ビーズ織り工房 伽羅

タピストリー「日輪」


■サイズ:W185mmH1110mm
■制作日数:約1ヶ月
■「風神雷神」に続く「国旗」をテーマにした作品です。


産経新聞の投書欄「談話室」、「読ませる」文章も多く、毎朝愛読しています。今年3月28日の当欄に「国旗への敬意の大切さは理解しているものの、国旗を掲揚することに対して躊躇する。」旨の投書がありました。
情けない事に、この方の気持を理解し共感してしまう自分に気がつきました。戦後GHQによる言論統制はあっても、私が幼い頃、旗日には「日の丸」が各家庭の玄関先に翻っていたものです。旗日、朝一番に「日の丸」を組み立てて玄関先に掲揚するのは当主である父の役割でした。私の父はその役割に誇りを持って自分の仕事を遂行していたと思います。

何時の頃からか徐々に旗日に翻る「日の丸」の数は少なくなってきました。玄関先に旗を掲揚するための金物がある家など、滅多にお目に掛からなくなりました。今や国旗を掲揚すれば、「右翼」と云う言葉を侮蔑的に投げつけられる有り様です。
戦後教育に首まで浸かって育った私たち世代は「国旗」の意味も精神も、「平和=反軍国主義」の思想の下に知らず知らず踏み絵の様に踏みつけさせられ続けて来たのだと思います。

国旗は国の象徴であり、これをぞんざいに扱う事は自分自身や自分のルーツを踏みにじり傷つける行為であると考えます。
「日の丸」を排泄物のカタチやハーケンクロイツのカタチに描き変えて下品に往来を練り歩いても、或いは汚したり引き裂いたりしても罪に問われない国。こういう状況は「言論・表現の自由」として尊重されるべき事ではなく、単に恥ずべき行為であり唾棄されるべきものだと思います。

旗日に各家庭の玄関先に日の丸が翻る日が再び来るためには一体どうすれば良いのでしょうか?
法律で規制するのも一つかも知れませんが、私は「私たちの国旗日の丸は、美しく気高く国際的にもクールである。」と自然に感じられる風潮を築きあげる事だと考えています。
私のような何の影響力もない芥子粒のような人間の行為など何の役にも立たないでしょうが、そんなこんなで私は「日の丸」をテーマに作品作りを始めました。壁に掛かる「日の丸」のイメージは、日々無意識に目に入り「日本人である事」を意識して生活するようになったと思います。
「日の丸の意匠は、如何に凛とした美しいものか」と、日々認識を新たにしています。



日輪とベース境目のデティールです。
「流れ」の意匠は連続させています。


ベース部分のデティールです。
バックの「流れ」は尾形光琳の「紅白梅図屏風」を参考にスケッチしました。


フリンジ部分です。
「流れ」の意匠はベース部分とフリンジで連続させました。


デザイン的に動きを出すために左右非対称なラインにしました。
竹ビーズはラインのカタチを壊さないために3サイズの長さを使ってます。
フリンジの長さに大きな差があるために揺れた際の動きが面白くてキレイです。