店主のつぶやき日誌の
バックナンバーです001
〜
100話 101
〜
200
話201
〜
300
話301
〜
400
話401
〜
500
話501
〜
600
話601
〜
700
話701
〜
800
話800
〜
900
話900
〜
1000
話1001
〜
1100
話1101
〜
1200
話1201
〜
1300
話
1301
〜
1400
話1401
〜
1500
話1501
〜
1600
話
表紙ページへ回帰 | お得なお任せコースを知りたい | カルメンのイベントを知る |
1700……8月6日(金)
今日の早朝登山、山上から発信するメール文を考えていたので、あっという間に着いてしまいました。途中、隣家のAさんにばったり。ラジオ体操に参加したとみえてハツラツとした表情。「いやぁ、ちょっと痩せはって」。そうなんです、筆者このごろ体重が減っているのです。身体全体もスリムな印象になっています。帰宅後測ってみたら、71キロ。これは運動後で、たっぷり水分が蒸発した結果ですから、少ないのは分かっているのですが、71キロは少ない。筆者の体質はちょっとしたことで体重があがったり下がったりしますが、平均は74キロぐらい。
鏡に映しても、筆者の年代にありがちなお腹あたりのでっぱりが殆どありません。夏はよく食べるほうなのですが、今年は「食べる」ということに対して、どこかストイックなところがあるのです。どうしてでしょう。
1699……8月5日(木)
京都から、知人の歌人二人が食べにきてくれました。二人とも偶然ですが、筆者の大学の先輩にあたります。1957年入学の一人の先輩には「その時、新町校舎はありましたか」と聞きます。筆者の時代は教養授業の殆どはその校舎でおこなっていました。先輩の時代はまだ新しく出来たばかりだからでしょう、専門課程の授業がそこで行われていたようです。
近頃、母校に行ったことはないのですが、今年度から「総合政策学部」なるものが誕生し、この学部の"売り"は、一度も田辺校舎で授業は行なわいということです。筆者の在学時は、田辺校舎=筑波大学方式に対するデモが吹き荒れていた時代でした。いったいわれわれの"闘争"はなんだったのでしょう。
法科大学院というものも今春にスタート。かつて烏丸通りに面していた学館(学生会館)に新校舎が建築されたとのことです。いつも「立て看」が置いてあった学館は今はもうないのです。ところで"わびすけ"はまだ残っているでしょうか。
1698……8月4日(水)
保久良山への早朝登山の二日目。今日も一人です。坂道をゆたゆた歩いていると、この今の一人になっている時間が貴重であることを知ります。ひとりきりになれることで、さまざまな思惟をめぐらせることが出来るからです。今の筆者にはこういう時間が必要なのです。
昨日より余裕が出てきて、周囲の景色を観察したりもします。二日目は意外と早く到着。気の早いツクツクボウシが既に啼いています。昨日見た若いイノシシはいません。
保久良神社の鳥居近くのベンチに腰をかけて、メールを打ちます。ここは携帯電話の通話可能地帯なのですが、i-modeは圏外なので、打った後に、里に降りきってから発信する必要があります。
今日もよく晴れています。紀州・熊野の地を友人と共に彷徨している詩人と、大阪市内南部でまだ寝ているであろうある人に向けてメールを発信。いずれもこの保久良山からよく見えている場所です。人生もこう見晴らしがいいといいのですが。
1697……8月3日(火)
本日から、筆者、早朝登山を始めました。これは毎年、この時期におこなっているもので、拙宅から歩いて30分ほどの距離にある保久良(ほくら)山に登ります。
一年ぶりなので、無理をせずゆっくりと何度も休みながら、坂道を登っていきます。里ではクマゼミが隆盛ですが、高度が上がるにしたがって、ミンミンゼミの声も聞こえてきます。
今日は初日ということで、心の余裕はなく、ただただ前に進むだけでした。保久良神社に到着すると、ラジオ体操をしています。そうか、午前6時40分ごろに行けばやっているのだと、ひとりごちます。
早朝登山、しばらく続けます。
1696……8月2日(月)
FMわぃわぃ「南の風」奄美篇200回目の放送です。9月発売のJABARA レーベルの中(あたり)孝介くんの"Notus(ノトス、南風の意)"を紹介します。囃子は西和美さん。バックにはJABARAお得意のブラスが演奏されます。
こうした音づくりは賛否両論を引き起こしています。筆者は、JABARAの森田純一氏の姿勢も積極的に評価したい立場なので、こうした新しい島唄がいいのか悪いのかの判断はリスナーの人たちに任せたいと思っているのです。もちろん「南の風」奄美篇でかける島唄の大多数は、昔から歌い続けられた島唄が大半ですが、新しいアレンジによる島唄も番組の中で機会を見つけて紹介するようにしています。
奄美ひとくち情報コーナーでは、森田さんが引き受けることになった"ニューグランド"の膨大な音源について話しました。このレーベルはかつて奄美においてセントラル楽器とならんで大きなレコード会社だったのですが、代表の山田米三さんが死去して、レーベルとしてはその活動を終息させたのです。その後、鹿児島大学の調査チームが入って、再生可能なテープについては、同大学のアーカイブスで保管されることが決まったのですが、それは一部でしかなく、大半のテープ、原盤は保存状態が悪いために、そのまま放置されているとか。
森田さんはその残りすべては引き受けることの了承を得ているのですが、さて、これをどうしたものか、頭を抱えているのです。筆者としてもなんとかして、奄美島唄の貴重な音源を、JABARAで将来商品化していってほしいと思っているのです。おそらく今では聞くことの出来ない唄者の島唄もたくさん入っていると思います。森田さんも筆者に似て、いいもの、出したいものには、半ば無鉄砲に商品化するタイプと見受けるので、その性癖に、奄美島唄ファンとして、期待するのです。
1695……8月1日(日)
午前2時、とある女性から、筆者の"安否"を気遣う携帯メール。この日たまたま携帯を布団の横に置いていたので、気づいたのです。返したメールは「いま、うなぎが猫の軍団を引き連れて戦っている夢をみていました。大丈夫です」と、こちらも分かったような分からないような返事を書きました。昨夜は疲れがたまっていたので午前11時台には布団に入っていました。どうせ「冬ソナ」を見ているのだから、会話相手もいないし、かといってパソコン作業をする力も残っていないので、こういう時は睡眠時間を多くとることにしています。
1694……7月31日(土)
昨日、いとこが経営しているジャズ・ハウス"JUST IN TIME"へ友人たちと行って来ました。場所は、元町3丁目の旧三越百貨店神戸店の北裏。オーディオ装置に凝っていて、たしか"パラゴン"と名付けられた名器(スピーカー)がどーんとそえられています。この店で時々ライブもしているそうです。いまどき、新しいジャズ・ハウスが誕生するのは珍しいことではないでしょうか。店内ではLPレコードをかけていました。なんだか70年代がワープして出現したような感じです。しかし、若者にとってはこのような70年代風がかえって新鮮なのかもしれません。
しかし、時代は変わって、こんなおしゃれな店でも黒糖焼酎を呑むことが出来ます。焼酎ブームは浸透しているのですね。
1693……7月30日(金)
昨日、ミュージシャンの野村昭彦氏が来店。去年10月まで、FMわぃわぃのチーフプロデューサーを務めていた人です。現在は、演奏活動とCD制作ディレクターとして神戸を中心に活躍しています。現在制作しているCDは、趙博(チョウ・パク)さんのすべてハングルで歌っている内容のものだそうです。趙博さんには、一度なにかの機会にカルメンで演奏してもらおうと思っているのです。チャンゴ(朝鮮式太鼓)をたたきながらの〈語り歌い〉は独特の世界があります。Japonにも多くの〈語り歌い〉の演芸はありますが、"恨"を歌い込んだ朝鮮民族のそれは、地の底から湧き出るような迫力があるのです。
FMわぃわぃを退職してから、音楽専業でめしを食っている野村氏。この不況の世の中で生活していくのは、どんな職業でも困難をともなうのですが、意外とさばさばしていました。「いや、なんとかしてるよ」と、ガスパッチョのスープが彼の長者髭に一部ひっかかりながも、淡々と語ってくれました。
がんばれ昭彦!1692……7月29日(木)
近頃見ていないもの----夜のニュース番組と、プロ野球ニュース。帰宅が遅くて午後11時台になることが多いので、だいたいのニュース番組が終了しています。さらに、筆者にとって注目すべき大きな"事件"がないことも影響しています。
プロ野球ニュースは、オリックスや阪神がすでに"シーズン終了"していることもあって、興味がわかず、ファンの頭越しに進む球団・リーグ合併話にうんざりしているのです。
こういう時は閑かに小説でも読んでみたい気分です。
夏バテということでもないのですが(体重は少し減り気味)、なんだか気分がすっきりしません。もうすぐアテネオリンピック。若者中心のアスリートたちの競演であるオリンピックもなんだか、スポーツ・エリート層の金満イベントのようで面白くありません。さらに面白くないのは、オリンピックが始まるとついつい見てしまう自分のふがいなさを知るときです。
1691……7月28日(水)
まるっきり真夏の日々が続きます。さて読者のみなさんは今年の夏、旅行の予定は立てていらっしゃるのでしょうか。
カルメンの夏休みは8月9日(月)から11日(水)まで。二人の受験生がいるので、どこも行かない予定でしたが、どうも今年もどこかへ行かなくてはいけないような気配です。今から間に合う場所なんてどこがあるのでしょう。
1690……7月27日(火)
昨晩から今朝にかけてたっぷりと寝ました。約10時間。NHKTVの月曜ドラマシリーズ「妻の卒業式」最終回(5回)を見ました(昨晩)。
密度の濃い内容です。筆者のような"アンチ冬ソナ派(世間の女性たちが異常に騒いでいることに対する反発から勝手に名付けた名称)"の男性でも充分楽しめる内容でした。5回という短い放送であるゆえに、反対に強いインパクトがあります。夫婦は結局、離婚するのですが、夫が妻に離婚を切り出して、会社を辞めて昼間から二人で家にいることになり、反発もしながら、お互いの人間性を認めあっていくという内容です。中年夫婦の「離婚」を真正面から取り扱ったテレビドラマが少ないといわれる中で、良質な番組が提供されたと評価できるでしょう。
娘の結婚式が終わり、夫婦は離婚届を役場に提出します。そして夫は本格的に家具修理職人になるために飛騨高山へその日のうちに旅立ちます。玄関を出ようとする夫は「切符がない、ないぞ」と言いだし、妻は「えっ、どこよ、どこに置いたのよ」といつもと変わらぬ会話を交わします。「ごめんごめん、あった」と上着の内ポケットからチケットをだす夫。そして一人きりになった妻は、結婚式の引き出物のケーキを食べながら「まあまあ(の味)ね」と言った途端、わっと泣き出します。しかし、翌朝のシーンではカーテンをあけて朝一番の家事をいつものようにこなす妻の姿が映し出されています。
この番組の掲示板(NHKが投稿内容を事前検閲しているので、掲示板独自のライブ感は欠如している)を今朝読んでいると、本人あるいは親が現在離婚騒動中というリアルな書き込みもあったりして、面白く読みました。最近はインターネットがあるので、番組の反応も(たとえNHKの事前検閲や加工(?)があったとしても)楽しめて、番組の二次鑑賞が楽しめるのです。
1689……7月26日(月)
カルメンの定休日。FMわぃわぃ「南の風」は、ひさしぶりの奄美・沖縄合同番組です。筆者はこの番組が始まってから7年間、奄美篇をひとりで担当してきましたが、沖縄篇は、何人か担当が変わりました。8月から新しい沖縄篇担当者を迎えることになりました。神戸大学の学部生であるTさんと、同大学・大学院博士課程のKさんです。
この二人による沖縄篇は8月から始まりますが、本日はそのお披露目といことで、三人で番組を進行することにしたのです。テーマは夏。沖縄より暑いとされている関西の夏についてなども話題にします。
番組中、かけた内容は、奄美と沖縄とからの一曲ずつ。神戸での生活や、ウチナーとヤマトゥの食生活の違いなども話し合って、あっという間に55分間が過ぎたのです。8月の新・沖縄篇の番組、面白い番組を作ってほしいものです。筆者も大いに刺激にしたいと思っています。
番組終了後、元町通りの古書肆「黒木書店」を探したのですが見つからず、閉店したのですかね。かわりに旧三越神戸店があっビル地下に古書肆を発見したので、入ってみましたが、暑すぎて頭がぼおっとして何も買わず出てきました。ほか、南京街や書店も回りましたが、炎暑には勝てず、そうそうに拙宅に向かったのです。
1688……7月25日(日)
昼、ある読書会に。今回は筆者は聞くだけでよかったので気楽でした。会場は、JR北新地駅の近く。最近、大阪駅よりこの駅を利用することが多くなっています。終了後はカルメンにとんぼ返り。
カルメンが終わって、筆者は尼崎へ。東京から奄美島唄専門レーベルの"JABARA"代表の森田純一氏と会っていました。いまは廃業している奄美のレコード会社に眠っていた録音済みオープンリールを一挙に引き受けたとのこと。ところが、保存していた部屋が摂氏50度にもなる高温であったために、果たして音がちゃんと再生されるのかどうか疑問であるとのことです。しかし、これは貴重な音源です。島唄ファンにとっても、垂涎の的です。なんとか再生していただきたいものです。
本当は、森田氏をIKさんに引き合わせようと思ったのですが、IKさんがどうしてか携帯の連絡が付かず、店に連絡しても梨のつぶて。困ってしまいました。
それで、森田さんと一緒に、同じ尼崎・大物にある「スナック朝花」へ行き、森俊光さん夫婦の島唄を聞いていました。この夫婦の島唄がいいのです。もちろん、FMわぃわぃにも出演していただいたことがあります。
1687……7月24日(土)
昼、『A』という俳句雑誌の前衛俳句に関する座談会に参加。このために今朝も午前5時に起床。ところが午後7時を過ぎると、冷房をしなくてはいられない温度に。眠さをこらえながら、与えられた膨大な資料と最後の格闘。座談会で発言するための自分の言葉も、パソコンで打ち込み、プリントアウトしてみるとA4判10枚ほどの分量に。
会場は、大阪堂島の電気会館。昭和モダニズムを感じさせる優雅な建物です。こういう歴史的建造物の中で座談会をするのも快感です。
1時間で終了の予定が結局3時間の予定に。筆者はだいたい予定していた発言内容を話したのですが、これから原稿にしていくのが、大変です。でも大量の資料と格闘するのも今日でおしまい。ホッとするのが本音なのですが、これからせっかく読み込んだ資料をどのように自分の表現、評論にしていくかが、楽しみであり、課題なのです。
1686……7月23日(金)
神戸日西協会の年次総会。筆者は理事を務めているので、理事会から参加。懐かしい顔に一年ぶりに会って、やあやあと旧交を温め会いました。年総会の会場は、神戸国際会館11Fの空中庭園のあるレストラン。
隣りに座った人が、イギリス産業革命時に発展した企業研究をしている若き学究。あの当時はイギリスがまだイギリスらしくあった時代なのでしょうか。その研究者と、イギリスの(暴力性を伴った)輸出商品である国民国家について意見交換。考えてみれば、イギリスの国民国家形成は、いつのまにか成立していたのが、正直な感想です。
いまや、英米的な価値観/グローバルスタンダードが、世界中を席巻していますが、当のイギリス経済研究者はどう思っているのか、意見交換できたのは、筆者にしって収穫でした。会が終わってから、空中庭園から眺めた月があまりにも見事だったので、ある人に携帯から電話。留守番機能だったので、短いメッセージを入れて、カルメンに戻ったのです。
1685……7月22日(木)
いやあ大変です。夜は早く寝て、早朝に起きます。午前5時前に起きるとまず聞こえてくるのは、ヒグラシの"カナカナカナ"。なんとも幽玄な響きです。そして小鳥たちのチュンチュン。ヒグラシの方が早起きんなんです。そして午前6時前になって、シャワシヤヲシャワの大合唱。夏に限っては、閑かな朝など望むべきもありません。でもいいですよね、生命たちが、精一杯"生"を主張しているわけですから。筆者も、蝉たちの"生"に負けるわけにはいきません。朝早く起きて資料読み。朝早く起きすぎて、三畳の書斎で30分ほど寝てしまうことも。でも、猛暑続きの今年でもさすがに早朝は冷房は要りません。たいしたものです。
1684……7月21日(水)
ブラックホールに対する「出口」と言われているホワイトホールというものは、実際には見つかっていないそうです----今年もNHKラジオの「こども科学電話相談室」の放送が始まりました。カルメンは開店前の約一時間、仕事をしながらこの番組を流しています。ではブラックホールに吸い込まれてしまったらどうなるのか。答えは永遠にそこから抜け出せない、ということです。なんだか夏らしい怪談めいたこわい話です。
「地球上の生き物で一番長生きするものは」との質問に対しては、観察されているものだけですが、ゾウガメが180年生きたという記録が残っているようです。また植物ではスギ類に3000年生きている屋久スギがあります。これは環境が激変しないかぎり、"死ぬ"ことはありえません。不死の命、ヒトもスギになって光合成を行えば、永遠の命を獲得できるのでしょうか。さらに単細胞生物では、ゾウリムシは個体としての"死"はどう区切っていいのか分からないとのこと。勝手に増殖していくし、その元になるものも、ある時間がたつと、自分が生み出した別細胞と合体するとのことです。いったい、"生きる"って何なのでしょうね。
1683……7月20日(火)
カルメンの休みの日。ひさしぶりに何もしない日です。一学期の終業式の日。次々に帰ってくる子供たちと一緒に昼ご飯をたべます。まず長男と。筆者は黒糖焼酎のロックを飲み始めます。夏になるとさすがに筆者も黒糖はロックないしは水割りにします。一年を通して、黒糖はロックか水割りしか飲まないひとが筆者の身近にいますが、この季節だけは意見が一致します。
子供たちはばたばたと忙しく、帰ってきては急いでご飯を食べ、どこかへ去っていきます。筆者は最初から最後まで食卓に座り、一人ずつ話題を替えて、語りかけます。もう気分は夏休みです。
午前中は、次男が録画してくれていたNHKTV月曜日ドラマシリーズの「妻の卒業式」第四回目を見ていました。民間局でトレンディードラマが放送される月曜日午後9時と同じ時間帯に放映されるために、「ウラ月9」と言われているようです。筆者は第一回目をたまたまチャンネルサーフィンしている時に目に留まって見続けているのですが、いまやはまっています。テーマは「離婚」「退職」という筆者の世代にとって深刻な内容を含んでいるだけに身につまされる番組です。
「退職」にいたる描写は、女性が書いた脚本のせいか少し甘いところがあります。長年つとめた会社であり、部長まで登りつめた自分の地位を捨てるのですから、そんなに簡単なことではない。もっとドロドロしたものがあります。また中年夫婦の「離婚」について、正面から扱った連続ドラマがそう多くないだけに、注目を集めています。来週で最終回。もちろん見る予定です。
1682……7月19日(月)
0-10。6回コールド負け。この瞬間、A君の夏は終わりました。相手はシード校でした。A君は、県立高校の野球部員。レギュラーではなく、コーチャーズ・ボックスからの参戦でした。
高校野球の県予選。3年生は敗戦の時点からクラブ活動は終了。あとはシビアな受験勉強が待っています。これから、各県の代表が決まり、その代表が甲子園球場に集うのです。A君は、筆者の友人の次男坊。友人は、息子の試合を観戦したばかりで、真っ黒に日焼けしています。ひとつの青春のおしまい。それを見届けた親父の顔にはちょっとした安堵の表情がただよっていました。
1681……7月18日(日)
筆者が去年秋にA新聞学芸欄に書いた論考が、今年春にある大学の入試問題に使われていると友人が教えてくれました。さっそく、書店へ行って、該当する大学の"赤本"を探しましたが、「今秋発売」とのことで、がっかり。どのように引用されているのか興味津々ですが、果たして、著者自身が問題に正確に答えられるでしょうか。「こういう時、著者がどう思っているのか考えてみよ」なんていう質問に筆者が考えた答えが"ペケ"だったら、どうしましょう。
どのように入試に活用されていのか分かりませんが、少なくとも筆者には現在までのところ、引用したとか、使ったとかという問い合わせは大学側から全くありません。これはA新聞が販促用に作ったと思われるパンフレット(A新聞に掲載された社説や文章がいかに大学入試などに活用されているかというもの)に載っていたことから判明したのです。なんだか狐に包まれたような感触です。
1680……7月17日(土)
昼、若者が集まる場所へ。筆者を見る視線が真剣です。こちらも朝早くから起きての準備。彼らの熱意に応えます。
終了後、M駅構内に出店していた売店で、"石垣島まんじゅう(蒸しパンに似る)"を買いました。さらにU駅である人を待っていたのですが、現れず。時間待ちをしていた場所で筆者が見たのは「鳩女」。ある女性が鳩まみれになっているのです。スーパーの袋に鳩の餌(おそらくパン)を入れていて、鳩たちに与えています。おそらく同じ場所、同じ時間にその「鳩女」は現れるのでしょう。鳩たちは、腰掛けている彼女の肩や膝に乗っておねだりします。その鳩の数たるや、尋常を越えたものです。
筆者、待ち人来たらずでがっかりして、「鳩女」をずっとながめていました。それでも時間がないので、電車に乗ってその駅を離れることにします。10分ほどたった頃、待ち人から携帯電話が入ります。なんやかやとあり、その人に三宮まで来て貰い、カルメンで会います。「鳩女」と待ち人、なんだかどこかで混線してしまいそうな。
1679……7月16日(金)
昨晩、とある人とメール交換。資料を読まなくてはと焦りつつ、送られてくるメールに日付を越えて反応してしまいまた。何回かのメール交換の結果は、言い合いに近い形に。相手が短くインパクトの強い言葉を書いてきて、ムカッ。怒りを抑えつつ、最後のメールを送ったのが午前2時。時間的、雰囲気的に返信メールは来ないだろうと分かっていたのですが、むかつきが止まらず資料を読み込むどころではありませんでした。「なんだい、こんちくしょう」。1678……7月15日(木)
資料を読まなくてはなりません。期限は一週間なのですが、そうとう根を詰めないと難しい。単行本で4〜5冊分の分量です。次のカルメン休みの日に集中して読むことにしましょう。
資料を読むだけではなく、こちらもインターネット検索などで、裏をとらなくてはなりません。最近、拙宅は、常時接続の光ファイバーにしているので、こういう時は威力を発揮します。
1677……7月14日(水)
みなさん、突然ですが、愛されていますか。家族から、好きな人から、親から、友人たちから。
「愛しているけど愛されていない」----ふと浮かんだフレーズです。
でも分からないものですね。愛されていても気づかないこともある。自分が思いもよらぬ人から、同じフレーズ(愛しているけど(あなたから)愛されていない)と宣告されても、とまどうばかりなのです。
〈愛は残酷〉----なのでしょうか。
1676……7月13日(火)
朝起きて、メールチェック。相変わらず中国からの迷惑メールが多い。二通ほど返信を書く。朝日新聞朝刊に、松岡正剛氏が1000冊の書評をネット日誌で完成させたとの記事。そういえば、筆者の友人(兵庫県庁職員)にも、おどろくべき数の書評を"まぐまぐ"などで配信している人がいます。その人は主に思想・評論系に特化していますが、松岡氏は、「高等雑学」なので、もっと多ジャンルなのでしょう。同じ朝日の紙面に大江健三郎氏が書いた武満徹氏についての回顧話。死去してからも、作品のCD化や演奏会の開催などいまだ人々を魅了しつづけます。音楽の専門教育を受けずに作曲家になった武満氏の作曲に向く自在な態度は、いまも新鮮です。いい仕事を残すということはこういうことなのですね。
1675……7月12日(月)
ほとんど寝ずに昨日の奄美民謡伝統芸能保存会のMDを編集していました。ああ眠い。打ち合わせをする必要から、いつもより早くFMわぃわぃへ。今日の放送は、二組のゲストが予定されています。なので、局スタッフに頼んで、番組を30分延長してもらって90分番組になりました。
まず最初のゲストは、カリンバ1551というサルサ・バンドを結成しているアントニオ新垣さん。ペルー生まれで親は沖縄出身。アルベルト城間のバンドボーイをするためにペルーから沖縄に移り住み、みずからサルサ・バンドを結成。沖縄の島唄もサルサのリズムに乗せてのりまくっているというバンドです。
スペイン語とウチナーグチ、日本語のチャンポンで番組が進行。続いてのゲストは、奄美歌謡の研究者である酒井さんと、島添さん。保存会のシマウタを聞きながら、そのシマウタが歌われた背景。歌詞の異同など解説してくれました。
番組はゲストのみなさんの元気にひっぱってもらってなんとか無事終了。わぃわぃの日比野さんから「憔悴しきってきすよ」と言われてしまいました。ゲストの二人を三宮駅まで送って解散。拙宅に帰り、午睡しました。
1674……7月11日(日)
尼崎で開かれた奄美民謡伝統芸能保存会の様子を、FMわぃわぃ用に録音するために会場に。一年に一回のこの会は、関西在住の唄者のみなさんの晴れ舞台。第21回にして初めて沖永良部のシマウタが紹介されました(沖永良部のウドゥイは前回出演済み)。これで(与論島が欠けているものの)、奄美の多様なシマウタの姿がようやく、出身者の手によって揃い踏みしたというわけです。午後10時から午後5時までという長丁場になるので、録音の世話はYYさんに任せて、筆者は午後1時に中座。急いで阪神電車の特急に乗って、新開地の神戸アートビレッジへ。姪っ子が出演する"インフィニット・ガーデン"という劇団の演劇を鑑賞しました。この劇団、筆者のような世代の違う観客にもある程度の敷衍性を持つ、実力派集団です。今回のテーマは、日常生活がループしていくこと。そこに気づくのですが、なかなか抜け出せないというミステリアスな内容です。
劇が終わって、カルメンへ。働いて、再び尼崎へおもむき、打ち上げの飲み会へ。保存会の人たちに声をかけたり、ネットで知らせたので、会場の「来るだんど」は、筆者が奄美島唄の掲示板に知らせたこともあって、満員の状態でした。盛り上がって、たくさん飲んで、たくさんしゃべって、疲れました。途中、人物紹介などで、筆者が仕切ってまた大騒ぎです。
1673……7月10日(土)
夜中に多くの雨。朝まで少し雨が降っていました。こうも暑くなると、生ビールがおいしく感じます。まずはよく冷えたビールで喉をうるおした後には、白ワインがおいしでしょう。夏にしか登場しない"トマトのサラダ"や"トマトとチーズのオーブン焼き"も注目の的です(いずれも税込み¥1050)。
気のあった友人同士で、冷房のよく効いたカルメンで、生ビールや白ワインを呑みながら語り合うのは、人生の悦びとするところでしょう。
1672……7月9日(金)
テロの恐怖についてです。思いおこせば、今年3月のスペイン総選挙の前日、マドリード周辺で同時爆発テロが起こり、事前調査で優勢に立っていた保守政党が敗北したのです。参議院選挙まであと2日。テロは起こらないでしょうか。テロリストたちは、スペインでその威力を学習しています。
テロの標的になるのは、首都・東京でしょう。政治的、心理的効果を狙うには、この都市しかありません。曽我ひとみさんのインドネシアでの家族再会の喜びも吹っ飛んでしまうでしょう。
1671……7月8日(木)
プロ野球の話をしなくてはならないでしょう。昨夜、オーナー会議が開かれ、オリックスと近鉄の合併話が基本的に了承されたことを初めとして、パリーグにもう一組合併の話が進んでいることが話題となりました。これが大きな衝撃を呼び、来シーズンは一挙に1リーグ化へ進みそうです。
この合併話のおかげで、近鉄を買収しようとしたネット企業の話題は吹っ飛んでしまった感があります。オーナー会議で"天皇"のように振る舞う渡辺・巨人オーナーは、10チームになれば、東西に分けるとなどを提案しています。東西に分けると、巨人戦がなくなるチームも発生するわけで、これもひとつの彼一流の揺さぶりのように感じます。
少なくとも言い得るのは、現今の合併、1リーグ化は、ファンを無視した動きであることです。年間40億円の赤字を出す球団経営は、所有企業にとって大きな重荷です。宣伝効果としての旨みも減っています。いま、日本経済は、復調の最終局面に入ったと日銀総裁は言っていますが、果たしてそうでしょうか。カルメンのように一般消費者動向とリンクする業界では、一向に消費回復の実を感じることは出来ません。むしろ悪化しているような数字さえ出ることもあります。
球団合併となれば、多くの球団職員、関連企業の倒産、球場周辺の地域経済への影響が大きな影を落とすことになるでしょう。まだまだ経済の不安要因は減っていっていません。
1670……7月7日(水)
最近、身体のほてりが止まりません。
つまり体温がいつになく高いのか、筆者にしては珍しく冷房をほしがります。今年は珍しく七夕の日なのに晴れています。外は夏空です(午後2時20分)。
この夏に向けて、友人たちの個展が開かれます。二つほど紹介しましょう。
(1)ガラス工芸作家によるグループ展/18日(日)まで、神戸・北野坂にある「ギャラリー北野坂」(078-222-5517)で「Glass Woeks+1」が開かれます。これは、カルメンに以前アルバイトとして働いていた夛田麻里さん(ガラス工芸)と、その妹・夛田真弓さん(陶芸)の作品も含まれます。最近、このガラス工芸で、女性作家のめざましい活躍が目立っています。オブジェっぽい作品が多く、筆者のお好みです。
(2)もうひとつは、「野口毅/色と遊ぶ展」。14歳の毅くんが、自在に書いた絵がいいのです。「自閉症」を乗り越えて、絵を描くことの楽しさを知った悦びが作品の中に溢れています。筆者と、毅くんの両親は知人の関係。カルメンにも食べに来てくれます。北野坂の「ギャラリー・ミウラ」(078-391-2665)で8月3日(火)から同8日(日)まで開催します。連絡先は、野口氏(078-592-6589)でも大丈夫です。
1669……7月6日(火)
フラメンコのカンテ(唄)を中心としたライブが、8月8日(日)に、神戸・北野の「T2楽屋」というライブハウスで行われます。もともとフラメンコは、バイレよりカンテが重要視されているのですが、このJaponにおいてはどちらかというと、バイレにスポットが当たりがちです。こうした傾向に対して、最近少しずつカンテ中心のフラメンコ・ライブが企画されるようになってきたのは、注目すべきでしょう。
日時/8月8日(日)午後5時30分開場 午後6時開演
場所/神戸・北野 ライブハウス T2楽屋(078-242-5888)神戸市中央区山本通2-8-15ローズガーデン2F
料金/前売 4000円 当日 4500円
出演/カンテ 志水誠 ギターラ 俵英三、東勇人 パルマス 二宮光彦
チケット申し込み・問い合わせ/志水(080-3762-9166)
1668……7月5日(月)
今回のFMわぃわぃ「南の風」は、放送準備が大幅に遅れて、朝起きてから焦っていました。今日の特集は、今年1月に筆者が徳之島で収録してきた唄5曲です。伊仙町目手久集落の島唄を、幸山忠重さん、幸山忠蔵さんの従兄弟のお二人に唄っていただいたものです。このとき、セントラル楽器の指宿邦彦氏も参加していました。
徳之島の島唄は、奄美大島のものに較べると、シンプルで、技巧的に凝っているとは言えません。しかしその分、心にストレートに響く曲が多く、いい唄が多いのです。この島の島唄は奥深く、深みがある曲が多いのです。今後も引き続いて、収録したいと思っています。
番組終了後、三ノ宮に寄り、電気店(Joshin)へ。CDウォークマンを新たに購入して、再び山の方向に向かいます。
向かった先は、島田ギャラリー。島田誠氏がオーナーです。この人、いまや神戸文化人の顔的存在です。このギャラリーで展開されている個展の数々は、島田氏の個性そのものが出たユニークな企画が多いのです。今回の武内ヒロクニ氏の個展もそうでしょう。色鉛筆で書いた作品群は独自のアニミズム的世界を展開させています。
筆者は、そこで赤ワインを一本持ち込み、ちびりちびりとヒロクニ氏やそのパートナーの女性の人と呑み交わします。昼下がりのギャラリーで、お好みの絵画に囲まれてVinoの杯を重ねるなんて人生/生の悦びのひとつなんでしようね。
1667……7月4日(日)
とあるシンポジウムの打ち合わせのために、昼、奈良県生駒市へ。神戸からは随分と心理的距離があるのですが、JR三ノ宮から1時間20分で、東生駒駅に到着するという近さです。帰りしな、全く恥ずかしいことに黒皮靴を間違えて履いて帰ってしまったために、カルメン到着後、働いて、再びJR大阪駅にとんぼ返り。大の大人二人が、大阪駅のプラットフォームの真ん中で「いやいやどうも」といいながら、コンクリート地面に靴なしで立って、靴を履き替えるというなんともしまらないことをしていました。
まあ、せっかく大阪駅に出てきたので、尼崎経由で帰ろうと、杭瀬の「来るだんど」(奄美の島唄の店)へ。1時間ほどいて、再び大阪駅経由で神戸に帰ったのです。靴を履き間違えたことで、「来るだんど」でYYさんとも合流できたし、なんだか奇妙な縁(えにし)でした。でもきっちりと誰かに言われました「靴を履き間違えるなんて小学生のすることでしょ」と。
1666……7月3日(土)
まるで梅雨があけたような夏空が広がっています。こういう天候の時は、カルメンのガスパッチョ(¥850税込み)が最適です。
また、白ワインもこの季節のためにあるようなものです。もうすぐ別刷りのメニューが真夏用となります。
これもまたご期待ください。1665……7月2日(金)
昨晩から今朝にかけて、シャカシャカと、CDをCD-Rにコピーしていました。これは個人的に活用するものなので、著作権法に違反しないものです。コピーしている間、パソコンが使えないので、読むべき資料に目を通しています。1枚につき8分程度の間、これがなかなかに集中できるのです。筆者は、今月の末に開かれる俳句に関する公開座談会のパネラーとして指名されています。スタッフの人から多くの資料を用意していただき、それを読み込むだけで大変です。1960年代半ばに関西で発行された俳誌(前衛俳句が主)を集中してコピーされています。
神戸の文学/都市文化がどのような継承のされ方をしているのかも含めて、表現をする先輩たちが、関西/神戸というフレームで創作活動を展開してきたことを、筆者たちの世代で検証していこうとするものです。
1664……7月1日(木)
Loftに買い物に行く途中、駅からそごうに向かう横断歩道に人だかりが出来ています。小泉純一郎首相が応援演説をしにきていました。3年前に較べて人気は落ちたというものの、多くの人垣。でもなぜかヘリコプターは飛んでいませんでした(選挙で大物がやってくると、在阪マスコミ社所有のヘリコプターが何機も飛来する)。上着を脱ぎ、相変わらずの熱弁。応援演説をした候補者が森派ということもあり小泉首相も駆けつけたのでしょう。人数は減ったといわれても、やはり人気はあります。小泉首相が手を振ると、それに応える女性の多いこと。遠目には殆ど白髪となった彼ですが、やはり"華"があります。
今日も真夏日。みなさん、そろそろ賞与が出る季節ですね。
1663……6月30日(水)
昨日、いらっしゃったお客様から一冊の歌集をいただきました。吉野節子さんの第二歌集『をみなごをみな』(ながらみ書房)です。吉野さんは何度かカルメンに来ていだいたことがあります。食事をされている間に、ざっとですが目を通させていただきました。吉野さんは、前登志夫さんが代表をつとめる「山繭」に属しておられます。前さんは筆者の大学のはるか先輩にあたります。奈良県吉野に住んでいて、週に一回大阪と奈良のカルチャーセンターで短歌講座をもたれておられます。
・死に近き一生不犯の高僧を胎蔵界へ抱き上げし女(ひと)
大きな着想の歌です。筆者がこの歌集で一番共鳴した作品。ご本人いわく「歌集に入れようかどうか迷ったが、梅原猛さんが薦めてくれました」とのこと。この歌、男では作り得ないすさまじさを漂わせています。作品集には、作者が生み出した作品を超越して、その著作をも超克するうたがあるものです。この歌がまさにそうでしょう。「一生不犯の高僧」は明恵を連想させます。死の床に着いている僧を、生と性を横溢させている女性に抱き上げられて、胎蔵界へ送り込もうとしている。戦慄していまいます。
・短歌滅亡論ゆづらぬ男(ひと)に酒注げばたちまち酔ひて崩れけるかも
最初、酒を呑ませた男は、「短歌抒情論」を戦後すぐに展開した詩人の小野十三郎氏のことかと思い、びっくりしてしまいましたが、本人に聞くと違うとのこと。しかし、小野氏を連想しても通ってしまうでしょう。「たちまち酔ひて崩れけるかも」に込められた歌人ならではの嫌悪感。
・一山の僧に囲まれて月の下うたひ出づるよ髪梳きながら
・洗ひ髪嬲りて過ぎしあおあらし朴の若葉も揺さぶりおらむ女性歌人が作品中、「髪」という象徴的なタームを効果的に使うのを見ていると、それだけで男性である筆者は、分け入る事の出来ない異性のセクシュアリティの彼岸性を感得してしまうのです。僧という男たちに囲まれていることを十分に意識しながら、髪を梳くという女であることの極め付きの自己表現を歌い込んでいるというすさまじさ。髪を洗うという行為もまた両性に共通の行為でありながら、意味性の差異は相当な開きがあります。
・わが産みし虹かも知れず雨上がりに虹の肌(はだへ)の勘太郎跨ぐ
・並み坐る恋人四、五人 をさなごが這ひ寄りし男(ひと)を父と決めしと産む性である女性をテーマにした作品。「わが産みし虹かも知れず」なんていう表現は、男性である筆者は思いも寄らぬ表現です。ここだけでも「参った」と言わざるを得ません。ちなみに「勘太郎」とは、吉野さんの出自の地・高知県にいるオオミミズだそうです。そして「恋人」という名で侍らせている男ども。産むという行為を、逆転させて、まぐわった「恋人」たちを"をさなご"によって選択してしまおうという主体性。いやあ、すごい作品です。
1662……6月29日(火)
数えてみれば25年。今朝、自動かみそりの刃の部分が破れているのを発見して、星電社にさっそく買い換えに行ったのですが、2年前に生産停止されているとのこと。筆者が使っているのは、BROWNのシンクロンスタートというドイツ製です。これは筆者が大学を卒業して就職する時の祝いに、初代(父)が買い与えてくれたものです。以来、四半世紀にわたって、使い続けてきました。最近は、少しモーターのかかりが悪くなっていたものの、部品さえあればあと何年でも使い続けることが出来たはずです。時々、高校三年生の長男もブゴーンという大きなモーター音をたてて、髭を剃っています。
まだ使いたいのですが、部品がないというのなら仕方ありません。25年というとまだ"Made In WestGerman" と言われていた時代です。ドイツ製の工業用品に対するゆるぎない信頼がJaponの人たちにも共有されていました。最近では、そのドイツ製品の信頼と技術力が往年に較べて落ちているとも聞きます。初代(父)が強い疑問と不信感を抱いていた日本製品もこの四半世紀で大きく評価が変わりました。
ドイツ製の車は、日本製の車にくらべて新車でもよく故障すると言われます。しかし、日本車はある耐用年数をすぎて故障すると、連鎖的にまるで全体がガン細胞に冒されているかごとくがたが来るのに較べて、ドイツ車はあいかわらず少しずつ故障はするものの、メンテナンスをしっかれしていれば何年も持つと言われています。これはいずれも"神話"に近いものですが、なるほどと思わせることでもあります。
1661……6月28日(月)
カルメンの定休日。今日は、FMわぃわぃの放送もなし。
映画を観にいきました。『白いカラス』(ロバート・ベントン監督)。筆者には珍しくアメリカ映画です。
でも面白かった。ユダヤ人作家フィリップ・ロスの原作。ベテラン作家が紡ぎだした重厚なテーマを扱っています。人種差別と、クリントン大統領時代の「言葉狩り」。
映画の中で、明らかにフィリップ・ロスの分身と思われる森に隠棲するユダヤ人作家がいます。変な話なのですが、この作家を演じるゲーリー・シニーズの深刻ぶった顔つきが気に入っています。こんな顔になりたいのですが、無い物ねだりは分かっているのです。ちょうど筆者と同年齢の人。
映画はやっぱりいいなあ。
帰宅後、感想をまとめてある人に向けて手紙にしたためました。1660……6月27日(日)
昼、定型詩作家のあつまる会へ。大阪で隔月に開かれているこの会は、少しずつ参加人数が増えて、30人近くになっています。短歌、俳句、川柳、自由律など多様なジャンルの作家たちが集まります。
そののち、この会に参加していたAKさんが、短詩集(俳句と短歌)を出版したことを祝う会に少しだけ参加しました。このAKさんは、短歌や俳句はかくあるべしという予見のないひとで、それだけ個々の作品が自在で刺激に富むのです。
会を途中で抜け出し、カルメンに帰るために、大慌てでJRに乗り、三ノ宮駅に着き、降りようとドア近くに立っていると、高砂在住の元正章牧師とばったり。こんな偶然は万に一つの確率だと再会を悦び、カルメンへ招きよせました。筆者を待っていたのは、FMわぃわぃを運営する日比野・吉富夫婦です。今日が結婚8年目ということで、カルメンで祝ってくれました。そこに元牧師と筆者が加わり、歓談したのです。
その席の近くでもう一人、筆者の知り合いが。筆者と同年齢のMさん。カルメンの近くでスナックを経営している女性です。同世代のよしみで、大学の同窓生などを連れて行くのです。友だちの友だちは友だち。Mさんを先の三人に紹介しました。さらに遅くにYYさんも。前髪を少し切ってボーイッシュに。"でこ"(関西の表現でしょうか、"おでこ"の省略形でありかつ、額が広い人を形容する場合も使います)がかわいい人です。
1659……6月26日(土)
人生いろいろ、という言葉。いま小泉首相が国会答弁で使って意味が軽くなっています。
島倉千代子が歌った同名曲で知られています。この歌の面白さは、演歌歌手の島倉千代子が、演歌を乗り越えた境地を開拓したという意味で、演歌ファンばかりではなく、多くのファンを獲得したことです。
1658……6月25日(金)
雨がお客様を呼ぶということもあるのです。今日は典型的な梅雨日和。雨がやむ気配はありません。
そんな日でも、お客様が多い日があります。それは雨が人を連れてきた、と言えば納得してしまう雰囲気があります。昼間に来られた6人ずれのお客様は、東京から。神戸で乗ったタクシーの運転手の人から、カルメンを紹介されたというのです。こういう経路で時々お客様がいらっしゃいます。ありがたいことです。地元のタクシーの運転手のみなさんにも感謝しましょう。
1657……6月24日(木)
朝、さっそく拙宅近くの掲示板に参議院選挙のポスターが貼ってありました。これから7月11日までの間、選挙戦が繰り広げられます。本日、運転免許の更新。JR伊丹駅の運転免許センターまで行って来ました。明石しかない時は、半日仕事でした。伊丹にも出来てずいぶん便利になりました。
今日は店に寄らずに、直接、伊丹に行ったので、出かける前にインターネットで調べものをする余裕がありました。その時おもわず読み込んでしまったのが「沖縄へ移住したい人のための支援サイト」。ホームページを立ち上げているのは、東京出身の30代男性と思われる人で、ただひたすら沖縄へ移住することを計画しています。筆者がこのサイトに行き着いたのが、"カマナイア"という語句を検索エンジンで探していて「途中下車」してしまったのです。
"カマナイア"とは、ハワイ語で「土地っ子」という意味。沖縄でいえばウチナー。奄美ではシマンチュといったところでしょうか(なぜこの語句かというのは後日)。このサイトを運営する男性は、もともとハワイ・フリークスで移住を希望していたのですが、アメリカ合衆国への移民基準がきつく、夢をあきらめかけていた時に訪れた沖縄にぞっこん惚れてしまって、沖縄へ移住することに変えたようです。
筆者は、筆者なりに沖縄・奄美にかかわって永いのですが、今のところ沖縄に移住しようと思っていません。これを聞いたら、ウチナーの知人・友人たちは怒りそうですが。でも、東京の人たちが憧れる沖縄の人と人との距離の短さ/気安さなら、関西社会で十分ですし、ウチナータイム・テーゲー、シマ時間・テゲテゲなら、ヤマトに住んでいたって、充分にウチナーンチュ/シマンチュしている人(ヤマトンチュも当然含む)はいるので、そう感激しません。
このサイトを見ていると、憧れて沖縄に移住したものの、ヤマトゥに舞い戻ってくる人も少なくないと見受けます。沖縄では本土出身者はナイチャーと呼ばれます。ナイチャーはあくまでもナイチャー。そう割り切って生活出来ていればいいのですが、憧れて移住した分、生活者として実際暮らしてみると、沖縄社会に溶け込めない現実に落胆してしまう度合いも深いのかもしれません。
この「沖縄へ移住したい人のための支援サイト」を運営している某氏、めでたく沖縄移住を果たしたようでずが、移住後、どうなったのか、どうしているのか、そこんところが書いていない(発見できない)のが気がかりです。
1656……6月23日(水)
1945年のこの日、沖縄において旧日本軍が米軍に対する組織抵抗を終息させました。いわゆる沖縄慰霊の日(沖縄忌)。先の大戦において唯一の地上戦を経験し、敗戦後も基地建設による強制的な土地収容などで、沖縄の苦難は続きます。阪神大震災もそうですが、事が起こってから立ち直るまでが大変なのです。なかなか立ち直れない。神戸も9年たった今も、まだ経済不況で苦しんでいるのですから、沖縄の苦難は深く永かったのでしょう。米国は自国の将兵を犠牲にして占領した地に対して、好き放題をする国家です。
来年で敗戦から60年。すいぶん年月がたったものです。でもこの60年ということ、考えてみると、筆者の友人・知人で60年も生きずに鬼籍に入ってしまう人がこのところ増えています。いわゆる"団塊の世代"の人たち。この世代、人数も多ければ、途中で生をリタイアする人も多い。夏は生(者)と死(者)がより身近に同居する季節でもあります。
1655……6月22日(火)
兵庫県参議院選挙に、かつて公明党から出馬して、議席を得ていたKK氏が、党の推薦とは関係なしに立候補すると発表しています。兵庫県に3議席あった時は、公明党も議席を取ることもありましたが、2議席となった今は、公明党が選挙区で議席を取るのは難しいのです。3議席の大阪なら盤石の強さを発揮します。このKK氏、議員時代、女性に対してセクハラをしたということで、その女性から訴えられて、裁判となり、そのことが大きな原因となって、議員を辞めたのです。今回の出馬に関しては、公明党内部からも疑問視されているようです。鉄の結束を誇る創価学会も、原因がセクハラとなれば、選挙の実働部隊である婦人部、青年部の人たちも動きにくいでしょう。
でも、なぜ今となって、KK氏が出馬表明したのかわかりずらいところです。一人で決めたことなのでしょうか。それとも背後に、学会上層部の思惑が働いているのでしょうか。セクハラは許すことの出来ない行為ですが、KK氏は豪放磊落な性格の人です。選挙活動でどのような政策を訴えるのか興味があります。
1654……6月21日(月)
カルメンの定休日。台風6号が兵庫県南部を直撃しました。
明石に上陸している頃、筆者はずぶ濡れになりながら、FMわぃわぃのあるJR鷹取駅に向かいます。いつもより早く出て、幸い事故なく到着しました。勢いよく降る雨をみながら、奄美はもっとすごいだろうなと思っていた次第です。本日の「南の風」奄美篇は、森山ユリ子さんの特集です。中堅の唄者として活躍している人で、奄美大島龍郷町出身。三線と囃子を担当するのは、やはり同町出身の福山幸司さん。筆者と同年齢です。お二人とも、南海日日新聞などが主催する「奄美民謡大賞」の新人賞・大賞をそれぞれ受賞している実力の持ち主です。
福山さんは、松山美枝子さんとも組むこともある、今やカサン唄の中堅として、大活躍の唄者の人です。仕事は大島紬の泥染めをするなど、生活すべてが奄美と共にある人です。こういう人が、奄美のこれからの島唄を作っていくのでしょうね。
「奄美ひと口情報コーナー」では、13日の国立民族学博物館で行われた出張放送でその前半を流したアイヌ語放送局FMピパウシの萱野志朗さんとの電話インタビューを流しました。面白い話でしたので、いずれ紹介しましょう。
放送が終わると、雨は収まっているのですが、「返し風」(沖縄では"ケーシ風")が吹きます。この返し風がなかなかにくせ者で、被害をもたらすこともあるのです。JR鷹取駅に着いてみると、この駅には止まらない快速電車が停車しています。なんでも須磨駅でトタン板が飛んできたということで、全電車がストップ。快速でも臨時停車している時は、一つの車両にひとつだけドアを開けるのですね。
20分ほどブラットホームで待ちぼうけをくらって、ようやく乗車。神戸駅と三宮駅に下車して、パソコン屋と本屋に寄って帰宅しました。
1653……6月20日(日)
昨日、若者が多く集まる場所へ。拙宅の食堂の冷房が故障。筆者以外は異常なほどに冷房好き。隣のリビングの冷房をかけているものの、冷えたりないので「暑い、暑い」と言っています。一番の暑がりは娘。タンクトップを着て(今年の小学生女児に流行っている)肌を晒しながらも暑がっているのですから、救いはありません。
かたや筆者は、背広姿で出勤します。真夏でも長袖です。土日祝日は特に同世代の男性たちが、涼しげな半袖姿で電車に乗り込んでいる姿を見ると、筆者との違いが際だちます。
現在、大型の台風6号が沖縄・奄美地域を通過中。名瀬、沖永良部で風速30メートル以上を観測、両島の約30%の所帯が停電している模様です。
1653……6月19日(土)
微妙な差があります。お世話になった人に雑貨を贈ろうと、三宮周辺の女性向けの品揃えに熱心な店舗を考えながら、歩き回っていました。
"Sony Plaza"ほど子供っぽくない、年齢的には"Loft"でもいのですが、ちょっとPopすぎる。その人、神戸の人ではないのですが、シンプルな色彩・形状の服を上手に着重ねる神戸っ子のようなセンスの持ち主です。かたや"東急ハンズ"のようにDIYっぽい(手作りっぽい)感じでもない。そして"クロワッサンの店"ほど行き着いていない、というか色が着いていない。
ということで選んだ店が"無印良品"でした。生成りの商品を豊富に揃えているその感じが筆者が思うその人のイメージ。小品ですが、購入してさっそくプレゼントしました。果たして悦んでくれているのかどうか、筆者には分かりません。
1652……6月18日(金)
外資系巨大CDショップの、Virgin Megastore 神戸店が今月27日(日)をもって店じまいしのす。かつては、品揃えにおいて神戸地区では群を抜いていて、カルメンもずいぶんスペインポップスでお世話になりました。同店で売れた輸入盤CDの売れ行きが好調で、国内発売になったスペイン系アルバムもいくつかあると聞いていました。
最近のCDショップでは試聴コーナーがあり、実際に自分の耳で確かめて購買することが出来るという利点があのます。LP時代は、アルバムジャケットのデザインと、ライナーノーツの文章で選ばざるを得ず、まるで禅僧のようにジャケットを見つめていたものです。そしてレジで、店員がLP判のそりや傷を宝石鑑定士のような慎重な検品にLPを買うんだという仰々しい通過儀礼もあったことを懐かしむのです。
Virgin Megastore が閉店に追い込まれたのは、CDを購入する若者層が携帯電話にお金をかけて、CDを買わなくなったことと、三宮のより中心部に、同じく外資系巨大CDショップのHMVが進出したことが大きな痛手となりました。 HMVの店舗面積はVirginに較べて広くないものの、生演奏を積極的に展開したり(かつて元ちとせもやってきた)、割引き商品を拡大するなどして、短時間のうちに来客者数を増やしていきました。
ある時、気づいてみると、HMVの店舗に活気がみなぎり、Virginと差がついてしまっていたのです。一度できてしまった差は広がるばかりです。神戸という商圏の規模、あるいは不況という経済情勢の中で、棲み分けができなかった現実が突きつけられたといっていいでしょう。
1651……6月17日(木)
国会で教育基本法をいじろうとしています。その眼目のひとつが「国を愛する心」を入れるかどうか。社説を読む限り、朝日と読売は全く正反対のことを主張しています。朝日が先行して、今日、読売もメンツまるだしで、反論しています。読売の論調はともかく国家主義の匂いがします。それも19世紀的な国民国家かくあるべしという、頑迷さです。「愛国心の涵養と国家主義とはまったく別の問題なのだ」と論説氏は述べていますが、果たして読売は、これまで国家主義と愛国心と峻別して言説化してきたのでしょうか。筆者は大きな疑問を持ちます。国家主義者の陥穽は、国を愛する心の無垢さを強調するあまり、その内容・資質について詳述しない傾向にあるということです。「「国を愛する心」は、現行の学習指導要領にも明記されている」と書いていますが、そういう"事実"をあげつらうこと自体、ジャーナリストとしての批判精神を自ら封じ込めるようなものです。
国家を論じることは大切なことです。ただ、国家なるものを国家主義者の"玩具"としてしまうことの危険は認識しなければなりません。時代は変わりました。かつてのごりごりのマルキストなら、(資本主義的)国家を論じること自体、思想的敗北であったのですが、彼らは思想の表舞台から退場していきました。いま元気な国家主義者たちは、左右対立が激しかった自らの言説をどれだけ思想的に練り上げているのでしょう。かれらこそマルキストと同罪のごりごりの近代主義者なのです。
1650……6月16日(水)
来月に迫った参議院議員選挙。兵庫選挙区から、筆者の友人が出馬します。保守系の会派に属している筆者と同年齢の前県会議員です。非常に優秀な男で、国会議員になる資格は十分にあると思っています。しかし、筆者は、その候補者が属している保守系会派が嫌いなので、票をいれることはありません。
もうひとりの知人について語りましょう。大学の先輩です。知人が代表をつとめ、全国区のみの出馬かと思われます。かつては「新右翼」と形容された団体です。一度しか会ったことがないのですが、筆者がかかわった勉強会に来てもらったことがあるので印象は強烈です。以後、賀状のやりとりはしています。平成の世になって、「新右翼」の人たちがどのような主張を持っているのか、仄聞にして知りません。これだけJaponがアジアに、世界に開かれた今、民族主義者は何を訴えようとしているのでしょう。
1649……6月15日(火)
野球の話です。わがオリックスと大阪近鉄バッファローズが合併するということです。
なんだ、という大きな落胆。赤字のプロ野球球団を維持するのに、年間10億円の補填をし続けなくてはならない事情があります。球団経営で、黒字を出しているのは、巨人や阪神といったごく一部の人気球団のみという現実。企業の業績が上向いているというマクロな現状とは違い、実体経済はまだまだリストラ圧力が弱まっていないのではないでしょうか。
球団がひとつ減ると、多くの雇用が奪われ、それでなくても元気のない関西経済がまたモチベーションが下がってしまう恐れがあります。
経営も人気も「ひとり勝ち」している巨人がいまなんとなく悪い意味で注目されていますが、残りの球団を含めてファンに対して納得のいく姿勢を示さないと、プロ野球そのものが見放されてしまいます。
もともとオリックスが球団を持ったのは、明確な企業戦略に基づいているもので、神戸の市民球団として育てようという姿勢が見られませんでした。ビジネスのひとつの駒として位置づけていることは、ファンなら気づいています。
これでアテネオリンピックで好成績を残せないとすると、野球そのものの人気が一挙に下降して、地域に根付いたクラブ・チームとして足腰を鍛えているサッカーに人気を奪われかねません。
1648……6月14日(月)
本日は、カルメンの定休日。昨日の疲れで、一日休養にあてました。
「祭りの後」の虚脱感と申しましょうか、マブイ(魂)がひとつふたつ落ちてしまったような放心状態です。昨日は父親参観日だったのですが、放送のために出席できず、そのかわり代休となっている娘を連れて昼ご飯を食べに行きました。
帰宅して、FMわぃわぃの昨日の再放送を聞きました。自分の放送を(インターネット)ラジオ局で聴くというのも、なんだか妙な気分です。
大きなイベントが終わった後の爽快感と徒労感に支配されています。
1647……6月13日(日)
国立民族学博物館で開催されている「多みんぞくニホン」展に、FMわぃわぃの出張ブースがあり、筆者が担当している「南の風」が本日正午から2時間の特別番組をしました。これは、8言語で放送しているFMわぃわぃが、3月末から、毎週各国語放送を行っている一貫として、日曜日正午から放送をおこなっているものです。「南の風」に関係する沖縄・奄美関係の展示はないものの、FMわぃわぃの長寿番組のひとつとして、参加することが出来ました。
最初、沖永良部の出身の唄者も予定していたのですが、かなわず、徳之島、喜界島、奄美大島の三つの島の出身者の唄者に登場してもらいました。
いつも「南の風」は生放送なのですが、やはりスタジオを出ての放送となると、緊張感の度合いが全く違います。なにせ筆者が番組進行全体とタイムキープなどすべて仕切らなくてはいけないので、一瞬のスキも見せることは出来ません。FMわぃわぃのスタッフの方々は本当によくやっていだきました。
今日ほどラジオ番組というのは、多くのスタッフに支えられて出来ているのだということを実感した日はありません。また、今日の番組のために駆けつけてくれたY・Yさんにはお世話になりました。自ら島唄を演奏する彼女には、私と演奏者や局スタッフとの橋渡し役をしてもらったのです。彼女がいなかったら、と思うとゾッとします。
番組終了後、カルメンに帰って仕事。さらに夜には、出演者の一人である勝島伊都子さんが経営する尼崎の島唄の店で打ち上げをしました。この時の焼酎のおいしかったこと。
今日の番組を立ち上げたり、うまく進行したりするのに、多大な時間と情熱をかけました。終わって、そうとう疲れたのですが、またこういう機会があれば、奄美の島唄の素晴らしさを多くのみなさんの前にアプローチしていきたいと思っています。
1646……6月12日(土)
梅雨らしい日々が続きます。10日、奄美大島に住む元道之島社の藤井勇夫氏が亡くなりました。59歳。膵臓ガンでした。かつて鹿児島で道之島社という出版社を経営していました。『シマヌジュウリ』という奄美料理書や『奄美島唄集成』などを出していました。残念ながら資金繰りの悪化で出版活動は停止しましたが、近年は故郷の笠利町手花部で料理店を経営していたのです。そこは梁山泊のように雰囲気で、いつも若い食客が何人かいて、そうした環境を許容している肝っ玉の大きい人でした。これは、学生運動や、会社倒産という人生の辛酸をなめた藤井さんだからこそ作れたものなのでしょう(筆者の息子も行かせようと思っていただけに残念です)。
藤井さんは「三七(みな)の会」という会の代表です。これは旧暦の三月七日に、薩摩軍が琉球国に軍事侵略して(1609年)、初めて、奄美地元軍(当時、奄美は琉球国の領土だった)と薩摩軍が戦闘を交えた日です(ちなみに戦闘は、奄美地元軍も奮闘したのですが、なにせ薩摩軍は戦国の世を乗り切った歴戦の正規軍。しかも鉄砲という当時の最新ハイテク武器を持っているので、簡単に制圧されてしまいました)。戦闘のあった場所は、藤井さんの住む笠利町手花部集落の近くの津代という場所。1999年(薩摩侵略から390年後)から、旧暦の3月7日に会わせて慰霊祭を行っています。
こうした慰霊祭をするのは、2009年(薩摩侵略から400年後)に向けて、ヤマトにからめとられてきたて400年の来し方を総括し、これからの奄美の姿を構築していこうとするものです。その09年を迎えずして生を終えようとは、さぞかし無念だったでしょう。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
1645……6月11日(金)
午前9時40分、FMわぃわぃに入り、録音取り。これは13日に国立民族学博物館で「南の風」が出張放送する際に、アイヌ語放送をしている北海道・二風谷のFMピパウシの萱野志郎さんの話を放送するために収録したものです。電話で10分ほど話しました。志郎さんの父は、かの有名な萱野茂さん。社民党の参議院議員として一期6年つとめ、アイヌ民族を対象とした「北海道旧土人法」の全面改訂に取り組んだことで有名です。茂氏は、アイヌ民族初の国会議員として、国会で初めてアイヌ語による演説をした人でも知られています。1926年生まれのため、筆者の父(初代)と全く同年齢。志郎さんと筆者は同世代ということになります。
奄美にかかわっていると、歌の力(島唄)による文化の掘り起こしが有効であることが分かります。アイヌ民族ではどうなのでしょう。志郎さんの弁では、アイヌにも「ヤイサマ」という即興歌があって、若手がアイヌ語を駆使して表現している人がいるそうです。志郎さんに「番組でそうした若者の音楽を紹介してはどうですか」と提案してしまいました。
ひとつの民族にとって、なによりも大切なのは、自民族の言葉を守り継承することです。アイヌ民族にとっては、アイヌ語を日常言語としてきたのは、茂さんのもうひとつ上の世代になってしまっています。そして単語だけではなく、最近では、こういう場面ではこういう言い回しをかるものだというアイヌ語会話実例集も出されています。
1644……6月10日(木)
人間、進歩しないものですね。本日は筆者の49回目の誕生日。果たして去年はどのようなことをこの日誌に書いているのかと思ってみると以下の通り。「今年は少し沢山めの本を読むつもりです。主に評論/思想系の本を固め読みしようかしら。それと近々の仕事は書斎の整理です。とりわけ新聞の整理です」。
実は今年も同じことを書こうと思っていたのでびっくりしました。恥ずかしいことです。新聞を整理しているのも全く時期が一緒。1メートルぐらい積もった朝日新聞の切り抜きを始めています。最近では、省力化して、夕刊学芸欄と、日曜日の読書欄以外は、無視するようにしています。必要と思った一般記事は、朝日の場合、その都度切り抜いています。
1643……6月9日(水)
恥ずかしい話なのですが、拙宅に光ファイバーを導入したのはいいものの、業者の人にセットアップしてもらった後に、独自にもう一台の子機をセットアップしようとして、失敗。結果、無線ルーターを使えなくなり、NTTの「テレホーダイ」の契約も切れたことから、一番仕事で使う筆者の部屋のPCでインターネットはせずに、食堂に置いているiMacを借りていたのです。それを再び有償でセットアップを正常なものにしてもらうようにして、なんとかインターネットが再構築できました。
と思っていると、カルメンで使っているiBookの方がどうも調子が悪い。筆者が一番よく使うアプリケーションのQuarkXpresstが飛んでしまう。これは致命的なことです。何度か市販のユーティリティで修復を試みたものの、うまくいきません。どうも一度本格的に修理に出さなくてはならないようです。
パソコンのことは分からないことばかり。「たかが、0と1だけだろー」と叫んだことはありませんか。現状は「たかが0と1だけ」に振り回されているのです。
1642……6月8日(火)
梅雨らしい一日。なぜか早く起きてしまい、午前6時からパソコンに向かっていました。
当面、さしせまった締め切りがないので、ゆったりと画面に向かっていたのです。少し前、MDからパソコンに入力する機械を買ったのですが、まだうまくつながりません。
メールをチェック。何本か返信を書き、100Mの光ファイバーで通じているiMacから、奄美島唄のファンサイトへ。日曜日にその掲示板に書き込んだ筆者の文章に対して、2本ほど反響があったので、それに対して筆者が少し長めの返信。このサイトは、奄美の島唄に関する情報がびっくりするぐらい集まるところとしてすでに有名なのです。
1641……6月7日(月)
カルメンの定休日。「なぜ、カルメンというスペイン料理の仕事をしながら、沖縄・奄美のことにも関わっているのですか」。これは筆者のかかわる「南の風」の前に放送される正午からの情報番組に、筆者がゲストとして登場した時のDJからの質問です。「スペインも沖縄・奄美もいってみれば"ラテン"です。ラテンというのは、ひとつの文化的規範を持っています。アングロサクソン的な、つまりグローバルスタンダード的な(いまや管理社会が徹底したいまや本土・ヤマト的な)文化的規範とは一線を画したいと思っている人にとって、このラテン的規範は、もうひとつ別の(オルタネティブな)選択肢を用意してくれるのかもしれません。ただ、ラテンといっても明るい開放的な部分だけを見るだけではダメで、明るさと同時にある陰の部分を知らないと、分かったことにはならないのではないでしょうか」というのが筆者の回答です。
ゲストの次は、私がDJ席に座り、「南の風」奄美篇195回目の放送が始まります。今日は日比野純一氏ではなく、フォルクローレのギタリストであるという新人氏。緊張しているのが分かります。番組は、先日の「奄美青年の会」で出会ったネリヤ★カナヤの二人と、中(あたり)孝介くんのCDを中心に構成します。
ネリヤ★カナヤの「ほこらしゃ」の中に、奄美を感じさせるものが「イトゥ(仕事唄)」「ヌシュマイラン(何もいらない)」「ワイド節」「千鳥浜(チヂュリハマ)」「ほこらしゃ」の5曲。このうち、「ヌシュマイラン(何もいらない)」がすごい。シマユムタとヤマトグチが混ざっているのですが、唄の内容がオリジナル性が高く、しかも島唄に唄い込まれた内容も踏まえている。その歌詞は、シマ社会の表裏を知らないとかけない内容となっています。そして平田輝さんのアレンジがこれまたいい。おそらくこの曲は、ネリヤ★カナヤの奄美をテーマにしたものの中で、永く記憶される一曲になると思うのです。
この「ヌシュマイラン(何もいらない)」、番組では紹介したのはもちろんのこと。帰宅後に何度も聞き直しました。これほど何度も聞き直す曲に巡り会うのも滅多にあるものではありません。
1640……6月6日(日)
昼、連句のシンポジウム。場所は、大阪市天王寺区のアウィーナ大阪。最近、あのあたり(大阪市南部)に行くことが増えています。筆者はかつて、まだメールが普及していない時分に、"FAX連句"に参加して、うたをつなげずに挫折してしまったことが、大きなトラウマになっています。
シンポジウムで面白かったことを書き出してみましょう。
(1)まさに"座"の文芸である連句は、その楽しさは、そこに参加しないとよく分からないものです。句を重ねていく時の参加者がいだく高揚感が魅力だそうです。しかし、連句会が終わってみて、それを文字に書き残してみるとどうでしょう。その場の臨場感はなかなか伝わわりにくいものです。これは奄美のウタアシビもそう。その場でうたをやりとりする緊張感は楽しいものでずが、文字にすると伝わりにくい。ウタアシビはまだ音楽なので、どういう声質か、どのように歌い込んだかという音楽的楽しさは録音したものをリピートして聞いてみても面白いのですが。
(2)シンポジウムのパネラーの中で、川柳人と、歌人の女性の発言が興味をひきます。川柳は一句独立を前提にしているので、連句のように作品が連関していく、自分の提出句が連句という関係性の中で作用していくことの生理的反発があるようです。連句は関係性の文学です。これはきわめてポストモダン的な文芸なのかもしれません。反対に一句独立の定型詩こそ、過ぎ去りつつある近代の所産なのでしょう。近代をたっぷり吸収した世代には、一句独立は所与のものですが、これからは関係性の中で、句が語られることが多くなるのかもしれません。
(3)おなじ定型詩の不可分性について、短歌の方からも根元的な発言がありました。短歌は五七五と七七は分けることはなく、一首を一体のものと認識しているので、連句のように分節化することへの違和感が表明されました。これに対して、司会者から、古今、新古今あたりの和歌と現代短歌の相違を指摘する声もあったのですが。
(4)また、俳句の方からは、時間は多く割かれませんでしたが、五七五の句が何句か寄り集めることで"連作"の形態をとることがあることが指摘されています。これは「句集」という形態もそうだし、あるメディアに提出する作品集にもその"連作"性の気配を感じる俳句群があることは確かです。その連作に物語性を感じ取ることも可能です。もちろん、連句とちがって一人の実作者による連作集です。こうした孤的な連作と、連句の関連、個々の文学評を重ねていけば、面白いのではないでしょうか。
筆者は、連句を関係性の文学と評しました。座を組むことで、その座の一体感、高揚感を感じ取ることが出来る。東京から参加したレンキストを自認する方は、大学教員でもあり、連句に参加した学生たちが意外と"はまる"実例をあげていました。孤的な存在(近代的自我)を前提にしている今の若者でさえ、その基層に(あるいはポストモダン的な時代に生きる存在として知らず知らずのうちに体得している)関係性のありよう/文芸に対して、すんなりと入っていけるのかもしれません。
筆者は一度の失敗のトラウマから抜け出せないままなのですが、最近ではネット連句も盛んだと聞いています。まさにネット時代の「仮想アンガージュ文芸」としての役割をこれからますます担っていくものかもしれません。今後もこの文芸ジャンルに注目していきましょう。
1639……6月5日(土)
昼、「奄美青年の会」という組織の発足式が、尼崎のアルカイック・ホールで開催され、すこしのぞいてきました。講演が、前・阪神タイガース監督の星野仙一氏。まあ、この人の講演を聴くために来場した人も多いかもしれません。テーマは決まったものではなく、監督時代のエピソードを、すこし講演なれした語り口で話していました。会のアトラクションには、東京からネリヤ★カナヤの二人と、中(あたり)孝介くんが沖縄から駆けつけ(名瀬出身の彼はいま琉球大学4回生)、シマウタを披露しました。ネリヤ★カナヤの平田輝さんから2年前に発売した「ほこらしゃ」をいただいたのです。さっそく次の筆者の番組で紹介することにしましょう。
そのアルバムには入っていなかったのですが、楽屋でネリヤ★カナヤの二人と中君の三人が、「一切(ちゅっきゃり)朝花節」を演奏し始めます。これは最近、平田さんがアレンジしたもので、ビートルズ風。これがすごくいい。"アーリー・ビートルズ風"なのです。シャキッとしていて、新鮮なカルパッチョを洒落たドレッシングで食べているような快感です。
1638……6月4日(金)
『地震のこと はなそう』という絵本を出版したせおまさしさんがカルメンに来てくれました。絵は藤田夏代子さんという方です。せおさんは、電通に勤めています。「私はサラリーマン以外にももうひとつ仕事をしているのです」と大磯に住むせおさんが語りだします。「朝、5時ごろ起きて漁民をしているのです」と見せてくれたのが、漁師小屋。友人へ「今朝の収穫は」と獲れた魚の一覧をメールしてくてくることもあるそうです。
せおさん、とってもユニークな人です。夫人がフラメンコのバイレだとか。だから踊りに深い興味を抱いているとも。
現在、神戸の三カ所で絵本原画展(6月10日〜7月11日)をしています。
(1)みくら5.6.7丁目自治会館 (神戸市長田区御蔵通5-6まち・コミュニケーション)
電話078-578-0014
(2)阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター ひと未来館1Fショップ
電話078-262-5050
(3)海文堂書店
元町商店街(元町通3丁目)
電話078-331-65011637……6月3日(木)
すこし前、新しく出来たと思われる「沖永良部島料理店」に顔を出しました。店内は、沖永良部の黒糖焼酎がずらり。三人で行きました。一人はウーロン茶、あと二人は「稲乃露」を頼んだのですが、筆者はお湯割り、もう一人は水割りです。この水割りの人、黒糖焼酎は、頑として水割りしか飲みません。筆者は季節によってお湯割りと水割りを飲み分けるのでずが、この人「黒糖焼酎のお湯割りはおいしくない」とかたくなです。「その代わり泡盛の湯割りは好きよ」と言います。「えっ、泡盛の湯割り!」と筆者は驚きの連続です。泡盛のお湯割りなんておいしいと思ったことがありまん。あとで聞けば、お湯割りを呑まないのは、猫舌だからということもあるようです。
筆者の知る限り、黒糖焼酎を一年を通じて水割りで通すのは、沖永良部以南の島々です。沖縄的です。また、徳之島、奄美大島、喜界島は、薩摩の影響なのでしょうか。冬はお湯割りとなります。これらの島嶼よりはるかに北に住んでいる筆者には、やはり夏以外はお湯割りを欲します。
1636……6月2日(水)
うたの始源について考えます。うた(歌謡)がどのように発生したかについては、国文学者の間では、深刻な学問論争が交わされてきた経緯があり、筆者が簡単に断定できる内容のものではありません。ただ、南島をフィールドワークにしている研究者にとっては、文献資料が少ないため、うたの始源をたどるのに、口誦文芸を研究することによって、島嶼世界の言語空間の共時性を頼りに、始源を辿ろうとしています。これはエクリチュール(書かれた文字)であるところのうたの始源ではなく、まさにオーラルとしてのうたの始源を探求していこうというものですから、科学的にどれほど確証できるものかどうか、難しいところです。しかし、うたそのものを考える時、オーラルとしての歌謡を探求することの方が、よりア・プリオリな態度であるように思われます。
なぜ、うたが発生したのか。それを南島研究的思考ですれば、意外と現代の人間のありさまを観察することによって、浮かびあがってくる側面もあるのです。それは、人を愛する(相聞)、故人を悼む(弔意)、神を称える/神の言葉を伝える(神歌)、共同体を維持するための言祝ぎ(社会的言語)、労働歌・子守歌(仕事歌)、唱え言葉など(片言言語)といった要素は、いまでもわれわれは日常世界で反復しているわけですから、その日常性の中に潜む始源性をたどる、という手法も有効なのです。
1635……6月1日(火)
昨日の弘川寺に行った時、筆者にとって歌聖・西行を慕った江戸時代の広島出身の歌僧・似雲の存在です。当時、「今西行」と言われ、西行の故地に自らも草庵を建てて、住んだということです。この僧がいたからこそ、814年前に死んだ西行の墳墓が現在にいたって確定しているようですし、われわれが生きる時代と西行が生きた時代のちょうど橋渡し役を果たした歌人がいたことが、西行の表現者としての価値を太い一本の線で継続できている、と思うのです。似雲という僧、どんな人だったのでしょう。実は、この歌僧の墳墓も、西行墓の近くにあります。真正面ではなく、しかも小降りにしつらえられてあります。思慕するということはこういうことでしょう。しかも、似雲が過ごした草庵は、西行庵と10メートルほどしか離れていず、似雲の夢にも西行は登場したのではないでしょうか。あるいは、精神的に全く西行に成りきっていたのかもしれません。1634……5月31日(月)
カルメンの定休日。今週はFMわぃわぃの生放送のない日なので、小旅行を決行しました。
最近は、インターネットで調べると、時刻表がすぐ手に入るので、時刻表を買うということも必要なくなりました。本当に便利になったものです。
向かった先は、歌人・西行が終焉の地として選んだ弘川寺。大阪府南河内郡河南町という場所にあります。すぐ南が千早赤阪村。神戸からだと天王寺まで行って、近鉄南大阪線に乗り換え、河内長野行きの乗って、富田林駅で降ります。筆者、富田林に行くのは初めてです。途中、柏原に向かう支線があります。柏原には筆者の親戚が、「カタシモ・ワインフーヅ」というワインナリーを経営しています。
古市から少しずつ葛城山系に近づくと、天皇陵が増えてきます。山向こうの大和に依拠していた天皇族が、墳墓を大和ではなく河内の地に求めたというところが面白いですね。大和人(やまとびと)にとって、ここのトポスは死者を受け入れるタナトスの聖地なのでしようか。
富田林から金剛バスに乗って河内という場所に向かうのですが、昼の時間帯は直接行く便がなく、途中から1キロほど歩きます。ちようど田植えのシーズン。水を張っているだけの田もあります。やはり山里なので、平地より田植えが遅いのでしょう。野道を歩いていると、水量のたっぷれある川音が聞こえてきます。これだけ水に恵まれているということは、山里でも恵まれている場所なのでしょう。
30分ほど歩いて弘川寺へ。ここは西行と桜がセットになった場所なので、4月には多くの観光客を呼び込むものの、それ以外はなにもなくオフシーズンの長い場所です。寺の本堂から石段をあがっていくと、少し平らな場所。そこに西行の饅頭型の墳墓があります。
そこにいたのは、神戸ナンバーの車でやってきた三人ずれの人たちのみ。やがで筆者ひとりになります。西行が草庵をあんでいた場所にも登ってみました。晴れた日には遠く須磨明石まで遠望することが出来るとのことです。寺の近くまで戸建ての住宅街が迫っています。そしてもう少し遠くには、PL教団の巨大な白い塔が見えます。
遠望がきくのですが、生活するのには不便だったでしょう。「西行堂(非公開)」には、西行像の他に、妻もまつられていると聞きます。あの24歳で出家した西行に妻? と最初はびっくり。
この西行の墳墓がこの弘川寺にあると歴史的に確証されたのは、江戸時代の歌人・似雲の功績なのです。似雲は「今・西行」とも言われ、西行を慕って、弘川寺に草庵をつくり生活します。その庵は、西行の庵より少し低い場所に建てられていたのです。礎石がまだ残っていて、ひょっとしてその礎石は西行庵のむものを流用したのかもしれません。
でも、そうした庵というのはどのような規模のものだったのでしょうか。間口二間か三間ほどの方丈(四角形)で、庵といっても意外と本格的な木軸構造だったのかもしれません。変な話ですが、世の中に隠遁したいと希望する人士は少なからずいるので、人ひとりが最低限に暮らせる広さの「草庵セット」を作れば注目されるのではないでしょうか。
1633……5月30日(日)
昨晩、沖縄からの客人と、夜遅く、拙宅近くの飲み屋で、黒糖焼酎をあおっていました。筆者からは最近メディアに書いた記事コピーを渡し、客人からは、沖縄における奄美研究の最前線についての話。刺激に富む内容でした。朝。"連れ合い"と長男の意見が合いません。携帯電話を使わないと言い出した長男(高校生としては珍しい)。それでは母である"連れ合い"が使うとなったのですが、電話番号を替えるために筆者が手続きをするために持っていこうとすると、長男が「替えなくていい」と言い出します。どうやら、あまり使用しないものの、母と共有としていいものの、やはり自分の所有物であることは維持したいようです。
一悶着あって、結局はそのままになりました。メールアドレスも二人専用ということになります。高校生なら誰でも携帯に夢中になるものと思いこんでいましたが、そうでもなさそうです。かたや父である筆者はもはや携帯なしでは一日たりとも生きていけなくなっているのですが。
拙宅でもう一人の高校生である次男は携帯の話となると、おいてけぼり状態。筆者は高校生になると携帯を持って、自ら創造的に使いこなすことを期待するタイプで、次男にも春から持たせる予定でしたが、ペナルティーを課さなくてはならない事態を次男が引き起こしたので、二学期からということになりました。次男いわく、クラスの中で携帯を持っていないのは自分一人だけだそうです。
1632……5月29日(土)
小泉純一郎首相が東アジア諸国の中で、相手国に出向いていって、首脳会談を行える国は多くありません。彼の靖国神社参拝に反発している中国、韓国には行けない。国交のない台湾に行けば中国という巨大マーケットを失う。
とすると、靖国問題もなく、市場喪失の恐れもない国といえば、北朝鮮しかありません。これが小泉外交の現状なのです。だからもっと金成日総書記と仲良くすればいいのです。Japonにとってはものの60年前に「ABCD包囲網」といった国際社会から孤立した中で、人民(国民)がいかに窮していたか、巨大軍事大国のアメリカとどう対峙していくのか、二度と同じ失敗しないためにも、金総書記に"先輩"として教示できることはいっぱいあるはず。
そして金総書記をJaponに呼ぶ。彼は鉄道でしか移動しない指導者なので、東京に着くためには、韓国を通過する必要がある(マンギョンボン号に乗船してやってくるかもしれませんが)。そうなると一気に朝鮮半島の鉄道が開通する。北朝鮮はその気になれば、遊撃隊の意気込みで平壌から軍事境界線に通じる鉄路を整備するなんてことは難しくないでしょう。通過する韓国国民にも歓迎されるし、関門海峡は船になるけど、下関からはゆっくり瀬戸内、東海道の景色を楽しめる。途中、大阪のUSJや息子が行きたがっていた東京ディズニーランドにも行けばいい。
東京では、殺到する世界のメディアの猛烈なフラッシュの海(いや代表取材かな)。東京駅では「ほんとに来たのか」と当惑を隠せない小泉首相以下、五流官庁の外務省役人。駅構内に響く「マンセー(万歳)」。やはり到着は3月1日か8月15日がいい。
な〜んて"テリー伊藤風"に想像力を膨らませていくと、キリがないのでこのあたりでやめます。でもこんなシュミレーションは意外とJaponの「国策」になるかもしれませんぞ。
1631……5月28日(金)
またイノシシが生ゴミをあさっています。昨日の晩のことです。成獣に近いイノシシが、ゴミ袋を引き裂いて食べています。拙宅のすぐ向かいの公園に設置されたゴミ置き場の話です。シッシッと追い返したいところでずが、相手は大型犬なみの大きさ。しかも「猪突猛進」のスピードを誇ります。だいたい人間が守られたゴミの日の前日に出すから、イノシシたちもそれを狙ってやってくるのです。
拙宅はJRより南に位置するのですが、わざわざ踏切ないしはガードを通って、山から下りてくるのです。阪急より北の地域はイノシシ被害が常態化しているので、ゴミ置き場をネットで覆うなど自衛策を講じていますが、日頃被害に遭わないJRより南は、彼らの思うがままです。
自然との共生すべきであるというテーマがありますが、こうも間近にイノシシと遭遇すると、塾帰りの子供たちの安全も気にしなくてはなりません。しかし、大人一人で立ち向かうには、手強い相手です。イノシシたちが里に降りてこないような環境をつくるべきでしょう。
1630……5月27日(木)
昨晩、次男が借りているDVD「ラストサムライ」を観ました。その感想を書いてみましょう。(1)歴史の考証ははっきりいって素人の筆者が見ても大きな疑問符がつきます。アメリカ人が軍事顧問とは本当にあったのでしょうか。当時のアメリカはまだまだ新興国家なので、陸軍の軍事顧問としてはすでに歴戦を経験しているドイツ、フランスから招聘したはずですが。
(2)政府側の大村参議は、長州出身で旧日本陸軍を創設した大村益次郎がモデルなのでしょうか。彼を敵役にするのはちょっとかわいそうというのが筆者の正直な感想です。また、西郷隆盛をかぎりなく意識してキャラクターを作っている勝元参議(渡辺謙)が「武士(もののふ)」を代表するようなコンテンツですが、大村益次郎も長州出身だし、他の枢密院メンバーもその殆どが薩長を中心とした元武士でふることを考えると、武士対新時代の為政者である非武士という設定というのは、しんどいところです。
(3)勝元参議側が弓矢しか武器を持たないというのは、あまりにもアナクロニズムにすぎません。明治より300年近く前にはすでに鉄砲隊がどの武士集団にも配置されていたわけですから、武士=飛び道具を使わないという図式は、短絡的です。むしろ武士役で出演した三船敏郎の西部劇映画(チャールス・ブロンソンなども出演していた)の流れ(鉄砲をま持たない武士のイメージ)を踏襲しているのかもしれませんが。
(4)歴史的史実にいかに忠実に描かれているという尺度より、徹底してフィクションとして楽しめば、この作品も評価するところが多いのです。たとえば、明治天皇がこの作品の中で重要に役割を演じていること。参議の間から「あなたは現人神なのだから」と明治天皇がそのように振る舞うことを要求するくだりがあります。明治天皇が即位したのはまだ青年でした。その青年ゆえの立場の弱さが描かれています。新政府側にとっては、開国欧化に反対だった孝明天皇を(毒殺説もあるほど)排除して、御しやすい息子を天皇に即位させ新時代の顔としたのですから、自分たちの思うように父性としての天皇を演じるのが彼(明治天皇)の仕事だったのです。それが出来ると踏んだので即位させたのでしょう。つまるところ、明治天皇は、「父性的現人神」を演じなければならず、その道具立てとして、公式の場では洋装を強いられたのです。
(5)勝元参議のモデルと思われる西郷は、明治天皇の相談相手だったと覚えています。そのあたりの人間関係を、この映画はある程度移植していて、他の参議側との対立にもその葛藤が現れていました。そうした若い明治天皇の懊悩も描かれているところも面白いところです。ただ、最後のシーンで大村参議にたてつくところがありますが、現実の明治天皇があれほどまでしっかり意思表示をしていたら、もっと「明治日本」はましな方向に向かっていったのではないでしょうか。
(6)天皇の都・天皇がみごとにCGで映像化されているのには驚きました。しかし、その「宮城」のありさまっていったら、チベットのポカラ宮殿をそのまま日本化したような奇態なのです。まあ、フィクションならいいのでしょうが、あの景色をもって明治時代のJaponの姿だと若き日本人や外国人に思ってもらっても困ります。
(7)考えてみると、明治天皇もJaponの歴史の中で面白いキャラクターですが、日本人が天皇を描くとどうしても御簾の中に鎮座したまう「一言主」のような存在です。それをハリウッド映画が赤裸々に晒してくれました。日本史上、映画の主人公になるようなユニークな天皇・皇族が多くいます。後醍醐天皇、後白河法皇、花山院、崇徳院、桓武天皇……。しかしこれらの天皇たちを、どれだけ映画化できているでしょうか。まだまだ天皇タブーがきつい文化体系の中に生きています。いっそのこと、こうした日本史の面白い天皇キャラクターを、ハリウッド資本で作ってもらってはどうでしょう。少々、事実と異なる仰天内容になったとしても、日本人が日本の天皇の映画を作れないのですから、アメリカ/ハリウッドに作ってもらいましょう。いまハリウッドには世界中から映画監督の異才が集まっています。べつに白人でなくてもいいでしょう。東洋系の監督でもいいのです。
(8)勝元参議が依拠した領地は、まるで「もののけ姫」に出てくるタタラ場のような山里の中の小王国のようです。筆者にしてみれば、そりゃあないだろう、とあきれてしまいます。だって武士(もののふ)は、江戸時代には事務職化/公務員化しているので、生産者(農民)では決してありません。農武一体は、鎌倉時代のこと。武士は、武器携帯者として、武術訓練はしていたものの、映画のように田畑に入って、営農したり、農民と混住していたか大いに疑問です。たとえこうした状況があるとすれば、(土佐の坂本龍馬のような)武士ではない「郷士」といった半武士階級だったはずです。
(9)もうひとつこの勝元参議の領地描写で問題なのは、水田があまりなさそうにない山里であるということです。武士の禄は、米です。だから家禄を表すのには、サラリーとしての米の量(石高)で示されていました。山里で作られる作物では大坂市場での換金率はよくありません。兵士500人とその背後の家族を養うのには、何千人の武士集団と、それの食い扶持を支える百姓の数が必要です。残念ながら、山里の経済力、生産力てせは難しいし、時代が下るごとに貨幣経済が浸透していた江戸時代にあっては、山里を主体にした領地経営はかなりの困難をともなったと思われます。
(10)これで最後にしましょう。トム・クルーズ演ずるアメリカ人は、無実なインデアン部落を襲撃して女子供を無差別に殺戮したことを悪夢のように思い出すシーンがたびたび出てきます。映画シーンの中で逃げまどうインデアンたち。馬上からまるでゲームのように鉄砲を発射する騎兵隊たち。それはおそらく現実のアメリカ人にとって、無差別殺戮した相手は、インデアンではなく、ベトナム人なのでしょう。おなじ東洋系の顔立ち。かつてベトナムに参戦した兵士たちが長じて映画作家になる、あるいは同時代的な光景として、逃げまどうベトナム人を近代兵器で殺戮していく----これはアメリカ人にとってのもはや避けては通れない既視感としてインプットされています。やはりアメリカ人にとって、ベトナム戦争はいまだ大きなトラウマとしてあるのです。
でも、この映画、いったい何を訴えたかったのでしょう。「武士の時代」の終焉といっても、その「武士」イメージが移植される現代の何が終焉なのでしょう。まさか帝国アメリカの軍事力の特権的な位置の終焉を言いたかったのでしょうか。
1629……5月26日(水)
どうも大阪が元気ありません。本社の東京移転が止まらないのです。住友林業といった知名度の高い大阪発の企業が、本社を東京にシフトします。こうした東京本社化は、来る少子化時代に対応するための新入社員の確保といったリクルーティングの企業戦略もあるのでしょうが、せっかく関西で育ち関西で学んだ学生たちも、就職の段になると、東京に本社のある企業に吸い寄せられ、関西に人材還元がなされないということになってしまいます。
事実、筆者の友人・知人の中で、関西が発祥の企業に就職しながらいつのまにか関西を離れて東京で働いている人は少なくありません。また、いちど東京を中心に勤務サイクルが出来ると、(子供の学校などの関係で)なかなか関西には帰ってこれないものです。
今日の朝刊を読んでいると、近鉄が球団を売却することも考えていると再建策を発表しています。球団名の一時貸しが、拒絶されたことへのしっぺ返しの効果を狙っているのか、本気になって売却しようとしているのか分かりません。今、在阪の企業でプロ野球球団を運営できるほどの余裕のある企業はあるのでしょうか。
むしろこの際、京都の任天堂とか、台湾企業に買収してもらい、本拠地を大阪と台湾の両方にするという汎東アジア的な発想でパ・リーグを運営したほうが面白いのかもしれません。あるいは最悪の場合、大阪からプロ野球球団がひとつもないという状態になるのかもしれないのです(兵庫県には二つのプロ野球球団がありますが)。
1628……5月25日(火)
朝、出勤途中のJRの電車の中、二人の女性の会話が耳に入ってきました。中年女性がバックからNHKラジオの「スペイン語講座」テキストを広げます。すると横にいた女性が「スペイン語ですか」と話しかけます。関西では、こうして見ず知らずの人同士が突然会話を交わすことは珍しくありません。ただ関西でも若い人同士では見られない傾向です(恥ずかしさが前面にたつからでしょうし、まだ「関西人」になりきっていないからということもあります)。
「南米に旅行に行きますので。あそこは英語が通じにくいですから」とそのテキストを持っている女性。すると「でも、どこでも英語は通じますよ」ともう一人の女性。「いま、私はハングルを習っています。私は英語をしているのですが」と。するとテキスト女性「私も英語で仕事をしています」。と二人の間にちょっとした緊張した雰囲気が流れた時、電車は三宮に到着。
この二人の会話。いずれも英語を生業としているインテリ女性同士だったようです。かたやハングル、かたやスペイン語。人間というのはどの年齢になっても未知のことを学びたいと思う気持ちは強いものです。
1627……5月24日(月)
FMわぃわぃ「南の風」の生放送の日です。「奄美篇」194回目の放送は、渡哲一氏の特集です。瀬戸内町在住の渡さんが自家版として制作したCDを、去年3月に名瀬でいただいたののです。ヒギャらしいメリハリの効いたいい島唄です。特に「御枕(うまくら)節」(別名・太陽ぬ落てぃまぐれ)などは最高です。
この唄は、「枕」が主人公です。歌意は「この枕は、私と加奈(愛する人)との関係を知っている。だからこの枕が一人歩きして私と加奈とのことを他人に告げないだろうか」という意味です。愛し合い、男女の関係にまで発展している二人ゆえの悩みを、比喩を使って文学的に表現している唄です。
番組終了後、局スタッフに教えられて、鷹取と板宿の間にある「島のジュウリ にらいかない」という店を教えてもらいました。間口が狭い店なので2時間ほど迷いましたが、見つけました。残念ながら開店前でしたが、ジュウリは奄美で料理の意味。いちど言ってみたいものです。
1626……5月23日(日)
昼、大阪で行われた定型詩の勉強会へ。3回目の会合なのですが、筆者は初めての参加です。このなかで、歌謡とうたの発生についてにも言及がありました。ただ、国文学の世界では、エクリチュールとしての詩/うたの発生ではなく、オーラル言語としてのうたがいかに発生してきたかが大きなテーマとして扱われているのです。筆者は「琉歌」についての記述についていずれ発表する予定です。もちろん、今の筆者のレベルでは「琉歌」そのものについて発表する知的蓄積はゼロに近いので、相当の読書量と思量を重ねなくてはなりませんが。
1625……5月22日(土)
いままでNTTの「テレホーダイ」を使って、午後11時から翌朝8時までの時間帯に集中してインターネットをしていました。すると、どうしてもその時間外でメールを開けたいときは、どこか罪悪感があったのですが、常時接続状態になると、その時間外の悩みもいっさい吹っ飛んでしまいました。筆者はあるメディアに定期コラムを書いているので、写真を添付して送ることが多く、ダイアルアップ形式だった時は、たかが1Mの写真を送るのにも、数分かかってしまうため、複数の写真なら一葉ずつ数回に分けて送信していました。ところが、光ファイバーを導入すると、その悩みも一挙になくなってしまったのです。
ただ、以前はダウンロードしている待ち時間や、送信待ちの時間に読書が出来たのですが、ブロードバンドを導入してからは、あっという間に次画面に移動するため、寸暇を惜しんでの読書というのは不可能になってしまいました。どちらがいいのか分かりません。
光ファイバーを導入して気づいたことは、サイトが開く時間が早い分、情報量が多くなるということです。今朝、ある二人の情報を得るために、ロボット検索サイトを開けたのですが、すぐにジャンプするために、以前に比べて多くの情報を入手することが出来たのです。
ここ数年、音楽や映像をハードディスクに保存しておこうとする傾向が強くなり、ハードディスクの容量がとてつもなく大きくなっていっています。もうすぐCD-Rでは入り切らなくて、DVD-Rでなくては通用しない時代がやってくることでしょう。この世界、まだまだ急激な変化が続きます。
1624……5月21日(金)
光ファイバーを導入したことに続いて、無線ルーターを使っての使用を始めました。きのう専門の人に来てもらって設定をしてもらったのです。これで常時つなぎっぱなしの通信環境が構築されました。すぐインターネットにつながるというのは嬉しいものです。なにか原稿を書いている時に、文字・語句を調べたい時に、辞書機能がついてるサイトを開けておいて、辞書がわりに使うことも可能です。
無料で(違法に)音楽をダウンロードできるサイト(Winny)というサイトがあるそうですが、筆者はどのようなコンテンツなのかまだ理解できていません。確かに一曲だけほしいと思っていても、どうやってダウンロードしていいのか分かっていないのです。
まだまだインターネットは分からないことだらけです。
1623……5月20日(木)
台風2号が接近しています。季節はずれの来襲です。しかし、沖縄・奄美で台風が来るのはしょっちゅうで、カルメンのような飲食業を営む人たちは、台風による休業も、本土よりずっと多いに違いありません。せっかく売り上げを伸ばそうとしている時に、台風が来られたら大変でしょうね。
台風が来れば、野球も休み。ドームで開催している試合も、交通の便が悪くなるので休みになることもあります。
景気回復が叫ばれていますが、こと神戸に関しては実感がありません。必死に耐えているのが現状ではないでしょうが。マスコミが探している「小さな景気回復発見」もまだまだ他人事のようです。
1622……5月19日(水)
筆者の大学時代の友人で、長崎県・五島列島で建設業と町会議員をしているSくんが、町議会の視察一行を引き連れて食べに来てくれました。五島列島でも町村合併が進んでいて、8月1日をもって合併するそうです。ただ、市になる条件である人口3万人に3000人不足して、町としてのスタートです。今回の視察は和歌山県白浜町などを回ってきたとか。
視察一行に「離島振興法は」と聞くと、「使いまくりよ」との明快な回答。考えてみると、長崎県は離島県と言ってもよさそうな自治体なので、県行政の根幹に「離振法」活用が基本的にインプットされているのかもしれません。「離振法」が多くなれば県単事業が減少するおそれがあるのではと考えるのでずが、五島列島では「使えるものはなんでも」といった姿勢のようです。
その点、長崎県と同様(失礼ながら県財政が決して裕福とは思えない)鹿児島県にとって、奄美は離島でしかなく、県本土以外の場所という位置づけが見えてきます。
1621……5月18日(火)
高校生の長男・次男は中間テストに突入。拙宅がほぼ24時間休まずに機能している時期に突入しました。家を擬人化して考えてみると、これほど"家冥利"につきることはないでしょう。"連れ合い"にとっては「電気代がかさむ」との感想しか出てきませんが、家が家として長い歴史の中でもっとも活性化している時期だと言えるでしょう。最近では、一番早く寝るのが"連れ合い"。朝早く起きて弁当を作らなれればならないからです。次は中学受験を控える小学生。続いて布団に入るのは筆者でしょうか。最近、朝型に変えているために、日付が変わる時間帯に眠り、午前7時ごろに起きます。やはり原稿書きは、なんといっても朝が効率がいい。
長男・次男はいつまで起きているか分かりません。時に「完徹(完全徹夜)」をする場合があるので、あきれてしまいます。筆者の高校時代はそんな根性はありませんでした。
さて、朝一番に起き出した"連れ合い"。食卓で勉強する子もいるので、消しゴムのかすや、積み上がった参考書をどけて食事が出来るようにするなど、これだけでひと作業。"連れ合い"の仕事はじめは、ぼやきの一言から始まります。
1620……5月17日(月)
カルメンの定休日。本日はFMわぃわぃの放送を担当しない日なので、外出せず家にいます。「来た」と"連れ合い"の声で飛び起きたのが午前10時半。今日は、光ファイバーを導入する工事日なのです。
工事は、外の電柱から引っ張ってきて小一時間ほどで完了。さっそく息子のiMACで使ってみました。いやぁ〜早いのないの。あっという間にダウンロードしてシマします。これではいったい今までダウンロードのために待っていた時間はいったいどうしてくれるんだ、と叫びたくなります。でも考えてみると、光ファイバーは最大100M。今までは5Kの容量なので、まるでレベルが違います。
一足飛びに光ファイバーを導入したのは、子供たちがインターネット適齢期になって、家族全員が昼間からでも使えるようになるのには、ADSLでも少し心持たない容量なのです。ダイアルアップの5キロバイトの普通電話回線からいきなりのバージョンアップなので、そりゃあ飛躍的に通信環境は進歩するのです。
いままで通信速度が速くないために遠慮していたインターネット利用をもう一度最初から筆者にとってなにが役に立つのか考えていきたいものです。
1619……5月16日(日)
JR神戸駅にある大型パソコンショップへ、昼間行って来ました。この店は、神戸の都心地区では一番の規模の店です。もちろん、最近ではJR大阪駅の北側にある大型店舗があり、MAC関係もそこにいけばたいていのものが揃っています。そこは阪急電車に向かう地下一階にパソコンショップが設定されているので、行くのに便利なのです。
ハーパーランドのその店にはMACの販売員が常駐しています。やはり困った時にいろいろ聞けて助かります。最近MACのJaponにおけるシェアが落ちて、新聞紙上の各会社別のパソコン売り上げ円グラフにも入らないような凋落ぶりとなってしまったのは、あきらかにアップル社の戦略の誤りだと言えるでしょう。
といいますのは、OSX(テン)を売りたいばかりに、OS9を使っているプロユーザー(長年の愛用者)をないがしろにしすぎたツケが回ってきているのではないでしょうか。MAC系のパソコン雑誌も、アップル社からの情報がほしいために、いまやまるでOS9なんて存在しないような編集内容です(なので筆者もここ数年そうしたMAC系雑誌さえ買っていません)。
WINならそうした非情なOS切り替えをしても、ついていくしかないほどの市場寡占が進んでいるのでが、MACはユーザーからの熱い視線と、ユーザー間の深い連帯意識で支えられているようなものなので、数少ない"MAC残党"をアップル社みずから民族浄化/純化しているようなものです。アップル社のあきらかなマーケティングの失敗でしょうね。
1618……5月15日(土)
筆者が管理するメールボックスに、台湾関係のメールニュースが届くようになっています。これは先月ある場所で知り合った東京にある台湾に関する情報センターの女性と名刺交換したことから、その女性が発信しているようです。メールをしている人なら、気づいていると思いますが、最近中国本土ならびに香港から届くメールが日に何通も舞い込んできます。多いときには20通以上になることもあります。漢字が識別できず、文字化けすることも多いのです。その手のメールは開かず削除します。
しかし、台湾関係のメールニュースは一応保存するようにしています。台湾政局はいまだ混乱している最中で、目が離せません。台湾の未来は台湾の住民が決めることだとする民主主義の基本に賛意を示す筆者なのですが、中国政府は「台湾の行く末は台湾だけでは決めることが出来ない」とする見解を全面に出しています。これを覇権主義と読むのか、それとも失われた領土と民族の威信回復への強い意志とよむのか、意見が分かれます。ただ、ひとつ言えるのは、台湾住民から直接選挙を取り上げるのはもはや不可能ということです。あの選挙の過熱ぶりをみていると、選良を選ぶことにかける台湾住民の情熱はもう誰も止めることは出来ないということです。
1617……5月14日(金)
CD-R焼き付け機を購入して、CDからCDをコピーする作業(簡単なのでずが)は、慣れてきました。今日も"連れ合い"の希望で、ある歌手のCDをコピーしました。MDよりも一本あたりの価格は安いのが魅力なのと、スキャナーを使って歌詞冊子をコピーできるので、復元度は高いものになっています。MDはいちいち小さい場所に曲名を書く必要がありましたが、CD-R機はパソコンを使えば作業も楽です。もちろん、こうしてコピーするのは、著作権法で許容されている個人で楽しむ範囲に限られ、他の目的に活用することはありません。筆者が挑戦したいのは「ダイレクトカット」という機能です。これはMDやレコード、テープからパソコンのハードディスクに取り組み、編集してCD-Rに焼き付けるというものです。筆者には貴重な奄美島唄の音源がある程度蓄積されているので、これをなんとかより安全なCD-Rとして残しておこうと思っているのです。
でも、筆者はいままでパソコンを使うといえば、紙メディアとWEB関係が中心でしたが、これで音の編集が加わると、ますます時間がなくなるし、ハードディスクの容量も必要となってきのす。
1616……5月13日(木)
国会議員の国民保険未納問題が、国会を大荒れにしています。議員諸氏にとって、たとえ国民年金が未納であっても、数倍優遇されている議員年金があるために、切迫感がなかったのでしよう。しかし、一般国民にとっては、たとえ一カ月でも未納があれば、将来の年金支給に影響が出るかもしれないと不安でいっぱいになるものです。また、未納期間があれば、社会保険庁も黙ってはいません。
国民年金に加入している人は、自営業者や定年退職して年金支給を待っている人が多く、身を削る思いで納付している人も多いでしよう。それを議員諸氏は、未納が発覚してもそれは制度が複雑だからだと責任転嫁するわけですから、ひどいものです。その法律や制度を作ったのは国会議員なわけですから、自分たちで作っておいて、自分たちが守らないというのは、悪い冗談でしかありません。これでは警官が現行法律に抜け穴があるからといって犯罪を犯すようなものです。
現在の一般消費が回復しないのは、将来に対する漠然とした不安が払拭されないためで、その象徴的存在が年金給付だとされています。消費が回復されないのは、なにも年金だけに集中するものではないでしょうが、国民の眼目というのは一点に集中しがちです。
政治家不信というのは今に始まったわけではないのですが、国会議員という特権階級を生み出してしまったこと自体が問題であるのです。これは戦後民主主義の理念に反する事態であり、「平座(共同体構成員が全員平等の権利を分有する)」の考えと反するものです。
1615……5月12日(水)
音飛びがまだ止まらないので、アプリケーションを制作している会社に電話で問い合わせたところ、(1)使用ディスクが断片化しているおそれがある。(2)MDとPCのマイク端子を結ぶオーディオケーブルを高品質なものに変えてみる。(3)機能拡張マネージャーでそのアプリケーションだけ稼働するようにしてみる----といったアドバイスを受けました。なるほど確かに、数日前から、使用ディスクである外付けハードディスクの動きが少々もたついていましたし、今使っているケーブルで、オーディオ(カセットテープ)からMDに録音した時、雑音が入っていたので、これはおかしいと思っていたのです。まず、星電社に走って、新しいオーディオケーブルを購入することにしました。また拙宅に帰って、"Norton"をかけてみることにしましょう。筆者がこれほどまでに、MD音源のパソコン導入に熱心になっているのは、筆者がFMわぃわぃ「南の風」で集めた貴重な奄美島唄の音源を、デジタル情報として保存しておきたいという気持ちが強いからです。筆者が少しでもいい音質で残さないと、後が残らない可能性だってあるのです。いま何もしないと、これまで蓄積してきた8年間の仕事の意味がなくなってしまうのです。
1614……5月11日(火)
曇り空。昨晩から、MDに録音した音楽情報をマイク端子を経由してパソコンのハードディスクにいったん保存して、それからCDに焼き込むという作業をしているのですが、再生してみると音飛びしてしまいます。筆者、紙メディアへの対応はそれなりにキャリアを積んできたのですが、音メディアへの取り組みは、まだまだ素人の域のままです。なぜ音飛びするのか分からないままです。
FMわぃわぃで奄美の島唄の貴重な音源がいっぱいたまっているので、まだシステムが不安定なMDより焼き込んでいるCDの方が安全なのですが、筆者にとってクリアすべきことはまだまだたくさんあるようです。
1613……5月10日(月)
カルメンの定休日。FMわぃわぃ「南の風」、本日は、西和美さんが経営する「かずみ」(奄美大島・名瀬市)の創業20周年記念ライブの様子を伝えました。これは、徳之島出身の米里輝美さん(群馬県在住)がDVDに編集したものを使わせてもらったのです。
20年という歳月は決して短いものではありません。いまや「かずみ」は、旅行雑誌にも紹介されるなど、奄美内外から注目されている「しまうたと奄美料理の店」になりました。いまでも多くの唄者の人たちがこの店に参集します。島唄というのは、底知れぬ深さがあり、人の情動を突き動かす魔力・魅力を称えているのです。
「南の風」の中の「奄美ひと口情報コーナー」では、奄美とキリスト教について、筆者の感想をまじえて語りました。
1612……5月9日(日)
昼の休憩時間に、書店、電器屋を散策。パソコンに外付けCD-R焼き付け機を購入したので、CDからCDにコピーすることが簡単になり、CD-Rを買うことにしました。この外付け機器は、MACのFirewireに接続できるのでともかくコピーが早い。ものの10分もあればCD一枚分が簡単にコピー出来てしまいます。反対に時間が予測よりかかってしまうのは、データCDを作る時です。筆者がこの外付けCD-R焼き付け機を使うのは、もっぱら奄美の島唄を録音したMD情報をCD化することが目的です。今年7月には番組開始8年目に突入する「南の風」は、今年で奄美篇だけで200回を数えるようになります。そのうち、現地で録音したものや、スタジオ録音した貴重な音源も入っていて、筆者だけのものではなく、公開されるべき貴重な情報と言い得るでしょう。
夜、届け物があるので、尼崎の島唄の店「来るだんど」へ。
1611……5月8日(土)
応援団に引き続き所属している次男。高校から帰ってくるなり、いきなり学生服のままで倒れ込み、うっぷせて寝てしまいます。練習がしんどいのでしょう。サロンパスをいっぱい貼って「痛い痛い、手が上がらない」とブツブツ言っています。県立N高校との定期戦の一環として硬式野球の試合があったようですが、1-7で負けてしまったようです。「ぎりぎりコールドにならんかった」。でも、次男が通っている県立A高校は、かつて甲子園において全国制覇をなしとげた輝かしい実績があるのです。まあ、この学校はこうした過去のいくつかの栄光にすがっているしかないのでずが。身長だけはすでに高校生らしくなっている次男、腕の痛みを通して、高校生活を享受しているのです。
1610……5月7日(金)
昨晩の家族全員そろった食卓で、いちばんおしゃべりだったのは、末っ子の長女でした。もうすぐ修学旅行なので、同じ小学校に通っていた兄二人にひつこいほど同じ内容の質問をします。やはり嬉しいのです。「うるさい、さっき言うたやろ」と言われたり、はては長男に腕をぎゅっとつままれて「だまれ」と怒られ、その痛さのあまり泣き出したりしても、質問はやめません。女の子のおしゃべりは誰も止めることは出来ないのです。修学旅行の行き先は、志摩・伊勢方面。兄二人は「戦国村」に行ったそうですが、長女は「パルケ・エスパーニャ」に行くそうです。子供たちが、スペインをどう体感するのか楽しみです。
1609……5月6日(木)
カルメン、本日はお休みです。筆者にとっても、木曜日が休日になるのは、一年に一回あるかないかです。世間の人たちは働いているので、なにかひとりで行動するしかありません。
ところが、本日は拙宅の中に家族がもう一人。県立K高校に通う長男です。学園祭が休日にあったのでその代休ということです。二人で昼ご飯を食べることにしました。長男にもビールをコップの十分の一ぐらい入れて乾杯。早ければ来年でも、息子と酒を呑も交わす機会が出現しそうです。食事中は、もっぱら父である私がしゃべります。長男は口数が多い方ではないので、いまは聞く主体に特化することで、父と子の関係が成り立っています。
考えてみれば、筆者も大学生になるまで家庭内でほとんどしゃべることはありませんでした。語りだしたのは、大学に入学して下宿をするようになったからでしょうか。人は変わるものです。今は寡言の長男でも将来おおいに変わるかもしれません。
1608……5月5日(水)
一転、天候に恵まれた一日です。沖縄は今日から梅雨入り。奄美地方も何日かすると梅雨に入るでしょう。本土に較べると約一カ月早く季節がすすみます。神戸はそれでも少し涼しめです。
ゴールデンウィークで目立ったことといえば、日頃は滅多にでない料理が三日連続で出たということです。「闘牛士剣さしビーフステーキ」¥3800(税込み)。メニューには300gと書いていますが、実は400g以上あるという代物。とてもピックなステーキです。その量たるや、一度見て食べたら長い間印象に強く残るという料理です。値段のわりにはお徳感がありますので、是非一度注文してみてください(さらにこの料理は今回の総税表示変更の際、値下げした料理の一つでもあるのです)。
こういう日頃でない高額商品が出るということは、Japonの景気も少しずつ変わってきているのかもしれません。不況基調は変わらないものの、部分的/限定的に、回復の兆しが見えている、といった感じでしょうか。しかし、90年代から何度もこうした兆しがあったものの、今の今まで、消費回復に至らなかったのですから、まだまだ水は冷たいままです。
1607……5月4日(火)
昨日、帰宅後すぐ布団の中に入ってぐっすり睡眠。夜中には雨音が聞こえてきます。今日から二日間、筆者の住む東灘区ではだんじり祭りが行われます。朝起きていると、だんじりの祭囃子が。朝はたまっていたメールの返事書き。この返事書きというのは、まとまった時間がないと意外と進まないものなのです。返事を書いたなかに、フラメンコに関する問い合わせが一件。カルメンは5月3日に「ランプの家」フラメンコ教室のみなさんによるディナーショーを行いますが、毎日、毎週やっているわけではありません。あくまでスペイン料理を食べていただきたいからです。このため、おなじスペインという共通項のよしみで、資本関係は全くないのですが、そうしたフラメンコの店を紹介するようにしています。こうした意味でスペイン料理店とタブラオの関係は緩い連帯で結ばれていると思っています。
1606……5月3日(月)
やはり長期休暇ということもあって、遠隔地から来店されるお客様がちらほら。その中には、かつて関西に住んでおられた方もいらっしゃいます。この日誌の読者のみなさんは休暇を楽しんでおられますか。筆者、昨晩から大阪で友人たちと会っていて、寝不足そのものです。帰宅したのは、日にちが変わった午前8時半。いわゆる朝帰りです。まるで大学生のようなのりです。アルバイトで働いている外大生のNさんもあきれています。
そのNさん、スペイン語専攻を活かして、現在カルメンのスペイン語メニューの改訂作業をしてもらっています。カルメンにはほかにも英語のメニューがあります。
1605……5月2日(日)
昨日発足した「大欧州」。EU(欧州連合)にあらたに10カ国が参加。ヨーロッパの重心が東の方に移ったかのようです。かつて1986年にEUに参加したスペインとポルトガルは、EU内でも最貧国グループに位置していました。それゆえにこそ、経済発展の期待を込めて、加盟時には、国をあげて祝賀したのです。
しかし、ドイツやフランスなどとの経済格差は埋まらず、こうした金持ち国から拠出される手厚い農業補助金でどうやらEUにくっついていっている、というのが現状ではないでしょうか。
先般の総選挙の結果、政権の座についたスペイン新政府は、イラクからの撤退を決定するなど、前政権のアメリカ寄りから、フランス・ドイツ寄りにと大きく舵を切りました。この施策変更の背景には、ドイツやフランスが、EU新加盟国つまり東の諸国にシフトしていくかもしれないことへの対抗策が含まれていたのかもしれません。
ヨーロッパは広くなりました。これでロシアは、再びヨーロッパの仲間に入れてもらえない遠い国になってしまったのでしょうか。ロシアとスペインとの距離は遠い。どちらも時に西欧諸国から彼岸扱いされることがあります。でも面白いことがあります。鶴のある一種は、ロシアからスペインまで飛んできて越冬するそうです。なんとも長い距離です。鶴たちには国境なんて見えないのです。そうです、Japonにもロシアから毎年鶴がやってくるのです。鶴からすると、国境とはなんて愚かなこと、と思っていることでしょう。
EUという国境なき地域のあり方を目指そうとしているヨーロッパ。今日の読売新聞に珍しく社是である国家主義を客観的に分析する記事が載っていました。いわく新しく加盟した旧東欧諸国は「冷戦崩壊でソ連の支配から脱し、ようやく一人前の国民国家として再スタートしたばかりで、国家主権にはこだわりがある。今後超国家的規制に対する新加盟国からの様々な反発が予想される」(ダブリン/土生修一)。
こうした冷静な分析は、海外にいればこそ書けた内容かもしれません。読売のなんでも国家至上主義にしたてる論理は時に滑稽です。引用記事の分析は、そのまま東アジアの国家像に対する分析にも応用できます。つまり植民地闘争を経ていまだ国民国家にこだわっている国家が多く、かついまだ戦時体制にある国家を地域内に内包している東アジアだからこそ、国民国家に対するこだわりが生じるのであって、そうした現状分析をすっ飛ばして、なにがなんでも国家主義を標榜するのは、その論理に時代性/地域性が反映されていない証拠なのです。
1604……5月1日(土)
県立高校1年生になった次男。どうやら応援団の一員になっているようです。クラブは剣道部に入ったのですが、5月末にある県立N高校との定期戦のための応援団員として選抜され、毎日しごかれているようです。次男は目が細めなので、いわゆる「応援団」イメージに合致するのかもしれません。「辞めてやる」と叫んでいた次男ですが、何日か前、応援団の先輩から長電話が入っていました。翌日、「辞めたの」と筆者が聞くと「まあ、でも」といいながら言葉を濁していて、どうやら説得されたようです。昨晩も声を枯らして、ぶつぶついいながらテレビゲームをしていました。
このN高校との定期戦は伝統の一戦だそうです。兵庫県下に何組かある県立高校同士の定期戦のひとつだとか。入学式の時、学年主任の先生から「A高校の生徒たちは、このN高校との定期戦を経てA高生としての自覚が生まれてくると思われます」と説明していました。
そして昨日は、長男が通う県立K高校の学園祭。同校は旧制一中の流れをくむ伝統校なので、キャンパスにも歴史と余裕を感じることができます。"連れ合い"が行っていました。
長男と次男、2歳離れているので、一年間だけ中学生同士、高校生同士の期間があります。黒の詰め襟学生服を着込んだ二人を、数日前に拙宅前で撮影しました。これもひとつの思い出になるのでしょうね。
1603……4月30日(金)
三日前、しばらく故障していたカルメンに置いているノートパソコンからのインターネット接続が回復しました。回復にあたっては、設定の細部についてサーバーのSEの人に電話で確かめて聞いたのです。昨晩、筆者よりパソコンに詳しい姪っ子としゃっべっていて、いろいろと教わることがありました。これから、筆者があしかけ8年ほどかかわっているFMわぃわぃ「南の風」の番組で積み重ねていった奄美島唄の音源をCD化していこうと思っています。ところが、この音楽関係の仕事を入れるとまた時間がとられてしまうのが本当のところなのです。筆者はいままで文字とヴィジュアル中心にパソコンを使ってきましたが、音楽系の編集はまだ触ったことがありません。
最近のモデルなら、CDやDVDを焼き込むアプリケーションが内蔵されていますが、8年ほど前に買った拙宅のPCにはなく、外付けの装置を付けなくてはなりません。文字・ヴィジュアル系でも周辺機器が多いのに、またさらに増えるとなると、コード類はぐちゃぐちゃ。なんとかしてくれ〜と叫びたくなります。
1602……4月29日(木)
大型連休が始まりました。今年のゴールデンウィークは、連続して休みがとりやすいために、長期にわたって海外旅行をする人が多いようです。また別荘を持っている人は、維持管理の目的もあって出かけることでしょう。海外旅行では、韓国が一番の人気だと聞いています。
読者のみなさんはどのようにお過ごしでしょう。せっかく大型連休ですから、どこかに出かけてみたい、でもどこに行くのにも一杯だしと、逡巡している間にたとえ大型であってもすぎてしまうものなのです。
花でいえば、ちょうど藤と牡丹が見頃です。筆者、両方とも好きなのですが、毎年連休前にその盛りを迎えるので、連休のために体力を温存するため、数年に一度しか花の名所を訪れることが出来ません。
それはともかく、カルメンはずっと連休中も営業しています。どうぞ、ご来店ください。
1601……4月28日(水)
涼しいこのごろです。夏用の背広を着ているのですが、少し肌寒く感じます。街では、季節を先取りした女性たちが、ノースリーブどころか、肌を露わにしたファッションを楽しんでいます。今日みたいな日は寒いでしょうね。
月曜日、用事があってカルメンに寄っている時、東京のワイン輸入業者から電話が入りました。その会社には一人のスペイン人が働いていて、アルフォンソ氏といいます。セビージャ出身ということです。アルフォンソといえば、19世紀末にスペインを追放された王様がアルフォンソ13世という名前です。ここでいったんスペイン王政は途切れてしまいます。その後しばらくは、軍事独裁体制が続いて、政治の混乱期が続きます。この間、スペインは米西戦争に敗れ、海外の植民地(主にはキューバやフィリピン)を一挙に失うという「帝国の終焉」を迎えます。考えてみると、無敵艦隊がイギリス海軍に敗北したのが、帝国凋落の始まりであり、アメリカという同じアングロサクソン系国家によってとどめを刺された、と言えるでしょうか。
国家には必ず消長があります。アメリカは建国200年以来、ベトナム戦争の敗北という大きな傷を受けましたが、軍事的、経済的にいま"パクス・アメリカーナ"を享受しています。しかし帝国には必ず終焉というものが訪れるというのが歴史の必須です。それがいつかということは分かりませんが、将来、ブッシュという名前のアメリカ人がJaponで働いていると「そういえば、ブッシュJrといえば、21世紀初めにアメリカの凋落を招いた大統領として記憶されています」と誰かが書くのかもしれません。