エジプトのピラミッドを造ったのは奴隷か?

一般にイメージされるような奴隷ではなかったかもしれないが、基本的にはファラオ(王)の奴隷のような人々だったろう


 ご覧になった方も多いのではないかと思うが、正月三日夜、約4時間半にも渡る『古代エジプト大冒険』なる番組が報道された。実は、私は全部を見たわけでもないし、それなりに興味深い事実も知れて、正月にふさわしい「大作」だと思ったのだが、やはり一つ気になったことがある。
 それは、この頃のはやりかもしれないが、「ピラミッドを造ったのは奴隷ではない。農閑期に仕事を失った農民たちに仕事を与え、生活を保障するための一大『公共事業』だった」というのである。
 確かに、古代エジプトに世間一般の人が想像するような「鞭」で働かされる奴隷、ちょうど近いところで、奴隷解放前のアメリカ南部のような奴隷制というものは存在しなかったのかもしれない。
 しかし、そのような「一大公共事業」を進められるような財源を,エジプトのファラオ(王)はどのようにして手に入れたのか?「農閑期に仕事を失った農民」というのが事実だとすると、その農民は「農繁期」しか「収入」を得られないような、今で言う「季節労働者」か何かで、「農民」と聞いて、ついつい我々が想像するような現在一般の日本の農家の人々とはほど遠い存在であることは間違いないだろう。あるいは、「自分の土地」を持っていても、農閑期に食べるだけの余剰食糧も保有できないような人々なのだろうか。ここから余りエジプト史の知識なしで推測するのであるが、古代エジプトの「農民」というのは、次のいずれかのような存在だったことが分かる。
 1)今で言う「日雇い労働者」のようなもので、土地はおそらく「国有」(ファラオのもの)で、農民には少なくとも、農繁期の「給与」だけでは農閑期をも生活を維持するだけのものは与えられなかった。なお、この時代の「給与」というのは、もちろん現金などというものは存在せず、一日分の労働に応じた「パンとビール」というような食料の現物支給である。
 2)一応、自分の土地を「持って」はいるのだが、収穫のかなりの量を「国家」(ファラオ)に召し上げられ、農閑期にはピラミッド工事という「日雇い」に出るほかなかった。
 少なくとも、あれほどのファラオの財力が、「ナイルの賜物」と言われたエジプトの豊かな農業生産にあったことは間違いなく、ファラオが一人で耕したわけでない以上、何らかの方法で、農民が作った穀物を収奪することが、ファラオの財力の基本であったことは間違いないだろう。
 そう考えるならば、古代エジプトに一般にイメージされるような奴隷はいなかったとしても、当時のエジプトの「農民」というのは、一年中、農繁期も農閑期もファラオのために働かなければ最低生活を維持できないような人々だったことが分かる。
 ましてや、「ピラミッド建設に参加すれば、ファラオと一緒に天国に行ける」と信じた「農民」が一生懸命働いたというような話を聞けば、現代人の私が思い出すのは、どこかの「宗教」団体で似たような発想をする人々がいたと思うのだが、これはもう「×××真理教」の世界であり、そんな宗教団体のメンバーというのは、「尊師」の精神的奴隷であると思う人もおそらく少なくあるまい。
 つまり、我々の思うような「奴隷制」は存在しなかったと言うだけの話で、エジプトのピラミッドを造ったのは、結局、ファラオの奴隷のような人々だったという他はないのではないだろうか?
 もっとも、奴隷も飢え死によりはましな境遇かもしれない。論者の中には、北アフリカの乾燥化がナイル河周辺への人口の集中をもたらし、それがピラミッドに代表されるような古代エジプト文明を生み出したのだという人がいたように思う。もっとも、人口の集中を可能にするためには、それらの集中した人口に最低限の食料を保障するだけの農業生産の発展がなければならないのだが、どうやら「ナイルの賜物」たる古代エジプトはそれが可能になっていたようである。
 『旧約聖書』に見られるユダヤ人のようには、乾燥化の中で、自由を選んで飢え死にするよりも、エジプトに赴いて進んでファラオの奴隷となり、最低生活を保障してもらって、心から一生懸命働いた人もいるのかもしれない。
 こう考えると、奴隷というものも、現代人のイメージするような悪いものではないのかもしれない。奴隷を持つためには、持つ方にも奴隷に最低限の生活を保障するだけの財力がなければならない(たとえ、それが配下の奴隷が生み出したものでも)。実際、奴隷にも色々、等級というか身分差があったようであり、古代中国でも、「臣」というのは「男の奴隷」という意味であり、「大臣」とは元々「大いなる奴隷」、つまり奴隷頭のようなもので、それぐらいになると、自分も王の奴隷の癖に、自前の奴隷を持ったり、遠くファラオには及ばないものの、結構いい暮らしが出来たようである。これは別におかしな話でも何でもない。オスマン=トルコの近衛軍人「イェニチリ」は身分はあくまでスルタン(皇帝)の奴隷であったが、高い給与を与えられ、権勢を誇ったという。
 しかし、歴史は進んでいく。最初は、原始状態のまま、自由を求めて飢え死にする、つまり「自然界の奴隷」でいるより、ファラオ(王)の奴隷となることを選んだような人々も、時代が進んでいけば、いつまでも奴隷身分に甘んじてはいない。もっとも、奴隷たちが我慢できなくなる前に、古代エジプトの歴史は終わってしまうわけだが。
 それにしても、農閑期に仕事のない農民に食い扶持を保障するために「公共事業」としてピラミッド建設などを行うファラオを、番組は「慈悲深きファラオ」などと称していたが、昨今のホームレス問題を見るに付け、どこかの国の為政者にも、ファラオが自分の「農民」たちに、最低限の食料と住居を保障したような「慈悲」を持ってほしいものである。もちろん、忘れてもらってはならないのは、4000年の間に、「最低限の生活」のレベルが格段に上がっていることである。

 2007年1月6日



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