50歳になった今年、得度をしました。お寺に生まれたわたしにとって、得度はとても身近なイニシエーション(通過儀礼)でしたから、もっと若いころに思い立てば、チャンスはいくらでもあったのです。しかし結局、この歳になるまで得度はしませんでした。する理由も、しなかった理由も、それぞれいろいろあったような気もしますが、今となっては、これまでのご縁がそのようにつながっていたとしか言えません。丁野先生との出遇いや、「ないおん」に参加させていただいてきたことも、あるいは、一つのきっかけだったかもしれません。
若いころに得度をしないという選択をしたことは、その後、爪の先にほんの小さなささくれを持ったまま生きているみたいに、時々ふっと気づいて自分の手を眺めるような瞬間を、わたしの人生にもたらしてきました。そして、「なぜか」という問いが頭をもたげるたびに、回答はいつもわたし自身の内ではなく、他(よそ)から届けられました。父の話や母の姿に、先輩や親友の言葉に、あるいはこれまで出遇ってきた子どもたちの目に、時に、はっとするほど鮮やかなものが差す。それと気づかずに受け取ってきた心をたよりに歩いて、気が付いたらここにいたのです。かつてわたしがもっと素直な若者であったなら、この人生はまったく違うものになっていたでしょうか。
11日間の得度習礼の期間には、予想もしなかった喜びがありました。それが、若い十代、二十代の方々との出会いでした。およそ機械的に分けられたであろう班活動(わたしは2班)の中で、思いがけず、全国各地から集まった娘や息子のような年齢の若者と苦楽を共にしました。みな一様に、実家の寺を背負う次世代です。酷暑の京都、汗だくになりながらみんなでお経の称え方を習い、作法を習い、着付けから歩き方まで厳しく指導を受け、「どんな僧侶になりたいか」と理想を聴きあいました。「父に行って来いって言われたから」「まだお坊さんになるかどうか、決めてないんすよね」「なんでも相談してもらえる人になりたい」着なれない白衣布袍の前をはだけて屈託なく笑うかれらのそばにいて、わたしは日に何度も息子を思いました。あの子ならどう受け取るだろう。あの子にどう伝えよう。それが、わたしの残りの人生の宿題なのだと知りました。いのちある限り聴き、伝える。五十九名の友とともに、蝋燭だけが灯された薄暗い御影堂で得度式に臨むと、漆塗りの親鸞さまはいっそう大きく、力強く見えました。
得度式を終えて習礼所へ帰るバスの道中、夕暮れに染まる桂川の反対側に、白い月が浮かんでいました。ふいに、訓話で聴いた龍樹菩薩の『大智度論』の中にある「指月の譬」というお話を思い出しました。言葉は、月を指す指。本物の月に遇うために、つまり弥陀の本願を聞かせていただくために、あなたはこの生涯をいただいたのではなかったか。弓なりの白い月は、言葉を介して世界とかかわるしかないわたしへ、すっと切り込まれた問いでした。わたし自身の内側で、ようやくなにかが流れはじめたように感じました。
(武田修子)
いのちを感じる 龍谷大学短期大学部教授/羽溪 了
今月の『育心』は、羽溪了先生がご執筆くださいました。
私の園でも、保育室で虫や動物、メダカなどの飼育環境を、意図的に整えることがよくあります。
指針が示す「ねらい」としては、「身近な動植物に親しみをもって接し、生命の尊さに気づき、いたわったり、大切にしたりする」ですが、文字にすればわずか40文字ほどの「ねらい」に、私たち保育者自身が、どれだけ真摯に向き合っているのだろうかと考えさせられました。
お話の中で羽溪先生が「教育とは、足らざる至らぬ者に、知らしめ導く実践と勘違いする向きが強い……」と仰っているように、「ちゃんとお世話しないと〇〇が可哀そうだよ」とか「死んじゃうよ」と、子どもたちが「いのち」の実感を得ないままに、言葉のみで「指導」してしまいがちです。
実際にウサギを抱っこして、いのちの重みや温かさ、心臓の鼓動を感じて、「生きている」ということを実感する学びの中で、子どもたち自らの「大切にしよう」「お世話をしよう」とする心情や行動が育まれたこのエピソードに、深く学ばせていただきました。
おやつにピッタリ!かんたん腸粉(チャンフェン) 食文化・食育料理研究家/坂本佳奈
2ページ目は、食文化・食育料理研究家の坂本佳奈先生の『親子でにこにこクッキング』です。
今回のお菓子「腸粉(チャンフェン)」は、文字だけを見ると「腸の粉?」と、何だか妙な感じがしますが、この名前の由来は、米粉の生地のよれ具合が腸に似ているところからきているそうですね。
レシピや先生のお菓子の説明を読んでいると、とても美味しそうで、暑い時期でも寒い時期でもいろんなアレンジができて、作るのも食べるのも楽しみになってきました。
園のクッキングでも、ご家庭での親子クッキングでも、ひょっとするとお父さんお母さんの、ビールのおつまみにもぴったりの、万能レシピをありがとうございました。
若者のアタリマエは、未来のアタリマエ 小国士朗
『私の雑記帖』は、小国士朗さんのお話です。
「子どもたちが成長する過程で社会のアタリマエはどんどん更新されていく」という小国さんの言葉に、未来を担う子どもたちへの期待が膨らみます。
子どもたちが、「素敵で愉快なアタリマエ」を生み出していけるよう、私たち大人も子どもたちの、新鮮で柔軟な感性に学び、共に育ち合っていけたら素敵だなと感じました。
「若者のアタリマエは、未来のアタリマエ」の言葉に、何だかウキウキと明るい気持ちになりました。
貴重な原稿をありがとうございました。
防災訓練 文・絵/三浦明利
今月の『お話の時間』は、災害はないのがいいけれど、「訓練」で失敗しながらも、「考えておくこと」の大切さを学んだほしくんです。園でもご家庭でも、「学んで」「見直して」「備えて」おきたいですね。
地震や台風、豪雨など、本当にご心労の皆さまに、心よりお見舞い申しあげます。
(鎌田 惠)
令和6年8月20日 ないおん編集室(〜編集室だよりから抜粋〜)