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魚のあぶく

 

第229話 「天罰」

すでに、1ヶ月以上前になってしまうけど、かなり大きく話題になった東京都の石原都知事の天罰発言。要旨は次のとおり。

石原慎太郎・東京都知事は14日、東日本大震災に関して、「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と述べた。都内で報道陣に、大震災への国民の対応について感想を問われて答えた。

発言の中で石原知事は「アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものはない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と指摘した上で、「我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを(津波で)一気に押し流す必要がある。積年たまった日本人の心のあかを」と話した。一方で「被災者の方々はかわいそうですよ」とも述べた。

石原知事は最近、日本人の「我欲」が横行しているとの批判を繰り返している(11/03/14 朝日新聞配信より引用)。

後日、撤回してるけど、不適切か不適切でないかといえば、やはり不適切な発言やろう。

では、何が不適切なのか?

論理的な反論とすれば、「天罰」というからには、亡くなられた方は「罰」を受けたわけで、「罰」を受けるからには、それ相応の「悪行」をしたからということになる。つまり、石原都知事は今回の震災やそれに伴う津波で亡くなられた被災者は「悪人」だと言っていると。それは、被災者に対してあまりにも失礼な物言いやと。

これは、全くもって正しい批判ではある。もちろん、石原都知事自身もそのことは弁えて(わきまえて)いて、「被災者の方はかわいそう(=被災者が悪人だから罰を受けたわけではない)」とのエクスキューズはつけている。ただ、エクスキューズをつけていればいいのかという疑問は残る。もっと言えば、地震を含めた災害というものは、「道徳的無価値(道徳的にいいからとか悪いからとかいう理由で起こるわけではない)」というのが科学的な見方であって、そこに、道徳的な価値判断を伴う、善悪や罰などといった要素を含めることがナンセンスであり、そこに自分の主観的な考えというものを押しつけるのは、単なる宗教やないかていう反感も生じる。

では、逆に、この石原都知事の発言は、100%間違っているのか?

これはこれで、間違っていると言い切るのは難しいところやろう。例えば、こういう表現なら、どうやったやろう?すなわち、

「今回の震災及び津波は、積年の日本人の我欲に対する自然からの警鐘であり、被災された方々は我々の欲望が引き起こした災害の貴い犠牲になられた。その災害の対象が私であっても、まったくおかしなことはなかった。この貴い犠牲を無駄にしないためにも、我々生き残った日本人は、我欲を捨て、新たに共生し助け合う崇高な精神で復興しなければならない。それこそが、我々罪を作った日本人が、犠牲者の方にできる、償いの道である」

これも、科学的にはナンセンスな表現やけれども、多分、「天罰」発言よりは、不快感は与えへんやろう。そして、おそらくやけど、石原都知事の言いたかった内容ともずれていないと思う(まぁ、僕の解釈が正しければやけど)。

つまり、石原都知事の発言は、表現は不適切やと思うけど(そして、恐らく、彼はその不適切な表現を敢えて選択したんやと思うけど)、内容としては、それなりに腑に落ちる発言やったと僕は思う。少なくとも、僕は、ある程度同意できた。ただ、惜しむらくは、(彼一流の表現とはいえ)結果的に稚拙な発言になってしまったがために反感も受けたということやろう。

そして、話を少し変えて、ここで別の「罰」の発言についても書いてみたい。

これは、震災後十日ほど経ってから見た報道番組(確か、3/21日関西テレビで放映されたアンカーという番組)でのことなんやけど、ある被災地に行っていたボランティアの方が、被災された方が言っていたと紹介していた。どんな内容かていうと、新しく巨大な堤防ができたことにより、昔からあった堤防の外(昔からの堤防の外でかつ、新しい堤防の内側)に住宅が建つようになったんやけど、その新しい巨大な堤防を乗り越えて、今回の津波の被害が生じてしまった。その、遺族の方なんやろう、

「なんで、あんなところに家を建てたんじゃ、堤防(旧堤防のこと)の外に家を建てたらならんという約束じゃったのに。あんなところに家を建てるから、罰が当たったんじゃ」

といった内容のことを言われていたと。

もちろん、石原都知事の発言とは、立場も内容も違う。この発言から受ける重さも、全く違う。多分、この発言から不快感を覚える人はいいひんやろう。そして、もちろん、この被災者の方(堤防の外に家を建てた方)を非難する気にもさらさらなれない。この遺族の方も、本心ではそうやろう。

だからこそ、とても切なくなる。

こういった、言葉の重みを知ると、やはり、安易に「罰」という言葉を使うべきではないと思うし、単なるレトリックとして選択することは、不遜やと思う。

与える影響の大きい人やからこそ、自重もして欲しいし、自戒もして欲しい。今のあなたは、言葉遊びの許される小説家ではなく、1千万もの人の命を預かる政治家であり、今回の知事選で再選もしたのだから、もっと自覚を持って欲しい。そして、できうるならば、慨嘆するだけなく、自らが率先して、我欲を捨て、新しく日本を生まれ変わらせてもらいたい、ぶくぶく。。。

2011/04/16

第228話 「頑張れ」

あえて括弧書きにしたのには、意味がある、「頑張れ」という言葉。

この時期なので、もちろん、東北大震災に関わる話なんやけど、この「頑張れ」ていうんは、なかなか難しい言葉やねぇ。

鬱病患者の方などには、この「頑張れ」ていう言葉は禁句やてよう聞く。

すでに、頑張ってるのに、これ以上どうするんだという絶望感や、もう、頑張れなくてごめんていう罪悪感。

その他、上手いこと言葉にも表せへん負の感情が色々と巻き起こるらしい。

で、こういった震災についても、僕らは安易に使いがちやけど、やはりこの「頑張れ」という言葉が問題になるようで。

もちろん、使っている人のほとんど大多数は、悪意では使っておらず、心からの善意で使っている。それは、間違いない。

そして、この言葉に勇気づけられる人もいる。

ただ、その善意をわかった上で、それでも色々と問題が巻き起こるんも事実やと。

理由はいくつかあるんやろう。一つは、先に挙げた鬱病状態に近い精神状態に陥ってる。あるいは、使う方が、本心から思っているんではなく、単なる挨拶代わりに使っていて、心が通じていない。あるいは、他者に何かをしろという命令形の形なので、突き放した感じがする。

他にも理由はあるかもしれへんけど、僕の考えられる理由はこんなところかなぁ。

そして、それに対する、僕らの側の対応もいくつかある。悪意はないのだから、心が通じるように使い続ける。あるいは、相手がどう感じるかが大事なので、使うのを避ける。相手の反応を見て、対応を変える。

多分、一番最後の相手の対応を見て変えるていうんが一番いいんやろうけど、例えば、こういったホームページやブログで発信する分には、それはとても難しい。

ならば、どうすればいいのか?

きっと、正解はないんやろう。だから、使う側の判断によって使い、場合によってはより良くなるように修正していく。その試行錯誤しかないんやろうと思う。

ただ、一つ思うのは、こうやって、色々と考え、悩んだ末に紡ぎ出された言葉は、おそらく、何も考えずに発せられた言葉よりは、より、間違いを起こす可能性は少なくなるんやろうなということ。

だから、僕は、今までのエッセイを見ても分かるように好き勝手言い、そしてこれからも好き勝手言い続ける中でも、色々と考えた上で、自分の考えを紡ぎ出していきたい。

被災者の方々、今はご自愛ください。そして、来るべき復興の日に、ともに働き、ともに頑張り、ともに未来を作り上げましょう。

これが、今の私の言葉です、ぶくぶく。。。

2011/03/22

第227話 東北大震災

もう、今さら、新聞の記事の引用も必要がないぐらい、誰もが知っている東北地方で起きた大震災。それから、そろそろ一週間が経とうとしている。

ブログの方でも色々と書いてるし、それ以上に、言いたいこと、伝えたいことはいっぱいある。だけど、今、どうしても書いておきたいことがある。

本来、こういう非常事態の時には、好き嫌いは置いといて、現在の政権を信じ、協力し、一体となって震災復興にあたるべきやと思ってる。

足の引っ張り合いをするより、多少、政府に失敗があったとしても、その方が、最終的にはより良い状況に向かえると思うから。

やけど、それにも限度はある。我慢の限界はある。例え一時期混乱があったとしても、その先に光が見えるのならば、そっちに賭けたい。

僕は、政治家の一番の役割は、国民の命を守ることであり、そして、そのための決断をすることやと思ってる。

だからこそ、彼ら政治家には、安くもない給料が税金から支払われている。

逆に言えば、国民の命を守れない、そして、決断のできない政治家などというものは、存在価値がないと思ってる。

そして、その意味からすると、今の政権には存在価値がないと思う。なぜ、彼らは決断をしないのか?いま、決断できるのは、政権与党の代表である総理大臣や、国務大臣しかいない。その、彼らが、なぜ決断をしないのか?

例えば、原子力発電所。なぜ、彼らがいち早く原子力発電所の廃炉を東京電力に代わって決断しなかったのか?あるいは、関東を中心に生じている電力不足。なぜ、彼らは強制的に電力消費抑制の政令を出さないのか?買い占め問題もそう。逆に、被災地への通行車両への規制緩和もそう。なぜ、彼らは決断をしないのか?

自粛なんていうのは、結局のところ、政治家の責任逃れでしかない。国民の、民間企業の判断に任せたら、協力が得られなかった。我々としては、最大限の協力を呼びかけたのに残念だ。自粛なんていうのは、そんな、言い逃れをするための方便にしか、なり得ない。

そうやない。たとえ、国民生活に支障が出ても、国民から恨まれても、自分たちの権限において、強制的に実行させることが政府の役割やろう。少なくとも、緊急事態においては、それが正しい役割になる。

だから、総理大臣には、そして、国務大臣には、決断をして欲しい。くだらないパフォーマンスだけをして、判断は国民に預けるなんていうことは、してはいけない。そして、もし、自分たちには決断ができないというのならば、決断のできる人たちにその地位を譲らなければならない。与野党問わず、民間を問わず、譲らなければならない。

もしも、彼らに矜持というものがあるのならば、その対極にある、卑小な見栄≠ネどというものは捨てて、自分たちよりも能力のある人たちに、その権限を譲って欲しい。それができれば、僕は彼らを軽蔑しない。むしろ、国民のために、自分たちのプライドを捨てて行動したと尊敬する。だから、これこそ、「決断」して欲しい。

これ以上、被災者が苦しむのも見たくないし、「犬死に」する人も見たくない。これ以上、犠牲者は出したくない。

どうか、僕の思いが彼らに届きますように。心から、願います。

2011/03/17

第226話 尖閣諸島でのビデオ流出問題

尖閣諸島沖における日本の領海内で、中国船が海上保安庁の巡視船にぶつかってきた問題で、その事件の映像をYouTubeに流出させた犯人≠名乗る男性が、10日に現れ、事情聴取を受けているとのこと。


沖縄・尖閣諸島沖の漁船衝突事件をめぐる映像流出問題で、10日、神戸海上保安部の43歳の海上保安官が映像の流出に関与したことを認める話をしていることがわかった。警視庁は、国家公務員法の守秘義務違反の疑いで事情聴取を開始している。この海上保安官はNNNの取材に対し、「誰にも相談せず一人でやった」と話していた。

事情聴取を受けているのは、神戸海上保安部に所属する男性の海上保安官。関係者らによると、この海上保安官は9月、尖閣諸島沖で起きた中国漁船と巡視船の衝突事故をめぐり、海上保安庁が撮影したビデオ映像をインターネット上の動画投稿サイト「YouTube」に公開し、流出させた疑いが持たれている。

この海上保安官は10日午前、巡視船での勤務中、神戸市内の港に接岸した後、任意同行に応じ、第5管区海上保安本部で事情聴取が行われている。

この事件は4日、「sengoku38」を名乗る投稿者が衝突場面を含む約44分間の映像を公開したもの。東京地検はYouTubeを運営する「グーグル」から通信記録を押収して分析したところ、神戸市内の漫画喫茶から映像が投稿されたことがわかっている。

この海上保安官はNNNの取材に対し、映像の流出にかかわったことを認めた上で、「誰にも相談せず一人でやった」と話した。また、「映像は元々、国民が知るべきものであり、国民全体の倫理に反するものであれば甘んじて罰を受ける」という趣旨の主張をしていた。

海上保安庁の幹部に対し、すでに事情説明を終えているとみられ、現在は警視庁が取り調べを行っている(10/11/10 日本テレビ配信より引用)。


事前に読売テレビの記者に話している内容からも、確信犯である様やね。

今回のこの行為に関しては、もちろん、色々な見方があるんやろうけど、大雑派には、

A.この海上保安官は全く悪くない。そもそも、国民に公開すべき情報を隠蔽していた政府が悪いのであって、この人は、その政権の隠蔽から我々国民を救ってくれた英雄だ、当然、無罪ですぐに釈放するべきだ。

B.国家機密を勝手に、個人の判断で漏洩してしまうなんて、とんでもない悪党だ。この行為により、日本の国益がどれだけ冒されたかはかりしれない。厳正に処罰すべきだ。

C.流出させた気持ちはわかるし、国民にとっても知らせてもらえて良かった。ただ、罪は罪なので、その行為に対しての処罰は受けるべき。

てな、3パターンやろうか。ネットやら報道やらを見た感じやと、ネット上ではAパターン、民主党議員はBパターン、一般的にはCパターンてな感じかな。

自分個人の感想としては、是非とも国民に公開すべき、もっといえば、公開しなければならへんかった映像やと考えているから、我々国民の前に映像をさらけ出してくれたこの人の行為については、感謝したい。その上で、僕は感情論ではなく、法的にもこの人は無罪やと思うんやけど、それを公平、公正に世に知らしめるためにも、そして、この人の名誉のためにも、裁判で無罪を明らかにしてもらいたい。そう、思ってる。

今回のこの件については、いつものことやけど、どうも報道関連では好き勝手言ってて、なんか、色々とゴチャゴチャになってるねぇ。もちろん、大きな原因は、きちんとした法律の専門家の解説もある一方、なんの見識もない、聞きかじりの知識だけで偉そうに発言してるコメンテーターやらが自分の感覚だけで決めつけてたり、報道自体も、その新聞社やテレビ局の方針の下、直接には関係のない事実を織り交ぜていることにある。

例えば、海保の情報管理が杜撰だったとかいう話がしきりに喧伝されようとしてるけど、こんなもん、最初の段階は国民に公開したり、研修用に知らせたりする映像として取り扱ってたんやから、情報管理なんてしてへんで当たり前やん。それをあたかも、当初から機密情報やったみたいにミスリードする必要が、いったい、どこにあるんやろうね?なんか、それでマスコミ各社に利益があるんやろうか?

あるいは、中国の暴動の時に流行った「愛国無罪」という言葉を使って、批判する人もいる。愛国のために犯罪者を賞賛するんは、あの中国と同じやないかというんやけど、単なる暴動で日本の店や自動車なんかを破壊した粗暴犯と、国民の知る権利にも関わる政治犯とを一律に扱おうとする精神に疑問を覚える。そうまでして、この人の行為を貶めたいんかねぇ?まぁ、百歩譲って、行為ではなくて、精神面で比べているだけだという主張としても、公益のために*違法性が阻却されるんは、当たり前のことなんで、公益が認められるような余地のない行為(中国での暴動)と、公益が認められれば許される可能性のある行為(国家公務員の守秘義務)とを同列に比較するんはおかしな話やと思うな。

*違法性が阻却される…ようは、犯罪には当たるけれども、その犯罪が行使されることによる利益が大きいから、犯罪行為にはしませんよていうこと。例えば、テレビや新聞は、毎日のように名誉毀損ていう犯罪をおこなっているけど(何々の事件で捕まった犯人やと実名や顔を出して報道するなんていうのは、事実であっても名誉毀損になる)、こういった情報を公開することは公益にかなうから、原則的には許しますよていうことになってる。守秘義務についても、隠蔽する方が悪くて、内部告発という形で秘密を暴露することが公益にかなうならば、罪に問われないという可能性も出てくる。

さて、ここで話を、そもそも論に変えてみたいんやけど、Bの意見はもとより、一番多そうな意見のCなんやけど、果たして、本当にこの人の今回の行為は、そもそもが「犯罪」であり、彼は「犯罪者」なんやろうか?別に、某政治家の擁護論者を気取って、「推定無罪」の原則を持ち出すつもりはない。純粋に、法律論的に検討してみたい。

まず、今回の国家公務員の守秘義務違反に問われるためには、今回流出された情報が「公にされていないこと」、そして、仮に公にされていなかったとしても、その情報が「機密情報として保護されるに値する秘密であること」の2つが兼ね備えられていなければならない。すでに公にされている事柄なら、当然「秘密」ではないわけやし、仮に公にはされていなくても、そんなん、秘密にする必要なんてないやん、てな情報なら、わざわざ刑罰を科してまで守る必要はない。

その観点からすると、まず、第一の「公にされていない」という要件の時点で、僕は当てはまらへんと思う。なぜなら、今回の情報の中身は、中国船が海上保安庁の巡視船にわざとぶつかるという犯罪を犯したということであって、このことは最初っから公にされて報道もされている。さらには、その衝突時の様子も、この流出の少し前にビデオの一部を見た国会議員から、事細かに報告されている。今回のビデオは、その情報を映像として補完したに過ぎず、本質的な「情報」はすでに公にされている。であるならば、今回の映像自体はあくまでも補助的な証拠であり、秘密の暴露には当たらない。僕は、そう考えるのが適切やと思う。

この、前提条件の時点で当てはまらへんわけやから、第二論点の「秘密に値する情報かどうか」ていうのは、考える必要もなく無罪ということになる。まぁ、ただ、こちらについても一応検討してみると、従来、海上保安庁の取り締まりの様子は報道や海上保安庁のホームページでも公開されており、海上保安庁の活動状況が国民に公開されることは国民に資することなんやから、本来は秘密に値する情報でもないと考える。今回のこの映像についてだけ、唐突に秘密情報になる合理性は薄いやろう。ただ、それでも、今回だけ、なんらかの特別な理由があるのならば、保護するに値する秘密情報になる可能性もある。もちろん、巷間言われてるような、「映像を見せたら、なんでこんな悪質な犯人を釈放したんだと現政権に批判が起こる」といった情けない理由なら論外やけど、ひょっとしたら、他にまともな理由があるのかもしれへん。ただ、それならば、その納得のいく、合理性のある説明を現政権はせなあかん。単に、外交上の国益を優先するといった曖昧な説明では、国民の知る権利というものを制限するに値する根拠にならへん。

てなわけで、僕自身は、今回のこの保安官は無罪やと思ってる。もっとも、これはあくまでも刑罰としての話で、海上保安庁という組織の中での規律とかの問題は残って、それによる行政処分は、また別問題かもしれへん。その辺がごっちゃになって、この保安官にもなんらかの責任はあるはず、ていう人もいるんかもしれへんね。ただ、国が強制的に刑罰として身体の自由を奪うという行為と、服務規程違反による行政処分として減俸とかにするていうんは全くの別次元の問題であって、僕自身は、この保安官が法律で裁かれるような罪は犯していないという意味で、無罪やと言っている。

ドラマなんかでは、無罪の判決を受けて職場に復帰した彼に、上司が服務規程違反で減俸処分を言い渡した後、個人的には良くやってくれた感謝する、とポケットマネーや同僚のカンパでそっと補填する、といった感じでエンドロールになるようなシーンやな。

まぁ、事実はもっとドロドロとしたもんなんかもしれへんが、僕としては、彼には司法の判断という公明正大なもので堂々と無罪を勝ち取って、再び、国民を守るために職場復帰してもらいたい。

そして、あらためて言いたい、ありがとうと。ぶくぶく。。。

2010/11/11

第225話 災い転じて福となせ

民主党が政権を取ってから、初めての国政選挙。民主党が言ってるとおりなら、これで今後3年間は衆院選も参院選も開かれへんていうことになる。

参院選直前に総理大臣が鳩山前総理から菅総理に代わったんで、今までの民主党の政権運営に対する中間的な審判なのか、これからの民主党に対する期待感を表すのか、なかなか位置づけが難しい選挙ではあったけれども、とりあえず、結果はこんな風になった。

第22回参院選が11日投開票された。民主党は04年の50議席に及ばない44議席にとどまり、自民党の51議席を下回る大敗となった。自民党は「改選第1党」に復調。みんなの党も改選第3党となる10議席に躍進し、民主党は国民新党との連立与党で過半数を割り込んだ。菅直人首相は12日未明、自身の消費税引き上げ発言について「十分な説明が不足していたことが大きな(敗北の)要因」と認めたうえで続投を表明。「もっと慎重に、しっかりとした議論を進める丁寧な扱いを国民が求めた」と超党派の消費税協議を呼びかけた。

野党が参院で多数を占める「ねじれ国会」の再現で政権基盤の弱体化は避けられず、首相は連立組み替えも視野に政策協議などの連携を野党に働きかけることになる。

民主党の44議席は菅首相が目標に掲げた「改選54議席以上」を大幅に下回り、参院での民主議席は非改選の62議席と合わせて106に減少した。連立を組む国民新党は議席を獲得できず、非改選の3議席が残った。同じく非改選の新党日本の1議席と合わせ、与党は110議席にとどまり、参院(定数242)の過半数(122)を12議席も割り込んだ。

参院の過半数確保には野党との連携が不可欠となるが、非改選も含め11議席に伸ばしたみんなの党だけでは、過半数に達しない。

勝敗は1人区で決した。民主は29ある1人区のうち27選挙区に公認候補を擁立したが当選は8人のみ。全選挙区に候補を立てた自民党は21勝8敗と大きく勝ち越し、6勝23敗と惨敗した07年から巻き返した。毎日新聞の世論調査では消費税引き上げへの反対が地方で強い傾向にあり、民主が1人区で大敗した背景に首相への反発があったとみられる。

選挙区全体で落選した民主現職は7人。比例では04年以来の「比例第1党」の座を守ったが、07年より4議席減の16議席にとどまった。自民は改選議席では第1党に立ったものの、比例は12議席で過去最低だった98、07年の14議席に届かず、本格的な党勢回復には至らなかった。

2人区は12選挙区すべてで民主、自民両党が1議席ずつを分け合った。民主は10選挙区で2人を公認したが、今回も「すみ分け」が続いた。3人区(埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪)と5人区(東京)の6選挙区でも民主は公認候補2人を擁立し、東京では蓮舫行政刷新担当相ら2人が当選、愛知でも2議席を獲得した。他の4選挙区では1議席にとどまり、神奈川では千葉景子法相が落選した。

初の参院選に臨んだみんなの党は比例で7議席を確保し、東京、千葉、神奈川でも議席を獲得した。公明党は候補を擁立した東京、埼玉、大阪の3選挙区で3人全員が当選。比例は過去最低の89年と並ぶ6議席で、改選11議席を下回った。公明、みんなの両党は参院のキャスチングボートを握り、民主にとっては政策ごとの部分連合や連立組み替えを働きかける有力候補となる。

共産党は比例から東京選挙区に回った現職の小池晃党政策委員長が落選、比例の3議席にとどまった。社民党も比例で福島瑞穂党首ら2人の当選となり、両党は改選議席から減少した。たちあがれ日本と新党改革は比例で各1議席を獲得した。

07年参院選で民主党が大勝し、与党(自民、公明両党)が過半数を割ってから昨年の政権交代まで2年間続いたのが「ねじれ国会」。このときは与党が衆院で3分の2以上の多数を確保していたため、参院で否決された法案の再可決が可能だった。民主は衆院で300議席を超えるものの国民新などとの与党で3分の2には届かず、今後、野党の協力なしに法案を成立させられなくなる(2010/07/12 毎日新聞配信より引用)。


非改選議席数の差で、参院での比較第一党はいまだに民主党ていうことになるけど、少なくとも今回の改選比較第一党は自民党ていうことになった。

過去の比較第一党と比較第二党の議席の変遷を見てみると、

(改選126議席)63→69→68→72→46→68→46→44→(改選121議席)64→50→60→51

(改選126議席)27→22→22→20→36→22→40→27→(改選121議席)26→49→37→44

てな感じで、民主党もまぁ、ボロ負けというほどではないというところ。逆に自民党も勝ちていうわけでもないという感じかな。両党のムードは好対照で違うやろうけど、客観的に見れば痛み分けという風に見えるな。

議席で見ると、比例では民主党が相変わらず第一党で16議席。自民は12議席。得票数が民主党1850万に対して、自民党1400万。まぁ、自民は参院選前に分裂して新党で出て行かれてるから、それを足せば大体前回並みなんやけど、裏を返せば、伸びてはいないね。民主党の得票率が31%に対して、自民党の得票率が24%ていうんは、大体、世論調査の政党支持率とも一致してるんで、こういうときに世論調査の信憑性が出てくるな。

とはいえ、実は自民党の比例での得票数は、過去を遡ってみてみると、あんまり変わってへんかったりする。昔は参議院は少数政党が分立してたんやけど、それが新進党を通じて民主党に収斂(しゅうれん)していったていう感じなんやろね。

じゃあ、なんでこんなに自民党が議席を増やしたのかていうと、上の記事にもあるとおり、1人区で21勝8敗と大きく民主党に勝ち越したから。1人区の場合は、地方が主な選挙区で、元々自民が支持基盤の地域が多い上に、都市部と地域との格差(雇用や経済)が民主党政権になって、さらに広がったために民主党に対するノーの声がさらに大きくなったていうことやろう。

つまり、自民支持以外のアンチ民主がそれなりに多いため、政党支持率では民主党>自民党でも、アンチ民主+自民党>民主党で負けてしまったと。

当選者が複数いる地域では、当選ラインのハードルが下がるから、まだ多い民主党支持者の投票で民主党議員も当選するけど、小選挙区制の1人区ではアンチ民主票がほぼ自民党に流れるんで、自民が圧勝したていう流れになったんやろう。

だから、民主党に大多数がノーを投げつけたわけではなくても、民主党はもう嫌、民主党は懲り懲りていう層がかなりの程度、発生したていう点において民主党は猛省をしないとあかんやろうし、積極的な支持ではない、政権批判層の受け皿というよりも捌け口にしかなれていない自民党の方も、浮かれず、本当の国民の信任を得るために進まなければならへんやろう。

てなところで、選挙の分析は終えて、じゃあ、今後、国会運営はどうなるのか?

結果として、衆院与党と参院与党が入れ替わるねじれ状態となり、さらに、衆院では再可決もできない。これをもって、日本の政治が停滞するていう脅し≠かけるような評論家やコメンテーターもいるようやけど、自分としては大歓迎をしたい。

なぜなら、昨秋以降の民主党政権の国会運営が驚くほど傲慢やったから。こんな与党が衆参多数を占めていたら、欠陥法案がなんら国会で審議されることなく、ただの時間の経過というアリバイ作りと数を頼んだ強行採決のオンパレードで、ただただ、可決されていくだけになる。こんなもん、言論の府やない。

だから、民主党の数だけでは法案が通らない現在の状態になって初めて、国会において法案についての話し合いがおこなわれ、その法案の欠点を修正し、多くの立場から妥協できる法案が成立する。そういった、本来の国会のあるべき姿が取り戻されることになる。

こんな当たり前のことが喜ばしいと思えるほど、民主党政権の国会運営は稚拙かつ傲慢やった。これは決して、小沢−鳩山体制だけの特徴ではない。菅政権発足後、予算委員会も開かず、参議院閉会での国会すら開かず、野党の声も無視し、国民への説明も無視したのは、紛れもなく、現在の菅−仙谷体制であり、これはいくら頭が変わっても変わらない、民主党の体質としか言いようがない。

だからこそ、これを機に、民主党議員の方々には、他者と妥協し、相手を説得するというスキルを手に入れて欲しいし、野党となった自民党にも、自分たちが法案を作り、それを押し通すだけでなく、相手の出してきた法案をよりよいものにするにはどうすれば良いのかといった受け手の側での視点も取り入れていってもらいたい。

このまま、二大政党制が定着するのか、また別の形態になっていくのかは知らへんけれども、これらの作業というものは、お互いの役に立ちまた、国民にもきっとメリットがあるやろう。

衆参のねじれという、セーフティーネットができて初めて、民主党政権下での国会審議というものについて、ゆとりを持って見ることができるようになった。これで、無駄で無意味なバラマキもできなくなるし、欠陥を放置したまま、法案を提出することもできなくなる。なら、民主党内で復活させた政調でしっかりと案を練り直して法案を提出しなければならなくなるし、さらに、野党の厳しい目にさらされ修正をすることにもなるやろう。あるいは、民主党が遅ければ、野党側から法案もどんどんと出てくるやろう。それを、自分たちの面子だけで否定するのは、もう許されない。不備があるならば、それをきっちりと指摘できるだけの知識と論理が必要になる。

本当に、こんな形で与野党が丁々発止でやりとりをおこなうなら、これは今までの自民党の一党体制よりも良くなったと言えるやろうし、この間の政権交代があって良かったということになる。

幸か不幸か、鳩山政権が右へ左へ迷走していたおかげで、そこまでひどい法案はとおされずにすみ、拙劣な予算による被害も1年だけの辛抱ですむことになった。前回の衆院選で感じた真っ暗な未来が、今回の衆参ねじれ発生で一筋の光明も見えてきた。生まれ変わるならば、今しかない。もちろん、生まれ変わるのは、民主党だけでなく、自民党だけでなく、国民全てやけど。

これからの国会こそ、上っ面だけでなく、厳しい目で与野党ともに見つめなければならない。災いを福に転じさせるのは、偶然ではなく、僕らの意志次第やと思ってる。日本が、少しでも良い国に向かっていくなら、この機会を何としても生かしたい。国民一人一人が望めば、それはきっと可能やと思う。願わくば、マスコミが邪魔をしないことを、ぶくぶく。。。

2010/07/13

第224話 他人(ひと)の目

最近、政治ネタというか、愚痴はブログに書いて発散してるんで、また、こっちの方の更新は止まってた(笑)

なのでまぁ、政治ネタはブログの方でこれからも書いていくんで、こっちの方は本来のエッセイに戻るということで。

もっとも、今までも政治ネタは書いてたから、また、書くこともあるとは思うけど。

さて、今回は、タイトルの通り、「他人(ひと)の目」について。

「他人の目を気にする」と、「他人の目を気にしない」。どちらも、いい意味でも悪い意味でも使われるね。

他人の目を気にするというのは、よく言えば、悪いことをせず、理性的にふるまうということにつながるし、悪く言えば、周りの状況に流され、八方美人、優柔不断な態度をとるていうことにつながる。

逆に、他人の目を気にしないというのは、自分の信念を貫き、くじけずに進むという意味にもなるけど、我が儘で傍若無人な対応やていう意味にもなる。

じゃあ、なんで、こういう違いが出てくるかていうことなんやけど、それは、「他人」という言葉の中に、隣近所をもう少し広げたような、なんというか生身の人間を対象にした他人と、具体的な誰それさんていう人物を指すのでもなければ、一般大衆てな大雑派な対象とも少し違う、おそらく自分の中でとらえている、「良識」とか、「道徳」てなもんが投影された対象としての他人が入り交じってるからやろうと思う。

前者の他人は、別の言葉で言うと「世間体」であり、後者の他人は、「お天道(てんと)様」てな感じになるのかな。

あんまり良い意味で使われへん「他人の目」の方は、前者の意味に近く、自分の価値観、道徳では問題ないことでも、他人がどう思うかと気になってくる。

それに対して、いい意味の方の「他人の目」の方は、後者の道徳的な価値観が多分に含まれていて、他の人はどう思うかもしれへんけど、私の考えでは、これが正しいんだと突っぱねたりする。

昔は、前者の「他人の目」や「世間体」なんて、くだらないと考えていたんやけど、最近は、堕落したのか(笑)、成長したのか( ̄m ̄)、そういった考え方についても、ある程度許容できるようになってきた。なんというか、全ての物事に対して、常に論理的に考え、自分の道徳と照らし合わせて行動するなんていうんは、しんどいし、かえって窮屈なことなんだと。

多分、長い年月を過ごすとともに、色々なことを経験してきて、重要なこととどうでもいいこと(ことの軽重というよりは、自分にとって)の区別が自分なりについてきて、そのどうでもいいことについては、「世間体」の一語でさらっと流せばいいと思うようになってきたんやろなぁと。

まぁ、もちろん、さらっとは流せないことも多々あるわけで、その重要だと思える部分まで「他人の目を気にする」ことはしないつもりやが。

良識や道徳なんてものは、ややもすると俺様ルールになりがちで、仮に自分の道徳に基づいて他人の目を気にしないとしても、その前提としての道徳観が間違っていたら、結局はそれは単なる思いこみに基づく傍若無人なふるまいになるわけで、そうならへんためのチェック機能としても、「他人の目」はやはり気にしながら進んでいく方が、えーんやろな。どうしても人間、自分に甘くなるからねぇ。世間様が眉をひそめるのには、それなりに理由はあるんやろう。

少し古めかしい言葉やけど、「お天道様が見ているよ」、「お天道様に顔向けできない」なんて言葉があったりするけど、なかなかいい言葉やと思う。

たまには立ち止まり、振り返りながらも、自分の道を歩んでいくことにしよう、ぶくぶく。。。

2010/02/08

第223話 否自民

鳩山政権が誕生してから、ちょうど2ヶ月ほど。たったこれだけの間に、日本の経済がボロボロになっていってるように見えるんが、民主党嫌いの僕の歪んだ目が理由なだけなら、ホンマにえーんやけどな。

とりあえず、日本のためには、僕の目が節穴であることを祈っておこう。

さて、鳩山政権の基本方針についてなんやけど、ここ2ヶ月の間に実感したんは、それが国民を幸せにすることでもなく、弱者を助けることでもなく、タイトルにも書いた否℃ゥ民やていうこと。

自民に非ずの非自民ではなく、自民を否定する否自民。

これが如実に表れてるんは、普天間基地移設問題とインド洋の給油の中止やね。

普天間基地については、結論を先延ばしにする要素は一つもない。元々の出発点が、住宅密集地での危険な軍事訓練から住民を守ることなんやから、一刻も早く処置せなあかん問題なわけやん。

で、結論が難しいのはわかるが、決められる結論自体は簡単。沖縄県民の意思を尊重するならば、県外移転しかない。それは、当たり前の考えるまでもない話。

そして、沖縄県民の意思よりも、日米同盟を考えるならば、アメリカが同意している現行の普天間基地移設案しかない。これも当たり前の話。

結論を出すのが難しい問題であるのは良くわかる。しかし、結論自体は二つしかないわけで、それを一刻でも早く出さなければならない。

それができるのは、鳩山総理しかいない。しかし、彼は出さない。というより、優柔不断で結論が出せないんやと思う。もっといえば、責任を負うのが嫌で出せへんにゃろう。

現行の普天間基地移設というのは、沖縄県民の意思である県外移設とアメリカの意思である沖縄県内での移転の最大の妥協点を日米両政権が探った上で、曲がりなりにも名護市長選と沖縄県知事選で一応の民意を得た上で信任された案なんやから、それをすみやかに実施するのが、日本政府としての役目であり義務やろう。

それで沖縄県民の多数から非難され、恨まれたとしても、それが政治家の責務やと僕は思う。

沖縄県民が嫌だと言ったからできません、沖縄県民はいいと言ったんだから今更文句を言うな、と後から言いたいがために、沖縄県民の意思に責任を負い被せたいがために、先延ばしにするなんていうことは、卑怯極まりないことやと僕は思うけどね。

そして、この鳩山総理の卑怯な態度と並んで、現行案にケチをつけるもう一つの大きな理由が、タイトルに書いた否自民にあると思う。

つまり、現行案を否定する理由は、自民党が決めたことだからという理由。

例えば、岡田外相は嘉手納基地統合案を蒸し返したいみたいやけど、これは沖縄県民の意思である県外移転にもそぐわないし、アメリカも同意してないので、何の意味もない、まさに時間の無駄の提案。彼は、この方法が一番安くつくからと言ってるみたいやけど、ならば、なぜ、年間100億ほどの負担ですむインド洋の給油活動を中止して、年間1000億もの資金援助を対案として出すんやろう?この辺が支離滅裂で、否自民の論の典型やと思う。

自民がやってきたことだから、どれだけ合理的なことでも否定する。それが、民主党の根本原理の典型に見えて仕方がない。

今、事業仕分けということで無駄遣いの削減を頑張ってるみたいやけど、年間100億の対価で国際貢献するのと、年間1000億の対価で国際貢献することとの是非についても、論じて欲しいね。

日航の再建問題についても、自民党のチームを解散させて新たにチームを組んだものの、ろくな対案も出せずにグダグダ。後期医療制度も廃止すると負担金が増える人が多くなるのに、それをカバーするために現役世代にさらに負担をさせようと画策する。母子加算も、廃止する代わりに勤労意欲を上向かせる制度設定やったんが、働く方が損やんていう制度に戻してしまう。天下りも自分らがやった日本郵政の人事を正当化するために、官僚OBの斡旋もオッケーと骨抜きにしてしまう。一事が万事、そんな感じ。

別に、自民党の政策が全て素晴らしかったという気もないし、無駄が多かったんも事実やと思うけど、彼らなりに知恵を絞って、歳入と歳出のバランスを取りながら実施されていた政策も多く、それらより劣った案しかないにもかかわらず、自民党の政策を否定したいだけの理由で廃止していくていうんは、あまりにも馬鹿げた話やと思うし、日本国民として非常に不愉快かつ困ってしまう。

僕は元々、民主党不支持やから、長い目で見るつもりなんてこれっぽっちもないけど、支持者にしても、明らかに間違った方向へアプローチしてる時は、その場で批判して欲しいところやな。長い目で見ても、その方が健全な政党に育っていっていいことやと思うから。

ただ、民主党はさておき、鳩山総理はもはや、修正するにもどうしようもないレベルやと思うけどね、ぶくぶく。。。

2009/11/14

第222話 子供手当

民主党政権にむかつきのあまり、あぶくよりもブログの方で文句を言いまくってるため、あぶくの更新はチト久しぶりやったり。

最近、ようやくマスコミも新聞は大体まともに問題提起してるし、テレビも一部を除いては太鼓持ち報道をやめてきたようでなにより。

ま、それでも、自民党に対してと比べると甘々やが、この程度なら、まぁ、初めての政権運営ということで認めてもえーレベルなんかな(一部のテレビ番組はホンマにひどいけど)

で、今回は前から何度か書いてる、僕が子供手当に反対なわけをメインに書いてみたいと思います。

前から書いてることと重複するんもあるけど、僕が子供手当に反対な理由はこんな感じ。

1.不景気の今、手当を増やすだけならともかく、扶養控除の廃止などの実質増税につながる負担を強制することに反対

2.支給するにしても、間接給付ならともかく、直接給付であることに反対。子供手当の名の下に、親が食い物にする可能性がそれなりにあるし、闇金の跋扈(ばっこ)も気に掛かる

3.不正受給がし放題のシステム上の問題


まずは、1から。

民主党は基本的に、財源は無駄遣いをなくしてからと言ってたんやけど、子供手当については、珍しく衆院選前からそれなりには扶養控除の廃止で財源を考えてるて言ってた。

まぁ、国民全体で子供を育てるんだていう主旨自体は反対せんが、今のこの不景気な時期に、一部であれ負担を増やす方向に持って行くというのは感心できひん。

子供以前にその子供達を育てるのに親が必死な経済状況があるわけやから、現段階では景気回復のための経済対策が優先されるべきやと思うけどねぇ。子供手当をもらっても、親が失業してたら意味ないよ?

その辺で、優先順位が間違ってると思う。

次に、2番目。これは前から書いてるけど、ようは現金支給やと、ホンマに子供に使われるかどうかわからへんねんね。子供に一切使わず、自分の欲望のためにしか使わん親が、悲しいコトながら一定の割合でいるんは事実やったりする。

そして、さらに問題なんは、闇金が手ぐすねを引いて、この支給を待っているということ。これはどういうコトかていうと、話は単純で、子供手当という政府補償つきの利息払いがあるから、安心して闇金が金を貸せるねんね。利率は闇金やから色々やろうけど、例えば、年利60%とかにしようか。そうすると、1ヶ月5%になるんで、100万の借金やと、月5万の利子になる。そうすると、子供が2人いたら、子供手当でほぼ利息分がチャラ。

後は、借金のカタに通帳とキャッシュカードを押さえれば、あっという間に100%政府補償つきの安心した利息が確実に入ってくる。しかも、元本なんかほとんど減らんから、子供が卒業するまでずっと稼げて、稼いだ後は、元本返せやと、追い込みがかけられる。

闇金からすれば、こんな美味しい話はない訳やね。

なので、仮に子供手当ては支給するにしても、絶対に間接支給にするべき。給食費や、修学旅行の積立金、体操服に副教材、子供がいたら、確実に出て行く金だけで、こんなにいっぱい使い道がある。これらを負担してもらえれば、元々ちゃんと払ってる親なら、十分に助かるし、学校単位で払いが済むんやから、一々各世帯に振り込むよりも事務の手間自体も楽やろう。

単に、参院選の前に札びらで顔を叩きたいていう理由だけで、デメリットだらけの直接支給をするんは絶対に反対や。

そして、3番目が不正受給の話。今、暴力団関係者が何を考えているかていうと、海外(フィリピンとか)の子供を利用した、養子縁組。

戸籍上、子供がいれば実子・養子を問わずに支給されるんやから(一説によると、子供は海外在住のままでも支払われるとか)、10人、20人と養子縁組をすれば、毎月、ン十万単位でお金が入ってくる。こんなボロい儲け話はないわな。

特に今は、不況の影響で暴力団関係者もしのぎが少なくて、むっちゃケチくさい犯罪で捕まりまくってる。そこで、こんな美味しい話が出てきたら、利用せんわけないわな。

今のところ、民主党はばらまくのに必死で、こんな不正行為についてまで考えてへんみたいやけど、そんな頭お花畑集団に任せてたら、貴重な税金がいくらあっても足りひん。

世の中には、悪い奴がいっぱいいるんやから、それについては、現実的な対応も考えてもらわなね。

てなわけで、僕自身は結論として、子供手当には大反対です。

子供が大切なんは、誰も反対せーへん事実やろうけど、だからといって、政策がいい加減では、その政策自体には賛成できない。もっと中身を詰めた、誰からも歓迎されるような政策の提言を政治家には期待しやす( ̄m ̄)、ぶくぶく。。。

2009/11/01

第221話 無駄遣い

まぁ、色々なレベルの無駄遣いはあると思うんやけど、ここはやはり最近の流れとして、国の無駄遣いというものについて話してみようかなと。

そもそも、一番の国の無駄遣いとはなんなんやろうか?

で、これは、はっきりしている。それは何かていうと、何の見返りもなく、海外にお金をばらまくこと。まぁ、人道的な観点からの援助とかいうんもあるけど、その場合は、人助けていう精神的なあるいは名誉的な見返りはあるんでまぁありかな。

少なくとも、日本に向けてミサイル配備している国に金をばらまくんだけは勘弁して欲しいもんやが。

ただまぁ、今回これは置いといて、では、次に無駄なことは何かていうと、それはお金使わへんことなんやね。僕らの場合は、お金を使わへん方が無駄遣いが少なくていいいうようなもんやけど、国の場合はそれでは困る。

これは何故かていうと、そもそも国は無理矢理、国民(会社も含めて)からお金を取り上げているわけやね。で、なんのためにそのお金を取り上げてるかていうと、それは国民に再分配するためやと。なのに、そのせっかく取り上げたお金を使わへんかったら、何の意味もあらへんやん。それなら、最初から取り上げるなよと。

だから、極論を言えば、天下り官僚の退職金やろうが、居酒屋タクシーの料金やろうが、もう一回市場に還元される方が、使われへんよりははるかにマシやと。

もちろん、お金のよりよい使われ方はあるわけで、こんな使われ方がいいはずはないんやけど、まぁあくまでも使われへんよりはマシていう極論の例ということで。

じゃあ、とりあえず、お金を使わなあかんてすると、一体何にお金を使えばいいんやろうか?

まず、使い道に困るなら、そもそも余分な税金を取り上げるなていう判断もあるわね。これが、減税。これも立派な無駄遣いでない政策やね。あるいは、借金返済。これも十分ありうる使い道。そして、積極的に使う場合は、景気対策で、消極的に使うのが福祉なんかやね。

今、目の敵にされているダムや道路、あるいは俗にハコモノて言われる公共事業とかなんやけど、実はこれらは、お金の効率の良い使われ方としてはかなりの優等生やったりする。ダテに、戦後長らくとられ続けていた経済政策ではない訳やね。

単純にいうと、まず、ゼネコンに金が流れ、そこから下請けの企業に金が流れ、さらにセメントや鉄骨などといった資材の会社、重機の会社に金が流れ、車や重機を動かすためにガソリンスタンドやらに金が流れ、そして、各企業で働く従業員に金が流れ、その人らが買い物をし、などと最初の税金が、ドンドンと膨らんで市場に還元されていく。

これはかなり優秀な部類やね。他の産業やと、関連する会社がここまで多くはなりにくい。

もちろん、これらの公共工事に対しては目の敵にされるにふさわしい弊害もあって、一番大きいんが、いわゆる利権ていうものが生じてしまい、景気対策に必要な以上の額が特定の個人に渡ってしまうなんてことがある。他にも、環境破壊なんかの問題もあるね。

だから、こういった従来型の公共事業に諸手をあげて賛成てなことはないけど、ただ、最近評判のいいエコポイントやエコカー減税なんかの別の形での景気対策と交えて比重を落としながら、景気対策の一つの柱としては存続させていく方がいいと思うけどねぇ。特に、地方やと他に産業がないとこが多いから、ある程度は続けへんと厳しいと思うで。仮に出来上がったモノが無駄であっても、それを作るまでの過程は雇用対策としては無駄ではないからねぇ。もちろん、出来上がったモノも無駄でないことが一番なんで、その辺の兼ね合いも考えていく必要はあるけど。

憲法にも勤労の義務があるように、人は働いてお金を得て、そして税金という形で国に還元して、それを国がさらに公共サービスとして国民に還元してという風に進んでいくんが本来望まれている形なんやから、景気対策の出発点は企業に対してするんが本道やろう。

もし、企業を噛まさずにいきなり個々の消費者に還元すると(こないだの定額給付金とか、今度民主がやるていってる子供手当とか)、いきなり上で書いた過程の一番最後に行ってしまうんで、その間の企業に恩恵がなく、経済効果はうすくなってしまう。

だから、こういうのは福祉政策であって、景気対策ではないね。

もちろん、福祉というのは重要な政策なんで、決して無駄遣いではないけど、貴重な財源なんでより効率の良い政策としてやってもらわな困るな。特に今は不景気やから、雇用を創設する方向で進んでもらわへんと。

まぁ、子供手当への不満についてはまた書くから、この程度でおいておくけど、とりあえず、無駄遣いでないとはいえ、国にはできうる限り効率のいいお金の使い方を模索してもらわなあかんやろう。

麻生政権の補正予算には無駄遣いが多いからそれを停止するていうことやけど、それをより効率の良い使い方に変えてもらわん限りは景気対策としては意味がないわけで、さらに効率の中には時間≠煌ワまれている訳やから、ダラダラと外国に出かけて国会も開かず補正予算の組み直しもしないぐらいなら、とりあえずは補正予算はとっとと予定通り執行して欲しいもんやけどねぇ。

お金の無駄遣いも困るが、時間の無駄遣いも困ったお話ということを、現政権の方々には理解しておいて欲しいものでやす、ぶくぶく。。。

2009/09/29