漢字の起源



漢字の起源(白川静氏を買わない理由)

 白川氏の「字統」など三部作が大々的に売り出された頃、高齢の大教授の研究集大成ということで、マスコミがさかんにもてはやしていた。書店で「字統」を手にとってみると、アイウエオ順に文字が並べてあり、引きやすく便利そうに思えた。マスコミに釣られて買ったわけだが、すぐに後悔した。古代は自然がはるかに身近にあり、歴史や漢字を調べるにあたって、動物や植物など、周辺知識を欠くと足をすくわれる場合がある。私の漢字、漢文知識は白川氏の足元にも及ばない。しかし、ご本人は気付いていないわけだが、素人同然の者が簡単に論理の破綻を指摘できる。白川氏を知る人が書いた文によれば、生真面目な人格者だったようである。その真面目さゆえに、机の前で、膨大な漢籍の微に入り細に入りして迷宮に迷い込み、おおらかに作られた漢字の本質を見失ってしまったかのように見える。


(ショク、ゾク)

 字統の「蜀」という文字を見ると、「牡の獣の形。虫の形は獣の牡器で、その獣を獨(独)という。」、「蜀の字形は配匹をえない牡獣で、いわゆる独。」という説明をつけている(下の甲骨文字4)。
 群れで暮らす獣の牡が配偶しているかどうかは、四六時中、観察していないかぎり、人間にはわからない。鹿は若い牡が群れを作ったりして、配偶していなくても独ではない。虎や熊は牝が子育てし、牡はほとんど単独行動なので、これも配偶を知るのは難しい。無意識に動物を擬人化して考えているわけである。家畜のように人間がコントロールしていないかぎり、氏の言う蜀(独でもある)かどうかを知ることは難しいだろう。そういうわかりにくいものを基準に文字を作るかとなれば、否である。性器を持った牡の獣の形だけで、それが配偶していないと飛躍する論理も謎であるし、牝には独がないことにもなる。
「説文解字(最初の漢字解説書、後漢、許慎著)」では、蜀は「葵中の蠶である。虫に従い、上の目は蜀の頭形に象り、中はその身のうごめく様子に象る。(甲骨文字4)」と説明する。普通の漢和辞典はこれに従って、青虫やイモ虫としている。蝶、蛾の幼虫である。私もそれが正しいと考える。したがって、蜀は他文字と組み合わされたとき虫に簡略化される場合がある(獨→独、觸→触、屬は属で、虫ではなく禹になる。ビッコを引き引き動く形である。蛇や尺取り虫のゆっくりした動きを思い浮かべれば良い。)
 葵は、古代は野菜としてよく食べられており、現在は冬葵と呼ばれているようである。ヒメアカタテハの幼虫の食草の一つに挙げられている。これは、誰でも知っていそうな馴染みの有る草と虫を例として挙げただけだろう。文字は目と、動く様子、虫の組み合わせである。青虫の頭は小さく目玉も目立たないから、おそらくアゲハの幼虫に見られるような、大きな目玉もようのある青虫、イモ虫が出発点になっている。
 左の写真では少しわかりにくいが、五対の腹脚のうち、最後の一つだけが離れて付いていて尾脚と呼ばれている。それで青虫の蜀と尾を組み合わせて屬(属)という文字が出来上がる。少し離れているけれどくっついて同じものなのだ。動きはスムーズではなく禹である。
 白川氏は甲骨文字4を出して、蜀は性器を持つ牡の動物で、虫型は虫ではなく、牡器の象形だと言う。しかし、その解釈では、同じく目とうごめく様子を組み合わせた1、2と虫の象形らしい3の文字は行き場を失うだろう。あるいは1,2,3とも虫の象形であるのかもしれない。
 牝の尾と相接し屬になるとも言っているが、交尾(尾を交える=尾+尾)という表現はあっても、牡の性器とくっつくのは牝の性器である。動物の尾と性器が接するだけで「属す」という意味になる理由がわからない。蝶や蛾などの生殖器官は腹部の先端、尾と呼ばれるような位置にあり、尾と尾が接続する形で生殖する。文字通り交尾で、この言葉は蝶、蛾類から動物全般へ拡大されたのだと思われる。
 甲骨文字3では、頭に角を持ち、体にトゲ(または脚)をたくさん持つ象形となっている。オオムラサキなどの幼虫がそういう形をしている。 左写真の角状突起を持つ幼虫はジャノメチョウ科のクロヒカゲモドキである(学研生物図鑑、昆虫Ⅰより)。
 アゲハ類の幼虫は触れると角を出す。(左写真。学研生物図鑑、昆虫Ⅰより)
 そこで角と青虫を表す蜀を組み合わせて觸(触れる)という文字が生まれた。このことは白川氏のみならず説文解字の著者も気付いていない。牛の角が当たることとみなしている。漢代には、文字が作られた頃より自然が遠くなっていたらしく、著者はアゲハ類の幼虫のふるまいを知らなかったのである。
 獣と青虫を組み合わせた文字「獨(独)」は、老化やケガにより、青虫のように足がのろくなって群れからはぐれた獣、群れに行き遅れた、群れを失った獣ということになるだろう。白川氏は字統「獨」の項で、「老いて子無きを獨という」という孟子(梁恵王下)の言葉を引いているが、まさしく、それが獨の本質なのである。配匹を得ないことではない。蠋は詩経「東山」にあらわれ、桑の中にうごめいているからカイコ類の幼虫である。蠲(ケン)はゲジゲジ類。青虫と同様の筒型形状で地を這うが、足の数や体節が非常に多い(益)ので益と蜀の二つが組み合わされたらしい。口と青虫を組み合わせた噣は、「くちばし」「ついばむ」という意味。鳥が虫をくわえている形があらわれる。青虫の形状や感触から牡器が連想され、青虫と攴(たたく)や刂(刀)を組み合わせ、斀、劅という去勢に関する文字が作られたようである。青虫はサナギを作って、人間の目から見ればしばらく活動を休止する。青虫の最終形態はサナギやマユということになり、袋状に包み込む形にも用いられたらしい。髑(頭蓋骨)、襡(はかま、下着)、韣(弓を入れる袋)、鐲(鐘の一種、女性の腕輪)、臅(オオカミの胸の中の油)など。燭(ともし火)はおそらく蜀という土地で祭られていた燭龍(燭陰)という月神から生まれた文字と思われる。鸀(鳥の一種)はホトトギスであろう。ホトトギスに関連付けられる望帝、杜宇という戦国時代の蜀王の伝説から生まれたものと考えられる。濁(斉地方の川の名、にごる)、擉(魚を捕るヤス。毒を持ち刺す幼虫もいるけれど)などにある蜀は青虫や地名との関連を見いだせず音符と考えられる。觸(触)、獨(独)、屬(属)などの蜀も音符と考えられているのだが、上記のように青虫の動物学的知識があれば複数の文字を組み合わせた会意文字だとわかる。


(ハク、ビャク)

 白川静氏は、甲骨文字を「頭顱の形で、その白骨化したもの、されこうべの象形である。ゆえに白の意味になる。偉大な指導者や強敵の首は、髑髏化して保存される。ゆえに伯(覇、はたがしら)の義となる。」と書いている。

 甲骨文字の「首」は上の図3のように複雑な形になっている。人間の首ではなく動物の首のようだ。その中身の頭蓋骨だけを1のような単純な形に発想できるだろうか。私にはどうしてもされこうべの象形には見えない。頭蓋骨を表す髑という文字が、骨と蜀を組み合わせて作られている。髑は骨や蜀より後に作られた二次的な文字なのである。骨だって白色だ。頭蓋骨の形状は骨の中ではきわだって特殊であるし、重要でもあるので、特別に髑という文字を与えられたが、白川氏が思うほどには意識されていないようである。白は基本的な文字だと思える。
 頭を意味する日本語の「かしら」は白(しろ)とつながっているかもしれない。「知る」「しらしめす」「調べる」も頭に関係している。そういうことからこの発想を得られたのであろうか。しかし、それはあくまで日本語のシロが頭蓋骨の色を起源とするかもしれないというだけである。民族が異なれば発想も異なる。英語のscull(頭蓋骨)とwhite(白)は関係があるまい。中国語の髑(ドク)と白(ハク)も関係が無い。説文解字は「自と同じで鼻の象形」だとしているが、甲骨文字の形は全く異なっている。説文解字の書かれた後漢代に甲骨文字は知られていなかった。
 白は一粒の米の形から出たのだろうという説がある。確かにそれらしくみえる、しかし、真ん中に一本の線がある白い穀物というなら小麦の方が有力である。2の金文にはノギを感じさせる突起があり、ますますその感が強い。麦(バク、ミャク)の実から白(ハク、ビャク)が出たのである。罒が目という文字に変化している例があるから、小麦の種子の縦線が横線になってもおかしくはない。
 説文解字に、「麦、芒穀(ノギの穀物)。秋に種まき厚く薶(うず)める(薶=バイ)。故にこれを麦(バク)という。麦は金なり。金王にして生じ、火王にして死す。(秋に芽を出し、夏に枯れる)」とあり、五行の金徳の色は白なので、麦は白に結びついている。
 文字は黄帝の臣、蒼頡が作ったとされている。これを信じる理由はないけれど、「史記」は、「(黄帝の子)その一を玄囂といい、これを青陽となす。」と記し、「漢書 律歴志第一下」は、「考徳(書名だという注がある)いわく、少昊は清という。清は黄帝の子、清陽なり。」と記しているから、黄帝の長子は清陽、玄囂こと少昊(少暭)、金天氏である。この人は西方の神となり、西=秋=金=白虎に関連付けられた。
 人(ニンベン)に白を組み合わせた「伯」という文字が「長」を意味するのは、これを根拠とするのであろう。甲骨文や金文では白のみでニンベンは付かない。白と伯は区別されていなかった。白はシロ色であり、長男なのだ。
 少昊氏(黄帝の長子=西方の神)との関係から、「白」は、長、貴い、大きい、(天に、親に)近い、薄い(*/チベット高原)などの意味を含むようになったと考えらる。また、小麦は五穀の貴ともされている。
 白はどんな色にも染められる色の始まりである。柏も百木の長とされている。手をたたく拍も、元々は、最上のものに対して大きく手をたたく意味だったようで、魏志倭人伝には、「貴人を迎えるときはただ拍手するだけで、跪拝するかわりとしている。」とあるし、神社で打つ柏手も連想できる。迫は最も近づくことだし、舶は大きな船、船の長男と言うわけである。

 つまり、白、伯の甲骨文字は小麦種子の象形で、食用部分の色と、それに結びついた黄帝の長男、少昊氏(玄囂、清陽)という中国太古の伝説から生まれた意味を合わせ持つのである。


(セキ、ジャク)

 白川静氏は「厂(カン)と口に従う。厂は崖岸の象、口は■(フォント無し、サイ)、祝禱を収める器の形で、石塊の形ではない。」と説明している。
白川氏は右の口型の図形を、神に捧げる祝詞を収めた器で、「サイ」と読むことを提唱する。訓は「のりと」である。しかし、そんなに重要なものがあったなら、文字に残され、言葉に残されただろう。「サイ」の実在を示す痕跡すら見られず、解釈上の都合から独自に想定されたものである。根拠もなしに自分が思うだけでは、素人の主張と何ら変わりがない。崖下に祝詞入れの器を置いた文字が「いし」の意味を持つ理由を説明してくれなくては。「がけ」の意味を持つなら、崖を祀っていたのかなということになるのだが。白川氏の解説と文字の意味につながりがない。
 説文解字には、「山石なり。厂の下に在り。口は象形なり。」とある。どう考えても説文が正しい。
 太古、多くの道具類が石で作られていた(石器)。木にたたきつけても割れない石。戦いの武器になる石。あるいは動物を切り裂ける石。道ばたに転がっているような石では間に合わないだろうし、安定的に手に入れるのも大変である。固くて耐久力のある石や、鋭い刃に加工できる石など、それぞれの用途に適した石を山の岩場で見出せば入手が安定する。オーバーハングは岩の崖である。手に届く場所を割っていけば、自ずから上部が残ってオーバーハングになる。有用な石のある崖とそこから落ちた、あるいは、割り落とされた物体の象形を合わせてこの文字になった。上部の三角形はおそらくヒビが入って落ちかけの石なのであろう。
 左図、小篆の「岩」では、山の上に同じ図形がゴロゴロしている。大石の象形なのである。中国の黄山、泰山、嵩山など、古代から名山とされている山の写真を見れば、この形が腑に落ちる。白川氏も「山上に岩石の累々たる形」と説明している。泰山では秦の始皇帝や漢の武帝など、何度も封禅という天地を祀る儀式が行なわれているのに、この象形を「サイ」と言わないことが不思議に思える。
 岩崖の下には石がゴロゴロしている。そこいらにある石の出所を尋ねれば、崖から分かれたものと想像できるだろう。蒼頡は鳥の足跡を見て文字を思いついたという。それが事実かどうかはさておき、太古の基本的な漢字も同様の素朴な発想から生まれている。

(セン)

 白川静氏は、 「卜と口に従う。卜は甲骨によるうらないの時の卜兆の形。口はサイ。祝祷(いのり)を収める器の形で、神に祈りながら卜問することを占という。」と説明する。
 
白川氏はここでも口型の図形を「サイ」と読み、神に捧げる祝詞を収めた器と主張する。収めたられたものは、当然、文字でなければならない。紙は後漢代の発明なので、竹簡ということになるのか。甲骨文字の時代に存在したのだろうか。説文は「兆しを視て問うなり」としている。
 亀の腹側の甲や牛の骨に錐のようなもので孔を開け、焼け火箸かなにかを突っ込んで、できたひび割れの形を見て吉凶を占う。殷の甲骨文字はその卜した骨に、占いの内容と結果を後から記したものである。だから、都合良くするためのねつ造や改ざんがあるという。
 では、その占いはどういう手続きをもってなされたのかということになるが、魏志倭人伝にそのヒントがある。(倭人は)「骨を灼いて卜し、以て吉凶を占う。先に卜する所を告げる。その辞は令亀法の如し。火坼を視て兆しを占う。」と書かれている。占いを始める前に、何を占うかを告げ、その言葉が令亀法と同様だというのである。形式があったのだろう。日本では鹿やイノシシの骨が使われたが、火で焼く前に、「こういうことがありました。占いを始めますから、吉なのか凶なのか、なにとぞ教えてください」と神にお願いしていたのである。亀の甲を焼いて占う令亀法の如しなのだから、中国でも占いの前にこういう言葉が唱えられていた。だから骨のひび割れの形「卜」と言葉を発する「口」を組み合わせて占という文字になる。祝詞を入れる「サイ」などではない。祝詞も口に出して唱える。神をたたえる言葉、お願いする言葉はあろうが、わざわざそれを文書化して入れる箱を想定する必要があるのだろうか。
 図3の文字の占を囲む四角形は亀甲の象形であろう。説文にある「兆しを視て問うなり」ではなく、「問いて兆しを視るなり」が正しい。兆しの解釈、答えを出すのは自分たちなのである。
 令亀というのは亀に命令しているという意味だから、亀には吉凶を知る能力があると考えられていて、それを教えよと命じていたのかもしれない。


(エツ、ヲチ) 日本語では「曰(いは)く」と読まれる文字である。

 白川静氏は、「祝詞など神霊に告げる書を収める器であるサイの蓋をすこしあけて、なかの祝祷の書を見ようとする形。曰とはもと神託・神意を告げる意である。」と説明する。
 白川氏は口型の図形を見ると、サイという自らが考案した祝詞を入れる器に結び付けようとするのだが、祝詞を見ようとする行動、図形の説明と、「言う」という口からの発声、文字の意味につながりがない。見ても声を出すかどうかまではわからないのである。この文字が「覗く」ことを意味するなら問題はないのだが。
 加えて、器に入れた神に告げる言葉を見て、どうして神託・神意を告げられるのかという疑問もある。器の中に入っているのは人間が書いた言葉で、神が教えてくれた神託ではない。自分が書いたのだから見る必要もあるまいに。つまり、覗いた器の中身と神託もつながらないのである。きちんと考えれば、筋が通らないことばかり書いておられる。
 説文解字は「詞なり。口∟を以って口気出ずるを象る。」と書く。図3の文字の形の説明である。こちらの解釈が正しい。
 太古から言葉はあったし、歌も歌われただろう。呼気で声帯を震わせ、舌、口の動きを合わせて音声をコントロールする。肺、喉、舌、口のどれかを痛めれば言葉はままならない。科学的には説明できなくても、声を出す仕組みには見当がつくだろう。肺から喉を通り口から空気をはき出すという行為がなければ言葉は始まらないのである。その根源的なことを表現したら、上にある甲骨文字、金文の形になった。喉の深さが表現されているではないか。口の象形と声として出された呼気の表現である。

(ク、コウ)

「勹と口とに従う。勹は人の句曲した形で屈屍の象。口はサイ。祝祷の器の形で、これに祝祷を加える意であるから、字は局と同じく屈肢葬を示す字である。」というのが白川氏の説明である。説文解字では「曲なり」となっている。
 口と二つの曲がった線で構成されているのはわかるが、この線をどうみれば人の形に見えるのか、「白」を頭蓋骨の象形と言ったり、図形に対する認識力に疑問を持たざるを得ない。なぜ必ず二人なんだ?
 口はクチで、線は言葉が切れていることを示すのだろう。五言絶句、俳句などと使う、短い言葉を表す。切れて言葉の方向が変わることは曲がるにつながる。だから、この文字は言葉に限らず、小さなもの、短いものや曲がったものに要素として組み合わされる。狗は小型の犬、駒は小型の馬。呴、欨は息を吹くこと(短い)。痀は背中が曲がる病(小さくもなる)、劬は疲れること(力が続かず、肩を落とし背中が曲がっているのだろう)。鉤は釣り針など。上図、金文の句(4)と金文の叫(5)のよく似ていること。言葉が短いという共通点があるのである。

(エン)、谷(コク)

 白川氏は、「八と口に従う。八は神気の彷彿として下る形。口は祝祷の文を収める器の形でサイ。祝祷して神気の下る意である。」とする。
 神気がはっきり見えるのはすごいが、祝詞の入れ物に下りて何が起こるのだろうか。人に下りれば、不思議な行動をとったり、しゃべったりして神の意志が伝わる。亀卜は、亀の甲に穴を開け、焼け火箸か何かを穴に突っ込むという準備段階があり、出来たヒビ割れに神の意向を読み取る。しかし、神気が下りたと感じる祝詞入れを覗いたところで自分が書いた祝詞を見るばかり。何のため下りたのか、下ろしたのか。謎である。漢和辞典の和訳は「泥地」だが、氏はなんと訳すのであろうか。それを書いていない。「神気がサイに降りる」で終わりである。辞書に「神降ろし」と記すのか?
 祝詞は声を出して唱えるもの、神に聞いてもらうものであって、読んでもらうものではないし、神が文字を書いて応えるのも不可能だ。ギリシャのデルフィの神託でも巫女の口を通して神の言葉が伝えられる。洋の東西を問わず、神との交感は言葉で為されている。日本の神主は奉書に書かれた祝詞を読み終えたあと、ふところにしまい込む。甲骨文字は占いの内容と結果を後から簡潔に整理した記録である。「サイ」に祈りの文章と神託が入っているなら、甲骨にそれを重複させる必要はあるまいに。このあたりの神祭りの具体的な行動をどう想像しているのだろうか。白川氏の主張には論理性、具体性がなく、人間活動が感じられない。言葉のみが宙をさまよっている。漢字に現れていない世界の方がはるかに大きいのに、漢字中心主義はいただけない。
 説文解字は「山間の陥泥の地」「口は山間を象り、八は半水」「水が土に敗れ泥が多い土地のことだ」とする。説文が古文として載せている文字の上部図形(左図)は「列骨の残」を表す象形である。水の敗れを示すのだという。おそらくこの文字が原型で㕣はその省略形なのであろう。
 説文解字が様々な「㕣」の形を総合して解釈しているのに反し、白川氏のそれは自説に都合の良い部分だけのつまみ食いである。
 八は狭いところを抜けて広がり土と交わった水を表す。㕣の下に人を加えた文字「兌」を旁(つくり)とする「悦」「脱」「説」が、抜け出して状況が変わる意を含むことが理解できる。「鋭」「税」にも状況の違い、ゲームで言えばステージが変わる要素がある。閲は門をくぐり抜けた内側で確認する意味である。
 沿、鉛、船の㕣は音符だとされているが、はたしてそうだろうか。水と土の境界部には泥地が多くなる。沿は川や海、湖などと土の境界部を指すための文字ではないか。「沿(そ)う」という意味になるのが理解できる。鉛もその柔らかさゆえに金と㕣を合わせたと解せられるし、船もそういう泥湿地帯で使われる平底の特殊な舟を表す文字ではなかったか。

 白川氏の説明なら、「谷」の口も祝詞入れの「サイ」で、あらゆる谷に置いて神気を下ろしていることになる。しかし、「サイ」などとは無関係に、神は元々それにふさわしい場所に存在しているはずである。「金文の字形では下がV字形となっており、口ではない。」と書いており、「サイ」とは関係がないという主張であるが、口になっている金文、甲骨文字は多く、これは嘘になる。氏が知らないはずはない。
 説文解字では「泉出て川に通ずるを谷となす」「水半ば見えて口より出づる」とされている。要するに上部のハの形は底が見えるような浅い水の流れを表し、口は水流の終着点のことである。川なら河口という。
 文字の図形を読み解けば、水流は少しずつ広がるが、終着点で水が土に敗れて、泥地になると「㕣」になるわけである。立山連峰の弥陀ヶ原、日光の戦場ヶ原のような地形であろう。谷と呼ぶには平地が広い。「谷」はハ型が二倍になっているから、㕣よりも流れが強くて深く、停滞することなく川に合流すると見える。浅い水流のある山と山の間の低地が谷である。そして、その程度の流れでは川とは呼ばないようでもある。乾燥地帯の山間には谷がないのであろうか?文字の作られた頃の中国は、そういう土地を含まなかったということなのか?

(セウ)

 左の金文のピンク1は人の両手を表す。青2は匕(サジ)である。赤3は容器、黒4は酒、オレンジ5は田と皿をあわせた形に似ており、容器に入った食物を表すらしい。
 主催者が手に匙を取って容器に酒食を分け与える形で、「ごちそうしますからおいで下さい」というのが「召」の原意、「招く」の意味だったと考えられる。それが2、3の匕と容器だけでもわかるだろうと簡略化された。
 表向きは優しい招待でも、内実は逃げたいのに断れない場合が多々あるわけで、やがて、強制的に呼び寄せる「召す」という意味に拡大され、原意の方が失われて新たに招が作られたのだと思われる。匕は強制力のある刀に姿を変えた。下図の小篆は口と刀の組み合わせで、言葉で強制的に呼び寄せる「召す」となる。説文解字は「呼ぶなり(言偏に乎)」と記している
 白川静氏は「人と口とに従う。人は上から降下する形。口は「サイ」、祝禱を収める器の形。祝禱して霊を招き、それにこたえて霊の下るのを召という。」と説明する。
 人を天から祝詞入れに落としたらどちらもペシャンコになってしまうに違いない。神霊には質量がない。空中を自由に浮遊するから人の求めに応じて降りてくるのである。人は死ななければ霊になれない。そこに境界がある。人ではないから霊や神という文字が与えられているのに、文字の意味を無視したことを平気で書いているし、「㕣」と「召」で全く同じことを言っており、二つは同義になってしまう。

(ゴ、グ)

 「夨(ソク)と口に従う。口は”サイ”で祝禱の器。夨(呉の誤植か?)は人が一手をあげて祝禱の器である”サイ”をささげ、身をくねらせて舞う形で、神を楽しませ、祝禱を行う意。その舞う形を俁といい、”詩、邶風、簡兮に碩人(殷の舞人)俁々として公庭に萬舞す”とみえる。」と白川静氏はいう。
 邶は殷の後裔で、周の東方、黄河の北にあったが、すぐに滅びて、同じ殷の後裔の衛に吸収された。詩経、衛風「碩人」では、碩人は「美人」と現代語訳されているが、魏風「碩鼠」では大ネズミのこと。美の中に大が含まれているから、大きいことは美しいことだったのかもしれないけれど。
 夨と夭は元々同一で、首を傾けて舞う形を表しているらしい。口は白川氏のいう「サイ」ではなく言葉を発する「クチ」である。呉は舞に歌を加えた形になっている。踊り歌っているのだから、それに女を加えた「娯」が楽しむという意味になるのは当然であろう。
「サイ」ってどれくらいの大きさなのだろう。紙のない時代に何に書いた。女の子は大きなものを捧げ持って踊れないぞとか考える。

   詩経 邶風 「簡兮」
    簡兮簡兮  お触れだ、お触れだ(一説では太鼓の音という。カンカンか?)
    方将萬舞  これから万舞(舞の名)が始まる

    日之方中  日は真ん中
    在前上處  前列の上にある

    碩人俁俁  美丈夫がググと(俁俁は勇壮さを表す擬態語らしい。ゴは慣用音)
    公庭萬舞  公(領主)の庭で万舞する

    有力如虎  力は虎のよう
    執轡如組  手綱を取ること組紐のよう

    左手執籥  左手に笛を持ち
    右手秉翟  右手に鳥の羽を持つ

    赫如渥赭  赤々輝いて赤土を厚く塗ったよう
    公言錫爵  公は酒を賜うという
    ………………

 「力は虎の如し、手綱を取ることは組紐の如し」という大男が大勢で行う勇壮な舞である。「俁」は白川氏のいうような神を楽しませる意味ではなく、舞人の力強さの表現なのである。日本語の擬態語、「ググッ」や「グイグイ」と同じ言葉かもしれない。左手に笛、右手に鳥の羽を持ち、「サイ」など持っていない。氏の説明とは全く様子が違うではないか。呉の旧字の中にも大が入っており、呉はその意味を含んでいる。

 詩経、周頌 「絲衣」
    ………………
    兕觥其觩  兕(水牛)の杯がゆるやかに曲がり
    旨酒思柔  うまい酒は心をほぐす
    不呉不敖  大声を出したり傲慢になったりしない
    胡考之休  長生きするとのんびりゆったり
    ………………

 というような意味である。呉は大騒ぎしたり喧嘩したりすること。傲慢と対句になっていることを思うと、説文解字のいう「大言なり」のほうがふさわしいかもしれない。「大口をたたいたり、傲慢になったりしない」と翻訳した方がしっくりする。
 呉の口がクチでなければ、大騒ぎや喧嘩などの意味がでてくるわけがない。大口をたたくその言は「誤(あやまり)」ということにもなろう。踊りには関係がなく、喋りまくるのは女の楽しみなので「娯」という可能性もある。大きな人は「俁」なのだろう。文字が関係しているのは「大」と「口(クチ)」で踊りの意味合いは失われているように思える。説文解字に従えば良いようである。
 白川氏は「不呉」をどう訳すのか。詩経に精通しているはずなのに、自説に拘泥するあまり、都合の悪いことには目をつむるらしい。古代史の古田武彦氏に似た印象を受ける。

(カク)、出(シュツ)

 白川氏は次のように言う。夂と口に従う。夂は上より夂(あし、足)が降りてくる形で、神霊の下降することを示し、口は「サイ」、祝禱を収める器の形で祝詞で祈ることをあらわす。すなわち「各(きた)る」が字の原義。
 説文解字は「異詞なり」「口と夂で、夂は行くありて、これを止めるも相聞かずの意」と書く。だから「それぞれ」という意味になるとする。
 「出」の甲骨文字を見ると、足の向きが各とは反対になっている。元々、対になる文字だったらしく、出の反対なのだから、意味合いとしては「来る」が原義とする白川氏が正しい。
 しかし、サイに降りてくるのがなぜ足なのか。夂は足であって神霊ではない。ここでも「召」の項と同じように文字の意味を無視している。それなら「出」は反対に、神霊がサイから出て天へ上昇する意に解さねばならないはずである。氏の説明は「出行のときに、これを祓い祈る祖道の儀礼が行われたのであろう。」と、「出」の足は人間の足で、神霊ではないのである。「各」に「到来の時にサイを使った祓い祈りの儀礼があったのだろう。」とか説明をつければ整合性があるのに、論理などまったくない。各は「神霊を表す足」、出は「人の足」と自分の思い、感情ですべてが決められている。
 左端の文字の彳(テキ)も行くことを表す。足は地上を歩くものであって天から降りてくるものではない。「各」「出」は「どこか」へ至り、「どこか」から出る。その「どこか」、つまり、城市のような人の集まる場所を「口」の形で表したのだと思われる。
 各はいつの間にか「おのおの」「それぞれ」という意味になった。原意にそういう意が含まれていたからではないか。色んな人があちこちからバラバラにひと所に至る、出はあちこちへ出ていく。
 屋根の象形「宀」と「各」の合字が「客」で来かたにバラバラ感がある。「恪」の本字は「愙」だから、客の心で、猫を被る「つつしむ」という意味。「格」は長い枝だから、バラバラに幹に収束される。「觡」は鹿の角で「格」と同じ形。「路」は道なので、あちこちから城市に集まる。「略」は土地を整理して治めること。ここにも収束の義が含まれている。「賂」はまいない。あちこちから到来しそうだ。「絡」は「古綿」とか「つながる」意味、バラバラの繊維がまとまる感じがある。「駱」はラクダで背中に二つのコブがある。
 やはり、左端の最も複雑な文字に原型感がある。彳と夂の別の足が重複されているのは、「各」は「一人ひとりが別々に城市に至る」ことを意味していたのだろう。やがて、至るの意味が失われて、「おのおの、それぞれ」という意味が残った。「出」は「一人ひとりが別々に城市から出る」ことを意味していたが、一人ひとりの方が失われて「でる」という意味だけが残ったということではないか。原義の日本語訳は「(人が) 集まる」と「(人が)散る」が最も適しているように思える。

(サウ)

 「三口と木に従う。口はサイ、祝祷の器で、これを木の枝につけて祈る。」と白川氏は言う。
 説文解字は「鳥の群鳴である。従って品が木の上にある。」とする。白川氏は「それなら鳥の形を省くべきではない。」と書くが、それは個人的な感覚に過ぎない。口と蜀(青虫)を合わせた文字、噣は「ついばむ、くちばし」という意味だから、鳥の形がなくとも、口は鳥の口だとわかる。
 喿の意味は「騒ぐ」である。木の上に口がたくさんある象形と、「騒ぐ」という意味を合わせれば、たいていの人間は鳥の口だと想像できる。学生時代、学校の並木が雀のねぐらになっていて、夕刻になるとチュンチュン飛び回って騒がしかったことを思い出した。現代の都市生活者でも知っているくらいだから、人口が少なく動物の多かった古代にはありふれた光景であろう。
 祝詞入れを枝に付ける。それのどこが騒がしいのか。風が吹かなければ音をたてない。立体の中の祝詞なので、けっこう重さがあるはず。そよ風程度ではダメだろう。祝詞を唱える人が騒がしい? 敬虔な祝詞を騒ぐと表現するのか。いずれにしても「サイ」にプラスした風や祈りを表す象形が必要であろう。ここでも文字の意味と説明がつながっていない。
 「サイ」はいったい何で作られているのだろう。木、石、青銅の三つの可能性しかないと思えるが、これほど大量に作られているものが石や青銅だったなら、考古学資料として残るはずである。氏の考え方なら、木で作られ、すべてが朽ち果てて痕跡が残っていないとするしかない。神霊の祭祀に必要かつ重要で、しかも大量に存在する。それが木偏の文字や言葉として残されなかったのは何故か。こういう周辺に生じてくる波紋に対する説明は一切放棄されている。この人の想像力はあまりにも狭く特殊すぎる。

(ヒン)、區(ク)

 白川氏の説明では、「三口に従う。口はサイ、祝祷を収める器の形。品とは種々の祝祷をあわせて行うことをいう。」となっている。「たとえば區(区)は秘匿のところにおいて祝祷を列する形で、これに対して祈ることを歐(欧)、敺といい、そのことばを謳という。これらの系列学に寄って、品が祝祷を列する意であることが知られる。」と続く。
 しかし、歐の意味は「吐く」や「叩く」だし、敺(驅の古字)は「馬をはしらせる」「追い払う」こと、謳は「歌う」ことである。毆も「叩く」である。氏の主張する系列とは何なのか。敬虔な祈りとは全くつながっていない。祝詞と歌は違うであろう。
 説文解字には「衆庶なり。三口に従う。」とある。関連文字として左図のテフ(チョウ)を挙げ、「多言なり」としている。この文字は讘と音義が同じという注が入れられている。
 口二つの吅(ケン)は「驚き叫ぶ」意、口が四つ(フォントなし、シュウ)になると「やかましい」という意味になる。
 白川氏は、吅も口四個のシュウも祝祷を列して神に祈ることをいうとする。口が二個、三個、四個、同じ発想、同じ意味の文字をそんなに必要とするだろうか。同じ場所で何人もの人間が別々のことを神に祈ってやかましいという光景に厳かさはない。古代の祭りを見た者はいないから、百パーセントの否定はできないけれど、神社の正月参拝みたいな光景を想像しているのであろうか。でも、「サイ」という物体は数がいくら増えようが音をたてない。騒がしいのは人の口だ。
 品には、人それぞれ、多様であることから派生するいろいろな意味がある。種類、物件、区別、階級、物品など。吅では数が少ないし、口が四つになると煩雑になる。多様を表すには口三個が最適だったのだろう。現代の感覚でもそうなると思われる。しかし、サイという物品、たとえ大きさや形は様々であっても、それで多様性を表現しようとするであろうか。そういう発想は出てくるであろうか。
 區(区)は匸と品の合字で、物品が隠されたこと、分けられ区別されたことを意味する。歐は區と欠の合字。欠はあくびの意、口を大きく開けて気を吐き出すが、あくびとは別のものが出る。吐くという意味になる。選ばれ分けられた特別な言葉がある。それが謳(うた)である。攴と攵には「打つ」という意味がある。敺、毆は相手を選んで意図的に打つのであろう。

(ユウ)

 「字統」には「初形は鬲と蟲とに従う。鬲は烹飪に用いる器。その器中のものが腐敗して虫を生じ、器の旁に虫があふれ出ている形で、ものの腐敗融会していることを示す。……腐膩して虫のはいまわるさまを示す字である。」と記されている。どうして漢学者しか知らないような難しい漢語を並べるのか。もっと一般的な表現があるだろうにとボヤキが出る。辞書を引く気にもなれず、こんなところだろうとすっ飛ばす。この程度なら大雑把な理解でも問題はない。
 「説文解字」は「炊气上出也」、つまり、「炊事の蒸気が上に出ること」としている。ここでも「説文解字」が正しい。
 「虹」という文字は虫偏になっている。虹は雨上がりや滝などの水気に満ちた空中に現れ、線的に長く伸びる。虹の中の虫は「ムシ」ではなく、水に関連付けられる「ヘビ」である。この「融」中の虫も同じである。
 上図、甲骨文字と金文1の下部は土の象形である。土から水蒸気が立ち昇り、ユラユラ空中に消える様を表している。凍った土が融ける春先の光景であろう。金文2と3は複数の炊器(鬲)や家々から蒸気が流れ出る象形ということになる。
 中国、春秋戦国時代の国、「楚」の祖先に祝融と称された者がいる。司馬遷の史記では重黎、呉回の二人とされているが、左氏伝など、他の伝承では重と黎の二人とされることもある。
 「帝嚳の時代、重黎は火正という官に就きはなはだ功があったので、帝嚳は祝融と名付けた。共工氏が乱を起こしたとき、帝は重黎に対応させたが失敗したので、これを誅し、弟の呉回を後任にした。呉回もまた火正の官に就き、祝融となった。(史記、楚世家 / 史記では黄帝、帝顓頊、帝嚳、堯、舜を中国初期の五帝とする。その後、夏、殷と王朝が続くから、甲骨文字以前の伝承である。)」
 周語には「昔、夏が興ったとき融が嵩山に降り、その滅びたとき回祿(呉回)が耹隧に二泊した」とある。融とは祝融である。
 鄭語では祝融は「柔嘉材を生む」ともされている。柔が付いているから、成長の早い低木であろう。そういう植林にも関係していたらしく、火正というのは、現在で言えば、資源エネルギー大臣というような役職であったらしい。
 祝融は「大いに明らか」という意味だとされているが、素直に、説文解字に従い、「炊事の蒸気が出るのを祝う」と解したほうが筋が通る。戦乱や飢饉が続けば炊事もままならない。日本の仁徳天皇はかまどの煙を見て庶民の暮らし向きを測ったとされていて、家々のかまどから出る蒸気や煙は平和、繁栄の象徴となりうるのである。だから、重黎が祝融という名を与えられ称賛されたのは、平和、安定をもたらしたということなのだ。次に現れた共工氏の乱の際、重黎は安定に失敗し、弟の呉回が後を継いだ、呉回も祝融になったということは、共工氏の乱を鎮定したということであろう。
 こうした経緯から、火正の祝融は後の時代、火の神、かまど神になった。「融」は火、熱、水蒸気とつながるが、腐敗とはつながらない。


(シ、ジ)、氐(テイ、タイ)

 白川氏は「小さな把手のある刀の形。共餐のときに用いる肉切り用のナイフ。その共餐に与るものが氏族員であることから、氏族の意となる。」とする。
 説文解字は、「巴蜀名山の岸脇が激しく崩れ落ちようとするのを氏という。」と説明する。注に巴蜀の方言だと書いてある。訳がわからないと思うかもしれないが、ここでも説文が正しい。文字は崩れ落ちかかった崖の象形である。
 日本では、岩が割れそうになって軋む音や、岩にヒビが入る音を「ミシミシ」とか「ビシッ」とか形容する。その「シ」がまさに説文のいう「氏」である。古代中国、巴蜀では、岩の軋む音を「シッ、シッ」と聞いたわけだ。
 晋書に李特戴記というものがある。魏、蜀、呉の三国時代を経て普が中国を統一した。普が衰えて南下し、東普になったあと、北方は五胡十六国の混乱になる。その五胡十六国の王朝の歴史を載記という形でまとめてある。李特は成漢の建国者、李雄の父である。その祖先伝承が記されている。
 「李特は字、玄休。巴西宕渠人。その先は廩君の苗裔である。昔、武洛鍾離山が崩れて、石穴が二ケ所あった。赤い穴から出たものは務相という名で、姓は巴氏。黒い穴から出たのは四姓で、曎氏、樊氏、相氏、鄭氏という。覇権を争っていたが、石穴に剣を投げて届いたものを廩君と為すことを決めた。務相だけがそれをできた。また、土で船をつくり水中に浮かぶことができたものを廩君となすことを決めた。務相の船だけが浮くことができた。こういうわけで遂に務相は廩君になった。」
 説文解字のいう巴蜀名山とは、この伝説にある武落鍾離山のことで、李特は巴人、現在の中国少数民族、トウチャ(土家)族である。当時は氐と表されていた。この伝説から明らかなように、男系の氏族はトウチャ族から始まったのである。それで、出現のきっかけとなった崖の崩れようとする象形が氏(ウジ)を表すことになる。それ以前は姓が女偏であるように、母系を中心とする社会であった。
 氏の下に地面を表す横棒を一本加えた形が氐である。意味は「本なり」と説文に記されている。崖が崩れ落ち、瓦礫が地面に落ちた後の象形になる。開いた洞穴から五氏が現れ、民族の根本となったのだから、この文字が民族名に使われるのも納得できる。呉音が「タイ」であることにも注目しなくてはならない。巴楚同族なので、楚の根底にもこの民族がいる。日本に呉系楚人の秦氏が渡来している。だからトウチャ族の伝承や習俗は日本にも関係がある。ミシミシという擬音語と氏(シ)がつながるのは理由があるのだ。すでにググッという擬態語と俁俁(ググ)がつながる可能性も指摘している。土船に乗り沈まなかった廩君は、新羅国に天下って曾尸茂梨(そしもり)にいたが、土船に乗って出雲の鳥上の峰に至ったという日本書紀のスサノオ尊や、土船が沈んで溺れたカチカチ山の狸の民話につながる。低は「ひくい」という意味なので、支配民族となった漢族より小柄だったのであろう。低の亻は後に加えられたものである。
  (リンク「中国・朝鮮史から見える日本」  「帰化人の真実」
 現在のように漢族、漢語を中心に据えると中国の古代はわからなくなる。黄河や長江などの河川を下ったトウチャ族の上位に黄帝という長身のアルタイ語族が征服王朝として被さり、新たに漢族が生まれている。漢族の根底にトウチャ族がある。氐にはそういう意味が含まれているのかもしれない。故に、その祖先伝承が殷代の漢字の中に取り込まれる。氏、氐は中国太古の伝承から生まれた文字なのである。
 民族の成立順を言えば、ミャオ族からトウチャ族が派生し、トウチャ族からヤオ族、漢族が別個に派生するという形である。苗系民族にはミャオ、トウチャ、ヤオの三系統があるので三苗と表記されている。山海経(海内経)はミャオ族の祖神、伏羲氏の後裔が巴人になったことを記している。


(イ)

 説文解字は、「東方の人なり。大を以ってし、弓を以ってす。」と記す。
 白川氏は言う。「説文は大と弓とに従うて、大弓をもつ人とするが、『平らかなり』とするその訓義と、字形の説明とが一致しない。卜文、金文の字形は、いくらか腰や膝をまげた人の側身形にしるされており、もと象形の字、尸と全く同形であるから、尸と夷とはもと通用する語であったとみられる。」
 「その夷字(南宮柳鼎、金文3)は大弓に従うというよりも、矢に繳(いぐるみ)をつけた形に似ており、侯馬盟書の字形では、それは一そう明白である。いわゆる大弓説は、のちの字形による附会的解釈のように思われる。」
 ここは白川氏が正しい。甲骨文字1、金文1、2の形は、明らかに尸の古字と同形である。甲骨文字2の、大は人ではなく、矢の象形である。S字型、あるいは逆S字型は紐のような形なので、矢に紐を付けて鳥を狙い、致命傷を与えられなくても、紐が羽に絡まって鳥を落とす繳の象形という解釈になったのである。
 「氏、氐」の項で書いた晋書李特載記の廩君の話は次のように続く。「廩君は土船に乗り、ともがらを率いて夷水を下り塩陽に至った。塩陽の水の女神は『ここは魚と塩のあるところで、土地も広大です。あなたと共に生きることがきます。とどまって行かないでください。』と言った。廩君は『私は君となり、豊かな土地を求めている。とどまることはできない。』と答えた。女神は夜は廩君とともに過ごしたが、朝になると飛虫になって去り、諸神もそれに従って飛び、日を蔽ったので昼でも暗くなった。廩君は女神を殺そうと思ったが、区別がつかなかった。天地も東西もわからなくなることが十日になった。廩君は使いを出して、青い糸(青縷)を女神に渡し、『これをかけてください。あなたともに生きて離れない証です。』と言わせた。女神は受け取ってこれを身につけた。廩君は碭石の上に立ち、胸に青い糸のあるものを見つけると、ひざまずいてこれを射た。女神に当たり、女神は死んだ。群神や共に飛んでいたものは皆去って、天は開けすがすがしい明るさになった。廩君はまた土船に乗り、川を下って夷城に至った。」
 夷の甲骨文字2,金文3は、矢が胸につけた糸を貫く象形である。甲骨文字1、金文1、2の尸の象形は殺された塩陽の女神ということになる。夷の訓は「平らぐ」「易し」「悦ぶ」「殺す」など。「夷」を、廩君と塩陽の女神の伝説から生まれた文字と解せば、すべてを滞りなく説明できるのである。
 元来、夷水を下り、夷城に新天地を見つけた廩君の一族。トウチャ族が夷と呼ばれた民族なのであろう。それが周辺諸民族の全てに拡大された結果、四夷と表現されるようになったと推定できる。
 夷水は現在の清江とされている。四川省東部の山岳地帯から東流し長江に合流する。合流点の古地名は夷道である。その北方には夷陵という地名も存在した。廩君の部族は楚に展開したことになる。後の時代、さらに川を下って東方に進出したであろう。




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