家庭教育誌「ないおん」は、教育・子育ちをテーマに毎月こころのお便りをお届けしています

ないおん10月号(2017年10月1日発行)は

昔、テレビで東京工大の本川達夫教授の話を聞いたことがありました。なまこの研究の世界的権威者であった本川教授は、「自然科学は自分が研究の対象としている側に立って、そこから人間を見ると人間の本当の姿がよく見えるんですよ」と話しておられました。「なるほど」と思いましたが、しかし本来人間は自己中心的に生きていますから、例えば子どもの立場から保育者としての自己を見つめるといっても、それはなかなか難しいことだと思いました。
さて花岡大学先生から「転」の一字を墨書した色紙をいただいたことがありました。「転」とは「初転宝輪」の転かと思っていましたが、そうではなかったのです。先生は昭和63年1月に還浄されましたが、その1年後出版された追悼文集『月下游林』の中に、平川了大氏の「転」の記事がありました。そこに大学先生の個人誌『まゆーら』30号の、先生が直々に記された「転」についての一文が引用されていたのです。

「転ということは常にしぶとく固執しようとする自分の立場をさらりと捨てて、他の立場に立ってみるということにほかならない。
この世の中の苦しみや悲しみの様々な出来事というものは、転によってそれをひっくり返して考えると、そっくりそのまま、喜びや楽しさに変わってしまうものであるといえる。転ということを大切な生き方として、生活の中にとりいれることができるということは、もっぱらそれは、神仏に対する(私の場合は仏)信仰から出てくる、すばらしい智慧のはたらきであるということを忘れてはならない。神仏の信仰に生きる者は、おのずから神仏から、神仏同格の智慧をめぐまれ、その智慧によってのみ全てを転じて、常にあかるいしあわせな人生を歩みつづけることができる」と。(以上抜粋)
「転」は自然科学者でもない凡夫の私がひっくり返って、向こうから自分の本当の姿を見るのは難しいけれども、仏さまの智慧のはたらきによって私が転じさせられ、己の自己中心性に気づかされるというお導きだったのです。
これは仏教の経典や聖典のどこに出てくるのだろう? そう思いながら、忙しくてそのままになっていましたが、あるとき、「……いまし如来の加威力によるがゆゑなり、博く大悲広慧の力によるがゆゑなり。たまたま浄心を獲ば、この心顚(=転)倒せず」『教行信証・信巻(聖典211頁)』とのお言葉に出遇ったのです。「これだ!」と思いました。私たちはまともに生きているつもりで、実は転倒して却って苦悩を増幅させているのです。
親鸞聖人は、「智慧のはたらきによって、仏さまは私を再度転倒させ、真実の自己に目覚めさせて二度と転倒することのない、明るい人生を約束してくださる」とお示しくださっていたのでした。
花岡先生は常に「ここから釈尊の聖地を遙拝しつつ『仏典童話』千篇を目指して書いている」と仰っていました。今もお浄土でご執筆を続けていてくださるのだと私にはそう思えてならないのです。

幼稚園・保育園版

育心

澄んだ眼   龍谷大学講師 善教寺副住職/赤井智顕

赤井智顕先生がとても含蓄のある『育心』をお寄せくださいました。私はこのエッセイを拝読して、今から36年前の8月号にお寄せくださった作家の高史明先生の『育心』を思い出しました。その一節を引用してみます。
「赤ちゃんが嬰(みどり)児と呼ばれるようになったのは千年以上も昔のことである。私はこの日本語を思い浮かべるたびに、昔の人の知恵に頭が下がってしまう。昔の人は、5月の萌えでる緑に赤ちゃんと同じ輝きを見たのである」
みどり児は新芽や若葉のように生命力があふれていると同時に、赤井先生のエッセイにありますように、その眼はどこまでも澄んでいて、汚れを知らない輝きです。しかし子どもが成長するにつれて、大人はその眼の輝きを曇らせてしまうのではではないでしょうか。
高さんはインドの詩人タゴールの詩を引用してくださっていました。 その一節に、
「あかちゃんのたった一つのねがいは/おかあさまのおくちから/おかあさまのことばを/ならいたいのです」(抜粋)
そのことばとは、赤井先生のご教示から、お母さんが「朝夕お仏壇の仏さまの前で〝ありがとうございます〟と頭を下げる後ろ姿を赤ちゃんに焼き付けること」であると領解いたしました。

親と子の育ち合い広場⑪

子どもの社会力を育むために大人ができること
子育て支援コミュニティーワーカー/藤本明美

藤本明美先生の社会力のお話から、最近集まった2泊3日の同期会を思いました。
昭和38年に卒業した龍谷大学男声合唱団の同期が17人いました。毎年そのメンバーの出身地を回り、同期会を開催しています。今は3人がお浄土へ還りましたが、夫婦同伴の参加も多く、最近は京女大女声合唱団同期のOG3人も加わり、拙寺で合唱の楽しいミニコンサートを開催しました。
地元の人からも「喜寿を迎えて夫婦同伴の同期会とはめずらしい」、「うらやましい」などと口々に賞賛の言葉をいただきました。
何しろ大学を卒業してから半世紀以上も、長寿比べのようにみんな参加するのですから、そのコミュニケーション力は本物といっても過言ではないでしょう。幼少年期から父母や家族、友だちの輪をひろげ、社会力をたっぷり身につけることが、その人の人生に潤いをもたらすということを藤本明美先生のエッセイから痛感しました。

私の雑記帖

美観教育   岡山大学大学院 教育学研究科教授/大橋 功

『私の雑記帖』の大橋功先生は、幼児教育界における絵画指導の第一人者です。台湾の「美感教育」を拝読して、日本も学ぶところが多いと痛感させられました。生活経験を土台に、それらを絵画指導による総合芸術にまで高め、3年間の積み上げで「思いやり」や「他者の気持ちに思いを馳せる」など、情操教育を目指す台湾挙げての取り組み、すばらしいですね。幼児教育視察の貴重なレポートをお寄せくださり、ありがとうございました。

実演仏典童話

⑱ 助けられたマンダラ王   文・鎌田 惠/絵・野村 玲

またしても北のミサイルが日本の上空を飛んで、太平洋上に落下しました。危険きわまりない火遊びは止めていただきたいもの。
今月の『実演仏典童話』は、戦争が好きな王さまの悔悛のお話。東アジアは二千年の昔から、仏教の盛んな地域でした。隣国の人にも読んでいただきたいお話です。

寺院版

声に聞く

大阪と本願寺   日本ペンクラブ会員/篁 幸子

今月の『声に聞く』は、篁幸子先生の大阪取材紀行です。
『ご文章』四帖一五通目の「大坂建立章」冒頭の一節に、「そもそも、当国摂州東成郡生玉の庄内大坂という在所は、往古よりいかなる約束のありけるにや、さんぬる明応第五の秋下旬のころより、かりそめながらこの在所をみそしめより、すでにかたのごとく一宇の房舎建立せしめ、当年ははやすでに三年の星霜をへたりき。(後略)」とあります。
蓮如上人が現在の大阪城の辺りに房舎を建立されたのは明応5年(1496年)82歳の年です。後の石山本願寺の始まりでした。
上人は老後に、贅沢をしたり、花鳥風月を楽しむためではなく、ひとりでも多くの人に信心を獲ていただきたいとの願いがあったからです。このご文章は、上人が病気をおして明応7年11月21日から勤まりました報恩講で拝読されたものです。お念仏のみ教えを伝え、信を獲らせたい、とあらゆる方法で布教伝道に尽くされた上人のご生涯を偲びます。

いのちみつめて

第31回 生かされて 尊きいのち 卒寿かな ~田中そとえさん~
文・森 千鶴/版画・西川史朗

『いのちみつめて』に登場の田中そとえさんは、まさに現代の妙好人ではないでしょうか。先に花岡大学先生の「転」について記しましたが、仏さまの智慧によって転ぜられ、正定聚の位に住して微笑みを湛えて煩悩林で利他行を実践されるお姿が目に浮かびます。

台風の被害を案じつつ、平穏な秋の日々が訪れますように、お元気でお過ごしください。合掌

平成29年9月18日 ないおん編集室(文責・丁野 ~編集室だよりから抜粋~)

目 次
物品のご案内

facebook
更新しています

開設日:2008/12/27