2月


24日
ウィルヘルム・グリム(1786〜1859)ドイツ童話集成家、言語学者

ヘッセン州ハーナウの行政司法官であった父の三男に生まれました。生涯をともにした兄、ヤコブ・グリムは次男です。(長男は生まれてまもなく他界しています)。比較的裕福な家庭で、家庭教師から読み書き、算術を習っていましたが、父親が急死したために、母と6人兄弟は路頭に迷ってしまいました。

それでも二人は、勉学に励み、おばの援助で、カッセルの高校、続いてマールブルク大学に入り、法学の歴史的研究をしていましたが、ハイデルベルクのロマン派と交わり興味を示すようになり、旅行のついでに集めた話を編集し、1812年「子供と家庭の為の童話」を出版します。

この本は爆発的にヒットし、1814年、1822年と続編を出版。これが後に「グリム童話」となり、世界中で読まれるようになりました。結局、1857年、生前最後に出した第7版(200話で完結する)まで、ほぼ半世紀の間、この仕事にたずさわっていました。この本は、現在聖書についで、広く読まれているといわれています。

ゲッチンゲン大学教授となりましたが、同大学の7教授事件(「憲法は停止、今後は王に従え」という命令に反発)に連座して辞職。41年兄とともにプロイセン王に招かれ、ベルリン大学教授となり終生行動を共にします。

「ドイツ語辞典」を編集。著書に「ドイツ英雄伝承」(1829年)があります。

ずぼらから生まれた童話集
グリムは、1806年、ブレンターノという人物から民話の収集依頼を受けました。グリムは、地方に出向いて民話を収集したり、昔話の話し手を呼び寄せたり、昔話を文章にして送ってもらったりと数多くの民話を集めていきました。そして、1810年、集めた49話をブレンターノに送りましたが、ずぼらなブレンターノは、なんとそれをなくしてしまったのです。けれども、グリムは詩人の彼が収集した民話を大幅に改竄してしまうと思ったので、口承伝統を記録として残しておきたいと思った彼は、なんと控えを取っていたのです。彼が資料を無くしてしまったのを知ったグリムは、集めた民話を、それっきりにさせるのは惜しかったので自分たちで出版することにしました。そして1812年、学術的註釈のついた『子供と家庭の童話』を刊行されることになったのです。
もし、ブレンターノが資料を無くしていなければ・・・
有名な「白雪姫」は、王子様に助けられてめでたしめでたし、というのがラストの通説ですが、これには続きがあります。
自分を殺そうとした継母を捕らえた白雪姫は、継母に焼けた鉄の靴を履かせて死ぬまで躍らせ、その一部始終をずっと王子と笑って見ていた…これが本当の結末。
物語は主に、各地方の行商人や語り部の話から得られました。妻(ドルトヒェン・ヴィルト)は多くの民話を語り伝えた女性の一人(薬局店の娘)で、グリムが民話の収集中に知り合い、恋に落ちて結婚し、生涯童話のために協力しました。(兄のヤコブは生涯独身だったそうです。)

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