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![]() 自然は、「優しくて」「怖いもの」です。
老いも同様に「幸せな老い」と「寂しい老い」があります。 自然も老いも、私達の「こころ」と「行動」で優しくも怖くにもなります。 ![]() 高齢期には「自然と共生する」「自然を楽しむこと」が老いの時間が豊かなものとなる と考えます。時間はたっぷりとあります。厳しい仕事の世界よりやっと解放されたのです。 風の流れ、木々の変化、小さな虫たちの動きなど楽しくしてくれる環境はどこにでも あるのではないでしょうか。それを楽しまないことは大きな損失です。 老いも、自然として受け入れることが大切でしょう。いずれは老人になります。 現在は、人間の欲望が自然を破壊しているような気がしてなりません。 老いの時間の幸せを、必要以上の欲望が壊しているように思えます。 金銭欲、名誉欲等々これらを必要以上に求めないことで、幸せな老いを過ごすことが できるのではないでしょうか。小さな喜び、小さな自然の動きに目を向けてみませんか。 きっと楽しいことが発見できると思います。多くの友人もできる事でしょう。 ![]() 判断能力が定かでない人、体が不自由な人、在宅生活者、施設での生活者も、高齢者は 自然とのふれ合いが少なく、特に男性は閉じこもり的な日常生活を送っている人が 多いように思えます。 外に出ましょう。風の流れ、雲の動き、草木の芽や花,虫などなど多くの自然と ふれ合い感じ取ることができます。 介護されている人も、介護予防の人も自然とのふれ合いでその効果は倍加することと 考えます。 私の知り合いの高齢者で、老人施設で生活している方は、外に出るたびに子供に 出会い、ひと言ふた言の会話を交わすことができますと非常にうれしそうです。 これは最高の介護予防と思います。病院からの帰りなど少し遠回りして,公園や神社、 寺などに寄り道することが、実に楽しそうです。 しかし、これらを施設の職員にお願いするにはあまりにも時間がなさすぎます。 このように自然を高齢者と共に味わうことを実現するためには家族、親族、 ボランティアの力に頼るしかないと考えます。もう少し親に逢いにゆきましょう。 子供のときには、あなたの親は、あなたの言葉を聴き、あなたの無理を聴いて くれたのです。今度はあなたが聴き役です。 そして自然と触れ合う機会を、多くつくって下さい。 あなたの大好きな人が、穏やかに日々を送るために。 ![]() 老いは、必ずやってきます。老いを穏やかに安心できる日々として過ごすためには
準備の必要があります。家族構成、住居の問題、医療に関することなどは多くの人たち のアドバイスや力を借りながら計画し、それに向けての努力は必要でしょう。 老いを自然のものとして受け入れて、それに添った自分の人生を楽しむことが大切です。 自然も人間の欲望が破壊しているような気がしてなりません。老いも同様です。 無理せず、自分にとって一番の生活を考えるべきです。 食事に関すること、運動や人々との絆を構築しておくことが大切でしょう。 健康な肉体に、健全な精神が宿るといいます。その反対も同様です。健全な精神に 健康がついてきます。自然体で人々と交わり、食生活に気をつけることで生活習慣病の 予防が可能でしょう。生活習慣病に気をつけることで、認知症や糖尿病、高血圧の予防 につながり、楽しい自然に沿った老いを楽しむことができると考えています。 しかし、必ず最後は来ます。限度があり、その時のことも自分の心で考えておく必要が あります。 ![]() 年齢を重ねると体力の衰え、判断力の衰えは当然のことです。それを受け入れて 「自然体」で日常を送ることだと思います。認知症の予防は非常に大切ですが、 不幸にして認知症を病んだ場合には、安心できる環境が必要でしょう。 自分では解決できないことが多くなります。しかし、認知症を病む人こそ自分自身の 本能にしたがって、生きているように思えます。 虚栄を捨て、飾りを捨て、自分そのもになることが認知症と言われるのかも知れません。 判断が遅くとも、少し理解できない行動でも、本人にとっては大切な行動なのです。 周囲の人たちはそれらを理解し、動きに合わせて安心できるように工夫をして下さい。 また、現在社会の難しいIT機器の操作ができないとか、書類の手続きがひとりでできない からと言って、簡単に、認知症と決めつけないでください。 高齢になると、認知症も一つの自然現象と言えるかも知れません。 「生きる」と言う自然そのものとして、「生きている」そのことが認知症と言われている のかも知れません。 ![]() 自分の終末期を想像したことがありますか。死は必ずやってきます。 しかし、最期が大切です。意味のない延命治療、人工的な栄養補給など色々なことが 出てきます。非常に難しい問題です。本人は、自分の意思を表示できない場合が 殆どだと思います。自分の終末期は自分の思いが最も大切です。 しかし、往々にして本人の意思でなく、周りの人々の意思で左右される場合があります。 自然な死を望むのであれば、自分の意思を親族の人々に伝えておくことが大切です。 エンディング・ノートや公正証書による延命治療等々の意思を表してしておくことで 伝えることができます。「老衰」と診断されること、これが自然であると私は思います。 ![]() 通りがかった街の公園で手を挙げている高齢者がいました。その方は、私の大先輩で
96歳になります。私が気づく前より先に、私を見つけてくれる元気さがあります。 しかも、半年ぶり位の出会いでした。 大先輩「元気か?」 私 「元気です。ところで先輩は元気ですか」 大先輩「もう終わりが近づいている割に元気だよ」 「先日、白内障の手術をしたが、最高年齢の記録と言われたよ」 私 「目はよく見えますか?」 大先輩「ばっちりと見える。君の顔が」 どう思いますか? 自分の意思で、自分のことを決めることができる素晴らしさ。 私の見本です。 別れ際に、大先輩が次のように言われました。 「妻の七回忌供養をしたが、その横に小さなボックスを予約したよ。そこに入れば終わり」 この方は、10年あまり奥様の介護をされ、奥様が先に、穏やかにこの世を去りました。 介護にこころを込めて実行された方は、その後素晴らしい人生を送っているように 思えます。 シニア ライフ アドバイザー
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