食後の自由遊びの時間、Kちゃんは後ろ向きにひっくり返って大暴れ、この世の終わりのような大声をあげています。思い通りにならないことがあったのです。その声に驚いて泣き出す子もいるほどで、先生はひっくり返っているKちゃんに、「ちょっとお隣の教室にいこうかね」と優しく声をかけて起こそうとしました。けれど彼女は弓なりに体を曲げて反発し、手足をばたつかせて泣き叫んでいます。当分このまま、彼女の主張を見守るしかありません。苛立ち、怒り、悲しさ、悔しさ、恥ずかしさ、不安、助けて……、パニックの渦中にある人のそばにいるのは、それだけでひどく骨の折れることです。Kちゃんの苦しさを思い、先生は胸が痛みました。
理由は今回もいたって普通のやりとりでした。ままごとをしていたSちゃんのお鍋をどうしても使いたかったKちゃんが、Sちゃんから無言でもぎ取ったのを、先生が偶然見たのです。そういうときは「貸して」って言うんだったね。先生は叱ったわけではありませんが、それがきっかけで、Kちゃんは収まりがつかなくなりました。今日も野菜たっぷりの給食にほとんど手を付けられませんでしたから、それも原因の一つでしょう。
Kちゃんは、やって良いことといけないことが、よくわかるようになったのだなと先生は感じました。お友だちと仲良くしたい気持ちも強くなってきた。だからこそ、どのボタンをどう掛け違えると、パニックになるのか。先生はKちゃんの大声を聞きながら、彼女とのかかわりの経験を静かに分析し、少しずつ胸に溜めます。彼女だって毎日成長していますから、いつかその分析が役に立つ日が、くるかもしれないし、こないかもしれません。でも、その子と向き合おうと努めた時間だけが、その子との関係をつくるということを、先生はよく知っているのです。
生命誌の研究者である生物学者の中村桂子先生は、「生き物」の定義を次のように語っておられます。
・あらゆる生物は時間をかけて育っている
・生きていることはわからないことだらけ
・思いがけないことが起きる
・そこを通過することに意味がある
・手を抜いたらすぐダメになる
・思い通りにはならない
そして、生き物というものを考えるときには、今だけでなく、長い時間広い視野でみる視点が大切だと語っておられます。「ヒマワリはマーガレットにはならない」とも。当たり前のようで、とても深い、機知に富む言葉です。
親も保育者も、こどもたちに、つい「こうあってほしい」というこちらの願いを押し付けてしまいがちです。一人ひとりが具えているその子らしさ、その子固有の物語を押しのけて。ヒマワリにはヒマワリの美しさが、ミカンにはミカンの喜びがあります。長い目で見れば、失敗も挫折も、通過することに意味があるのです。
先生は、そろそろ疲れてきたKちゃんの目をのぞき込みます。頭をぶんぶんと振って跳ね返る彼女に、「ね、お茶のまない?」と話しかけています。
(武田修子)
カーネーションに母を想う 教恩寺住職・シンガーソングライター/やなせなな
今月の『育心』では、やなせななさんが、昨年の9月にご往生されたお母さんを偲ばれています。
私事ですが、三回忌を経て先日父の納骨を行いました。もう、そんなに時間がたったのかと感じたり、コロナの感染対策の中、入院中ほとんど会えぬまま亡くなったので、まだ病室から、電話がかかってくるような気がしたりします。
お話の中に、「嬉しそうに朗読してくれた母の笑顔と、やさしい声を覚えています」とありますが、本当に不思議なもので、何気ない日常の時々に、実際に聞こえているわけではないのでしょうが、ふと、「しっかりやりなさいよ」という、私の脳裏に記憶された父の声が聞こえてきます。
「しっかり」に重みを感じた時もありましたが、今では、優しさに溢れた、父なりの私へのエールだったと受け取らせてもらっています。
『足どり』の詩を味わいながら、私も父を偲ばせていただきました。「命を一回りしたらまた会える」その日まで、しっかりと、仏さまのおこころを聞かせていただく私でありたいと思いました。
子どもたちとともに「持続『不』可能性」を見つけていく
社会福祉法人檸檬会理事長・大阪総合保育大学非常勤講師/青木一永
2ページ目は、青木一永先生の「SDGsと保育」です。
今回は、私たち保育者が「持続『不』可能なこと」に気付かなければならないという視点を学ばせていただきました。
私たち保育者は、「自分が思い込んでいる正しいこと」を、子どもたちに押し付けてしまうかもしれない、危うい存在であることを、自覚しておかなくてはならないと感じました。
それは、栽培活動の場面であったり、子ども同士の言葉のやりとりの場面であったり、関わりの場面であったりと、常に起こり得ることです。
青木先生の仰るこの視点は、私たちが仏教の研修で学ばせていただく、「自分の持つ尺度がいかに不完全なものであるか」というお話に重なる気がします。
「保育の現場で出会う、ちょっとした違和感を見過ごさず、『あれ?』と感じるアンテナ」を持ち、子どもたちとともに「持続『不』可能」を見つけていきたいと思います。
未来を美しく!見えない恩に気付ける人間になろう!
たねまき寺子屋/橋本純一
『私の雑記帖』は、橋本純一さんのお話です。
橋本さんの「たねまき寺子屋」では、先人の生き方のお話をして、憧れと感謝の気持ちをもっていただくという活動をされているということです。
「誰かのため、未来の幸せのため」と一生懸命に生き、様々なことを切り開いてくださった先人の「恩のバトン」をしっかりと引き継いで、私たちもまた、未来に希望を持てるバトンを、次世代に渡せるよう今を生きていきたいですね。
貴重な原稿をありがとうございました。
けんかをしたら 文・絵/三浦明利
今月の『お話の時間』は、ほし君とはると君の「ケンカ」のお話です。「仲良くする」ということは、簡単そうで難しい。さて、二人は仲直りできるのかな。
戸外で元気に遊ぶ日は、ダンゴムシとの出会いが嬉しい季節になってきました。
(鎌田 惠)
令和7年5月15日 ないおん編集室(〜編集室だよりから抜粋〜)