店主のつぶやき日誌の
バックナンバーです001
〜
100話 101
〜
200
話201
〜
300
話301
〜
400
話401
〜
500
話501
〜
600
話601
〜
700
話701
〜
800
話800
〜
900
話900
〜
1000
話1001
〜
1100
話1101
〜
1200
話1201
〜
1300
話
1301
〜
1400
話1401
〜
1500
話
表紙ページへ回帰 | お得なお任せコースを知りたい | カルメンのイベントを知る |
1600……4月27日(火)
午前中、大雨。ズボンの下半分はずぶ濡れ状態。考えてみると、4月は春雨前線といって、よく雨が降る季節なのですが、今年は小雨でした。こういう年はなにか大きな季節変動がありそうで、怖くもあります。
農耕の従事者が多い地域では、この時期(田植え前)に予祝的な、あるいは春期降霊祭としての機能を持つ祭りが行われるところがあります。筆者が住んでいる神戸市東灘区でも、特に東部一帯でだんじり祭りが行われるのです。いくつかの地域に分かれていて、明治時代以前の近世における村単位で、だんじりがあります。その区分を見ていると、かつての村が意外と狭い範囲によって成り立っていたことが分かるのです。南北に細長い村はおさらく川筋によって村の境界を決めていたのでしょう。
そうした村が明治に入って鉄道によって分断されたから大変。だんじりが踏切をわたらなければなりません。高架のあるところは問題ないのです。そしてかつては踏切といっても通過する汽車、電車の量がしれている時代は問題はありませんでした。しかし今はJRの職員がひとりかかりっきりで、だんじりの踏切横断をサポートしています。
1599……4月26日(月)
カルメンの定期日。FMわぃわぃ「南の風」奄美篇192回目の放送のために、朝早く起きて編集をすすめます。今回の放送は、土曜日に尼崎「来るだんど」で収録した島唄の数々を放送しました。東京から来店した"Anchang-Project"によるアレンジされた島唄。「曲がりょ高頂(たかちぢ)」では、美しい編曲の上に、勝島伊都子さんの熟達した唄が重なるとそれはもう聞き応えのある歌になっています。
このほか、沖永良部出身の人たちによるエイサーや、店に来たお客さんも参加した歌も含めて紹介しました。
こうして二日前の収録分を一本の番組に仕立てることができるのも、MDというデジタルで録音・編集出来るためなのです。
1598……4月25日(日)
とある文学共同体の集会。筆者が司会をします。今秋、この文学共同体が主催者となって、公開座談会を催す予定です。これは来年の阪神大震災から10年にむけて、神戸における表現と思想について、どれほどの言説を神戸に住む人たちが獲得していったのかを、考え、ひとつの指針を出していこうとするものです。詳細が決まりましたら、またこの日誌でもお知らせしたいと思っています。
1597……4月24日(土)
義母の一周忌。親戚が集まって、坊主の読経と、精進落とし。筆者の子供たちを含めて、毎年確実に一つ学年が上になっていくので、親である世代の馬齢の重なりを思わず意識してしまいます。
店が終わって、尼崎・杭瀬にある「来るだんど」という奄美の島唄の店に行き、東京から来た"Anchang-Project"の人たちの演奏をFMわぃわぃ「南の風」用に収録してきました。
演奏では店主の勝島伊都子さんの声が冴えわたれます。マイクなしでも十分通用する声量。歌い込んだ島唄の奥深さ。やはり関西を含めても、奄美の唄者全体をとってみても、ハイレベルを保っていることは間違いありません。
日付が変わる頃、沖永良部出身者が来店。エイサーを奏でます。この店は、関西における島唄の一大拠点となりそうな予感がします。
1596……4月23日(金)
常緑樹というのは、まず春の落ち葉があって、次は枝が落ちていくのですね。これは楠だけのことかもしれませんが、いま拙宅近くの公園に行くと冬を耐えてきた枝が多く落ちています。葉ばかりでなく、枝も冬用のものを切り捨て、春用にバージョンを変えていく。そして5月になると、楠からなんともいえぬ芳香がでてくる。むせるような匂い。あの匂い、なんと表現したらいいのでしょう。セクシャリティな比喩を使って表現したくなります。
1595……4月22日(木)
デジタル関連の新しい営業が展開されています。半年をひとつのクルーとして、めまぐるしく変動するネット関連の営業です。ほんの数年前までは、ホームページの制作代行業というなんともクラシックな内容でした。しかも掲載するサイトは、あまたある自前のグルメ/情報サイトです。そのサイトに行き着くことそのものの可能性が低かったので、全く興味を持ちませんでした。しかもフォーマット通りのサイトづくりで、著しくフレキシビリティを欠くものです。更新するのでさえ数に限りがあり、しかも追加利用金が必要というばかげたコンテンツでした。
次は、顧客からメールアドレスをレストラン側が集めて、その情報をもとに店の最新情報を発信するというメール発信代行業です。受信する側は、受信するたびに得点つきだということが"売り"なのですが、携帯メールで流す情報はそう多くなく、カルメンに来店するお客様の殆どがPC経由のホームページを見ていることから、これも興味が沸かずパス。
そして昨日来た営業マンは、店をネットカフェにしようとする企画を持って来ました。パソコン周辺機器メーカーのBUFFLOWから、無線ルーターの無償提供を受けて、店内でパソコンを使うようにしようという内容です。これは面白い。特に、ビジネス客の人たちは、ノート型パソコンを持ち歩いていても、どこでも通じる無線スロットを持っている人は少なく、どこか室内基地ステーションが必要なタイプの人たちが殆どではないでしょうか。
1594……4月21日(水)
『関西1週間』の取材が昨日ありました。6月8日発売の「神戸特集」に掲載されます。この特集では神戸ならではの発進力がある店舗を取り上げるとのことです。初代が顔入りででています。なにしろ昔からカルメンが営業している生き証人ですから、取材担当者に無理をいって載せてもらったのです。
すでに朝日新聞では始まっていますが、来年の震災10年に向けた神戸特集がこれから各メディアで組まれていくことでしょう。まだ4月なので、これから準備期間を含めて余裕があるので、カルメンでも震災10年に向けたイベントを展開したいと思っています。FMわぃわぃにとっても1.17は、放送局がスタートした原点なので、その前後に特集を組むものと思われます。筆者は、7年間同局にかかわっていますが、震災の日の特別番組に参加したことはありません。来年はどうやら参加しそうです。
カルメンでは夏から秋にかけての店内イベントは、この「震災10年を前にして」というタイトルでの連続企画を考えています。
1593……4月20日(火)
昨日は大雨でした。休み明けに出勤してみると、店の冷蔵庫の電源が切れています。動力のスイッチがOFFになっているので、雨水の影響でしょうか。カルメンのビルは、阪神大震災にもびくともしなかったのですが、小さなクラックがあるためか、震災前にはなかった雨漏りがします。いずれビルそのもののメインテナンスをしなくてはなりません。
1592……4月19日(月)
カルメンの定休日。FFMわぃわぃ「南の風」奄美篇191回目の放送です。
今回はマリカミズキの特集。吉原まりかと中村瑞希の女性二人の唄者によるボーカルグループです。JABARAレーベル久しぶりの新譜です。前回のアルバムではインドネシアのバリ島に行って、島唄とガムラン音楽を合わせるという異色の音づくりをしました。
今回も、JABARA的な音づくりに徹底しています。バンドにはフルートやチューバなどが登場します。別スタジオで音をかぶせているのでしょうか。とにかくユニークな音づくりです。
番組中、去年の10月から「南の風」のディレクター兼ミキサーを担当している日比野さんと、いろいろ打ち合わせ。来年の震災10年に向けて番組やイベントなどでどれだけ展開できるか、詰めていました。筆者も「南の風」の番組や、独自にシンポジウムなどを企画しています。朝日新聞神戸版では、すでに10年に向けた紙面企画が進行しています。カルメンでも連続企画を考え始めましょう。
1591……4月18日(日)
今日も一日、パソコン修理。どうしてしまったのでしょう。
Quarkを使っている最中、コピー機能を使おうとしたら、アプリケーションが勝手に終了してしまうのです。
MACは便利で使いやすい機種ですが、時々訳の分からないアクシデントに見舞われるのです。
そしてもうひとつ、姪っ子から無料で譲り受けたCD-R機がどうもうまく作動しない。あるデータを、CD-Rに焼き込んで渡すつもりがうまくいかずに結局断念。
パソコンとその周辺機器のことでいらいらが募ります。
1590……4月17日(土)
コンサートのお知らせです。クリスティーナ・オヨス舞踏団が7月15日(木)に、大阪フェスティバル・ホールで「さようなら日本公演」を行います。なんでもセビージャに今年「フラメンコ博物館」設立に向けて準備が始まるので、その中心スタッフとして多忙を極めるから、もうJaponには来られないとのことです。
さて、フラメンコの話がでたところで、カルメンのフラメンコ・ディナーショーの予告です。5月8日(土)に、フラメンコ教室「ランプの家」のみなさんによるディナー・ショーが行われます。まだ席の余裕がありますので、こぞってカルメンに申し込んで下さい。ショーチャージ、ディナー料金込みで税込み5000円(予価)です。
1589……4月16日(金)
相次いで、ワインの売り込み。筆者がほしいのは、これから夏にかけて売っていく白ワインです。
初夏から夏になりきるまでは、なんといっても白ワインが似合います。夏に対する予感を十分に感じさせてくれます。01年Rioja の赤Reserva も狙っているのですが、まだ熟成期間なのでしょうか、市場には出回っていません。それ以前のCrianzaも仄聞にして聞きませんので、もう少しの我慢のようです。このほかにも、リーズナブルな価格であれば触手が伸びます。
1588……4月15日(木)
震災によって潰えてしまった構想があります。「神戸文学館」構想。
兵庫県下には、姫路市に優れた「姫路文学館」があります。同館の優れたところは、対象とする文人、表現者、作品を、現在の姫路市域に限定することなく播磨国全域を対象としていること(つまり姫路が播磨国の中心である地政学的ロケーションを積極的に意識していることを意味しています)。それと、筆者の好きな建築家である安藤忠雄氏の設計によるものだということです。
素晴らしきミュージアムがひとつあるだけで、その都市/地域の付加価値は高くなるものです。その意味で、姫路文学館は高く評価したいのです。さらに、復刻出版事業もしていて、姫路と関わり合いの深い椎名臨三の小説が復刻されていたのを購入したことがあります。
こうした県下に優れた文学館があると、神戸にもあっていいのではないかとの発想が当然でてくるものと思います。震災前は、何人かによって、「神戸文学館」構想が立ち上がっていったようですが、推進母体となるべき神戸市が、震災によって大きなダメージを受けたために、新たに何かミュージアムを作るという余裕が全くなくなってしまったのです。
そこで詩誌『Melange』発行人で詩人の福田知子さんは言います。「原田の森の中にある旧・県立近代美術館の建物を有効利用するためにも、あの地に兵庫・神戸文学館を設立するのはどうか」と。素晴らしい発想ではありませんか。原田の森は、関西学院大学の発祥の地であり、現在も多くの学校が集まる神戸の文教地域であります。ここにこそ文学館を設置すれば、面白いと思うのですがいかがでしょう。神戸のモダニズム文芸運動の仕事を次の世代に残していくためにもいい企画だと思います。
いっそのこと、廃止/民間委託が検討されている芦屋市立美術博物館の収蔵品を引き受けたらどうでしょう(同館を廃止しようと言い出していたのは、現市長が芸術に対して関心がないとの証拠でしょう。しかも後期印象派のような最大公約数的な教養主義的お芸術ではなく、前衛運動の「具体」ですから、理解しずらいのかもしれません。芦屋市というところは、市長が代わるたびに、前市長が企画した国際音楽祭を廃止するなど、芦屋という上品な印象とは違って、政治的な思惑で文化行政が変転することを繰り返しているところです)。
1587……4月14日(水)
どうも調子がおかしい。今、この「つぶやき日誌」を打ち込んでいるノート型パソコン(iBook)のことです。何時間充電してもバッテリーが満杯にならなのです。どうしてなのか分かりません。バッテリーを交換しなくてはならないのでしょうか。カルメンに置いているパソコンは、ホームページを更新したりするために使っています。シェル型をしていて、出た当時はそのデザインの新奇さでテーブルに置いているだけで注目されたものです。
今日もホームページを更新している最中に、バッテリー切れで突然画面が切れてしまいました。以前はバッテリー残量についてのメッセージが画面に表示されていたと思うのですが、本日は急に切れてしまい焦ってしまいました。
1586……4月13日(火)
イタリアのアッシジが発祥の地であるフランシスコ会には、三つの会派があるとのことです。「フランシスコ会」「コンベンツァル・フランシスコ会」「カブチン・フランシスコ会」。筆者がな学んだ幼稚園、小学校は「コンベンツァル・フランシスコ会」。西宮に学校があります。いずれも聖フランシスコが"宗祖"です。清貧を厳格に守っている宗派で、そういえば法衣も立派なものはなく、日常は、地味な作業衣のような黒ずくめの格好でした。何カ月も風呂に入っていなくてもばれないような便利なユニフォームです。昨日会った本田神父も黒色のTシャツ一枚。日曜の礼拝もTシャツ姿で行うとのことです。
1585……4月12日(月)
カルメンの定休日。今日はFMわぃわぃは、筆者の当番ではなく、昼前から大阪に向かいました。向かった先は釜ケ崎。日雇い労働者の街です。三角公園近くに「ふるさとの家」というキリスト教団体(カソリックのフランシスコ会)が運営している集会所があり、そこへ元正章牧師とともに、本田神父を訪ねたのです。
本田神父のアパートへ。三畳にも満たない三角形の角部屋。布団を広げるスペースもなく、寝袋にくるまって寝ているとのことです。この神父さん、フランシスコ会のJaponにおける最高指導者(管区長)の地位に登りつめながら、その任期が終わると、裕福な教会に行かず、あえて釜ケ崎を選んだという人です。
午後5時半、話はつきないものの、釜を離れて、大阪城公園へ。毎年、筆者が主催している「大阪城夜桜会」の会場とする、西の丸庭園前の芝生へ行きます。ブルーシートを広げ、集まった人たちから酒盛りを始めます。夕闇が迫る頃、一人二人と参加者が増え続け、合計で20人ほどが集まりました。
今年のアトラクションは、胡弓演奏。木場大輔さんに演奏してもらいました。ちなみに胡弓という名称は、Japon独自のものだそうです。さらに、奏法では、弓を動かすと同時に、楽器そのものも左右に振幅させます。この奏法は、二胡などがある中国や、韓国などにはなく、ずっと西方のアフガニスタンに同じ奏法があるとのことです。満開の八重桜の下で聞く胡弓の調べは格別でした。
1584……4月11日(日)
午前中、とある若者が集まる場所へ。2時間ほど筆者しゃべりっぱなし。その準備のために、ここ数日は睡眠時間を大幅カット。今朝も早朝6時に起床。80人を目の前に、用意したレジュメに従ってしゃべっていました。今回は、生真面目にしゃべる内容をパソコンに打ち込んでいったので、時間が余るということはありませんでした。時計をみながら、この項目には、あとどれくらいかけたらいいのか計算しながら進みます。まあ、ラジオのディスクジュッキーを7年間やっているので、マイクの前でしゃべり続けることは慣れていますが、今回は1年ぶりのお話しだったので緊張しました。
それが終わって、大阪駅へ向かいます。ヨドバシカメラへ。休日ということもあって、店内はすごい混雑ぶり。拙宅で、無線ルータを使って、光ファイバーを導入しようと思っています。ただ、MACの対応機種がそんなに多くないので、少し苦労します。このヨドバシカメラには、全身黒ずくめのMAC販売員が二人もいて心強い限りです。今日は初めて女性のMAC販売員を見ました。この人も黒ずくめ。
1583……4月10日(土)
"連れ合い"と娘は韓国テレビドラマ「冬のソナタ」に首っ引き。長男は友達からDVDで借りて見ているので、そこには参加しません。今回、NHKで放送されているのは、日本語吹き替え版。多くの人を熱中させたことで一躍有名になったこのテレビドラマ。いまや韓国の人気俳優が訪れようものなら、多くの(中年)女性達が黄色い声をあげます。最近では、韓国の映画やテレビドラマがちょっとしたブームになっていて、中年女性たちが韓国語を学ぶ機会も多いと聞きます。ちょっと隔世の感。筆者は、とある準備に忙殺されて「冬のドラマ」はパス。帰宅後すぐにパソコンに向かって、原稿作成。月曜日には、恒例の筆者が主催する「大阪城夜桜会」を開催します。今年のゲストは、胡弓奏者のK氏。
1582……4月9日(金)
昨日の続きです。あの人のことについです。
午後2時に入学式が行われる体育館に、筆者と"連れ合い"が二人並んで座っていました。筆者の直観通り、会場にあの人を見つけました。あの人の末娘が筆者の次男と小学校の同窓だったのです。T牧師。夫人が奄美出身です。なぜか会えると思ったのです。やはり筆者の直観があたっていました。時々、筆者にはこうした直観が働くことがあるのです。筆者はT夫婦のところに寄り、A新聞のコピーを渡します。やあやあと挨拶。
去年は、義理の母の終末期医療のために、淀川キリスト教病院への入院のための口添えをしていただいたこともあります。
筆者とT牧師には、共通点があります。入学式、卒業式などで、「君が代」斉唱の時、起立しないのです。筆者はいつも座ったままです。
A高校の入学式、なんとも淡々とした内容でした(ちょっと淡泊すぎる。儀式のことにあんまり文句をいわない"連れ合い"も「PTA会長が挨拶しないのはおかしい」と感想を述べます。長男の県立K高校では、これでもかと言わんばかりに、同校の伝統と歴史、そして同校生としての矜持を立ち替わり入れ替わり挨拶者が喧伝していました。これと比べると、あっけないくらいの内容でした)。それでも「ホホッー」と思ったのが、「君が代」の際の合唱の声が小さかったことと、子ども達も殆ど歌ってなかったことです。先日、小泉首相の靖国神社参拝について、「憲法違反」であるとの福岡地裁のいい判決が出たばかりなので、「君が代」斉唱の淡泊さには好感を持ったのです。
1582……4月8日(木)
なんとかソメイヨシノの満開に間に合いました。次男の高校入学式です。
この日、筆者にはひとつの直観が働いていました。あの人に会える。これは本当に直観でしかすきません。しかしなんとなく確信があっのです。筆者はその確信をもとに、筆者がA新聞学芸欄に書いた記事コピーを用意していたのです。JRの駅から南に歩くこと7.8分。まっすぐのゆるい勾配(下り坂)なので歩くのは楽でした。"連れ合い"は何人かの女性に挨拶します。筆者の校区は、小学校が二つの中学校に別れるために三年ぶりに再び同窓になるというパターンもあるのです。
県立A高校は、1940年代に出来た旧制中学の流れを汲む歴史があります。「かつての名門」というのが、この学校を形容する枕詞です。ところが、この2年ほど前から変身を図ろうとしています。校長の挨拶からしてきわめてプラグマティック。国立のどこそこに何人入ったのだの、関関同立にも入学実績が年々上昇しているなどと公立高校らしからぬ自校の入学実績を誇示する内容でした。
来年か再来年にはこの高校、「単位制」に模様替えするというのです。つまり大学のように卒業までに必要な単位数を取らないと卒業できないという仕組みです。授業科目を自ら選択しなくてはなりません。1年生の1学期にはすでに将来の進路(大学の学部)を決めなくてはならないのです。2年生からすでに単位制を意識した授業内容が組まれているからです。高校に入ったばかりの子ども達に、まだ高校生活がどんなものか分かっていない時に、いきなり大学はどこへいくんだと聞かれても、筆者の経験からしても早すぎます。
こうした性急なカリキュラムを生徒達に要求するのも、この高校の来年の入試内容が大幅に変わるからなのです。つまりA高校が所属するA校区は今年限りで、隣の神戸第一校区と合併すること。そして入試が前期と後期に別れるということの二点です。前期は、兵庫県下全域から(推薦)入学希望者を募るのです。今、こうした県下全域から入学希望者を集めているのは、県立西宮高校の音楽科や県立宝塚高校の演劇科などがあります。これはいわば特殊な技能を育てる学科です。しかし単位制学校は、全日制普通科とどう差別化するのでしょう。大学と一緒のカリキュラムを採用するといっても、それを高校でしなくてはならないという必然がいまひとつ見えてきません。つまり、せっかく全県下から生徒を集めるといっても、特色を作らなくてはならないのです。残念ながら現状のA高校は、自由な校風があるといっても、突出したものではなく、それ以外は「かつての名門校」ぐらいしかカードはありません。
そこで兵庫県教委は、A高校に入学希望者を集めるために、大学入学実績を"売り"にしたいのかもしれません。つまりは総合選抜制を施行している西宮、尼崎、宝塚などから優秀な生徒達を集めて、競争原理が働くA高校で鍛え上げ、難度の高い大学へ送り込むことによって、総合選抜制そのものに揺さぶりを掛け、ひょっとして解体を目論んでいるのかもしれません。
そして後期試験は、神戸第一学区も対象とした一般入試です。こうした制度にすると、大変失礼ながら、A市の生徒たちはいままで揺りかごの中で微温的に育てられ、公立高校も(神戸第一学区に比べると)大きな苦労もせずに進学できたことを考えると、来年から今年までのような入学実績は保てるのでしょうか。まあその代わり第一学区の7高校に行ける資格を得ることになるわけですが。
1581……4月7日(水)
高校入学までに宿題ってあるんですね。そういえば、長男も県立K高校に入学する時、多くの宿題が出されていました。次男の県立A高校はそれに比べると少な目。中学校のおさらい程度なのですが、数学の問題が分からないといって頭を抱えています。明日が入学式。宿題は明日に提出なのです。「出来たか」と筆者。「半分」と次男。「なに半分!」という筆者の声より大きく「なに考えとんじゃ、今日が8月31日と思え!」と"連れ合い"の叱責する声。「今日一日あるよ」と次男。
1580……4月6日(火)
東灘区にある六甲山系の保久良山の桜が満開。やはり見事です。今年は4月の寒の戻りも厳しくなく、ゆるりゆるりと暖かくなっていくようです。
4月から別刷りメニューが春バージョンになりました。お薦めのメニューは以下の通りです。(料金は税込価格)
・ たこ の グリースソース(サラダ仕立て) ¥1050
・ハモンセラーノ (スペイン産生ハム 9カ月熟成) ¥1100
・イベリコ種 チョリソー 砂ずり きのこ の ソテー ¥1050
・ホロホロ鳥 の シェリーヴィネガーソース ¥1350
1579……4月5日(月)
カルメンの定休日。今日は、FMわぃわぃの放送のない日。
JR神戸駅近くに用事で出かけ、帰りにジュンク堂書店ダイエー店に寄り、原尻英樹氏の著作(新書)を2冊購入。うち「ちくま新書」の方は、初版で終版になると版元から通知され、再販分はすべて著者が買い取ったと聞いていたので、書店で買えるとは思っていなかっただけに、ラッキーでした。次にアサヒシネマに行って「女王ファナ」のチラシをもらってきました。帰宅後は、自転車に乗ってビールを買います。いきつけの酒屋でビール券を使おうと思ったのに、多忙のためか愛想がよくなくがっかりして帰ってきたのです。
夜は、ニュースステーションの後番組を3分間だけみて、パソコンに向かいました。なにかと仕事をして就寝は午後11時30分。
1578……4月4日(日)
昼の時間を活用して、従兄弟たちが集まりました。合計7人。今年は筆者の次男が無事高校へ入学したことを祝うためです。こうした会合は2年前にしています。その時は筆者の長男と、姉の次女が共に高校入学したことを祝ったものです。その時は筆者の母も参加していました。ところが、その会合があってから身体の不調を訴え、同年夏、還らぬ人となりました。今年は従兄弟のうち、三人が受験生となります。いわばトリプル受験。またまた両家は一年中ピリピリしています。今年こそ家族旅行はもう出来ないかなあ。
1577……4月3日(土)
スペイン料理はいま"ピンチョス"ブーム。料理書専門出版社の柴田書店からも、何冊か挑発的なピンチョス企画ものが出されています。ピンチョスとは、ちょっとしたおつまみという意味でしょうか。串または爪楊枝にさされて出てくるものもあります。いまやこのピンチョスだけを出す新しいスペイン料理店もあるぐらいで、ブームという現象とはあまり縁がなかったスペイン料理の中でも、大きな話題となっているのです。行ってみればJaponの居酒屋の串カツや揚げ物、おでんなどもピンチョスの一種と考えることが出来るでしょう。ちょっと一杯の感覚は、Japonでもスペインでも同じなのでしょうね。違うのは、Japonの場合の立ち飲み屋は、隣り合わせた人があまりしゃべり合わないこと。
1576……4月2日(金)
昨日、静岡大学の原尻英樹氏が、筆者の拙稿を読んでわざわざ訪ねてきてくれました。済州島出身者の在日コミュニティーを研究している人です。済州島は、海女(海人)が多く、九州の対馬、壱岐、五島列島に定着することもあるようです。今回は五島列島にフィールドワークしての帰りです。海を通じての海洋民のネットワークは、われわれ陸の民以上に広域のつながりがあるものです。
1575……4月1日(木)
消費税込みの総額表示をせよとの法律施行に従い、カルメンでもすべてのメニューを一新。お客様の来る時間にあわせて交換しました。お上が決めたことを、末端のわれわれが苦労して今日に合わせて設(しつら)えることに、腹立たしさを覚えます。将来の消費税率アップのための布石の可能性も考えられ、よけいに怒りがこみ上げてきます。小売業界の中には、昨夜徹夜してまでも表示改訂をしていたところもあったと聞きます。飲食を含む一般消費の最前線に生きるわれわれが苦労して法律を遵守し、この際に端数切りさげの値下げが半ば強制されようとしている現状に対して、政治家や官僚たち国家運営者は、われわれの努力に見合った仕事をしているのでしょうか。国家など小さければ小さいほどいいのです。
1574……3月31日(水)
2003年度の年度末。銀行は月末/年度末ということで混雑。カルメンも消費税などを支払い、一息ついています。明日から04年度。どのような一年になるのでしょう。さらに明日からは、料金が総額表示になるなど、消費の最前線でも大きな変化が生まれます。カルメンもその対応はしているのですが、しばらくは混乱は続くと思われます。
別刷りメニュー(季節のメニューが含まれる)も明日から「春バージョン」。ほろほろ鳥なども登場します。昨日、来店してくれたお客さん。人気の「牡蠣のグラタン・アリオリソース」を注文されました。そこで筆者「もうこの料理は、今年の12月までおしまいです。よ〜く味を覚えておいてください。この国はその時どうなっているのか分かりませんから」と。
1573……3月30日(火)
雨。甲子園球場では高校野球。
不思議なもので、どうしても西日本のチームを応援してしまいます。となると愛知、岐阜はどうなるのか。微妙なところです。北陸の福井、石川ならぎりぎり"西"の範囲内でしょうか。西日本のチームの中には、大阪、兵庫出身の子ども達が野球留学の形で活躍していることもあって親近感を感じます。現在、甲子園を走り回っているのは、筆者の息子たちと同世代です。球児を持つ親たちの中には、小さい頃から家族ぐるみで野球に専念するための環境を整えてきたところも多いはず。アスリートを育てるための家族の苦労も多いと推察します。翻って筆者の家庭は決してアスリートを育てる環境ではありません。かといって代替する音楽とか芸術方面での環境を積極的に整えているかというとこれも疑問です。メディアから流れる高校野球の放送を聞きながら、その背後にいる親たちが果たしたしつらえのことを想ってしまいました。
1576……3月29日(月)
カルメンの定休日。FMわぃわぃの「南の風」が初めて出前放送をしました。
会場は長田区の長田中央市場前の広場です。新湊川にかかる橋の上。
これはFMわぃわぃが、去年、とあるところから助成金が入ったのを活用して、出前放送が出来る機材を購入したので、出前放送がやりやすくなったのです。奄美出身者が一番よく読んでいる神戸新聞にも、知り合いの記者が今日の朝刊に記事を書いてくれたこともあって、60人以上のお客さんが集まりました。
番組のゲストは、徳之島の島唄を歌う米川宗夫さん(民謡教室・ばしゃ山会主宰)とハヤシを担当する向江登美江さん。
2時間のワイド版で、全9曲を唄ってくれました。番組途中に会場インタビューをしたのですが、やはり多くの徳之島出身者の方が来てくれました。でも、生番組、出張放送というのは何が起こるか分かりません。ハプニングは起こるものと覚悟しておく必要があります。用意してきたCDが鳴らずに瞬間の判断が求められます。局のスタッフの皆さんがいなければこうしたハプニングを乗り越えることはできません。そして「南の風」奄美篇の番組制作&DJを担当している筆者もまた2時間精神を集中しなければならず、多くのみなさんに喜んでいただきましたが、筆者は少々疲れました。初めてということもあったのでしょう。次回からは周囲をうかがう余裕が生まれると思います。
以下は、筆者がとあるメーリングリストに書き込んだ紹介文章です。
/////////////////////////////////////////////////////////////
■〈島唄を抱いて街頭へ〉
FMわぃわぃの「南の風」がスタジオを出て、街頭で島唄の生演奏を放送します。
題して〈島唄を抱いて街頭へ〉------勘のいい人は、このネーミングが明治・大正期
に活躍した仏教革新運動の妹尾義郎らが展開した「仏陀を背負いて街頭へ」(岩波新
書の書名になっている/現在は品切れ)を意識していることを気付かれたと思います。FMわぃわぃが新しい機材を購入することで、出前放送がしやすくなりました。出かけ
る先は、町中の商店街を予定しています。商店街活性化のために、「南の風」として
お手伝いしようということです。発信する仮設スタジオは、長田中央市場前(神戸高速/神戸市営地下鉄・長田駅から
徒歩2分)の広場。雨が降れば、長田中央市場の中にあるイベントスペースに移して
放送します。「南の風」が街頭に出て生放送をするのは、今回が初めてです。初回は、
徳之島の島唄ですが、順次、喜界島、大島(カサン、ヒギャ)、沖永良部・与論の各唄
者に協力を求めて放送していきたいと思っています。放送は、午後1時から2時間たっぷり聴いていただきます。
ゲストは、徳之島町井之川出身の米川宗夫さん(サンシルと唄)、ハヤシは向江登美江
さんです。米川さんは、神戸で徳之島出身者が中心の民謡教室「ばしゃ山会」を主宰
しておられます。演奏予定曲目は、以下の通りです。
(1)徳之島ちゅっきゃい節(2)亀津朝花節(3)三京ぬ後(4)徳之島しゅんかね節(5)井之
ぬいぶぃがなし(6)取たん金ぐゎ(7)まんかい玉節(8)徳之島まんこい節
/////////////////////////////////////////////////////////////////番組終了後、友人たちと一緒に新長田の居酒屋で気炎を上げていました。
1575……3月28日(日)
次男の友達の進学先が決定しました。県立M高校が一人。次男は県立A高校。あとの二人は、私立N高校に。その一人は専願として受けた私立S高校がだめで1.5次試験で合格。もう一人は市立R高校がだめで2次試験で合格、といった経緯です。私立S高校は最近特進コースを設けて受験生達に人気があります。徹底した大学受験のための授業をして、夏休みも返上するとか。それにしても、公立高校というのは、ランクが上の学校でも、役所が決めた週休二日制を守ろうとするためか、すべての学校で補習授業を積極的におこなっているわけではないのです。親の立場としては、公立学校の"ゆとり教育"実施のおかげで大学受験で私立と差がどんどん広がっていくのには焦りと憤りを感じてしまうのです。
1574……3月27日(土)
プロ野球パ・リーグが開幕しました。さて、わがオリックスは今年どこまで成績を伸ばすのでしょうか。
今年もまた新監督を迎えて、巻き返しを図ろうとしています。
元・阪神にいた新庄が日本ハムに移籍したことから、新庄で客が入るのかもしれません。またロッテには韓国からスーパースターの李選手が参加。こうした華やかな話題からオリックスは今年も縁遠いチームであることは変わりありません。つまりイチロー以降のスターが出ていないのです。パリーグは月曜開催が組まれているので、筆者も観戦は可能ですが、去年の阪神のように強烈に甲子園に行きたいと思う衝動にかられねのかどうか疑問とするところです。
1573……3月26日(金)
〈特攻隊、知覧、高倉健〉とこの三つが合わさった映画「ほたる」は、まあ筆者が観ることはないだろうと踏んでいた作品です。ところが、ビデオを借りてきてまで観ようと思ったのは、FMわぃわぃでコーナーを持っている趙博(チョウ・パク)さんの著作『ぼくは在日関西人』を読んで、彼なりに評価していることを知って、筆者も評価を変えたからなのです。趙博さんは特に高倉健・田中裕子夫婦が、特攻で死んだ韓国人の遺品を届けるために韓国を訪れたものの、家に入れてもらえず、門の外で対応され、しかも厳しい拒絶にあうというシーンを強調しています。まあ、このシーン、面白いのですが、画面が急に家の中に移動するので、そこが少し不可解です。韓国において門の外で対応することの意味も含めて、Japonからやってきた二人をなぜ家の中に導いたのかは映画は語っていません。そこのところは不満なのですが、映画としては徹底して「日本人の戦後物語」を描いているという意味で、この国の人たちには感動を催す内容となっています。しかし、外国の人たちがこの映画を観ても「日本人の戦後物語」の抒情性を共有していないわけですから、映画としての評価/面白さはいまひとつのような気がするのですが。これは何も健さんの映画はJaponの人たちにしか分からない/だからJaponの文化は特別なんだという結末に導きたいのではなく、「日本人の戦後物語」の普遍性の如何を筆者は問いただしたいのです。1572……3月25日(木)
拙宅の道路向かいにある公園に、いま満開の花があります。「桃か」と筆者。「わからん」と"連れ合い"。木に名札が付いていて「アーモンド」と書かれています。「そうか」と筆者納得。カルメンがガルバンソー豆を仕入れている「東洋ナッツ」という会社の敷地内にアーモンドが植わっていて、子どもがまだ小さい頃、東灘の浜にある工場敷地まで見学しにいったことがあります。子どもはまだ幼かったので覚えていないでしょう。車で乗り付けたのですが、あいにく土砂降りの雨。そうそうに引きあげてきました。だから今でもアーモンドの花を見ると「雨」を連想してしまいます。
公園に誰が植えたのかは分かりませんが、まだ若木であるのに、もう一人前に花を付けています。大きくなればアーモンドの木の下で花見で一杯が出来そうです。この木、果たして大きくなるのは何年かかるのでしょう。
1571……3月24日(水)
こんな"ジャイケン"が神戸の子ども達で流通しています。「はじめはグー またまたグー いかりやちょーすけ あたまはパー せいぎは勝つとは限らない ジャンケンポン あいこでしょ」
ドリフターズのいかりや長介さんが72歳の生涯を閉じました。上記のジャンケンことばを書き記したのは、決して故人を誹謗するものではなく、いかにこの人が多くの人たちに愛されていたかが、こどもたちのジャンケンにも見いだすことが出来るため、その証拠のひとつとして知らせました。
でも、このジャンケンをしている小中学生は、昔日の「8時だよ全員集合」を生で見ていないんですよね。次男とは、「踊る大捜査線」のこれからはどうなるのかなあ、などと会話しています。
1570……3月23日(火)
日曜日(21日)、兵庫県下の公立高校の合格者発表日でした。次男は無事、県立A高校に合格していました。同じ中学校から38人も進学するそうです。いわばその高校にとってはお得意さまといったところでしょうか。来年からA高校も神戸第一学区に編入されることになり、今年までのような優先入学がなくなってしまうと思われます。次男はその特典を享受する最後の学年となるのでしょうか。まあ、なんともラッキーな学年です。次男の学年にはちょうど「昭和世代」と「平成世代」が一学年で交じっている潮目の世代なのです。次男は昭和63年生まれ。これからもなにかと「潮目の世代」なのかもしれません。
1569……3月22日(月)
カルメンの定休日。FMわぃわぃの生番組です。
今回はゲストが一人。県庁OBのOさんです。住用村生まれで名瀬育ち。奄美高校を卒業後、鹿児島県の林業研修所で学び、兵庫県庁に勤めました。和田山とか淡路の農林事務所に勤めたことがあるものの、殆どは本庁林務課で働いていました。定年退官後は明石で花屋さんを営んでおられます。
Oさんは奄美の言葉である"シマユムタ"に深い愛着を抱いている人で、番組ではなるべくシマユムタで語ってくれました。戦前生まれのために、復帰後(1953年)の方言禁止運動を知らずに育った世代です。シマンチュがシマンチュらしく、シマユムタがシマユムタらしく輝いていた時の古き良き環境に育てられた人であると言えるでしょう。
帰宅後は、拙宅近くの居酒屋に家族全員で食事会。次男の高校入学を祝うためです。私立、公立と二つの高校の合格を勝ち取った彼です。この"成功"が高校生活のバネとなるよう祈っています。
1568……3月21日(日)
ちょっと奄美の人たちには気の毒です。昼、関西奄美会の総会に顔を出してきました。改装なった「中之島公会堂」はレトロな感じが見事です。このホールには、明治時代のJaponの人たちを熱狂させた政治講演会が似合いそうです。「オッペケペ、オッペケペ、オッペケペッポ、ペッポッパ……」などとやれば会場内は割れんばかりの拍手だったのでしょう。
気の毒と書いたのは、奄美の人たちの会合は、会場内で飲食をするのが当たり前なのです。しかし新しい公会堂は会場内飲食禁止、奄美出身の人たちはおとなしく舞台正面を見ています。奄美らしさが感じられないのです。
Japon本土(ヤマト)でも伝統的な相撲、歌舞伎などの枡席では飲食が可能な環境が確立しています。文楽、歌舞伎は朝早くから公演が始まり何十時間も続くことが普通であるために、枡席内で寝っ転がったり居眠りしていたり、飲食をしたりというのは当然のこととしてあったのです。1567……3月20日(土)
今日は、一年に一回だけしか作らない珍しい食材を特別料理として出しました。午後1時から「スペイン語を話す会」。今月の特別ランチは「イカナゴ・ア・ラ・ビルバイーナ」がメイン。この料理、本日のみの超限定料理です。一般のお客様にもお出ししました。イカナゴは形状がアングラース(うなぎの稚魚)に似ているばかりか、サルサ・アヒージョで食べると「アングラス・ア・ラ・ビルバイーナ」の食感に限りなく近いのには驚きます(\800)。
生ものなので、多くは仕入れなかったこともあって、あっという間に売れてしまいました。
また、来年の今頃、神戸ならではの瀬戸内/大阪湾の海の幸を使ったスペイン料理を提供したいと思っています。1566……3月19日(金)
4月1日から導入される消費税の総額表示について、今カルメンでは全面的にメニューの改訂作業にかかっています。ところが、消費税込みの値段にするとどうしても端数を表示しなければならなくなります。現在は伝票上で最終的には端数が表示されるのですが、困ったことにメニューに今までの価格に消費税額(5%)を何の造作なくオンすると、奇妙なメニューになってしまうのです。つまりレストランのメニューが持っているイメージというのは、10円、1円の単位まで表示しないからです。スーパーなどの小売業界では「78円」とか「298円」とかいった値ごろ感を値札に表示することで消費意欲をかき立てるのですが、飲食業界の中でも西洋レストラン系だと、だいたい100円までの単位表示(例えば1200円、1600円)が圧倒的に多いために、4月から総額表示になるからといって、急に表示を変えるわけにはいきません。
となると、どういうことが起きるかというと、端数をカットして値下げする、あるいは5%をオンしない--などデフレ現象を引き起こすといった結果になると思われます。これは消費者のみなさんにとってはさらに値段が下がるわけなのでいいことなのですが、ようやく景気が一部で回復しつつある中で、消費の最前線を支える小売・飲食業界のデフレがまた加速してしまうということになりそうです。
カルメンでの消費税の総額表示でも、こうした意味で値下げするのが料理、飲み物ともに全品目に近くなっています。お客様にとってはありがたいことです。しかしこの消費税の総額表示が将来の消費税アップの布石だとすれば、納税の痛みが直接に視覚化されない今回の決定は良いのか悪いのか悩むところです。
1565……3月18日(木)
サッカーの話です。Japonが三大会連続五輪出場を決めました。Japonが属した予選組の3チームは、Japonより格下との評でしたが、負けたり苦戦した試合もあり盤石の勝利ではなかったようです。
オリンピックねぇ。若きアスリートたちにとっては、4年に一度の大舞台でありますよね。しかし、長い人生を考えると、アスリートたちの現役の"華"はあまりにも早く終わってしまいます。比較的平均年齢が高いマラソン選手でも30歳代前半までといったところでしようか。身体を使うということがいかに過酷かということなのかな。人生の経験を積んだアスリートたちが活躍する競技こそ応援しがいがありそうですが。
それにサッカーで分からないことがあります。対UAE戦で最初の点を入れたのは那須、アシストしたのは阿部。この二人のメンバー表を見ていると、バック(最近は「守備的MF」と言うのでしょうか)となっています。決してスリートップの平山、田中、大久保ではないのです。「守備的MF」とは、こんなにゴールに絡む機会は多いのでしょうか。こういう時もともとストライカーとして出場しているスリートップの選手たちはどこで一体なにをしているのでしょう。サッカーは分からないことだらけです。野球的に言えばセンターがセカンドゴロをさばくようなものとも思ってしまいます。こんな発想、サッカーファンに叱られてしまいそうですが。
1564……3月17日(水)
神戸では今、筆者が観た『具体回顧展』よりたくさんの観客を集めている展覧会があります。『大英博物館の盗品展』いや違った、『大英帝国の収奪展』いや、これも違う。みなさん、なんていう名前でしたっけね。筆者、頭が弱いので、正式な名称がどうも覚えられないのです。大英博物館は入場料無料だそうですね。(そりゃ、世界各地からの盗品/収奪品を展示しているのですから、入場料をとったらバチがあたります)。今回の展示でも世界各地の貴重な文化財が展示されていて、見応え充分。会場となっている神戸市立博物館は大盛況とのこと。入館待ちの人で長蛇の列となしていると聞きます。結構なことです。Museumにとってヒット企画は赤字を少しでも減らせるし、学芸員が主導する自主企画をしやすくなります。また、芸術を教養主義的に受け止めていらっしゃる(市)議会の優秀な議員さんたちにも受けが良い。結構づくめです。この意味で神戸市立博物館は時々ヒットを飛ばすので"賢明な"Museum経営をなさっている。はは、はは。
こういう類の展覧会、筆者がもっとも縁のない催し物です。
1563……3月16日(火)
公立高校の入学試験の日。次男、さすがに緊張して出ていきます。
"15の春"の試練といいますが、彼にとってどうだったのでしょうか。
次男が通った塾は公立高校向けだったので、直前の講習はほとんど毎日でした。「あんたは塾の力でここまで来たんや」と"連れ合い"は次男に言い放ちます。筆者もある程度承認。しかし、試験が終わると、途端にゲーム男に変身。Playstationの「戦国もの」ソフトを買ってきて画面に釘付け。明日からは中学の友人達と毎日お出かけの予定が入っています。あ〜あ、受験生として顔が引き締まっていたのはほんの数週間だけでした。それに、次男君、合格発表はまだなんだよ〜。
1562……3月15日(月)
午前中の銀行廻り以外はずっと拙宅に閉じこもっていました。JRの駅構内にあるヒカンザクラが満開。ようやく森崎和江著『いのちへの旅--韓国・沖縄・宗像』(岩波書店、2004)を読み始めています。森崎さん、永年NHK福岡でラジオ番組を制作していたのですね。知らなかった。詩人として、またエッセィストとして熱烈な読者であった筆者ですが、生計がラジオドラマの脚本書きとは知りませんでした。
昼ご飯を終えて、ひとりゆたゆたと本に向かいます。ひさしぶりの読書の快楽にひたる一瞬です。最近、よく読んでいる研究書や評論の本は、それらのすべてではないのですが、「読む楽しさ」に必要な適度な文章の温度と湿度が欠落しています。直訳的/生硬な文体につき合っていると、森崎さんの文体が"美文"に見えてきます。
ではその"美文"とはいったいどのような内容なのでしょう。よく読んでみると、ワンセンテンスの中に主語が何度か転位があったりします。時制もまた過去と現在が入れ子状態、また空間・場所も突然ワープするという、この国の古典文学の様態そのものの文章世界が展開されています。いわば森崎和江の身体という唯一信じられる場所を媒介として、主語/時制/空間が自在に展開されるのです。これは森崎さんの生き方そのものが表出した文体なのでしょう。他人には真似や再生産の出来ない世界です。
和江さんはちょうど一代目とほぼ同世代。となると、その子ども達は筆者と同年代ということになるでしょう。上野英信や森崎和江らを育んだ九州という風土に深い関心を抱きます。また住みかとしている福岡県宗像市は、筆者の姉や親戚も住んでいたゆかりの地なのです。
そして今日は筆者にとって世界で唯一のきょうだいである姉の50回目の誕生日です。
1561……3月14日(日)
最終日というのは独得の雰囲気があるものです。兵庫県立美術館で開かれている『具体回顧展』を、演劇をしている姪っ子と二人で行ってきました。
最終日は、もうこの日を見逃したら後がないという切迫感。二度と見られないという悲哀さ。最終日まで行けなかった怠惰を責める気持ち----といった感情が入り交じっているせいか、展覧会の会場もなんとなく華やかでありかつ緊張感が漂っているように感じられます。
具体はいわずと知れた阪神間を中心に活躍した芸術活動グループ。吉原治良の強烈なリーダーシップのもとに展開された前衛芸術活動です。Japonよりも海外で高く評価され、それがJaponにその評価が逆輸入したのです。活動を始めたのは1954年。筆者が生まれる前年です。活躍した芸術家は筆者の親の世代に該当します。それを受けてわれわれの世代は何を生み出しているのでしょうか。
筆者がこの『具体展』で注目したのは、文学と具体グループとの関係です。展示の中では児童文学誌『きりん』が、その接点となっているようです。文学者では竹中郁、足立巻一らがかかわったのがこの『きりん』で、表紙絵などに具体の作家がかかわっています。それ以上のかかわりがどのようにあったのかは、これから調べたいところです。
まあ、今でも文学者と芸術家というのは、同時代者として相即の関係でありながら、共に活動をするというのはありそうでない、なさそうである、といった感じを持ちます。
この展覧会で知ったことは多いのですが、1970年の大阪の万博が、具体にとって大舞台だったということです。万博は会場のあちらこちらで前衛芸術の試みが散りばめられていました。「太陽の広場」での試みは三次元の拡がりがあって興味深いものでした。
具体で繰り広げられた前衛的な試みは、次に来た世代のわれわれにとって、これからも刺激としたい活動であるのです。
1560……3月13日(土)
とある雑誌の校正をします。筆者がパソコンに向かい、何人か人に手伝ってもらって校正をしてもらいました。ひとつの雑誌を仕上げるのには多くの手間と神経を使います。筆者のパソコンはマックですが、他の人たちはウィンドウズなので、誌面を制作する上で、手伝ってもらえません。ひとりでコツコツと作っています。昔と比べると便利になったものの、その分、印刷所に渡すまでのギリギリの工程(下版まで)を自分でしなくてはならないのです。経費節約のために大台紙貼りまですることもあるのです。
印刷文をつくりあげるたびに、大いなる神経をすり減らすのも慣れているとはいえ、それだけに集中しないとミスが多くなるのです。
1559……3月12日(金)
次男が通う公立中学校の卒業式です。淡々と式が進みます。あいかわらず筆者は、「国家斉唱」の場では着席のままです。今回は"連れ合い"の提案で保護者席の最前列に近い席に座ったので、着席者の数は確認できずじまい。舞台の日の丸も去年より大きめのサイズに見えます。
校長、PTA会長の挨拶。あくびがなんども出てしまいました(失礼! だって面白くない)。式は何度も訓練したと思え、「起立 礼!」の掛け声に一糸乱れず生徒達はついていきます。卒業証書授与の時も整然と生徒達は動きます。(まるで刑務所/軍隊のような)と筆者は心の中でつぶやきます。Japonの人たちは、こうしてロボットのように整然と行動することを"善"となして近代以降の民族心性を造ってきたのです。
注目したのは在校生代表(生徒会副会長)の女生徒の挨拶と、卒業生代表の言葉。よく訓練したとあって、詰まることなくそして感情を込めて切々と語り、涙腺が弱い筆者は思わずハンカチを取り出しました。そして卒業生全員でうたった歌もいい。この子ども達が卒業してもこの歌をうたえば一挙に"今"にワープできることでしよう。
まあ、そこまでならそう変わることのない卒業式だったのです。といいますのは、最後の最後になってこの学年らしいことをしてくれたのです。2年前に長男が同じ公立中学校を卒業しているので、学年が違えば学年ごとの性格の違いがあるものだと感じ入ったのです。
式が終わり、クラスごとに退席します。前日の学校主導の予行演習の時は、粛々とクラスごとに退席しくだけだったそうですが、次男の学年はやってくれました。本番になって式次第にはないことをしたのです。まず1組の生徒の何人かが分担して担任の先生に対する感謝とこの一年間の思い出を語ります。"連れ合い"は「長男の時もしたわよ」と頓珍漢なことを言います。彼女は感激する心を失ってしまったのでしょうか。私も最初はこのクラスごとの挨拶も折り込み済みだと思っていたのです。
この突然の生徒達の行動に驚いたのは先生たち。実際、生徒達が粛々と退席するみものと思いこみ、かつ挨拶は1組が代表してするだけかと思いこんだためか、予行演習どおり退席の時に流す音楽のボリュームをあげて、2組の生徒たちの言葉は聞き取れませんでした。(3組になってあらためて音楽のボリュームが下がったところを見ても学校側にとって、予想外の出来事だったことが分かります。まさに感動もの)。
各クラスは最終学年の思いの丈を語ります。筆者、涙がとまりません。いい卒業式です。筆者がすごいと思うのは、生徒達が自主的に各クラスの足並みを揃えて実行したこと。そして担任の先生には知らせなかったということです。
生徒達が退席した後、保護者だけ残った体育館の中で、学年主任の先生がこう説明してくれました。「卒業式が近づいた日のことです。朝礼前の5分間、生徒達が教室内に集まってなにやら相談している。私が教室に入るとパッと散ってしまう。『なにしてるの』と聞いても『何も』と言うだけでした。そして私が教室を出るとまた生徒達が集まって相談しあっている。おそらく最後の言葉をだれが何というか相談していたのでしょうね。もちろん担任の誰も今日こうして生徒達がクラス別に挨拶するなんて知りません。今、各クラスの担任の先生たちは涙でボロボロなのでしょうねぇ。私が思うのに卒業前がこの学年にとって、3年間で一番団結した瞬間だったのではないでしょうか」。
1558……3月11日(木)
朝、パソコンに向かうのが日課になっています。ひとつはメールチェックです。最近、中国からのメールが増えています。だいたい文字化け状態。広告メールは内容を見ず削除。時間をとられるのを嫌うためです。
一週間ほど前ですが、携帯メールのうち、Docomoの"AOLメール"が、PCを経由して閲覧できるのを知ったのです。AOLはアメリカを中心として、たしか世界最大の会員数を誇るらしいのですが、このJaponでは会員数は伸び悩んでいます。そこでDocomoと連携して、無料でAOLに加入することが出来、さらに現在はPCからでもメールをチェックすることが出来るようになっています。
この事実を知る前は、携帯のAOLメールボックスに、英語の迷惑メールが近頃頻繁に入るようになり、それをひとつひとつ削除するのに、通信状態にしなくてはならないため放っておいたのです。するとたまるわたまるわ。80通以上にもなりうっとおしくなっていたのです。これをPC上で閲覧することで削除できることを知って助かっています。でも、今のところPCでも閲覧できるのですが、いつまで続くか分からないのが現状です。現在、筆者には三つのメールアドレスがありますが、いちいちチェックするのが面倒なのでできるだけ一本に絞っています。
1557……3月10日(水)
転勤がきまった友人Sとカルメン終了後に痛飲。赴任が決まったH市には、高層ビルが建っていて、友人Sの会社が土地建物ともに、第三セクターから買い取ったとのこと。シティーホテルがコアテナントで、アパートが決まるまで、同ホテルで暮らせるとのことです。
友人Sは、神戸市北区に住んでいて、新神戸を毎日通っています。赴任するH市へは新幹線で通えば通えなくもないとのこと。毎朝午前6時台の新幹線に乗れば、午後8時40分にはH市に到着するとのことです。なんとまあ便利なことです。考えようによっては、東京も新幹線を使えば通勤範囲内です。午後8時ぐらいまで飯田橋で呑んで新幹線に飛び乗って神戸に向かえば、日付は変わるもののちゃんと帰りつくのですから驚きです。
でも友人Sは、賄い付きワンルームマンションに決めたそうです。もともと友人Sは器用な人なので、一人暮らしでも充分自分を律して生きていけるタイプです。ダメなのは筆者。煎餅布団になること間違いなし。「あんたはアカンわ」と"連れ合い"からもにべもなく断定されました。
1556……3月9日(火)
読書がはかどりません。いま、現代思想系の本を読んでいるのですが、字が小さい上に、最近の思想・評論系の研究者(特に若手)の書く文章が晦渋にすぎて読みづらいのです。直訳的であり、かつ文章に必要な適度な湿度を感じないのです。つまり日本語として読みづらい。かつてこのような晦渋な内容の文章は、マルクスの"悪文"や、ドイツ観念論で展開されている哲学書の生硬な文章にさんざん苦労した経験があるためにうんざりしているのです。こうした文体でしか哲学・思想は語れないはずはないのですが。この晦渋さは、知的特権者の特権的表現であるとみなして、かつては否定の対象にもなったはずです。しかし、現在の30歳台の若手研究者の多くは、晦渋な表現をいかに上手に使いこなすかに心を砕いているようにも思えます。
ああ、早く読み終わって、数日前に古書肆で手に入れた森崎和江さまの新刊書を読みたい!
1555……3月8日(月)
カルメンの定休日。FMわぃわぃ「南の風」の生放送がある日です。
本日は、東京で主に活躍していた宇検村出身の唄者のCD(セントラル楽器)を中心に紹介しました。この人、なんでも1928年(昭和3)には、NHKラジオで、史上はじめて奄美の島唄を全国放送に流したことがその実績として記されています。また、戦前にもすでにレコーディングを果たしていたそうで、一度その音源を聴いてみたいものです。今日紹介したCDは、昭和39年に録音されたもの。唄者として爛熟期を迎えたことが伝わってきます。歌詞など分かりやすく発音されていて、島唄を拡げようとする意欲と意思が感じられます。
スタジオ内に、、FMわぃわぃに研修生として立ち働く関西学院大学の学生君が一人。学歴を聞いていると、なんと筆者の小学校の後輩でした。そして関学の担当教官も同じ小学校の出身。筆者の姉と同学年の人です。その学生君、N小学校を卒業後、関学中等部へ進学したとか。N小学校にも中等部・高等部が併設されているのですが、なぜか人気がない。筆者の姉は進学したのですが、筆者自身はイヤで公立中学校に進学しました。
1554……3月7日(日)
昼休みを利用して、東京から来る人に大阪で会うつもりでJR三宮駅に向かいます。何人かで迎える会をするというので、世話役をしている人に「いまから大阪に向かいます」と携帯電話で連絡をいれた時のこと。「えっ? それ、 昨日終わったわよ」。「げっ」。なんとまあ、一日違いでした。大ボケをかましてしまいました。昨日も今日にあるとばかっり思っていた会合を照会しようとある人に電話を入れます。「それは21日ですよ」とちょっと冷ややかな声に。なんとまあ。二日続けてのぼけかましです。ひぇ〜。こいいうアホなミスをしないという自信があっただけに、なんともし締まらない事態です。今日はずっと雪。このボケは、きっと雪が筆者を乱調させたのだと勝手に思いこむようにしています。せっかく、東京から来版する人のための、その人が書いた定型詩に関する著作を筆者の関心のある箇所を集中的に読んで質問しようと思っていただけに残念。手帳を持たない主義ですので、こういう時は携帯電話をメモがわりに活用するしかないですね。
でも、ちょっと落ち込んでいます。
1553……3月6日(土)
今年のヴィッセル神戸の試合は面白そうです。トルコからイルハン選手という若い女性に人気のあるストライカーが加入することによって、一躍注目されるようになりました。ヴィッセル神戸といえば、J2降格阻止のためにチーム一丸となって戦う秋の季節以外は、いったいどんな試合をしているのか見えてこない球団です。しかもせっかくウィング神戸という素晴らしいサッカー球技場がありながら、観客が少ないのはもったい限りです。
今日のお話は、サッカーではなくスペインとトルコの話。数年前、スペインが所有しているトルコ海軍の旗艦幡をトルコに返すかどうか問題になっている、との新聞記事が読んだことがあります。1571年にギリシア沖で行われたレバントの海戦でスペインが奪ったものです。当時、オスマントルコの地中海地域への伸長が著しく、キリスト教世界が恐怖を感じていたのです。そこでスペイン、ベネチア、ローマ教皇庁の連合軍が、精鋭を誇るトルコ海軍とがっぷり四つに組んで、派手な海戦を展開したのです。
結果は、キリスト教側連合軍が、火器の有効な利用によって、圧倒的な勝利を収めたのです。ということで、スペインにとって、トルコは打ち負かした敵なので、400年以上前の戦利品が残っているのです。スペインが栄光につつまれていた時代です。
その海戦に、スペインを代表する文学者であるセルバンテスが参加していました。ところが、除隊になってスペインに帰ろうとした時、トルコ軍につかまってしまい、アルジェリアの捕虜収容所へ。なんとか帰国は出来たのですが、多額な保釈金を払うために、セルバンテスはスペインで売春宿を経営したこともあったそうで、妻もそこで働かせていたと書かれた本を読んだことがあります。
セルバンテスは一時英雄として崇められていたのですが、帰国後は借金返済やらで不遇の時代が続きます。小説家として花が開くのは、老境にさしかかってからです。『ドンキホーテ』『模範小説集』などによって、初めてスペイン語による文学を書き始めたという文学者として名を残す彼ですが、トルコとの戦争が人生に大きな岐路となったことは確かなようです。
1552……3月5日(金)
本日のA新聞夕刊学芸欄に、筆者の署名記事が掲載されています。A新聞夕刊学芸欄に書いたのはこれで二度目です。以前は、この欄で何度か記事で紹介されることはあったものの、署名記事を書くようになったのは、去年からです。
今回は筆者が撮影した写真も二葉掲載されています。
夕刊が掲載されていない地域は明日(6日)の朝刊に載ります。1551……3月4日(木)
寒い日々が続いています。それでも筆者が利用するJRの駅の構内にある彼岸桜はそろそろ芽吹いています。この桜は、花は白くかつ楚々とした大きさ。春の到来に先駆けて筆者の目を楽しませてくれます。また、東灘区には、岡本梅林公園があり、かつてここが梅の一大名所だった記憶の残滓を楽しむことが出来るのです。梅の季節になると、近隣から多くの人たちが押し寄せ、"梅茶屋"も営業していたようです。今日などは肌寒いので、昼から「梅見で一杯」とはつらいのですが、陽気がいい時は、昼から呑むのは最高でしょうね。筆者も子どもが幼かった時、親子4人で弁当をもって岡本梅林公園に出かけたものです。もちろん日本酒持参です。そして桜の季節になると、王子動物園で、一族がそろって弁当をひろげてくつろいでいました。時々、動物の鳴き声なども聞こえてきてなかなかに雰囲気がいいものです。今年もしようかなあ。
1550……3月3日(水)
雛祭りの日。拙宅のピアノの上にも、一対の雛飾りが鎮座しています。"連れ合い"の都合によって、鎮座しないこともあるのです。次男が「今日かぎりでしまったほうがいいんじゃない」と古風なことを言います。
"連れ合い"の実家には五段のものがあるそうです。"連れ合い"が娘時代はどうだっかは聞き忘れましたが、今でも義兄は、この日かぎりで雛壇をしまうとか。義兄には二人の娘がいます。
いつまでも雛飾りを出していたら、婚期が遅くなる、または結婚できなくなる、といった民間伝承が今日限りでしまうという行為の理由になっています。ではどうしてそうした民間伝承が生まれたのでしょうか。筆者は勉強不足で知識がありません。また、筆者の記憶では、雛飾りというもの自体、そう歴史は古くないと思います。一般に普及したのはいつごろからなのでしょうか。
1549……3月2日(火)
昨日、神戸市内の西部に行ったついでに、筆者の母校(高校)を訪ねてみました。といっても、校舎の中に入るのではなくて、塀の外から遠望するだけなのですが、新装なった校舎と、体育の授業でサッカーをしている後輩たちの姿を目で追っていました。考えてみると、母校を訪れたのは卒業以来といったところでしようか。高校というのは、卒業すれば滅多に訪れる機会はないものです。ただ、広くない敷地の中で、全面改装されたとはいえ、校舎の配置などは昔と変わっていません。
その高校、最近は進学校として位置づけられています。町中にある学校で、庶民的な商店街を突き抜けると住宅街に囲まれて立地しています。
帰りにその商店街を通り抜けたのでずが、どうしても確認しておきたかった書店があったのですが、見あたりません。もう30年前のことなので、記憶は不確かですが、ないのです。その書店は岩波文庫を置いていて、よく買っていました。中堅ながらも品ぞろいも悪くなかったと思います。筆者の高校時代はどちらかというと、自閉的な心象風景の中に生きていて、本ばかり読んでいたように記憶しています。学校の帰りにしばしば寄ったその書店が見あたらなかったのは、過去の記憶そのものが喪失してしまったかのようで、寂しくもあったのです。
1548……3月1日(月)
カルメンの定期日。本日、初代オーナーの78歳のバースデー。1926年の生まれ。つまり大正15年となります。3月なので、学年としては同14年生まれの人たちと同級生ということになります。耳が少し遠いことを除いては、足腰もしっかりしているし、意識の老いもないようです。まだまだ現役で頑張っていますので、みなさんも元気な初代オーナーを見に来てください。だいたい土曜日・日曜日・祝日には出勤しています。
FMわぃわぃの放送は本日お休み。所用があって東に西に。
午前10時にコピー機の点検。筆者は、両面コピーすることが多いのですが、どうも調子がおかしい。考えてみると、最近ではコンビニでもコピーを置いているところが多く、24時間営業しているビジネスコンビニの存在もあるなどを考えると、筆者のように大部数を印刷をするわけではない立場からすると、コスト的に贅沢なリース商品であることは確かです。トナーとか交換したり、基本料金に達しなかった月などは、一枚の単価がバカ高くなり、わざわざリースしている意味がありません。かといって、いつでも何部でもコピーできる便利さも捨てがたいものがあるのです。
ひょっとして、これは車と同じかもしれません。筆者は車を所有していませんが、車の維持費を考えると、タクシーやレンタカーの方がはるかに経済効率がいいはずです。コピー機を持ち続けるかどうか、いまでも悩んでいます。
1547……2月29日(日)
本日、午後10時30分から、読売テレビで放映されている「大阪ほんわかテレビ」に、カルメンが紹介されました。カルメンは、テレビには一年に一度程度、紹介されます。テレビ媒体は影響力が大きいので、取材でも緊張します。取材クルーの雰囲気を見ていると、カルメンがどのように位置づけられているかは、ある程度認識することができます。今回の取材スタッフとは、いい雰囲気で収録が進みましたので、画面もいい感じになったと思います。
テレビ放映にあわせて、ポスターを新調したりで、多くのお客さんに、カルメンの料理の味わっていただけるよう願っているのです。
1546……2月28日(土)
プロ野球のオープン戦がスタートしました。もうそんな季節なのですね。タイガースの公式戦のティケット販売が好調だということです。そのため、阪神電車の会社も去年は増収増益。この大不況の中で、数少ない「勝ち組」だと言えるでしょう。夜、帰宅すると、子ども達がインターネットをしたいというので、横でチラリと眺めていると、北朝鮮の金正日総書記を揶揄する動画サイトを見ていました。バックには「となりのトトロ」が流されていて、中身はかなり強烈な批判です。まあ、なんともすごい内容のサイトがあるものです。筆者が日頃みるサイトとはまた違ったもので、驚きっぱなしです。いまどきの子ども達はこうしてインターネットの情報で育っていくのですね。時代の違いを感じます。
1545……2月27日(金)
カルメンが終わってから、大学時代の友人2人と、スナックMへ。ここのママであるMさんも、われわれ三人と同年齢。初めてママに会った友人は10歳は若く見える、と驚いています。その友人、小さなデザイン事務所を経営する社長さん。自分の才覚ひとつで世の中を渡り歩いています。もうひとりの友人は、神戸の人間ならだれでも知っている企業に勤めるサラリーマン(本社は東京)。3月から静岡県のある市の支店長に就任することが決まり、ごくごく内輪の送迎会。われわれの世代は来年が50歳の大台に乗るので、60歳の定年まであと10年。よほどの大逆転がないかぎり、あと10年間のサラリーマン社会での行く末は見えてきます。つまりどこそこのポストにいけば「上がり」(もうそれ以上の出世は見込めない定年までの定位置)だということです。さびしくはあるのですが、宮仕えの現実なのです。
一方の社長さん。下の子供がまだ5歳。定年が関係ないとはいえ、まだまだ働かなくてはいけません。長女が中学1年生。たまたま筆者が通っていた公立中学の後輩にあたるので、高校・大学の進路実態をシュミレートします。それを聞いた社長氏、少しがっかり。「そんじゃ、今から5歳の長男を仕込みぃ。男の子やったら、灘・甲陽・六甲・関学を目指したらええやん」と筆者がハッパをかけます。まだ小学校にも入学していないのに、これからが大変。でも、社長氏が住んでいる市は総合選抜方式なので、その教育環境を嫌う親が多いことも事実なのです。
1544……2月26日(木)
暖かな日が続きます。次男の中学3年生は期末試験の真っ最中。「もう内申とは関係ないねんから」とさっそく自分を緩めようとしていますが、"連れ合い"が「アホなここ言いな! ここで緊張感なくしたら公立高校の試験に響くんじゃ」と喝。次男はまさに一夜漬けづけなのですが、食卓で教科書を開いています。「今晩いつまでするの?」と筆者が尋ねると「朝の6時ぐらいまでかな」。一応、勉強モードに入っています。
本日、公立高校の受験者数が新聞に掲載されていました。次男の目指す高校は、1.07倍。13人の不合格者が出ます。この高校はかつての名門校。はっきりいって現在は昔日の栄光とはほど遠い(大学入学)実績です。偶然にもカルメンの常連さんに同校OBがいらっしゃって、最近の学力低下を嘆くことしきり。その高校のある市は、市立中学校から高校全入のような教育環境だからでしょうか、生徒にも学校にも緊張感がないと言われています。
1543……2月25日(水)
今日は背広組のお客様が多い日でした。つまり男性客がほとんどです。そのひとつの団体さんは、ドイツ語なまりの英語を話す人、中国語を話す人たちも混じった7人さんです。ドイチェも中国も、豚肉が好きな人たちで、筆者は気に入っています。でも、これからは中国のお客様が増えるでしょうね。将来、中国簡体字のメニューを作らなくてはならないかもしれません。そして現在、スペイン語のメニューを更新中です(カルメンには他に英語のメニューもあります)。といいますのは、いまあるスペイン語のメニューが古くなっているのと、カラー化していないためです。
メニュー更新を担当しているのは、カルメンのホール・スタッフ(アルバイト)で関西外大のイスパニア学科に在籍するNさん。今度3回生になり、今週からスペイン・グラナダ大学へ半年間の留学が予定されています。これは、同大学が認定した留学生で、今春から、他の生徒たちとは別授業で、徹底的にスペイン語をしこまれるそうです。いいですね、勉強のためだけに過ごせる何年間かがあるということは。
1542……2月24日(火)
吉野屋の牛丼で一挙に注目されたアメリカ産の牛肉です。アメリカはJaponに対して「あんた、そんな大げさに考えなや」と苛立ちを隠しません。一方のJapon側の意思決定機関は、国民から責任を転嫁されることを極端に嫌う官僚諸君ですから、自分たちに責任が集まっている現在では、「全頭検査」を建前として掲げます。しかし、裏では政治屋と、事務当局同士でおとしどころを探っていることでしょう。アメリカ側も大統領選挙が近づいていることもあり、輸出再開を強く言い出すに違いありません。しかしJaponも夏の参議院選挙があるために輸入再開は、参院選挙の後、大統領選挙の前を狙っているのかもしれません。アメリカは小泉首相に"貸し"を与えるそぶりで決着をつけようとするのでしょうか。
ただ、アメリカ産の牛肉輸入停止によって生まれた市場心理によって、値上がりしていた輸入牛肉の価格が今週から落ち着きを見せ始めています。なにも国民すべてが吉野屋ではないので、なにがなんでもアメリカ産でなくてはならないというとではありません。アメリカ産でなくても、オーストラリア産などにシフトしていけば、べつに牛肉そのものが食べられなくなるわけではないのです。
そうなると焦るのはアメリカでしょうか。なにせアメリカはアロガンス(傲慢さ)に満ちた国です。Japon的規範なんてねじ込めばすぐ変わると思いこみ、実際、いままでアメリカの走狗だったJaponの政治屋・官僚は唯々諾々としてアメリカに従ってきたのです。
食の安全性というのは、こういう飲食関係業界に身を置いていると敏感に感じることです。安易にアメリカ産牛肉を輸入再開をしようものなら、Japon政府は手厳しい批判を浴びることになるでしょう。
1541……2月23日(月)
カルメンの定休日。本日もFMわぃわぃ「南の風」の放送日。"連れ合い"は「今週も行くの?」と聞きます。2月は三週連続。
今回の放送は、先日尼崎の杭瀬で録音してきた島唄の様子を中心にお届けしました。奄美出身者が、ここ関西においてどのように島唄を享受しているのかを聞いていただくのも、価値があると思い放送したのです。勝島伊都子さんや若林英樹さん(三線とハヤシ)、それと「来るだんど」のお客さんのみなさん。筆者が訪れた時、当然ながらヤマトンチュは筆者一人。シマグチとシマグチなまりのヤマトグチが行き交う場所で、共通語は関西弁。筆者、こういう雰囲気が好きなのです。ただ、最近酒に弱くなったのか、以前と同じペースで呑んでいると、二日酔いがひどいのです。
番組終了後、三宮に一度おりて仕事をすませ、阪急電車で京都へ。電車の中ではずっと寝ていました。四条河原町に着くと、雪まじりの雨。おなじ関西でも神戸は暖かいですね。S大学のS助教授と打ち合わせ。四条木屋町下がるのところにある喫茶店へ。えらく雰囲気があるところで、文化財にも指定されているとか。筆者、京都に5年も住んでいながら知らなかったので、"もぐり"と言われそうです(当時は、今は殆ど潰えてしまったジャズ喫茶に入り浸っていました)。
打ち合わせ後、京都では珍しい沖縄料理店へ。一軒目はしまっていて、二軒目に。この街には沖縄料理店はいままで無かったそうです。それがNHKの「チョラさん」ブームで若者に脚光を浴びるようになったのです。
酒を飲まないS助教授を横に、筆者はオリオンビールと、泡盛の古酒(クース)と沖縄料理。酒量は多くないはずなのに、帰宅後はかなり酔っていました。やはり弱くなったのですね。もう40歳台の後半。無理をしてはいけません。
S助教授とは「北山国/北山文化圏を王権論でとらえたい」「島建てシンゴを細部にわたって註解していきたい」と意欲を語っておられました。S大学では今春からS助教授のもとで「南島文化講座」が立ち上がろうとしています。これはかなり注目していいのではないでしょうか。
帰宅後、"連れ合い"の不機嫌な顔。最近、月曜日の夜が留守がちなのをチクリチクリ。「娘が(筆者の)顔を見たら「またお酒を飲んでるわ」と条件反射的に言うわよ!」。いえはやいやはや………
1540……2月22日(日)
昼、大阪で開かれた定型詩作家の集まる会へ。JR大阪駅を降りてさあ行こうと思い地下に降りると着物姿の女性。滋賀県から参加しているKさん。最近はずっと着物姿での参加。いもんですねぇ。目立つから町中の雑踏でもKさんであると認知できたのです。久し振りの参加なので、梅田の地下街で迷う寸前だったということ。二人して目的地に向かいました。この会は東は滋賀、西は姫路からと遠い場所からの参加もあります。とはいっても新快速で大阪までは1時間ほど。便利なものです。
会合が終わったのは午後5時。筆者だけは一人抜けだし、カルメンに帰ってきます。その他の人たちは"ちょっと一杯"モードへ。実はこの二次会が一番楽しいのですが、筆者は参加できません。三宮駅で下車した時はすでにカルメン・モードに転位しているのです。
1539……2月21日(土)
本日、午後1時から「スペイン語を話す会」。今回も、このカルメンのホームページに告知されていたお知らせを見て参加した方がいらっしゃいました。終始、笑い声の絶えないにぎやかな会でした。スペイン語圏に長く駐在されていた方もレギュラーとして参加されており、生きたスペイン語を話す絶好の機会です。興味のある方は、ぜひ参加してみてください。次回の会は、3月20日(土)を予定しています。
「スペイン語を話す会」のもうひとつの楽しみは、特選ランチです(同会の参加費は無料。ランチ代だけで2時間たっぷり楽しむことが出来る)。今回は、「鰆(さわら)のサン・セバスチャン風」。スープ、サラダ、アロース、コーヒーもついてなんと1200円というお得な価格!!(あれ、テレビのテレフォンショップ風になっています)。
鰆は、瀬戸内を泳ぐ魚で、スペインにはありません。なぜこの食材を選んだかは、カルメンが位置する神戸は瀬戸内に近く、豊かな海の幸を楽しむことができるロケーションにい位置します。そこで身近で獲れた食材をスペイン料理にすればどうなるか、ということで挑戦してみたのが、今回のメインデッシュなのです。
来月もまた「スペイン語を話す会」の皆様でけの特選ランチを用意します。期待していてください。
(追伸/今年の鰆は豊漁だそうです。最近、瀬戸内産ばかりではなく、韓国や中国のものも入荷しているとのことです)
1538……2月20日(金)
月曜日、三宮に出てきた折、トイレを借りるために、センター街から生田筋を下ったところにあるスポーツ専門店が入るビルの地下に行きました。「おっ、プラモデル屋があるやん」と直感し、その店の中に。この時点ですでに時代錯誤してしました。いまどき、40年前に筆者が買って作ったナチス・ドイツや旧日本軍のプラモデルを売っている店が三宮の中心街にあるわけはないのです。
その店は"フィギア屋"といったらいいのでしょうか。独得の雰囲気。言ってみれば"オタク"の世界。アニメのキャラクターぐらいはついていけるのですが、アーミーものも一つのコーナー。セーラームーンのフィギアはタカアシガニのようにやたら脚が長い。関節を動かせる着せ替えタイプのコーナーあり。女の子以外は立ち入ったら変態扱いされそうなコーナーあり。まあ、なんとも幻惑の迷宮世界なのです。
店内には、貸しボックスのようなものが設置され、自分で作ったり、売ったりするためのボックス。透明のコインロッカータイプのものがずらりと並んでいます。
その店にあるようなフィギアで満たされた女性、男性の部屋は、筆者のような門外漢には入室しがたい雰囲気があります。「うっ、これは……」。でも、惹かれるところもあるのです。
1537……2月19日(木)
「私たちもスペイン語を話す会をしています」。昼間、ランチを食べに来てくれた三人連れの方々です。カルメンで毎月一回行っている武村陽子さんが代表を務める「スペイン語を話す会」とは全くの別組織です。毎月二回、火曜日の午前中に集まって2時間たっぷりとスペイン語を話すそうです。スペイン語講座の先生(ペルー人女性)も時々参加されるそそです。1998年から続けて折られるとか。こうしてスペイン語を話し続けたいと思っている人は多いのですね。頼もしい限りです。
三人のうちの一人は、もうすぐポルトガルに「帰国」されるそうです。首都リスボンに住んでいる女性で、翻訳とか団体旅行客の通訳などもされているそうです。その女性とポルトガルのワインの話題となりました。最近のポルトガルの人たちにとって、評判の赤ワインは、Alentejo地域のもので、同地域はさらに、Borga、Vidigueira、Redondo、Monsalazなどの地域に別れるそうです。そういえば、Borgaワインはたしかカルメンに一本あったような。
1536……2月18日(水)
奄美に所用があって電話。あまみ庵の森本眞一郎氏が再入院と聞いてびっくり。A新聞の記事に彼の発言を引用して書いているので、確認の意味もあって電話をして知ったのです。本人が入院しているので、周辺の人たちに情報を集めていました。するとどうやら今回の入院は短期に終わりそうでホッとしています。
電話で確認した人の一人は、自宅を開放して梁山泊のようにしています。いわゆる「食客」というべき若者がいつも何人かいるそうです(その実は自分探しの何もしない若者なのですが)。筆者の息子たちもお邪魔させてもらいたいなあ。
1535……2月17日(火)
A新聞学芸欄に書く原稿を今日に日付が替わるころ、無事に送稿。朝にはさっそく担当のO記者から電話。全体の流れは承諾してもらいつつ、細かいチェックを受け、その指示がもっともなので書き直します。そのチェックを受けていて思ったのは、A新聞の学芸欄といっても、読者が限られている研究論文と同位相のものと考えてはいけないということです。やはり新聞という性格上、一人でも多くの読者の心に届くよう気配りが必要です。つまり難解な用語を避け、コンテクストの自明性を高めていくことが要求されるのです。写真も二枚送付。筆者が写したものです。ここで思ったのは、やはり写真も残しておくべきですね。文化欄といっても、写真があれば、ヴィジュアル的に目に入りやすくなります。最近はデジタルカメラがあるので便利になりましたが、ちゃんと編集をしていないと、なにがどこのファイルに入っているのかさっぱり分からないことが多いのです。データの管理というのは、少しずつの整理の大切が後になって役に立つのです。
1534……2月16日(月)
カルメンの定休日。今週も「南の風」を担当します。
去年の秋まで「沖縄篇」を担当していた新垣優子さんと二人で番組を進行します。優子さんのほわっとした雰囲気がよく出たいい番組をつくることが出来ました。優子さんは、三線を持参。2曲ほど弾いてくれました。あと、奄美からは、「行きゅんにゃ加那」など、去っていく人を送る島唄を中心に選局しました。
優子さんは来月から夫婦で長崎・五島列島に移り住みます。そこで約3年間を過ごすということなのです。かの地には筆者の大学時代の友人も住んでいることから、馴染み深い場所です。筆者も一度行ってみたい場所です。
番組終了後、三宮に帰ってきて所用をすませ、今日が締め切りの原稿をチェックします。実は昨晩、ほぼ完成していた原稿を半分以上書き直したのです。原稿というのは、出来上がっているけど、どうも満足しないという時は、書き直すに限るのです。また、何度書き直しても完成ということはありません。あるのは締め切りです。
帰宅後、必死にPCの画面に向かいます。一字一句、表現のいいまわしに神経を集中させます。なにせ新聞という公器に載せる文章です。最大限の注意を払って、読者にあらたな感動を呼び起こしたいと思う気持ちでいっぱいになります。筆者にとってA新聞学芸欄に書くのは二度目ですが、やはりその都度、緊張感してしまうのです。
1533……2月15日(日)
A新聞からの原稿依頼で、頭が朦朧。文献を読むために四苦八苦。今回の原稿は、書籍より雑誌のほうが役立ちました。それでも、書籍・雑誌のたぐいは、こういう原稿執筆のために、いざという時に役立つものです。書くときに買い求めるのでは一歩も二歩も出おれてしまいます。将来を見越して買っておく、これが大切です。でも、だからモノを書くというのは、お金がかかるのですねぇ。午後2時から「A」いとう俳誌の編集会議。ところが編集責任者のHさんから「迷ったようよ」と電話。もう何度もカルメンに来ているのに、いまさら迷うなんて、と先に来ていた人は驚くやら感心かるやら。「A」はいま東京で編集されているが、今年から年3回刊体制を目指すというのです。そのうち、関西で編集する号をひとつかませようとしています。この「A」は、Japonの非結社系の俳人や、川柳人の中でも急進派の作家が入っています。
1532……2月14日(土)
昼の休憩時間に、尼崎に出向き、阪神沖縄研究会が主催する沖縄に関する文化イベントに参加してきました。講師は、沖縄俳句協会の玉城一香さん。『沖縄歳時記』という本を編纂した人です。沖縄は「亜熱帯」の気候になるために、本土中央の気候をもとに作られた『歳時記』は、役に立ちません。それではということで沖縄独自の歳時記を作ったのです。玉城さんの俳句は社会性に富んだ内容です。永年、沖縄で高校教師をつとめました。現在は定年退職していますが、若いころは、沖縄復帰闘争の担い手でした。「鉄の防暴風」に続く激しい地上戦で、沖縄は地形が変わるまでに変わり果てました。そんな厳しい沖縄の現状を俳句作品の中に読み込んでいます。
しかし、玉城さんの俳句は、五七五のヤマト的韻律によって書かれていて、単語もヤマト口で書かれています。ウチナーには、琉歌という独自の定型詩(八八八六)があります。こうしたウチナーとしての内的リズムを持ちながら、ヤマト的な五七五を使って表現すること、また、ウチナー口の単語はなぜ作品の中に反映されないのか、疑問に思います。
玉城さんはこうも言います。「私の5歳年下の人たちは、本当の意味での方言が使えない」。とすると、玉城さんはヤマト口・ウチナー口のバイリンガルであるからこそ、俳句ではヤマト的韻律にチャンネルを切り替えているのかもしれません。沖縄俳句にウチナー口が入るのは、もう少し若い人たちの「内的に失われつつあるウチナー口」に対する哀惜の情をバックに使うのかもしれません。
沖縄で『沖縄俳句歳時記』が作れるのですから、奄美でも『奄美歳時記』を作ればいいと思うのですが。
夜は再びカルメンの営業終了後に、尼崎へ。今度は杭瀬駅近くの杭瀬横町の中にある島唄の店「来るだんど」へ。2月にオープンしたばかり。オーナーは、唄者の勝島伊都子さん。筆者はとあるメディアのために店内の様子を撮影しますとあらかじめ伝えておいたので、伊都子さんは多くのシマンチュを集めてくれていました。
黒糖焼酎を飲み、豚肉料理に舌鼓を打ち、ちょっとシマグチなまりでコミュニケーションする。店内のおじさんのことを呼ぶ時に「アニョ(兄よ)」と言って、周囲から微笑みが生まれる(ヤマトンチュの筆者がシマグチを知っているから、という意味)。やがて店内は、島唄が始まります。次から次へと島唄が飛び出し、おお盛り上がりです。筆者は録音機器も持っていったので、その様子をFMわぃわぃ用に使おうと思っています。楽しいひとときを過ごしました。
1531……2月13日(金)
今日、兵庫県下の私立高校の合格発表がありました。次男はなんとか合格。ホッと胸をなで下ろしています。公立高校の受験日まであと一カ月。緊張感が保てるかどうかが心配です。
筆者は、中学校まで西宮市でしたが、高校から神戸です。高校受験はすでに34年前なので詳しい記憶は飛んでしまいました。息子たちが受験の時期を迎えるようになって、昔の記憶をまさぐっています。
30年余の年月は、神戸の学校事情を変えてしまったようです。筆者の出身校はスポーツ系の生徒たちが、系列校に移り、受験校に特化しています。さらにその高校の近くにあった女子高校が共学化して、進学コースを設け、受験生の人気を呼んでいます。筆者は昔のイメージが強いので、どうしてもその学校が変化したことが認められず、息子に何度もおなじ質問をするのです--「ほんまに、そうなん?」。少し前の世代なら「オヤジの頭は古い」と一刀両断されそうです。
1530……2月12日(木)
A新聞学芸部から原稿依頼がありました。電話を受け取ったのが、月曜日。で、締め切りは一週間後。メディアというのはいつも締め切りや取材日がぎりぎりです。本日は午前9時からカルメンに出勤しています。いつもより2時間早い出勤です。9時30分から、読売テレビの取材です。毎週日曜日の午後10時30分から1時間放送されている「大阪ほんわかテレビ」のランチ特集にカルメンの料理が紹介されます。この取材申し込みがあったのも一週間前でした。
放送日は2月29日。この日は「にんにく」の日だということで、Sopa de Ajo con huebos (たまご入りニンニクスープ)、タコのピルビル(Pulpo al ahijjo)、エビの南蛮焼き(Ganbas a la planha)などが紹介されます。
このコーナーは素人の人が試食するという企画です。カルメンを担当してくれたのは、明石在住の若い女性のお二人でした。スープが出た時の第一声は「やばい!」でした。みなさん、この「やばい」は、危険を察知したときの警鐘句ではないのですぞ。"いまどき女性"の使う「やばい」は、ほぼ「すごい」と同意義で「やばい(びっくりする)ほどすごい」の簡略形だと思ってください。言葉は変わるものです。若者コトバの乱れを嘆かれている読者の皆さん、"いまどき女性"の日本語はもっとラディカルであるのです。
1528……2月11日(水)
某国の「建国記念日」です。筆者、この日を「祝日」としたくないので、出勤していつものように働くカルメンの職場環境が気に入っています。でも、子ども達は祝日であったらいいのであって、その思想性については興味がないのです。だいたい某国の国家の起源といわれる7世紀に「建国」のルーツを求めるのではなく、神話時代に遡って策定したというのですから、その非科学性、非歴史性は目を覆わんばかりです。
昼間、きのう行ったスナックMのママがランチを食べに来てくれました。昼は実家で書店を経営している人です。
1527……2月10日(火)
友人・Sがふらりとカルメンを訪ねてきました。取引先の人と懇親を深めるために呑んでいたとかで、もういい気分でした。
明日が祝日なので、スナックMに行こうということになり、2年ぶりにその店を訪れました。ママのMさんとは、同年齢。筆者の高校の同級生であるAの中学校の同級生なのです。同年齢であるので、なにかと話があいます。ところが、筆者はスナックで上手にしゃべることが出来ないのです。理由は簡単。カラオケを強要されるからです。今は昔ほどでもないのですが、スナックはすなわちカラオケを歌うところ、と店もお客も決めているところがあって、苦痛の種でした。さらに水割りを次から次へと入れてくれるのも閉口します。筆者の真骨頂は、炉端で焼酎か生ビールを飲んで熱弁をふるうこと。スナックのカウンターに座っての会話はなぜか、盛り上がりに欠け、身体を冷やすばかりの水割りもなんとなく異和感を抱き続けるだけなのです。
1526……2月9日(月)
カルメンの定休日。FMわぃわぃ「南の風」の生放送です。
去年から放送時間が午後1時になったので、月曜日は休みであるのにもかかわらず、いつもより早起きしているほどです。番組の準備に神経を使うからです。
本日の番組は、徳之島天城町在住の唄者・松山京子さんの特集です。二度の民謡日本一になったその実力は折り紙つきです。今日は、松山さんが作った自家製CDをかけます。ただ、残念なのは、そのCDは、奄美大島のものが殆どだということです。徳之島にも素晴らしい歌がいっぱいあるので、徳之島特集のCDも作ってほしいものです。
番組終了後、三宮に出てきて、インターネット・カフェに行ってみようと思い立ち、カルメン近くの「まんが喫茶」に行きました。この体験は後日、報告しましょう。面白い体験でした。
午後7時に、ある女性と待ち合わせ。最初、沖縄料理を食べにいくつもりでしたが、その店が臨時休業。したかないので、途中で合流したもう一人の女性と相談して三人でYMCA近くの洋食食堂で食べて呑んでいました。この日会ったのは、一人が公的機関で映像関係の企画をしている女性と、神戸でも名物ギャラリーにつとめる女性です。二人とも、神戸における映像・アートの表現現場を支え、発信している人で、それぞれ輝くものを持っている魅力的な人たちでした。
1525……2月8日(日)
筆者が関係しているFMわぃわぃに最近メーリングリストが出来ました。放送局のスタッフというのは、たくさんいるのですね。筆者はFMわぃわぃに8年ほどかかわっていますが、実は他番組のスタッフは殆ど知らないのです。と言いますのは、局のほうでは、スタッフ同士の懇親を図るために、交流会とか忘年会を企画してくれるのですが、決まって週末の夜なので、仕事のために出席できないのです。
いま、メーリングリストで見知らぬ人とメールの交換をしています。もちろん、一度も会ったことがない人です。局のスタッフによると、定年退職をしたばかりの男性で数カ国語に堪能だとか。外国生活も長かった人のようです。奄美の話でもりあがっています。メーリングリストは相手の年齢・性別・性格など一切わからず言葉だけで交換しあいます。その"あやうさ"が魅力であり、危険も同居しています。筆者は、メールでも、くだけた表現はあまり使いません。手紙文とほぼかわりないエクリチュールを選択しています。
1524……2月7日(土)
プロ野球のキャンプが今月から始まりました。関西三球団のうち、珍しく"勝ち組"となった阪神は、今年はどうなのでしょう。関西はまだ去年のリーグ優勝の余韻が残っています。しかし岡田監督で果たして連覇は出来るのでしょうか。コーチまかせの指導方法と報道されていますが、そんな甘いものではないような気がするのですが。
近鉄は球団名を期間限定で売ろうとして、内外の反対にあい、たった5日で引っ込めたようです。大手企業としてはその段取りの悪さは責められるべきでしょう。それとも近鉄は地域独占企業なので、会社内に緊張感が薄く脇が甘いのでしょうか。
かたやオリックスは、二代続けて西武から新監督を迎え入れたのですが、阪急時代に築いた栄光と矜持をづたづたにして、やたらに外様の血を入れて、ファンを無視して、球団継続の正統性を訳が分からないようにして、それでファンに球場に来てくれ、とはちょっと虫が良すぎます。球団経営の整合性を前面に押し立てることでファン離れを加速させた見事な失敗例です。プロの世界は、勝てば評価が上がる世界なのですが、夢を与えるという側面も無視できません。
1523……2月6日(金)
とある新聞に筆者のことが写真入りで紹介されています。記者からインタビューを受けたのはここカルメンで。
筆者は比較的新聞メディア に出るほうですが、さっそく電話による反響がありました。その新聞は当該者が一番読んでいる率が高く、掲載されるのを楽しみにしていたのです。筆者を取材した記者は筆力がある人です。変わった経歴を持っている人で、一度新聞社を退職して南米へ青年海外協力隊として行き、帰国後再び同じ社の記者として復帰したという変わり種です。年齢的にはデスク級(つまり一線の記者ではなくデスクワークが多くなる)なのでが、一線でバリバリと書いているのです。
1522……2月5日(木)
雪。寒い一日です。
岸和田で起きた中三生の虐待事件で考えたこと。
かの地はだんじり祭りがあり、他地域に比べて祭礼を核とした地域の一体感(家庭内虐待が置きにくい)があると行政が思いこんでいるのでしょうか。岸和田市の対応の愚鈍さから見ても、行政の怠慢を生んだのは地域社会の有機的な姿があったからではないかと思ってしまいます。もうひとつ気になるのは、今筆者が読んでいる本に書かれている概念が、今回の報道と、その報道によって増幅される"世間の常識"に見え隠れしているのではないかということです。その概念とはミソジニー。「女性嫌悪」と訳されます。血のつながっていない中三生と共に実子さえも虐待・ネグレクトの対象にした38歳の女性に対して向けられた世間の非難とバッシングは、その根底に世間の抜きがたいミソジニーが存在しているのかもしれません。
虐待は知っていたけど子育ては女性に任せていたとする父と、実際に食事を与えなかった"母"。世間(マスコミと報道によって増幅された日常性の諸判断)の批判は"母"に集中しがちです。でも本当にその構図でいいのでしょうか。父は傍観者であることで"母"より免罪されるのでしょうか。実子は小学校に入学したての頃、一人公園で遅くまで時間を潰していたということです。理由は「おかあさんが寝ているから」。後にも、中三の長男と次男が、"母"が起きてくるまで部屋を出ることを禁じたというエピソード、または"母"は散らかし放題だったという報道。これらは"母"を「悪鬼」「母性不適格者」にまつりあげるのに充分な情報です。このミソジニーを基底にした「鬼母」報道の嵐が過ぎてから、女性達の反論が言説化されると思っています。もう少し待ちましょう。
1521……2月4日(水)
今年はどうしたことでしょう。拙宅の猫の額庭に南天がいっぱいなっているのですが、毎年くるヒイヨの夫婦がやってきません。死んでしまったのでしょうか。いつも午前9時ごろ、筆者が一階の書斎でパソコンに向かっていると、けたたましい声をたてながら、二匹でやってきて、猫に警戒しながらも、固い南天の実をついばんでいきます。それとも食事時間を変えたのでしょうか。よく見ると、木の上半分は実がなくなっているので、昼食か夕食で食べているのかも知れません。
猫といえば、近所に「猫屋敷」と筆者が勝手に呼んでいる家があります。ここは建築途中で放置されている家で、玄関が開けっ放しになっているので、近所の猫たちが建物の中に住んでいるのです。毎朝、道路を横切っている猫たちを見ますし、きっと何匹もの猫一家が住んでいるのでしょう。かつて数年前、裁判所の人たちと思われる人たちと債権者がこの「猫屋敷」を検分していました。取り壊すのかと思っていたら、ずっと建築途中のまま放擲されています。せっかく猫たちが住んでいるのですから、猫語で手紙を書いてみようかと思っているのです。いやいや最近は"科学"の発達で猫語を翻訳する機械も売っているのですから、猫たちも手紙を読めるかもしれません。「なぁ、にゃごにゃごにゃーご、にゃんにゃんにゃ〜にゃ」(ねぇ、寒くなったから君たち風邪をひかないようにね)。バカなことを考えているカルメンのオーナーでした。
1520……2月3日(火)
昨日、何枚かレコードを聴いているうちに思ったことがあります。30年前にはとびきりの前衛に聞こえていた"アート・アンサンブル・オブ・シカゴ"が、自分が思ったほどにはアヴァンギャルドではなく、意外と秩序だった音楽様式にのっとっている、ということです。ひょっとして、今の社会の現実の方がアヴァンギャルド派の音楽よりアナーキーにかつ無秩序になっているのかもしれません。時代が変わると、音楽の感じ方も変わるのですねぇ。この拙宅の収納部屋、レコードを聴くのには適していて、モノだらけなのですが、少し整頓したら二人か三人ほどは座れるので、ごく親しい友人、しかもジャズを愛する人を招き寄せて、ジャズと焼酎と思想を語り合うことをしてみたいものです。(でもこの数年はダメでしようねぇ。なにせ受験体制がこれから数年続き、家中がマレビトを招くという余裕がないためなのです)。
1519……2月2日(月)
カルメンの定休日。本日は全くのオフ。ところが子ども達が風邪をひいていて、平日であるのに家族人口が多いのです。筆者も含めて家族が引きこもり状態。
それではということで、収納部屋の整理を始めました。そこにはステレオセットが置かれています。大型ゴミの日に拾ってきた二組のスピーカーを鳴らします(あとで息子と娘に抗議を受けましたが)。レコードというのはいいですね。ターンテーブルに乗せて針を落とすだけで、昔の自分に戻ることができます。そうですねぇ、200枚くらいは持っているでしょうか。主にジャズですが、クラシック、ニューミュージックもあります。中学・高校生の時は随分と熱心に音楽を聴き、またLPレコードを集めたものです。
片づけを終わってまだ聴いています。その部屋に正月の日本酒を持ち込んでむ独酌。それがなくなると黒糖焼酎のお湯割り。すっかり気分がよくなってしまいました。夕方、灯油とレモン、ニンニクを買いに外へ出た以外は、引きこもっていました。
1518……2月1日(日)
今年はひさしぶりにNHK大河ドラマ「新撰組」を見続けています。脚本が三谷幸喜。その仕事ぶりは、多くの評価を得ています。
筆者が結婚後、懸命に見たNHK大河ドラマは、竹中直人主演の「秀吉」、ジェームス三木脚本の「吉宗」(主演・西田敏行)「独眼竜正宗」(主演・渡辺謙)の三本です。このNHK大河ドラマの視聴者の殆どが女性だというので、歴史的人物をホームドラマのように設定する内容が多く、その手の番組は一回みただけで、内容の退屈さが見えてきますので、パスしています(そういう意味で橋田須賀子や内舘牧子の路線は嫌いです)。上にあげた三本はやはり主人公の演じ方、脚本の面白さが、NHK大河ドラマという枠(NHKの自己規定)を越えているために面白いのです。
といいつつ、新撰組なんて、たかが「白色テロリスト集団」ではないかとの思いが強いのです。新撰組が人気があるのは知っていますが、その政治性、反動性を考えると、顕彰したり賛美の対象にどうしてなるのかどう考えても分かりません。
とはいいつつ、あの時代を画した坂本龍馬や佐久間象山らが登場して、そうした人物が三谷マジックで活写されている番組の面白さは格別です。今でている佐久間象山という人物はもう少し生きていたら(たしか安政の大獄で獄中死)、維新の精神的支柱になっていたでしょう。彼の思想をみていると、何を受容するか(開国)というより、何を拒絶するか(攘夷)という思想的課題の大切さ、その始源的意味の深さを考えてしまうのです。
1517……1月31日(土)
拙宅の周辺は家が建て込んでいるので、"連れ合い"と閨(ねや)にしている一階の和室は寒く、シャッターをすべて降ろしているので部屋の中は真っ暗です。"連れ合い"は少しだけ窓に近いところに布団を敷いているので、冬は我慢できずシャッターを閉めてしまったから真っ暗になったのです。まるで岸和田の監禁されていた中三生の部屋です。しかし、こどもたちに弁当を作るために、午前6時には起きていなければならないのです(実際に起き出すのは午前6時半。低血圧なので起き出してもしばらく動けない)。時々、筆者に起こされます「7時やけどええの」。こういう時はガバッと起きだし、急いで朝ご飯と弁当の用意をするのですが、子どもたちを起こす声が荒れています。
1516……1月30日(金)
次男が高校受験なので、拙宅全体が受験モードに突入していて、家中がピリビリしています。計算してみると、あと数年間受験モードが続きます。筆者の性格からすると、友人を拙宅に呼んでドンチャン騒ぎをしたいところですが、筆者以外のすべての家族を敵にまわす根性も行動力もないので、あと数年は我慢の連続です。それでも酔った勢いで夜中に拙宅にくるマスコミ関係者なんかもいて、客間に使う部屋の余裕がないので、筆者の仕事部屋にありったけの毛布を運んで勝手に寝てくれとほったらかしにします。すると、記者諸君もしたたかに酔っているので、いつのまにか寝込んでしまっていまっています。朝、子ども達が通学で玄関を通るとき、玄関に一番近い書斎から、二日酔いで凄まじい形相をした記者がヌッと現れて遭遇することがあります。その時の子ども達の驚いた表情といったら!
1515……1月29日(木)
昨日、新聞の切り抜きを整理しました。これは、と思って切り抜いた新聞記事をみなさんはどうされているでしょう。これがなかなかに難題なのです。「面白感度」を低く設定すれば、いくらでも切り抜きが増えてしまうので、朝日・読売の学芸欄の記事を中心に選択するようにしています。去年、筆者も朝日新聞の夕刊学芸欄に島唄のことについて書く機会がありましたが、やはり夕刊の学芸欄が(自分が書いたということを除いても)、切り取る面白い記事が多いようです。
筆者の場合、新聞の切り抜きをだいたい半年分をためて、それをA4判のコピー紙に貼り付けてファイルに閉じていきます。「一般篇」と「奄美篇」とにわけます。かつてもこうした切り抜き作業をしていたのですが、長続きしませんでした。正直なところ、今の作業もいつまでつづくか分からないのでずが、一年ごとのファイルを作成していくつもりです。
ファイルといえば、FMわぃわぃの「南の風」も今年で8年目に突入しますが、一年ごとのファイルを作成しています。この番組は7月から始まったため、7月からの一年間の放送原稿、キューシート、ビラなどの情報をワッワッと閉じていくのです。一冊はけっこうな厚さとなり、それが7年分となると、書棚のスペースを占領していきます。筆者の書斎はそれでなくても狭く、本の海ですが、資料も増殖しつづけます。整理が得意とは決していえない筆者です。今後、資料/ファイル類の管理もまた頭のいたい話なのです。
1514……1月28日(水)
虐待された男の子は"年子"の弟がいます。弟は、別れた母の許に逃げて今ではそこで暮らしているとのこと。「あそこは地獄の館だった」と、実の父と継母との生活を述懐しています。継母の"連れ子"も長男と同じ中学三年生。長男と次男は小学校まで父の祖父母のところで暮らしていたそうですが、中学になると弁当なので病気がちな祖父母では大変と、二人をひきとったとのこと。継母と連れ子と父、長男、次男の五人の新生活が始まります。長男は「弟(連れ子のこと)ができるねん」と親しい友人に嬉しそうに語っていたそうです。しかし、五人が同じ食卓を囲んだのは、数日の間だけ。長男・次男が別の食卓になり、やがて食事も与えられなくなります。ただ、連れ子にとってこの継母は「優しい母」だったとのこと。長男・次男に対する対応のギャップはどうしてうまれてしまったのでしょう。実の父も長男が生意気だった悪びれる風もなく言っているとか。この年齢の男の子で生意気でない子というのはいるのでしょうか。ただ生意気という表象面だけあげつらって、生意気が成長に一過程であることを判断しなかった想像力の貧困さ。父の祖父母も息子をかばうためでしょう、「虐待はなかった」と警察に証言しているようです。虐待の始まった長男・次男は学校の登校途中、はだしで祖父母の家に行き「なにか食べさせて」とかけこんだことを考えると、「虐待はなかった」と言うのは、彼らもまた"共犯者"であるかもしれないという疑念が湧きます。
この事件、すでに警察がマスコミに流す情報と、周辺からの聞き込みによってのみ、第三者に伝わるしかないという事態です。いまだ昏睡状態に陥っている長男の恢復を祈っています。彼と同学年の筆者の次男の顔をしげしげとみつめながら、同じ年にうまれたこどもでも大きく違ってしまった人生を考え込んでしまったのです。
1513……1月27日(火)
いたましい事件です。岸和田市で発覚した中学三年生に対する虐待のニュースが気になっています。筆者の次男もちょうど同学年。ひとごとではありません。もし、虐待さえなければ今頃、高校受験を控えて、家庭が緊張に包まれているはずです(この緊張感もほどよい家族物語のひとつの展開/エピソードなのですが)。
中学三年生で155センチというのは低いほうです。男の子というのは、中学時代に一年で10センチ以上の身長が伸びることは良くある話です。筆者の次男も学校ではミルク給食を毎日飲み続けたこともあったのでしょうか。いまや父である筆者の身長に近づきつつあり170センチほど。高校に入学すると父を追い抜かすでしょう。まさに育ち盛りの時に、継母から食事を一週間も与えられなければ伸びる身長も止まってしまいます。
なぜこうした事態になってしまったのでしょう。虐待を受けた"長男"は、中学一年生の時はクラスでも活発な男の子だといいます。それが一転、「あと5分救急車が遅ければ確実に死んでいた」と担当医に言わせるほど衰弱していたのです。
1512……1月26日(月)
カルメンの定休日。FMわぃわぃ「南の風」の放送の日です。
今日は、先日、筆者が奄美で買い求めた島唄のCDの総集編をお届けしました。でも、残念なのは、名瀬で皆吉恵理子さんの島唄を録音できなかったことです。番組終了後、本日は予定がないのでカルメンの食器類を買うために、JR甲南山手駅へ。重い荷物をひっさげて帰宅。あと、灯油の買い出し、スーパーでニンニク、レモンを求め、おとなしくしてしました。次男は塾でひとり早く夕食。あと残りの家族で食事。"連れ合い"は腰が痛いと言い散らしています。
1511……1月25日(日)
次男の高校進学について、家庭内では緊張感が高まっています。筆者の住む東灘区では東部の公立三中学校のみ、芦屋市内の県立高校に進学できる資格が与えられるのです(筆者の住む地区もその例に該当するのです)。第一学区の学校はなんとなく学校別の雰囲気が分かるようになりました。筆者はかつて東灘区の住吉に住んでいましたが、就園前なので、遠い過去のことです。高校は神戸市内なのですが、第三学区にあった私立だったので、第一学区のことは、結婚して東灘区に転居するまでは、詳しくは知りませんでした。
長男が県立K高校に通うようになってようやく、第一学区の様子が分かってきました。公立高校の受験というのは、中学校のさじ加減がおおきいのです。三年生になると、何度も三者面談(親・子・担当教諭)を交えて、進路について語り合います。もちろん、三年生の節目のテストの結果によって、進路が軌道修正することもあり、最後まで希望校に入れるかどうか分からない状態です。
私立高校の受験まで一カ月を切り、公立高校の受験までも二カ月を切りました。去年くれまで、緊張感が感じられなかった次男ですが、年があけてようやく受験生らしい引き締まった顔になってきました。このむ雰囲気を高校時代も継続していってほしいのですが。
1510……1月24日(土)
大阪で、若者があつまる場所へ。顔見知りも出来て、会合が始まる前と後とで歓談をするようになりました。
4月から新しい若者たちが、やってきます。学ぶ、ということに対して真剣な眼差しを向けている人たちです。人間、何歳になっても学び続けていきたいものです。やはり大阪は関西一円から人が集まる場所です。この都市が元気がないと、関西全体の活気にも影響が出ます。しかし、大阪市も大阪府も「大阪は民間の活力で活性化した場所」という神話に甘え、よりかかっているのではないでしょうか。いっそ合併してひとつの自治体(大阪都?)になってしまったほうがいいのではないでしょうか。まあ、関西洲になれば合併も必要なくなるのですが。
1509……1月23日(金)
旅の後はなんとなく疲れるものです。今年も、奄美島唄の新しいCDが発売されるのが楽しみです。去年、いまやセントラル楽器とならんで奄美島唄の重要なレーベルだった"JABARA"を主宰している森田純一氏が、復帰50年のイベントに登場する島唄をプロデュースするのに多忙すぎて、CDを多く出せなかったと言っているので、今年はその反動もあって、多くのCDが世に出されるものと期待されます。また、セントラル楽器も中(あたり)母息子、皆吉母娘の両親子カップルの島唄CDを作成するというのでこれもまた楽しみです。
でも、ウワサに聞くと、名瀬在住の上村リカさんがいいとか。入院中なのが心配なのですが、なんとか録音してみたいと思う気持ちがあります。FMわぃわぃが録音しないと、永遠にその唄者の歌声が残らないこともありうるのです。そういう意味で、筆者がしている「南の風」の記録的意味は深いものがあります。
1508……1月22日(木)
ふと夜中に起きると、服を脱がずに寝ていました。いつものことです。暖かい沖永良部なので出来ることです。二日酔いなので朝食ではたっぷりの水分を補給。M氏がやってきて若干の約束。空港に向かい、9人乗りのプロペラ機で沖縄へ。このサイズの飛行機に乗ると、人生観が変わると思います。「おもちゃみたいな」飛行機が実際に大空に舞い上がることの驚き。決して雲より上に高度をあげないので、乱気流に影響されやすいのではないかと怖れをいだきます。
到着した那覇空港は大きい。空港ターミナルで、琉球新報と沖縄タイムスの二紙を購入。いずれも面白い。読みどころが多いのが感心してしまいます。新しく開通したモノレールに乗って那覇市内へ行こうと思ったのですが、時間がないのでやめました。
待ち時間にソーキソバ。沖縄に来ると、沖縄の物産は大量に目の前に押し寄せます。やはりこれは奄美と違うところ。「文化力」というのでしょうか。
1507……1月21日(水)
午後9時に亀徳港から「下り」の船に乗り込みます。今回は短い旅ながら船によくお世話になります。2時間ほどで沖永良部・和泊港へ。大量の高校生が下船。あした奄美群島の高校生の文化祭があるとのこと。筆者が乗った宿の送迎バスにも多くの高校生が乗り込みシマ言葉が行き交います。筆者の長男と同世代の子たちです。この子たちは、高校を卒業するとその殆どはヤマトで就職するか大学・専門学校へ進学します。本土の子たちのようにいきなりフリーターになることは経済的に許されるわけはありませんし、島にはそういう職場もありません。
奄美は早ければ、中学・高校から本土の学校へ進学させることもあり、この地域の子離れの時期はヤマトより随分早いと言えるでしょう。その分、親の負担もたいへんなものがあり、近頃安定しているといわれている地方公務員でも子どもを学校へやり生活費を送金するとなるとその負担は計り知れないものがあります。群島内の人口が減り続けているのも、高等教育機関と職場が極端に少ないためで、こうした若者に対する学校・職場の確保が課題であることは間違いありません。
知名に到着。M氏と会い、昼食。最近、この島からクジラが見えるという。太平洋を黒潮に乗って回遊しているそうですが、クジラが居る海というのはいいものです。筆者も目を凝らしてみますが応答なし。最初にこの島に来た時は地元新聞記者二人からインタビューを受けました。少し詳細に今回島で発表しようとしていることを説明。写真撮影後、大島新聞のS記者の車にくっついて行って和泊町歴史民俗館へ。S館長と歓談。館内の復帰運動/二島分離反対運動に関する展示を丁寧に見てまわります。
宿に帰った後は、そこの大きめの風呂でくつろぎ、夜の発表会に備えます。郷土研究会の人たちにレジュメと共に示します。今回の旅での大きな"仕事"の一つです。あとの二次会では、M氏と黒糖焼酎の蔵元社長のN氏三人で盛り上がりました。
1506……1月20日(火)
早朝5時に名瀬新港に到着。こんな早い時間に着いてしまっても何もすることはありません。早朝から開いている食堂もあると教えてもらったのですが、荷物が多いこともあり、待合室で過ごすことにしました。1月の中旬だというのに、吹きさらしで寝ていても寒くないのです。さすがに奄美は暖かい。午後8時にK氏と一緒に朝食。昨晩会えなかった分話し込みました。午後9時に奄美博物館に行くというので、筆者はセントラル楽器へ。指宿社長に去年、奄美の新歌謡のCDを送っていただいたことに対するお礼を言うために伺ったのです。型どおり挨拶していると、朝礼が始まり、最後に挨拶に立った指宿氏が「今日は珍しい人が偶然ここにいますので」と突然指名されたのです。筆者は自分が島唄を紹介する番組をあしかけ8年もやっていることなどをアドリブで話しました。
セントラル楽器で4枚ほどCDを買い、続いてN新聞社へ。筆者が定期コラムを書いている新聞社です。H記者と会い、今回の奄美訪問についてのインタビューを受けました。資料などを手渡し、多くの情報交換。H記者の車で"あまみ庵"へ。そこでH氏と待ち合わせていたのです。M氏とは一年ぶり。去年大病をしたので心配していましたが、元気な姿に安心。ここで奄美関係の書籍を8冊ほど買い込んで三人で昼食。「鶏飯」を食べました。本当は、昨晩に一挙に会おうと思ったのですがなんとか開いている時間を使って何人かに会うことが出来ました。
再びH記者に車で空港まで送ってもらい徳之島行き飛行機に乗り込みました。この便は今回の整備対象機種ではないために飛んだのです。空港到着後、亀津へ。今晩お世話になる亀津教会のA牧師と挨拶。続いてセントラル楽器の指宿邦彦氏が教会へ。指宿氏と共に伊仙へ。町役場でFさんに会い、筆者の師匠にあたるある人の墓参り。つづいてFさんの家へ。最近、Fさんは果樹園を経営していて、そこで作られているジュースを頂く。今回は指宿さんというシマンチュが同行しているので心強いのです。
Fさんのところで話し込み、続いて目手久集落で島唄の収録。伊仙ならではの島唄を録音しました。その家を辞した指宿氏と筆者は亀津に帰り、A牧師と三人で歓談したのです。A牧師は北海道出身で関西学院大出身。初めての赴任地がここ徳之島ということ。去年に新しい教会堂が出来上がり、真新しい祈りの場所で信仰を深めているのです。
1505……1月19日(月)
この日からカルメンしばらく休みです。筆者の恒例となっている奄美紀行を始めます。
ところが今回の旅は波乱続きでした。リムジンバスで伊丹空港に到着したものの、JASのカウンター前に多くの人だかり。出発が差し迫っていたので混んでいるのかと思っていたらそうではなく、エンジンの不具合がみつかったので急遽点検をすめため、奄美大島行きを含めて多くの便が「欠航」に。初めての事態なので、瞬間にどう判断していいのかわからず呆然と。とにかくカウンターに並んで善処しなれりばならず、筆者の前に並んでいた奄美大島に行く女性達と一緒に交渉しました。
それによると、鹿児島行きの飛行機に乗ってそこからフェリーに行くしかないという。それも一時間後に出る便はキャンセル待ちだという。筆者はかつて沖縄から関西に帰ってくる時、沖縄は晴天なのに関西に台風が上陸していたために、飛行機が飛ばす、翌日朝から空港のカウンター横に陣取って夕方の便までキャンセル待ちをした苦い経験があるのです。
判決を待つような気分で待つこと一時間。それでも今晩は名瀬に物理的に行くことは無理であることが分かっていたので、友人・知人たちに携帯電話で連絡。こんな時は携帯の威力を発揮するのです。そしてなんとかぎりぎり最後の一人としてキャンセル待ちに滑り込み、鹿児島まで駒をすすめることが出来たのです。
さて、飛行機から降りたものの、そこからどう行けという指示もなく、右往左往。カウンターの不親切な新人女性に苛立ちながらなんとか解決。鹿児島市内に向けたリムジンバスに乗り込む。ここでも若干の人に携帯で連絡。フェリーの出航まで時間があったので、鹿児島県立短期大学のN先生を表敬訪問。短い時間であったが歓談。続いてM新聞鹿児島支局に行き、筆者を神戸で取材したT記者と面談。取材されました(後日、が鹿児島県版に載ったと思います)。
さて、食事もせずに乗り込んだ沖縄行きフェリーです。飛行機で行けない分、奄美までの距離を感じることができました。それでも鹿児島まで飛行機で飛んでいるわけですから、神戸から船だけで行くと2昼夜かかります。
昼ご飯を食べずに鹿児島市内を移動したので、船内の食堂ではオカズを二皿、ご飯も二つお盆に載せました。会計をする人は二人分と思って箸を二組くれます。後で、ご飯をさらに一杯追加。よく食べました。あとは疲れをとるために就寝。起きると、横にいたシマンチュに声をかけられ、酒盛りに参加。黒糖焼酎が注がれ、シマ談義に花を咲かせます。名瀬でヘアーサロンを経営している人たちで、気のいいナイスガイです。共通の知人もいたりして、なにやかやと話しているうちに盛り上がり、外海に出て船がローリングするのでずが、焼酎に酔っているのか、船酔いなのか分からない状態に。
こういう臨時の酒盛りは、船旅ならではの醍醐味です。いくら飛行機が早いといっても、隣同士で酒を飲みながら語り合うということは滅多にありません。今回は、鹿児島から奄美大島に向かう飛行機の殆ども欠航したために、島に向かうのは船しかないという状態なので、いつもにくらべて乗船者同士の連帯感が生まれたのです。かつて昔は船でしか往来できなかった時代は、こうした船内での出会いは一杯あったでしょう。筆者も琉球弧の島々に通い始めた1970年前後は船でしか行く方途が無かったので、筆者にとっての南島遡航の原点は船旅だと言えるでしょう。
1504……1月18日(日)
震災の日から一夜あけました。どうやら自分でも気づいたののでずが、震災に到る日々はやはり神経症的な気分になり、世間で言う"鬱"に近くなるのです。それが、17日に中川マリさんとアルテフラメンコ舞踏団の皆さんに踊ってもらって、いわば鎮魂の儀式を執り行うと、オリが落ちたように、新たな生への転嫁となるのです。いわば、死と再生の儀式がマリさんの踊りに込められているような気がするのです。
というわけで、神戸に住む人間にとって、この1.17を乗り越えないと、新年を迎えた気分にならないのです。1.17の重たい重たい一日を、自分なりに鎮魂の儀式を通過すると、不思議と翌日は爽快な気分になるのです。妙なもんですねぇ。
営業が終わって、カルメン・スタッフによる新年会。2500円で豚シャブ食べ放題、飲み放題というプランを選びました。こんなコストでも利益があがるのですねえ。こうした店は若いスタッフが見つけてくるので、おかげで"こういう系"の店によく行くようになりました。
1503……1月17日(土)
阪神大震災から9年目。筆者はいつものように、筆者の家族が避難していた小学校の校庭で開かれた黙祷式に参加しました。地震が起きた午前5時46分にロウソクを灯しながら黙祷するというたったそれだけの儀式なのですが、無宗教・非政治性ゆえに、心をうつものがあります。今年は、土曜日で学校が休みなのですが、いつも一緒に来る次男が受験のために欠席。筆者ひとりでの参加です(ちょっと寂しい)。
この日は神戸にそこかしこに緊張が走ります。9年の年月は風化したと言えるのでしょうか。筆者はまだ震災後という共時的な時空間を生きているのです。風化というのにはまだまだ経験が生々しすぎます。この日の緊張感は、神戸や阪神間に被害にあった者しか感じられないものかもしれません。
カルメンでは、今晩からのフラメンコ・ディナーショーの準備に忙殺されます。今年は、筆者の友人である沖縄出身の唄者・新垣優子さんも第一部として出演します。彼女には一曲リクエストをしました。激しい地上戦を経験した沖縄は、米軍に占領された後、焦土と化していたのです。三線もなかった沖縄では、米軍が使っていたブリキの缶を共鳴箱にしたカンカラ三線が作られ、多くの唄が作られたのです。その内の一つが「艦砲ぬ食ぇーぬぐさぁ」という曲。生き残ったわれわれは艦砲射撃の食べ残しという発見から、自分の境遇を歌っていくのです。震災の時、筆者はこの歌を思い出し、震災の被害にあった我々を、少し見方を変えれば、「震災の食べ残し」ではないかと思ったのです。すると、この妙味あふれる視線の変化にもたらされる解放感に、ウチナンチュの逆境の中でも歌を忘れることなく生きていくその姿に感動したのです。
第一部は午後7時から、第2部の中川マリさんと、アルテフラメンコ舞踏団の皆さんは午後8時すぎから。いつもながら思うのですが、マリさんの踊りは、ひとつフラメンコに終わることなく、芸術の高みを表象していると言いえるでしょう。マリさんに今回提案したテーマは"Cambio"。「変革」という意味で使いました。ここ数年、神戸の再生を願って、様々なテーマを設定してきましたが、なかなか現実は好転してくれません。しかし、希望を失ってはいけません。カルメンの震災の日におけるこうした鎮魂の儀式は、ささやかなものがあります。しかし、何かをすることによって、自分とオーディエンスを癒していくといった行為をしなければ、身が持たないような気がします。
セビジャーナスが終わって、アンコールの一曲が終わった時、ああこれで今年もマリさんに力をもらって生きていくのだと強く思ったのです。カルメンの新年は、1.17のこのフラメンコ・ディナー・ショーによって始まるのです。
1502……1月16日(金)
街並みがきれいであることの哀しさ、新築であることの哀しさ。筆者の住む東灘区は、震災禍を知らない人が訪れると、お洒落で整然とならんだ閑静な住宅街に見えます。しかし、その殆どは震災後に再建された家であることを忘れてはいけません。神戸の洒落た街並みは、希望に満ちて新生活を享受するために建てられたものではなく、不慮の事態を乗り越え、莫大な借金をかかえ、震災でなくなった人たちの魂をも包含してのやむにやまれぬ住処なのです。ですから、神戸の街並みは哀しさに満ちあふれているのです。死んでしまった何千という人たちの哀しさの上に成り立っているのです。
1501……1月15日(木)
1.17が近づいてくると、メディアに震災特集が組まれるようになります。拙宅近くの土地・住宅事情を報告しますと、更地として残された土地は、すぐには住宅が再建されそうにありません。その更地があるということも、拙宅周辺の日常的光景のひとつとして定着してしまった感があるのです。また、建築途中のまま何年も放置された住宅もあり、そこは周辺の猫たちの住みかとなっています。財産分与のこともあってか、震災前に借家が建ち並んでいた一帯は、全壊した後しばらく更地となって、ここ数年の間に一戸建てが建てられています。もともと拙宅周辺は住宅地として人気のあったところなので、こうしたタイプの住宅建設は珍しくありません。50坪ぐらいの土地には、学生・若者用のワンルームマンションも増えました。このパターンが実は多く、近くに大学が多いこともあって、学生街でもあるのです(といっても、京都のように集住はしていませんが)。
もう少し広い80坪や100坪といったところは、家族用賃貸マンションが建てられています。大阪にも近く、JR、阪急、阪神のいずれを使うのも便利なのでマンション適地であるのです。ただ、御影や岡本のようなお屋敷街ではないために、人口流動も少なくなく、震災以後に引っ越してきた人・家族も多いのです。
震災直後は、拙宅周辺は、多くの住宅が全壊してなくなり、二軒先の更地のブッシュ(雑草が生い茂る場所)には、イノシシの子ども(ウリボウ)も一時期住み着いていたほどです("連れ合い"にアレを捕まえてボタン鍋にしようかと考えたのですが「保健所の人が雑菌まみれだからやめとけ、と言われたわよ」と返されました)。こうして被災地には、筆者のような"語り部"が多く生まれるのです。