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第131話  差別論1

色々と宿題≠ェたまっているようなので、重いテーマなんやけど、差別について魚なりに書いてみたいと思いやす。興味のない方は、この差別論≠トいうタイトルのときは、スルーをお願いしますね。また、意図的に差別用語と言われている語を使用することも多々あると思いますので(テレビや新聞と違って、言論の自由が緩やかなんでネットはいいわぁ)、そういった言葉が見たくもないという方も、読むのをご遠慮いただきたいと思います。

まずは、そもそも差別とはなんやろ?てなあたりから話していってみたいと思います。

よく、差別と区別ていう使い分けがされるんやけど、これらの語がどう違うかていうと、ある集団から部分を選り分けるのは、どんな理由、基準であれ、可能なわけなんやけど、その選り分ける理由なり基準なりが、どれだけ合理的なのか、あるいは不合理なのか、また、どれだけ恣意的なのか、あるいは客観的なのかによって、差別と区別に分けることができるんやと思う。つまり、選り分ける理由が不合理であったり、恣意的であったりする場合が差別であり、合理的であったり、客観的であったりする場合は区別であると。

例えば、男と女ていうのは、生物学的な構造によって分けられるけど、オリンピックなどの競技で男女を分けて競わせるのは合理的な理由による区別であり、会社などの昇進で男女を分けて昇進させるのは差別ていうことになる。また、同和差別なんていうのは、江戸時代に作られた恣意的な基準(士農工商の身分制を維持するために作られた基準)によるものであり、ある特定の意図によって作られた差別であると。

ただ、これで完全に差別≠ニ区別≠ェ区別できる(ややこしい表現や(^^;;)かていうと難しいところがあって、その不合理≠竍恣意的≠フ基準が非常に曖昧であるため、ある程度は、常識≠ネんていうもんでどちらか一方の主張がいわば多数決で否定されて、差別≠ニ区別≠フ区別はつくんやけど、その多数決の度合いによっては、常識そのものが揺らいでしまい、区別のつかへん場合も出てくると。

例えば、「税金を納めているのに、在日外国人に選挙権を与えないのは差別かどうか」とか、「夫婦別姓を認めないのは差別かどうか」なんていうのは、国会でもよく取り上げられている議論なんやけど、なかなか結論が出ない問題になってるし、身近な話では、女性社員だけお茶汲みさせられるとか、男は大学ぐらい出とかなあかんとかいった、いわゆるジェンダー系の差別問題なんていうのもある(この辺のは、差別やて言い切るのは簡単やけど、むしろ常識≠ヘ、これらの差別≠フ味方≠しているような気がする)。

さらに、「チビ黒サンボ」や「バカチョンカメラ」、「片手落ち」など、逆に言葉狩り≠ネどという観点からも語られる差別問題については、客観性よりも被差別者の主観的な差別意識≠ニいうものに左右されるという問題があり、余計に難しい問題となっている。

あるいは、同和差別なんかについては、教育により、今まで知らずにすんでいた差別が強制的に知らされてしまい、むしろ差別を作り上げてしまう、などという批判もあって、一体どうすればいいねん、ていうこともある。

とまぁ、ざっと書いてみただけで、嫌になるぐらい難しい問題が目白押しなんやけど、魚自身も一度は書いてみたかったテーマではあるんで、一体第何話まで続くんかわからへんけど(^^;;、チト真剣に書いていきたいと思います。

あんまり重い話が続くとしんどいんで、合間に軽い話題や、時事ネタなんかを放り込んでくけど、まぁ、興味のある方はまったりとついてきてくださいな、ぶくぶく。。。

2004/03/09

第132話  酒鬼薔薇聖斗

2004年3月10日、関東医療少年院から、彼≠ェ仮退院した。

神戸市須磨区で97年に起きた小学生連続殺傷事件で、法務省は10日、関東医療少年院(東京都府中市)に収容されていた男性(当時14歳、現在21歳)が仮退院したと、発表した。これに先立ち、遺族側にも通知した。少年事件での仮退院情報の公表は初めて。入院から約6年5カ月がたって、出院準備教育課程が修了し、「再犯のおそれはない」と判断したための仮退院で、今年12月末まで保護観察を受けながら、社会での更生を図る(2004/03/10毎日新聞配信から、一部引用)。

淳君の父守さん(47)は加害男性の仮退院について、「重い十字架を背負って生きてほしい」と公表した手記で述べた。男性の更生については「判断は非常に困難」とし「保護観察期間を過ぎた後も、何らかの方法で経過を追ってほしい」と要望した。

一方、彩花ちゃんの両親はこれまで三回、法務省から矯正教育のプログラムや男性の変化について説明を受けた。昨年九月には、医療少年院で男性を担当していた教官や精神科医らと面会した。 母親の京子さんは、男性に贖罪(しよくざい)感情が芽生えているという説明を受け、「人間は変われるものなのかもしれない。変わっていてほしいと思うようになった」と振り返った。「更生して罪を自覚し、遺族の痛みと苦しみを共有してほしい」と願った(2004/03/10神戸新聞配信から、一部引用)。

* 贖罪(しよくざい)とあるのは、原文ママ。「しょくざい」が正しい読みのはず(手持ちの辞書でも確認)。

なお、この事件の詳細については、こちら(無限回廊) を参照ください。

今回の決定については、あくまでも時期だけの問題であって、当然の出来事ではあるんやね。基本的に、少年院ていうのは更生を目的とするものであり、刑罰のために入れられるというものでもない(もちろん、刑罰としての側面があることも否定はせーへんけど)。しかも、彼の場合は、一種の精神障害であり、治療のために医療少年院に収容されていた。なので、病気が治癒されれば、退院することは決まっていた。

大人やったら、死刑になっていたかもしれへん凶悪な事件で、たかだか6年半ほどで出てくるなんて・・・という憤りも確かに理解できるけど、あくまでも刑罰で収容されていたわけではない以上、期間の長さについてどうこういうのは、ホンマは無意味なことなんやね。

彼が本当に治癒されたのなら、彼は退院しなければならないし、させなければならない。そして、彼はこれから一人の人間として、生きていかなければならない。淳君のお父さんの言うように、彼がこれから一生重い十字架を背負い続けることができるのか、彩子ちゃんのお母さんの言うように、人間(彼)は変われるのか、それはわからへん。ただ、それができると考えたから、関東地方更生保護委員会は彼を仮退院させたんやろう。

結局のところ、彼の更生の過程をどれだけ詳しく知らされようが、彼と実際に会おうが、専門家の医師が診断してようが、そしておそらく彼自身であろうが、これから彼がどうなるかなんていうのは、決してわからへんやろう。・・・なんのことはない、結局これって、彼が僕らと同じ普通の人間≠ノなったていうことなんやろねぇ。

この事件は、元々が大事件であり、そこに少年犯罪とか、被害者のやりきれなさとか、社会正義(加害者憎悪)とかいった要素と、更生という要素が絡み合った珍しい事件であったがために、非常に評価というか、感想レベルですら、書くのが難しい事件になったんやと思う。麻原や宅間みたいに、ずっと悪役≠演じきれる者たちならば、簡単なんやけど、どうやら彼は、本当に更生しているらしい≠トいうところが、非常に難しい。

なんら結論らしきことも書けず、ただ、とりとめのない話を書きつづっただけやけど、ま、所詮は浮かんでは消えるあぶくやということでご容赦を。ただ、魚はこの事件に、なんかしら触れずにはいられへんかってんねぇ、ぶくぶく。。。

2004/03/16

第133話  最近のニュース雑感

1.テロ予告

スペインマドリードでのテロの後、イラク戦争を支持し、アメリカと共同歩調を取ってきていたスペイン与党が敗北したのを受け、アルカイダのテロ組織らしきところから、こんな声明があったらしい。

アラビア語紙「アルハヤト」によると、スペイン・マドリードの列車爆破事件で犯行声明を出した「アブハフス・アルマスリ旅団」は17日、同紙に声明を送り、日本などを名指し、米国の同盟国に対する攻撃準備はできている、との認識を示した。
アブハフス・アルマスリ旅団は、アルカイダ系組織と名乗っている。
声明は、「次は誰だ。日本か米国か、イタリア、英国、オスロ、オーストラリアか」と表明。パキスタンとサウジアラビアも標的になっているとの認識を示した。
アブハフス・アルマスリ旅団は、イラク駐留部隊撤退を公約したスペイン新政権の意図を見極めるまで、スペイン国内での活動を停止する、とも表明。他の欧州支部に対しても活動停止を呼びかけた。
声明文は、「イラク駐留部隊撤退を公約したスペイン新政権の意図を見極めるまで、スペイン領土内の活動をすべて停止することを決めた」とし、「欧州に存在するすべての旅団に対し、すべての活動停止をあらためて呼びかける」としている。
またブッシュ米大統領について、「知恵ではなく力で問題を解決するお前ほど愚かな」指導者を探すことは難しいと指摘。「(民主党大統領候補の)ケリーは、知らぬ間にわが国を殺す。ケリーと民主党は、神への冒とくを粉飾し、文明としてアラブ、イスラム諸国にもたらす狡猾さがあるからだ」とし、11月の米大統領選では、ケリー候補ではなく、ブッシュ大統領を支持する、としている(2004/03/18ロイターから、一部引用)。

1つ目のポイントは、「イラク駐留部隊撤退を公約したスペイン新政権の意図を見極めるまで、スペイン国内での活動を停止する、とも表明」てとこ。ようは、テロに怯えて、おとなしくしてたら、攻撃はしーひんよとアメとムチを使ってる部分。今回、スペインの前政権が敗北したのは、国民がテロに怯えたからというより、今回のテロをアルカイダの犯行ではなく、自国内の別のテロ組織の仕業にしようと姑息な真似をしたからやていうのが今のところの通説みたいなんやけど、それをあたかもスペイン国民がテロに屈したかのように見せかけて、脅しに利用している様な感じがする。

これはある意味、逆効果になる場合もあって、我々はテロに屈したのではないとスペイン国民から猛反発が起こったり、このままではテロ組織に利用されると考えたスペインの新政権が、イラク撤退を撤回するていう可能性も出てくる。なので、魚的には、少し頭の悪い活動やなぁていう気もする。

まぁ、なんにしても、ここでうろたえて、日本が狙われたら困るから、自衛隊はすぐに撤退すべきだなんて騒ぐのはテロ組織の思う壺。闇金業者に自分から私はカモですよと名簿を送るようなもん。色々なテロ組織≠ェ手変え品変え押し寄せてきて、草木一本残らずむしり取られていくだけ。その意味では、あの*ッ主党や朝日新聞が、騒がずに冷静でいてくれてるていうのは非常に安心。ほんの少しだけ、見直しやした( ̄m ̄)

2つ目のポイントは、「11月の米大統領選では、ケリー候補ではなく、ブッシュ大統領を支持する」てとこ。うーむ、落語の『饅頭こわい』を思い出してしまった(笑)

2.高橋尚子落選

アテネオリンピックでも金メダルの有力候補と見られていた高橋尚子さんが、落選されやした。

アテネ五輪のマラソン代表を決める日本陸上競技連盟の理事会、評議員会が15日、東京・岸記念体育会館で開かれ、男女各3人(補欠各1人)が決まった。注目の女子は内定していた03年世界選手権銀メダリストの野口みずき(25)=グローバリー=のほか、名古屋国際優勝の土佐礼子(27)=三井住友海上▽大阪国際優勝の坂本直子(23)=天満屋=が選ばれ、前回シドニー五輪覇者で東京国際2位の高橋尚子(31)=スカイネットアジア航空=は代表から漏れた。補欠には世界選手権銅メダルの千葉真子(27)=豊田自動織機=が入った。

日本最高記録保持者でもある高橋の落選について、日本陸連の沢木啓祐強化委員長は「高橋は女子マラソンの歴史を作り、(五輪女子マラソン初の)連続金メダルの夢を描いていたと思うが、選考レースの中身を考えると、こういう形をとらざるを得なかった」と話し、最終的に坂本との比較になった結果、過去の実績よりも選考レースの内容を重視した点を強調した。また、高橋が補欠からも外れたことには「彼女を補欠指名するのはいかがなものか、との意見が出た」と前回金メダリストの立場に配慮したことを明らかにした。

今回は、男女ともに昨年の世界選手権と国内3レースの計4レースが代表選考会に指定され、(1)世界選手権でメダルを獲得した中で日本人最上位(2)それ以外は選考レースの上位者の中で五輪でメダル獲得もしくは入賞が期待できる――の基準で選考が行われた(2004/03/16毎日新聞配信から、一部引用)。

個人的には不満足。そもそも、条件が大会ごとに全く違う種目で、なんでタイム順に決めなあかんのか。色々な要素を含めて考えるからこそ、選考≠ネんやろうに。しかも、個人種目には違いないものの、3人それぞれの役割分担で作戦が立てられる、グループ種目でもあるという側面もあるのに、なぜ、名前だけで外国選手への牽制となるTakahashi≠利用しようとせーへんのか、不思議すぎる。

議論の余地なく、順位で機械的に分けるのが一番素晴らしい方法というなら(魚はそうは思わへんけど)、世界選手権とかも考えず、1大会だけの順位で、上位3人を代表、4位を補欠にするとあらかじめ決めておけばいい。テレビ放送の関係があって、国内だけでも3つの選考大会をするのがどうしても必要というなら、世界選手権は放っておいて、それぞれの大会の日本人1位を代表にすることにしておかな仕方ない。3人を選ぶのに、4つの大会を選考会にするんがおかしいんやから。

ただ、個人的には先にも書いたように、グループ種目として考えて、個人ではなく日本≠ニして闘うという意味で、いかにして日本人選手の誰か≠ェ、どれだけいいメダルを取れるかていうことを基準にして選考する方がいいと思うけどねぇ。

3人も選べるんなら、1人は実績枠(過去のタイムや優勝経験)、1人はタイム枠(その年の日本人最高タイム)、1人は勝負強さ枠(タイムよりも、どの選手に勝ったかで評価)、で、補欠も含めて、エントリーギリギリで一番調子の良さそうな順にエントリーする、でえーんとちゃうかなぁ?

注目の男女マラソン代表を決める日本陸上競技連盟の理事会とあって、15日午前10時すぎからの開会には報道陣が殺到した。理事会の冒頭、衆院議長でもある河野洋平会長は「マラソンの選考は大きなテーマ。率直な意見を聞き、だれでもが納得できる結論を導き出したい」と述べた(2004/03/15共同通信配信から、一部引用)。

そもそも、「だれでもが納得できる結論を導き出したい」てなことを考える方がおかしいと思うが。現に、高橋さんを選ばへんかったことで、陸連への抗議が殺到してるのに。ようは、「選考レースの上位者の中で五輪でメダル獲得もしくは入賞が期待できる」が選考基準なんやから、(金)メダルが取れる確率が一番高い選手を順番に選べばいいんやろ?土佐さんや坂本さんを落としても、タイムで上回っているのに可哀想、高橋尚子が東京国際で失敗したのが悪いのに、という声は上がっても、この二人が高橋さんよりも(金)メダルが取れる確率が高いから、選ぶべきだったのにていう声は、多分、ほとんど上がらへんかったと思うんやけどねぇ。

3.週刊文春差し止め請求

田中真紀子さんの長女が、自分のプライバシーにかかわることを週刊文春の記事に書かれたので、販売差し止め請求をおこない、それが認められやした。

田中真紀子元外相の長女の記事を掲載した週刊文春に対して東京地裁が16日、販売差し止めの仮処分を決定したことについて、専門家からは懸念する声が相次いだ。全国的な雑誌を対象にしたこうした決定は極めて異例。言論・出版の自由と「プライバシーの侵害」をめぐり、関係者に波紋が広がった。

販売や出版の差し止めをめぐっては、最高裁大法廷が86年6月、北海道知事選の立候補予定者が月刊誌の中傷記事の事前差し止めを求めた「北方ジャーナル訴訟」で、「表現内容が真実でなく、被害者が著しく回復困難な損害をこうむる恐れがある時、例外的に認められる」との初判断を示した(2004/03/17毎日新聞配信から、一部引用)。

で、結論から言うと、魚の感覚としては、販売差し止めが認められるべきではなかったと思いやす。確かに非常にくだらない記事で(新聞の広告の見出しで、趣旨は知ってる)、こんなもんを守るために言論の自由≠ネんていう、たいそうなお題目を唱えることによって、本来の自由≠ェ非常に軽くなってしまうという弊害は確かにあるんやけど、それでも悪いのは、こんなくそくだらない記事で金を稼ごうとする週刊文春という雑誌、あるいは文芸春秋であって、言論の自由ではない。

客観的に見て、「被害者が著しく回復困難な損害をこうむる恐れがある時」にあたるような内容ではない以上、あくまでも販売は認められるべきであり、それによる損害は金銭(すなわち、慰謝料)で回復すべきやと思う。

ホンマは、損害賠償請求されて補償せなあかんような記事を書く時点で、その記者や雑誌、出版社がおかしいんやけど、一人の裁判官の恣意的な解釈によって、販売できるかどうか判断されかねない状況ていうのは、できるだけ避けられなあかんことやて思う。

なので、こういった問題について、よりマシな解決策としては、慰謝料の金額を引き上げたり、名誉毀損罪に多額の罰金を科したりして、内容によっては、多大な金銭的な負担が事後にかかってくることをわからせた上で、それでも出版するかどうかを出版者側に自主的に判断させるのがえーと思う。書かれる個人と、書く企業とのリスクをイーブンに近づけていかへん限りは(出版社が個人のプライバシーを食い物にして、利益が出てしまう限りは)、こういった問題はなくならへんと思う。

てなとこで、ぶくぶく。。。

2004/03/19

第134話  イラクでの人質事件

他にも色々と書きたいこともあるんやけど、まず、これには触れときたいなぁということで、この件について少々。

みんなも知ってるんやろうけど、まずは、こんな感じの事件です。

カタールの衛星テレビ「アル・ジャジーラ」は8日午後(日本時間同日夜)、「サラヤ・ムジャヒディン(戦士隊)」と名乗る組織が日本人3人を拘束したと報じ、3人の様子が映ったビデオ映像を流した。

この組織は自衛隊が3日以内にイラクから撤退しなければ3人を殺害すると脅迫しているという。

これに対し、日本政府は3人の即時解放を求めるとともに、自衛隊については撤退しない方針を明らかにした。イラクでは8日、このほかにも外国人が人質に取られる事件が次々と明らかになった(2004/04/09読売新聞配信から、一部引用)。

とりあえず、この件については、日本政府としては要求を聞いて自衛隊を撤退させるなどというような選択肢は端(はな)からないわけで、当然、

小泉純一郎首相は9日昼、イラクの日本人人質事件での自衛隊撤退要求に対し「(撤退は)ありません。テロリストの卑劣な脅しに乗ってはいけない」と拒否する考えを言明した。
同時に「まず、どういうことなのか事実確認。事実であれば3人の無事救出に全力を挙げる。今の時点ではこれが一番大事だ」として早期解放に向けて政府を挙げて取り組む方針を強調した(2004/04/09共同通信配信から、一部引用)。

なぜ、政府に撤退の選択肢がないかというと、当然、撤退させることにより助かる(正確には解放される可能性のある)3人の生命よりも、より大きな生命が危険にさらされる可能性が高くなるから。

前から何回も書いてるけど、テロリストの要求に一度でも屈してしまえば、なんだ、じゃあ、日本人に危害さえ加えれば、日本政府は何でも言うことを聞くんだ。なにかあれば、まず最初に日本人を狙えば簡単だ、てな思考回路をテロリストたちに植え付けてしまうことになるんで、日本人がどこの国の人よりも先にターゲットにされてしまうことになる。前回の選挙後、テロリストたちに好きかってされているスペインの例からも、これは明らか。

なので、この3人の方を助けるとか見殺しにするとかいう問題ではなくて、テロリストの要求を聞くという選択肢は、端から政府にはあり得へんねんね。

もちろん、だからといって、何もせずに見殺しにするのも当然おかしい。だから、テロリストの要求を受け入れずに、人質の安全を確保するよう、最大限の方法を探るていうのが政府の唯一の対策であり、実際にそのような対策を取っていると。

もちろん、

「弟はまだ18歳。生きたまま焼かれてしまうのは悲しい」。市民団体代表今井紀明さん(18)の兄洋介さん(23)は、感情を抑えるように話した。母直子さん(51)はたびたび涙で声を詰まらせ、「首相が言うように撤退を考えていないのでは、助かる見込みがない。生きて帰ってくるには、一時撤退をお願いするしかない」。
フリージャーナリスト郡山総一郎さん(32)の母きみ子さん(55)は「自分の子供が生きたまま焼かれるということは本当に耐えられない。皆様のお力をお借りしたい」と、しょうすいしきった様子。いとこの三浦道さん(31)は「あと2日しかない。要求はただ一つ。(自衛隊の)撤退です」と強い口調で訴えた。
ボランティア高遠菜穂子さん(34)の妹井上綾子さん(30)は「水は飲めているだろうか心配」と涙声。「限られた時間。できることはすべてやりたい。ご迷惑を掛けて申し訳ありません」と泣きながら頭を下げた。
弟修一さん(33)は「身勝手ということは分かっています。でも見捨てないでください」と声を詰まらせ、犯人グループに対しては「家族の命を助けてほしい。彼らはあなたたちを助けるために行った。返してほしい」と訴えた(2004/04/09時事通信配信から、一部引用)。

家族の方々がこのように言わはるのは当然やと思う。自分たちにとっては大切な家族なんやから。ただ、赤の他人の魚からしてみれば、むごい言葉やし、単なるエゴなんやろうけど、彼らの命よりも、自分の命を含めた不特定多数の国民の命の方を、政府には選んで欲しいと思う。

彼らも確かに、「無辜(むこ)の民間人」であるけれども、危険を承知で行った彼らのために、同じく「無辜(むこ)の日本人」の安全がより脅かされるというのは、おかしいことやと思う。もちろん、彼らを見殺しにしろと言うわけではない。自業自得だとも思わない。ただ、危険を承知で、それでも敢えてイラクの人たちの役に立とうと出かけられた彼らには、それなりの覚悟があったんやろうなと思わざるを得ない。

危険やから、民間のNGOでは身を守れないから、だから、復興支援活動にもかかわらず、日本政府は自衛隊を派遣した。退避勧告と渡航自粛を呼びかけていた。にもかかわらず、信念を持って、彼らは行かはった。正直、これ以上は彼らの自由意志であり、日本政府に責任≠ネどというものは発生しないと、魚は思う。もちろん、可能な限り、無事な救出に向けての努力はなされるべきやと思うけど、あくまでも、可能な限り≠ナあると思う。

最後に、こういう事件があると、すぐに、日本政府が悪いや、首相が悪いといった意見が噴出する一方、人質とならはった人たちに対しても、自業自得やとか、好きで行ったんやから殺されても仕方がない、とかいった意見がよく見られる。

やけど、それはどちらもおかしい意見やと思う。批判すべきは、彼らを人質に取ったテロリストであり、イラクが平和になることを望まないテロリストたちでなければならない。まして、可哀想とか、腹立たしいといった、純粋な感情から来る意見だけならともかく、こういった事件を好機にとらえて、本当に批判すべきモノをねじ曲げ、自分が気に入らないモノへの批判のためだけに、彼らの生命や日本国民の安全を利用≠キる人たちなんていうのは、クズやと思うし、魚は軽蔑する。そんな奴らは、このテロリストたちと同列やと思う。

そして、ネットを徘徊していると、悲しいかな、そういった軽蔑すべき人間が、うようよいるように思えるねんねぇ。自戒も込めて・・・ぶくぶく。。。

2004/04/09

第135話  差別論2

まずは、今回の差別論を書くことになった、発端の一つでもある障害者差別から。簡潔に書くために、敢えて、「身体の不自由な方」等の婉曲な表現はしないので、きつく(冷たく)感じるかもしれません。あらかじめ了承ください。

さて、障害者には、基本的に3種類あって、身体障害者と知的障害者と精神障害者(複数の障害を持つ人も、もちろんいる)に分けられることになる。身体障害者ていうのは、その名の通り、身体の機能に不自由がある人のことで、例えば目が見えないとか、耳が聞こえないとか、手足の一部(全部)がないなどといった人のことになる。知的障害者ていうのは、暗記能力や理解能力、論理的思考能力等の知能にかかわる能力が欠けてるために、日常的な行為についても満足にこなせない人のことをいう。一般的には、知能指数(IQ)で客観的に測られる。精神障害者については、正直、魚もその基準はよくわかりません。ようは、専門医の診断によるということになるんやと思う。

まず、身体障害者について。これは、程度の差により生じる障害であり(例えば、近眼ていうのも、健常≠ニいう観点から見れば障害ではある)、年を取ると多くの人がならざるを得ないのと(寝たきり老人ていうのはその典型)、目に見えて分かる障害者であり、弱者であるという認識が強いため、差別すると、あからさまに非難されるため、ある意味、差別されることは少ないとも言える。

もちろん、その性質上、物理的な被害(ようは暴力)を理不尽に受けることは多いやろうし、いわゆる健常者でいるよりは多くの差別を受け続けることは多いと思う。ただ、いいか悪いかはさておき、いわゆる善意≠ニいうのも受けやすい人々でもあるといえる。

やはり、障害者への差別として大きいのは、知的障害者、精神障害者に対する方やと思う。そして、一般的には、この二つの障害が混同されていることが多いような気もする。その根底にあるのは、両者とも、何を考えているかよく分からないから、ていうことがあるんやろね。もちろん、その何を考えているか分からないていうことの意味合いは全く違うんやけど、同視されてしまうと。精神障害者への差別、偏見が大きいのは、不条理な殺人事件などを引き起こすことが最大の理由なんやけど、それと同じ嫌悪感≠ェ、結局は知的障害者に対しても向けられる。

冷静に考えれば、知的障害者が、何を考えているか分からへんていうのは、幼児が何を考えているのか分からへんのと同様のレベルにすぎない。これは、わからなくて当たり前な話。養護学校の帰り道に突然、大きな声を上げたり、うなったりしながら歩いたはる姿を時折見かけるんやけど、こんなんは小さい子供ならよくある光景で、おかしな話でもなんでもない。もちろん、幼児性故の残虐性(子供ていうのは残酷なもん。自分やその友達も、虫や小さな生き物をいかに残酷に殺していたことか)ていうのもあるわけで、幼児とは比べものにならない力(叩いたり蹴ったりとかの肉体的な力ね)を持っている以上、それが怖いていうのもあるにはあるけど、基本的には、容貌で知的障害者と分かるなら、むやみやたらと怖がる必要はない。

こんなことを書くと、知的障害者は怖くない、怖いのは精神障害者や、て魚が考えているように思われそうなんやけど、そうやなくて、基本的には、魚は精神障害者も無条件に怖いわけではないと思ってるしね。そもそも、人を殺す思想を持った人だけが精神障害者なんやなくて、思想的には全く無害な人もいるし(というか、こちらの人が大部分やろう)、程度の問題でいえば、鬱病なんかでもなりうる。

ただ、難しいとこなんが、こんな風に、精神障害者は放っておけば人を殺すものだと勝手に決めつけるのが偏見であり、差別なんは確かなんやけど、でも、宅間みたいに、実際に殺人願望を持ち何人もの命を奪った人間が精神障害者の中にいるていうのも事実やと。あるいは、麻薬の幻覚で無差別に人を刺して回る奴もいる。焦点の合わない目でぶつぶつと呟くという症状だけを見て、知的障害者なのか(容貌で判別できない場合)、単なる無害の精神障害者なのか、それとも殺人願望や被害妄想から、周りの人を刺し殺そうとしている精神障害者なのか。一体、誰に判断できるというのか?

その辺が、差別が悪いことだというよりも、むしろ差別することにあたかも正当性を持たせるような状況を招いてしまうんやと思う。背景には、法律の問題もあるやろう。つまり、精神異常で犯罪を犯しても、罪に問われない。これが悪法かどうかはともかく、ならば、善良な市民を守るためにも、精神障害者はあらかじめ隔離すべきやていう正当な(客観的ではなく、論者が正当と信じているという意味で)″キ別論が、根強く出てくるのもやむをえーへんにゃろねぇ。

結局結論もなにもないまま終わらざるをえーへんにゃけど、やっぱり差別の話は難しい。次は、今回のとは別の切り口から障害者差別について書いてみます。今度もまた、難しいんやけどねぇ、ぶくぶく。。。

2004/04/11

第136話  イラク人質解放

第134話で書いた、イラクでの人質事件。その人質3人が、皆さんもご存知のとおり、無事解放されやした。

イラク中部ファルージャ付近で武装集団に拘束され人質となっていた日本人男女3人は、15日午後2時(日本時間同7時)過ぎ、バグダッド近郊のアメリア地区のクベイシ・モスク(イスラム礼拝所)で無事解放された。3人はイスラム教スンニ派の権威機関である「イラク・イスラム聖職者協会」に保護され、バグダッドの日本大使館に移された。健康状態は良好という。カタールの衛星テレビ「アルジャジーラ」は、解放後の3人の喜ぶ姿を映像で伝えた。犯人グループからイラクの自衛隊撤退が要求されるという極めて特異な事件は、発生から8日ぶりに解決した(2004/04/15毎日新聞配信から、一部引用)。

まぁ、命に別状はなかったようで、なにより。というか、むしろむっちゃ、元気そうやが。そもそも、解放後の映像を見ている限りでは、人質≠竄チたていう切迫感は全然感じられへんかったけど。女性がいたから丁重に扱われていたのではないか?なんていう専門家の意見も見たけど、それなら元々、女性は連れ去らへんか、先に解放するかしそうなもんやけどねぇ。後、元自衛隊員とかいうカメラマンが無事やったのも不思議と言えば不思議やが。自衛隊撤退と言いながら、結局、自衛隊のことを軍隊と思ってへんていうことなんやろか?まぁ、バレてへんだけかもしれへんけど、なぜか、あれだけ日本での報道に詳しかった犯人らにしては、不思議不思議。

ただ、解放時の映像を見ると、ネットなんかでよく書き込まれてた(魚も途中から胡散臭く思ったけど)自作自演説は違いそうな感じ。自作自演説を払拭(ふっしょく)するために、わざとああいった不遜(ふそん)≠ネ態度を取っていたのなら、それはすごい演技力やけど、どうやら天然で、ああいったお花畑な頭をした方々らしい。とはいえ、犯人側の声明が、どうにも不自然で、この3人は無関係としても、左派系の日本人テロリスト(まぁ、日本赤軍ぐらいやけど)が関与しているんちゃうかていう疑惑が上がるのはしゃあないやろねぇ。犯人側の声明は、大体こんな感じ。

日本の国民のみなさん。我々はあなた方に友情と尊敬、親愛を抱いてきたが、残念なことに、あなた方はそれにそむき、あしき米軍を支援した。米軍は我々の土地に入り、聖地を侵し、我々の子供たちを殺した。我々は、同じことをあなた方にしなければならない。3人の日本人はいま、我々の手にある。あなた方が撤退するか、我々が3人を生きたまま焼き殺すかだ。期限はテープの放送から3日間だ(2004/04/08毎日新聞配信から、一部引用)。

神の御名において  われわれは、日本政府が拘束された3人の人質について、自国民の生命を軽んじる評価を行ったことを強い痛みを持って聞いた。これにより、われわれは、日本政府に代わって日本国民の生命を守る完全なる正当性を与えられた。日本政府は、自国民への最低限の尊重の念を持ち合わせていないようだ。いわんや、日本の首相の発言を拒否するイラク国民の生命を尊重するだろうか。
当該日本人(人質三人)は、イラクの人々を助けており、占領国への従属に汚染されていないことを確認したため、彼らの家族の痛みと、この問題への日本の人々の立場にかんがみ、われわれは以下の通り決定した。
(1)イラク・イスラム聖職者協会の要請に直ちに応え、3人の日本人を、神が望むならば、今後、24時間以内に解放する。
(2)いまだに米国の暴虐に苦しんでいる友人たる日本の人々に、イラクにいる自衛隊を撤退するよう日本政府に圧力をかけるよう求める。なぜなら自衛隊の存在は不法なものであり、米国の占領に貢献するものであるからである。(2004/04/11共同通信配信から、抜粋引用)。

声明で犯人グループは、3人を解放した理由として(1)聖職者協会の呼び掛けに応えた(2)日本の中にも政府に反対し、自衛隊撤退を求める世論が起きた(3)人質解放を求める日本でのデモを放映したテレビ映像で「アラー・アクバル(神は偉大なり)」と書いたプラカードを掲げる参加者がいるのを見た−ことを挙げた(2004/04/16共同通信配信から、一部引用)。

・・・なんというか、解放したくて仕方がなくて、無理矢理、理由をつけて解放したような感じ。元々、日本には自衛隊派遣反対論者は多いし、むしろ、今回の人質事件で、テロに屈するなていう観点からの撤退反対論が大きくなったぐらいなんやが・・・。

* 付け加えれば、人質家族とその支援者たちに対する不快感から、自衛隊撤退論を唱える左派連中への不快感なんていうモノも露わになった感じ。テロにかかわらない自衛隊撤退論自体は、別におかしな話ではなく、充分、検討に値する論なんやけど(まぁ、魚は派遣賛成論者やけど)。

個人的には、テロ組織による誘拐ではなく、なんとかしてファルージャに注目を向けさせたかった地元の兄ちゃんたちによる犯行ていうのが、一番説得力がありそうな気がする。なので、第134話を含めて魚が書いてる、イラクが平和になることを望んでいないテログループとは一味違った方向での展開になったと。もちろん、だからといって、犯人の要求を政府が受けていても良かったていうわけではなくて、今回の犯人はさておき、あくまでも卑劣なテロ組織につけいる隙を与えないように努力をした政府の対応は、完璧やったように思う。その上で、人質たちの安全も確保できて良かったと(犯人たちにとっては、殺害すべき人質では、元からなかった)。まぁ、日本国民全体の生命を守るために努力した政府と、人質の生命を守るために努力した家族及びその支援者≠フ努力が実ったということで、結果論だけで言えば万々歳でしょ。

正直、色々とむかつくところもある方々やけど、まぁ、女の人は少なくとも、イラクでは歓迎されるべきお人なようなんで、対イラクとの関係においては、日本にとってはマイナスではなかったということで、生暖かく見守って上げればいいんじゃないでしょうか。高校生の方は、当初はちゃんとしたボランティアの人なんかと思ってたんやけど、実はなんちゃってジャーナリストやった模様。まぁ、これからバイトでもしてお金を貯めて、二十歳を過ぎてから取材にでも何でも行ってくださいな。カメラマンも正直、こういった戦争報道には向いてへん人やと思うが・・・。2ちゃんで見た、イラクにいかなくったってこんなにいい写真が撮れるのにという書き込みを彼には送りやす。

ちなみに、この事件を機に、自己責任論が急に出てきているようやけど、個人的には、そんなもん元から当たり前のことで、危険だからという理由で渡航を強制的に禁止したりするのはおかしな話やと思う。仕事であれ、ボランティアであれ、たとえ観光であれ、危険な場所であっても自由に行けるていうのは必要なことであると思う。そして、日本人の生命を守るために、日本政府が最大限の努力をすることもまた、当然であると。その上で、自分の身の上に起こるリスクは、自分自身で負うべきやていうのが大原則になる。

責任とは義務であり、そして、それは権利や自由の代償でもある。一方的な権利や自由などというモノはあり得へん。渡航の自由を、ボランティアの自由を、取材の自由を謳歌(おうか)するためには、それ相応の義務を果たすのが当たり前であり、また、その義務を果たすという前提があるからこそ、自由が認められる。今回の3人とその家族が批判されているのは、彼らが一方的な自由や権利のみを主張しているようにしか見えへんからやったと思う。個人的には、こういった犯罪に関して、救助にかかった費用云々いうのは不謹慎な発言やと思うんやけど、今回の件については見せしめ≠トいうのにも同意してしまいやす。

などと書いてるうちに、後から拘束されてた2名も解放されたとか。とりあえず、日本人の人質はこれで全員無事に解放されたということで、まずは良きかな。後は、これから一人の命も失われずに、イラクが平和な国になっていきますように、ぶくぶく。。。

2004/04/17

第137話  自己責任

今回のイラク人質事件で巻き起こっている、自己責任論について、魚なりに少しばかり語ってみたいと思いやす。

今回の「自己責任」については、2通りの意味合いがあると思うねんね。まず一つは、生命の補償の問題。これはつまり、生命を失ってしまうことに対して、誰も補償はしてくれないよということ。ここでの補償ていうのは、金銭ということになる。命をお金で換算するなんて、ていう意見もあるやろうけど、いわゆる近代国家では、精神的な損害であれ、肉体的な損害であれ、たとえ生命であれ、最終的には金銭に換算されてしまう。良い悪いではなく、仕方のないことなんやね。

例えば、交通事故で人を殺してしまった場合、刑事責任とは別に、金銭的な補償ていうものが必要になる。この場合は通常、保険ていう形でまかなわれるけど、それでも金銭に換算されることは間違いない。

では、これが今回のイラク人質事件の場合についてはどうなるかていうことなんやけど、それはつまり、たとえ人質が命を落とすようなことがあっても、それに対する金銭的な補償は政府はしませんよ、ていうことになる。

政府にとって、邦人(日本人のこと)を保護する義務は当然ある。それは、今回の3人(+2人)についても同じ。ただ、今回の人たちについては、その命の補償まではできませんよ、政府が自衛隊を撤退させなかったことにより殺害されたとしても、遺族に金銭は支払いませんよ、ていうのが、この場合の、そして一般的な自己責任論≠ナの説明になんねんね。

あくまでも、人質たちの救出については、政府は全力を尽くす。ただし、自衛隊の撤退という条件は絶対に飲めない。なので、自衛隊を撤退しなかったことについて人質が殺害されたとしても、それは政府としては責任が取れない。家族が、人質が殺害されたのは自衛隊を撤退させなかった政府の責任だと詰め寄っても、政府が危険だと言い、退避勧告を出していた国に自分の意志で行った以上は自己責任≠ナあり、お金での補償はできませんよ、ていう文脈で初めて、この自己責任ていう言葉が使われるていうことになる。

なので、これが例えば日本の国内で同じ様な目的で誘拐され殺害された場合には、使えない自己責任≠トいうことになる。この場合は、おそらく遺族に対して何らかの金銭的な補償が政府からされることになると思う。

もう一つの自己責任論は、行動についての賠償≠ニしての問題。賠償ていうのは法律用語なんやけど、損害賠償なんていう言葉で聞き覚えがあると思う。これは、故意(わざと)や過失(うっかり)で損害を与えた場合に、その損害についてお金で償(つぐな)えていうことなんやね。先にも書いた交通事故の例では、人命にかかわらなくても、例えば他人の塀にぶつけて塀を壊したりした場合は、その修理費について支払えていうのが普通やと。まぁ、この場合は当然やろうけど、今回の場合は、会社なんかで仕事をしていて、自分の不注意から会社に損害を与えた場合に似ていると思う。

通常は、会社の仕事をしていて不注意で損害を与えたとしても、その損害を請求されることはない。逆に、支払えて請求する会社の方が常識を疑われると。もちろん、それに対して最悪クビになるとかいうことはあるけど、基本的にはそういうたぐいの責任≠ナすまされる(これも自己責任といえば自己責任)。

* 法律的には、会社は、不注意から生じた損害について、個人に請求できる。ここがポイント。国も、民事的には請求できる余地がある(余地があるというのは、法律と判例がないから。個人的には、可能やと思う)。ただ、普通はしないていうことね。

** 今回のケースでは、会社の場合と違って契約関係はないので、損害賠償というのは不適切かも。細かい話なんやけど、「事務管理」ていう奴の費用の償還請求ていうことになるかと思いやす。一応、法律論を絡めた話なんで、厳密にしとこうと思って、この注釈(**)をこそっと追加しときやした( ̄m ̄)ノ。ま、あんまり気にせずに読み流しておいてくださいませ。>2004/05/09追加

ところが、その不注意があまりにひどい場合、子供でもわかる常識やろ、てな場合、実際に請求するかどうかはさておき、役員会から損害賠償論がおこることはあると思う。あるいは、株主総会でも本人に請求しろていう追求があるかもしれへん。これが、今回の二つ目の自己責任論なんやね。

特に最初の3人の人質の場合、一つ目の意味での自己責任論はさておき、イラクに入国するに際しての注意深さがどれだけあったのか、ていうところに大きな疑問符が付いている。なんというか、高速道路を自転車で走っているレベルでの危機意識のなさが表れてるんやね。なので、彼らを救出するに際して使われた税金を納めている国民からも、大きな非難の声が上がっていると。

税金が不適切に使われているということで国民から非難の声が上がるのは、当然のことやと思う。でなければ、役人の無駄遣いとかについても、国民は抗議の声を上げることができないていうことになってしまう。使わない建物ばかり造って税金の無駄遣いやて叫べるなら、今回の件についても叫べなければおかしい(今回の費用が無駄遣いかどうかはさておき、無駄遣いと思うならば、ていうことね)。

なので、多数の国民から、二つ目の意味合いでの自己責任論がおこるていうことは、きっと、今回の救出に際してかかった費用が無駄金≠竄ト思う人が多いんやろうね。

もちろん、これに対して異論があるのも当然やと思う。ただ、だからといって、自己責任論がおかしいとも魚は思わへんけど。ようは、両者とも十分にあり得る立場ということで、互いに否定するのではなく、論争≠ノなればいいなと魚は思いやす。

なお、最後に一つだけ。政府は、苦言を呈してるし、文句も言ってるし、政治家の中には損害賠償論を言ってる人もいるけど、政府自体は、実際に救出にかかった費用を人質たちに請求してへんしね。それを言ってるのは、あくまでも国民の一部やし。それを誤解して政府批判をするのは可哀想やと思うんで。あ、飛行機の料金とかは別ね。あれは、実費やから、請求するのが当然でしょ。少なくとも、移動するときには個人でも必要なお金なんやから。救急車はタダでも、退院するときは自腹なんと一緒。

まぁ、なんにしても、常識はあった方がいいと思う今日この頃。基本的には、人間ていうのは優しいものやと思うんで、優しくされるような生き方をしていきたいモノでやす、ぶくぶく。。。

2004/04/21

第138話  イラク人質会見

先に人質になっていた内の二人の会見が、4月30日におこなわれやした。会場での拍手で始まるというわけのわからへん雰囲気でスタートした記者会見(笑)で、今井君がやたら饒舌(じょうぜつ)やったという印象ぐらいしか残らず(あんなに元気そうにしゃべれるなら、質疑応答ぐらいすればいーのに( ̄m ̄))、色々な疑問について、ほとんど解明されへんかったように思うんやけど、まぁ、それはさておき、前回のあぶくでも書いた自己責任論について気になることがあったんで、それについてすこしばかり書いてみやす。

自らの責任について問われると、郡山さんは「ジャーナリストは危険だからこそ現場に立って伝えるものがある。リスクを背負っているのだから、僕らには当てはまらない」と話した。さらに、午後8時から日本外国特派員協会で開かれた2回目の会見では、「信念、自信、誇りを持っており、自己責任とか自業自得とか言われるのは心外」としたうえで、「今回、取材は何もできなかった。準備ができ次第、また(イラクに)行きたい」と述べた。

今井さんは「国内の反応に驚いている」としたうえで、「今回の体験や、劣化ウラン弾の被ばく、イラク戦争の悲惨さを語るのが、自分に生じた責任と思う」と話した(2004/04/30読売新聞配信から、一部引用)。

て、あるんやけど、まぁ、今井君の方は、会話になっていないというか、自己責任≠ニいう言葉について、故意か誤解かは知らへんけど、違った意味で回答しているので、とりあえず省略。

* まぁ、今回の体験≠ノついて、語るのは確かに彼らの責任であり、義務やとも思うけど、それは今回問われている自己責任≠ナはないわなぁ。今後どうするかではなく、彼らのあの行為についての責任について聞かれてるんやが。今回の会見を聞いても、彼らが十分な警戒をし、安全を確認してイラクに入国したとは、到底思えへんし、責任をカバーするだけの注意義務を果たしていたとは、とても思えへんにゃけど。

で、郡山君(魚とタメみたいなんで、君付けで)の方なんやけど、彼は明らかに間違えている。質疑応答で彼は、

仮に他の人が人質になり家族が(自衛隊を)撤退させてほしいと願うのは当然だと思う。政府が撤退要求を拒否したのは、危険地帯で活躍するNGOやボランティア、ジャーナリストにとってかなり脅威だ(2004/05/01産経新聞配信から、一部引用)。

てなことを言ってるんやけど、「政府が(自衛隊)撤退要求を拒否したのは・・・脅威だ」の、セリフのどこが、自分でリスク負ってることになるんや?

自分の命を助けるためには、政府は政策を変えるべきなんか?テロリストに屈するという印象を与えて、多くの日本人が安易に標的にされたとしても、自分の命さえ助かればえーんか?それも、危険な場所だとわかりながら、なんの注意もせずに行って捕まった人間のために?それが信念?誇り!?

ふざけんなっ!!

家族はさておき、人質についてはほとんど情報がなかったから、あんまり触れへんかったけど、今回の会見でよーくわかった。とりあえず、郡山君は、どうしようもない勘違い男や。お前がジャーナリズムなんてモノを語るな。一人前に文句を言うな。口先だけでリスクを負っているなんて言うな。本当に命を張って、細心の注意を払って活動しているNGOの人やジャーナリストに失礼や。そんな考えでイラクにまた行かれても、本当に本当に迷惑や。

最低限の自己責任論≠ョらい理解していると思っていたんやけど、甘かった。これでどこが、自分でリスクを背負って行動してるんだか・・・。

こんな魚の意見も、「報道ステーション」に言わせると、魚の後ろめたさ≠竍ジェラシー≠ゥら来る誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)≠フバッシング≠ノやっぱりなるんかねぇ( ̄m ̄)、ぶくぶく。。。

2004/05/01

第139話  塾での小ネタ

まぁ、久しぶりにのほほんとしたお話でも( ̄m ̄)

1.虫

授業中に蚊が飛んでたので、魚が潰そうとすると、 「可哀想だからだめっ(><)」、という、生徒♀の言葉。

「うーむ、蚊でも可哀想なんかぁ(^^;;。優しいんやなぁ。そしたら、ゴキブリなんかも逃がすんか?(・_・)」

「ゴキブリは・・・、叩き潰す(ФωФ)

・・・やっぱ、そーなんや( ̄□ ̄;;

2.高3の女の子の進路相談

「○○さんは、保母さんの専門学校やったやんなぁ?(・_・)」

「うーうん、行かへん(・_・)」

「へー、やめたんや。なんで?」

「お父さんに言ったら、

そんな金にならん仕事するなっ(▼▼メ)、

て反対された(・_・)」

「・・・そか(^^;;」

ちなみに、その子のお父さんは、彼女が夜出かけようとしてるんで、どこに行くのか尋ねて、彼女が「塾(・_・)」と答えたら、「そんなもん、行く必要ないっ(▼▼メ)」と叫んだらしい(−。−)ボソッ

3.とある社員さん

「私ねぇ、沖縄が好きなんですよぉ(^O^)」

「あー、沖縄いいですよねぇ(^^)」

「でしょ(^^)。で、こないだも行ってきたんですよぉ。

・・・日帰りで(¬。¬)

「・・・日帰り?(−−?)。なんでまた?(・_・)」

「だって、仕方ないでしょう、休みがないんだからーっ!!(TOT)(半ギレ)」

・・・この塾だけかもしれませんが、塾の社員さんには、ホンマに休みがないです(・_・)。なので、魚は生活に困っても、この塾でだけは社員になりたくありません( ゚ロ゚)ノ

4.新課程

ゆとり教育の弊害、学力低下を呼ぶと叫ばれて久しい新課程の数学・算数(円周率が約3になったとかいうて、叩かれてた奴)。その新課程に変わってからの生徒を初めて魚は担当することに。

高校1年生の数学なんやけど、初めの単元はいいとして(展開とか因数分解とか、今までと同じ)、次の単元で目が点に。

一次不等式?( ̄□ ̄;;

何が悲しいて、高校生にもなって、食塩水やら、距離やらの文章問題を解かせなあかんねんっ!!(▼▼メ)

後の単元を見てみたら、円周角とか、球の体積とかも入ってるし・・・。

一体、中学の間に何をやってるんやろう?(−−?)。今までの2年分を3年間でやってるんかねえ?(゜゜)

5.それはつまり・・・

小論文の題材に新聞の社説やコラムを使ってるんやけど、その中で最近の言葉の乱れについてのお話が。

「こん中の若者言葉ていうのは・・・そやなぁ、今やともう、普通かもしれへんけど、携帯のバリサン≠ニかあるやん?あーゆー言葉のことやね」

「へー、先生、そんなんよう知ってるなぁ。お父さんやったら、絶対、知らーらへんわぁ(・_・)」

「あー、そらまぁ、知らはらへんやろなぁ」



て、それはつまり、魚を君のお父さんと同じぐらいの年齢やと思ってるていうことなのか?(-_☆)キラリ

てなことで、たまにはまったりと( ̄m ̄)、ぶくぶく。。。

2004/05/07

第140話  北朝鮮拉致被害者家族帰国

みなさんも知ってのとおり、今日5月22日に、小泉首相と共に拉致被害者家族の方々が帰国されることとなりやした。

日朝首脳会談を終えた小泉首相は22日夕、平壌市内のホテルで記者会見し、日本人拉致被害者のうち蓮池薫さん夫妻(新潟県柏崎市)と地村保志さん夫妻(福井県小浜市)の家族計5人が22日夜に日本に帰国することで合意したことを明らかにした。曽我ひとみさんについては、夫で元米兵のチャールズ・ジェンキンス氏(64)を含め、家族4人が北京で会う方向で、早急に政府が調整する考えを表明した。北朝鮮が「死亡」「入国なし」としていた拉致被害者10人については、「直ちに改めて本格的な再調査をするよう求め、(金総書記の)同意を得た」と述べた。核問題については、金総書記が会談で「朝鮮半島の非核化が目標だ。6者協議を活用して、平和的解決を目指したい」と述べたことを紹介し、「今後、日朝平壌宣言を順守していく限り、日本は制裁措置の発動はしない」との方針を伝えたことを明らかにした。また、北朝鮮に対し、25万トンの食糧支援と、1000万ドルの医療支援を行う方針を表明した(2004/05/22読売新聞配信から、引用)。

今回の会談結果については、基本的に直前にリークされていた内容通りで、それ以上でもそれ以下でもなし。家族の方々全員の帰国を認める代わりに、米支援25万トンと医療支援。前回死亡とされた方々については、継続調査するという内容。この捜査については、日本側も参加できるていうことになっているんが、少々ポイントアップていうところか。

結局は期待されていた以上のサプライズ(驚き)はなく、家族会等からは落胆の声が上がっているとのこと。

東京都内のホテルで二十一日午後開かれた被害者家族の記者会見。壇上に並んだ二十一人が次々に心境を語る。苦悩の色を隠せなかったのは、北朝鮮が「死亡」「入国なし」とした拉致被害者十人の家族たち。「死んだなんて思えない。必ず全員を取り戻してきて」。唐突な小泉純一郎首相の再訪朝に厳しい注文をつけるなど、既に帰国した五人の家族が小泉首相の決断に感謝を述べるのとは対照的だった(2004/05/22神戸新聞配信から、一部引用)。

まぁ、これについては、日本政府側も参加しての再調査になるということなので、正直、今後の展開を見なければ評価不能かと。現時点でどうこう言うのは、早すぎると思う。もっとも、家族の方たちが圧力をかけるのは当然と思うんで(あきらめたそぶりを見せたら、それで最後)、後はマスコミや政治家なんていうのが自分たちの都合のいいように利用しーひんことを祈るだけやなぁ。

魚的には、とにかく、プラマイゼロの評価でやす。後で動きがあれば、加算されていくという形でプラスにはなると思うけど。ただ、少なくとも、こんな結果なら首相が行く必要はなかった、なんていう発言はおかしいと思うけどね。首相訪朝でなければ、絶対、戻ってこーへんて。この結果で、家族会の方以外から非難があるていうのはチト可哀想やと思う。それやと、リスクを冒さず、何もしーひん方がいい政治家やと認めてしまうことになる。

参院選対策や、年金批判そらしの要素は当然あると思う。ただ、それらに利用できるだけの下地を作ってきていたということは事実。少なくとも、小泉政権でなければ、いまだに拉致問題≠ネどというものが公式には存在すらしないまま、米25万トン以上の支援を人道支援という理由だけで吐き出していたままやったやろう。

横田さんが、想定していた中では最悪の結果やと言ってたけど、それはまさにその通りやと思う。つまり、合格点の中での最低点の結果やったと思う。だけど、これは合格点であることには間違いないと思う。

最後に、韓国の新聞の社説からこんな意見を張っておきやす。

日本の小泉純一郎首相が今週末北朝鮮を訪問し、8人の日本人拉致被害者の家族と一緒に帰国するというニュースを聞き、羨ましいだけでなく恥ずかしい思いさえする。
2002年小泉首相の訪朝以降、日本社会では「拉致問題を完全解決せよ」という激しい批判が起きた。日本はその後、北朝鮮核問題をめぐる6カ国協議をはじめ、機会あるたびに拉致問題を取り上げてきた。そのような日本に対し、「共助は後回しにし、自国民のことばかり考える」との非難もあった。
しかし、対北朝鮮共助における“共助”は共通した部分があるということで、各国の独特の問題と利益は存在しないという意味ではない。日本は共助の枠組みの中で「自国民のための外交」という原則を守り抜けた結果、ようやく解決の目途が立ってきたのだ。
私たちは米国や英国などいわゆる大国の外交から国民の命と安全を最優先にする姿を見てうらやむ一方、私たちがそうできないのを状況のせいにして自分を慰めてきた。その間、隣国の日本が私たちに米英のような“大国外交”の手本を見せる時代となった。
政府の統計によると、拉致された漁民など487人が北朝鮮に抑留されている。この数字には数千人の国軍捕虜は含まれていない。彼らのため、現政権と歴代政権は何をしてきたか。
和解と対話を進めるのはいい。それが間接的に北朝鮮の人権を改善し、私たちの安全を図る手段だというのも納得できる。しかし、韓国政府が国際舞台で北朝鮮の人権問題と拉致被害者の送還問題について、“退場”と“棄権”、“放棄”という消極的な対応を繰り返したのは明らかな事実だ。
和解と対話は国民の安全と国家を守るための手段に過ぎない。手段を守るため目的や原則を放り出すことがあっては決してならない。小泉首相の訪朝は、私たちに「なぜ国が存在するか」という問いを投げかけている。自国民の保護という最も基本的な義務を怠る国は「国らしい国」と言えないという教訓を日本から学ばなければならないのが悲しいばかりだ(2004/05/16朝鮮日報配信から、引用)。

靖国問題で小泉首相をボロクソに批判している韓国の新聞の社説だけに、魚には感慨深い意見でやした、ぶくぶく。。。

2004/05/22

★ 第141話〜第150話