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        個別労働紛争解決基準としての労働判例シリーズ

          

                                                     前借金相殺


1.ポイント


(1)「使用者は、

前借金その他労働することを条件とする

前貸の債権賃金相殺してはならない」(労基法17条)。


(2)労働者の人的信用に基づき使用者が行う金融などは、

労働者の身分的拘束の手段にならないこと等が明白な場合

前借金その他労働することを条件とする前貸の債権」には当たらないことがある



2.モデル裁判例


  東箱根開発事件 東京地判昭50.7.28 労判236‐40

(1)事件のあらまし


 第一審原告であるらは、土地開発事業・土地売買等を営む第一審被告会社に

雇用されたが、Xらは1年も経たないうちに、勤務振りが悪い等の理由により辞職を

迫られ、事実上解雇されるに至った。Yにおいては、賃金制度の中に勤続奨励手当

なるものが設けられていたが、この手当は労働契約期間(Xらの場合は各1年)を

全期間勤続した場合に期間満了時に支給され、解雇も含め中途退職した者には支給

されないものであった。ただし、Yはこの手当の前渡しを希望する従業員に対しては、

その月割額に相当する金員を、期間満了時に本来支給を受けるべき手当額から控除

することにより返還するという条件で貸し付けていた。この結果、従業員が労働契約

期間の途中で退職した場合は、それまでに支給されていた勤続奨励手当の全額を返還

しなければならないこととされていた。


 Xらは、Yにより解雇される際に、この勤続奨励手当の返還請求をちらつかせられた

ため、未払賃金解雇予告手当の支払請求等断念する旨記された「覚書」に

やむなく署名・押印し和解契約を締結した旨主張した。そして、Xらは、このような

和解契約は労基法20条、24条の脱法行為であり、憲法・労基法により保障された

労働者の権利を

侵害するものであること等から、民法90条の公序良俗に違反し無効である等と主張し、

Yに対し未払賃金、解雇予告手当及び附加金の支払いを求めて提訴した。



(2)判決の内容


労働者側勝訴

 この勤務奨励手当制度における前貸金は、その運用・取扱いの実態や支給額等から

判断すると、実質上労働の対価として支給される賃金の一部である。そうすると、中途

退職の場合における前貸金返還の約定は、「もともと貸付金としての実質を有していない

にもかかわらず、『前貸金』という制度を建前上採用し」たものであり、それにより社員の

「労働を事実上強制させ」たり、「気に入らない社員の解雇を著しく容易にし」たり、かつ、

労働契約の終了に伴う「未払賃金の清算とか解雇予告手当の支払等について、使用者

側に一方的に有利な立場を確保」したりする意図の下になされたものといえる。

したがって、このような前貸金返還の約定は、労働者を強制的に足留めさせることを

禁じている労基法5条、前借金による相殺を禁止した同17条、及び、解雇予告を定めた

同20条の脱法行為にあたる点を払拭できず、「民法90条の公序則に抵触し、無効という

べきである」。


 また、Yが、法的には効力を認められないこの前借金返還請求を利用して、Xらに

未払賃金等を放棄させるような内容の和解契約に応じさせたことは、前掲の前貸金

返還約定の効力に関する判断と同様の理由等により、民法90条に違反して無効で

ある。



3.解 説

(1)前借金相殺の禁止


 使用者と労働者(又はその親)との間でなされた金銭貸借に関して、労働者が

負っている多額の前借金を労働者の賃金債権と相殺する(結局は労働者が労働する

ことにより返済していく)という形態が戦前には多く見受けられた。このような前借金

制度は労働者を身分的に拘束するものであり、その典型例は芸娼妓契約であった。

こうした前近代的な人身売買的制度を排除するため、労基法17条は金銭貸借関係と

労働関係とを完全に分離し、前借金相殺を禁止したのである。


 モデル裁判例は、会社が毎月支給される金員のうち約半額近くを勤続奨励手当と

称する前貸金とし、中途退職者に対し支給済みの前貸金を返還させることにしていた

事案で、前借金相殺に関するかつての典型的パターンといえるものであった。この

事件では、使用者が一審判決を不服として控訴しているが、

東箱根開発事件
控訴審(東京高判昭52.3.31 労判274‐43) も概ね一審判決を

是認している(なお、本稿では、控訴審ではなく、労基法17条につき直接言及していた

一審判決をモデルとして取り上げた)。この事案の事実認定を前提とするかぎり、判決の

結論は妥当であり当然のものといえよう。


 なお、同条が禁止したのは、「前借金についての使用者の債権(前貸債権) で賃金に

対する労働者の債権(賃金債権)を相殺すること」であるから、前借金を渡すこと自体が

禁じられているわけではない(それゆえ、前借金による消費貸借契約自体は無効とは

ならない。

クラブ詩織事件
 東京高判昭48.11.21 判時726‐99)。ただし、酌婦としての稼働

契約と同時に消費貸借契約等が締結された場合に、これら契約は密接不可分の関係に

あるものとして、これらの契約全体が公序良俗に反し無効であり、そのような場合には

使用者は民法708条に基づき、交付した金銭の返還を求めることもできないとした判例が

ある

預金返還請求事件 最二小判昭30.10.7 民集9‐11‐1616、もっともこの判決では

労基法17条が直接争点として述べられてはいない)。



(2)労基法17条の現代的意義


 労基法17条に関しては、現在、その違反が問われる裁判例は少なくなっている。

現代的には、例えば、使用者からの住宅資金の借入れ及び賃金による返済などが、

同条に違反することになるのか否かが問題となってくる。その立法趣旨から考えると、

住宅資金の融資が、労働者の申出に基づき、労働者の便宜のためのもので、貸付

金額や貸付期間が妥当なものであり、かつ、返済前の退職の自由が確保されている等、

労働者の身分的拘束を伴わないことが明白な場合には、同条違反とはならないと

解されている。その他、外国人労働者(特に不法就労者)や経済的破綻者の増加等

とも関連して同条が問題となってくるであろう。このようなケースでは、同条違反の

事実があったとしても表面化してこない場合も多いと思われる。したがって、まだ同条の

存在意義がけっして失われているわけではない。


 なお、クラブホステスがクラブ店の移籍に伴い、前店の保証債務支払い等のため、被告

会社から消費貸借契約に基づき借り受けた200万円に関して、毎月の賃金から返済して

いたことが労基法17条違反に当たると主張され争点の一つとなった裁判例に

長谷実業事件
(東京地判平7.11.7 労判689‐61)がある。



(3)合意相殺ないしは相殺契約の適法性


 使用者が労働者との合意に基づいて賃金債権を相殺できるか(相殺契約)については、

厳密には労基法17条に違反しないとも考えられうること等により、学説上は適法説・違法

説など見解が分かれている。ただ、このような相殺契約を適法であると認めれば、同条に

つき使用者による脱法行為の虞も存するため、相殺契約は同条違反になると解するのが

妥当であろう。ただし、住宅ローンに関してなされた合意相殺につき、労働者の自由

意思に基づくものと認められるような場合には、適法であると判断した最高裁判決が

ある

日新製鋼事件 最二小判平2.11.26 民集44‐8‐1085)。なお、労働者による相殺は

基本的には許されることになる。ただし、この場合にはその相殺が労働者の真の自由

意思に基づいて行われたことが必要とされる。












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