倭人字磚と曹氏



倭人字磚

 中国安徽省の亳州市は、漢代には譙県といい、魏の曹操はここから出た。北魏、酈道元(470~527)の「水経注」は、濄水と呼ばれる川が流れていて、曹操の父、曹嵩の冢や、祖父、曹騰の碑、曹騰の兄の冢と碑など、曹氏一族の墓所があったことを記している。曹氏の全盛期から300年くらいしか経ていないので、その所在は明確に把握できたようである。
 1970年代に、この古墳群を発掘調査したところ、元宝坑一号墓と呼ばれる冢から、多数の字磚(文字を書いた磚)などが発見された。盗掘を受けた墓内に散らばっていたという。
 磚は型入れして整形した粘土を乾燥し、さらに焼成したレンガで、墓の壁作りなどに使われていた。したがって、文字は磚の形を整えた後、乾燥して固まるまでに、手近な道具で書かれたことになるだろう。
 「会稽曹君」と記された磚が複数あり、この会稽曹君が墓の主に想定されている。会稽郡の太守をしていたらしいが、曹氏のうちの誰が該当するかは決め手がない。
 建寧三年(170)という霊帝初期の年号を記したものがあり、「倉天乃死」と記したものもある。中平元年(184)に張角が「黄天」を自称し、黄巾をつけた三十六万の兵を率いて反乱したとされているから(後漢書霊帝紀)、「蒼天の死」はこの黄巾の乱と関係がある。謀反に至るまで、宗教団体として勢力をつちかっていたであろうから、それがいつ頃まで遡れるのか。ともかく、陵墓の完成は170年以降ということになるだろう。
 74号字磚と呼ばれるものには「有倭人以時盟不」という文字が刻まれていて、写真を見ると、なにか細いもので引っ掻いたという感じである。すべてがそうではなく、しっかりした書体で書かれたものもある。
 この倭人字磚は、「有倭人」と大きく三文字を記した下に「以時盟不」と四文字が小さく書かれ、文字の形は違うが、右図のような配置になっている。
 「有倭人」と記して、一息入れた後、残り四文字を書くスペースが足りないのに気付いて、文字を小さくしたのである。したがって、文は「有倭人」で切れる。読み下すと「倭人有り。時を以って盟するか。」になる。
 「有倭人」は、おそらく、「樂浪海中有倭人」という漢書地理志燕地の文を踏襲したものである。当時、三国志や後漢書は存在しない。倭人に関する知識で、墓作りに動員されるような農民にまで浸透していたのは、漢書のこの記述のみではなかったか。
 「盟不」の「不」はすぐ上にある盟に対する疑問である。「盟するだろうか」という意味になる。
 磚の長さは19cmで、上部が欠落している。磚は量産規格品だから、大きさはほぼ一定のはずで、「倉天乃死」などを書いた32号字磚は、長さ37.5㎝。墓の壁作りの動員に対する怨みを書いた元宝坑二号墓30号字磚は38.5cm。同じく39号字磚は30.9cmとされているから、倭人字磚は全体の半分近くを欠いていることになるようだ。
 磚の中ほどから文字を書き始めて、スペースが足りないという書き方はあまりにも不自然で、「有倭人」の上、欠落部に、磚の上端から文字が書かれていた可能性がある。「樂浪海中」という漢書地理志の言葉がピッタリ当てはまりそうなのである。
 「倭」という文字の禾部に縦線がなく、倭と読めるのかという疑問もありそうだが、隋書は俀国、俀奴国と記していて、これは倭の異体字とみて問題なく、字磚の文字は、倭と俀の中間的な印象を受ける。
 この字磚が作られたとおぼしき170年頃は、「桓霊の間、倭国大乱」と後漢書に記された時期である。霊帝の即位は168年で、大乱は桓帝の時代に始まり、霊帝の時代までまたがっていた。この墓の主は桓帝(147~167)の時代に活躍して、霊帝初期に亡くなったと考えられる 。会稽郡太守が最終的な地位だったのだろうか。
 「盟する」のは倭人と漢の関係ではない。漢に敵対する外国勢力があり、その牽制のためなら可能性があるが、当時そんな状況はない。漢にとって倭の存在はあまりにも微弱で遠い。友好を誓い合うような相手ではないのである。したがって、「盟するかどうか」は敵対する倭人間の関係に言及したものと考えることができる。会稽曹君がこの倭国大乱に関与していたと考えても不都合はなく、おそらく、同時期に、いくつかの勢力から相手を非難する言葉と援助の要請が届いて、対応に苦慮していたのだと思われる。「時を以って」は、この倭国の大乱を会盟に導くのは時間しかないのではないかという、仲介を投げた言葉に受け取れるのである。
 倭人字磚に記された文字は、「(【磚の破損により脱落した部分=楽浪海中に】倭人がいる。時間が解決して、(戦いを止め)会盟するだろうか」という意味になる。
 霊帝時代、曹操の父、曹嵩は接客を担当する大鴻臚だった時期があり、ここからも曹氏と倭人のつながりを想像できる。漢代から倭人と曹氏が接触していたことは、それは曹氏に伝承されていたであろうから、卑弥呼に対する厚遇に結びつきそうである。




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