日本はそんなに異質か?

西尾幹二氏『国民の歴史』批判  日本の現状をどう見るか?


 現代日本文明が中国文明から派生しながらも、また異なった現代中国とは対等の文明であることは確かである。その点は、朝鮮文明についても言えることあり、よく言われるように、かつて朝鮮がいかに中国のコピーたらんと努力したからといって、また逆に日本がいかに中国からの独自性を主張しようと、その点については何ら変わりはないのである。
 だが、近頃、巷間で噂の西尾幹二『国民の歴史』は、日本が中国や朝鮮と同じく東アジア圏に属することさえ否定し、日本文明の「異質」性を主張する。
 もとより、日本が欧州に属さず、また当然、イスラムやインドにも属さぬことは明白であろう。しかし、同じ東アジアの中国や朝鮮との文化的近親性をも否定するほど、果たして日本は「異質」なのであろうか。(ちなみに、西尾氏はユーラシア文明全てに日本文明を対峙させている)

 ちなみにある人は、その日本の(他の東アジア諸国との)異質性の理由として、次のようなことを挙げる。
>アジアの中で日本だけが主体的に近代化をなしとげ、独立を保てた事や、敗戦後も廃墟の中から経済大国へと復興したことなど・・・、
 西尾氏の著書にも、このような主張は散見され、どうも「自由主義史観」を称する人々の共通認識のようである。
 しかし、このような見方がまた非常に一面的なものであることは言うまでもないだろう。
 確かに今の日本は「経済大国」である。しかし、その「経済大国」がなぜ、今や600兆もの借金を抱えているのか? 確かに日本は明治維新で独立を保った。しかし、戦後、アジア諸国が次々と独立を果たす中、韓国を除けば、ほぼアジアの中で、なぜ日本だけが外国軍(米軍)の駐留という、完全な独立国とはいえないような状態に置かれているのか?

 このような憂うべき日本の現状は、果たして西尾氏らの言うように、日本文明の異質性の結果なのだろうか? 日本人が独自にユーラシア大陸の諸文明とは別個に、文明を発展させてきた結果なのであろうか?
 筆者はそうは思わない。日本文明が異質、特に中国や朝鮮と同じ東アジア文明圏に属することさえ否定するほど異質であるとは思わない。
 日本の現状は、日本文明の異質さの結果でも、ましてや劣等性(優等性)の結果でもない。
 以下、明治維新と戦後の経済発展について考えてみたい。

明治維新について アジアの反帝闘争に助けられた日本
 
 まず、日本の近代化(明治維新)の成功について、分析してみよう。
 確かに、日本が明治維新に成功し、民族の独立を維持したことは事実であり、確かにこの成功の主体者は日本民族自身である。しかし、次のような明治維新をめぐる国際情勢も指摘しなければ、やはり片手落ちであろう。

1)基本的に、当時の欧米の目は、巨大市場たる中国に向いており、その点、日本は植民地としての魅力に欠け、列強の侵略の矛先が中国に向いたこと。
 例えば、ペリー来寇の目的は、アメリカが太平洋を経て、中国に航海するための補給基地を日本に求めたのであり、あくまで矛先は中国であった。また、イギリスはじめ列強は、アヘン戦争など、中国に対しては、実際の戦争行動に出たが、日本には小競り合いがあっても、本格的な戦争行動には出ていない。もちろん、隙あらばと狙ってはいただろうが。
 かといって、当時の日本が中国に比べて強かったかというと、決してそうでもない。列強に対する徳川幕府の弱腰は清朝といい勝負だし、さらに薩英戦争、下関戦争と、列強の軍事力を強烈に見せ付けられている。もとより、欧米が日本占領を志しても、なかなか難しかっただろうが、それは中国も同じである。列強は中国をいわゆる半植民地にしたが、インドのように全面的に植民地にすることはできなかった。
2)幕末の頃、中国では太平天国の乱、インドではセポイの乱などの、アジア諸国の反侵略闘争が 盛り上がり、欧米列強を牽制したこと。
 例えば、幕末の長州の志士、久坂玄瑞は、その著書の中で、英仏が日本に武力を用いることの出来ないのは、清国で「長髪賊」(太平天国)が英仏を牽制しているからだと見ていたという。 

 このようなアジア諸国との関連を考えずに、明治維新の成功を、日本文明の独自性にのみ求めるのは、やはり非常に一面的な見方というほかはないだろう。

経済発展について 日本だけが例外でない

 戦後、日本の経済発展については、私は余り研究していない。そこで、西尾氏も自説の根拠として、名を挙げたハンチントンの『文明の衝突』から、少し長いが引用させていただく。
>東アジアの経済発展は、二十世紀後半の世界に展開した最大級の出来事である。その端緒となったのが一九五〇年代の日本であり、しばらくのあいだ日本は近代化に成功し、経済発展をとげた唯一の非西欧国家として特殊な例と見なされていた。しかし、経済発展という現象は、四頭の虎(香港、台湾、韓国、シンガポール)、次いで中国、マレーシア、タイ、インドネシアに波及していき、現在フィリピン、インド、ヴエトナムでもはっきりと見られるようになった。これらの国の多くは、一〇年以上にわたり、八から一〇パーセント、あるいはそれ以上の年間成長率を維持してきた。(中略)アジア経済のこうした成長は、ヨーロッパやアメリカ諸国のゆるやかな発展、そして世界の他の地域のほとんどに蔓延している停滞とみごとなまでの対照を示している。
>こうして、例外は日本だけではないことがわかった。(中略)豊かな西欧、発展の遅れた非西欧という構図は、二十世紀の終わりとともに消滅するだろう。この変化の速度には、すさまじいものがある。(中略)大方の予想では、中国の経済は二十一世紀の早い時期に世界最大曳模になるとされている。一九九〇年代のアジアは、経済曳模において世界で二番目と三番目に大きな国をかかえているが、二〇二〇年には世界の経済大国上位五国のうち四カ国、一〇位までのうち七カ国をアジアの国が占めるようになるだろう。そのころには、アジア全体で世界の経済生産の四〇パーセントを占めるようになる公算が高い。(中略)かりにアジアの経済成長が予測よりも早い時期に、より急激に頭打ちとなったとしても、すでに達成した成長という成果はアジアと世界に大きな影響をもたらすだろう。
 (サミュエル・ハンチントン著 鈴木主税訳『文明の衝突』集英社1998年 P151から152)

 確かに、ハンチントンは、その著の中で、日本文明は、中国文明から派生しながらも、独自の文明圏を形成していると述べているが、別にその根拠を示しているわけではない。そして、上に見た通り、戦後、経済成長を遂げているのは、日本というよりも、東アジアであり、決して日本の経済発展をもって、日本文明の異質性の根拠とはしていないのである。

2000年1月



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