21日 ユベール・ド・ジバンシー(1927〜)フランス ファッションデザイナー

パリの北、タペストリーで有名なボーヴェで生まれました。彼は貴族の血を引く侯爵の出身でしたが、2歳の時に父親が亡くなり、母親と母方の祖父母の手で育てられます。祖父は織物企業の監督官をしており、大の美術愛好家であったので、彼は小さい頃から祖父が収集した美術品や美しいタペストリーに囲まれて育ちました。

彼は、幼い頃よりファッションに興味を抱いており、10歳の時、パリで開かれた万国博でシャネル等のデザイナーの美しいドレスを見て影響を受け、自分も、その道に進もうと決意したといわれています。

25歳の若さで自分の店を開き、1955年に、ウエストもヒップもないシュミーズ・ドレスを「自由なライン」として披露しました。これは、当時「革命的な衣裳」としてモード界を騒がせました。

又、彼はオードリー・ヘップバーン主演の映画「麗しのサブリナ」の衣裳を担当し、数枚のドレスをデザインしました。彼にとっては、とても大きなチャンスでした。その後もオードリー主演の映画のドレスのデザインを16本中7本も担当し、彼女は最も効果的なモデルとして活躍、彼のデザインは大流行を果たします。また、オードリーにとっても、自分の体形に女性らしい優しさを補ってくれる、ジバンシーのドレスは欠かせないものとなり、日常でも愛用しており、大親友でもありました。
彼の本名は、ユベール・ジャム・マンセル・タファン・ド・ジバンシーといいます。
オードリー・ヘップバーン主演の映画『おしゃれ泥棒』で、ヘップバーンが掃除婦になりすますシーンがありますが、さすがに掃除婦ルックはジバンシーではない。そこですかさず相手役が『これでジバンシーも休めるね!』。と言ったそうです。
ランテルディ(香水)の逸話(ジバンシーのインタビューから)
私(ジバンシー)は「貴方(オードリー)のイメージの香水を作っては如何でしょう?」と相談してみました。勿論、彼女は大賛成でした。』
『そういう訳で実際に香水を創ったのですが、他のお客様には、「これはヘップバーンの為の特別製なのですよ。あなた方の使用は禁止されています・・・。」という意味を込めて、ランテルディ(禁止)という名前を付けました。』
『ところが、子供にダメよ!と言うと逆に欲しがりますね。ランテルディは 発表と共に大成功で、今でもとっても人気が有ります。』
『彼女はずっとランテルディを使い続けていました。私は彼女に「イザティスを試してみるべきです」と時々言ったのですが、答えはいつも、NOでした。彼女はランテルディの香りが自分の一部になっていると言ったのです。』

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