家庭教育誌「ないおん」は、教育・子育ちをテーマに毎月こころのお便りをお届けしています

ないおん12月号(2018年12月1日発行)は

今年一年を振り返ってみると、大雨・台風・地震など、自然災害の多い年でした。被害に遭われた皆さまには、謹んでお見舞い申し上げます。
私は、大きな自然災害が起こるたびに思い出す歌があります。それは、次のような歌です。

『他人』
どこかの村が、地震にあったと
テレビニュースが街中に流れる
読み上げられる死亡者の名前に
かわいそうにと顔をくもらせる
けれどほんとは、
最初に自分の幸せを喜んでしまう
しょせんは他人さ
人類は兄弟だといっても
しょせんは他人さ
自分の幸せが第一
ほかの人のことまで
かまっちゃいられない

アフリカの村の
飢えた子どもたちにと
街頭募金に小銭を入れる人
少しでも役に立てばと思いながら
不平等が悪いとさけぶ
みんな社会のひずみのおかげで
米を買っているのに
しょせんは他人さ
自分自身のことのように
しょせんは他人さ
深刻に人のことを思えない
ほかの人の上に
すわって生きている

これは、私の友達が、高校三年生の時(1984年)に作った歌の歌詞です。阪神淡路大震災の起こる十年以上も前のことです。彼は「しょせんは他人さ、自分の幸せが第一。ほかの人のことまで、かまっちゃいられない。」と歌っていながら、それでいいと言っているのではありません。無意識のうちに自分の幸せを第一に考えてしまう自分を、深く見つめながら、このままではいけない、なんとかしなければ、という問題意識を持ち続けているのです。

京都の小高い所に住んでいる私は、広島に大雨が降った時には、「私の家は高い所にあってよかった」と思い、近畿に台風が来た時には、「私の所は大きな被害がなくてよかった」と思い、北海道で地震が起こった時には、「京都でなくてよかった」と思いました。悲しいことですが、それが私の偽らざる現実の姿なのです。
災害に遭った人たちのことを思い、「大変だろうな」と心配したり、悲しみに共感して、涙を流したりすることがあるのも、嘘ではありませんが、最終的には自分が一番かわいく、自分の幸せを第一に考えてしまうのが私(人間)なのです。
しかし、「人間は、そんなものだから仕方が無い」と、開き直るのではありません。そのような自分の現実と正面から向かい合い、それを、深い悲しみとして受け止めた時、そこには、単に自分がかわいいという思いだけで生きる生き方とは、違う生き方が開けてくるのです。
来年も、いつ、どこで、何が起こるかわかりません。私の所で何かが起こるかもしれません。
ただ、その時、私は何を思い、どう行動するか、ごまかさずに見つめていきたいと思っています。(文責 小池)

幼稚園・保育園版

育心

親子のコミュニケーション   藍野大学短期大学部学長/佐々木恵雲

今月号の『育心』は、親子のコミュニケーションについて、佐々木恵雲先生がご執筆くださいました。
先生は、親子のコミュニケーションが成立していく過程で、親として大切にしなければならないことは、「肉体的には(赤ちゃんを)赤ちゃんとして扱いますが、精神的には一個の人格として付き合うことです」とされています。
私たち保育者も、保護者の育児支援でお子さんを園でお預かりしている時は親代わりです。特に0歳児の保育は、授乳やおむつ替え、離乳食や午睡と、片時も目を離すことができません。うまくいかないことも多いです。しかしそんなときも、
「Mちゃん、おしっこ出たかな? 気持ち悪いね。キレイにしようね」
「Kちゃん、お腹減ったね。ミルクおいしいね」
「あらあら泣けるのね。どうしたのかな? 眠いのかな?」などと、まだまだ会話が出来ない赤ちゃんの目を見て、ひとつひとつ優しく言葉を掛け、丁寧に関わる保育者たちの姿を目にします。
親と子が同時に成立するように、保育者もまた、目の前の子どもが園に来てくれて、同時に保育者にさせていただくことができます。
人間として不完全である私をしっかりと自覚し、子ども達とともにお互いを補い支え合いながら、温かく愛情深い関係性を育んでいきたいと思いました。

子育ちフォーラム

ゆる~く ラク~に みんなで子育て   コミュニケーショントレーナー/赤坂葉子

赤坂葉子先生の『心理学的子育て!』は、私自身の子育てに重ね合わせながら、楽しく拝読させていただきました。
我が子が誕生して、初めて、おっかなびっくりの抱っこ。小さな体の温もりと呼吸の音に、命の感動を覚えた新米ママの誕生。と、佐々木先生の『育心』にも通ずる記事だなと感じました。
「ジワジワ変身していくものだろう。産んだ途端に母ではない。」
「立派な母にならなくたっていいんだと思う。」
「ラクに、楽しく臨機応変に、助け合って、安全に。愛があればそれでいい。」
慌ただしい毎日の中での初めての子育ては、我が子が大切であればあるほど、キューっと肩に力が入ってしまいます。
そんなお父さんお母さん達への、こころ温まる応援メッセージをありがとうございました。

私の雑記帖

今も生きておいでの母と幼稚園の先生   老年科医師・介護福祉士/奈倉道隆

奈倉道隆先生の『私の雑記帖』もまた、お母さんと幼稚園の先生の愛情がテーマとなっています。
八十歳を過ぎても奈倉先生の生きる力となっているのは、お仏壇の前に座って読経するお母さんの膝の上で、「りん」を鳴らす懐かしい原風景であり、お母さんの死後もずっと奈倉先生を支え見護り、育ててくださった幼稚園の栗木先生の深い愛情でした。こころ温まるお話しを、ほんとうにありがとうございました。

実演仏典童話

かもの母さん   文・鎌田 惠/絵・野村 玲

今月の『実演仏典童話』は、カモのお母さんの愛情が描かれています。お母さんの愛は、今も昔も、人間の世界もカモの世界も、温かく深く子どもを包み込んで、生きる力となります。

寺院版

声に聞く

いのちの事実   龍谷大学講師 善教寺副住職/赤井智顕

先日、組内のあるご住職が、ご往生されました。もうすぐお仕事を退職され、お寺の法務に専念されることを、門徒の皆さんは心待ちにされていた、その矢先のことでした。あまりにも突然のことに、驚きと深い悲しみの中、葬儀がお勤まりになりました。
今月の『声に聞く』で赤井智顕先生は「いのちの事実」と題して、「生きていることを当たり前と思い、命を終えていくことを驚きと受け止めている私がいます。しかし……本当に驚くべきことは、いつ死んでもおかしくない私が、いまここに生かされている事実だったのです。」とお示しくださいました。
そして、「ご無怪(ゴムケ)」という、お念仏の先人たちが残された言葉をご紹介いただきました。「いただいた命を終えていくことは、何ら不思議なことではなく、怪しいことではない」という意味の「ご無怪」は、いま不思議に生かされていることの有り難さを、味わわさせていただく言葉なのだとお聞かせいただきました。

いのちみつめて

第45回 願われて生きる ~多田専宗さん~
文・森 千鶴/版画・西川史朗

『いのちみつめて』の多田専宗さんは、幼稚園児の息子さんを育てておられる若いお父さんです。
「育心」で佐々木先生が述べられているような「親子のコミュニケーション」を、豊かに成立させながら、日々息子さんと向き合っておられることを、お話を伺いながら感じさせていただきました。
そしてまた、門徒さんや喫茶法話会に参加される方に対しても、同じように誠実に向き合っておられること、尊いお姿だと拝見させていただきました。

しみじみと感謝のうちに、一年を締めくくりたい師走を迎えます。合 掌

平成30年11月12日 ないおん編集室(~編集室だよりから抜粋~)

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開設日:2008/12/27