジア諸国が次々と独立を果たす中、なぜ、韓国を除けば、ほぼアジアでは日本だけが、外国軍(米軍)の駐留を許しているのですか?マカオも返還されたのに。「外国軍の駐留」(同盟なんて言葉でごまかさないで下さい)、こんな民族的屈辱がありますか。
 こんな状態をほっておいて、どんな「誇り」があるのです。
 まあ、世界史トビですから、政治論争をするつもりはなかったのですが、この本の場合、やはりここに来ますね。

10(100) 東アジア文化としての縄文文化1999年12月27日23時4分

>農耕の傍ら山に入って、山の幸を採集するという行為は、今でも田舎では多いはずです。春ならワラビやゼンマイ、秋なら葛根や栗やキノコ、これは縄文時代から行われていた採集生活です。
 別に、このような山菜収集は日本だけの問題ではないと思います。日本列島と似たような自然環境なら、どこでも行われる。中国の華南地方や朝鮮半島南部でもやっていたし、現にやっている問題だと思いますが。果たして、葛を食べているのは日本だけですか?
 縄文人、縄文人といわれますが、これは日本人と考えるよりも、当時は、大陸も半島も列島も一体の文化圏だったと考えた方がいいと思いますが。実際、おっしゃる通り、縄文時代に、農耕が行われていた可能性は大いにあります。既に、大陸文化=農耕文化、縄文文化=狩猟採集文化とは言い切れなくなっています。

11(101) 縄文人は未だ日本人とはいえないだろう

>我々日本人のエートスに縄文人的な要素がないとは言えないはずです。
 はい、そう思います。なお、私が問題にしたのは、
 <「日本人のエートス」(日本民族)がいつ形成されたか?>
と言う問題です。
 その完成された「日本人のエートス」に縄文人的な要素がないなどとは言っていません。同様に、漢人的な要素や朝鮮人的な要素も含まれていると思います。
 ですから、
<未だ縄文人は「日本人のエートス」(日本民族)を形成していない。>
と言っているのです。
 大体、当時の列島の住民を「縄文人」として果たして一括できるのでしょうか。大陸や半島の住民と違ったものとして区分できるのでしょうか。むしろ当時は、朝鮮半島と西日本の差より、東日本と西日本の差の方が、大きかったのではないでしょうか。
 
12(102) 近代以前、日本にあって中国にないものなど余りない
>念頭に置いたのは、中国文明の揺籃の地である華北で、そのころ化外の地だった華南は完全な中国文明とは異なりますんで。
 華南の人は怒るでしょうね。春秋・戦国時代の南方諸国、楚・呉・越の文化は決して低くはありません。「化外」というのは、当時の華北人の偏見です。
 少なくとも、日本の米食をもって、中国との相違点とするには無理があると思います。
 また、toka3akiさんがおっしゃるように、日本でも安土桃山以降には、「華北で多い」粉食が普及し、日本文化の一要素となっていきます。
>日本固有の文化
 私は、近代以前の要素で、日本固有のものは、言うほどないと言っているのです。全くないとは言っていません。中国文化の全てを受容したなどと言っているのではありません。確かに、中国にあって日本にないものは多い。しかし、逆はありますか?近代以前の問題で、日本にあるものはたいてい中国にある、もしくはありました。
 
13(103) 日本語の形成には漢字・漢文は大きな影響を与えている 1999年12月28日3時43分
>旧ユーゴの問題は、文字そのものよりも、どの文字で彼らの信仰する教義が書かれていたかというなら、分からないでもありませんが。
 日本人がかつて尊んだ仏典や儒教古典は漢文で書かれていましたが。
>言語の問題
 確かに、現代中国語と現代日本語とは別言語です。ですが、日本語は、いつ形成されたのですか?少なくとも、縄文時代の列島の住民が同一の言語を話していたとは思えません。今の日本語のような文法構造を持った言葉があったとも限りません。
 確かに、現代日本語は中国語とは全く別個の言語です。それは、現代日本文明が現代中国文明とはまた違った対等の文化であるのと同じです。しかし、日本文明の形成において中国文明が大きな影響与えたように、日本語の形成において、中国語と言うか、漢字・漢語・漢文の果たした役割は非常に大きい。日本語形成の問題で言うならば、固有の言語たる大和言葉が漢語を取り入れたというよりも、大和言葉と漢語とが融合して、現代につながる日本語が出来たという方が正解に近いと思います。
 
14(105) 日本文化が最初からあったわけではない 1999年12月28日9時41分

 ですから、能動的な日本文化と言うものが最初からあったわけではないと言っているのです。中国文化を取捨選択し、自分なりに消化できるような日本文化というものが、一定の段階で出来上がったと言っているのです。むしろ、それまでは大陸から様々な文化(人の流れを含む)がそのまま流れ込んできて、非常に雑多な状態があり、それら諸要素を凝集して日本文化に固める、言わば「ニガリ」の役割を先進中国文化が果たしたと言っているのです(内藤湖南の説)。
 大陸からの人の流入が完全に止み、中華が図書館的なものになったのは、江戸時代の鎖国以降だと思いますが。それ以降は、完全に中国文明と対等の日本文明が出来ていますね。
>負けて逃げてきた人は多い
 多いと思います。勝って乗り込んできた征服者だけでなく、こういう人達が結果的に先進文化を伝えたのです。
 大体、(雑多な諸要素を凝集して)今のような伝統的日本文化が出来上がったのは室町後半ぐらいで、戦国以前には、ほぼ東北、関東、西日本が、別民族と言ってもいいような状況が存在しています。

15(106) 政府間交流と民間交流とは別 1999年12月28日10時31分

>(日本は)唐の時代以降は近代になるまで使節団を派遣しなくなった
 あくまで、政府間交流の話です。民間交流はむしろ盛んになります。遣唐使船が行かなくても、むしろ中国から大量の商船が渡来するようになって、色々な「唐物」をもたらし、平安貴族などは争ってこれを求めました。また平安初期までは、まだ朝廷は独自通貨(皇朝十二銭)を発行していましたが、遣唐使を廃止してまもなく、発行をやめ、その後、宋銭を始めとする中国銭が大量に流入し、ほぼ江戸時代まで、日本は独自通貨(寛永通宝)を発行しませんでした。
 思うに、遣唐使廃止以降、貴族政治は急速に衰えていきますね。もちろん、遣唐使廃止が原因とは思いませんが、「学ぶものは何もない」などという姿勢は、貴族政治が初期の活力を失ったことの一つの現れだと思いますが。
 しかし、貴族はともかく、列島全体としては、銅銭の流入を始め、中国との交流は盛んになります。少なくとも、江戸幕府以前のどの政権も、列島の諸地域と中国との交流を禁圧し、中国との貿易を独占することは出来なかったのです。

16(108) ええ、流入しました 1999年12月28日11時1分
>そう何回も戦争も無かったようにも思います
 中国では、何度も(王朝が)滅んだとおっしゃっていたのは、貴方ではありませんでしたか?その結果、日本に亡命してきた人も多いと思います。例えば、南宋滅亡時の鎌倉時代の禅僧、元滅亡時の陳外郎、明の滅亡時の隠元禅師。
 どうやら、このレスは106を見る前に付けられたようですが、人の流入はありましたよ。それについては、西尾氏の本だけでなく、例えば網野善彦氏の本なんか。それなりに参考にはなりますよ。
>私は日本文化は中華の影響を受けているといったレベルだと思います。
 かなり大きなレベルだと思いますが。ですから、日本文化というものが最初からあった訳ではないと言っているのです。中国文化と対等の日本文化が、最初からあったわけではないと言っているだけなのですが。
 その点については、いかがですか?
 
17(109) 政府間交流ばかりを重視すべきでない 1999年12月28日11時20分
>遣唐使や遣隋使のような大規模な使節団ならいざ知らず
 それなりに、当時の日本では、大規模な使節団でしたでしょうね。確かに、こういうものは紙の記録(正史)に残るので、注目されます。それなりに大きな役割も果たしています。
 しかし、日中の歴史上の交流の主体は、正史にはなかなか記録されない民間交流だと思いますが。
 物品だけでも、銅銭の流入など膨大なものがあり、列島経済に影響していますし、人の流れも予想以上のものがあったと思います。清朝相手に戦った国姓爺こと鄭成功も日中混血児で、日本生まれです。
 むしろ、江戸時代以前までは、日本、中国、朝鮮は一体の地域だったと言った方がいいかもしれませんね。
>準備からすると1年以上かかる時代ですからね
 そうでしょうか。遣唐使の準備はそうでも、中国からなら、江南の寧波沖から20時間ぐらいで、ジャンク船(中国風帆船)でも着いたそうですが。日本からでも、九州、四国の民間の船(例えば倭寇、これもまあ交流の一つです)なんか、そうもかからないと思いますが。

18(114) re:私の意見としては>「和の精神」1999年12月28日, 17時33分,
 もし貴方が、聖徳太子の憲法17条の「以和為貴」(和を以て貴しとなす)のことを言っておられるのなら、それは『論語』学而編の文「礼之用和為貴」(礼の和を用って貴しと為す)に基づいているのですよ。
 言わば、中国伝来の思想です。大体、「和」(ワ)と音読みする以上、これは当時の中国語であることを示しています。

19(119) 日本文明の起源 1999年12月29日8時47分
 インド文明と中国文明というのは、やはり古い文明であり、ともに周辺諸地域に影響してきました。この両者は、基本的に少なくとも文明発生段階では、それぞれ独自に文明が発生しています。
 文明成立後、確かに相互影響はあります。おっしゃる仏教もそうですし、中国からは製紙術などが伝わっています。
 しかし、日本文明というのは、比較的新しい。さらに、インド文明や中国文明のように独自に発生したものではなく、中国文明の影響下に成立しています。そのことは否定できない事実でしょう。
 「固有性」とおっしゃる文脈がもう一つよく分かりませんが、少なくとも日本文明が独自に発生した文明とはいえません。もちろん、現在の日本文明はインド文明とも中国文明とも対等ですが。

20(120) 仏教のことなど 1999年12月29日8時57分
 後、仏教ですが、日本に伝わったのは、非常に中国化し、原初インド的状態から見れば、非常に変形した、いわゆる中国仏教です。
 ちなみに、私は中国仏教は嫌いですが。
 鎌倉時代には、日本独自風の仏教が色々発生したと言います。まあ、それでも禅宗なんかは、むしろ当時、中国から新伝来のハイカラな仏教で、武士なんかに人気がありましたね。
 ただ、これぞ日本的仏教の代表と言われそうな浄土宗、これなんかは、かなり中国仏教の影響が強い。実際、開祖の法然上人は、中国の善導大師を先師として仰いでいます。親鸞(浄土真宗)は法然の弟子です。
 日蓮宗に関しては、私は余り知りませんので、発言を差し控えさせていただきます。

21(122) re:人間重視 1999年12月29日11時51分
 もちろん、おっしゃるように、大陸と島国の風土の違いがありますから、中国文化の諸要素でも、列島には根付かなかったものはたくさんあります。
 その意味では、今の日本文明は中国文明とは、一つはまた違った文明です。そのことは何度も言っていますし、日本文明が文明でないとは誰も言っていません。ですから、なぜ、
>著作権を持っているのが文明で、改良し発展させていくのは文明ではないと いう事ですね。
というような話になるのかよく分かりません。
 ただ、中国文明が古代に行けば行くほど、日本より桁外れに先進的であり、その先行中国文明の影響のもとに、日本文明が誕生したということを言っているのです。
 しかし、だからといって、日本文明が中国文明より劣っているなどとは、私は思っておりません。貴方は、そんなことで中国に負い目を感じられるのですか。私が読む限り、少なくとも西尾氏は、この中国文明の影響を多大に受けてきたことに、なぜかコンプレックスを感じているように思えるのですが。
 まあ、何度もいいますが、最初から日本文明とか日本文化と称せるようなものがあった訳ではないと言っているだけです。

22(124) re:疑問なんです 1999年12月29日15時49分

>室町以前の日本が中華文明の一部という事が疑問なんです
 中国文明圏の辺境、例えば、中国・雲南省のような民族雑居地帯だと考えています。ただ、これはやはり私の仮説でして、確かにこれを納得せよというのは無理があるかもしれません。
 
 しかし、最初から日本なんてものがあったわけではない。例えば1万年位前、縄文時代、こんな時代に、日本も、もちろん中国や朝鮮もないでしょう。今の日本の領域に人が住んでいるから、彼らは日本人だ等とは言えないと思います。当然、中国や朝鮮も同じ。大枠で言えば、みんなせいぜい東アジア人で一体の時代です。確かに細かい差異があるかもしれないが、むしろ西日本と関東・東北より、西日本と(朝鮮)半島の方が差異が少なかったりと言うこともあると思います。少なくとも、今の国境線に沿って区分できない。(続く)
 
23(125) re:疑問なんです(続き)  1999年12月29日16時21分
 それから中国では一定段階で文明が発生し、徐々に周囲に影響します。そんな中で、当然人の流れも出てきます。中原での覇権争いに負けて、周囲に流れ出た部族なんかもいるでしょう。わけても、秦漢統一帝国成立以降、この巨大な存在は否応無しに周囲に大きな影響を与えます。
 まあ言わば、その影響のもとで、朝鮮、日本などの国家(民族・文明)が成立するわけで、 半島、列島等の一定境域内の諸勢力がそれぞれ統合され、今につながる日本や朝鮮などが出来ていくわけです。この統合の時期がいつかは、ここでは問題ではありません。よく言われるように、律令国家成立時でも構いません。
 実際、それ以前は、それこそ列島も民族雑居状態、周辺からの流入も絶えない。統一された日本民族(文化)等は、未だ存在しません。こういう時期を、確かに中華文明の一部とは、私も言いませんが、中国文明圏の辺境、それも嫌なら、まだ日本の出来ていない時代と言わざるを得ないと思うのですが。
 
24(128) 大枠では、東アジア大乗仏教でしょう 1999年12月30日2時36分

 まず、近代以前に、日本人でインドまで勉強に行った人はいません。行こうとした人はいましたが。多くは、中国で勉強して帰っています。
 それから、日本では読経は今なお、漢文で行われています。しかも、訓読方式でない直読(より当時の中国語に近い)で読んでいます。
 こういう宗教の経典と言うもの、例えばコーランなどは、アラビア語から他の言語に翻訳することは許されていません(宗教的には)。インド起源とは言え、今なお日本の僧侶は中国語でお経を読んでいる、これは大きいと思いますが。
 私は中国仏教に対する日本仏教の独自性を否定しません。しかし、大枠では東アジア大乗仏教の一つであり、その意味では、歴史的な中国仏教のインド仏教に対する独自性と比ぶべくもないと思います。
 キリスト教で言えば、セルビア正教会はそれなりに独自性を持っているでしょうが、やはりギリシア正教の一派です。もちろん、今のギリシア正教会とは対等ですが。日本仏教と中国仏教は、喩えてみればこんな関係だと思いますが。
 もちろん、明治以降の仏教界の新傾向(あるとすれば)については、この限りではありません。

25(129) re:先進性 1999年12月30日2時42分
>腐敗官僚がのさばっていたような文明に比べたら
よっぽど日本のほうが先進的であったと思いますがね。

 
 つまり、今の日本は先進国ではないとおっしゃるのですね。

26(135) というか、日本と中国はやはり近親性が強い1999年12月31日7時19分

>だからこそ現代の我々日本人も、中国に対して親近感よりも違和感の方が強いのだと・・・。
 さあ、私は親近感を抱きますが。まあ、この際、現代的なイデオロギーの問題は抜きですが。
>中国の影響を過大評価してきた従来の歴史観に批判的だから、そのような印象を与えているだけじゃないですか?
 まあ一ついえると思うことは、昔のように漢文を教えなくなったりして、本当の意味で中国からの影響が理解されなくなっているのではないですか?だから、従来の歴史観が中国の影響を過大評価しているように見えるのでは。西尾氏自身、元々西洋哲学の研究家ですね。
 
 日本文明の独自性の強いことは認めますが、それも程度問題で、世界的規模で見れば、例えば欧州、中近東などから見れば、日本も中国も、朝鮮もかなりの近親性を持っていると思いますが。
>中国の影響なしに日本の発展は有り得なかったのは確かでしょうが
 発展もさることながら、発生さえないと言っているのです。最初から、 中国文明を取捨選択できるような日本文明があったわけではない。一定の歴史段階の産物です。皆さん、そのことが、なかなか分かっていただけないようです。

27(136) 補足 1999年12月31日7時51分
 昔のように、本当の意味で中国からの伝統的影響が認識されなくなった結果、貴方の言う「我々日本人」も、中国に対する違和感を感じるのではありませんか?
 
 私が言いたいのは、(欧米と比べた際の)東アジアの伝統的近親性です。
 少なくとも、伝統文化の面では、欧米vs東アジア(日本・中国など)という対比は出来ても、欧米vs中国vs日本というような対比は、日本文化の固有性をかなり過大評価しても成り立たないと思いますが。
 もちろん、近現代的な面では、その限りではありません。
 その意味では、独自性を持った日本文明が完全に確立したと言えるのは、明治以降のことかもしれませんね。
>単に真似するだけでなく独自の文明を創り上げてきたという事実の方が、より重要で、強調されてしかるべきだと思います。
 否定はしませんが、そんな独自の文明が作り上げられたのは、言うほど昔のことではありませんよ
 
28(137) そうですね、133に対して 1999年12月31日8時19分
 私も、近頃、日本の近代」というものを非常に疑問に思っています。極論、他国を侵略するぐらいなら、まだちょん髷を結っていた方がよかったのでは。もちろん、それではinsiaさんの言われたように、植民地化される。
 確かに、近代化、一定の「富国強兵」は必要だったでしょう。しかし、アジアを侵略しなければ、日本も植民地化されたというのは違うと思います。
 極東のスェーデンのような立国を目指すことは、やはり夢物語だったのでしょうか?
 少なくとも、私には他国を侵略するよりは、まだ植民地にされた方がましだという気がするのですが。日本人のことですから、必ず独立を取り戻しますよ。
 もちろん、歴史にifは禁物です。
 しかし、どうも日本は近代化にかなり無理をしており、そのつけはこの頃、かなり表面化しているような気がしているのですが。

29(139) re:見方は一つではない 1999年12月31日13時46分
 まあ、それで言えば、西尾氏にも、他にも色々な見方があることを理解してほしい。例えば、ああいう表題の本を書かれる以上は、近頃はやりの網野史学等の日本史界の新傾向と真正面から対決されることを望みますが。
 それから、おっしゃる「外国の学者等」ですが、『文明の衝突』のハンチントンでしょうか?まあ、ハンチントンの文脈でしたら、それは、日本にとって決して喜べるものではありませんね。その異質性が事実だとしたら、まあユーラシア(或いは全世界)相手に日本が孤立しかねない。確かに、西尾氏のような思想なら、そうなりかねないですね。
 それから、
>(アジアの中で日本だけが主体的に近代化をなしとげ、独立を保てた事や、敗戦後も廃墟の中から経済大国へと復興したことなど・・・。)
とおっしゃるのなら、このトビの投稿(89)と(90)を参照されることを希望します。
89>http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.7a.12.835209&topicid=194m00&msgid=83vr0e$rup$3@m00.yahoo.co.jp
90>http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=yahoo.7a.12.835209&topicid=194m00&msgid=83vsac$2eg$3@m00.yahoo.co.jp

30(141)cha_gamaさん、明けましておめでとうございます 2000年01月06日, 21時48分

 面白い話題になってきましたね。少なくとも現在の所、琉球とアイヌを除いても、いわゆる大和(狭義の日本)民族の文化的一体性はやはり否定できないと思います。ただ、おっしゃるように、近代以前にさかのぼれば、非常に多様で、おそらく九州、東北で民族が違うといった状態も存在したと思います。それがいつ基本的に文化的統一性を持つに至ったかは、今回は置きます。
 中国の場合、元々多民族国家ですが、例えば漢族だけを取って見ても、おしゃるように言語が違います。日本の方言も、世界水準から見れば、かなり多様なようですが、中国の場合、度を抜いています。話して通じないほどに違います。しかし、文化的民族的な統一性がないかというと、それはやはり存在しているとしか言い様がありません。
 
31(142) 民族の同一意識 141の続き 2000年1月6日22時50分
 まあ、結局の所、民族(文化を共有する集団)の同一性を保障するものは、その民族の意識ではないでしょうか。この意識というのは、民族の問題を考える場合、けっこう重要です。
 確かに地方ごとの差は、広い分、顕著ですが、今の漢民族にそういった文化的同一意識がないとは言えませんし、かなり古くからあると思います。まあ、漢の時代には完成していますね。
 まあ、そういった同民族意識が基本的に形成されるようになった時が、その民族の形成期とも言えます。当然、そういう同民族意識が生まれるには、そんな意識を、一定地域の住民が持つような客観的条件が成熟したからだと言えます。
 日本の場合、そのような同民族意識は、7・8世紀の貴族に萌芽し、それが一般化したのは室町後期、戦国以降ではないでしょうか。ちょうど、その時代、今の日本文化の伝統的な型ができます。
 
32(143) 使用文字の同一性こそが民族の同一性を保障する 2000年1月6日22時55分
 この点では、私は、文字は単なる記号ではなく、「民族の同一性を保障するものは、基本的に使用文字の同一性」だと思います。
 例えば、ユーゴの例を引きますと、クロアチア語もセルビア語も、殆ど変わらないと言います。少なくとも、漢族のように、話して通じないということはない。
 それでも、彼らが同民族だとは言えないことは、もう言うまでもないと思いますが。結局、文字が違うのです。文字の違いは宗教の違いの結果、文化圏の違いの結果なのです。
 それに対し、確かに漢民族は世界的に見ても稀有な民族です。言葉の違う者が、使用文字の統一性によって、民族(文化)の統一性を維持してきたのですから。
 日本の場合も、民族的統合に当たっては、経済発展による文字の浸透、厳密には日本独特の漢字仮名交じり文の使用が大きな役割を果たしたのではないかという指摘があります。
 
33(148)re:yungyung 2000年1月8日19時31分
>「和」という概念は漢民族の端から端まで浸透していた概念なのですか?中国史を見る限りでは私にはとてもそう思えない。
 
 では、「和」という概念は日本民族の端から端まで浸透していた概念なのですか?日本史を見る限りでは私にはとてもそう思えない。

34(149)申し訳ありません yungyungさんに敬称を抜かしました 2000年1月8日19時32分
 操作ミスです。ご寛恕ください。

35(150)re:inisaさん、Francois_Jrさん 2000年1月8日19時44分

 一定の文明段階に達してた民族は、文字も日常的に使用していると思いますが。少なくとも、話し言葉の同一性が民族の同一性に必ずしもつながりません。これは、ユーゴの問題を見ていただいたら、よく分かると思います。
 もちろん、Francois_Jrさんから、ご指摘をいただいたように、文字の同一性が必ずしも、民族の同一性につながらない場合があります。その点では、「文字の同一性が民族の同一性を保障する」という私の指摘は、少し単純化しすぎだったかもしれません。
 ただ、漢族の場合には、少なくとも、話し言葉も全然違う集団を、同一の民族として結びつけるのに大きな役割を果たしたと言えます。

36(151)遅くなりましたが、cha gamaさん 2000年1月8日19時55分

 まあ、南米は同じ民族でなくても、やはり同じ文化圏であると思います。フィリピンの場合、英語は確かに公用語ですが、言語はそれだけではありません。タガログ語とかありますからね。
 合衆国も、私はどうかな?と思いますが、既に「アメリカ民族」が成立しているのだという説もあります。確かに、何百年もして、人種差別問題などが解決すれば、そう言っても、違和感が生じない状況になるでしょう。
 確かに、千年単位で考えれば、世界中の民族的な差異なくなる時代も出てくるでしょうが、それまでには大変な紆余曲折があると思います。

37(152)151の続き 2000年1月8日20時4分
 それから、ヨーロッパは、少なくとも西欧は統合の方向に向かっています。民族はともかく、やはり同じ文化圏です。確かに、ヨーロッパの多様さは、十分、中国の多様さに匹敵します。それが中国が基本的に一国として発展し、ヨーロッパが多くの国に分かれて発展したのは、確かに色々な社会条件があり、一概には言えませんが、文字の違いが大きかったという指摘もあります。
 発音は違っても、漢字に書けば同じ。表意文字たる漢字は、そういうことも可能です。しかし、表音文字たるアルファベットは、そうは行きません。
 もし、中国に漢字がなく、表音文字だったら、統一は不可能だったかもしれません。

38(154)re:153 2000年1月8日23時9分
 近代化の過程で、いろんな理由で伝統的な文字を放棄した民族はいます。インドネシアもその一つでしょう。よく知らないのですが、インドネシアも多民族国家ですよね。イスラム教徒も多いし、やはり、伝統的な文字はあったと思うのですが。トルコも、確かローマ字を採用しましたね。
 ベトナムは漢字を放棄し、アルファベットを採用。南北朝鮮では、固有のハングル文字を採用。北朝鮮は漢字を全面廃止、儒教の強い韓国でも、漢字の使用量は格段に減っています。この頃はどうか知りませんが、一時は漢字看板全面排除運動もあったそうです。
 アジアでも、韓国を除けば漢字を使っているのは、中国系の人と日本人ぐらいになりましたね。
 確かに、民族のアイデンティティと言うのは、言葉や文字を含んだ広義の文化で決定されるのでしょう。そういう文化を共有しているという「意識」を、私は重視しますが。

39(156)日本はそんなに異質か? 『国民の歴史』批判その1 2000年1月10日8時47分
と題する文章を、昨日、私のHPに掲載いたしました。
 よろしければ、ご覧下さい。
 
  『日本はそんなに異質か!
 
40(158)re:四匹の龍 2000年1月10日15時4分
 「四匹の虎」というのは、ハンチントンの誤りを訳者がそのまま訳したもので、確かに「四匹の龍」ですね。確か、韓国・台湾・シンガポール・香港。
 シンガポールと香港は、一時占領下に置かれたことはありますが、日本の植民地ではありませんでしたが。
 それと、韓国なんかけっこう、儒教、今でも強いですよね。言われたような説もあるでしょうが、「四匹の龍」の優位性を、背景の儒教文化に求める説もありますが。シンガポールも華僑中心の国ですね。
 
41(160)それから、158続き 2000年1月10日15時35分
 近頃、日本と一二を争うようになった中国の対米貿易黒字ですが、大陸部に投資された香港・台湾の資本が大きな役割を果たしているそうですね。
 日本もかつてそうでしたが、「四匹の龍」の成長は、最初は低賃金労働により低価格産品の輸出によるものでした。しかし、成長と共に、賃金が上がり、また通貨が高くなると、もうそうはいきません。ですから、より低賃金の労働力を使用しないと、競争力がなくなるわけです。
 日本もかつて韓国に企業進出し、今、台湾・香港の資本が、中国や東南アジアに進出しています。
 確かに、おっしゃるように、日本と四龍の牽引と言えないこともないでしょうが、既に中国や東南アジアの存在がなかったら、日本も四龍も繁栄を維持できないことも確かだと思います。

42(162)re:日本信仰 2000年1月10日22時20分

>アニミズムやマナイズム、源流は縄文文化にあり、といっても良いのではないかと思います(どことなくアイヌの信仰にも似ているような気がする)。
 源流は縄文文化というより、東アジア原始文化にあるとした方が適切だと思いますが。案外、類似のものが、例えば雲南省の山奥の少数民族の中に残っていたり。
 縄文と言っても、別に均質な縄文人という民族なり集団が存在したとは、西尾氏も言っていません。むしろ、あの頃は、中国、日本、朝鮮などと言う区別がまだなく、東アジア地域として一体の時代だったのではないでしょうか。
 この辺の問題、例えば、縄文時代の1万年の間、日本列島が孤立した島国であり、外のアジア大陸との交流が殆どなかったなどと、西尾氏が主張されるなら、やはり「今はやりの」網野義彦氏などの所説に対する真正面からの反論が必要だと思いますが。
 縄文人と言っても、多くは元は大陸からの渡来人であり、大規模な民族の移動などないと言っても、その当時、人間はそんなに大きな集団で暮らしていたとは限りません。 

43(163)縄文文化 2000年1月11日6時10分

 だいたい、日本列島といったって、これは自然地理概念ではなく、政治概念です。北海道が日本列島に所属していて、樺太が所属していないのは、全く明治初期の日露の力関係によるものです。
 
 もし縄文文化が海を越えて、本州から北海道へ、あるいは九州から対馬へ渡っているのならば、北海道から樺太、さらに沿海州へ、対馬から朝鮮半島へという伝播、またそれとは逆のコースをたどった列島への文化の流入も十分可能だと思いますが。(この一段は網野氏の所説)
 
 それから三内丸山遺跡ですか。確かに、あれは原始時代に対する我々のイメージをより豊富にするものではありましたが、まだ文明と言える域には達していませんし、また大小は相対的な問題ですから、一概に言えませんが、あの集団を大規模と言うか、小規模と言うかは、あくまで比較の問題です。
 
44(164)日本文明の成立はいつ 2000年1月11日6時14分
>ちなみに聖徳太子が「和」という字を用いたのは、儒教的思想ではなく、あくまで日本人の精神的思想に最も近かったため、という事が伊沢元彦氏の「逆説の日本史」で書かれていました。
 井沢元彦さんですか?余り儒学とか分かってないんじゃないですか。まあ、「和」という概念が日本人の精神的思想に近いかどうかも問題ですが、少なくとも聖徳太子の理想には違いないでしょうね。ただ、聖徳太子の憲法17条の該当箇所の出典は『論語』であり、儒学の影響によるものとするのは全く妥当だと思いますが。
 
>中国文明を取捨選択出来ていたということは、
 当然、大陸と列島とは条件が違いますし、取捨選択以前に、根付く条件のないものだって出てきます。
 中国文明を取捨選択できるような日本文明が成立したのは、果たしていつ頃でしょうね。
 まあ、もちろん少なくとも現在においては、そんな取捨選択の出来る日本文明は存在しているとはいえますが。
 
45(167)「自分たち」という「まとまり」は、いつ出来たのか? 2000年1月11日23時34分
>自分たちの気質に合うものと合わないものを取捨選択する程度の「文化」はあったと言えませんか?
  その「自分たち」という「まとまり」の成立が問題なのです。日本文化(民族)といえるような「まとまり」が、いつ頃成立したのか?
 少なくとも、最初から、日本文化(民族)という「まとまり」があったわけではありません。列島に存在したから、日本文化(民族)とは言えません。
 日本文化(民族)成立以前、列島には、様々な文化的要素(様々な民族・部族)が存在しており、決して「日本」という大枠でくくれるような状態ではなかったと思います。決して孤立した「島国」などではなく、ほぼ大陸と大枠で一体のような時代が存在したと思います。下手したら、西日本と東日本よりも、西日本と朝鮮半島のほうが、まだ文化的差異が少ない時代もあったと思います。
 そんな列島の住民が、大陸や半島とは区別される、「日本」という「まとまり」を、いつ形成したかということを問題にしているのです。
 これは、決してそんなに古いことではないと思います。

46(168)inisaさんの意見に賛成 2000年1月11日23時56分

 確かに、最初は模倣だと思います。模倣して、取り入れることが可能な部分をそのまま取り入れて行くうちに、徐々に自己が形成され、その内に、取捨選択できるだけの識見が出来ていったのでは、ないでしょうか?
 この点、国や民族の成長というものは、個の人間の成長と似ていると思います。最初は回りの大人の模倣から始まり、一定成長段階に達して、始めて大人のうちの良い要素、悪い要素を取捨選択して、取り入れられるようになると思うのですが。最初から、子供にそんな取捨選択できるだけの識見が備わっているはずがありません。
 ただ、歴史学上の問題として、いつ頃、そういう取捨選択を出来るだけの日本文化成立したかという問題はありますが、基本的な発展の道筋は、やはり最初は模倣でしょう。
 
 
 
日本はそんなに異質か
 現代日本文明が中国文明から派生しながらも、また異なった対等の文明であることは確かです。その点、朝鮮文明も同じです。もちろん日本は欧州文明圏等には属しません。しかし、世界的に考えた場合、中国や朝鮮と同じ東アジア文明圏の一員であることも否定するほど、果たして日本は「異質」なのでしょうか?
 このトビなどでも、Yoshio6さんなどは、
>アジアの中で日本だけが主体的に近代化をなしとげ、独立を保てた事や、敗戦後も廃墟の中から経済大国へと復興したことなど
をもって、日本の「異質」性の根拠されており、西尾氏にも、このような主張は散見されます。
 さて、日本が異質かどうかはさておき、上のような事例が非常に一面的なものであることは指摘されます。確かに日本は「経済大国」です。しかし、ikanomaruyakiさんが89で指摘された様に、今や「超借金大国」でもあります。日本は明治維新で独立を保ちました。しかし、戦後、アジア諸国が次々と独立を果たす中、韓国を除けば、ほぼアジアで日本だけが外国軍(米軍)の駐留という、軍事的独立を喪失した不名誉な状況にあることも事実です。(続く)
 
日本文明は決して劣等文明ではない
 こう考えてみると、日本文明「異質」論など、何か日本文明の劣等性を指摘されているようで、非常に嫌なのですが、それでも、これが事実であるなら、認めないわけには行きません。しかし、日本は本当に異質なのでしょうか。もう一度、Yoshio6さんの御発言を引用させていただきます。
>アジアの中で日本だけが主体的に近代化をなしとげ、独立を保てた事や、敗戦後も廃墟の中から経済大国へと復興したことなど
(裏返せば)アジアの中で日本だけが欧米並みの侵略国となり、最後には米英と衝突し、その結果、今なお完全な独立を回復できないことや、超借金大国になってしまったこと。
 結論から申しますと、はっきり言って、こんなことは偶然の産物に過ぎないと思います。何ら、日本文明の異質性、劣等性の証明にはなりませんから、安心してください。
 例えば、近代化(明治維新)に成功してしまったことも、やはり分析が必要です。(続く)
 
明治維新の成功について
 日本が明治維新に成功し、民族の独立を維持したこと、確かにこの成功の主体者は日本民族自身です。しかし、次のような成功の舞台裏も指摘されなければならないでしょう。
1)当時の欧米の目は、巨大市場たる中国に向いており、その点、日本は植民地としての魅力に欠け、列強の侵略の矛先が中国に向いたこと。
2)幕末の頃、中国の太平天国の乱、インドのセポイの乱などの、アジア諸国の反侵略闘争が盛り上がり、欧米列強を牽制したこと。
 例えば、幕末の長州の志士、久坂玄瑞は、その著書の中で、英仏が日本に武力を用いることの出来ないのは、清国で「長髪賊」(太平天国)が英仏を牽制しているからだと見ていたそうです。 
 このような世界情勢を考えずに、明治維新の成功を、日本文明の「優秀性」、「異質性」にのみ求めるのは、やはり非常に一面的な見方というほかないでしょう



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