家庭教育誌「ないおん」は、教育・子育ちをテーマに毎月こころのお便りをお届けしています

ないおん9月号(2018年9月1日発行)は

NHKスペシャル「駅の子の闘い―語り始めた戦争孤児―」を見て、不気味な爆音が耳底から蘇りました。当時5歳だった私は母に抱きかかえられ、灯火管制下の部屋で震えていました。
昭和20年7月、それは琵琶湖を北上し、福井県敦賀市の空爆に向かうB29爆撃機の、闇を切り裂く轟音だったのです。しばらくして窓を開けると、県境の漆黒の空が真っ赤に染まっていました。
「駅の子の闘い」に登場する小倉勇さん(86歳)はその空爆に遭われたのでしょう。当時13歳だった小倉少年は母と逃げ惑い、夜が明けると「母は用水桶の中で死んでいた」といわれました。真っ黒に焦げた顔、不思議と涙が出なかったそうです。仕方なく親戚の家に助けを求めましたが「お前なんか、なんで生まれてきたんや」「なんで面倒見なあかんのや」と罵声を浴びせられ、悲しさと怒りで思わずその家を飛び出しました、無銭乗車で列車を乗り継ぎ、気がついたら大阪駅にたどり着いていたそうです。
当時全国の主な街の駅周辺は、空爆を受けて孤児になった12万人もの子どもたちがあふれていました。毎日いなくなったり、餓死したりと、悲惨な状況でした。
小倉少年はかめちゃんとやまちゃんに出遇い、友だちになりました。3人で行動を共にしましたが、生きるためには盗みをはたらく他はなかったといいます。風邪をひいて苦しんでいると、かめちゃんが徹夜で背中をさすって介抱してくれました。そのかめちゃんも、なぜか電車に飛び込んで自殺してしまいました。優しかったかめちゃんとのつらい別れに、小倉少年は悲しみに震えました。
昭和21年「路上の子どもを一週間でなくせ!」というGHQの命令で、駅の孤児たちは一斉に狩り込みに遭いました。まるで檻のようなところに入れられ、食べ物もまともに与えられません。野良犬同然の扱いに堪えきれなくて、彼は「こんなことなら」とそこを脱走してしまいました。
昭和22年12月に児童福祉法が制定され、養護施設にも国の補助金が少しづつ回るようになりました。路上生活を続けていた小倉少年は、その翌年に東京の上野を離れ、京都駅で保護されました。京都伏見寮に収容されます。反抗的だった彼は、寮の指導員黒羽順教先生に救われました。疥癬(かいせん)病に罹って、前身痒くて苦しんでいると、先生は小倉少年を銭湯に連れて行き、背中を流してくれました。初めて人間らしい温もりを感じ「真面目にやらなあかんな」と心に思いました。
長い路上生活で失明していた彼は成人して盲学校に進み、マッサージ師の資格を取り、結婚して二人の子どもにも恵まれました。
晩年、墓参りに故郷敦賀を訪ね、「熱かったやろ、いっぱい水かけたるで」と小さな墓石に柄杓で水をかけながら号泣される姿に、私も、もらい泣きしました。
小倉少年を更正させたのは、亡き母の愛情と黒羽先生の温もりです。「悲惨な戦争を二度と繰り返さないで」と蝉が啼くお盆の昼下がりです。(Y)

幼稚園・保育園版

育心

百年生きるより 一日生きる方がすばらしい
シンガーソングライター 光明寺住職/三浦明利

今月号の『育心』をご執筆くださいました三浦明利先生の『キサー・ゴータミー』の仏教説話を拝読しながら、Mちゃんのことを思い出しました。
Mちゃんは色白で、ふっくらしたほっぺの、笑顔が愛らしい女の子でした。在園中には、何度か熱性痙攣をおこし心配しましたが、小学校に入学後は、元気に通学していると聞いていたので、安心していました。
ところがある日高熱を出し、なかなか熱が下がらないので、風邪をこじらせたかと病院で受診され、そのままあっというまに亡くなってしまったのです。わずか9歳の、夏のことでした。
明日のいのちを、確実に保障することなど誰にもできない。そして、いのちの終わりは突然、誰にでもやってくるということを、教えられた悲しい出来事でした。
三浦先生の『育心』に登場するゴータミーや、Mちゃんのお母さんの想像を絶する深い悲しみに、真に寄り添うことも、まして受け止めることなど到底できない私です。しかし、真実の教えに照らされながらゆっくりゆっくりと、少しずつ悲しみを受け入れ、力強く生き抜かれたゴータミーの姿を通して、必ず「永遠の境地(仏の教え)に遇える」喜びと素晴らしさを学ばせていただきました。

あそびの世界の子どもたち NO.35

幼児教育と無償化(タダほど高いものはない)   聖徳大学児童学部大学院教授/小田 豊

「幼児教育と無償化(タダほど高いものはない)」では、小田豊先生が「教育・保育の無償化」に伴う保護者の子育て意識の希薄化、子育ての丸投げについて警鐘を鳴らしておられます。
先日、園の廊下でこんな会話が聞こえてきてびっくりしました。
Y先生「S君今日、跳び箱が5段跳べ、とても嬉しそうに抱きついてくれたので、私も思わずギュッと抱きしめてしまいました」
母「そうなんですよ、この子、この頃ベタベタと引っついてきて気味が悪いんです」
Y先生「とても可愛らしいじゃないですか」
母「そうですか? 私、この子が生まれてから、一度も抱きしめたことないですよ」
親の子育ての希薄化と、丸投げの一例ではないでしょうか。「子どもの教育・保育の責務の第一は保護者にある」と言われているように、我が子をどのように育てるか、という保護者の思いをしっかり汲み取りながら、ともに育ちあう関係づくりを大切にしていきたいと思います。
小田先生は記事の中で、家庭の保育力の低下についても指摘されています。私たち保育者は二度と戻ることは出来ない子育ての中で、こころが触れ合う一瞬一瞬の喜びと感動を、保護者と共に分かち合い、保育の橋渡し役をしっかり果さなくてはと、深く感じました。

私の雑記帖

83才のこのごろ   陶芸家/松井明子

『私の雑記帖』は、陶芸家の松井明子さんです。松井さんは、これまでにも4回寄稿していただいています。あらためて、もう一度読ませていただくと、ご家族のこと、陶芸家としてのお仕事のことに真摯に向きあっておられる姿が、まっすぐに伝わってきます。
「ないおん」18号(昭和54年9月号)の『私の雑記帖』では「充たされたもの」と題して、次のように書かれています。
「子どもの心に、安心と充足感を与えるのは、数多い言葉や物ではなく、日常生活の中で、両親が真剣に仕事をしている姿を見ることではないでしょうか。……仕事をしている父母の傍で感じた幼い日の充たされたもの、私はそれを求めて(土と対峙する)仕事をしているのかもしれません」と。

実演仏典童話

ジーバカと二人の王さま   文・鎌田 惠/絵・野村 玲

今月の『仏典実演童話』は、マガダ国の王さまのこころの優しさに触れ、医者のジーバカが自分中心のこころを反省して敵国の王さまを助けに行くお話しです。

寺院版

声に聞く

一人ぼっちじゃないのです   龍谷大学短期大学部教授/羽溪 了

先日、NHKの「クローズアップ現代」で「つながり孤独」というテーマを特集していました。
SNS(web上で社会的ネットワークを構築可能にするサービス)を通じて友達もいるのに、どうしようもなく孤独を感じるという若い世代が増えていると言います。そして、SNSを使えば使うほど孤独感を強く感じるようになるという調査もあるそうです。SNSで簡単に誰とでもつながることができる現代では、人間関係の自由度が高まった一方で、他者から選んでもらえないかもしれない不安がひろがっているという分析もあります。
「つながり孤独」は、自分の小さな「我」の殻から抜け出すことができない現代人を象徴しているように思えます。
羽渓先生は、「本当の『いのち』と出あえない人生は淋しいものです」と述べられています。「本来は、勿体ないくらいに多くの出あい、温かい出あい、尊い出あいがあるのに」とも。
仏法に我が身を浸してみれば、決して一人ぼっちではないことを知らされるとお示しくださいました。

いのちみつめて

第42回 仏さまのおこころで(二) ~永仮秀子さん~
文・森 千鶴/版画・西川史朗

『いのちみつめて』は永仮秀子さんの2回目です。
永仮さんから小学生の時の写真をお借りして、西川史朗さんに版画を彫ってもらいました。永仮さんは、この版画を見て「少女時代のいろいろなことが蘇ってきてうれしい」とおっしゃいました。
永仮さんは、戦争でお父様を亡くされて寂しい思いをたくさんされた。けれど、仏さまのおこころを感じながら、豊かであたたかなものにあふれた少女時代を送られたのでしょう。版画の永仮さんは、聡明で心やさしい女の子です。

残暑厳しい夏をお元気で。
合 掌

平成30年8月17日 ないおん編集室(~編集室だよりから抜粋~)

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開設日:2008/12/27