店主のつぶやき日誌の
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1300……6月25日(水)
昨夜から未明にかけて大雨と雷。NTTから現在カルメンに置いている公衆電話を撤去したいとの申し出があります。当店の公衆電話使用者はほんのわずかです。街からの多くの公衆電話が姿を消しました。携帯電話がこれだけ普及してしまうと、公衆電話を使う必然性がありません。しかし大規模災害の時は、携帯電話が使用できなくなる可能性があり、その時は公衆電話が役に立ちます。阪神大震災の時、携帯は少しずつ普及していましたが、大多数の人は公衆電話の前に長蛇の列をつくったことは、記憶に新しいことです。筆者の家族も実家に連絡するために、午前5時に起きて小学校の廊下にあった公衆電話からかけたことがあります。
そういえば、1972年当時のJaponを舞台としている『KT』は、諜報機関の人たちも公衆電話を盛んに使っていたのが印象に強く残っています。携帯が普及した今となっては、全く違う内容になったのかもしれません。
もうひとつ、気になることがあります。若者の携帯の普及率はかなりの高率です。彼らのメールの早打ちを見ているとただただ驚き感心するばかりです。しかし、その彼らがすべてパソコンを使っているかというと、携帯のメール機能で終わっている人もいるようです。携帯メールは、操作が単純で、複雑な機能も付いていないので習得にも時間がかかりません。パソコンのメール機能と較べると性能に差が出てしまいます。
1299……6月24日(火)
最近、朝日、読売といった日刊紙のスポーツ欄にサッカーのスペイン・リーグの速報がベタ記事として載るようになりました。時代は変わったものです。かつてなら専門メディアか、インターネットで検索して初めて分かったはるか遠き国の遠きスポーツの結果だったのですが、レアル・マドリードのマスコミ露出度の高さも手伝って、われわれにも身近な存在となったのです。国内一部リーグには20チームもあるのですね。「国技」とも言えるスポーツなので当然かもしれません。まあ、サッカーを経由してスペインに関心を少しでも多くの人が持つことは素晴らしいことです。
1298……6月23日(月)
カルメンの定休日。昼過ぎに、筆者の高校の同級生"S君"が経営する春日野道のお茶屋さんへ。そこに商店街の会長。商店街の活性化のために、沖永良部出身者が蓄積した文化を活用したいとの提案をもっていらっしゃいます。大阪では、大正区の沖縄出身者が作る「沖縄タウン」が商店街の特色作りに成功している例もあります。
S君とその母上と筆者の三人で、新開地の神戸アートビレッジセンターへ。ここの地階でS君の父上が撮影した約40分の無声記録フィルムを見ることにしました。映されていたのは、1953年に奄美が復帰してからの島の様子です。まだ沖永良部に水田があったことを示す牛による田起こし作業。当時はトマトを作っていたのですね。細かい選定作業も映し出されています。また徳之島での闘牛風景も映っています。
まことに貴重なフィルムです。これは、奄美だけにおわらない20世紀の財産です。S君の父上は3年前にお亡くなりになっていますが、いまこうして陽の目をみたことに喜んでおられることでしょう。
1297……6月22日(日)
『書評10年』の本を読んだことに刺激されてか、拙宅の古新聞を整理し始めました。筆者は何を思ったのか、いつか固め読みするだろうと、朝日新聞の書評欄を切り抜いて取っているのです。震災までは整理していたのですが、今たまりにたまっているのは、1996年ごろからのものです。古新聞は当然黄ばんでいるし、埃も積もっています。整理している途中、大量の塵を吸引したために、もともと弱い喉を痛めてしまいました。
かつて新聞の書評欄が注目された時がありました。ここに紹介されている本が偏っていて、多くの人が読みたいと思っているものと距離がありすぎる、と言った内容だったと思います。また書評文が短すぎるのも、充分に内容を伝えていないといった批判でした。これに対して、長文の批評を載せてみたり、レイアウトをすっきりしたりする努力が図られました。また学芸部好みの難解本の傾向を改めたり、エンターテイメント系の本を紹介するコーナーを新設したりとそれなりの変化が生まれました。
しかし、筆者が考えるのに、書評欄のありかたにクレームをつけた人たちは、もともとこの面の読者でなかった人、あるいは入っていけなかった人、または反発を感じていた人ではなかったでしょうか。筆者にとっては、新聞各社の伝統的な書評欄の持っている"匂い"を享受していしましたし、時代を経て読んでいても、そう大きな変化はないのではないでしょうか。この欄は多くの変化を試みた後も、読む人しか読まないと思うからです。勿論、朝日の書評欄についての批判は昔も今も多く聞きます。大手出版社の刊行物が無形のうちに優先されているとか、本当の良書が見逃されているとか。
さて、古新聞の整理ですが、整理し終わったのは、筆者の部屋にたまっていた古新聞だけで、リビング横に積み上げているここ一年間の新聞の整理はまだなのです。"連れ合い"が積んでも積んでも、たまる一方の新聞の山に業を煮やし、筆者が重い腰をあげないために、ここ数日、目がつり上がっています。「あと一週間でなんとかしろ」と最後通牒を突きつけられています。
去年から、気に入った記事はその日のうちに切り取ることにしています。「またいつの日か…」といったことは新聞整理ではタブーなのです。しかも切り取った新聞をファイルに張り付けたとしても、満足はそこでおしまいで、そのファィルはこれまたたまるばかりなのです(あ〜あぁ)。
1296……6月21日(土)
鶴見俊輔著『書評10年』を読了。朝日新聞の書評欄に連載していた時から、鶴見氏の書評文が好きでした。単なる紹介文におわることなく、鶴見氏の人となりや思想が共鳴しあっているところが魅力なのです。500ページを越える分厚い本なのですが、ひとつの書評文が見開き2ページなので読み進めるのは苦労はいりませんでした。面白いのは、1980年代に書かれた内容のうち「金満日本」の様子が皮肉をこめて書かれていることです。今となっては懐かしく、むしろ羨ましく感じます。
取り上げられた書籍の中には、筆者が読んだ本もあります。自己目的的に本を読むのと、書評を書くために本を読むのとでは、最初から読書の内容も違ってくると思います。筆者の知人に言わせると、鶴見氏が書評で取り上げた本を読んでみたが、全く面白くなかった、と怒り半分で訴えていました。実のところ、書評文の方が面白い本もあると思います。決して悪口、誹謗を書かない鶴見氏のことなので、読んでいてつまらない本でも、どこかいいところを見つけようと書くために、逆転現象が起きてしまうのでしよう。
新聞によると、一カ月に一冊も本を読まない人の数が増加しているそうです。いまや若者だけが本を読まないというわけでもないのです。東京圏、関西圏という大都市部では読書する人が多いという調査結果が出ています。これは、競争社会に打ち勝つために脅迫神経的に読まざるを得ないとか、長すぎる通勤・通学時間を活用するために読んでいる、といった人もいるために数字が上がるのでしょう。
1295……6月20日(金)
金満球団、といってもプロ野球の"G"球団ではありません。スペインにも金満球団があります。レアル・マドリード。このたび、英国代表のベッカム選手が入団することが決定したとの報道がありました。レアルにはすでに、ジタン(フランス代表、MF)、フィーゴ(ポルトガル代表、MF)、ロナウド(ブラジル代表、FW)と、世界のスーパースターがきら星の如く在籍しています。Japonでも人気の高いベッカムが入団するとなると、ますますレアルの注目度はアップします。
それでなくても、ヨーロッパ・クラブチーム選手権で何度も優勝している名門実力チームです。放っておいても強いのに、さらに有名選手を引っ張ってくるという強引さ。どうもこのチームは、強者嫌いの関西ネイティブである筆者が応援するチームではなさそうです。
1294……6月19日(木)
ヱビスビールに黒ビールが登場しました。筆者は二週続きで呑んでみました。とてもおいしい。
もともと筆者はヱビスビールのファンです。ところが近年は"発泡酒"が価格面で安いということもあって、家庭内ではもっぱらそちらにシフトしていました。ところが5月の酒税法改悪で、発泡酒が値上げしてしまったので、ビール/発泡酒を含めて飲むのをやめて、もっぱら黒糖焼酎を飲んでいたのです。財務省/政府というのは、まったくもって悪代官そのものです。民間会社の企業努力を簡単に足蹴りするような増税をいとも簡単にやってしまいます。ところが、これによって増税分の収入増を見込むどころか、発泡酒の発売本数そのものが減少してしまい、結局は増税したことによって税収入が減収してしまうという結果にならないでしょうか。今回の増税はせこい小役人の発想です。
今日、ヱビスビールを発売しているサッポロビールの営業マンとしゃっべっていたところ、黒ビールは好評で、原材料がなくなってしまい、いま生産がストップしているとのことです。しかも、残念ながら現在のところ、缶ビールしか発売されていません。飲食店むけの瓶ビールが出ていればいいのですが。その営業マン君は、営業サイドからは会社の方に瓶ビールを発売しろとの声を出しているそうですが、会社として決定は出していようです。
現在、カルメンはアサヒの黒ビールを使っていますが、アサヒは新しい営業マンに変わってから、最初の挨拶以外顔を出さないので、ヱビスビールの黒ビールに替えようかと考えています。
(この日誌をアップロードした後に、サッポロの営業マン氏がやってきて、今のところ発泡酒の売上げはそう落ちていないと言っていました)。
1293……6月18日(水)
月曜日、レンタルビデオ屋に行ったついでに「新古書店」を覗いてきました。時々、掘り出し物が見つかるのですが、今回は不発でした。やはり新古書店でも人通りが多いところでないと、本の回転が速くないようです。
それにしても漫画本の多いこと。筆者の年代になると、自分が気に入った作家の単行本を根気よく集めるといった蒐集の程度に落ち着きますが、若い世代にとって、自分の好みの作家/テーマを見つけるのが、ある意味で自分探しの要素もあることから漫画本コーナーにそそぐ視線は真剣そのものです。
ただ、この見解は好意的に見た場合であって、筆者の子ども達も含めて大多数の子ども達の漫画読書は、なんとなく面白いから、流行っているから、次の巻を読みたいから、みんなが読んでいるから、といったレベルであって、自分の学年より背伸びして難しいテーマ/作家のものを読んでみようという意欲はあまり感じることが出来ません。
あえてそういう平板な漫画読書体験を重ねている子ども達を評価しようとすれば、みんなが読んでいる漫画を読み続けることで、同時代性を今は精一杯吸収している時であると言い得るのかもしれません。筆者の世代が「ひょっこりひょうたん島」や「鉄腕アトム」「巨人の星」「あしたのジョー」を見たり読んだりしたりして育ったのと同じように。そうした同時代性を吸収した少年少女たちが、20歳前後から、さまざまな表現ジャンルで自己表現を試みる場合に、その背景となるのが、漫画/テレビアニメで培われ、世代で共有された「物語/感動/感性の共時性」なのでしょう。
1292……6月17日(火)
梅雨らしい日々です。紫陽花が見事です。野球の話です。
阪神タイガースの勢いが止まりません。本日も横浜に9回裏の逆転でサヨナラ勝ち。対横浜12連勝ということになるそうです。甲子園には4万人の観衆が集まりました。平年の横浜戦ならせいぜいよくて2万人台といったところでしょうが、今年の集客力は新記録達成の勢いです。なにせ今年優勝するにせよ、また来年から次の優勝まで何年待たされるか分からない球団です。優勝しそうな年に集中して観戦して良き記憶を作っておこうとするファンの切ない思いが込められています。
前回の優勝(1985年)はハーレー彗星が地球に大接近。今年は火星が接近するなど、どうも阪神の優勝は天象の"異変"がないと実現しないのかもしれません(ちなみに筆者が結婚したのは、前回の阪神優勝年です。この時も口の悪い友人から「ハーレー彗星が来たから結婚できたんや」と言われていました)。
一方のセリーグの金満球団"G"は、1996年の11.5ゲーム差をひっくり返した「メイク・ドラマ」の再現を期待し始めています。可哀相な金満球団"G"のファンの人たち。阪神は優勝がたまにしかないので、昔の優勝を何度も反芻して懐かしむ"記憶の民"であるのに対して、「常勝」の金満球団"G"にとって優勝はつねに現在進行形であったはずで過去はあまり問題ではなかったはず。それが阪神的な"記憶の民"的な手法に頼るようでは、その神話(「メイク・ドラマ」)が潰えてしまった時の落胆は大きいのに違いありません。
その金満球団"G"のファンが切望する「メイク・ドラマ」ですが、彼らの言うように1996年にリーグ優勝を果たすのですが、「日本シリーズ」でわがオリックスに全く歯が立たず、敗退したこと(4勝1敗)は、東京発の番組はいっさい報道しません。あの時、神戸市民はおおいに美酒を呑みました。
"記憶の民"といえば、オリックスもまた阪神的になりそうです。「あの1995年と1996年はよかった」。現在のところ、最下位を独走中。1イニングに2回も犠打を要求するせこい前監督がクビになった後も、浮上せず、負けることが仕事であるかのようです。身売り説が渦巻く中、宮内オーナーは球団経営に入れ込み始めているというウワサもあります。金満球団"G"のWオーナーへの対抗心でしょう。なんでもWオーナーは「金貸し会社の球団でしょ」と差別意識を隠さずこれよがしに発言しているとか。オーナー同士のつばぜり合いもまた熾烈なものがありそうです。
さてさて、今年のプロ野球、どうなりますことやら。でも、サッカーはどうなったの。
1291……6月16日(月)
カルメンの定休日。FMわぃわぃ「南の風」の放送担当日です。
本日は、前回放送した島唄コンテストの「壮年の部」を特集しました。
1位になったのは松山美枝子さんです。この人はすでに奄美でのもうひとつの大きな島唄の賞である「奄美民謡大賞」のトップ賞「民謡大賞」を受賞している実力の持ち主です。入賞(3位まで)には至りませんでしたが、瀬戸内町で郵便局員をしながら島唄を励んでいる藤岡俊一氏に筆者は注目しました。やはり島唄の本場にいくと、多くの唄者と巡り会うことが出来て絶好の機会であるといえるでしょう。武下和平をコピーしてきたという藤岡さんは、しっかりした三線とメリハリの効いたヒギャらしい歌声で将来の大器を予感させます。まだこれから自分らしさを出していく必要があると思いますが、こうした逸材に出会えたのも、島唄コンテストの面白さなのです。
島唄コンテストで面白いのは、耳が肥えている奄美の聴衆の反応です。上手だと認識した場合は、曲が終わるか終わらないかの時に大きな拍手が湧きます。普通だと認識した場合は、三線が鳴り終わると同時に拍手が起きるといった具合です。また、ヤマトの大会と違うのは、会場が閑かであるということです。それだけ演者も聴衆も真剣だということでしょうが、それとも奄美の方がヤマト化しているということでしようか。今のところもう少し分析が必要だと思います。
1290……6月15日(日)
昼、筆者は高砂にいました。新快速の停車駅はなんとも便利になっていますが、それ以外の特に加古川以西の停車駅は便数が少なく、便利とはいいがたいものです。
高砂は播州平野のど真ん中です。神戸という海と山が迫った地形に住んでいる者にとっては、やはり異形の地形です。かつて「日本の中の朝鮮文化」という雑誌があって、その中で「列車が明石から西に向かった途端、風景が変わる。慶州に似ている」といった表現がありました。いずれにしても摂津より、ゆったりとした構えの自然地形であることは確かです。
播州は一名「真宗王国」と呼ばれています。浄土真宗のお寺さんが多く、立派な伽藍がそびえ立っています。篤い信仰共同体がネットワークを張り、昔から多くの妙好人を輩出してきました。宗教を離れても、播州としての結束力は強く、一国としての地域一体性があり、その人的、情報のつながりの深さは強固なものです。また筆者が訪れた曽根は、高砂在住の詩人・高谷和幸氏によると、地域団結力が際だってるとのことです。ここには、姫路・灘のけんかまつりと同系統のだんじり祭りがあり、地域全体で盛り上がるのです。
こういう環境の中で、筆者の友人が教会の牧師に正式に就任しました。実質的には3月末から曽根教会に赴任しています。ここには保育園が併設されていて、毎朝、新任牧師は園の入口にたって、園児たちに挨拶をします。この教会は、賀川豊彦が農村セツルメントの一環として設立したもので、友人で8代目となるとそうです。
ただ、地域内の認知度は高くありません。JR曽根駅からタクシーに乗った人は運転手の人が教会の場所を知らず、保育園を告げてようやく分かったというレベルです。
教会は新しく立派です。住居も同じ敷地内にあり、24時間起居を共にして、全身・全存在をかけて信仰生活にかけることになります。筆者の友人は50歳を過ぎてから職をなげうって神学部大学院に進学した人なので、当然学生時代は生活に余裕がありませんでした。今回の牧師・保育園長就任によって経済的に安定したのはなによりも素晴らしいことでした。
これから、曽根教会を発信源としてさまざまな活動を展開してほしいものです。
1289……6月14日(土)
『KT』と『GO』とに横たわる在日社会の時間/価値観の相違といったものについて言及してみましょう。『KT』はいうまでもなく、主人公が金大中氏のために、民族、国家、歴史、差別、恨などが全面に打ち出されています。いずれも重たいテーマです。これらの案件を朝鮮民族の一員として内在化しつつ現実と格闘してきた一世、二世のありようが描かれています。これに対して、『GO』では「おまえら一世、二世がしっかりしないから、おれたち三世が苦労すんだよ」と三世の息子は父(二世)に向かって叫びます。この映画の主人公は「在日コリアン」という設定です。この定義は、韓国籍、朝鮮籍も含めた〈在日〉であることの現実を直視した/前提にした表現であると言えるでしょう。
もはや三世や四世ともなると、母国は還る場所ではなく、生まれ育ったこの日本は彼らにとっても故郷なのです。しかし、日本政府は「在日」はあくまでも在日のまま処するという国家主義的傾向を全く改めようとしません。母国に対する一方的な恋慕の感情を抱きながら、現実では韓国、北朝鮮からも「差別」される在日コリアンたち。行き場のない感覚が、文学や映像表現では、傑作を生み、人々の心を打つのです。
現在は朝鮮籍の人々に対する風当たりが厳しくなっています。しかしこの傾向は正しいのでしょうか。北朝鮮から脱北してきた元・在日朝鮮人が韓国ではなく、親族がいる日本に帰ってきたいと願う時、日本政府は「在日」であるという理由で、自国民並みに「保護」の対象にしていないのが現状です。今後、ますます北朝鮮の経済情勢は厳しくなるとの予測があります。脱北者は増加することが予測され、人道上の観点からも硬直している日本政府の朝鮮籍の人たちに対する対処を変更すべきではないでしょうか。いまわれわれイルポンサラムが隣人に対して出来ることは多くあるのです。
1288……6月13日(金)
月曜日に借りてきたもう一本のビデオ『GO』を、試験が終わった次男と共に昨晩観ました。この映画は在日朝鮮人一家が描かれています。通名は「杉原」(門札にはこの名が掲げられています)。一家の食堂には、金日成・金正日親子の肖像画が掲げられ、典型的な総連系の家族模様の中でストーリーは展開します。一人息子は民族学校に中学校まで通い、先輩(山本太郎役)と悪戯の限りを尽くします(その先輩がパトカーのフロントガラスめがけてブロックを投げつけるシーンは、イルポンサラムが見ていても快感です)。
父(山崎努役)は全日本ランキング第7位の元プロボクサー。筆者はふと朝鮮籍のボクサー千里馬(チョン・リマ)氏を思い出しました。あの人、カッコよかったなあ。かつてその千里馬氏と土井たか子さんと筆者の三人で写真に収まったことがあるのですが、あの写真、どこにいってしまったのでしょう。
父はバリバリのマルキストなのですが、ある時ふとテレビを見ながら「ハワイ、行きたいなあ」とつぶやきます。ハワイなどはマルキストにしてみれば、資本主義のもっとも腐敗した歓楽地なのですが、ハワイに行くために韓国籍に転籍してパスポートを得ようと、総連の窓口に向かいます。「最近は、朝鮮籍でもハワイは行けますよ」という事務員の話に聞く耳をもたず、かつ妻(大竹しのぶ役)の「ハワイに行けるならどっちでもいいよお」との声にも後押しされ、とうとう韓国籍に変えてしまうのです(この軽妙さがむしろ反対に在日社会の重たさをあぶり出しているのです)。
父は息子に「広い世界を見ろ」と言い、朝鮮籍であることによってこうむる諸制約から自らを解放することを息子に促します。父が韓国籍にしたのも、息子に率先して自分の価値観を示すためであったのです。そうしたことから息子(主人公)はJaponの高校に進学することになるのです。
映画では民族学校の内実も描かれていて、筆者は興味深く見ていました。校内では日本語は禁止。教科書も日本語は一切使わず、母国語による教科書と授業が行われているのです。時代はまだ指紋押捺を在日外国人に強要している時代なので、少し以前のことですが、揺れる在日世界のことが、在日の側から描かれていて、日本社会の多重性を見ることが出来るのです。
近年の邦画では、こうした在日朝鮮・韓国人世界を描いた作品に秀逸なものが多いのも、在日の世界が抱える現実の重たさが、映像作品にリアリティを出しているからでしょう。
1287……6月12日(木)
リアリティという面では、韓国側に軍配が上がるようです。今日も『KT』の話です。
ネット上での映画評を読んでいると、Japonの俳優陣より韓国の俳優たちにリアリティを感じるというものがありました。いまだ祖国分断の状態であり、あくまでも休戦状態でしかない朝鮮半島南北両国の軍事的対立の現状に身を置いている国の国民と、1945年に負けた/戦争と縁が切れている国民とでは、当然リアリティの差が出ます。映画の中で、Japon側の戦前・戦後を総括する面がありそれなりに迫力があります(挙国一致の天皇制国家による戦争遂行と戦後の左翼バネによる労働争議、学生運動、新左翼の活動などの一連の思想状況の変移)。また、自衛隊隊員が憲法9条を変えさせようとクーデターを企てるというショッキングな歴史的事実も反復されています。しかし1989年の東欧の社会主義国諸国の崩壊から端を発する劇的な歴史の変化を経てきた我々には、1970年代の日本人(右も左も)が苦悩した内容は、すでに歴史的事実(過去のもの)となっていて、現在につながる課題ではありません。一方、韓国は、ベトナム、ドイツといった当時の分断国家が1970年代からの30年間で統一されているのにもかかわらず、いまだ祖国が分離したままであるという厳しい現実があります。
韓国映画や、韓国がからんだり、在日の人たちが出演する映画が面白いのは、こうした厳しい現実を背景としているからであり、現実(ノン・フィクション)と作品(フィクション)の境が、ある意味であやふやであり、ある意味で現実と作品が相互に入れ込み絡み合っている凄みを感じてしまうのです。
筆者が月曜日から飽きもせず6回も7回もこの映画のビデオを繰り返し見ているのは、(昨晩ふと気づいたのですが)、自らの1970年代を回顧しようとしているのではないかということなのです。15歳から25歳までという最も多感な時だったその10年間は世界、アジアの情勢が目まぐるしく変化しながらも、情報がいまよりも開示されていなかったために、外的に表象された事実だけを追うのが精一杯で、30年後の今になってようやく冷静にものごとを見つめることがだきたのではないかと思っているのです。
1286……6月11日(水)
1970年代前半の韓国はまだまだ貧しい社会でした。筆者が初めて韓国に渡ったのが、1976年。現在の韓国とは較べものにならないほど社会は発展途上でした。
そして朴正煕大統領の独裁政権下だったので、密告が横行する息苦しい社会です。『KT』を見ていると、その貧しかった韓国が筆者の中でよみがえります。ところが同時に現実の北朝鮮を、当時の韓国を見ていた同じ眼差しでみている自分を発見するのです。30年前は反対でした。北朝鮮の正確な情報は入ってきませんでしたが、南朝鮮(韓国のことをこう呼ぶ)はアメリカの傀儡政権であり、北の政府こそが朝鮮民族を代表する政治実体であると筆者を初め多くの人たちは信じていたものです。
現在、北朝鮮と往復する「万景峰(まんぎょんぼん)」号は生活物資も運ぶかの国にとっては命綱的な交通機関なのですが、Japonは国家ぐるみで「入港阻止」に動いているため新潟に入港することは出来ません。この船は政治工作船であることは明らかで、対日政策の橋頭堡的な存在です。
現在は北がもっぱら悪者扱いされていますが、朴政権下のKCIAや安企部もずいぶん無茶なことをしています。独裁政権護持のために自国民や在日同胞も簡単にスパイとみなし、拷問のための拷問が繰り返された挙げ句、闇から闇に葬られることがしばしばあったことは、現在でも記憶に新しいことです(まあ、こう書けば戦前のJapon特高の拷問、思想弾圧を前例としてあげないわけにはいかないのですが)。
こうした政治による弾圧、拷問がこのアジアにあって、少し前に行われていたことを知っておく必要があります。同時代に起こったといえるこうした出来事に関わった人(拷問した側、された側ともに)も、われわれのすぐ近くにいる隣人であるのです。
1285……6月10日(火)
筆者のご近所さんにMACにとびきり詳しい人がいて、つい先日、OSをインストールし直したので、あるアプリケーションをダウンロードしたいとの申し出があったので、拙宅に来てもらいました。メールで送れないこともないのですが、容量が多くなるので、イーサネットによるMAC同士の回線でファイルを移動しようとしたのですが、結局うまくいきませんでした。筆者はカルメンに出勤のために中座したのですが、おなじ MACでも設定が違うと、ファィル共有にするのは大変です。筆者のPCは、単独機で使うことが多く、データ交換はMOでするので、Apple Talkによるデータ交換は視野に入っていなかったのです。本日、筆者の48回目の誕生日。今日から神戸は梅雨入り。今年は少し沢山めの本を読むつもりです。主に評論/思想系の本を固め読みしようかしら。それと近々の仕事は書斎の整理です。とりわけ新聞の整理です。
1284……6月9日(月)
カルメンの定休日。今週はオフなので、ほとんど拙宅周辺を出ることなくすごしました。
唯一行った先は、レンタルビデオ屋。ルート2号線添いに何軒かあります。
借りたものはいずれも邦画。しかもいずれも韓国・朝鮮、在日韓国・朝鮮人がかかわる作品です。『KT』と『GO』。いずれも映画館で見ようとして果たせなかった作品ばかりです。まず『KT』を見ました。それも一日に三回も。KTは、金大中・前韓国大統領のイニシャルです。1972年8月8日に"亡命"先だった東京のホテルから何者かによって拉致され、その5日後、ソウルの自宅前に姿を現したという現実に起こった事件をもとに展開される作品です。
事件発生当時からKCIA(韓国中央情報部)の介入が取り沙汰されていましたが、詳細に調査することが韓国・日本両国の首脳部にとって、自分で自分の首を絞めるようなものであることが充分に分かっていたので、一等書記官の個人的犯行という当時も今も誰も信じていない「政治的決着」が発表され、幕引きが図られたのです。
『KT』ではこの事件の黒幕をKCIAと断定して、スリリングに進行していきます。独裁国家、全体主義国家というのは、30年前の韓国、20年前までのソ連も同じですが、秘密警察(KGB、KCIAなど)が独裁者と直接結びつくことで隠然たる勢力をもっていて、在外大使館の組織内部でも、大使が掌握できない指令系統がいくつかあるのです(まあ、このJaponでも国益にかかわる案件や、スパイ行為に関しては、警察〈公安〉、法務省、内閣調査室、それに自衛隊…と実に多くの監視/諜報機関が存在します。これらは時に国益やスパイとも関係しない一般市民をも監視の対象になることは忘れてはいけません。最近は盗聴の技術が上がったようですが、時々筆者の友人には国賓訪問やサミットなどの「有事」前になると電話通話音が悪くなったりする人もいます)。
この映画では、もうひとり自衛隊員がこの拉致事件に介入しているという設定です。情報将校だったその隊員は、三島由紀夫・盾の会とクーデターを企てることで、自衛隊を軍隊として日本国家・国民に認めさせようと画策します。それが自衛隊上層部に認められず、「戦闘服を着ない自衛隊」の存在に疑問を抱くようになるのです。隊員はやがてKCIAの一等書記官と個人的な交友を深めていき、拉致実行犯として共に行動します。
そしてもうひとりの日本人記者が重要な役回りを演じます。筆者の好きな役者である原田康雄です。自衛隊員が拉致・殺人に協力することを「これはオレの戦争なんだ! 狼は生きろ、豚は死ね」と叫ぶのを、夕刊紙記者である原田は特攻隊員出身の経験を話します。「天皇陛下万歳で死ねず、共産主義万歳でしねず、もうおれは何かで死ぬことはないし、今こうして生きていることで充分なんだよ、豚は生きろ、狼は死ね、なんだよ」と応えます。
この映画、視点によっていろいろ多面的に分析ができます。今日はここまでにしましょう。
1283……6月8日(日)
昼、CDショップと本屋へ。筆者、一応ディスクジョッキーなる肩書きを持っていますので、時々専門の奄美島唄の新着CDチェックのためにCD屋に向かいます。ところがHMVにしろ、Varginにしろ、筆者のような年格好の人を見かけません。ただ、クラシックとジャズのコーナーではさすがに同年齢と人と会うことがあります。
奄美関係の島唄はそうしょっちゅう新作が発売されないほうなのですが、去年からの島唄ブームと、今年が奄美の「日本復帰50年」という節目にあたるために、ここ数年に較べて発売枚数が多いようです。ただ、最近は、音源を提供していただくことも多く、CD音源の依存度が低くなっています。
もうひとつチェックするコーナーはスペインポップス。最近の傾向では、バルセロナを中心としたクラブミュージック系の"ごった煮"ポップスが勢いがあるようです。つまりアラブ、ヒターノ、地中海といった多くの要素が混在して、それでいてどこかスパニッシュなティストの音楽です。試聴する段階ではとってもいいのですが、まだカルメンの店内では流れていません。
1282……6月7日(土)
長男が映画"Matrex-2"を観に三宮に出かけていきます。昨晩、テレビでその第一作が放送されていました。筆者はこの手の巨大な宣伝費をかけたハリウッド映画らしい作品には興味がないので、「いかにも高校生が見に行くようなもの」としか感興が湧きません。筆者がいま観たい映画というのは、「刑務所の中」「たそがれ清兵衛」とかいったなぜか日本映画となります。この二つの映画とも多忙のために見落としているので、上映映画館がどんどん三宮を離れて、今は西神とか明石で観ることができます。
長男の映画にしろ、次男の部屋にある漫画本にしろ、どうもメジャー狙いで面白くありません。中高生の頃から「他人と同じものを見ない、読まない」といったことを習慣づけていなければ、きらりと光る個性は芽生えてこないと思うのですが。筆者はなによりも"凡庸"を憎み、嫌うのです。
1281……6月6日(金)
去年の今頃は、6月に入った途端に猛暑となり、永い夏に突入していました。そしてワールドカップ一色で筆者もテレビをよく観ていました。今年は一転してプロ野球が注目されています。阪神タイガースが昨晩も伊良部投手の好投で2-1で中日に快勝。貯金もすでに21に伸ばしています。これは1985年に阪神が優勝した時の貯金25に近づくものです。
現在のところ、2位巨人との差は9ゲーム。少し前の阪神なら、これだけ勝ったのだから、このあたりでシーズンの仕事は終了したと判断して、夏本番になるにしたがってだらだらと負け続ける下り坂を歩むのですが、今年は根性の入り方が違うのか、勝っても現状に満足しないハングリーさが見受けられます。
阪神の独走をはた目に、2位集団に、巨人、中日、ヤクルト、広島が位置していますが、最近この集団がばらけてきました。頭ひとつ抜け出しているのは巨人なのですが、主軸を中心に故障者が多すぎ、中継ぎ・抑え投手もボコボコに打たれる始末で、なかなか波に乗れません。
巨人のことしか言わない深夜のTVスポーツ番組は、故障者が復帰するであろう6月中旬以降の攻勢を口を揃えてわめいていますが、それも叶わないとなると(=巨人が浮上しないとなると)「セ・リーグの灯を消していいのか」と合唱しだすでしょう。こういう一球団の応援を全面に出す内容を「スポーツ・ニュース」の名のもとに放映する愚かしさにつき合わざるを得ない非・巨人ファンのばからしさは今に始まったわけではありませんが、一都市完結型の東京にいると「地方」「非」が見えてこない典型的な悪例でしょう。
さてさて、シーズンはまだ半分も消化していません。阪神ファンは今シーズンのいつかどこかでいつものような"ダメ虎"に急転してしまうことの恐怖を感じながら、「応援するなら首位にいる今しかない」とスタジアムに足を運んでいるのです。
1280……6月5日(木)
スペイン大使館商務省から送られてくるスペイン・ワインに関するニュース・レター(2003.6月号)によりますと、2002年のRIOJA地方と RIVERA DEL DUERO地方のワイン格付けが発表されています。それによりますと、RIOJA地方は"BUENA(良年)"です。これは五段階評価の上から三番目。実勢は「まあ悪くはないけど」といった程度でしょうか。
この評価年のJOVEN やSIN CRIANZA、CRIANZAといったクラスは、はっきり言ってあまり期待しないほうがいいようです。前年の2001年が新しい神話の誕生が叫ばれるほど傑出年(EXCELENT)だっただけに、関係者の落胆が海を越えて伝わってきそうです(だいたい傑出年の翌年は近年引き続いて高評価の年が多かっただけに残念です)。
どうやら異常気象(異常低温、旱魃)に見舞われたのが大きかったらしく、収量も前年比22.6%の減少(!)となっています。これは過去10年のうちで一番低い数字だそうです。RIOJAは90年代の10年間で5年もEXCELENT/MUY BUENAの高評価の年があるなど"黄金90年代"を経験しただけに、00年代は少しだけ暗雲がたちこめるのかもしれません。
続いて、RIVERA DEL DUEROの評価は、"MUY BUENA(最良年)"。5段階中、上から2番目の評価です。この地方も2002年は異常低温と少雨に悩まされ、ここ30年来のもっとも厳しい収穫量だったようです。しかし"Milagro(奇跡)"は起こったと関係者は喜んでいます。このDOが近年得ている高い評価を保つために、約2000万kgのぶとうを摘み残すという厳しい選択をして、ワイン造りをした結果、いいワインが出来たようです。こういう年ってあるんですね。気象条件が悪く収穫量も減少する(前年度比約30%減)なかで、厳選したぶどうでワイン造りをしてみると、意外や意外、高品質のワインが出来上がった、というものです。
さてさて、このワイン格付け(ヴィンテージ・チャート)をもとに、これからマーケットは動いていくことでしょう。カルメンとしては、前年の2001年コセチャのVino Tintoに大いに注目していきましょう。
1279……6月4日(水)
カルメンHPの諸サイトをご覧になっている方々はもうお気づきだと思いますが、「バイレ由実のマドリー日記」 がしばらく更新されていません。心配になって、スペインの大橋由美さんにメールを出していたところ、数日前に返事がありました。フランスで踊るためのプロモーションビデオを撮るという喜ぶべきことがあった反面、あるトラブルに巻き込まれるということもあったりして、精神的に落ち込んでいたそうです。外国で暮らすということは、さまざまなことに遭遇する危険性もはらんでいます。でも由美さんはきっと復活して元気なマドリー通信を送ってきてくれると信じています。がんばれ由美さん。
1278……6月3日(火)
何通かの電子メールの返事を書くために、たっぷり2時間かかりました。電子メールを、単純に手紙と言葉を置きかえると、今のJaponの人たちの方が手紙をよく書いているのではないでしょうか。ファックスが家庭に普及した時は、筆者などは"ファックス往復書簡"などを友人と交わしていました。しかし、この通信メディアは遠隔地になるほど通信費がかさみますし、深夜に書き上げても、相手のことを考えると翌日の朝に送ることになります(やはり深夜に電話を鳴らすことは遠慮の対象となるからです)。
一方、電子メールなら時間や、相手のファックス用紙の残量を気にせずに送ることが出来ます。この利点は郵便、ファックス通信をしていれば、おおいに痛感すところです。筆者などは、携帯電話で交わされたメール文のうち、保存しておきたいものは、自分のPCに転送するという念のいれようです。携帯しかメール交換をしていない人は一体どうしているんでしょう。
そして今となっては一葉50円もする官製葉書を使ったハガキ通信などは贅沢なメディアになってしまいました。時代は変わるものです。かつて月刊のハガキ通信を出していた者としては、このメディアに対する郷愁があって、またいずれか復活したいと思っているのです。今度はパソコンで作るので自在さが格段に飛躍するというわけです。
1277……6月2日(月)
カルメンの定休日。FMわぃわぃ「南の風」の放送の日です。
本日は、島唄大会の「高年の部」の様子を伝えます。優勝者は直田ハル子さん。次から次へと出てくる唄者はみなレベルが高い。さすが"歌都"名瀬で行われる島唄大会です。帰宅後、徳之島出身のY氏から送ってもらった「奄美民謡大賞」のビデオを鑑賞。全部で4巻もあるというもので、特に「少年の部」が元気です。将来の奄美島唄界を背負って立つ人材がこれまた潤沢に用意されているという意味で慶賀すべきことです。会場で音を拾ったので音質としては少し劣るのですが、島唄ブームを受けての奄美における貴重な島唄大会の様子を、これまた「南の風」でオンエアーしたいと思っています。
今日は疲れがたまっていたので、午後9時台に蒲団に入っていました。
1276……6月1日(日)
今日から6月。そういえば一年前、サッカーのワールドカップが開かれ、すべての耳目が集中していました。あれから一年、巨大なサッカースタジアムがJaponのあちこちに出来て、しっかりと"夢の跡"は残っているのですが、肝心のスポーツ熱は、プロ野球に転化されてしまった感がします。景気浮揚のカギとされていたワールドカップも一年たってしまえば、その影響は殆どなく、勢いでサッカー球技場を建設してしまった各自治体の財政にしっかり負担がのしかかるといった結果だけを残すことになりました。
今日から、無料配布紙「Hot Papper」にカルメンが登場。いくつかの特典が載っています。7月まで有効ですので、思う存分ご活用ください。
1275……5月31日(土)
法事である家に。そこはもともと8世紀から続く神社の横に居住しているために、神祇信仰が定着している土地柄です。建て替える前も、震災後に建て替えた後も、台所には神棚が設(しつら)えてあります。ところが、四十九日の法要で訪れると、その神棚に半紙が掛けられ見えないようになっているのです。
「神隠し」というそうです。死や病などの穢れが発生した家や、仏教による法事が行われている期間中、神を隠す、つまり不視の状態にするために、神棚の前に半紙を垂らすのです(家長の人に聞くと、縁戚の者/近親者の場合は三カ月、身内の者では一年ほどこうした「神隠し」を続けるというのです)。筆者はこうした神祇信仰とは無縁の家庭環境に育ったので、最初、何から何を隠すのか分からなかったのです。つまり、法事の際にかもしだされる仏教の読経の呪術性に神々が萎えるので、それを遮るための装置か、あるいは死や病などで、その家の霊威が損じた状態に、神々が悪の位相を発揮して跋扈することを仏威によって封じ込めるための装置か、とも想像したのです。
もともと神棚のある家には仏壇もある家が多いので、その同居性を考えると、別に神を尊重しなくてもいいのではないかとも思ったのです。しかし、仏教の仏たち(ブッタ)はある程度理知的に存在証明しえる形而上学的存在ですが、神道の神というのは、言説化されにくい(あるいは言説を拒絶している)存在なので、物言わぬ神であるからこそ「おそれ」の対象となっているのではないでしょうか。
また「本地垂迹」の観点からすれば、"本"であるブッタたちは言ってみれば外の神たち、渡来神/飛来神であるのに対して、神祇信仰の対象となっている"地"の神道神は、在来神でありその土地に根付いた地霊/家霊を伴った存在であるとも言えます。仏教という体系/仏教のブッタたちは、満巻の経典によって雄弁に語られていることに対して、神道の神々はなべて「一言主」のような存在、つまり寡黙性/沈黙性にその属性があるといった対立項として捉えることが出来るのかもしれません。
1274……5月30日(金)
いま何を思ったのか盛んに片づけをしています。だいたい筆者は部屋が乱雑であっても平気なのですが、数年に一回、突然に片づけをしだすのです。そういう時のゴミはたいそうな量になります。その中身はたいがいこれは少し残しておこうと思っていたものばかりです。また、その時でも捨てるのには忍びないものは、またどこかにまとめて放りこむので、結局は〈「片(隅)」(に)付ける〉=〈かたづける〉ということになるのです。そうして捨てられないブラックボックスのような固まりがいくつも残っていくという結果となるのです。
3畳ほどの書斎の壁という壁はとうぜん書籍、資料、CDで埋まっています。どちらを向いても本だらけ。こういう状況が極端にイヤになることもありますし、臆せずに本を買い込んでしまうこともあります(いまは後者のほう、本を買いたい欲求にかられています)。
20歳代の時に読んでいた本は今と少し違います。詳細は別稿で書くとして40歳代の後半になりますと、だいたい書斎に並べられた本のジャンルは絞られてくるものです。筆者の部屋は子ども達のどの部屋よりも狭いのにもかかわらず、置いている書籍の数が多いので、いつも物がいっぱいの状態です。
CDもまた奄美島唄関係だけでも相当なコレクションとなりました。筆者は悉皆的なコレクターを目指さないつもりです。10歳代の頃、ジャズLPの悉皆的コレクターになろうとして挫折した経緯があるからです。男の子というのは10歳代の時にきっと誰もがなにかのコレクターになるのかもしれません。このテーマも面白いので、別稿で展開しましょう。
1273……5月29日(木)
浮き草というもの、どんどん増殖するものですね。まるで(目に見える)リゾームのように次々と拡がっていくのです。まるで高度成長期のJapon経済のように、ブランチ(支店)が次々と出来ていきます。この浮き草は肥料をあげる必要はなく、まことに筆者向きなのです。
中に一匹、ボウフラを入れてみてしばらく観察していました。小気味よく動きます。時々挑発的にこちらをみるようソレと目が合うのです。最初どんな生物になるのか検討がつかなかったのですが、ある朝、立派なヤブ蚊に脱皮していました。まだ飛び立つ前で静止状態でした。しかし蚊に対する反射的行為によって一瞬にしてつぶしてしまいました。何日間か顔を見つめ合った友を自らの手で消去してしまったのです。
1272……5月28日(水)
ラストオーダー間際、バイレの方が。カルメンの近くで教室を持たれている方で、つい先日、教室で発表会をしたばかりとか。その時は「夜逃げ覚悟で発表会をしました」と。フラメンコは床を踏みならすので、たいそう大きな音が出るのです。だから階下の住民は驚くのです。
バイレの方に、カルメンで行っているフラメンコ・ディナーショーの実績を伝え、うちでもやりませんかと誘いました。近年のフラメンコ教室はどこも盛況だと聞いています。そしてせっかく研鑽を積んでいるのですから、発表の場を持ちたいと思うのは誰しも願うところです。しかし、関西にはそうした発表の場は多くないのです。カルメンがそうした場を提供するのは、同じスペインで飯を食べている同士として当然のことではないでしょうか。
1271……5月27日(火)
次男が今日から東京方面に修学旅行に向かいます。なんでも国会議事堂を見に行くとかで、筆者の家系で初めて次男がソレを見に行くのです。続いてお台場に行くとか。なにも東京などに行かなくてもと思うのですが、生徒達が決めたそうです。二日目は河口湖に泊まるとのこと。富士山が綺麗に見えるといいですね。筆者の小学校と中学校の修学旅行は偶然一緒の富士山周辺でした。
でもどうして東京なのでしようか。放っておいても情報、金、人はかの都市に集まってきます。東京に行かなくても、この国の現実は東京細胞の一つですし、巨大な装置を確認しにいくにしても、その巨大さはすべての要素が集積したゆえのものなので自明なことです。
1270……5月26日(月)
FMわぃわぃ「南の風」の番組の日です。今日はゲストに、T・A氏。音楽評論家です。
沖縄の音源を持ってきてもらって番組を構成しました。
最近、思想/評論系の人たちも音楽を引用することが多くなってきました。音楽は国境、民族、人種をいとも簡単に越境するので、グローバル化した現在においては、音楽がどのように移動して、移動した先でどのように受け入れられるのかが大きなテーマになっていきます。番組終了後、元町の「M」で、ロルカ詩祭の打ち合わせ。今年の日程は、お客さんが参加しやすいということから、8月16日(土)になりました。さて、これからゲスト、音楽伴奏者への出演依頼をしていきます。
1269……5月25日(日)
最近、旅先で朝に風呂に入るようにしています。深夜に入るのはだいたい泥酔しているので危険なのです。朝風呂はある程度酔いがとれるのです。京都西院の宿から阪急電車に乗ってカルメンに出勤。早くに到着。朝食がまだだったので、初めて「松屋」に入りました。ここはチェーン店なのですね。しかも24時間営業。こうした業態は例えば吉野屋のような牛丼店はありましたが、定食屋というコンセプトはなかったのでユニークな存在です。ご飯は少し少な目でしたが、まあまあの味でした。
1268……5月24日(土)
昼から京都へ。R大学で行われた会に出席。
12人が壇上に並んで、発言を待ちます。
3年前、同じ教室で筆者は話しをしていました。
午後3時から始まって午後8時前まで延々と5時間にわたってその会は続きました。終了後、呑み会へ。ここでも延々と飲み続け、食べ続け語らいあいました。沖縄から来ている人もいて、刺激的な話もいくつか出来たのです。友人も増えました。宿に着いたのが午前3時。倒れるようにベッドへ。
1267……5月23日(金)
ワインの営業マン来店。P社というところで、だいたい1年に一回程度営業にやってきます。TORO(DO)の99年産Crianza Tinto のなかなかいいものを試飲用に持参してきたのですが、ここの値段設定がもともと高くかつて一度取り引きしたことがあるのですが、継続していませんでした。筆者は気に入ったワインであればいくらでもロットは関係なく買い込むのですが、大切なのは価格です。安く仕入れれば、それだけ美味しいワインをお客様に安く呑んでいただける。こういう単純明快な論理から、いいワインであっても価格を勉強しないと触手が伸びないのです。
1266……5月22日(木)
近頃、いつの間にかスポーツ欄から新聞を読むようになっています。特に読売新聞を読むときは快感です。阪神タイガースが好調です。筆者はいままで数度しかスポーツ新聞を買ったことはないのですが、思わず買ってしまいたい気分になります。やはり関西の球団が首位を独走しているのを眺めているのは気分がいいものです。タイガースの今年は「シーズン終了」が5月まで持ち越しています。
そしてもうひとつ、ひいきのオリックスがいよいよ最下位脱出が目前に迫ってきています。もともと底力のある勝つことを知っているチームなので、6位に安住するチームではありません。やはり監督が悪かったのです。無能者は去るべくして去ったのです。
National flagを振り回すサッカー応援はやはりどこか異和感を感じてしまいます。タイガース対バッファローズで対戦したら面白いでしょうねえ。阪神が甲子園で勝った時など、筆者の帰宅時に法被を着たファンたちに三宮駅周辺で会うことがあります。見知らぬサラリーマンのおじさんがそうしたファンたちに向かって「タイガース、勝ったあ」と雄叫びをあげ、ファンたちと共に万歳をする光景を見ることができます。関西ならではのものでしよう。今年、もし優勝したら道頓堀川に何人飛び込むのでしょう。あれ、寒いと思うのですがねえ。
1265……5月21日(水)
「これ、要るか」と初代から手渡されたものは、亡き母が持っていた『俳句歳時記』。角川書店版です。奥付けを見ると、昭和42年(第7版)となっています。編者は秋元不死男、原田種茅、志摩芳次郎各氏。まだ角川源義氏が社長の時代です。選者の性格が反映されて、中村草田男、西東三鬼、杉田久女、日野草城といった俳人たちの作品が頻出しています。
この本、母の片身として大切に使っていきたいと思うのです。
1265……5月20日(火)
朝は少し冷えます。今年は梅雨寒むとなりそうです。そろそろ拙宅周辺の紫陽花が色づき初めてきました。しかし、今年も猫の額庭の紫陽花は花をつけそうにありません。思うにそうとう頑固な紫陽花です。頑としてわが庭では開花しないつもりでしょうか。それとも千年の境(20世紀から21世紀)を経ても咲かないとすれば、ひょっとして次の千年紀まで待つつもりでしょうか。あと数日たつと同じガクアジサイがそこかしこで咲き誇るのですが。
1265……5月19日(月)
カルメンの定休日。今日は年に一度の"連れ合い"と映画を観る日としました。観た映画は、「戦場のピアニスト(原題/pianist)」。先の第二次世界大戦をくぐり抜けたユダヤ系ポーランド人ピアニストの史実に基づいた映画です。
もし、この主人公がユダヤ人と知っていたら、ひょっとして筆者は映画館に向かわなかったかもしれません。ユダヤ資本によるホロコーストを告発するテーマの映画に若干の距離を置きたいと思っているからです(この意味で、名作といわれている「シンドラーのリスト」も観ていません)。勿論、ナチスのやった民族浄化・大量殺戮は許されるものではありません。その非道ぶりを映像化することに対しても、異見は言いません。しかし、20世紀という百年間、ユダヤ(人)は被害者席ばかりに座っていたのではないのです。被告席にも座っているのです。パレスティナの人たちに対して行っている抑圧政策が現在進行形で存在している限り、〈ユダヤ−ホロコースト−被害者〉という三題話には、警戒心を持ってしまうのです。
実際の作品は、ぎりぎりのところでシオニズム礼賛と一線を画そうとしている映画人の良心が示されたように思われます。むしろ、主人公の、芸術至上主義的傾向="音楽バカ"の一側面が浮き彫りになってくるのです。つまり、ユダヤ人ゆえに本人以外の家族は全員ナチスによって殺戮されるなか、生き延びて仲間のユダヤ人と共に強制労働されているゲットーから、昔の音楽仲間を頼って抜けだしたことに注目したいのです。主人公はユダヤの抵抗組織に協力することを約すものの、自ら銃を持つことはなく、ひたすら逃げ続けます。史実に忠実であるからこうなるのですが、そのひたすら逃げ続ける映像表現は感動的です。また何カ月も何年も隠れ家の部屋から一歩も出ずにいる凄まじさ。二軒目の部屋にはアップライトのピアノがあったにもかかわらず一切弾こうともしません。部屋には何もない音を立ててはいけないので、ラジオもないのでしょう。ただただ無為な毎日をすごしている壮絶(Japonの映画監督なら、この無為の日常の草々とした模様も映像化しただろうと想像してしまうのです)。
隠れ、逃げ続けることによってつながれた命。しかし隠れ家の窓からは、ナチスに対する、ユダヤ人の抵抗組織による銃撃や、ポーランド地下組織による市街戦が目撃されるのですが、主人公はただただ観ているだけなのです(徹底して観察者であることの凄さ)。
筆者の推測では、もう少し、ピアニストとドイツ軍将校との心の交流があるかと思っていたのですが、意外と淡泊な出会いしかありませんでした。なぜ将校はピアニストを逮捕しなかったのか、さまざまな解釈が出来てこの映画の面白いところでしょう。将校といえば、インテリ階級です。民族、国民を乗り越えた芸術と芸術家に対する尊敬の念も抱いていたことに違いありません。将校が廃屋に隠れていた主人公を見つけ「ピアニストなら、なんでもいいから弾いてみろ」と命じ、ショパンの曲を弾きます。映画では将校が聴き終わって感動しつつ、どこかとまどっている様子が表現されています。その感動が主人公を見逃す主因となったことは確かですが「神に感謝しろ」と見逃す理由を言ったときの「神」とはいったい何なのか。キリスト教、ユダヤ教を乗り越えた「神」なのか。それとも音楽を司る神=ミューズなのか。天上の調べを人類に作らせ、演奏させたもうた超越者としての神なのか。
将校のデスクには家族の写真が飾られています。少し前の映画では悪漢・ドイツ軍の将校の人間性を映像化することに憚りがあったのに違いありません。映画というのは、監督・制作者の思想の具現装置でもあります。ストーリー進行と同時に、なにげなく置かれている小物にもさまざまな"記号性"が込められているのです。ドイツ兵=悪漢=鬼というステロタイプな表現を抑制しようとするディテールも読めるのです。
ただただ逃げ続ける主人公。最期は餓鬼のように廃墟に住むことで生を維持し抜いた生命力の強さ。この強さは、さらにポーランドが解放されてからの何十年間でも、発揮されたのではないでしょうか。解放後からの長い間つづく社会主義政権。新たな抑圧体制の中で、おそらく「国民的芸術家」として生き延び、天寿を全うして故国ポーランドで死んだという事実。家族を失いながらも芸術に生きたその人生を支えたのは、一体何だったのでしょうか。
1265……5月18日(日)
神戸まつりの本番。筆者の知り合いが東遊園地に設けられたステージに出演していたので、写真だけでも撮ろうとかけつけたのですが、すでに演奏は終わっていて、ステージ脇に残っていた知り合いを見つけて写真を2.3枚撮りました。パレードを見たかったのですが、店があるためにとんぼ返り。それでも星電社にちょっと寄って、MACをのぞいていました。CD-RWを焼く外付けディスクを購入しようと思っているのです。MAC用は少々割高になっているのが悩みの種です。そろそろ次男坊主のためにMACを買ってあげなくてはなりません。長男はインターネットが出来ないからと、ほとんどiMacを使用していないようです。ネット以外にも使い勝手はあり、理科系なのでパソコンは常に触っていなくてはならないのですが、器用さが少々ないようです。
1264……5月17日(土)
昼間、大阪へ。多くの若者たちと会っていました。これからの世の中、どうなるのか分かりません。"りそな"銀行グループが公的資金導入を国に申し入れるなど、いまだ金融システム不安が払拭されたわけいではないようです。かつては安定企業のひとつだった銀行も"倒産"したり"国有化"されたりする時代です。若者たちも手に職を持つことの大切さを痛感しているのではないでしょうか。
神戸まつりが今日から行われています。明日はパレード。人がたくさん神戸に集まることはいいことです。
1263……5月16日(金)
11日は、母の日。この日は忙しくて動けなかったので翌12日、駅前の花屋に行って"連れ合い"が希望するマーガレットを買いました。"連れ合い"はどうも群れて咲く野草系の花が好きなようです。蘭や牡丹など手間がかかり、単独で咲く花には興味がないようです。「前あった時は庭の一部が一面マーガレットだらけになって」と迷惑そうに言いながらどこか楽しんでいるような風です。
マーガレットと一緒に買ってきたのは、浮き草(恥ずかしいことに名前を聞くのを忘れた)です。四角で透明の樹脂製の器に移すと「なんかクラゲみたい」と娘。少しずつ根が伸びていくのがよく分かります。筆者の部屋(一階)の窓際に置いています。ある程度成長すれば、いま主のいない庭の池に移そうと思っています。池といってもかつて子どもたちが使っていたベビーバスを使っています。そして主がいないと書いたのは、一匹残っていた亀がどうも猫のいたずらでどこかに持ち去られしばらくたつのです。
この浮き草、とりたてて肥料などいらないのが筆者向けです。
1262……5月15日(木)
朝からぐずついた天気。まるで梅雨に入っているような気配です。一本の電話。「WOWWOWでリアルマドリードの試合が放送されますが、そちらで観戦できますか」。去年はじめて知ったスポーツ・バーなる存在。スペインでもバルでは地元チームのサッカー中継をテレビで放映するところもあるなど、その観戦スタイルは普及しています。
いままではスペイン料理店といえば、フラメンコ・ショーをやっているのが当たり前と思われ「今日のショーは何時からですか」といきなり聞いてくる人もいました。今度はサッカーの試合が見れるだろうと言う期待がかけられています。スペイン・チームは応援しますが、カルメンはいまのところそうした映写装置は置いていません。
それにしても、去年はサッカー一色でしたが、今年とくに関西ではタイガース人気で沸騰しています。今年はひょっとしてひょっとしますぞ、タイガース・ファンの皆さん。
1261……5月14日(水)
先の日曜日、昼下がり、詩人の富哲世氏がふらりとカルメンへ。8月に行う"ロルカ詩祭"について今月に第一回目の打ち合わせをしましょう、ということを決めたのです。この文学イベントは、この富氏の実行力と、イベント開催実績がなければ成り立たないものです。毎年ゲストの詩人を呼んできて朗読をしてもらっていますが、今年のゲストについて候補を出し合ってみました。カルメンには、「今年のロルカ詩祭はいつするのですか」という問い合わせのメールが入っていますし、注目度は毎年上がってきているようです。
さて、今年はどのような会にしましようか。
1260……5月13日(火)
昨日またオリックスが負けてしまいました。なかなか6位から脱出することは出来ません。でもどうしたことでしょう。阪神がいまのところセリーグで1位をキープしたままです。しかも三打席連続ホームランという伝説を再び現出させるなど、絶好調です。名将といわれた野村監督でさえ最下位を脱出できなかったのが、2年目の星野監督のもとでひょっとしたら優勝かもしれないという可能性さえ出てきました。
スポーツにおけるパトリオシズム(決してナショナリズムではなく)を受容する筆者にとっては、在関西のチームが、リーグが違うにせよ優勝に近いというのは小気味いいことです。しかも今年は近鉄もつよく、これもひょっとしたら関西球団同士の「日本シリーズ」も夢ではないのかもしれません。
本日の朝日新聞スポーツ欄に面白い記事が載っていました。江夏豊の発言を引用したものでずが、阪神対巨人の一戦は野球の伝統の一戦を越えて、関ヶ原以来の感情が込められている、といった趣旨だったと思います。おもわず筆者も首肯していまいました。歴史を忘れやすいといわれるJaponの人たちが、スポーツというチャンネルを通してであり、何百年というスパンで歴史感覚を所有するということは興味深いことです。
勝った側は勝利を忘れます。勝った状態が日常の中に常態化するためです。しかし負けた側はいつまでも"負"の常態から抜け出すことが出来ず、負け続けているのです。記憶は敗者の方こそじっくりと時間をかけて熟成されるのかもしれません。また勝者というのは、その継承されるところは人も組織も変化しやすいのですが、敗者はその共同体のありようはあまり変化せず、負けたことを拠り所にして結束の契機とします。
スペインもまた同じ。バルセロナ/カタランは、1939年に終結する内戦に負けて以来、フランコ政権から徹底して冷や飯を食わされてきました。それ以前からも在カスティーリャ政権と対峙していたのに違いありません(19世紀末の王統派との戦いなど)。その"遺恨"が、サッカーの試合に直接的に表出するのです。つまりはFCバルセロナ対リアル・マドリードの熾烈な戦いです。
同じサッカーでは日韓定期戦がそうでしょう。36年間帝国支配を受けた韓国は祖国が分断されているという"負"の状態が深化しています。韓国はJaponに勝たなくてはならないのです。歴史がからむということはこういうことなのです。
1259……5月12日(月)
カルメンの定休日。久しぶりにFMわぃわぃ「南の風」の放送です。
今回は、3月末に名瀬で収録してきました島唄大会の様子です。何回かにわけて放送しますが、今回は、ゲストの部として登場した唄者のパートを放送しましたに。今回、なんといっても大きな出会いというのは、徳之島・天城町に住む松山京子さんの島唄と出会ったことです。ダイナミックで、ステージ技術もあります。あきらかに今までの唄者と違うタイプです。奄美で、松山さんのCDを買い忘れてしまいましたが、来年徳之島に行く予定ですので、松山さんに「徳之島の島唄を録音させてください」とリクエストを伝えておきました。
ゲストはこのほか福山幸司さん、皆吉佐代子さん、中田和子さんらです。
1258……5月11日(日)
前日から配り始めた阪急電車が発行する「TOKK」5月15日号"神戸まつり"特集に、カルメンが紹介されています。第7面です。春にも臨時増刊グルメ号にも紹介してしてもらいましたが、今回はそれに続いて二回目です。神戸まつりは、神戸の街が沸き立つ瞬間です。震災後の不況で、神戸経済の元気は恢復せず、停滞は続いています。いつまで続くかわからないこの状態に、祭りの時だけは、明るく陽気にすごしたいものです。
1257……5月10日(土)
"花冷え"という言葉があります。また北海道には"リラ冷え"があると言われています。となると、神戸のカルメンには"ガスパッチョ冷え"というものがあると言い得るでしょう。ガスパッチョは、冷製スープ。夏期にしかつくりません。ゴールデン・ウィーク明けに作るのを慣例としていますが、不思議なことに、ガスパッチョを始めた時期はなぜか少し冷える日々が続くのです。それでも、電話で「もう、ガスパッチョ、始めましたか」と聞いてくるお客さんもいて、やはりこの時期になると、みなさん、ガスパッチョを待望するのです。1256……5月9日(金)
長男にプレゼントした本があります。内村鑑三著『後世に遺す最大の遺書』(岩波文庫)です。かつては星ひとつ。つまりは50円でした。薄い本です。実はこの本、筆者は父からもらったのです。ちょうど長男と同じ年代の高校生でした。高校生ともなれば、「いったい自分って何もの?」という哲学的なアイデンティティを模索する世代です。
内村といえば、毀誉褒貶の激しい宗教者ではありますが、同書は、明治になって西洋的な教養を受容した後のインテリが、どのようにアイデンティティを確立していったらいいのかという普遍的なテーマを扱った古典なのです。人生の目的を金銭の取得とするのか、思想や表現の確立とするのか、それとも平凡であれ勇気ある人生を全うするのかという分かりやすく説得力のある言説が展開されています。
長男に手渡す前に、さらりと読んだのですが、内村は(また戦前の教養人は)『源氏物語』のような"たおやめぶり"の作品を嫌悪していたのですね。これは明治の教養主義を形成していった下級武士階級の尚武的な価値観とあいまって面白い価値観です。
1255……5月8日(木)
筆者にとって、ゴールデンウィークは、殯に始まり、殯に終わりました。いままだその二人の故人のことが頭から離れません。"師"だった人については、てある新聞に連載しているコラムに書くつもりです。いわばこの文書が筆者の"弔辞"代わりとなるものです。しかし、資料を調べたり、故人が書いたものを読んだりして、パソコンに下書きを書き込んでいると、この文章を書いてしまえば、本当に"黄泉扉"を閉めるボタンを押してしまうようで、忸怩たる思いがするのです。
また別途、その人が遺した作品をもとに文学評論を書くことにします。
1254……5月7日(水)
火曜日は子ども達の塾がない日なので、去年の春から、母、義母の看護から死、葬儀と続いたので、家族で外食することがなかったので、久しぶりに行きました。でも、この前の食事会は、一年前の春、母がまだ生きていた時で、この時に撮っておいた写真をいましみじみ眺めています。今日が母の誕生日。生きていたら77歳の誕生日です。平均寿命が80歳を超えるといわれる中、筆者の二人の母は"平均"よりも早くこの世を去ってしまいました。老いた母が生きていれば生きているで心配もするのですが、亡くなってしまうと、記憶の中でしか存在しないのも寂しいかぎりです。1253……5月6日(火)
殯(もがり)を経験するということは、その回数分、葬儀会場の晨(あさ)を知っているということです。千里会場の早朝に周辺を見回すと、竹林が多いことに気づきます。義母の葬儀会場はビジネス街の中だったので、午後9時になると出勤してくる勤め人が多かったのですが、桃山台は住宅街なので、午後8時前後に出勤する人が多く会場横を通ります。ついでに母の場合は、昼も夜も閑かな街中でした。今日はカルメン休み。ゆっくりと故人の追悼に時間を費やします。
告別式は、午前11時30分から。詩人のS・K氏は通夜に続いて参加。背筋をピンと伸ばし、凛としたたたずまい。さすがです。弔辞は、郷友会の人、小説家のA・S氏、社員代表と続きます。出棺を待つのですが、なかなか出ません。嗚咽の声がいつまでも続きます。故人の死がいかに早すぎ、そして急すぎだったかを物語っています。
筆者は火葬場まで行きます。ここでも坊主が読経。いよいよ火葬されます。この時が本当のお別れです。しずしずと棺が火葬釜に入っていきます。その時に閉まる自動ドアが現世とあの世の境目。いってみればそれは"黄泉扉"。ここでも鳴き声がやまずなかなか"黄泉扉"の中に入れることができません。筆者おもうに、この"黄泉扉"の前での遺族のありようによって、その人と遺族との心のつながり具合が分かります。今回の場合は、別れるのがつらいパターンでした。
本当は、出身の郷土から多くの表現者、思想家が来てもよさそうなのですが、なにせゴールデンウィークの帰りの便で、関西に向かう飛行機はおそらく満席状態と思われるので、故人の仕事の濃密さからすれば、出席者は少し寂しいものでした。
昼過ぎ、筆者は極端な疲労感におそわれ"骨挙げ"には同行せずひとり故人を偲びながら帰途についたのです。
1252……5月5日(月)
午後5時から通夜。吹田市桃山台の千里会館が会場。去年夏からすっかり葬式慣れしてしまった。つまり通夜は夜伽ぎのために徹夜(といっても途中何時間か仮眠しましたが)。しばらく会っていなかった懐かしい顔と会います。親族と人たちと、死亡にいたる経緯を聞きます。喪主の夫人、故郷からかけつけた実姉も泣いています。哀しい哀しい出来事です。通夜が終わって、宴会が始まります。筆者は黒糖焼酎を持ち込みます。そして一人帰り、一人去っていきます。祭壇の前に陣取り、"夜伽ぎ"が始まります。筆者は残ることにしました。
1251……5月4日(日)
筆者の師と仰ぐS氏が急逝。55歳、若い。「殺されても死なない」と思いこむほど生命力あふれる人だっただけに、なんともあっけない死です。電話をもらってしばし茫然自失。すぐに何人かに電話とメールで連絡。明晩が通夜、あさってが告別式。"連れ合い"に電話「また、喪服が要るよ」。「よかった、洗濯屋にもっていったら休みでまだ家にあるわよ」。義母の葬式からまだ一週間たっていない。このS氏と義母、偶然にもともに8月18日生まれ。なにか因縁めいた話です。
1250……5月3日(土)
今年はなんといっても、ゴールデンウイークの日取りが悪い。それにSARSや戦争が重なって、海外旅行組が大幅に減少したとのことです。今日、JRの駅に着くと改札に「本日、USJは入場制限しています」との張り紙。そうか、こういう状況だからこそUSJなのか、と妙に関心。カルメンはゴールデンウィークもずっと営業中。今年も不況が続いていて、バブル時のような勢いはありません。この国はこのまま閑かに衰微していくだけなのでしょうか。こんな状態だと、訳の分からないナショナリズムが跋扈しそうで気が重いばかりです。
1249……5月2日(金)
ある県立高校の学園祭をのぞいてきました。長男が通っている高校で、三宮から2番のバスに乗り、その高校名のバス停で下車。2年生が模擬店を担当して、長男のクラスは水餃子を作るということです。しかし、筆者が行った時はすでに売れ切れ。廊下で偶然会った長男をデジカメで一枚写してすごすごとその場を去りました。長男は教室に入ったまま出てきません。親と話すのが格好悪いのでしょう。
仕方ないので講堂へ。この学校は長男が入学した年に校舎、グラウンドと共に全面改装が完成したばかりで、100年以上の歴史があるのに新設校(しかもカレッジのような雰囲気)のようなフレッシュさが漂っています。講堂では、弦楽部が演奏しています。高校で弦楽演奏(クラシック)が聴けるなんて驚きです。そして本館の2階ホールではコーラス部がアカペラで(当たり前ですが)唄っています。まるでその雰囲気はミッションスクールのようです。さすがに旧制中学以来の伝統を持つ学校ならではの余裕を感じました。
筆者が通った高校は街の真ん中にあるごちゃごちゃした雰囲気であったことを考えると、こんな高校で3年間を過ごす子ども達はしあわせですね。
1248……5月1日(木)
もうこのサイトの読書のみなさんは、お気づきと思いますが、表紙ページに「カルメンの歴史」というサイトを新設しました。月刊『PEN』などのスペイン料理店特集において、カルメンがこのJaponにおいて、一番早く出来たスペイン料理専門店であることが喧伝されましたので、その証拠といったら表現は変ですが、カルメン側からも、その歴史をこのホームページ読者に知ってもらおうと作ったのです。
まだまだ未完成です。これからカルメン47年間の歴史を刻んでいこうと思っています。これからたまにはこのサイトものぞいてみてくださいね。
1247……4月30日(水)
カルメン休みの日。疲れがたまっているので、一日ずっとオフの状態で過ごします。
"連れ合い"は掃除、片づけなどでバタバタ家の中を上へ下へと大忙し。それもそのはず今日は恐怖の家庭訪問。"連れ合い"の目はつり上がり、玄関横にある筆者の部屋には荷物が山積み。しかしなんですなあ、家庭訪問というのは、家が片づくものですなあ。
1246……4月29日(火)
それは意外と濃紺の色でした。テレビ画面に写るそれは"花紺"のような明るさでしたが、実際の"青いリボン"は、濃い青だったのです。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に拉致された人たちを救出するための決意の印である青いリボンです。故あって筆者のもとに届けてくれた人がいます。
隣国の一つである北朝鮮が自ら核兵器を所有していることを明らかにしたことで、東アジア情勢が緊迫化しています。北朝鮮は、韓国は勿論のこと、Japonの諸都市に届くミサイルをすでに開発しているとのことで、実際に両国が標的になる可能性が高くなっています。
しかし、事情通の話によりますと、太平洋岸の大都市を狙った核爆弾は本当は脅威ではなく、北朝鮮により近い日本海側に蝟集する原子力発電所をたった一基破壊すれば、Japonは大パニックに陥り、機能不全状態になります。そのためにはミサイルでなくてもよいのです。ウワサによると北朝鮮軍はいまだ複葉機を所持しているらしく、それに爆弾を載せて原発に体当たりすればいいというのです。なんでも複葉機はレーダーに写らないとか。本当のようなウソのような話です。
中国はSARS禍で大揺れに揺れています。Japonには、ゴールデンウィークで東南アジアに旅行してきた人たちが帰国してから、本格的に拡がる可能性が示唆されています。今年のGWは長期休暇を取りにくいし、アジアもリスキーだとすると国内に留まる人が多いのではないでしょうか。
1245……4月28日(月)
午後1時から告別式。義母の出身高校は四条畷高校。新制第一期生で、戦後初めて男女共学になった年です。戦前の教育では、旧制中学以上は男女別学が当たり前であり、戦後という新しい時代のの中でも、やはり本人達や親、教育界にとっては衝撃的な事件だったのでしょう。そのせいか、義母の同級生はいつまでも仲が良く、クラス会を何度ももっているようです。
読経、焼香に続いて弔電披露。そして長男の弔辞です。事前に原稿を見せてもらいましたが、実際にしゃっべった内容は少し前置きを追加していました。淡々としながらも誠実味ある内容だったと思います。後で聞けば、長男の弔辞を聞いて涙した親戚もいるそうです。
出棺、火葬場へ。うっすらと化粧した義母と最期のお別れです。死因は膵臓癌でした。腹水がたまり、経口による食事摂取が出来なくなって衰弱がはっきりしてきました。死の数日前に病室を見舞うと、あきらかな死相が。この時はじめて死相とは、死を予兆させる表情ではなく、死人と同じ表情であると悟りました。
火葬場から帰ってくると、昼食。親戚の子ども達は死という重大さが分かっていず、走り回っています。孫の中で一番最年長の長男は、そうした光景は子どもっぽく、うっとおしく感じているのです。特に中学3年生の次男と従兄弟の中学2年生は、まるで漫才コンビのようで、二人の母親に怒られっぱなし。おばあちゃんとのお別れよりも久しぶりの再会を思う存分楽しんでいるようです。
親戚は、いきおいのある河内弁を使う人が多く、時々聞き取れない単語をしゃべります。たとえば「だんない」という表現。人によりますが「食べ方がきたない」とか「値打ちがない」といった意味だそです。筆者は愛称で呼ばれ、「あゆさん、呑みな」とビールがつぎつぎと注がれます。河内というところは、大阪弁とも違う言語世界を持っている場所です。大阪という大都会の間近に、郷土色を濃厚に遺している地域が存在していることの面白さ。船場あたりの洗練された都会言葉をしゃべる人たちの前では、とんでもない鄙言葉だったんでしょうねえ。
続いて骨挙げ。骨ばかりになってしまった義母。こうなってしまえば、いくら阿倍晴明といえども蘇生は難しいでしょう。ずっと未来にDNAのゲノム再構築によるクローン技術を待つしかないのかもしれません。親戚の中で"おとんぼ(末子)"の小学二年生が最期まで箸を持って白骨をつついて拾おうとしています。こういう大胆無垢なことを平気でする子は将来大物になるしかありません。
そして最期は初七日をします。坊主の読経。読経の後に気の利いた法話をしゃべる坊主もいますが、この坊主は失格。仏教のこと、Japonの人たちは知っているようで本当は知らないことの方が多いのですが、しゃべらない。坊主の勉強不足ということもあるでしょう。宗教は物語です。キリスト教の牧師・神父が日曜礼拝で毎週繰り返して『聖書』を引用しながら説教することで、キリスト教、イエスの物語を反復するように、仏教も仏陀という人が何を考え、どう生きたのかを反復して仏教徒に話さなくてはなりません。こういう怠惰を重ねるから、筆者は殆どの坊主を評価しないのです。
すべてが終わったのは午後3時すぎ。筆者は仕事で職場へ。
後日、娘に聞けば、おばあちゃんの夢を見たそうです。筆者の母が死去した時も娘は夢に出現させています。どうやらこうした霊威が若干はたらくタイプのようです。
1244……4月27日(日)
昨晩の仮通夜に続いて、葬儀会館での通夜です。場所は阪急京都線「南方」駅下車のところ。生前、付き合いが広く、多くの人に愛されてきた人だけに、その死を惜しむ人は多く、200人近い参列者がありました。通夜が終わって、親族だけになった時、長男は原稿を書いています。義母にとって初孫にあたる長男が、孫を代表して弔辞を述べることにしたのです。坊主の読経もありがたいでしょうが、それは制度的に継承されたものであって、その場その時の特別のものではない。その分、弔辞というのは、この場この人だけに向けられる言葉の束です。長男が弔辞を読むようし向けたのは筆者です。坊主の読経は言ってみれば通夜/葬儀の環境音楽のようなものです。いわば夏の蝉の声と同じと言えましょう。しかし蝉の声がしない夏はやはりどこか異質感があるように、蝉=読経はあってもいい、といったレベルではないでしょうか。筆者がこれほどまで言うのは、坊主の読経に死者に対する弔意を示す意味を込めた呪術性が現代の仏教従事者(坊主)から欠落しているからです。
さあ、夜伽です。面白いことに、夜伽をするのは男性が多いようです。筆者も義父らと共に参加しました。女性達は喪服(着物)に着替えるために一度自宅に帰ります。深夜、しーんとした葬儀会場での夜伽の持つ独得の雰囲気。時間は静止。でもどこか漂う祝祭的気分。その葬儀会場は、棺の前に四畳半分の畳がスライド式で出てくる仕組みになっているのでそこで酒を飲みながら夜伽話をしながら、すごしたのです。
1243……4月26日(土)
義母が69歳の生涯を閉じました。この国の女性の平均寿命からするとまだ若い。女性の70歳台というのは、体力は衰えるけど、旅行、観劇、会食、趣味と幅広い活動を楽しむことが出来る成熟の日々です。その70歳台を迎える前に亡くなったのは、なんとも可哀相です。
"連れ合い"は、ここ数カ月、病院につめて介護を続けていただけに、苦しみから解放された義母の閑かな顔をみていると、言葉にならない状態なのでしょう。
1242……4月25日(金)
久しぶりに小説を読了しました。読んだのは、沖縄の作家・崎山多美さんの『ゆらりてぃく ゆりてぃく』(講談社)。沖縄では5人目の芥川賞受賞作家になるだろうと言われている人です。筆者は一度那覇で会ったことがあります(その時は目取真俊とも会っています)。その時の崎山さんの島尾敏雄回顧談が面白い。「島尾さんは沖縄に来れば解放されていたと言われているが、私はそうは感じなかった。どこか所在なげであった」。この発言は島尾像を考えるときに貴重な証言ではないでしょうか。
さて、その小説、架空の"ホタラ島"を舞台に、年寄りばかりになってしまった島で繰り広げられる綺想譚が二篇収録されています。タイトルになった「ゆらりてぃく ゆりてぃく」は完成度の高い作品。娯楽とてない島の年寄り達は、気のあった家で暇にまかせてユンタクヒンタク(おしゃべり)に明け暮れている。その中でジラーが見たものは、なんとも奇怪な物体だった。おそらく作者の出身地である八重山を舞台にして、近年まで続いた夜這いを大きなモチーフにして、濃密な島の人間関係が織りなされていきます。沖縄の側から語られたシマの内側がよく語られています。
続いての作品「ホタラ綺譚」の読みどころは、よそ島から流れ着いたイナグプリムンが原因と思われる幼児・子ども行方不明事件を解決するために、島民が選んだ手段は集団で押し掛けるのではなかったのです。それは、ホタラ島の秘祭といわれるアガクニのマチリという集団舞踏を舞うことで島とシマビトに秘められたパワーを結集することでイナグプリムンを死に至らしめるということでした。この解決方法が琉球弧のシマ共同体の在り方を踏まえつつ創作されたという意味で評価できると思います。
筆者はたまにしか小説は読まないのですが、読めばそのごとに楽しく感じているのです。
1241……4月24日(木)
昨晩おそく衝撃的なニュースが飛び込んできました。オリックス・ブルーウェーブの石毛監督が球団から解雇されました。初めに言っておきますが、筆者は石毛監督を否定的に捉えていました。関西のチームであるブルーウェーブにどうしてこの地に縁がない人を持ってきたのでしょう。球団経営者には、いい意味でも悪い意味でもあるパトリオシズムという要素は、監督人事には関係ないようです。これは経済人の発想です。
石毛という前監督の人柄はよさそうです。しかしその熱血ぶりが少々空回りしてしまったようです。かつての巨人出身の土居とかいう無能な監督の時もそうでしたが、なんとなくブルーウェーブの選手がサポタージュしているようにも思えました。もともと実力のある球団です。阪神のように何年も続いて最下位に沈むような球団ではありません。ところが、永年にわたってブレーブス/ブルーウェーブのファンであるわがカルメンのチーフに聞くと、有能なブレーブス/ブルーウェーブ出身スタッフは殆ど山田監督ひきいる中日ドラゴンズに引き抜かれていると言います。
ファンとしてはなんとしても2年連続の最下位だけは避けて欲しい。しかし、石毛監督がこんなにも早くクビになるとは意外でした。今シーズンの夏以降かシーズン終了後と思っていたのです。昨晩さっそくYAHOOにあるブルーウェーブの掲示板をのぞいたら、石毛監督を弁護する意見は見あたりませんでした。「クビは監督だけでいいのか、球団社長の責任はどうなる」といった書き込みもあります。どうも石毛監督がクビになった大きな要素の一つに、グリーンスタジアム神戸(今年はYAHOOスタジアムと言っている)の「天覧試合」に負けたことを指摘する声もあります。「しばらく野球を見たくありません」と記者会見で言っていた石毛氏、神戸に住む筆者のようなファンに迎え入れられなかったのは事実としても、狂言回し(トリックスター)のような惨めさがなんとも哀しい限りです。
1240……4月23日(水)
10年前のある日のことを思い出してしまいました。ラストオーダーである午後9時ぎりぎりに入ってきたカップルがいました。途中、なんどか「必ず9時まで入りますから」と三宮に近づくごとに電話を入れてこられるので、そういうお客様に対してはたとえ午後9時をすぎてもオーダーを閉じるということはしません。
5分前に到着したそのお二人、メニューを食い入るように見つめて料理を決めるまで10分以上、ドリンクを決めるのにも10分近くかかります。最初は、カメラなどで男性の方が女性を写してなごやかな雰囲気だったと記憶しています。それがどうしたことか急に女性が泣き始めました。どうやら男性の不実を責めているようにも聞こえます。ギャルソンである筆者は決してお客様の会話に聞き耳をたてることをしないので、推定でしかありませんが、一方的に女性が男性を責め続けていました。筆者の記憶では、男性は甘いマスクの男前。女性の詰問を黙って聞いているだけでした。閉店時間は過ぎているのに、男と女の修羅の真っ最中に「あのう、そろそろ」とは言い難い。あらかじめその二人から電話がかかってきたときに「午後10時が閉店時間です」と告げているのです。
ようやく男性が帰り支度をして立ち上がります。時刻はすでに午後11時。いそいで店じまいをして電車に乗り込みます。駅を降りると、三宮は雨が降っていなかったのに、やや厳しめに降っている。傘は持っていません。だいたい神戸は西から天気が崩れることが多いので、三宮が無雨であれば大丈夫と踏んでいたのが、予測をみごと外してくれました。あと一本早い電車に乗っていれば、雨にたたれることはなかったのです。したたかに濡れてしまいました。
実は昨晩もあと一本早く電車に乗っていれば濡れ鼠になっていなかったのです。雨に無防備に濡れながら、10年前の男と女の物語を思い出していました。
1239……4月22日(火)
爽やかながらも、少し冷える朝。スコーンと突き抜けるような青い空。こういうアッケラカーンとした天象は、神戸の街によくあいます。この都市の魅力は明快性と明るさ。美味しい食べ物、陽気な人たち、他者を排除しない風土。なにより今ある人生を楽しく過ごしたいと思っている人には最適ではないでしょうか。
1238……4月21日(月)
カルメンの定休日。FMわぃわぃ「南の風」、今日は二回放送します。
第一回目(午後4時から)。与論島の"かりゆしバンド"の特集です。1月に訪れた時、バンドリーダーの田畑哲彦さんから譲り受けた3枚のCDで番組を作りました。このバンドは田畑さんというキャラクター抜きではあり得えません。ちゃんとしっかりと与論独自の島唄をCDに収録していると同時に、自分のオリジナルをシマグチを使って、島のリズムに乗せて創造しているのです。このバンドは自らオーナーであるライブハウスをベースにして活躍されています。
第二回目(午後7時から)。2月に奄美を訪れた俳人の伊丹三樹彦氏をゲストとして迎えます。神戸新聞の俳句欄選者であるばかりか、1920年(大正9)生まれの本人そのものが戦前・戦後の俳句史の生き証人なのです。83歳という年齢にもかかわらず一月26もの俳句教室の講師を務めるという活躍ぶりには、驚いてしまいます。
伊丹さんは1956年から俳句結社誌「青玄」を日野草城氏から受け継ぎ、今度の5月号で578号の誌齢を重ねることになります。また、「写俳」という写真と俳句を合体させた表現ジャンルを確立していることでも著名です。そして昔からのカルメンの常連さんでもあるのです。
伊丹さんの歩んでこられた歴史を思いますとき、俳句史を残しておくという意味でも、ちゃんとした聞き書きが必要でしょう。(ちなみに現在、読売新聞で桂信子さんの聞き書きが掲載されています。かつて桂さんも「青玄」に属しておられました。しかし伊丹さんの"分かち書き"に対して疑念を持った桂さんは、「青玄」と決別し、独自に俳誌を創刊したと伝えていますが、そこまで書けば、伊丹さんの見解も読売紙上で紹介するべきでしょう。文化部担当記者のバランス感覚に期待したいものです)。
1237……4月20日(日)
朝日新聞書評欄に面白い本が紹介されています。筆者はこの書評欄を読むのが好きなのです。筆者にとっては貴重な情報収集源です。この欄に選ばれる書籍は、その時の評者の得意とするジャンル、評者が属している共同体に関する著作がとりあげられやすい傾向にあります。在日韓国・朝鮮人の人の場合は、韓国・朝鮮、在日であることを扱った本や、在日作家の作品が取り上げられることが多いようです。
在日のある知人、「少し前は、韓国・朝鮮関係書で、数は少ないながら良質な内容のものが出版されていたのですけどね。最近、北朝鮮関係でひどいのが多いんですよ。といいつつも、ついいくつかは買ってしまうんです」。
1236……4月19日(土)
昼間、梅田へ。紀伊国屋書店梅田店と、旭屋書店本店へ。紀伊国屋は本の流れが速いため、新刊書が中心。川の流れのように次々と並んでいる本が変わっていきます。人文関係の棚がかつてに較べて狭くなりました。棚に本をストックするという機能を重視といないようです。最近、阪急電車も書店業務を拡大していることもあり、梅田駅改札入口にチェーン店舗を設けています。
一方の旭屋は4階に上がると、人文関係の書籍が贅沢なスペースのもとに並んでいます。読書人/本好きの人たちは、どちらかというとこちらの書店に向かうようです。筆者の好む思想・評論関係も充実していて、さすがです。特に思想書は関西でも有数の棚でしょう。やはりこういう書店が存在するのは嬉しい限りです。
1235……4月18日(金)
ジュンク堂書店センター街店へ。神戸の本読みにとって、ジュンクの大型書店が二店あるということが、読書環境の豊穣さを演出しています。筆者は巨大書店フリークスと言っていいほど、大きな書店を逍遙するのが好きなのです。本の森、知の森。神戸という都市は、都心部に商業施設が集中しています。こうした利便性は、神戸ナショナリストを育む環境を用意するのです。
神戸ナショナリストの言辞、それは例えばこういう例です----神戸に住んでいれば、全きの辛党は存在し得るのでしょうか。甘いものを一切うけつけないと宣言する者でも、神戸にある菓子会社がつくる甘さ控えめのデザート、ポストレを食べると、その美味しさの前では、甘いものをうけつけないとする態度は無意味なのです----とまあこんな調子でしょうか。勿論、この神戸ナショナリストの言辞の発信者は筆者なのですが。
1234……4月17日(木)
春、というより初夏、といった形容の方がぴったりします。この時期、"木の芽"時といって、急激に変化する気候に身心を合わせるのが大変です。筆者のなくなった母はこの時期を嫌っていました。また、喘息気味の次男にとっては、身体の調子が悪い年は、症状がひどくなるのもこの時期です。
今朝、デジャリドゥという楽器を演奏するA氏に駅で会いました。この楽器、オーストラリアの先住民族アボリジニのもので、長い筒状のものです。最近は姫路方面で活躍することが多いそうです。姫路商工会議所がストリート系ミュージシャンに発表の機会を与えているそうです。
姫路は神戸とはまた違った文化の諸相がある都市です。播磨文化というのでしょうか。播州人気質というのもあるようです。また「姫路文学館」というすぐれた文化発信装置もあって、文学関係で公的機関から発信する内容という意味からでは、神戸よりも積極的です。かつて神戸にも震災前に「神戸文学館」を作ろうという機運があったようですが、いまは神戸市の台所事情がそれどころではないので頓挫しているものと思われます。
今年は少し播磨/播州との付き合いが深くなりそうです。
1233……4月16日(水)
サッカーの日韓定期戦。1970年代、筆者が韓国を初めて訪れた時、かの国は「国技」であるサッカーがめっぽう強く、国家/民族の威信を背負ってたつという意識が選手にも国民にもありました。そのせいもあって、これまでの成績は韓国の35勝11敗15分。圧倒的にJaponを打ち負かしています。
あれから30年、韓国は「先進国」入りして、大きくこの国と民族を取り巻く環境が変わりました。しかし、去年のワールドカップでは、Japonがどこかと対戦する時、韓国国民は、Japonの相手チームを応援したと聞きます。哀しいことです。これを日韓共催を素直に受け入れていたJaponの子ども達が聞いたらがっかりしたことででしょう。共同開催の国を応援しずらい歴史環境を作ったのは、Japonの方ですが、まだ両国の間に横たわる感情の溝の深さを知るのです。
そして試合の結果は、ロスタイムぎりぎりにJaponが起死回生のゴールを決めて1-0と辛勝しました。スポーツ・ニュースの解説者によると、韓国チームの選手の方が緊張していたようです。宿敵であるJaponをホームで迎え撃つ、しかもこれまでの華やかな戦歴、負けるわけにはいきません。スタジアムは殆ど韓国サポーターで埋められている。その中で戦う。Japonの方は負けても傷は深くなりません。プレッシャーに強いはずの韓国チームも金縛りにあったようです。
この日韓定期戦、毎年行っているわけではないようです。ニュースキャスターの筑紫哲也は「一年に2回ぐらいすればいいのに」とNEWS23で発言していました。それは少し多めでも、一年に一回は開催してもいいのではないでしょうか。人気の組み合わせです。営業的にもマイナスにはならないはずです。
1232……4月15日(火)
転院が決まりました。病気療養中の義母が、大阪市立病院から、とある病院に転院することが決まりました。そこはその分野では関西でも名の知れた治療をおこなうことで有名な病院です。西洋医学にとって、"死"は医療行為の敗北であり、「悪い結果」でしかありません。しかし、転院しようとしている病院は、この"死"から"生"を見つめようとしています。つまり敗北としての死ではなく、残された生を最大限活かすために向き合う事実として位置づけている、といえばいいのでしょうか。終末期の患者に対して、西洋医学は無力です。対処療法さえ十全に施しているのか、時に疑問に思ってしまいます。医師もまた科学的療法(もっと詳しく言えば自分の専門領域に対する医療行為)の手管を使い切ってしまうと、なかば患者の親族と同じ医療傍観者の立場と変わらない態度をとることがあります。
1231……4月14日(月)
カルメンの定休日。午後6時から大阪城公園で、筆者主催の夜桜会を催しました。
今年のだしものは、奄美の島唄。勝島伊都子さんと若林英樹さんに出演してもらいました。さらに呼びかけたメーリングリストの案内で、木場大輔氏が胡弓を持って参加。島唄の前座として演奏してもらいました。さらに山内由紀子さんが仲間数人と参加してくれ、ヤマトンチュの島唄を披露。これがなかなかいいのです。
参加したのは20人を越えていました。今年も盛況です。われわれが鎮座するのは、西の丸庭園入口近くの芝生の中にある八重桜です。この桜の下で、これまでもたくさんの歌舞音曲を催してきました。八重の桜の精も「おやおや、今年もやってきましたね」と愛でてくれているでしょう。
楽しい会でした。来年も引き続いて開催したいと思っています。
1230……4月13日(日)
昨夜、久坂葉子研究会のお二人が来店されました。このところ少しずつではありますが、久坂葉子に関係する方々が来店されています。これは『久坂葉子研究vol.3』が去年刊行されたことをキッカケとして、カルメンの前身が"サロンみなと"であり、そこで久坂葉子が人生最後の日のひとときを過ごし、その生き証人である先代がまだ現役であることが知られたためです。
"サロンみなと"の時代からすると早や半世紀もの時間が経過しています。しかし、久坂葉子の同時代人である冨士正晴、島尾敏雄の日記文が公表されていないことを考えますと、まだまだ関西の文壇の歴史というのは、つまびらかになっていないようです。これからさまざまな資料が出てくるのが文学ファンにとって楽しみです。
1229……4月12日(土)
今日も神戸は細かい雨が降っています。随分と暖かくなりました。今度の月曜日に筆者が主催する花見の会が終わった後に、"ズボン下"を脱ごうかと思っています。寒がり屋の筆者はまだ長袖の下着をつけているので、それも一気に半袖にしようかと思っています。
月曜日の花見は、奄美の島唄の生演奏付きです。
1228……4月11日(金)
今春は雨が多い。新年度が始まって10日あまり。そろそろ落ち着いてきたのでしょうか。専門学校などはまだ入学式は始まっていないところもあるようです。
カルメンにおいしい白ワインが入荷しています。RIAS BAIXAS(リアス・バイシャス)というDOの"Fillaboa"という銘柄です(750ml)。価格は3500円ですが、しばらくは3000円の特別価格で提供しています。
このワインは、"Albarino(アルバニーニョ)"という品種を使っています。これはRIAS BAIXASならびに隣接するポルトガルの"Vino Verde"もこの品種を使っていて、フルーティさを演出するのには格好の品種です。
当店には、RIAS BAIXASのワインが一種類置いていますが、安定的に入荷されないこともあって、あまり出ませんでした。とはいっても、スペインにおいてはこのRIAS BAIXASこそ白ワインのトッププランドなのです。ですから、今カルメンにはRIAS BAIXAS、RUEDA、RIOJAの白といった「白の御三家」と呼んでいいワインが揃っているといえるでしょう。
スペインはもともと赤ワインのおいしい国ですが、これから夏にかけての季節は白ワインが一年で一番おいしい季節となるのです。
1227……4月10日(木)
昨夜、バグダットが陥落した模様です。もはやサダム・フセイン大統領後の「戦後」をどうするかが話し合われています。反体制派は50派いるそうです(読売新聞)。
そしてフセイン大統領の生死はどうなっているのでしょう。死亡説もささやかれています。筆者の友人の「イラク戦争ウォッチャー」の勝手な分析によると、(1)爆死型/すでにアメリカの空爆によって死亡している(2)ヒットラー型/追いつめられてピストル自殺する(3)源義経型/実際には死亡しているが、転生神話が生まれる(4)西郷隆盛型/敗死するのだが遺体〈全体か首など一部〉が発見されない(5)吉良上野介型/生きたまま発見されて処刑される(6)ヴィン・ラディン型/いつまでも逃げ続ける。あるいは米CIAによって"泳がされている"か、もはや暗殺の対象ですらない(6)ナポレオン型/生きたまま捉えられ、遠流されるが一度は復活する。
1226……4月9日(水)
子どもたちが春にいっせいに学年がひとつずつ上に昇級していくと、その分、親であるわれわれ夫婦が年を取ったと実感することしきりです。大人という種族は、学年という目に見えた変化というものはないものですから、子という他者の昇級という尺度で年齢を感じてしまうのです。1225……4月8日(火)
新学期がスタートしました。筆者の住む東灘区東部では、小学校の新入児童者数が増えています。Japon全体で人口減の傾向の中、数少ない人口増加地域のひとつかもしれません。これは震災で潰えてしまった50坪以上の土地に次々とマンションが建ち、新住民がもともと住宅地として人気の高かったこの地に移り住み、その子ども達が就学期を迎えているからて゜しょう。
この場所はたまたま人口増の地域ですが、Japon全体でいえば、過疎を通り過ぎて集落が潰えてしまう場所も多いのです。そして都会ばかりに人口が集中していく。いわゆる「地方」は疲弊するばかり。この筆者の街に溢れている若年層と働き盛りの人たちを見ていると、街の活況を喜んでばかりはいられないのです。
1224……4月7日(月)
カルメンの定休日。今日はFMわぃわぃの放送担当日。
ところがリスナーの人に聞かせたいと思っていたMDを忘れてしまい、大慌て。せっかくこの日の初っぱなを飾ろうとしたのに残念。しかし、そのことに気づいたのが本番15分前。生放送なのでなんとかしなくてはならず、それ以外に持ってきていたCDを活かし、そのMD放送分の15分を、補ったのです。生放送はこれだから怖い、そして面白い。つねづね、いざという時のために、一番組分のストックを持っておく必要を感じたのも今日です。番組は、筆者が奄美で手に入れた音源を中心に組みました。島唄大会を録音したということもあって、番組本数でいえば8本分ほどのストックが出来ました。さすが奄美の島唄の本場です。
帰宅後、今週は料理担当の日なのでさっそく準備。前は娘が手伝ってくれましたが、塾に行っているので、買い物は筆者だけでします。昨日カルメンから持ち帰って一晩水につけて置いたガルバンソー豆をたっぷりお湯でふっくらとさせます。
料理は三品。(1)春キャベツとジャガイモ、ベーコンの重ね焼き/溶けるチーズも各層に入れていきます。(2)第二品は、ベーコンとサラダ菜のミックス・サラダ。ワイン・ビネガーを少々ふりかけ後は残っていた既製の和風ドレッシングをかけます。(3)豚キムチ風/これにガルバンソー豆をいれます。香り付けのお酒は泡盛を使いました。韓国・沖縄が合体したような趣きです。
料理が出来上がったら、長男に聞きます。「どや、食えるか」「ああ」と素っ気のない返事。勿論、お腹が空いているから美味しく感じるという利点を活かして(半ば強制的に)返答を求めます。筆者の担当の料理はお陰様であっという間になくなってしまいました。
1223……4月6日(日)
多忙な一日でした。筆者、朝から向かったのはカルメンのある西ではなく、東の大阪へ。環状線で森ノ宮へ。ここは大阪城公園の入口であるために花見のお客さんでごった返しています。アピオ大阪というところで、2時間しゃべります。聴衆は20代の若者達。
正午すぎに終わり、質問を受け付け、数人と談笑した後、その場を離れます。続いて
大阪駅前第2ビルへ。生涯教育センターが会場。定型作家のあつまる会合に顔を出します。30代の若手から60代のベテランまで多彩な顔ぶれ。中世の「連」、近世の「座」というメディアは身分、出身地という浮き世の肩書き抜きに文学という共通項で参集できたハイパー空間でした。21世紀の今も脈々とJaponでは継承されているのですね。カルメンに帰ってきたのは、午後5時すぎ。帰宅すると、すっかり疲れていました。
1222……4月5日(土)
"連れ合い"、このところずっと大阪の病院通いです。義母の調子が悪い。義母と同居している兄嫁も看護に精一杯協力してくれます。しかし、娘の前でしか言えないわがままもあります。こういう時は娘がいてくれると助かるものです。娘は、母の身近にいてこまごまと世話をします。しかし日々、衰弱していく母。病院から帰ってくる娘はもう疲れ果てています。1221……4月4日(金)
筆者の姪っ子が出演する演劇を紹介しておきましょう。"i_garden"という劇団名です。4月28日(月)29日(火)の二日間、大阪市北区の「よしもとrise-1シアター」という劇場で「sound;sound」という名の劇です。チラシに書かれた自己紹介文を追ってみましょう。
「当初の計画とはだいぶ違ってしまった形で銀行を襲ってしまった強盗二人組。人質の女子行員と、手負いの刑事をつれてアジトのマンションに帰ってみれば、隣人は銀行強盗なんか比にならない凶悪な犯罪者。そして彼をつかまえるべく、あっという間にマンションを囲んだ機動隊、そんな場所に立てこもってしまった4人‥‥」とまあこんな調子です。
28日は午後7時から。29日は午後1時のマチネ、午後5時からの二回公演。前売1780円、当日1980円。チケットはぴあへ。090-3921-0848でも申し込み可。
さあて、どんな劇なのでしょう。姪っ子は何の役で出演するのかな。
1220……4月3日(木)
阪急電車が発行している「TOKK」の取材を受けました。5月15日発売号で、神戸のみなと祭りに合わせて、神戸の飲食店が紹介されているのです。2月に出された「TOKK」臨時増刊号では多くのお客様にご利用していただきました。今回も飲食代10%オフのクーポンを付けていますので、5月末までご利用ください。楽しみにして下さいね。
1219……4月2日(水)
今日、電話で営業があったのは、「貴店でネット・ショップに出す商品はないか」というものです。インターネットに関わる電話勧誘は一年の違いで加速度的に変化します。ホームページ制作や、ドメイン所得なんてもうずっと昔の話。でも残念ながらカルメンにはネットショップに出品する商品はいまのところなく、好評のドレッシングを出せばどうかとのお客様の声がありますが、実現していません。
1218……4月1日(火)
年度替わり。特にお役所はこの日、大変な混乱日です。勿論、異動しない人もいるので仕事をしている人が殆どなのですが、一片の辞令書を持ったお役人諸氏が役所内を縦横に移動するのです。その一片の紙をのぞき込んで「おお」とか言ったりします。また、課長級以上の人事はマスコミ等で発表されますが、それ以下の人たちは自分たちで知らせるしかないのです。
お役所という職場、今日は一種の興奮状態です。半月ぐらいは落ち着かないでしょう。
1217……3月31日(月)
執筆中であります。
1215……3月30日(日)
執筆中であります。
1214……3月29日(土)
執筆中であります。
1213……3月28日(金)
奄美へ向かいます。筆者にとって、カルメンの休みの日以外に奄美に旅立つことはまれです。今回は、とある文学研究会のシンポジウムにパネラーとして出席して発言するためです。
一日に一便だけある伊丹空港からの直行便で奄美大島へ。最近はたいがい誰かと同伴者がいるものでずが、今回は一人です。機中、『現代思想03年2月号/帝国特集』をずっと読んでいました。ネグリ/ハートの言説を、シンポジウムに活用しようとしたからです。
飛行機がいよいよ鹿児島を南下するころになった時、トイレに立ったついでにスチュワーデスに「いまどこを飛んでいるのですか」と聞きます。すると、島影では分からなかったのか、地図を持ち出して「種子島あたりだと思います」と答えます。ただ、今日のコースはいつもの航路を避けているとも説明してくれます。ははあ、あれだなと筆者はすぐ分かりました。今日は自衛隊の偵察衛星が種子島の宇宙センターから打ち上げられる日です。そのために民間機は航路変更を要請されたのでしょう。
ということは、このスパイ衛星打ち上げに一番神経を尖らせている北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が、そのリアクションとしてミサイルを東海(日本海)に向かって打ち上げる可能性も示唆されています。「ということで、今日はリスキーな日なんですよ」とスチュワーデスのお姐さんにいうと「えっ、そうなんですか!!」とびっくりされてしまったのです。
大島到着後、ひたすら『現代思想』を読み続け、かつ携帯メールニュース臨時版を打ち込みます。1時間後、名瀬市内へ。まず「さねんばな」に挨拶。Sさんは不在であることは知っていましたが。続いて「あまみ庵」へ。M氏不在。奄美関係の棚を見ていると、沖縄県立芸大のK氏と遭遇。名瀬で会えるとは思っていなかったので、この才豊かな知の人との再会を喜んだのです。二人で話し込んでいると、M氏がいつもの感じを醸し出して登場。なんでも出張していたサラリーマンの人が本を処分したいというので買いにいっていたとか。島尾敏雄の『非小説集/3巻』を買い求め、郵送で送ってもらった『与路島誌』の分も含めて支払いました。
あまみ庵で偶然、K氏とばったり。やはりこういう基点になるトポスではしかるべき人に会うのですね。沖縄からシンポジウムを聞きにやってきたというK氏。今日は笠利方面で泊まるとのことです。筆者はタクシーでAホテルへ。
このタクシーの運転手氏と話していると、話題は島唄のこととなり、なんとこの人は唄者の貴島康男氏の父上であることが分かりビックリ。わがFMわぃわぃ「南の風」にも出演してくれたこともあるなど若手ではピカイチの存在です。いやあなんだなんだということになり、さすが名瀬ならではの出会いだと感動したのです。
Aホテルは、S文学研究会の人たちがロビーに集まっていて、これから本茶峠の写真家・TSさんの山荘に向かうことになったのです。この本茶峠は長く交通の難所といわれ、トンネルが出来るまでは、名瀬から大島北部へ抜けるのにたいへんな苦労があったようです。筆者が奄美通いするときは既にトンネルは完成していたので、この峠を通るのは初めてです。
実際行ってみると聞きしにまさる交通難所です。道路が何度も蛇行し、どこが峠の頂点かわからないといった感じです。付いてみると、『南島雑話』に出てきそうな素敵な東屋があって、そこで野外パーティということに設定されています。TSさんがこまごまと準備をします。この時期に野外でパーティが出来るのですからさすがに暖かい。
パーティにはO高校のNさんや、流し三線を披露してくれたMさんも彩りを添えてくれました(流し三線の曲は「嘉徳なべ加那節」でした)。この二つとも録音。いずれ番組で紹介する予定です。
筆者はパーティ途中で中座します。自ら呑み会を設定していたからです。そしてその時呼んだタクシーが先ほど乗った貴島さんです。この時、お父さんから秘話を聞き出します。天才少年といわれた康男君でしたが、変声期にさしかかりうまく島唄歌えません。大きな壁です。お父さんはその時、一度「天才」の名を冠せられた名瀬を離れる決意をします。20歳を境にした数年間、奄美を離れて鹿児島本土に移り住んだことは康男氏本人から聞いていましたが、まさか一家そろって鹿児島に移住していたとは知りませんでした。しかもお父さんは、それまで勤務していてた病院事務職を辞めての決断だったのです。
続いて筆者が向かったのは、屋仁川という名瀬の歓楽街にある「吟亭」という店。ここは唄者の松山美枝子さんが経営しています。筆者は名瀬にいけば必ずなにがあっても唄者の西和美さんの店に行くのです。ところが和美さん、プールで遊歩中、気分が悪くなって軽い脳溢血を起こし、入院してしまっていたので、"かずみ"には行かず、初めて吟亭にお伺いしたのです。
この店は和美より広くステージなんかもあったりして、ゆったりできます。声をかけたのは、写真・映像作家のMK氏、詩人のRF氏、歴史研究家のMY氏、民俗学研究家のKY氏。濃密な議論が展開していきます。隣の団体さんは、松山さんの歌にあわせて全員で八月踊りを一糸の狂いもなく踊ります(こんなシーン、ヤマトンチュは感動するのです)。
団体さんが帰ってわれわれだけになると、松山さんは三線の人と一緒に近くで演奏してくれることに。実は二日後、松山さんは島唄大会に出演する予定で、その審査委員の一人が詩人のRF氏なので、少し力が入ったのかも知れない。でも素晴らしい唄者であることは確かなのです。ここで番組一回分の録音が出来ました(筆者は奄美を異動するとき、いつ島唄と出会うか分からないので、録音可能なMDプレーヤーを常時持ち歩いているのです)。
この日はどうやら吟亭のあとはおとなしくAホテルに戻ったようです。ちょっと記憶が曖昧ですが。
1212……3月27日(木)
シンポジウムの準備をするため、カルメンに出勤する前、早朝に起きだして準備を進めています。明日から、名瀬市に向かいます。筆者がカルメンの正月休みである1月以外に奄美に行くのは初めてでしょうか。この時期、中国大陸から吹き付ける黄砂のために空港が一時閉鎖になることもあるそうです。
奄美や沖縄は夏という季節が一番その地域らしさが醸し出されるのです。また、春といっても、本土的なイメージとも違っています。5月になれば梅雨に入ります。そして蝉が鳴き出すのももうすぐです。
1211……3月26日(水)
引っ越しのシーズンです。今日が今年度の最後の荒ゴミ収集日。拙宅近くには、ワンルームマンションや家族用賃貸マンションが少なからずあって、こうした日は大型ゴミがたくさん出る日です。特に東京地方に転勤する人たちは、家賃の高い家に現在住んでいる部屋より狭くなる人が多いために、ちょっとした家具を捨てていく行く人が多いのです。
また、学生は、就職のために学生時代に買っていた書籍を処分する時期でもあります。それが最近ゴミとして出てきません。おそらく新古書店の誕生で売却してしまうのでしょう。かつては『山崎正和全集』などもこの荒ゴミの日に拾ったのですが。
1210……3月25日(火)
昨日、呑み会に参加した元正章牧師は、高砂市の「曽根教会」に4月から赴任します。ここは賀川豊彦が"農村セツルメント運動"の一環として設立した歴史を持つ教会です。まだこの教会に行ったことはないのですが、姫路に近く、播州の気配が濃厚な土地柄でしょう。この播州という土地は、土地/産物が豊で暮らしやすいところです。独自の文化/風土を持っていることで知られ、この曽根教会の周囲も昔からある地域の祭りで深く結びつけられています。
奄美の血を引く元さん。奄美もまた地域共同体の靱帯が強いところです。現在信者数は60人とか。保育園も併設されていて、地域の基幹施設として定着しているようです。
1209……3月24日(月)
カルメンの定休日。FMわぃわぃ「南の風」の番組は久しぶりに、奄美篇と沖縄・宮古・八重山篇が合同で行いました。テーマは「戦争と移動」。奄美、沖縄の島唄が戦争と移動をどのように歌ってきたかを、筆者と沖縄・宮古・八重山篇を担当する野村昭彦氏と共に番組を進めていきました。これは勿論、4日前に始まった「イラク戦争」について「南の風」の番組スタッフとして考えていきたい、伝えたいと思ったからです。「戦争」だけではそう音源がない。特に奄美の島唄だけでは番組を作れないので、琉球弧の音源から探ってみたのです。
番組終了後、JR灘駅近くの「高倉」で呑み会。ここは沖永良部出身の人がやっている店で、いわば民謡酒場。ステージがあり、店の作りは沖縄風。もちろん黒糖焼酎が置いてあります。この日集まったのは、詩人たち、今春から牧師になる元正章氏。中国人交換研究生・周見氏。中国、文学、奄美、宗教の会話が入り交じって楽しい宴となりました。筆者の主宰する呑み会はたいていこうして全くジャンルの違う人たちが一堂に介して初対面の人同士でも議論が沸騰していくといった感じとなるのです。
1208……3月23日(日)
卒業式シーズン。カルメンでは、アルバイトのUさんが昨日で最後の仕事となりました。4月からは出身の鳥取に帰るとのことです。去年の5月からと、カルメンのアルバイトとしては決して長くない期間でしたが、職場の雰囲気にも溶け込んで、頑張ってくれました。21日には、Uさんの送迎会を兼ねて、スタッフ一同で仕事が終わってから、懇親会を開きました。場所はチキンジョージ裏の飲み屋さんです。いままで懇親会の会場としたのは、大手チェーン店の居酒屋が多かったのですが、今度行った店はすこし違います。まず客層が「どんな職業の人なんやろ」と思わせるようなイケテル系の人たちが殆ど。年齢層も40歳ぐらいまではいそうです。ラジオで例えれば、FM-KISSやFM-MOVEのリスナー/DJだったりする人たち風で、決して筆者がかかわるFMわぃわぃの雰囲気ではありません。それに参ったのは、殆ど全員が喫煙するということです。タバコを一切吸わない筆者にとっては苦痛そのものです。
若い人たちというのは、飲み屋さんを漂流するものなのでしょうか。"カクテル・サーフィン"をするように、"飲み屋サーフィン"を楽しんでいるようです。40歳を過ぎた筆者は、まるで定点観測するように同じ飲み屋を集中していきます。場所(カシ)を異化することでその日のありように刺激をもらうよりも、場所を固定すること/場所の異化作用を拒絶することで、会や話す内容に集中したいと思っている差でしょうか。
1207……3月22日(土)
駅前の彼岸桜が満開です。連休の中日(なかび)、みなさんはいかがお過ごしでしょう。
来月から医療保険の保険者負担が2割から3割になるので、花粉症の薬をかかりつけのお医者さんにもらいにいきました。こうした国民の負担は確実に増える一方で、「構造改革」とやらはほとんど中折れ状態であるため、結局のところ「小泉改革」というのは、国民の負担増だけに終わってしまいそうです。公共工事にまとわりつく政治屋と業界関係者は高笑いしていることでしょう。景気浮上のための公共工事をやりたくて仕方のない自民党の皆さんは、しばし「国益」という言葉をお忘れになっているようです。アメリカの独善が際だっています。圧倒的な軍事力が、「敵」の生存を許しません。ところでオサマ・ビンラディン氏はいったいどこにいるのでしょう。これはさしものアメリカの軍事力、諜報力をもってしても「逮捕」できないようです。こうなれば、いつまでも逃げおおせてみてはどうでしょう。
イラクははるか遠くの国ですが、かすかに罪のないイラク国民を殺傷する着弾音が聞こえてきます。
1206……3月21日(金)
読売新聞を読んでいると、いったいこのメディアは、その存在の根拠をどこに置いているのか、分からなくなります。特に今回の戦争について、コメントを載せている(=社が書選んだ)執筆者が偏りすぎているのです。もちろん、メディアとしてカラーを出すのは当然の行為ですが、紙上座談会に出席するメンバーや、コメントを寄せる識者がすべて保守側(いわば新保守主義者)と思われる人で、マスメディアの本質である賛否両論を併記するというバランス感覚を著しく欠いています。この新聞の論調の基調は、国益を守ることを全面に打ち出していることです。しかし、読売の考えている国益とは「国家益」であり、決して「国民益」ではありません。勇ましく国益を標榜するこの新聞はまるで戦前の翼賛新聞の論調を思わせ、鼻しらむ思いがするのです。筆者の知っている読売新聞の記者(若手)には、有能な人材が多いのですが、社の論調を決定する上層部の意思が露出するコアの部分の記事を読んでいると、この新聞は、一体だれのための新聞なのか、分からなくなってしまうのです。1205……3月20日(木)
"ブッシュの戦争"が始まりました。世界的な反戦運動の盛り上がりをヨソに、ブッシュはイラクに対する戦争開始にゴーサインを出したのです。まるで絶好調の小錦関が、病み上がりの舞海を相手にするようなものです。圧倒的なアメリカの軍事力、有数の兵器産業、世界の警察官という自負と奢り。早々に決着するのだという予測を思わず信じてしまうのです。
反戦を訴えている人の論理は、決してブッシュや小泉純一郎と同じ土俵で較べられるものではなく、人間ひとりずつの生き死にの重さに重点を置いた根元的な問いかけです。国益をふりかざす国・時代・マスコミは威勢がいい半面、戦争で死んでいく人たちの一人一人の苦しさ、戦争で肉親をなくした人間の痛みなどは思いもいたらないのです。
世の中、悪くなるときはますます悪くなるものです。
1204……3月19日(水)
反戦というのは、状況がせり上がってきて、それをどのようにマスコミや知識人が、記事に書いたり言説化していくのが課題となるというのが常なのですが、今回のイラクに対するJaponの反戦運動は、マスコミが増幅装置たらんとしている姿が見えてきます。つまりマッスの動員が見られないのです。去年のワールドカップで見せたような大衆的な広がりは見えてきません。特に若い人たちが街頭に出て、意思表示をする姿が少ないようです。政治的な意思表示は、だれでもどんな形でも出来るはずです。そんな中、筆者の属しているメーリングリストとメール・ニュースに、まるっきり同じ反戦を趣旨とした「チェーンメール」が届きました。国連に送るというものです。全世界から国連に対してこうしたメールが殺到すると当然、国連のメール・サーバーはパンクしてしまいます。一種のサイバーテロというべきでしょうか。メーリングリストとメール・ニュースの発信者は共に「チェーンメール」であることを認め、ネット上で謝罪しました。
例えば、ローソクを持ってプラカードを立てて、無言で立っていてもいいし、反戦の歌を歌ってもいい。でもJaponではすぐポリが飛んでくるのです。ごく普通の人間のだれでも出来る意思表示でも「取り締まり」の対象となります。もし今、街で歌っているストリート系フォークシンガーたちが「反戦歌」を歌い始めそこそこの聴衆が集まったら、警察権力が所定の法律に従って取り締まり=禁圧に乗り出すでしょう。筆者の世代が辿ってきた道です。
1203……3月18日(火)
昨日、神戸アートビレッジセンターを出て、三宮でO記者と別れ、三宮を歩いていると、後藤書店でスペイン料理書をみつけたので購入しました。ところが、料理写真をみていると、どこかで見たことがあるようなものです。今日、カルメンにあるスペイン語の料理書を見て分かりました。"La Cocina Espanola"という1970年に出版された6.5cmもの厚さになる大冊がもとの本です。そのダイジェスト版のような体裁です。この大冊は、筆者が1977年にスペインを旅したときに、マドリーで買い求めたスペイン語の本です。この本に載っている料理は、いまではCocina Clasico と呼んでいいと思われるオーソドックスな品々です。現在カルメンで提供している料理も、こうした30年40年前にスペインにおいてスタンダードだった料理を基本にしていることが分かります。ただ、世の中、社会、状況が変わるように、カルメンのメニューも時代とともに変化してきました。オーソドックスな品々も大切にしつつ(それは48年もしていると一品ずつファンが付いているからです)、Nueva Cocina にも挑戦しているのです。
面白いものですね。1970年といえば、フランコの時代。自由を弾圧するその独裁体制を忌避するアメリカ、フランスを初めとする自由陣営は、外資の投資参加も少なく、経済は停滞し、スペイン社会は決して裕福ではなく、一般庶民は忍従を強いられました。この"La Cocina Espanola"に出てくる料理写真を見ていると、決して見映えのいい器や食材は使われていません。対外的に半鎖国状態であったからこそ、スペインの伝統的なものが保存され、営々とこの半島民が築き挙げてきた食文化の姿を垣間見ることが出来るのです。
1202……3月17日(月)
カルメンの定休日。午後1時に、春日野道へ。S氏の店(お茶屋さん)を訪問。K新聞のO記者も姿を見せます。S氏の父上が残した16ミリフィルムを映写するよう筆者とO記者が共同で動いているのです。筆者はかつてO記者に取材されて記事になったことがあります。今度は二人で作業します。
中身はまだ確認出来ていないのですが、奄美の昔の黍刈り風景も収録されているとのことです。これを、新開地にある神戸アートビレッジセンターに持ち込んだのです。以前、たまたまFMわぃわぃの事務所で会ったのが、普及課の樋野香織さんです。当初、16ミリフィルムといっても、どこでどう撮影していいのか分からなかったのですが、FMわぃわぃという文化に携わるメディアで番組をしている奇縁で、こうして人脈が拡がっていくのです。
樋野さんはフィルムの保存状態が悪くないことを確認。ともかく映写できるよう試みてみます、ということでした。ただ、フィルムを実際映写してみて途中で切れてしまうことがあるそうです。これは昔の貴重な映画フィルムでも言えるそうで、貴重な映像はデシタル化して保存することが望ましいのですが、一コマずつデジタルにしていく作業になるので、費用が多額になるとのことです。このため保存(デジタル化)の方法として、映写した画面をカメラで録画するといった方法を採るそうです。そう画質は劣化しないとのこと。
さて、この1時間のフィルム、どのような内容が写っているのでしょう。
1201……3月16日(日)
戦争が近づいています。いま、思想関係で注目を集めている本といえば、ネグリ/ハート著『帝国』です。ちょうど本日の朝日新聞の書評欄にも紹介されています。同書を訳した一人である水島一憲氏(大阪産業大学)が司会役を務める「帝国に抗する音楽」と題するシンポジウムが開かれました(場所は大阪産業大学の大阪駅前第4ビルにあるサテライト教室)。
『帝国』は、アメリカそのものを形容しているのではなく、国境を移動する多くの民のネットワークのありようそのものが、『帝国』を支えていくものとしてとらえています。この意味で、プエルトルコや、黒人が作りだす音楽を介して、音の移動を捉えることで、『帝国』を考えていこうとするものでした。この黒人といっても、いま"Blackness(黒人性)"の定義が問われているとの提言や、イギリスにおける音楽集会を取り締まる法に対する実体験に基づいた発表もあります。また、「19の春」がどのように奄美・沖縄の唄者、出身者によって歌い継がれてきたかについての発表も興味深いものでした。