2月生まれの偉人伝

今日生まれの偉人達
1日 児島惟謙(1837〜1908)司法官
明治24年滋賀県大津で、津田三蔵巡査が訪日中のロシア皇太子ニコラス2世に切りつけた傷害事件、いわゆる「大津事件」において、大国ロシアに配慮した政府は、巡査を死刑にせよと、司法当局に迫ったが、政治介入を断固排除、他の裁判官を説得、三権分立の信念を貫き通し、「謀殺未遂」で処断、司法権の独立を守りぬいた。「護法」の神と称えられた。
ジョン・フォード(1895〜1973)アメリカ、映画監督
大道具係、俳優を経て、1917年「颱風(たいふう)」で監督となる。「男の敵」で、最初のアカデミー監督賞を受ける。39年には西部劇の最高傑作といわれる「駅馬車」を生む。「怒りの葡萄」「我が谷は緑なりき」でアカデミー賞を2年連続受賞。「荒野の決闘」「アパッチ砦」、「黄色いリボン」等
2日 橋本左内(1834〜1859)幕末の勤皇の志士 医師 政治思想家
緒方洪庵に医学・洋学を学ぶ。藩主松平慶永に認められ藩政改革に手腕をふるい、物産振興の裏打ちによる、積極的開国貿易論を提唱し、攘夷開国論へ導くなど手腕を振るう。将軍継嗣問題で慶喜擁立に活躍、反対派井伊大老のため安政の大獄で、死罪を申し渡され、江戸伝馬町の獄舎で26歳の若さで処刑され、無念の死をとげる。
3日 フェリックス・メンデルスゾーン(1809〜1847)ドイツ、作曲家、指揮者、ピアニスト
早くから優れた才能をあらわし、9歳でピアニストとしてデビューし成功する。12歳でゲーテの前で演奏をし、17歳で序曲「真夏の夜の夢」を作曲、ベートーベンの再来とまで絶賛される。彼の作品は、明るく伸びやかなものが多く、幸福感のあるメロディーが多くの人に愛されました。又、指揮者としても活躍。1847年ライプチヒで38歳という短い生涯を閉じる。
二葉亭四迷(ふたばてい しめい 本名、長谷川辰之助)(1864〜1909)明治時代の小説家
4日 チャールズ・リンドバーグ(1902〜1974)アメリカ、飛行家
1927年単葉機「スピリット・オブ・セントルイス」号に乗り、ニューヨーク=パリ間を33時間30分で飛び、大西洋無着陸横断飛行に成功、一躍世界の英雄となり、ローン・イーグル、ラッキー・リンディといわれる。単独飛行の回想録「翼よあれがパリの灯だ」を出版(1954年ピューリツァー賞受賞)。
5日 若槻礼次郎(1866-1949)
松江市出身、東京帝大を卒業、大蔵省入省の後政界に入る。大蔵、内務各大臣を歴任、大正15年第1次・昭和6年第2次・同年第3次、若槻内閣を出現させた。昭和5年ロンドン軍縮会議に首席全権で臨むなど、明治・大正・昭和の激動した政界の中枢を歩き、「真の平和愛好者」と称された。
ジョン・ダンロップ(1840〜1921)イギリス 獣医、発明家、実業家
6日 ベーブ・ルース(1895〜1948)アメリカ 大リーグ野球選手
メニューヨーク・ヤンキースで、3番打者外野手として活躍(打席から本塁打の飛ぶ方向を指すのが評判となる。)野球がアメリカの国民的ゲームとして人気を集めたのは彼の功績とされる。本塁打総数714は74年ハンク・アーロンが破るまで大リーグの記録として輝く。「偉大なホームラン王」と呼ばれた。
7日 チャールズ・ディケンズ(1812〜1870)イギリス、小説家(男性)
家庭は大変な貧乏で学校にも行けず、12歳から町工場で働く。その後、必死で努力し24歳で短編新進作家として文壇にデビュー。その作品は女王から貧しい庶民の子供まで愛読され。19世紀最大の国民的文豪であるばかりでなく、20世紀になっても、各国語に翻訳されている。代表作「クリスマスキャロル」「二都物語」
ドミトリー・メンデレーエフ(1834〜1907)ロシアの科学者、元素の周期律の発見者
8日 ジュール・ベルヌ(1828〜1905)フランス、小説家(男性)
異国へ憧れ、12歳の時に密航を企て、父に連れ戻され「これからは、空想の中でしか旅をしない」と誓ったと伝えられている。「気球に乗って5週間」が出版され、大評判となる。その後「グラント船長の子供達」「海底2万哩」「80日間世界一周」「2年間の休暇(邦訳15少年漂流記)」等、次々と名作を生み出し、科学小説、SF小説の父とも呼ばれている。
9日 土田麦僊(つちだばくせん)(1887〜1936)日本画家
16歳の時、僧侶となるために京都の智積院に入るが、幼い頃から夢見ていた画家になることを決意し寺を出、その後新派をリードしていた竹内栖鳳の塾に移る。彼の入門によって塾の雰囲気が一変したとまで言われる程熱心に勉強した。「三人の舞妓」など個性あふれる作品を発表。フランスのレジオンドヌール勲章受章。
10日 平塚雷鳥(1886〜1971)女性解放運動家、評論家
婦人文化運動研究の「青鞜社」をつくり機関誌「青鞜」を発刊。「元始、女性は太陽であった。真性の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。」に始まる発刊宣言を書き、その後の、女性解放運動の原点となる。戦後国会議員になり、平和と婦人の権利守る運動(母性保護等)を続けた。
新井白石(あらいはくせき)(1657〜1725)江戸時代中期の学者、政治家
11日 トーマス・アルバ・エジソン(1847〜1931)アメリカ、世界の発明王
電話機の改良、蓄音機、白熱電球、映写機、アルカリ畜電池器など次々に画期的な発明考案を行なった。なかでも電球の発明とその事業化は、一般家庭に電力をとり入れる機会をつくり、今日の家庭電化文明をもたらすための礎となる。19世紀後半から20世紀初頭にかけての主要な技術上の問題で、エジソンと関係のないものはないといってもよいほどである。
佐久間 象山(さくま しょうざん)1811〜1864江戸時代末期の洋学者
12日 エイブラハム・リンカーン(1809〜1865)アメリカ 政治家 第16代大統領
ケンタッキー州の貧しい開拓農民の子として丸木小屋で生まれたが、60年共和党の大統領候補に指名され、当選。南北戦争に北軍を指導して勝利を得た。人道主義に基づく奴隷制度廃止を主張、63年に奴隷解放宣言を行ったが65年、暗殺された。ワシントンと並んで合衆国の国父と呼ばれている。
チャールズ・ダーウィン 1809〜1882イギリスの博物学者で進化論者
13日 渋沢栄一(1840〜1931)実業家
明治新政府に登用され、種々の法制度の制定・改正に尽力。のち実業界に転じ、第一国立銀行、王子製紙、日本郵船、日本鉄道などの創立に参画。明治期の日本資本主義の発展に貢献する。教育機関 ・社会公共事業の支援並びに民間外交に尽力する。又、孔子の教え「論語」を生涯の行動規範とし、清廉潔白な経済人としての姿勢を貫き、多くの人々の尊敬を集めた
14日 豊田佐吉(1867〜1930)織機の発明家、実業家
「発明」によって、日本の産業を発展させ裕福な国にしようと考え、24歳の時、最初の発明「豊田式木製人力織機」を完成させた。大正10年には中国上海に「豊田紡織廠」を設立、その後海外へ次々と工場設備や技術を輸出、世界に認められた。高血圧と急性肺炎のため、63歳で生涯を閉じる。事業は、息子の喜一郎に受け継がれ、自動車をはじめとする日本の産業の著しい発展の礎となった。
15日 ガリレオ・ガリレイ(1564〜1642)イタリア、天文・物理学者
在学中、礼拝堂のランプが揺れるのを見て、振り子の等時性を発見。落体の法則をピサの斜塔で実験し、コペルニクスの「地球は宇宙の中心ではなく、太陽が中心で、地球は毎日自転しながら太陽の周りを回っている」という地動説を説き、宗教裁判にかけられ、ローマ法王から、人を惑わし神を汚す者として罰を受けたが「それでも地球は動く」とつぶやきつつも、地動説放棄を誓わせられた。
和井内貞行(わいない さだゆき)
(1858〜1922)
魚の影すら見えない死の湖を、豊かな湖に変えた“十和田湖開発の父”
井伏鱒二いぶせますじ)1898〜1993昭和期の作家
16日 大隈重信(1838〜1922)明治大正時代の政治家
明治21年、伊藤博文内閣の外務大臣となり、条約改正に努めたが、翌年、国粋主義者に爆弾を投げられ右足を失う。板垣退助と日本最初の政党内閣を結成し首相になった(4ヶ月で倒れる)。1882年東京専門学校(今の早稲田大学)を創設。青年好きな重信はいつも「学生はみな自分の子供だ」と言って終生教育事業に力を尽くした。
荻生徂徠(おぎゅうそらい)1666〜1728江戸時代中期の儒者
17日 シーボルト(1796〜1866)ドイツ医師
ドイツの医学者、博物学者。オランダ商館の医官として文政六年来日。安政六年にはオランダ商事会社の顧問として再度来日。鳴滝塾を開いて診療と医学の教授にあたり、伊東玄朴、高良斎、高野長英らを育てた。また、日本の動植物を研究。著に「日本」「日本動物志」「日本植物志」。
島崎藤村(しまざき とうそん)(本名 春樹)1872〜1943詩人・小説家
18日 アーネスト・フランシスコ・フェロノサ(1853〜1908)男性 アメリカ 美術史学者、哲学者、東洋研究家
1878年日本政府に招かれ、哲学、経済学、美学等を講義した。やがて日本美術の保存、研究を説いて、伝統的な、日本画の復興を力説した。帝国博物館の設立を訴え。又、岡倉天心と協力し、東京美術大学(今の東京芸大)の創立に尽くす。帰国後、ボストン美術館東洋部長となり、日本美術の紹介に努めた
19日 ニコラス・コペルニクス(1473〜1543)ポーランド、天文学者
初めて太陽中心説(地動説)を発表し、さらに、地球はその軸を中心に回転(自転)していること、そしてこの地球の回転運動により、人々が見る天体の位置が変わるという結論に達した。著書「天体の回転について」が完成したが、教会の教えに反するため、死の直前に発表された。(校正刷りを胸に抱いて亡くなったとも言われている)
峠三吉(とうげ さんきち)  (本名 三吉 みつよし) 1917〜1953 詩人
20日 志賀直哉(1883〜1971)小説家
明治四三年「白樺」創刊以後、中心作家の一人として、数多くの短編を書いた。大正中期より「城の崎にて」(療養中の体験を元にして書いた)「和解」(父との確執が解消した時に書かれた)などの自伝的、心境小説的作品をてがけ、独特のリアリズム文学を樹立、昭和一二年には「暗夜行路」を完成。「小説の神様」と呼ばれている。
石川啄木(1886〜1912)明治時代末期の詩人・歌人
21日 ユベール・ド・ジバンシー(1927〜)フランス ファッションデザイナー
25歳の若さで自分の店を開き、1955年に、ウエストもヒップもないシュミーズ・ドレスを「自由なライン」として発表。「革命的な衣裳」としてモード界を騒がせました。又、彼はオードリー・ヘップバーン主演の映画「麗しのサブリナ」の衣裳を担当、その後も彼女が主演の映画のドレスのデザインを16本中7本も担当し、彼のデザインは大流行を果たした。
22日 ジョージ・ワシントン(1732〜1799)アメリカ、政治家、初代合衆国大統領
1789年新憲法発布と同時に満場一致で初代大統領に選ばれた。強力な中央政府の実現に努力し、ハミルトンを起用して国家財政を確立させ、再選後も、国内政治の整備に努め、フランス革命には中立を守り、モンロー主義の基礎を築いたが、3選めには民主主義に反するといって「決別の辞」を送り、政界を引退した。今でも「建国の父」として尊敬されている。
高浜虚子(たかはま きょし)本名 清(1874〜1959)大正・昭和期の俳人。
23日 ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル 独(1685〜1759)ドイツ(→イギリス)作曲家
幼い頃、父親から音楽を禁じられたが、こっそりと屋根裏部屋で音楽の練習をしたといわれている。歌劇「アルミラ」を発表し有名になる。イギリスに渡り、大変な人気となりロンドンで作曲を続け、イギリスに帰化。生涯妻を持たず、又、自分の家も持たなかった。「音楽の母」と呼ばれた。代表作は「メサイア」「水上の音楽」。
24日 ウィルヘルム・グリム(1786〜1859)ドイツ童話集成家、言語学者
旅行ついでに集めた話を編集。「子供と家庭の為の童話」を出版。爆発的にヒットし、次々と続編を出版。これが後に「グリム童話」となり、世界中で読まれるようになる。現在聖書についで、広く読まれている。「赤ずきん」「白雪姫」「ヘンゼルとグレーテル」など。
25日 オーギュスト・ルノアール(1841〜1919)フランス 画家(男性)
貧しい生活の中、学校にも行けなかったが、絵の摸写などで学費をため、国立美術学校へ入学。印象派のもつ温かさと古典主義の持つ気高さを融合させ、独自の色彩を用い、特に裸婦の美しさを描いた数多くの名作を残した。生活が安定してからも、病魔と戦い、指の間に絵筆をはさんでもらいながら描き続けた。代表作「桟敷席」「浴女たち」等
26日 ビクトル・ユーゴー(1802〜1885)フランス 詩人、小説家、劇作家
20歳で処女詩集「オードと雑詠集」を出版し、以後、文学に打ち込む。戯曲「クロンウェル」、「ノートルダム・ド・パリ」(ノートルダムの鐘)を発表する。ロマン主義をとなえ、フランスを代表する作家の一人となる。1870年大作「レ・ミゼラブル」(ああ、無情)(1862年)等を発表。、その死は国葬で送られ、パリ中の人が参列したといわれている。
与謝野鉄幹(よさのてっかん 本名 寛 ひろし)(1873〜1935)明治大正時代の歌人
27日 ジョン・エルンスト・スタインベック(1902〜1968)アメリカ 小説家(男性)
カリフォルニア州を背景にした、特色ある社会小説を書き、次第に認められ、特に「怒りの葡萄」は人々に深い感銘を与えた(ピューリツァー賞受賞)、他に「エデンの東」「二十日鼠と人間」等がある。1962年ノーベル文学賞受賞、1930年代を代表するアメリカの小説家となった。晩年は、ベトナム問題にも積極的な関心を示した。
28日 ミッシェル・エケム・ド・モンテーニュ(1533〜1592)フランス 思想家
フランスのモラリスト文学の始祖と称されている。彼は晩年、宗教戦争を体験し、その体験から、人間は偏見・独断・傲慢・不寛容などをうち破って、自分の人間性を吟味すべきだと定義した。彼の有名な言葉に、「ク・セ・ジュ」(私は何を知っているのか)というものがあり、彼は、自分の内面に常に質問して人間性を高めるべきだとした。著書「随想録」
山川惣治 (やまかわそうじ)(1908〜1992)絵物語作家、画家。
文部省主催の日本紙芝居コンクール入選を機に、雑誌「少年倶楽部」で戦記、伝記絵物語を発表、絵物語作家としてデビュー。戦後も、紙芝居や雑誌「少年倶楽部」などで絵物語作家として活躍。「少年王者」は。35万部を超える大ヒットとなり。続く「少年ケニヤ」もヒットし、アフリカの密林で活躍する主人公ワタル少年はヒーローとなり、のちに単行本は大ベストセラーとなりました。
高村光雲(中島光蔵)(1852〜1934)木彫家
29日 ジョアッキーノ・ロッシーニ(1792〜1868)
オペラの天才といわれ、オペラ「セビリアの理髪師」「ウィリアム・テル」などは、特に有名。しかし、40曲ものオペラを作曲したあと37歳のとき、私は音楽界からの引退を発表。その後、もともとグルメであった彼の興味は、音楽から料理へと移り、美食の限りを尽くし現在でもロッシーニ風というメニューが残るほどである。

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この、香寺大好きは兵庫県神崎郡香寺町の情報を中心に、パソコンを細々と教えている私の情報をプラスしたホームページです。
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