家庭教育誌「ないおん」は、教育・子育ちをテーマに毎月こころのお便りをお届けしています

ないおん2月号(2025年2月1日発行)は

心理学者の河合隼雄さんと、将棋棋士の谷川浩司さんの対談がまとめられた『無為の力』(PHP研究所)という本から。
@「カウンセラーの仕事というのは、答えを出すことではなくて、その人がどう生きていったらいいかをその人と一緒に悩みながら考えることです。正解はひとつじゃありません」
この内容は、カウンセラーだけでなく、子育てにおいても、共通するところがあるように感じます。

A「僕らが心理療法を勉強している時によく言われたのは、『理論は勉強しなくてはいけない。しかし本当にクライエントを目の前にした時は、理論は全部忘れなさい』ということです」
何をする時も、理論は大切です。しかし、現実の問題に直面した時、理論にとらわれず、その問題と素直に向き合うことが大切だと思います。

B「クリシュナムの『ものごとは努力によって解決しない』という言葉が好きです。それにしては『お前はいろいろ努力しているではないか』と言われたので、『解決しないと分かっていても、凡人だからせめて努力くらいはさせていただいている』と言ったことがあります」
努力すれば、思い通りの結果が得られると考えるのは、傲慢な感じがします。努力しても、思い通りの結果が得られることは、なかなかありません。だからこそ、せめて出来る限りの努力をさせていただくことが大切なのでしょう。

プロフェッショナルスペシャル(2024年5月2日放送)「世界を、子どもの目で見てみたら 〜漫画家 青山剛昌〜」より。
「名探偵コナンは、少年漫画にもかかわらず、難解なトリックを扱ってきた。(中略)大人でも理解が難しい内容に躊躇なく踏み込んでいく」というナレーションの後の、青山氏の言葉。
「子どもは頭がいいので、簡単に描いちゃうと、子どもだましというか、なめられちゃう。子ども扱いしないというか、面白いと感じたら調べるし、理解しようとするし。難しいこと描いても、ちゃんと描けば、その方が子どもは楽しんでくれるんで。信じてますね。子どもを。好きですし」
子どもと関わる時、「子どもだから」と軽く考えてしまうことがあります。子どもと本気で向き合うことの大切さを教えられた気がします。

「小さきものらに、老人は答えたい。私は生き直すことができない、しかし、私らは生き直すことができる」
これは、大江健三郎氏の『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』(講談社文庫)の中の言葉です。「私」という「個人のいのち」として見た時には、生き直すことはできません。しかし、「私ら」という「大きないのち」として見た時には、生き直すことができます。正しい方向へ生き直すことが出来るよう、次の世代に伝えていかなければならないと思います。
(小池秀章)

育心

月にかける“はしご”   西正寺住職 龍谷大学非常勤講師/中平了悟

今月の『育心』は、中平了悟先生のお話です。 先日、園児の絵画展に行ってきました。地域の民間保育園やこども園(17カ園)が、数点ずつ園児の絵を持ち寄って開催している、特賞や優秀賞など評価のないこじんまりとした絵画展です。
各園の保育者たちは、それらの絵が描かれた背景やエピソード、園児たちが、いかにウキウキとその絵を楽しんだのかを、よく見て感じとって出展しています。
絵筆で勢いよくゴロンと描かれた大きなサツマイモの陰に、よく見るとちょこんと可愛らしいダンゴムシが描かれていたり、土の上にキレイな花や虫が賑やかに描かれていると思えば、空にはニッコリお日様が微笑んでいて、その横に女の子(自分?)が描かれています。私たち大人にはとても描くことができない世界です。
中平先生のお話の中にもありますように、子どもたちには、私たち大人とまったくちがった世界が見えているのでしょうね。
私たちが感じ難くなってしまった子どもたちの世界(子どもの見え方)を、「正解(大人の見え方)」で壊してしまわないように、大切にしたいと思いました。

レッツゴー!保育カウンセリング14

「面影」に立つ子育てを分ちあっていますか   
子ども家庭教育フォーラム代表 教育・心理カウンセラー/富田富士也

2ページ目は、富田富士也先生の『レッツゴー!保育カウンセリング』です。
「面影に立つ子育て」という文字がまず一番に目に入り、「どういうことなんだろう?」と不思議に思いながら読ませていただきました。
そして、お話の中の「悲喜こもごもを生身で経験し合ってこそ……」の言葉に、少しホッとしたような感覚になりました。
私の子育てを振り返ってみると、なかなかスムーズに完璧にはいきませんでした。笑いや喜びはもちろん多くありましたが、焦りや苛立ち、親としての不甲斐なさを思い知ることも多く、果たしてこれで良かったのかと、未だに悶々とすることがあります。
しかし、それもまた親子の関りの中の「面影」となっているのかもしれないと感じました。
そういえば、私と父母の親子の葛藤も、今では懐かしい「面影」として、脳裏に浮かびます。
子育て悲喜こもごも真っ只中の皆さんの今も、きっと「面影」に立つ子育てとなりますように。

私の雑記帖

阿弥陀様が選んでくれた   福岡教区東筑組正覚寺法務員/モクタン・ママタ

『私の雑記帖』は、モクタン・ママタさんのお話です。
遥か遠くネパールの地で、たまたま浄土真宗の教えと出遇われ、そして日本で仏教を学ばれて僧侶となり、北九州のお寺で活動をされているママタさんの、お念仏を大切にされているお気持ちが伝わってきました。
阿弥陀さまのおこころが、世界に広がって、ママタさんという御同朋に、お話を通して出遇わせていただいたような気がします。
貴重な原稿をありがとうございました。

お話の時間 つきみとほし37

涅槃会ってなんだろう   文・絵/三浦明利

今月の『お話の時間』は、つきみちゃんとほしくんが、涅槃会のお参りで「いのち」について考えました。

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雪の多い季節、皆さまお体ご自愛くださいますように。
(鎌田 惠)

令和7年1月15日 ないおん編集室(〜編集室だよりから抜粋〜)

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