古橋信孝『「知る」ー和語の文化誌』を読んで

若 干 の 補 足

「もの」と「ことば」の関係について


 先の文章で、筆者は「その社会に存在しない事象に関しては、それらを意味する名称、言葉は当然、その社会には発生しようがない」と書いた。
 はっきり哲学用語などに関して筆者は素人であり、生徒には最初、「この世に存在しないものに対しては、ことばは生まれない」と説明したのである。するとよくしたもので、決してまじめではないが、比較的学力の高い子から、次のようなツッコミがあった。
 「それなら、(架空の動物で、この世には実在しない)河童はどうなるの?」と。
 これには、筆者も考え込み、次の授業では、「たとえ実在していないものでも、人間が(色々な要因によって)頭の中で想像できるもの(つまり人間が考えられるもの)には、名としてのことばが発生しうる」と説明を訂正したのである。
 一方、この世に実在していたとしても、その存在に人間が気付かないもの、言わば人間が頭で考えられないものには、名前がつかず、それを意味することばが存在しない。
 例えば、先般、惑星から「格下げ」された「冥王星」であるが、この発見は比較的新しく、1930年の発見である。つまり、この年に発見されて初めて「冥王星」という名前が付いたのであり、それまでは「冥王星」ということばは存在しなかった。しかし、だからといって「冥王星」に当たる星が存在していなかったわけではない。人間が、この星の存在に気付いていなかっただけである。
 また、「超音波」。一定の振動数以上の音波は人間の耳には聞こえない。これを「超音波」という。これも、「冥王星」と同じで、人間は超音波の存在に気付くまでは、「超音波」ということばは、この世に存在しなかったわけであるが、決してこの世に超音波が存在していなかったわけではない。
 このような例はまだ他にもたくさんあるだろう。

 2006年11月26日



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