店主つぶやき日誌


(第1話〜第100話)1999年11月28日2000年2月28日
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100-2月28日(月)
 カルメンの定休日。

 筆者は、評判の韓国映画「シュリ」を見に行きました。映画館は、大阪梅田のテアトル梅田。ここで2年前、北朝鮮映画「プルガサリ」を見ました。プルガサリとは、伝説の怪獣で、Japonには北朝鮮のゴジラ映画と紹介とされ、この年はアメリカ・ハリウッド産のゴジラ映画も公開されていました。日本の「ゴジラ」を製作した特撮陣も北朝鮮に出向いていって協力したそうです。プルガサリとは、鉄を食べて大きくなる怪獣で、義賊的な要素があり、圧政に苦しむ人民と共に蜂起。ついには、悪王を"退治"するという話です。しかし、退治した後もプルガサリは鉄を食べ続け、ついには国中のすべての鉄を食べ尽くしてしまいます。困ったブルガサリを育てた女性が犠牲になることで(プルガサリの体内に入る)、プルガサリは空中分解して、命を果てるというストーリーです。

 この作品は、映画が大好きな金正日総書記が、陣頭指揮をとって製作したと言われています。この映画の圧巻は、プルガサリによって踏み殺されてしまう悪王の死に際の演技の見事さです。まさかと思いますが、この場面に金正日総書記は、自分の姿を重ね合わせて、自虐的につくったのか、と筆者は思いました。
 それと虐げられた人民が山の中にこもって、政府軍と対峙するさい、食べ物に困って、木の皮や、根を食べるシーンがあります。こうしたシーンは北朝鮮の現実でもあります。よくもまあ映画の中であるにせよ、こうしたシーンを表現したものだと感心してしまいました。どうやら金総書記という人物は、国や自分がいま置かれている状況を自虐的な観点から、冷静にみつめる能力を持っているようです。

 そして今日みたシュリ。素晴らしい出来の映画でした。見終わって4時間たった今でも、余韻が残っています。カン・ジェギュ脚本・監督。テンポの速い展開、手に汗にぎるストーリー。ハリウッド映画を上回るスピード感。圧倒的なリアリィティー。2時間という時間をまったく感じさせない内容の濃さ。去年韓国で「タンタニック」の興業成績を瞬く間に越してしまったこの映画は、韓国に「シュリ・シンドローム」という社会現象を呼び起こしたほどの影響力があったそうです。韓国社会も成熟したものです。北朝鮮を正視する余裕が感じられます。この映画のクライマックスは、南北首脳が揃って親善試合を観戦しているソウルのサッカー場を、北朝鮮の工作員が爆破しようとするテロを、韓国の情報部員が身体をはって阻止しようとする場面です。情報部員ジュンウォンは、結婚を約束した女性が実は北朝鮮の工作員だったことを知ってしまうのです。この映画は、今年の海外映画部門で、高い評価を獲得することは間違いないでしょう。映画ファンの金正日総書記の感想を聞いてみたいものです。
99-2月27日(日)
 カルメンの出勤前に、筆者の拙宅の真北に位置する保久良山に登ってきました。神戸という街の素晴らしさは、住宅地のすぐ近くに山が控えていて、気軽に登山が出来るということです。特にこの保久良山は、軽装備で登れる山で、30分もあれば、頂上の保久良神社に到着します。坂は急勾配なのですが、その分少し登ればすぐに視界がよくなり、眼下に岡本・本山の町並みが一望できます。そして天気が良ければ、大阪湾ごしに和歌山の山並みまで遠望することができるのです。今朝は久しぶりに天気がよく、冷え込みもゆるんだために、絶好の登山日和でした。

 筆者とともに、保久良山に登ったのは、小学5年生の次男です。彼は喘息がひどく、季節の変わり目となると呼吸もままならないほど咳き込んでしまうのです。今日の早朝登山を行ったのも、次男の体力を少しでもつけて、喘息に負けない身体作りをするためなのです。神戸は、生活するのにはいい都市ですが、大気汚染がひどい。これは飛行機に乗って大阪・神戸の上空を飛んでいるとよく分かります。もやっと、白いベールのような膜が都市の上に被さっているのです。こういう環境は喘息を患っている人にとっては、よくありません。

 保久良神社に到着すると、イノシシが三頭います。筆者はかつてこの神社でイノシシに二度襲われていることがあるために、片時も警戒を怠りません。ウリ坊をつれている春先が特に危険です。気が荒くなって人に向かって牙をむき襲ってくることがあります。数年に一度イノシシに襲われて、死者やけが人がでるのです。毎日登山していても全く襲われない人も多いことを考えると、どうやら筆者は"山の神"にはすかれていないようです。
98-2月26日(土)
 寒い寒いと凍えているばかりではいけません。春に向かってさまざまなイベントが用意され、カルメンに案内が届いています。

 例えば、関西在住のフラメンコ・ダンサーの東仲一矩さんが、3月24日(金)25日(土)と芦屋市のルナ・ホールでひらく「Ausencia(アウセンシア)フラメンコ舞踏公演〜紫式部〈源氏物語・葵上より〉」と題するイベント。東仲さんは、優れたフラメンコ・ダンサーであると共にフラメンコを越えた舞踏家でもあります。パンフレットには、「日本の古典、紫式部の源氏物語〜葵上〜に題材を求めフラメンコの魅力たっぷりに繰り広げられる情念の世界。新たな舞台芸術の創造に取り組んだ意欲作」と書かれています。出演者には、フラメンコのギターやカンテ(唄)を始めとして、小鼓やヴァイオリンも入ります。
(詳しくは、東仲一矩カンパニー 0797-31-4962 まで連絡して下さい。なお24日は19:00開演、25日は18:00開演。前売¥5000、当日¥5500です)
 
 関西には、優れたフラメンコ・ダンサーが多く、それぞれ独自の世界をつくりだしています。そのなかで、東仲さんや、1月にカルメンで踊ってもらった中川マリさんのように、踊り手である自分を主体化して、フラメンコ以外の要素をたっぷりといれた舞踏の世界を創造している人もいるのです。踊り・舞踏の好きな筆者にとって、彼らの創造活動は目が離せません。
97-2月25日(金)
 「ろばの耳舎」というスペイン専門の旅行会社が東京にあります。
 ここか企画がするスペイン旅行が、なかなかに本格的な内容なのです。値段は高めですが、その分内容は濃いいのでしょう。本日送られてきたパンフレットからいくつか紹介してみましょう。

《イースター(セマナ・サンタ)に巡礼の道を辿る11日間の旅》
 ブルゴス市にあるゴシック建築の傑作・大聖堂を見学。サント・ドミンゴ・デ・シロスの修道院でグレオリオ聖歌を鑑賞。レオン地方のパラドールに宿泊。聖金曜日にヨーロッパ人が巡礼をしたサンチャゴ・コンポンステラを訪問。
4月16日(日)から26日(水)
価格¥388000

《カタルニア紀行11日間の旅》
ピレネー山麓のロマネスク形式の教会、ガウディの建築物、カルドナの古城のパラドールに二泊。コスタ・ブラハのカダケスの町も訪れます。
5月16日(火)から26日(金)
価格¥378000

《北スペイン 巡礼の道を辿る10日間の旅》
「北スペインの巡礼の道を辿ることは、[スペインの歴史の道を辿る]」と言われています。全ヨーロッパ中から、サンチャゴ・コンポンステラに向かって巡礼を重ねてきたその歴史を辿る旅。レオンのサンマルコスとサンチャゴのレイジェス・カタリコスのパラドールの二カ所に宿泊する予定です。
5月3日(水)から12日(金)
価格¥428000

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いかがですか。コースの中には、憧れのパラドールに宿泊するプランもあり、添乗員名も明記するコースもあるなど、スペイン旅行のプロが案内するこの「ろばの耳舎」の企画は魅力的です。
詳しくは、03(3930)8668 「ろばの耳舎」へ。
東京都豊島区南池袋3-18-48
海外旅行相談もしていて、水曜日午後6時から9時まで。土曜日は午前10時から午後3時まで受け付けているそうです。 

96-2月24日(木)
 先日、所用で大阪へ行き、地下鉄谷町線「天満橋」駅を下車、北に向かって大川を渡っていた時のことです。天満橋から西の河川敷を眺めると、青いシートで作られたテントがずらりと並んでいます。目視しただけでも20個。ホームレスのねぐらです。川端は冷え込みが厳しいのですが、こういうところに設営しなければならないほど生活に逼迫しているのでしょう。川沿いにある公園のベンチには、テントも持っていない人が、昼間から丸くなって寝ています。

 ここ数日、厳しい冷え込みが続いています。完璧な防寒具を着て、家路に向かう筆者でさえも寒さがこたえるのに、その寒空の下、充分な防寒装置もない野外で寝ることのすさまじさは、想像を絶します。今年の冬はすでに多くのホームレスの凍死者がでていると新聞で報道されています。

 大阪はホームレスが増えています。友人は「大阪城公園はすごいよ」と教えてくれます。かといいつつ、繁華街では、相も変わらぬ豊かな消費生活が提供されているのです。熱い水と冷たい水が、一つの蛇口から同時に流れ出ているような経済状況に慣れてしまうと、なにがおかしく、なにが正しいのか鈍感になってしまいます。少なくともホームレスの人たちには、凍死しなくてもいい"春"が一日でも早く訪れることを願っているのです。 
95-2月23日(水)
 新聞報道によりますと、22日スペインのバスク地方の北部・ビトーリアにある大学キャンパス内で、爆弾テロが発生。地元政治家とボディーガードが死去したとのこと。犯行声明はでていませんが、治安当局は、バスクのスペインからの分離独立を求めるETA(バスク祖国と自由)の犯行とみているようです。

 爆弾テロは、1月21日にも首都マドリーで起こっています。ETAは、一年間の闘争休止期間が終了した去年末から、武装闘争開始を宣言していました。スペイン国民の大規模なテロ反対デモが去年もありましたが、再び国民がいつテロに巻き込まれるかもしれないという恐怖にかられることになったのです。
94-2月22日(火)
 寒い日が続きます。日中でも温度が10度をこさず、手袋、マフラーが手放せません。

 最近、インターネットに関するベンチャービジネスが盛んになっています。いまパソコンとインターネットが飛躍的に普及している通信環境を利用して事業を興そうとしている人・企業が増加しています。インターネット通販などが注目され、今後もシェアが増えていくでしょう。今日のお客様のなかにも、インターネットに関連した集団が来られ、盛んに情報交換していました。
93-2月21日(月)
 カルメンの定休日。

 筆者は、FMわぃわぃの生放送(番組名"南の風")のために、午後3時にスタジオ入り。午後4時からの生放送に備えました。

 この日放送したのは、奄美・沖永良部島の島唄。前田綾子さん(唄)と新納安栄(サンシルとはやし)の島唄を放送しました。この島は、沖縄音階の島と分類されています。しかし、実際聞いてみると、沖縄音階の"表皮"をはがせば、島独自の音楽世界が拡がっています。つまり沖縄の民謡と同じではなく、サンシル奏法の独自さ(返しバチがある、クスグリをいれる)や、島独自の発声方法などがみえてきます。

 "南の風"は同日の午後7時から再放送されます。筆者は帰宅後、自分の番組を聞きました。恥ずかしいやら反省することが多いやらで、聞いた気がしませんでした。FMわぃわぃは、インターネット放送局なので、パソコンで聞くことが出来るのです。詳しくは、FMわぃわぃのホームページをご覧になって下さい。

 《ここ》をクリックすればFMわぃわぃのホームページにつながります。

92-2月20日(日)
 カルメンで一番でるワインといえば、リオハ産でもなく、リアス・バイシャス産でもありません。サングリア・ワインなのです。このサングリアは、赤ワインにフルーツをしみ込ませ、シロップなども混ぜて甘めにしたてた飲み物です。特に女性に人気があり、グラスワインとして、または750ml入りのピッチャーとしてよく出ます。
 そのサングリアワインの"自家製度"を今回高めました。つまり、筆者の手作りによるカルメン風に仕立てなおしたのです。どうぞ楽しみにして下さい。

 すると偶然この日、サングリアの750mlピッチャーを注文されるお客さまがいました。ペルー人の男性を含めたお客様方です。甘めのワインが好きらしく、リオハの赤ワインよりサングリアの方がいいとのこと。作りたてのサングリアをぐいぐいと飲んでいました。

 そのペルー人、日本人女性を妻に迎えて、Japonに永住を考えているとのこと。初代オーナーを見て、「スペイン人みたい」と喜んでいました。お客様の中には、初代オーナーはスペイン人だと信じている人もいるのです。

91-2月19日(土)
 筆者の家には狭い庭があります。いま南天の赤い実がなっています。例年ならヒヨの夫婦がやってきてあっという間に食べつくしてしまうのですが、今年はどうしたことでしょう、一度も姿を見かけません。この南天の実は、そのヒヨ夫婦の独占物であるようで、他の鳥たちはとろうともしません。ひょっとしてあの夫婦は、寿命がつきたか、巣が壊されてもういなくなってしまったのか、と寂しく思っていたのです。

 早朝、一階の部屋でパソコンを打っていると、やってきました。

 かしましくヒィーッ ヒィーッ という声をたてて、ヒヨ夫婦がやってきたのです。最初二羽できて、一羽は、監視のためにすぐ飛び去ります。庭に残った一羽は用心深く周囲を眺めながら、南天の実を食べ始めます。家の中にいる窓越しの筆者は見えないのか、無視しているのか、全く気にしません。
 ヒヨは丸呑みするんですね。あんな堅い物をどうやって鳥たちは消化するのでしょうか。一羽が5.6個ずつを一瞬のうちに口の中に放り込んで去っていきました。

 安心しました。今年もヒヨ夫婦がやってきてくれました。人によっては、南天の実を鳥たちに食べられるのを嫌がる人がいます。しかし筆者夫婦は、鳥たちに食べられようとなにをされようと気にしないタイプです。むしろヒヨ夫婦が今年も来てくれたことに、感謝し、夫婦同士で再会できたような親しみを感じるのです。

90-2月18日(金)
 京都にある精華大学というところはユニークな学校です。
 今日、Nさんという精華大学に在学する女性がカルメンを訪れ、スペインのことを研究したいので、情報を収集しに来ました。

 Nさんは今度3回生になる学部生です。この学校では自分の好きなジャンルを研究でき、学校を離れてフィールドワークをしてもいいとのことです。こうしたフィールドワークの対象地に長期間住み込んで研究するというのは、大学院でよく行われていて、筆者の知り合いでも何人かが実施しています。こうしたシステムを学部で採用しているところは少ないのではないでしょうか。Nさんは大阪に実家があるのですが、フィールドワークのために神戸にアパートを借りて住み始めているとのこと。どのような内容の研究となるのか楽しみです。

 大学というメディアは学問・思索をするには恵まれた環境です。しかし同時に研究のための研究という自閉的言説に陥りやすくなることも事実です。その意味で、精華大学の試みは評価できると思います。最近、ユニークで学際的な学部が増え、積極的に学ぶ気さえあれば、大学というところは実に面白い知的センターとなっています。
  
89-2月17日(木)
 寒さが続く毎日。まさに"真冬"という形容がぴったりきます。街を歩いていると、男性ならコートを着ていない人はいません。(筆者が毎日乗降する駅で、冬でも半袖の中年男性=学校の先生タイプ=と時々であうのですが、この時期にも半袖なのでしょうか)。そして男女の半数以上の人は手袋をはめています。女性のスカート姿は激減し、はいていてもロング丈。特に主婦層のスカート姿は皆無といっていいと思います。小学生のうち、冬でも半パンツの男の子をかつてちょくちょく見かけましたが、最近はめっきり数が減ってしまいました。お母さんが、暖かいズボンをはかせているのでしょう。(筆者は小学校の制服が半パンツだったので、冬も半パンツで通しました。その姿をみた近所のおばさんから「まあ、元気やねぇ」といつも驚かれていました)。

 新幹線で関西から東京へ向かう時、見事な雪景色を見せてくれるのは、滋賀県と岐阜県の県境近くの関ヶ原地帯。積雪のために新幹線も徐行することが多く、雪景色をたっぷりと見せてくれ、まさに絶景です。まるで雪舟の水墨画のような見事さです。しかしこの関ヶ原の景色を断腸の思いで眺め続けた人がいます。先代の島津家の当主です。関ヶ原の合戦で石田三成方についた島津義久は、西軍の敗戦を知るや、少数の部下を引き連れて、敵陣を突破して薩摩に逃げ帰ったそうです。その時の先祖の苦労を思う時、関ヶ原を通るたびに胸が痛んだそうです。(また、今でも鹿児島の青少年たたちは、毎夏、その勇気にあやかろうと、関ヶ原から大阪までの島津軍の脱出コースを踏破するそうです=朝日新聞00.2.28 朝刊=)

88-2月16日(水)
 ここ数日、このカルメンのホームページを見て、予約して下さるお客様がいて、感謝しています。Iさん、Tさん、ありがとうございます。ネット社会に突入しているんだという実感を持ちます。

 検索サイトの「Yahoo」「goo」には「スペイン料理カルメン」と打ち込めば、紹介されるようになっています。ただし、ホームページというのは、多くのサイトにリンクが張られてこそ、ヒット数が高まるというもの。この点、カルメンのサイトはまだリンクが少なく、この今の時点で、この日誌をリアルタイムに読んでいる読者の皆様は、少数でありかつ、リンクなしに直接アクセスしてもらっている人たちです(再び感謝)。

 パソコンが今より以上に普及すれば、インターネットで何でも知ることができる便利さを享受できる時代がやってきます。ただ一般家庭にパソコンというハイテク通信機器があまねく普及するのには、あと数年はかかると思います。といいますのは、パソコンの"国民的"普及のカギを握っている平均的なJaponの中高年の人たちにとっては、いまだFAXが最新ハイテク通信機器であるからです。これはNHKラジオ(第一)を聞いているとよく分かります。このメディアの視聴者の大半を占めると思われる中高年の人たちは、他の民放では相手にされない人たち、つまり番組スポンサーにとって購買予定者ではない大衆消費世界から"疎外"された人たちです。こうした人たちの大半は、パソコンといったハイテク通信機器と関係なく暮らしていると思われます。NHKラジオ(総合)の視聴者参加の番組を聞いていると「我が家もとうとうFAXを買いました。さっそくNHKに送ってみました。届いていますでしょうか」といった内容の文面が繰り返し紹介されいます。これが「我が家もとうとうインターネットを始めました。さっそくNHKにメールを送ってみました。届いていますでしょうか」といった内容になるのには、まだ数年かかると思うのです。

87-2月15日(火)
 ようやく届いたvinoの話をしましょう。

 いまカルメンで出しているvinoのうち、2500円(税別)のものが切れていたのです。この価格帯では、ポルトガルのダン・ワインをあてていました。それも去年末で在庫がなくなり、お客さまに迷惑をかけていたのです。

 そこで今日届いたのが、Carinena(カリニェーナ、スペイン語表記では最初のnの上に~が付き、ニャと発音する )という産地の赤ワイン。Japonではあまり名のしれていない産地です。(筆者も輸入業者の人から聞いて、スペインのワイン産地地図で確認したほどです)。この産地はDOワインです。DOワインというのは、原産地呼称ワイン(Denominacion De Origen)で、リオハとか、リアスバイシャスのように、産地の名前を明示している、一定のレベルを有している証明書みたいなものです。

 大阪港の税関を今日通ったばかりのワインを無理をいって輸入業者のひとに持ってきてもらいました。さっそくお客様にお出しし、ボトルとしても一本出ました。1995年産Crianzaの"Castillo Ducay"という商品名のこの赤ワイン。筆者の評では、ライトな(=Medium body)風味で、呑みやすい親しみやすさをたたえています。これからしばらくこのvinoとおつきあいです。安くて美味しいvinoを所望される方には、お薦めです。
86-2月14日(月)
 カルメンの定休日。

 休日を利用して、大阪へ娘と行きました。まずは梅田のナビオへ。全面改装しHEPという名に変わってからは初めてです。ビル屋上に、真っ赤な大型観覧車が作られ、一周15分の空中散歩を楽しんできました。(頂上に登るまでの前半が特にわくわくしてスリル満点でした。)
 乗り込む前に、スタッフがカップルだけの人たちの写真を撮っています。筆者も娘と二人で写り、観覧車を降りてのち、アルバムに仕立てられたものの購入を薦められました。みると「2000年のバレンタイン・デー記念」と書かれています。親バカの筆者は思わず買ってしまいました。

 エスカレータで降りていくと、改装後に出来たタブラオの「EL Flamenco」へ二人で入りました。昼下がりなので、チョコレートのタルトとアーモンドのハバロアを注文。コーヒーか紅茶つきで600円。この場所でこの値段、がんばってはります。ここは夜のフラメンコ・シヨーを見せるのがメイン。ギター、歌手、踊りのすべてがスペイン人。クリスティーナ・オヨスというフラメンコ界の超有名実力ダンサーがプロデュースしているのです。われわれが入ったのは、Bal部分。つまり軽く食べることが出来るところなのですが、勿論ちゃんとしたスペイン料理もここで食べることが出来るのです。
 われわれが食べ終わる頃、スペイン人がバルにやってきて、Cafe con Leche を飲んでいました。おそらく出演者でしょう。目と目があったわたしと彼はお互いに「Hi!」。陽気なひとたちです。

 続いて紀伊国屋書店梅田店へ。巨大な書店に7歳の娘はびっくり(神戸の住宅地しか知らない娘にとって、大阪の街自体が驚愕の対象です。行きしな、阪急梅田の終点に電車が近づくと「おとうさん、ビルがいっぱいあるね」と小声でささやきました)。娘を児童書コーナーに"預けて"、筆者は特設の料理書コーナーへ。スペイン料理の本を二冊買い求めました。『スペイン料理[料理 料理場 料理人]』(深谷宏治、柴田書店)、『スペイン料理』(辻勲、辻学園調理技術専門学校)。

 続いて、民俗学のコーナーへ。先日逝去した宮田登氏の著作特集コーナーが出来ていないかどうか見ていたのですが、見あたりませんでした。民俗学の棚は研究者ごとに整然と著作が並んでいて、好感をもちました。しかし、筆者の好きなジャンルである評論、思想、文芸ジャンルのコーナーは、店舗改装されるごとにやせ細り、昔日の勢いがないのが残念。この巨大書店は、新刊書、話題書ならびに、雑誌、文庫・新書や、専門書籍を選択するのには、いいところなのですが、人文系の、それも少し思想系がかった本が好きな読書人には、少し食い足りないのです。こうしたジャンルは、売上げからいっても微々たるものなだから、ばっさり切られるのでしょうね。

 でもこの書店で面白いことが数年に一度起こります。知人とばったり出会うことです。この日あったのは、阪急六甲にある神戸学生青年センターのH館長。「最近、会ってへんから、今度また集まらんといかんな」と言い合って別れました。

 それから、カッパ横町の古本屋街へ。「梁山泊」をのぞき、茶屋町口から阪急に乗りました。帰りの電車の中で、筆者と娘はそれぞれ買い求めた本をもくもくと読んでいました。

85-2月13日(日)
 暗い話でもうしわけないのですが、また大きな企業倒産のニュースが飛び込んできました。スーパーの長崎屋が会社更生法の適用を申請するとのこと、つまり倒産なのですが、店舗は営業し続けるとの方針とニュースでは伝えています。営業を続けるといっても納品業者にとっては、新規納品分がそのまま未払い債権となってしまう可能性があるので難しいところです。
 ひとつの会社が倒産するというのは、そう簡単なことではありません。債権や財産処理などで、煩瑣な手間と思わぬ時間がかかったりするのです。

 それにしても今後再建される長崎屋に勤め続けることが出来る人はいいのですが、この際に職を失う中高年の人の立場を思う時、現今の不況時にはおいそれと新しい職に就くことはかなり困難なので、同情することすら残酷な仕打ちのような気がします。筆者の周囲でも、ぼつぼつとリストラにあって、失職する友人・知人を散見するようになりました。ため息さえでません。

84-2月12日(土)
 関西の冬らしい、カラッと晴れた青空が広がります。気温も10度を上回り、室内で差し込む陽だまりの中に身を委ねていると、暖房なしでも充分に過ごせます。プロ野球では、ある初老の監督がユニフォームのジャケットをキャンプ地で脱ぐの脱がないので大騒ぎです。「アホラシ」とテレビのチャンネルを変えてしまいました。

 わが神戸の市民球団・ブルーウェーブは今年どうなんでしょう。筆者はファンでありながら、試合を見に行きたくてもカルメンの休みが月曜日なので、めったに観戦することができないのです。奇跡的に月曜日に試合がある時や、火曜日がカルメンの休日となった時(月曜日が祝日)などには、グリーンスタジアム神戸へ足を運ぶようにしています。

 また、神戸にいながら、ブルーウェーブの試合はテレビは勿論のこと(サンTVもたまにしか中継しない)、ラジオですら中継が少ないのです。AM神戸(ラジオ関西)が関西地方で唯一巨人戦のカードを放送するためなのです。せめて神戸に本社があるAM神戸ぐらい、近鉄の試合を中継しているラジオ大阪のように、地元指向だといいのですが、やはり巨人戦の広告収入は大きいのでしょうねェ。
83-2月11日(金)
 民俗学者の宮田登氏が昨日亡くなりました。63歳。平均寿命がのびている中、この年齢では早死にいうべきでしょう。まだまだこれから仕事をしてほしい人だっただけに、その早すぎる死が悼まれます。宮田氏の仕事は、多岐にわたっていて、それまで民俗学が取り扱わなかった都市における民間伝承・説話なども研究対象に取り組み、「都市民俗学」といわれる新しいジャンルを確立しました。民俗学は農村社会をフィールド・ワークとすることがもっぱらでした。農村社会が変容してしまい、民俗学という学問そのものが成熟してしまったために、民俗学の学問としての将来性が心配されていた時に、宮田氏が都市をフィールド・ワークとする新たな学問領域を開拓したのです。

 このほか、「ミロク信仰」「妖怪」「民俗学からみた天皇制」などといった宮田氏の関心領域は、後学の読書人に大きな影響を与えました。近く大型書店では「宮田登」コーナーが登場すると思いますので、未購入の著作をまとめ買いしたいと思います(こうした特設コーナーは、倒産した駸々堂三宮店が得意だったのになぁ。二重の意味で惜しまれます)

82-2月10日(木)
 関西の出版界の不況が深刻です。本日の読売新聞夕刊に「関西の出版不況」についての記事が載っています。100年以上の歴史を持つ「駸々堂書店」の倒産は大きな衝撃であったことは既にお伝えしましたが、関西を地盤としてた小取次の柳原書店の解散も大きな事件(99年12月)です。この取次は、大手取次に取引窓口を持たない小出版社をよく拾っていて、こまめに活動していました。さらに出版社では「保育社」や「鷺書房」が倒産の憂き目にあっています。

 記事では「関西が、全体のシステムの中の弱いリングとなっている」(川上賢一・地方小出版流通センター代表)といった分析があり、関西の書店・取次・出版社という書籍をめぐる企業が次々と破綻したことについては「あとから振り返って、あの関西の事態が始まりだったなあ、ということにならねばいいが」との書店士の言葉も紹介されています。他業界のこととはいえ、不況が長く深く影響していることの怖さを知るのです。

81-2月9日(水)
 朝起きると一面の銀世界。しかし筆者の子供たちが期待していた「警報」は出ませんでした。それでも雪をみる子供たちの目は輝いています。はじけるように学校に向かっていはました。出勤途中の電車からは、六甲山頂付近にはまだたくさんの雪が残っているのが確認できます。ここ数日は寒く、気温も平均以下が続きます。筆者は一月、沖縄にはすでに燕が飛来していることを確認しました。燕たちが神戸にやっくるまでには、まだ当分この冬に耐えなくてはいけないようです。

80-2月8日(火)
 夜半から雪。予報どおりしんしんと降り続けます。時に吹雪のように横なぐりの雪となりました。神戸の街はみるみるうちに雪景色。雪というのは不思議なものです。消音の効果があるのでしょうか。街全体が静まり返って、しゃべる言葉もつぶやき気味になります。こんな気候でも猫たちには恋の季節。雌を呼ぶ雄猫の声が、夜を徹して夜空に響きます。

79-2月7日(月)
カルメンの定休日。

 FMわぃわぃ「南の風」の番組収録のために、長田区へ。今日の放送は、演歌歌手の嶺よう子さんがゲストです。嶺さんは奄美観光大使でもあるのです。徳之島の伊仙町、沖永良部島の和泊町の島おこし唄をうたっています。番組では、「花恋慕」(和泊町の唄)と沖永良部島の民謡「永良部ユリの花」を生で唄ってもらいました。嶺さんはすでに北海道から沖縄までの300以上にも及ぶ自治体の町おこし曲を唄っているのです。演奏旅行で全国を巡ることが多く、明日からは北海道。11日からは沖永良部島へ行くとのことです。
78-2月6日(日)
 
 朝から雨。冬の雨はなんとなく暖かい日和となります。神戸から以西は、地中海式気候に似て冬も雨がすくない日が続きます。勿論、雪もあまり降りません。日本海上でたっぷりと湿った空気を吸い上げた雲が、中国山地にぶつかって日本海側に雪を降らすのです。同じ兵庫県でありながら、北の但馬地方と神戸あたりとはまるで景色が違うのです。神戸に雪が降るのは、二月中旬から三月にかけてが多く、ボタ雪がドカッと気まぐれに降っては昼頃には消えてしまいます。神戸に住んでいると、降っている雪がボタ雪なのか、粉雪なのか、妙にこだわったりするのです。それには、粉雪だと翌日になっても根雪となって、さらに雪が降ると雪景色が連続して見ることができるという淡い期待が込められているのです。しかしこうした期待はいつも裏切られます。連続して雪続きの天候というのは滅多になく、たまさかの半日かぎりの雪景色を楽しむのに終わってしまうのです。さて2000年の冬はあと何回雪が降るのでしょうか。

77-2月5日(土)
 世の中には酔狂な人がいるものです。名付けて「泡沫候補フェチ」。

 筆者が入っているメーリングリストを開けてみると、大阪府知事選に立候補している羽柴誠三秀吉の選挙公報を入手したいとのこと。明日投票が行われる府知事選は、官僚臭を抜こうと懸命な女性官僚候補、共産党推薦候補、Japon最弱の大阪自民党をバックにした私立学校理事の三人による三つどもえの戦いとなっています。この中ではやはり羽柴誠三秀吉は、泡沫候補でしょう。そのメールの送り主は、泡沫候補に関する専門サイトがあることも教えてくれました(なんともはや酔狂の極地です)。

(後日談です。この羽柴誠三秀吉という人物は、青森県金木町在住。そう、あの太宰治と同じ出自なのです。建築業など幅広く事業を展開していて、年収何十億という資産家です。広大な自宅内に城郭を構えていて、黄金だけで作られた部屋もあります。先の東京都知事選も出馬したとのことです。大阪府知事選挙では5000万円を使った、とこともなげに言い放っていました=筆者が珍しくつけていたテレビに紹介されていました= 地元の金木町では知らぬ者はいない超有名人だそうです。一日に一回、金箔をゴハンの上にかけて食べる姿が紹介されていました。青森という場所はケタ違いの怪人物を生む風土があるのでしょうか)

76-2月4日(金)
 昨日の話ですが、節分について。この日には鬼に向かって豆を蒔きます。鬼は悪者なのです。しかし神戸市長田区にある長田神社の節分で行われる祭事で登場する鬼は悪者ではありません。鬼はもともと悪者ではなく神の使いとして機能していたのが、次第に零落していったのだという民俗学からの説明があります。長田神社はこの神の使いだった鬼であるので、古い神々の様子を伝えているのです。

 神の使いが零落した例は西洋でもあり、悪魔というのも元は神の使いだったといいます。筆者が思い出すのは、天使軍と悪魔軍の戦争。この戦いによって天使と悪魔の機能がはっきりと峻別されていくのです。その時の天使軍の総大将が大天使ミカエル。どこで見たのでしょうか、大天使ミカエルが雄々しく描かれている絵画を筆者は少年時代に見て心ときめかしたことがあります。(いずれ見つけだして紹介したいと思っています)

 大天使ミカエルについて、ウェッブ上で検索したところありました。「大天使」ばかり紹介しているサイトです。以下にその紹介文を引用しておきましょう。

「知力はもとより、勇敢さでも天使界の第一人者としてミカエルは常に天使達のトップに君臨している。ミカエルは元々、紀元前7世紀頃オリエント世界に権力を誇っていたカルデア人達の神だったとされる。ユダヤ教、キリスト教を通じてミカエルの能力は発揮されており神の片腕的存在となっていった。人々の間での人気も高く「力天使ヴァ−チャ−ズの指導者」「大天使アークエンジェルズの指導者」「神の御前のプリンス」「慈悲の天使」「正義の天使」「聖別の天使」など、数多くの称号を持つのもミカエルの才能を裏付けている。」
      http://www.ne.jp/asahi/nagaru/ae/archangels.htm
75-2月3日(木)
 びっくりしました。

 街頭で繰り広げられている音楽パフォーマンスは最近多様化していることは知っていて、新しいジャンルにも免疫が出来ているはずなのですが、刺激的なジャンルの音楽が出現すると驚愕してしまうのです。フォークやロックは見飽きるほど街に満ちています。神戸大学の学生によるジャズ、南米出身者によるフォークロアは高いレベルの音楽です。テーナーサックスの独奏者もいました。アカペラやゴスペル、スチールパンやサルサのバンドが出現したときは、周囲の友人たちに「見た?」と触れ回っていました。さらにびっくりしたのはモンゴルの民族服を着た人(日本人)がホーミー(倍音)を上手に発声して馬頭琴を演奏しているのを見た時でした。彼はホーミーを勉強するためにモンゴルへ行ったそうです。民謡系では沖縄の三線を弾いている若者、津軽三味線の演奏と多様です。

 今夜、三宮でみた二人はかなりレベルの高い演奏者でした。日本民謡を唄う二人で、三味線を弾く男性と唄と太鼓を叩く女性。これは聞き惚れました。神奈川県から関西にやってきているらしく、思わず「わたし実はFMラジオで民謡の番組をしているのです」と自己紹介し名前と電話番号を聞いてしまいました。グループ名は「ジャパネスク」。演奏している内容とグループ名とのギャップが面白い。三味線は松川龍之介さん、唄・太鼓は今井晶子さんという人です。今井さんの思い切り大きく口の開けて唄う様を見ていると、筆者が関わっている琉球弧の唄者の発声方法と違うので見入ってしまったのです。唄ったのは東北地方の民謡が中心なのでしょうか、筆者には分かりません。マイクなしでもよく通る声、張りのある三味線の音、これは本物だ、と感心してしまいました。最近の街頭パフォーマンスは、プロの人たちもひょいと街頭に出て演奏しているのです。こうした街頭演奏に出会えることこそ都市生活の醍醐味と楽しさなのでしょう。帰りの電車のなかでは愉快でたまりませんでした。

74-2月2日(水)
 今日、届いたばかりのvinoについて話しましょう。リオハ産の白。"Lan"という名前です。Coseachは1995年。蔵元はBodegas Lan(ラン酒造)。クラスはCrianza 、一年間オーク樽に寝かせるというタイプで、樽のいい匂いが香りが漂います。白ワインというのは、出来たその年のうちか一年以内に飲むように作られているのが殆どです。この95年Crianza は、白には珍しく熟成タイプで、いわば赤ワイン的に作られた白ということが出来ます(赤ワインづくりはリオハの得意中の得意なので、この赤的な白も上手に仕上がっています)。

 スペインは赤ワインがダントツに美味しいのですが、こうしてたまに美味しい白に出会うと、思わず「こんにちわ。ようこそカルメンへ」と挨拶してみたくなります。1994年産は抜群の出来でした。95年もCoseach評価表によりますと、5段階評価の最高ランク"Excelent"。しかし同じ"Excelent"でも年によって微妙に味わいが違います。また届いたばかりのワインと、店で瓶熟させてからの味わいも異なります。さてどのような味でしょう。わくわくしながらコルクを開けることとします。

 今日はもうひとつワインの話を。午後3時半にカルメンをふらりと訪れたのが、ラテン・アメリカ文学を研究している安藤哲行・摂南大学教授。日曜日に仲間数人と来店された折、わたしがお出ししたBodegas Lanの94年Crianzaの Lanciano(ランシアーノ)が気に入って頂き、ワインだけ買い求めにこられたのです。安藤教授は、ラテン・アメリカ文学の翻訳では多くの業績を築いておられる方です。その中でもお薦めは『メドゥーサの血』。メキシコの人気実力作家・ホセ・エミリオ・パチェコの短編集を訳したものです。この本の情報は《ここ》をクリックしてみて下さい。

73-2月1日(火)
 衝撃は、筆者が早朝に拙宅でメールを開けた時に始まりました。

 駸々堂書店が昨日をもって「倒産」(=大阪地裁に自己破産を申請、地裁は財産の保全命令を出す)したというのです。読書人の末席を汚す者として、神戸にジュンク堂書店と共に駸々堂書店という大型店があることは、本を選ぶ選択肢が拡がり、好ましいことでした。駸々堂書店が神戸に進出したことで、ジュンク堂書店センター街店も刺激され、店舗面積を増床することで、神戸の書籍文化の底上げに寄与していたのです。

 朝日新聞の朝刊によると、三宮店などの優良店は、取次が仲介して買い取りたい企業もあると伝えています。出来れば早く「身売り先」を決めて、営業を再開してほしいものです。その買い取りたい企業を筆者なりに想像してみると、三省堂、丸善、紀伊之國屋、旭屋書店などといった全国的に展開している企業名が思い浮かびます。
 
 なくなってしまった書店のことについて悪くはいいたくはありませんが、人文系(思想、評論、文芸、民俗学など)の書籍を買い求めることが多い筆者のような者の立場からいうと、平積みの企画ものの本の内容は充実していましたが、通常の棚の並び方(つまりどんな本が棚に並んでいるか、といった意味)については、ジュンク堂書店の方が一日の長がありました。人文系書籍の棚担当者が目利きの効く人なら、書店の棚は充実するのです。しかし棚の担当者は若いアルバイトの人が担当する場合も多く、最近は不況のために人員が減らされ担当するジャンルが増えて、とても棚を詳しく目利きをするという余裕はないそうです。

  駸々堂書店と同時に駸々堂出版も倒産しました。この出版社は大阪によくある学参系出版社なのですが、中堅どころとして、専従の編集者を何人か雇っていて、学参以外にもいい本を出していました。知り合いも働いています。倒産後、彼らはどうするのでしょう。この時勢では出版社を横飛びして再就職するなどということはかなり困難です。

 出版不況の深刻化がこれからますます顕在化していくでしょう。
72-1月31日(月)
 一月も今日で最後。月初め、コンピューターの2000年問題による"誤作動"は、期待(?)していたほどは、混乱はなく、"誤作動"という言葉は、吉野川河口堰に関する住民投票の結果に対して、某運輸大臣が「民主主義の"誤作動"だ」といった時点から、意味の光彩を失い、薄っぺらな用語に零落してしまいました。

 カルメンの経営母体である株式会社やまとの、1999年度は本日で終了です。今年度は、まさに不況が深刻化した一年でした。当然、売上げも減りましたが、それでもそんな中でも来ていただいた多くのお客様に感謝いたしたいと思います。明日から始まる2000年度こそ、今年度よりは少しでもマシになってほしいものです。

 本日は、カルメンの定休日。筆者は、FMわぃわぃ「南の風」のDJの仕事のため、午後4時からON AIR。この日の放送は、先に5日間旅行した琉球弧についての話を、わたしと旅を同行した二人にスタジオに参加して頂き、各島々(沖縄本島、沖永良部島、徳之島、奄美大島)の思い出を語り合いました。
 
 FMわぃわぃ「南の風」奄美篇の情報については、専門サイトがありますので、《ここ》をクリックしてみて下さい。
71-1月30日(日)
 燃えました。いい試合でした。どちらが勝ってもよかったのです。ノーサイドの笛が鳴るまで、見せてくれました。神戸決戦となった第52回全国社会人ラクビー大会は、神戸製鋼が35-26でワールドを破りました。震災から5年目の区切りに、神戸の企業チーム同士が優勝を争うとは何かの因縁でしょうか。どちらが勝っても拍手ができます。最初、ラジオで聞いていたのですが、テレビでの観戦に替えました。男たちが身体まるごとぶつかる肉弾戦を何度も繰り返します。何度も大きな声を出して応援しました。

 両者とも優勝すればその意味は大きいものがあります。神鋼が優勝すればV7以降の勝利(トンネルは長かった)、ワールドは初優勝となります。いずれも震災の際には大きな被害を受けたのです。いわばわれわれと同じ立場にあるのです。

 筆者がラクピーに夢中になるのは、出身学校のラクピーが強く、大学選手権で三連覇したことで、この球技の楽しさを肌で知ったためです。そしてその主力メンバーである平尾や大八木らが入った神戸製鋼では、V7の偉業をなしとげたのです。

 スポーツは厳しい勝負の世界ですが、ファンに夢を与えてくれる素晴らしいメディアでもあります。特にうちひしがれた人たちに希望を与えてくれるという意味では、1995年震災の年にパ・リーグ優勝を果たしたオリックス・ブルーウェーブの活躍は、いつまでも忘れることの出来ない好例なのです。

70-1月29日(土)
 今日のお客様の中に、25年ぶりにカルメンにやってきましたと、語ってくれた夫婦がいらっしゃいました。昭和でいえば50年。この年の翌年、現在のビルに建て替えたのです。だから、この夫婦がこられた時はまだ旧店舗。木造二階建て(一部三階)で、ウナギの寝床のような細長い建物でした。両側が建物で挟まれていたので、店内は今より暗く、外から陽の光は差し込まなかったのです。

 そのご夫婦、「25年前はちょうど結婚した時、その頃はよく来てたんですよ」と懐かしく語ってくれます。「子供が独立しましたので、またやって来ました」。43年も営業をしていますと、カルメンの歴史は、店の歳月の流れであると同時に、こうしたお客様個人の歳月の流れもまた、店の歴史の中に包含しているのだということを痛切に感じるのです。

 カルメンには、こうした子育てが終わり、夫婦二人きりになった中年のカップルで、過ぎし何十年かの過去を胸に、久しぶりに二人でカルメンを訪れるというタイプのお客様がまま見受けられるのです。こうした夫婦のお客様には、独得の落ち着き払った雰囲気が漂っているのは不思議なことです。

69-1月28日(金)
 もうすぐバレンタインデーがやってきます。

 この時期になると、バレンタインデーに関係なく食べたくなるチョコレートがあります。コスモポリタンの板チョコ「Grafina(グラフィナ)」です。これは、冬期にしか製造しないもので、しかも神戸市中央区三宮町・京町筋のコスモポリタン本店でしか扱っていない商品です。ここには、ゆうに80歳を越えているモロゾフばあさんが、カウンターの中に陣取っていて店を取り仕切っています。チョコレートを選択しかねていると、神戸弁で「あんた、これ食べてみ」と筆者の口をあけさせ、試食用の生チョコを放り込んでくれるのです。まるで自分の子供か孫にするような仕草が面白く、親近感を持つのです。

 残念ながら、モロゾフばあさんと一緒に革命ロシアの混乱を嫌ってこの極東の島国に逃げてきたバレンタイン・モロゾフさんは、去年春、波乱の生涯を閉じてしまったのです。
 ところで、勘のいい人ならもうお分かりでしょうが、このバレンタイン・モロゾフさんこそ、Japonでバレンタイン・デーにチョコレートを送るというブームを作り出した仕掛け人なのです。しかし、このモロゾフさんの生涯も順風満帆ではありませんでした。現在、神戸には「モロゾフ」という洋菓子会社があります(筆者はここのレア・チーズケーキが大好きです)。ここはモロゾフ一家とは無関係ですが、バレンタイン・モロゾフさんが創業者なのです。商標権の関係で日本人の手に渡り、以後モロゾフさんがモロゾフという社名を名乗れないというねじれ現象が起きているのです。

 「Grafina(グラフィナ)」という板チョコ。Not sweet のミルク・チョコレートです。ここのコスモポリタンの味は、帝政ロシア時代に育まれた古き良き時代の味を保持しているといわれています。筆者は自宅の冷凍庫に入れて、毎日ちょびりちょびりと食べています。昼間、子供たちに食べられないために「とても辛いチョコレートだよ、甘くないよ、大人の味だからね」と嘘を交えながら、予防線を張っているのです。

68-1月27日(木)
 こう毎日寒い日が続くと、ある一人の歌人を思いだします。

 いくとせの前の落葉の上にまた落葉かさなり落葉かさなる

 この歌の作者は、兵庫県北部の但馬地方出身の前田純考(1880〜1911)。夭折の歌人です。
 かつて『明星』に関わっていた時は、与謝野鉄幹から「東の啄木、西の翠渓(純考)」と並び称せられたほどの実力の持ち主でした。浜坂町諸寄(もろよせ)出身。この集落は、日本海から少し奥まったところにあり、景勝の地です。かつて西行もかの地を訪れ、歌を詠みました。
 筆者が訪れた時は、冬。雪がまじった横なぐりの強風が吹きすさび、余部鉄橋が二時間ほど不通となり、予定より遅れて諸寄についたのです。ここは兵庫県といっても、山陰本線をあと二つ駅を進めば、鳥取県。典型的な日本海の光景が展開しています。

 純考は御影師範から東京高等師範に進んだ秀才でした。初任地は大阪。しかしここでの激務がたたって、結核に。妻子とも別れ、ひとり諸寄の実家に戻り治療を続けますが、そこに待っていたのは、継母との凄惨な争いだったのです。死の影におびえながらも、純考は生命愛の作品を多く残してこの世を去ったのです。去年享年31歳。若すぎる死でした。今年はちょうど生誕120年目に当たります。

 純考について、吉村康さんという京都在住の小説家が『春来峠―小説 前田純考』(まろうど社)というすぐれた本を刊行されています。詳しくは、《ここ》をクリックしてみて下さい。まろうど社の出版社サイトにつながります。
 

67-1月26日(水)
 例えば、こういうことが考えられます。
 電車内での光景です。女子高生が4、5人かたまって乗ってくる。座席の余裕はあるが、4、5人が並んで座るほどの余裕がない。ところが隣りに座っていた二人が自主的に、女の子たちが座れるように席をずらした。

 さあ、今日の話のポイントはここからです。女の子たちは、席を譲ってくれた人に挨拶をしませんでした。席を譲ってもらった人がおばさんたちだったり、サラリーマンの集団だったら丁寧に挨拶をするでしょう。なぜ彼女たちは挨拶をしなかったのでしょうか。女の子たち、特に一番端に座った女の子の躾がなっていないのでしようか。それとも女の子たち全体のために席を譲ってもらったから、端っこのその女の子が個別的に感謝の言葉を述べる必要がないと判断したのでしょうか。

 電車のなかでこうした席の譲りあいというのは、よく見かけることです。筆者の見るところによると、若い子たちの方が挨拶しないことが多いようです。こうした光景を、若い子たちがまだ社会人としての訓練ができていないため、と道学者風に断じることはしたくありません。こうした若い子たちこそ「日本人らしい」のではないかと思うからです。日本社会における共同体のルールはかなり崩れてしまったものの、席を譲るという暗黙の共同体ルールはまだ生きているのではないかと思うのです。しかしこれを決して日本人の美徳だとも思っていません。席を譲る側からすれば、席を譲らないことで生ずる気まずい雰囲気を避けたいために譲るのであって、必ずしも親切で席を譲るということでもないでしょう。

 席を譲られる、席をゆずるという習性が日本社会の共同体ルールとして継続れているのだと思います。これはなにも日本だけでなく、筆者がインドへ旅行した時、老人がバスに乗ってきて、席を譲らない若者がいると、周りの若者、中年のおじさんたちが、その若者によってたかって喧嘩口調(われわれ外国人にはそう聞こえる)で「席を譲れ」と言い続けるのです。その結果、二人用のシートに三人掛けして座ることになったという光景を一度ならず見かけました。老人に席を譲るという共同体ルールの前では、二人掛け用シートという制度的規範はあまり意味をなさないのです。

 おそらく昔の日本人も席を譲られても感謝の言葉を述べなかったでしょう。この意味で若い女の子たちの方が、「日本人らしい」のではないかと思うのです。それでは、席を譲った相手に丁寧な挨拶を言うわれわれ大人は一体どんな人たちなのでしょう。それは、近代の産業化の要請によって、心身ともに加工された「日本人」なのです。「ジベタリアン」という最近のやたら地べたに座りたがる若者もまた、われわれよりも加工前の日本人に近いでしょう。何故かと言えば、数世代前まではわれわれの殆どが百姓であり、農作業の合間にはああして畦道にしゃがみこんでいただろうからです。近代以後の加工された日本人は、まず立ち続けることを教え込まれました。産業社会は機械を操作します。何台かの機械の面倒を見るために、すぐ移動できる体勢でなければいけません。そうした中で、地べたに座り込んでいる姿は嫌悪と矯正の対象だったのです。また国民皆兵制のもとでは、常に戦う準備を整える必要から、座っていては戦えないのです。

 電車内で挨拶をしなかった女子高生も地べたに座り込んでいる若者たちも、いずれ挨拶をすることを強制され、立ち続けざるを得なくなるでしょう。しかし、若者というのは、われわれ大人が忘れてしまったその国の文化や、人間の原形質を教えてくれるのです。
 
66-1月25日(火)
 店で扱っているワインに、ポルトガルのワインがあります。正確には、ありました、と伝えるべきでしょう。Dao(ダン)という産地の赤ワインです。ポルトガルの中央より少し北に位置するローマ時代からの産地です。また、コインブラという都市が近くにあり、古くから大学都市として栄えたところです。首都リスボンと並んで、ファドの盛んなところです。さらにはイスラム人が導入した米作地帯があり、田園風景が広がる場所でもあります。

 Dao(ダン)の赤ワイン、安くて美味しく、お客様にも好評だったのですが、輸入元である大阪の貿易商社が去年夏に、きれてしまったのです。原因は蔵元の値上げです。ポルトガルも去年、ユーロ通貨を導入。これをキッカケになんとボージョレー・ヌーボーより高めに値段設定してきたようです。永年ポルトガルのワインを輸入し続けてきた貿易商社のIさんは、「冗談やないですよ」と今でも怒りをあらわにしています。

 カルメンは、去年春にDaoを買いだめしておいたので、なんとか去年暮れまでお客様に提供できました。しかし、お客様のなかには、自分のお好みのワインを、お好みの料理と共に飲むことを楽しみにされている方も多く、今月からはそうしたDaoワインファンの常連さんに、謝り続けています。

 このままDaoワインが飲めなくなるかというとそうでもないらしく、今年の秋には、以前の価格で取引できるのではないかと貿易商社のIさんは推測しています。安くて美味しいワインを飲むには、我慢が必要なのです。我慢ですゾ。

65-1月24日(月)
 カルメンの定休日です。

 旅行中にお世話になった琉球弧の人たちにメールを書くため、パソコンが置いてある一階の部屋に入ると、ある異変に気づきました。第49話(00年1月4日)で話題したリラの木からすべての葉が落ちているのです。はじめ妻を疑い、手で揺らして落としたのかとも思ったのですが、考えてみるとそんな手間がかかることを彼女がするはずもなく、「あなたが旅行中に強い風が吹いて、みんな散ったのよ」とにべもない返事が返ってきました。やはり冬なのです。季節は正直です。神戸の街は全きの冬景色です。

64-1月23日(日)
 ついたばかりのvino tintoがあります。1995年産のリオハの赤ワインです。Lancianoという商品名で、Reserva(スペイン語読みでレゼルバ)というクラスのものです。1年オーク樽に寝かせ、あと2年瓶熟させるものです。リオハという産地は、クラス別の製法は厳しく守っていて、信頼できます。

 この日、ワイン輸入商の人が、大阪港に入港し税関検査を通ったばかり95年産のレゼルバを、持ってきてくれたのです。だからこの日このワインを呑んだお客さまはおそらくJaponで初めて95年産Reservaを呑んだことになると思います。ちなみに、95年というCosecha(コセチャ=収穫年=、ヴィンテージの意味)の評価は、Excelent。5段階評価のうち一番上の評価です。
64-1月22日(土)
 真冬の季節に入っています。スペインでは、冬向けの料理がたくさんあるのです。
 これからしばらく寒い寒い日々が続きます。来週からカルメンは、新しい特別料理を始めます。これを皆さんに紹介しておきます。

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いよいよ本格的な冬になります。寒さに負けていませんか。スペインの冬には、こころと身体があたたかくなる料理がいっぱい。三方が海に囲まれている地域ならではの豊富な魚介類料理。素材をいかした料理方法は日本人の方にも抵抗なく受け入れられます。今回は、スペインの代表的な緑のソースほ使ったサルサ・ヴェルデが登場。ほたて貝の料理もスペインならではの料理方法など魅力がいっぱいです。さあ、冬のスペイン料理紀行をお楽しみ下さい。

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@Vino Tinto(新着スペイン赤ワイン)
A小エビのグラタン・カルメン風
Bほたて貝のAli-oli、オーブン焼き
C鮹のエスカベッチェ
D田舎風スープ
Eサルサ・ヴェルデ(魚介入り緑のソース)
F冬のエンサラーダ
G牛ヘレ肉のソテー(人気のステーキ)
HA.パエリア 
    B.フィデア(パスタ・パエリア)
    C.パン     A B Cいずれか選択
Iナランハ(バレンシア・オレンジ)の特選デザート
JA.コーヒー
    B.紅茶
    C.ブランデー   A B Cいずれか選択
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平常料金 /9490円
優待料金/4880円
(お一人様)   (税別・サ無)
期間/  1/28  〜    3/5
  (月曜定休日)
時間/12:00 〜 21:00 

63-1月21日(金)
 旅の最終日、午前11時から、奄美大島名瀬市で、いわゆるユタ神さんと呼ばれているシャーマンに会って来ました。NHKテレビの特集番組などにも出演されている著名な人です。この人が強調するのは、神より自然の方が上だということ。自然の中でも、水と太陽が特に重要であることの二点です。この人のもとに相談しにくる人で、医者に行かなければ治らない人には、ここでは治療できませんときっぱりと断るそうです。カミダーリになっている人には、治療を施すようです。カミダーリとは、原因不明の憑依状態になっている人のことをいいます。

62-1月20日(木)
 カルメンは今日から営業していますが、筆者だけは、無理をいって旅を続けています。昼過ぎまで地元の民俗学者、唄者、新聞記者に案内を請い、徳之島の遺跡めぐりです。夕方、飛行機で奄美大島へ。Japon本土から南にあるといっても、ここも冷え込み、摂氏10度以下には滅多に下がらないものの、「にし」と呼ばれる北風が体感温度を下げます。加えて、この時期、琉球弧は曇りがちな天候が続き、小雨が一日に何度となく降るのです。着ている服の数も、神戸にいる時と一枚ほどの差しかないのです。加えて、室内は暖房設備を施しているところが殆どなく、寒さは神戸にいる時と結局は似たようなものなのです。

61-1月19日(水)
 旅行三日目です。昨日、沖縄本島から奄美・沖永良部島へ渡り、知人たちと旧交を温めました。午前中は、島の遺跡めぐり。かつて島を統治していた「世の主」の墓を見た時は感動しました。この墓はちょうど女性の子宮の形を模しているのです。死ねば母なる子宮に戻るということでしょうか。

 沖永良部島から徳之島へ今回の旅では唯一の船旅。2時間ではありますが、旅情に浸ることが出来ました。徳之島では、知り合いが波止場で出迎えてくれ、感動ものです。船旅はやはりいいものです。時間の余裕さえあれば、船で琉球弧を旅したいものです。

60-1月18日(火)
 沖縄に旅行中です。
 昨日、本島で雪らしきものをビデオに撮影した人がいて、沖縄の人の話題をさらっていました。わたしは琉球新報で記事を読み知ったのたですが、地元のテレビにもその様子が放送されていたそうです。沖縄の気象台によるとビデオが撮影されていた時間の気温は、摂氏13度。10度付近でも降雪は記録されることもあるそうですが、13度という気象環境では降雪ではないだろうと否定的です。しかし、テレビに映し出された映像を見たタクシーの運転手氏は「あれが雪でなかったら、なんねー」と言っていました。以前も筆者は奄美で降雪を写真でとらえた人が新聞社に持ちこんで、大きく記事に取り上げられたことを覚えています。その時も気象台は否定的でした。琉球弧の人たちはこういいます。「雪はここでは見られないかねしれないが、この季節の雨は、われわれのはるか上空では雪であることには違いない」。琉球弧住民の雪に対する恋慕に似た気持ちを伺い知るのです。
 
59-1月17日(月) 
 ## 阪神大震災から5年 連続エッセー(10)  ##

 震災から5年目のあたる今日、地震が起こった午前5時46分に、筆者の家族が震災当日から数日間、避難していた東灘区の本山第一小学校で追悼会が行われました。次男も早起きして付いてきてくれました。この会は、震災が起きた時間から1分間、黙祷を捧げるというシンプルなもので、参加者全員に、ローソクが配られ、校庭の中央に置かれた大きなローソクを中心に、200、300人が集まるというセレモニーです。内容はまことに飾り気のないものなのですが、追悼という行為は、参加者一人ひとりの心から発せられるものなので、簡素な儀式のなかにこそ、その気持ちが反映されるものと思っています。

 追悼式がおわり、次男と一緒に家路についている時、拙宅のちょうど前にある公園で、ひとり黙祷を捧げている男性がいます。公園の入口にはバイクが止めてあります。わざわざバイクをとばして震災の時間に間に合うように公園にやって来たのでしょう。筆者の住むあたりは多くの犠牲者が出たところです。この周辺に身内の方が亡くなった人なのでしょうか。

 筆者は、追悼会が終わった1時間後、カルメンの休みを利用して、沖縄方面へ旅に出ました。那覇市内の食堂で見たのは、震災から5年目を迎えた神戸の街角です。沖縄で神戸の様子を見るのも奇妙なものです。
 

58-1月16日(日) 
 ## 阪神大震災から5年 連続エッセー(9)  ##

 しのつくような雨。あるいは冷雨と呼んだ方がいいのかもしれません。
 今年はちょうど震災の年と同じような曜日の巡り合わせ。16日が休日、震災が起こった17日が休み明けでした。
 5年前の1月16日、午後8時ぐらいに軽い地震が起こりました。震度1程度。立ち歩いてサーブしているわれわれには、感じることのない揺れです。1・17の前に兵庫県と大阪府の府県境で群発地震が発生していました。もちろん、それが大震災の「予兆」になるなどと予測できるほど霊感は発達していないので、午後8時の地震もお客さまから言われて、ああそうか、といった程度の感想しか持たなかったのです。震災の年と曜日まわりが一緒だということで、なんとなく不吉なものがあります。筆者はその事実を知った後、急いでしたことがあります。新聞のある欄を見ました。月齢が書かれたところです。明日の月齢は「10.4」。よかった、満月ではありませんでした。
 5年前の1月16日は、真っ赤な満月。神戸はよく晴れていたので、不吉な輝きでした。月齢までも5年前と一緒ではたまったものではありません。

 震災の年と曜日まわりが似ているということで神戸の人たちは漠然とした不安を感じているのでしょょうか、本日のカルメンのお客様の入りはいまひとつです。

 明日から、カルメンは三連休します。17日、18日、19日はお休みです。
58-1月15日(土) 
 ## 阪神大震災から5年 連続エッセー(8)  ##

 スケーターというのでしょうか。正式な商品名は知りません。最近、まちなかで、若い人が使っている、片足を乗せて片足でこぎ、人混みの中をスイスイと走り抜ける例の歩行省略器です。

 それを見るたびに、五年前の震災直後の神戸の中心街・三宮の様子を思い出します。道路はボコボコ。ゴム靴でなければ、安心して歩けません。勿論、ハイヒールを履いている女性は皆無です。特に夜がこわく、暗くて、こけそうになったことは一日のうちでも一度や二度ではありませんでした。ビルの解体などで、通行止めがしょっちゅうで、毎日駅からの通り道を代えなくてはいけません。カルメンは、三宮駅と元町駅の中間より三宮駅よりにあるのですが、被害がひどかった三宮駅からあまりに遠く迂回させられるので、元町駅から歩くようにしたぐらいです。当時の神戸の人たちは、いつ電車が止まって、今いるそこに留まって夜を明かしてもいいように、完全防備していた人が多かったのです。

 歩行省略器ならぬスケーターを見るにつけ、かの道具が有効であるためには、アスファルトが整備されていて、道路のデコボコがないのが必須条件であることを考えると、5年の歳月の流れを沈思してしまいます。

(これは後日談ですが、「歩行省略器」の名前がわかりました。キックボードあるいはスティックボードというのだそうです)

57-1月14日(金) 
 ## 阪神大震災から5年 連続エッセー(7)  ##

 1.17が近づくに従って、マスコミが阪神大震災のことを取り上げる機会が増えています。皮肉なことに一年の大半は、神戸の震災後の大変さは忘れられているかのようですが、この時期になると、神戸をはじめ被災地が主人公となります。

 震災が起こった年は、奇妙な興奮状態にありました。筆者が住む神戸市東灘区では、夏祭りの時、小学校の校庭に特設会場が設けられ、漫才の公演があったりして、普段ならあり得ないことが沢山おこりました。筆者が住む家の目の前にある公園には、東京からボランティアグループがやってきて、子供たちを相手にした紙芝居や、芦屋の奥へキャンプを張りにいくなど、いくつものいくつもの救援隊がやってきたのを覚えています。

 「個」に必要以上に分断されてしまった(あるいはしてしまった)Japonの人たちは、もう一度、みんなでなにかをするという作業に関わってもいいのではないでしょうか。みんなでなにかをする、というのは、人間集団ですから、あつれきも当然おこりますし、疲れもします。しかし、社会のデジタル化が進んでいるからこそ、個同士のゆるやかな連帯を基本とした「結ぼれ」が必要なのではないでしょうか。

56-1月13日(木) 
 ## 阪神大震災から5年 連続エッセー(6)  ##

 不思議なものです。熱い熱いステージが終わると、隣りの席に座った見知らぬ同士のお客さまが友達のように会話しているのです。

 阪神大震災から5年を前に、カルメンで中川マリさんと、アルテ・フラメンコ楽団による追悼フラメンコが行われ、40分間の情熱あふれるステージが展開されました。
中川さんは、自ら主宰するカルメン座の定期公演を21回も開催するほどの実力の持ち主。今や日本を代表する有数のフラメンコ・ダンサーであると同時に、フラメンコの要素も活かした創作舞踏にも挑戦されており、芸域の広い、舞踏表現者です。
 熱演する中川マリさん(赤い服を着た女性)

 今回のステージは、「鎮魂」をテーマに踊って頂きました。中川さんは勿論のこと、他の三人のダンサーの人もぞれぞれがソロをとれるほどの実力の持ち主。中川さんの踊りは、大地の精霊を呼び起こし、大地と感応し、風となり、鳥として羽ばたき、蝶のように舞います。手の動き、顔の表情をみていると、なにかがその時々にマリさんに取り憑き、刻々と表情が変化するのも、見事でした。

 筆者は踊り、舞踏を見るのがもともと好きなのですが、マリさんの踊りを見ていると、久しぶりに、プロの踊りを見た、という感動が沸き上がってきました。タナトスから生命を蘇らせるマリさんのシャーマニックな手の動き。そして四人の女性ダンサーの群舞によるエロース。美とタナトスは同居しているのです。マリさんとアルテ・フラメンコの皆さんの踊りで、ささやかではありますが、震災でお亡くなりになった6000余名の方々の、鎮魂の儀式がカルメンで、執り行うことが出来たのではないかと思っています。

 冒頭、筆者が、この日の企画趣旨をお客様の前で説明。またマリさんも踊りの合間に挨拶。マリさんの柔らかな関西弁がとてもよく、踊りの激烈さと好対照をなし、会場の雰囲気を和ませました。来年もまた、1月17日の震災の日を前に、中川マリさんと、アルテ・フラメンコ楽団の皆さんに、踊ってもらおうと考えています。

 踊りが終わって、マリさんを囲んで、左が著者。右が一代目オーナー。

55-1月12日(水) 
 ## 阪神大震災から5年 連続エッセー(5)  ##
 
 今年は果たして、景気はよくなるのでしょうか。神戸は、巷の噂では、全国最悪の失業率だということです(都市ごとの失業率は発表されないので、正確なところはわかりませんが)。震災から5年という年はどのような意味を持つのでしょう。神戸の不幸は、震災から復興のために与えられたモラトリアムの期間に、Japonが戦後最大の不況に見舞われたということです。震災直後には、気分が高まって復興にかける意気込みを見せて、新たに借金をした人などは、返済がうまくいかず、事業や会社経営などをあきらめてしまった人もいます。不景気というのは、いつまで続くのか誰も予測できない怖さがあります。また同時に、いつまでも嵐の日ばかりではないことも確かです。いつか、いつか、この不況を抜ける日がやってくるのです。

54-1月11日(火) 
 ## 阪神大震災から5年 連続エッセー(4)  ##

 カルメンの定休日です。

 大阪万博公園内にある国立民族学博物館で催されている「越境する文化展」に行ってきました。この特別展は本日が最終日。午後零時半に会場に到着すると、なんといきなりガムランの生演奏が始まり、最終日だけというインドネシアの踊りも見ることが出来てラッキーでした。演者、踊手ともに日本人でしたが、物珍しさで大満足。14年前にバリ島で聞いて以来のガムラン生演奏の響きに聞き惚れてしまいました。

 この展覧会は、民博の学芸員・研究者諸氏が張り切っている様子が伝わってきます。午後二時からは各展示コーナー前で展示担当研究者が待機し、われわれ一般参加者と自由に質疑応答できる企画がありました。展覧会で単に展示しただけに終わらず、展示責任者との会話を通して交流が図れるというのは、斬新な試みです。評価したいと思っています。

 わたしがDJをして関わっているFMわぃわぃも八言語で放送しているので、FMCO−CO−ROと共に越境するエスニシティ文化として紹介されています。ただ残念なのは、FMわぃわぃはインターネットを使えば、民博でも聞けるのですが、CO−CO−ROしか会場では流れていなかったことです。
 
 わたしは沖縄文化のコーナーに行き、沖縄の民謡を戦前から録音していたマルフクレコードの展示コーナーに見入っていました。マルフクレコードは大阪が発祥の地とは知りませんでした。1930年代に印刷された目録が展示されていて、奄美関係のものがないか、捜しました。該当するのは、「沖永良部島小唄」「朝花節」の二曲。「沖永良部島小唄」は視聴できたので、どうやら沖永良部島と関係があるようですが、「朝花節」に関しては、奄美の人たちが、石垣島に移住して、そこで定着した唄にも「朝花節」があるので、大島系のものかどうか確認できませんでした。

 この会場で思わずスペインを発見してしまいました。世界各地のカレンダーが展示されていて、スペインのものもあり、パン屋さんが作ったものです。これが面白い。日付の下になにやら人の名前。ちょうどJaponでいえば、「大安」だの「先負」だのと書いている場所です。よく見れば、「St.」で始まる名前がほとんど。ははん、これはスペインの八百万(やおろず)の神さまだな、と分かったのです。スペインでは、365日に365人別々の聖人(要は神様)がいて、誕生日にあたるその日の聖人が、その人の守護神となります。パン屋さんのカレンダーには、その神さまの名が書き込まれているのです。一神教といわれているスペインの中であまたいる神さま。または多神教と言われるJaponのなかにあって神祇不拝を唱える一神教的要素。長い歴史を持つスペインとJaponの文化ですから、このこんがらがっている様子がまた興味深いのです。
53-1月10日(月) 
 ## 阪神大震災から5年 連続エッセー(3)  ##

 目立っていました。筆者が乗った通勤電車にその女性が乗ってきたのです。年齢はわかっています。20歳。今年から第二月曜が「成人式」となり、この日着物姿の若い女性は間違いなくこの年齢だからです。

 きわだっていました。なにしろ「芸者ガール」の格好なのです。日本髪にだらり帯、小物も玄人っぽく揃えています。連れの女性はごく普通の着物姿なのでよけい目立つのです。車中でその「芸者ガール」嬢は、注目さていることを最大限意識して、振る舞っています。ここ近年、成人式での着物柄が渋みを増していたのですが、「芸者ガール」の格好とは意表をつきました。彼女の企画力の勝利です。拍手を送りたくなりました。

 もうすぐ震災から五年。若い女性たちのハレ姿を見ていると、神戸の街も少しは彩りを恢復しているのか、と思ってみたりもします。しかし、着物の柄をみていると近年の玄人路線がすこし影をひそめ、伝統的な柄も多く見受けたのが今年の特徴でした。おそらく長引く不況で、新装をせず、親、姉妹、親戚、知人らの着物を使い回しているためではないでしょうか。

53-1月9日(日) 
 ## 阪神大震災から5年 連続エッセー(2)  ##

 店を終えてから、知人による新年会に参加。そこにわたしの知り合いの神戸新聞O記者を誘いました。O記者は5年前、神戸外国語大学在学中に震災を経験。卒業後、一年間は塾産業に勤めたのち、現在は神戸新聞社会部で活躍しています。もう一人、わたしの知っている記者である朝日新聞神戸支局のH記者も神戸大学法学部に在学中に被災しています。震災を体験したのは、地域住民ばかりでなく、当時学生だった若い人たちも含まれ、神戸の惨状を体験しているのです。そうした彼らが、ジャーナリズムの世界に入って、震災の記憶を紡いでいく作業を続けています。若い記者たちの今後の執筆活動に期待したいものです。

52-1月8日(土) 
 ## 阪神大震災から5年 連続エッセー(1)  ##

 「天井を見上げると青空が見えていましたよ」。
 かつてカルメンの近くで歯科医院を営んでいたTさんは、震災直後のオフィスの様子をこう説明します。医院が入った木造の建物は、当時でもかなり老朽化していたため、震度7を記録した今回の震災の揺れではひとたまりもなかったのでしょう。医院の跡地には、飲食店が入るビルが建てられ、震災前の面影は全くなくなってしまいました。
 Tさんはその後、筆者が住む家のすぐ近くで開院。治療のために震災をはさんで久しぶりに医院をおとずれると、明るく開放的なオフィスに、軽く流れる「癒し」系の音楽。待合い場所の書棚には、「気」をテーマにした本がずらりと並び、筆者の知人・津村喬氏の『気功入門』の本もあります。やはり、Tさんも震災から思うところがあり、「気」という目に見えないエートスの存在に覚醒したのでしょうか。 

51-1月7日(金) 
 イスラム教徒にとって大切なラマダン(断食月)が明日でおわり、一カ月にわたる苦行がおわります。ラマダン期間中は、日の出から日没まで一切の食事を絶ち、水も飲んではいけないとされています。ラマダンは冬の今だから可能のような気がします。夏の猛暑の時期ならかなりの困難が予想されます。ちなみに、場所によっては、妊婦、幼児、病人、調理人などは断食に参加しなくてはいいとしているところもあるようです。調理人が含まれているのは、食堂などで日没の知らせと共に、イスラム教徒がいっせいに食事を始めるため、あらかじめ仕込みをしなくてはならないためのようです。

 ラマダンで思い出すのは、かつてカルメンでアルバイトをしていたNさんという女性のことです。Nさんはエジプト人の男性と結婚する際に、イスラム教に改宗。まかないで出す豚肉はいっさい口にしなかったし、アルコール類も避けていました。そしてラマダン月間では、厳密に水を含めて、何も口にいれなかったようです。
 神戸には、回教寺院があります。(われわれ神戸の人間は回々〈ふぃふぃ〉教と言っています)。仏教寺院やキリスト教会なら異教徒でもふらりと入ることができますが、回教寺院は異教徒の人たちは入れてくれません。(面白いことに、この寺院の目と鼻の先に、ユダヤ教寺院〈シナゴーグ〉があるのです)

 そのかわり、Nさんのようにイスラム教に改宗した人に対しては、イスラム教とはどういうものかという入門講座や、アラビア語講座などがあり、充実しているようです。しかし考えてみれば、スペインという国は、イスラム教徒に約800年間支配された国ながら、支配から解放された16世紀以降の歴史と文化は、イスラム色の排除史といっても過言ではなく、現在のスペイン社会にイスラム色はほとんどありません。そのスペイン料理店にムスリムのアルバイターとは、今から考えると、なんとも言い難いミスマッチな組み合わせでした。

50-1月6日(木) 
 2000年というのは、果たして20世紀なのでしようか、21世紀なのでしょうか。もはや解決済みと思われている問題をここで提起したのは、世界を眺めてみると必ずしも、今年が20世紀のおまけの一年ではなさそうだからなのです。2000年を20世紀とするのは、0(ゼロ)を知らなかった西洋で西暦が出来たため、と説明する人もいます。しかしイギリスやアイルランドでは今年から21世紀としているようです。Japonが2001年からと決めたのは、アメリカンスタンダードに合わたという事情もあるようです。また、アジアでは中国が今年から21世紀としています。

 著者の個人的な感想からするとせっかくResetボタンを押したように、きれいな数字が並んだ年(2000)なので、今年から21世紀でもいいと思うのですが。

49-1月5日(水) 
 著者の拙宅にリラ(ライラック)の木が植わっています。落葉樹なので、冬のこの季節、通常なら葉が散っているものなのですが、なんとまだ葉がついているのです。この葉は秋に吹き出したもので、もともと寒冷地に育っているリラが、暖かい秋を間違いして春と認識したのかもしれません。

 暖冬で落葉するキッカケを失ったのでしょうか。次の世代の新芽が、残った葉の横に付いているのもまた珍妙な光景です。

48-1月4日(火) 
 読売新聞朝刊を読んでいると、ちょうど1000年前、当時の主だった世界の都市の人口が比較・紹介されていました。Japonは平安時代。王都である京都の人口は、約20万人。これは第5位の人口です。1位は、スペインのコルドバなのです。約40万人。アンダルーシアにあるこの町は、後ウマイア朝の首都。イスラム人が支配していました。70を越える図書館があり、王宮図書館は40万冊の蔵書を数えていました。文化も栄え「世界の宝石」と美称されていたのです。

 同じ日の読売「ミレニアムひと昔・連載第1回」によると「コルドバ繁栄のカギは、異教徒への寛容にあった。……キリスト教徒やユダヤ教徒も一定の税を払えば、信仰の自由と自治を許された。異教徒同士が車座になり学問論議を戦わせる光景があちこちで見られたという」と詳しく紹介しています。

 当時のイスラム文化は、天文学、農業技術、繊維産業など、西洋社会をはるかに凌ぐ科学技術を誇っていました。そしてこのイスラム国で商業を担っていたのは、ユダヤ人でした。今から思うと意外なのですが、イスラム教徒とユダヤ教徒は永い間、平和に共存していました。イスラム教徒は、「異教徒税」ともいうべき税金を払いさえすれば、ユダヤ人に自由な商活動を許したのです。ユダヤ人もイスラム教国のなかでもとりわけ自分たちに寛容である後ウマイア朝の政策に安堵を覚え、次々とユダヤ人がコルドバに集まってきたのです。

 人が集まれば情報も集まり、知も集積されていきます。当時のコルドバは、学問の世界的センターでもあり、ギリシア哲学の文献がアラビア語に次々と翻訳されていきました。(この翻訳の集積が後に、アラビア語からラテン語に翻訳されて、ルネッサンスが勃興するキッカケとなったのです。)

 寛容さを頼ってやってきたユダヤ人の中から、優秀な哲学徒も誕生します。コルドバがユダヤ教研究の世界的中心となったのです。このところ事情は、イスラム学の泰斗・井筒俊彦氏の著作『超越のことばbイスラーム・ユダヤ哲学における神と人』 (岩波書店)に詳しいので引用してみることとしましょう。

 
「イブン・ガビーロール(1021/22〜1055)の出現とともに、中世ユダヤ哲学は、東方から西方(スペイン)に舞台を移す。そしてユダヤ的ネオ・プラトニズムの伝統が、彼から始まる。同時に、それまで長い間ユダヤ思想界を支配して来たパビロニア・タルムード学院の権威から解放されたユダヤ人たちは、学間一般においても宗教においても、自由に己れの道を行くことになる。止まるところを知らぬかのようなイスラームの軍事・政治・宗教的拡張の波に乗って、アラブがスペインを攻略したのは八世紀初頭のことであった。それまでカトリック系西ゴート族の圧政に苦しめられてきたスペインのユダヤ人たちは、この新しい支配者の到来を歓迎した。アラブ側の方もユダヤ人の才能と技能とを必要としていた。親密なアラブーユダヤ関係が急速に発展していった。 
 新興宗教文化特有の若々しい力、豊富な経験に裏づけられた都市商業政策、進んだ農業技術、などによってアラブはスペインに繁栄をもたらし、ユダヤ人もその恩恵に与った。このような生活環境の豊鏡を背景として、ユダヤ思想界は黄金時代に入っていく。イブン・ガビーロールのネオ・プラトニズムが、この中世スペイン・ユダヤ哲学史の開幕を告げる。」
 いかがでしょうか。スペインの南部に位置するコルドバが、1000年前に世界一の人口を擁した大都市であったこと、キリスト教学、イスラム教学、ユダヤ教学にとっても一大学問センターだったこと。この街から偉大な思索者が宗教に関係なく誕生したということなど驚くべきことばかりです。

 しかしこのコルドバの繁栄も永久のものではありませんでした。1031年に後ウマイア朝は分裂。その後はイスラム勢力の内紛にキリスト教勢力も複雑に絡んで、徐々にイスラム勢力は弱体化していきます。1231年には遂にコルドバはキリスト教勢力によって占領されてしまうのです。さらにレコンキスタを完成させた16世紀以後のスペインは、異教徒に対する徹底した不寛容の態度で、イベリア半島に残留していたイスラム教徒、ユダヤ教徒を迫害・弾圧することで、ユダヤ人が担っていた商活動の実体や流通機能も喪失してしまうのです。

47-1月3日(月) 
 今日から、2000年の仕事始めです。

 カルメンの近くに生田神社があり、初詣で賑わっています。今年は神戸市内では生田神社だけ参拝者が増えているようです。生田筋は、歩行者天国となり、参拝者でごったがえしています。

 参拝道のみちすがら、面白い光景が展開しています。クラウン(ピエロ)が演技をしているその左右に小学生ぐらいの男の子二人が陣取り、クラウンが演技を決めると、二人して、両手を大きく広げてポーズをとり、演技に華やかさを添えます。男の子たちもバクテンやボールの演技をしたりしています。男の子たちの仕草や表情はどこかぎこちなく、その初々しさに、しばし見ほれてしまいました。すこし神社の方に近づくと今年選挙がある衆議院選挙の候補者の幟を立てている秘書たち。その東側には、これまた大きなのぼり幟にキリスト教の文言を書き込み、ひとりハンドマイクを持って、「神の愛」を説いている人がいます。

 まさにカーニバル的空間の現出です。神社の祭礼にはこうしたまがまがしさをも伴ったハレ的空間がなくてはそれらしくありません。

46-1月2日(日) 
 FMわぃわぃの「南の風」正月特別番組のパーソナリティとして正午から2時間番組を担当しました。放送局は、カソリックの鷹取教会の敷地内にあります。この周辺は、妹尾河童氏の『少年H』の舞台となったところです。

 番組準備をするために教会の敷地内を歩いていたら、礼拝堂から神父の声が聞こえてきます。ベトナム語です。この教会は、ベトナムや在日韓国・朝鮮の信者の人たちが多いのです。参列している人は、大人は白いハチマキを頭に巻き、子供は黄色いハチマキを頭に巻いています。葬儀です。長田は、多様な文化が共生している地域なのです。
45-1月1日(土) 
 あけましておめでとうございます。

 新しき千年紀(ミレナリオ)が始まりました。著者も少人数ではありますが、カウント・ダウンをして楽しみました。
 新聞を読んでいると、ロシアのエリツィン大統領が昨日付けで辞任するというショッキングな発表。大国ロシアの行く末はまだ不安定要素が多いようです。

 いわゆる2000年問題について。このホームページを作成しているMacはもともと2000年問題への対応はされているとされ、問題ないとされてきました。午前零時を過ぎて、パソコンを起動してみると、"00.1.1"との表示。大丈夫のようです。それでも筆者の自宅近くにあるTOSHIBAのビルは、昨晩から魔こうこうとニ電気が点いていました。わたしの周辺にも正月休みに故郷に帰らず、自宅待機している人も何人か知っています。「大山鳴動ネズミ一匹」といったところでしょうか。Japonのなかでも西日本より東日本の方が、2000年問題への対応が神経過敏になっていたようです。やはり東京地方の特色としてなんでも過剰反応する特質が今回も顕著だったようです。



44-12月31日(金) 
 いよいよ1999年もおしまい。おおつごもりの日です。

 ところが、朝刊を見ると、Princes Masakoが流産したというニュース。せっかく2000年に第一子誕生という明るいニュースが提供されようとしていただけに、残念なことです。

 今年はどうやら、最期の日までJaponの人たちにとっては、暗いニュースが続いてしまったようです。
43-12月30日(木) 
 カルメンの営業は昨日でおしまい。正月休みに入りました。

 筆者は、FMわぃわぃの年末特別番組「長田まんだら」のパーソナリティとして番組を担当しました。正午からの2時間番組で、三人のゲストをお呼びして、魅力を引き出す内容です。そのうちの一人、長田区在住の畠田武彦さんは、カルメンの昔からの常連さんです。

 畠田さんは、全盲というハンディを乗り越えて、フランス語を苦学して習得し、フランス政府の給費生として、半年間の留学を果たした努力家です。畠田氏には、シャンソンの名曲など4曲をアコーディオンを演奏してもらいました。
 FMわぃわぃはこの一週間、年末・年始の特別番組が放送されます。
 

42-12月29日(水) 
 街全体が、去りゆく1999年を見守るかのように大きく呼吸しているかのようです。

 金融機関に行ったついでに、三宮駅東のサンパルビル2Fにある古書店街をのぞいてきました。ここには、神戸新聞出版センターが刊行した「のじぎく文庫」が多数売られていて、かつて地元出版社が郷土出版物をさかんに刊行していた事実を知るのです。その本の数々は、兵庫や神戸の文化を語るときには、避けては通れぬ基本的テキストと評価していいレベルの本も多く含まれ、担当編集者の目線の確かさを思い知ります。今、兵庫・神戸の郷土出版物が震災本以外では「低迷」していることを考えると、「のじぎく文庫」の仕事の大きさが光って見えてきます。

 この日、筆者はロータス書店で『王と天皇』(赤坂憲雄著、ちくまらいぶらりー)を、3Fのジュンク堂書店(新刊書店)では『単一民族神話の起源』(小熊英二著、新曜社)を買い求めました。

41-12月28日(火) 
 クリスマス商戦や、ルミナリエも終わり、神戸は閑かな年の暮れを迎えていきす。

 1999年はノストラダムスの予言が的中するかどうかで年の前半は盛り上がり、期待(?)されていた「火の玉」が降ってくる7月が過ぎて何も起こらないことが分かると、もう誰もノストラダムスの名を挙げる人はいなくなりました。

 かたや、プロ野球。筆者が応援するORIXブルーウェーブは、今年も優勝はならずとも、3位とAクラスを死守。なんとか来年の3年ぶりの優勝に向けて頑張ってほしてものです。そのパ・リーグを制したのが、ダイエー・ホークス。優勝セールがスーパー本体の売上げを伸ばし、中内オーナーも優勝の威力を思い知ったことでしょう。ダイエーは、日本一にもなり、カルメンにアルバイトに来ている福岡出身の大学生は、大喜びでした。
 
 そしてサッカーのヴィッセル神戸は、年間10位と健闘。来年は、J1残留かいなかでとどまることなく、優勝争いの一角に参加する心構えが必要です。 

40-12月27日(月) 
 1999年も残すところ、あと4日。今日から仕事納めのサラリーマン諸氏による「ごくろうさま会」のグループがちらほら見受けられます。「ごくろうさま会」は決して「忘年会」ではありません。忘年会は、会社主導の制度的な年末儀礼ですが、「ごくろうさま会」はごくごく気の合った職場仲間による慰労会なのです。参加人数は多くないのですが、ざっくばらんな雰囲気で本当に楽しそうです。

 さて、来年はどのような年になるのでしょう。今年よりも厳しくなりそうだ、という声もあり、油断は許されません。

39-12月26日(日) 
 ルミナリエ最後の日、筆者は消灯前の10分間だけですが、行って来ました。この5年間、仕事の都合で最終日に行くのが習いとなっています。混雑して身動きのとれない話がウソのように、逆の方向にも歩けます。

 ルミナリエは今年も素晴らしく、去年より丸みを帯びたアーチの数々は、ヨーロッパ中世のドォーモ(円屋根付き聖堂)を想わせるデザイン。街頭には何本ものマイクが等間隔にしつらえてあり、宗教音楽のような「いやし」系の音楽が流され、全体に宗教っぽい雰囲気が漂っています。

 なぜ宗教的なムードなのでしょう。ルミナリエの電飾はイタリア人が作ったからでしょうか。それともこうしたイベントには宗教性が必要なのでしょうか。かつて神戸祭りに夜の部があった時、一般参加者が暴徒化し、毎日新聞記者が巻き込まれて死亡した事件がありました。これは神戸が「宗教なき都市」であるからだ、と論じる人がいたのです。たしかに神戸は今も「神なき都市」であることには違いありません。都市が都市として成立するためには、土地の荒ぶる「あらみたま(荒御霊)」を鎮める宗教的装置がどこかに仕組まれているのですが、神戸という街は、そうした都市の意思を確立する暇もなく膨張してしまったし、またそうした都市の意思を確立させる機関、人も不在だったために、「神なき都市」としての歴史を歩むことになったのです。

 面白いことに、自分たちが依拠する土地の「あらみたま(荒御霊)」を鎮め、自分たちの守護神(にぎみたま・和御霊)に代えるよう祈願を怠らないのは、プロ野球集団です。神戸市にフランチャイズがあるORIXブルーウェーブは、生田神社(神戸市中央区)、西宮市にフランチャイズがある阪神タイガースは、広田神社(西宮市)に「必勝祈願」をしにいきます。(この際、ユニホームを着ての祈願の模様は、まるで昔の武士の出陣前の必勝祈願の写し絵のようです)

 「神なき都市」のルミナリエは今日でおしまいです。来年もまた壮大な光のオブジェと再会したいものです。

38-12月25日(土)
 明治時代、Japonではクリスマスを「洋冬至」と訳していたこともあるそうです。いわば西洋の冬至行事と理解すればいいのでしょうか。この日に果たしてイエス・キリストが生まれたかどうか歴史的に異説があるのですが、「洋冬至」という訳語はある意味でクリスマスの置かれた本質をとらえているといえます。

 冬至は昼と夜とが半々となるだけでなく、以後明日からは昼が長くなりやがて万物が再生する春のさきがけとなる期待と希望に満ちあふれた日なのです。イエスは、この時期に生まれたことは確かなのでしょうが、25日としたのは、神の子イエスに「再生」の記号性を付与するために、民俗的共同知を基盤とした神学的な配慮によって、あえて冬至に合わせるという編集行為を、昔の神学者たちはしたのかもしれません。

 それにしても昭和30年代のJaponではキャバレー、バーを中心にクリスマスとなれば、無数のクラッカーが鳴らされ、多色縦縞の三角帽子を被ったお父さんたちが、おおはしゃぎしていました。赤い顔をした三角帽子のお父さんたちが繁華街を千鳥足で練り歩いたあの熱気は、どこへいってしまったのでしょうね。

37-12月24日(金)
*・。☆。・*・。☆!Merry  Christmas!☆。・*・。☆。・*・。°

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      *∴∵°。        *    ∴∵ *♭    *∵               ♪♪
        /*★     ゜°   ♭ ∴∵        ∴\★               ♪♪♪
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          ★/*              ∴∵°。★       *∴∵♭     \  

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1999  Copy Right   Hiroko   Akiyama
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  皆様はどのようなEveをお過ごしでしょうか。スペインでは、この夜家族で過ごすことが多いようです。Japonの人たちは、ヨーロッパというと個人主義が徹底しているという"常識"を持っていますが、こと家族と個人との関係でいうと、この"常識"は現実とギャップがあります。 

 ヨーロッパ人は、家族を大切にするのです。特にスペイン人の家族関係は日本人以上にベタベタした関係で、それがごくごく常識になっているのです。 

 Japonの欧化・近代化は、家族から個を引き離すことに主眼が置かれ、家族が有機的に機能していること自体が、プレ・モダン的な因習にとらわれた状態であると判断され、拒絶の対象であったのです。その結果、必要以上に人間が"個"に分断されてしまっているのではないでしょうか。

 家族という物語を再発見・再構築していくことが、今後着目されていくような気がします。それは勿論、個の集まりを基盤とした緩やかな共同体としての再生です。
36-12月23日(木)
 やはり不況でおめでたくないのでしようか。思惑がはずれた例を紹介しましょう。

 CAVA(カバ)。そうです。スペイン産シャンパンを、12月はじめ大量に仕入れたのですが、どうも人気がいまひとつなのです。これはルミナリオ(新千年紀)の到来を前にお祝い気分を盛り上げるという意味で最高のツールであり、消費量も多いだろうと予測したのです。それでなくても例年CAVAが一番多く消費される月が12月なのですが、今のところ、予想の半分程度しか出ていません。

 不況の続く日本にあって、東京地方はすこしずつ景気が回復しているという話を聞くのですが、重厚長大型の産業構造を脱却できず、しかも政府がらみの大型プロジェクト頼みの関西経済は、「絶対的衰退の危機」にさらされていると報道される始末。

 大学を出ても就職もない。会社のリストラという名の首切りは来年もまだ続きそうで、政府の「経済は回復基調になってきた」とする「大本営発表」もそろそろ聞きあきました。

 こうした世相のなかではCAVAの出番はないのかもしれません。早くスカッとした気分でCAVAを美味しく呑みたいものです。(すみません。今日は暗い話になってしまいました。)

35-12月22日(水)
 何年か前なら、なにがなんでも24日はHolly-nightであり、若いカップルにとっては一年で一番大切な日でした。この日、誰と過ごすのか、またそれ以前に相手がいるのかどうかが、若者たちにとっては深刻な問題でした。

 ところが、23 日が祝日になってからは、カルメンの繁忙日のピークに若干の変化が生じています。祝日前の今日などはお客さんがたくさん来られ、24日は以前ほど混雑しないようになったのです。

 今年はさらに25日が土曜日になので、どちらかというと24日と25日にHolly-nightが分散しているような印象をうけます。やはり国民の大半がキリスト教徒ではないJaponの人たちにとって、クリスマスとは、宗教行事が行われる日ではなく、年末のハレ的な祝祭日としてたまたまEveの日をあてていたという本音に正直になったようです。

 さあ、ルミナリエも26日までであとわずか。いよいよ12月クリスマス・ウィーク最後の盛り上がりです。
 
34-12月21日(火)
 今日、神戸市内から仮設住宅に住んでいた最後の人が出て、震災から5年を前に、仮設住人が姿を消すことになります。しかし明石市と西宮市には各一所帯ずつ仮設暮らしの人が残っています。

 しかしこれをもって震災の復興が一段落したとはいえない状況が続いています。神戸の春はまだまだ遠いのです。

33-12月20日(月)
 筆者あてに一本のメール。「あなたあての電子メールを預かっています」とのメッセージが書かれています。ただし、このメールを開けることが出来るのは2000年1月1日午前零時。つまり年賀状メールなのです。送り主は新イスパニッククラブの武村勲氏。(この新イスパニッククラブについては後日ゆっくり紹介することとしましょう) 

 時代は急速にネット社会に移行しています。一度その世界に足を踏み込んだひとほど、その急進展ぶりが肌に感じるのです。2000年はまた一段と社会のネット化が加速しているでしょう。

 今日は月曜日ですが、クリスマス期間中なので店は開けています。お客さんの入りはちょっと中休みといったとこころ。

 ちょうど休み時間になるので、午後4時から、パソコンでFMわぃわぃの「南の風」を聞いていました。本日はわたしの担当ではなく、N氏(同局のチーフ・プロデューサー)が沖縄音楽の番組を造っています。FMわぃわぃは、インターネット・ラジオ局でもあり、リアルタイムで世界に向かって放送されているのです。
 

32-12月19日(日)
 ポルトガル領マカオが本日、中国に返還されました。植民地となってから442年ぶりの返還だそうです。ポルトガルがマカオに居住権を獲得し、植民地となったのは、1557年。倭寇討伐の協力で当時の明から与えられたというのですから、東アジア史のおさらいをしているようです。また、ここにもJaponの影がちらちら見えるのも興味深いことです。(もっとも倭寇といっても後期倭寇なので、倭人が中心というより中国人主導の海賊集団がその中心だったようですが。)

 ポルトガルがマカオを中国に返還することを決意したのは、1974年親社会主義政権が誕生して、植民地を放棄することを決定したためなのです。この流れにそって今話題になっている東チモールも独立をはたすべく準備していたのですが、インドネシアの軍事侵攻で強制的にインドネシア領に組み入れてしまったのです。

 ポルトガルがマカオに進出したころ、隣国スペインと共に盛んに世界各地を侵略していて、16世紀には、この二つの国で地球を二つに分割してしまえという条約を結び、その分割線がちようどJaponの本土を南北に走っていました。しかしこの強国だった時代でもポルトガル本国の人口は200万人しかいなかったというのです。

 やがてポルトガルはスペインと共に、オランダやイギリスに押し負けてしまい、つぎつぎと海外植民地を失います。国家の没落は20世紀にはいってもとどまることなく、EU諸国内では最貧国の位置であったようです。

 裕福ではない国家が海外植民地をもつのは莫大なコストがかかり国家財政を逼迫させます。かつて戦前のJaponでも石橋完爾(後の首相)が植民地を放棄すべきであるという論を展開したことがあります。
  
 社会的・思想的に、いまポスト・コロニアルの状況が言説化されている時代に、まだコロニアル(植民地)そのものが、アジアの足下に存在していたということ自体驚きです。

31-12月18日(土)
 
 第29話で、バルセロナの冬は、関西の冬と似ていると書きましたが、どうやら今年の冬は様子が違うようです。昼間こられたお客様で、先月バルセロナに観光旅行に行ってこられた方が「雪が降っていた」と話しておられました。異常気象であるらしく、現地のひとにとっても「10年ぶりの雪だ」とのこと。
 
 それを聞いていた同じグループの一人は、「えっ、スペインに雪!」と驚いておられました。スペイン=南国というイメージがJaponの人に強いので仕方ないのですが、バルセロナの位置する緯度は、Japonでいえば函館の高さ。雪が降って当然の緯度なのです。
 

30-12月17日(金)
 不景気の今年とはいえ、12月の半ばとなると、来店されるお客様の数が激増します。昨日あたりから、戦場のように忙しいのです。忘年会をカルメンでされる方も多く、日によってはお断りしなくてはいけない人たちもいて、心苦しい限りです。
 今日は、幼稚園の先生方の集団が19名ほど来店され、食事の途中にゲームを楽しまれるなど和気あいあいの雰囲気でした。

1999年も残すところあとすこし。しかし、カルメンはこれからが正念場です。

29-12月16日(木)
 神戸は抜けるような冬の青い空。関西の冬は晴れた日が多く、12月あたりまでは暖い日が続きます。 
 この気候は、ちょうどバルセロナの冬に似ています。バルセロナも一方に海が広がっていて、背後には山。典型的な地中海性気候なのです。

 かの都市は、スペインというよりヨーロッパの都市という印象が強いのです。ここはスペインにあって、カタラン自治州という特別行政区であり自治意識が強いところです。大学でスペイン語を教えているJaponの先生曰く「バルセロナの人たちは、マドリードへ行くことをスペインへ行くと言う人がいます」と。

 バルセロナやカタラン(英語ではカタルーニャ)の人たちは、フランコ独裁時代に徹底的に自文化を抑圧されてきただけに、カタラン文化についてのこだわりが強いのです。

 神戸と似た冬景色を持つバルセロナですが、今世紀の歴史は過酷なものがありました。その話はおいおいお話することにしましょう。

28-12月15日(水)
 意外と思われるかもしれませんが、本日インターネットの検索サイトであるYahooとgooにカルメンのホームページを登録申請しました。このサイトは、今年7月には出来ていたのですが、しばらく更新していませんでした。それをこの日記サイトを開始させてから、改良を重ねていったのです。

 検索サイトに登録されていない現在、この日記をリアルタイムに読んでいる"読者"の方はごくごく少数の限られた人であるといえましょう。Yahooとgooに登録されて後は、多くのお客様がわがカルメンのホームページに"来店"されると思います。それもまた楽しみです。

 それにしても、最近はホームページの作成を代行したいとの勧誘の電話が多くなりました。直接来店した営業マンに、iBookの画面でホームページを見せると、だいたい「ほー」と感心します。まあ、ホームページの作成が商売となるぐらいですから、独力で作ったというだけで感心されてしまうんですね。独力で作ることが出来た筆者は、少し自慢げに「作るまでは一カ月まるまるかかったけど、作ってみるとそう難しくないよ」とうそぶいてみせるのです。

27-12月14日(火)
 街の様相が変わるということはこのことを言うのでしょう。昨日から始まったルミナリエによって、多くの人が神戸の街を訪れます。今日のお客様の中で、ルミナリエに行って来た後にカルメンに寄った方が何人かいて「ひとが一杯で、歩けなかった」と感想を述べています。これから26日(日)まで、神戸はカーニバル的祝祭空間に変化します。 
26-12月13日(月)
 カルメン今年最後の定休日です。

 筆者は、個人的な忘年会を大阪で開催しました。大阪で開催したのは、関西一円から集まりやすいためです。
 参加したのは、物書き、新聞記者、詩人、編集者などさまざま。"知縁"による集まりでした。

 さて、神戸では今日から、ルミナリエが始まりました。26日まで、神戸には多くの人が訪れます。

25-12月12日(日)
 朝日新聞(12日付・大阪本社版)にバスクにあるMCC(モントドラゴン労働者協同組合企業体)という労働者協同組合(ワカーズコープ)が紹介されていました。ワカーズコープとは、労働者全員が組合員となり、会社に出資し同時に経営にも参加するというサンジカリズムの理想を"地"でいっているようなところです。

 MCCは、スペイン国内でも第7位の企業グループだそうで、工作機械などの製造業を初めとして、金融、流通など傘下に約120の組合があり、総売上高は53億ユーロ(約5618億円)あるとのことです。スペインの経済といってもその実力はいまひとつ分からず、しかも第7位の企業グループとなるとその存在自体初耳なのですが、このワーカーズコープがバスクにあるということで、納得してしまうところがあります。

 バスクには、有名な生活協同組合が存在し、地域住民に確固たる存在を示しています。バスクというところは、こうした地域住民が協同出資して企業体を運営することが風土の特性としてあるようです。神戸のコープ神戸もそうですが、生協を確立・運営していくためには、出資者である地域住民の強い地域一体感が必要となってきます。つまりバスクも神戸も(地域・民族・地縁・市民)共同体が機能しているということでしょう。バスクは民族としての自立性もさることながら、「頼母子講」的な共同体の確立・運営が得意だし、もともとそうした企業体を許容する価値観が生活の中にごく自然にあるのでしょう。

 バスクというところは面白いところです。

24-12月11日(土)
 スペインとかかわり方が多様化しています。Japonの人たちが、スペインと関係があるというと、われわれカルメンのようなスペイン料理関係者、フラメンコに関わっている人、外国語大学スペイン語学科の生徒、教会関係者、そしてスペインに住み着くか短期間滞在していた画家のひとたちが、昔からの定番でした。
 
 最近では、スペイン食材(ワイン等)の輸入業者や、スペインあるいはスペイン語圏でサッカー留学をしてきた(あるいはこれから目指す)若者たちが、目立っています。

 そして今日会ったKさん(神戸市灘区在住)の例は、カルメンにとっては初めての例だといえるでしょう。Kさんは、アンダルーシアのマラガ市に留学していた時、下宿屋のおばさんの出す家庭料理を学びたいと思い立ち、そのいくつかを学んできたというのです。

 スペイン料理の醍醐味は家庭料理にあります。食材を活かしたシンプルな調理方法ながら、これがまた美味しい。Kさんが惹かれたのも無理からぬところがあります。そしてKさんのすごいところは、単に関心しただけではなくて、行動に移したことです。最近筆者が知っている例では、好きが高じてスペイン家庭料理の本を出版するまで入れ込み、とうとう料理研究家になってしまった人がいて、その人も女性。どうもJaponという国の近頃は、男性より女性のほうが行動力があり、その動きもしなやかなようです。

23-12月10日(金)
 Princess Masakoの懐妊ニュースがこの日、Japonを駆けめぐりました。一部の報道によると予定日は、広島に原爆が投下された日である8月6日。男の子なら皇位継承権第二位、女の子なら現在の皇室典範に従うと皇位継承権はありません。ジェンターの闘士たちは何を思うでしよう。

 Princess Masakoが初めてPrince Hironomiyaと出会ったのは、スペインが大きく関わっています。1986年にJaponを訪れたエレナ・スペイン王女の歓迎レセプシュンの会場で二人は初めて出会うのです。

 意外と知られていないのですが、EspanaJaponも、王様がいるということが共通しています。ただし、Espanaの王政は平坦な道ではありませんでした。1868年、ちょうど明治維新の年に、ブルボン王朝が崩壊。69年の普通選挙を経て、73年に第一次共和制が成立します。のち、74年に王政復古がなりますが、アルフォンソ13世は、プリモ・デ・メイラの独裁政治を招きます(1923〜1930)。さらに米西戦争(1898年)に破れ、キューバとフィリピンを失います。最後まで残っていた主だった海外植民地をこの戦争で一挙に失い、かつての大スペイン帝国は名実ともに終焉するのです。それからもモロッコ戦争や1920年代の不況によって国民の信頼を失い、31年に実施された地方選挙で大都市の共和派が大勝したことを受けて、アルフォンソ13世は、フランスに亡命。第二次共和制が成立するのです。

 Espanaの歴史は、さらに激動期を迎え、36年フランコ率いるファランヘ党がモロッコで叛乱を起こし、左翼やアナキストが組閣する人民政府に対して内戦を起こすのです。39年にフランコ側の勝利によって内戦が終了。スペイン人同士が血で血を洗う内戦を経験した傷跡は、いまでも深くスペイン人の奥底に刻み込まれています。

 死期が近づいたと自覚したフランコは1969年にファン・カルロスを後継者に指名。75年にフランコが死去した年に国王として即位。祖父のアルフォンソ13世以来、44年ぶりの王政復古がなったのです。

 現国王のファン・カルロスは国民に人気があります。王家も王政がスペインにおいて盤石の体制ではないことを身体でよく知っているので、国民に開かれた王室作りに努力していて、今のところ国民にはその姿勢が好感をもって受け止められています。王室のメンバーたちは、平服でレストランに食事に出向くなど、国民と王室の敷居は高くないようです。ただし、スペイン国民すべてが、今の王制を許容しているわけではなく、共和派も無視できない存在です。

 どこの国の王制であれ、国民に人気があるかないかが、今後大きな継続の要因にななっていきます。そしてもっと基本的なことは、王制が続くかどうかは、社会システムの構造以前に、世継ぎが生まれるかどうかといった生身の人間のきわめて原初的な所作に関わっていことを忘れてはいけません。

22-12月9日(木)
 不況が深刻です。

 今日、JR・阪急の高架と国道2号線をまたいでサンプラザに通じる屋根付き歩道を歩いていると、「ここは公道なので段ボールなどを持ち込んで、寝てはいけない」といった趣旨の注意書きが貼られていました。

 神戸にホームレスが増えています。夜、カルメンからの帰り道の阪急高架下では、つい最近まで、若者が地べたに座ってフォーク・ギダーをかき鳴らしていた場所にも、ホームレスが横たわって寝ています。

 また、筆者が住む東灘のどちらかというと住宅街のど真ん中にある公園に、まるでミイラのように衣服、布地にくるまって寝ているホームレスの人をみかけました。そして近くのベンチでは、二組の若いカップルが寒空に関係なく寄り添っている光景が展開しています。

 このようにからだも心も冷え込む冬にお薦めなのは、なんといってもSopa。なかでも Sopa  de  ajo con  huevo(卵入りガーリック・スープ¥900) は、ほっこりからだを温めくれます。スペインのお母さんなら誰でも作っているという家庭的なスープで、Japonでいえば味噌汁的な位置にあたるでしょう。

 まだ不況は続きます。カルメンでホッと一休みしていって下さい。

21-12月8日(水)
 最近入った理髪店での店主氏との会話。

 「私が中央区で店を開いているときは、インド人のお客さんが多かったですね」
 この人、少し前まで神戸市中央区の新神戸駅(新幹線)近くで店をもっていたという。日本で一番インド人が多く住んでいる街が神戸なのです。

 「インド人の青年をずっと刈り続けていたのですが、その子は神戸生まれのインド人なので『ぼくはインド料理より、サンマの料理の方が合うわ』というのですよ」
 
 インド人について話が盛り上がり、わたしが「インドの人ってよくしゃべるでしょう」と話を向けると店主氏「そうです、店にいてる間中しゃべってます」。「すべての国際会議で困難なことが二つあって、それはインド人を黙らすこと、日本人にしゃべらすこと、というそうです」と私。「でもね」と店主氏。「インド人はよくわたしに語りかけてくれるのですが、白人のお客さんが一人でも入ってくると、途端に黙ってしまうのです」。

 ちなみにインド人や西欧人の頭髪は、柔らかくカッティングがしやすいとのこと。これに比べて東洋人の頭髪は、堅く癖があり、力が要るそうです。

20-12月7日(火)
 例えばこんな電話がカルメンにかかってきます。

 「いま、そちらは前のところ(場所)でやっているのですか」

 電話の向こうの人は、カルメンが震災で店舗が倒壊したため、どこかほかの場所で一時的に営業していて、元の場所にそろそろ帰ったのだろうという勘違いをされているのです。

 「いえいえ、カルメンの入ったビルは、奇跡的に無事でして、震災前と同じ場所、同じビルで営業しています」

 と答えるのですが、震災から5年近くたってもこうした質問をよく受けるのです。

 震災を境に店がなくなったり、移転したりしたレストランはあまたあり、電話をかけてきた人は、情報がどこかで混線してしまったのでしょう。もっとも震災直後では「いまあんたとこは、どこに移っているの」と店舗が移転したことを前提として話してこられる人も多かったのです。

 神戸にとって、そしてカルメンにとって震災はまだまだ少し前のことなのです。
 

19-12月6日(月)
  

カルメンの定休日です。
月曜日のこの日は、FMわぃわぃでディスクジョッキーをする日でした。

午後4時からの番組「南の風」を担当しているのです。今日の番組は、10月4日に行った「南の風」放送突入4年目を記念した公開ライブの模様(後半)の放送です。

演奏者は、写真左の川門正彦氏。沖縄・石垣島出身のウタシャです。手にしているのは三線(さんしん)。川門さんは、沖縄の伝統的な島唄をはじめとして、オリジナル曲も披露。楽しいステージを盛り上げていきます。今、若者を中心に沖縄の音楽が流行していますが、川門さんの出身島である八重山は、沖縄の中でも特に音楽が盛んな土地柄です。

実は来年4月にこの川門さんにカルメンで唄ってもらおうと思っているのです。きっと楽しいライブになると思います。皆様、ご期待下さい。
 
 

18-12月5日(日)
 スペインが物騒な雰囲気となってきました。昨日の朝日新聞夕刊によると、バスクのスペインから分離・独立を求める「バスク祖国と自由(ETA)」とスペイン政府との停戦期間が終了して、再びテロリズムの恐怖にさらされる可能性がでてきたのです。かつてETAは、スペイン国内で、無差別の爆弾テロや個人を標的にした誘拐・殺人を繰り返してきただけに、スペイン人が戦慄するのも無理からぬところがあります。

 こうしたバスク人たちのスペインからの分離・独立運動は、歴史的に根が深いものがあります。まず、スペイン人とバスク人は使う言葉が違うのです。スペイン国内では現在四つの言語が話されています。まずはわれわれがスペイン語といっているカスティーリャ語、バルセロナを中心に使われているカタラン語、ポルトガルの北部に位置するガリシア地方のガリシア語。そして大西洋岸に位置するバスク語です。

 このバスク語は、「言語学者の絶望」といわれているぐらい独自のもので、ローマン語系でもなく、ヨーロッパ先住民のケルト語系でもないと言われています。バスクはスペインとフランスにまたがっていて、フランス・バスクは、フランスの徹底した〈フランス国民のフランス語化=地方語の抹殺〉の結果、スペイン・バスクほど、分離・独立の動きや、バスク語の復権運動は盛んではないようです。

 ひとつの国に四つの言語があるという状況と、そこから出発する互いの区別意識は、「単一言語幻想」「単一民族幻想」の上に構築された社会にたゆたい、幻想を幻想として自覚してもいないJaponの人たちには、とうてい理解しがたい溝の深さがあるのです。
17-12月4日(土)
 ピンチョ・モルーノ(pincho moruno)という料理について書きましょう。モーロ人風の串焼き、という意味で、モーロ人というのは、イスラム教徒を意味します。今月10日まで出している特別料理コースのなかに入っています。

 ある国の料理というのは、その国の歴史や文化が濃厚に反映されることが多いのですが、この豚ロース肉の串焼き(pincho moruno)もスペインの歴史そのものが凝縮されているのです。
 
 この料理には、クミンという香辛料が使われています。匂いを伝えられないのは残念ですが、例えをいうとシシカカブの料理に使われているあの独特なむせるような香りを出す香辛料がそうです。

 嗅いでみると「あああれね」とすぐにでも分かる匂いです。一言でいえばアラビア風な匂いといっていいでしよう。Japonの人たちにとって、クミンの香りイコール、アラビア世界の香りと結びつけてもあながちイメージ的にはずれません。

 このアラビア風=(スペイン人にとっての)異国風なクミンを使った串焼きの肉が、スペインでは豚を使い、シシカカブでは(つまりアラビア世界では)羊肉を使います。この違いが実は大きいのです。

 ここまで書いてピンとくるのは、イスラム世界をある程度知っている人です。そうです、ムスリムは、豚を食べないのです(これはユダヤ教徒も同じ)。スペイン人は、800年間イスラム人に支配されていて、たっぷりとその世界に浸っていた事実は忘れてはいけません。それが16世紀末にレコンキスタ(キリスト教徒による国土回復)を達成し、イベリア半島から政治的・軍事的にイスラム勢力を駆逐した後も、数百年をかけて、文化的にイスラム色を一掃するのです。

 つまり、アラビア世界でごく普通に使われている香辛料であるクミンを使って、わざわざムスリムのタブーである豚肉の料理を作る。これはある種の残酷な仕打ちのようにも思えます。スペイン人というのは、イベリア半島に残っていた民間のイスラム教徒を徹底追放するのです。その暗黒面がヨーロッパに最後まで残った魔女裁判を存続させた「情熱」の背景といえるでしようか。

 このようにpincho morunoひとつとってもスペインの歴史と民族の姿を読みとることができるのです。料理というのは面白いものですね。
 ちなみにこの料理、「また食べたい」と希望する人が多く、人気の一品でした。
 

16-12月3日(金)
 カルメンの周囲にある街路樹の落葉が盛んになってきました。まだ、完全に色づいていない樹木が多いのですが、これから大量の落ち葉が地面を覆い尽くすことになります。

 神戸は、こうして落葉樹は落ちるのに任せているのですが、京都は(今でもそうだと思いますが)落葉する街路樹はたしか11月ごろ、色づく前に枝ごとばっさり切ってしまいます。私が20年前、住んでいた左京区や上京区あたりでは、街路樹を踏みしめて歩くということはありませんでした。

 例外は大学構内と御所でした。京大構内や、御所と同志社に挟まれた今出川通り沿いでは、天を突くような巨木が林立していて、そこから落ちる落ち葉の数も並の数ではありませんでした。

 神戸と京都。同じ関西にありながら、樹木の大きさ、落ち葉の量の違いをもってしてでも、歴史の長さの違いが推し量れるようです。

15-12月2日(木)
 12月から牡蠣を出すようになりました。大皿に殻つきで五つのせ、特選のカクテル・ソースをかけて出すものです(¥1400)。

 例年、12月になると待ってましたとこの「カキのカクテルソース」を注文するお客さんが現れます。好きな人は、一人で2、3皿食べることもあり、冬の味覚の王様といったところでしょうか。翌年3月まで出します。

 ヨーロッパでも冬の訪れはイコール生牡蠣を食べる季節でもあります。
 かつてフランスのアンリ4世という王様は、一晩で牡蠣を200個食べたという記憶が残っています。当時の王様は、王権神授説を体現する必要があったのか、王 = 最大食者であったのです。それにしても一晩で200個とはすさまじいものです。

 この「カキのカクテルソース」と相性抜群の飲み物を紹介します。
 CAVA(カバ)。
 スペイン産スパークリングワインです。Brut(カスティーリャ読みでは、ブリュ・辛口)。この辛口カバが、もう最高に牡蠣と会うのです。一度おためしあれ。
 (レギュラー・サイズ750ml・¥3000  ハーフ・サイズ375ml・¥1600)

14-12月1日(水)
 いよいよ1999年もあと一カ月。Japonの90年代は、意気消沈の10年間でした。

 特に神戸では、1995年に阪神大震災が起こり、その後、深刻な不況が神戸の復興を遅くしてします。

 2000年というすっきりとした数字の年になることで、Resetボタンを押したような効果が現れてほしいという素朴な想いを抱くのは、わたしだけではないようです。

 さあ、1999年もあとわずか。それにしてもノストラダムスの「予言」は一体どうなったのでしょうね。
13-11月30日(火)
 ぎりぎりとなってしまったのですが、間に合いました。来年1月13日(木)にカルメンで行う中川マリさんによる阪神大震災から5年を前にした追悼フラメンコのチラシが出来て、サンケイホール(大阪・桜橋)へ持っていったのです。

 なぜぎりぎりかというと、この日、中川マリさんとアルテ・フラメンコ舞踏団の第21回定期公演がサンケイホールで行われるのです。チラシは、パンフレットに差し込むためのものだったのです。

 チラシをサンケイ企画の早川氏に届けた後、楽屋へ行き中川さんに会ってきました。中川さんは魅力的な人です。踊っている以外は、上品なご婦人といった呈なのですが、フラメンコを踊り出すと、まるで別の人格であるかのように豹変するのです。また、マリさんのすごいところは、フラメンコという枠にとどまることなく、舞踏家として、創作フラメンコにも挑戦していることです。インド舞踏の要素をいれた新しい踊りを披露するなど、この人の芸域の広さには感心してしまいます。

 この日の公演は、残念ながら店があるので行けなかったのですが、第一部では、19世紀に活躍したスペインの詩人・ベッケルの短編小説から構想を得た「創作舞踏・水精幻想2」を発表。第二部では、フラメンコの伝統的な踊りが展開されました。

 フラメンコは魂の芸術です。スペインののヒターノたちによって作られた芸能なのですが、なぜか極東のこのJaponのひとたちの魂をも激しく揺さぶるのです。そしてマリさんは、踊ることを通じて、哀しみ、悦び、辛さを全身を使って表現されます。来年1月13日(木)の追悼フラメンコを企画したのは、わたしですが、そのわたしが一番その日がくるのを待ちわびているのです。
 

12-11月29日(月)
 カルメンの仕事とは関係ないのですが、筆者は、FMラジオ局でディスクジョッキーをしているのです。毎週月曜日、店が休みの日の午後3時30分ごろ、神戸市長田区にあるFMわぃわぃに出向くのです。

 FMわぃわぃは、知る人ぞ知る多言語で構成されたコミュニティー放送局で、マスコミにしばしば登場するので、ご存じの方はいらっしゃるはずです。

 わたしが受け持つ番組は、これまたスペインと関係のない奄美・沖縄の島唄と文化を紹介する内容なのです。どうしてわたしがこうした番組を担当しているかは、いろいろ理由があるのですが、簡単に言えば、奄美・沖縄は、いってみれば日本のなかのラテン。陽気な音楽と陽性の人柄がスペインとおおいに共通するところに惹かれたといっていいでしよう。

 番組名は「南の風」。わたしは奄美地方の島唄と文化を紹介する「奄美篇」を担当。だいたい隔週に登場します。午後4時から55分間の放送で、午後7時からも再放送があります。この日の放送は、10月4日に尼崎の民謡酒場「奄美」でおこなった「南の風、放送開始4年突入記念公開ライブ」の模様をon air。今回は、公開ライブの前半で、来週(12月6日)に後半を放送します。

11-11月28日(日
 癖というのは、恐ろしいものです。
 自然と表の下からなぞっていく習性が身に付いているので、久しぶりに見た順位表に大いにとまどってしまったのです。いや、まだJ1に残留してるはず、とひとりごちながら見るとなんと順位表の真ん中に位置しているではありませんか!!

 わが神戸のプロ・サッカーチームであるヴィッセル神戸が今期なんと7位に健闘しているのです。ここ数年、J1からいつ転落してもおかしくない状況だったので、今年のがんばりようは、特筆すべきものがあります。

 スペインは、中規模の都市以上ならおらが街のサッカー・チームが必ずあり、それはそれは熱狂的に応援します。フーリガンという暴徒がいるのは汚点ですが、一般庶民の試合中の舌戦は、もうまさに言葉のフーリガンです。

 かの国のサッカーのレベルは高く、世界各地から有能な選手が集まることで有名です。このスペインのサッカーにつてはいずれゆっくり書くとして、わがヴィッセル神戸がJ1、あるいは「天皇杯」で優勝したときの悦びをみなさまに、いつかお伝えしたいものです。

10-11月27日(土)
 
 昨夜、大学時代の友人のS・S氏が来店。このS・S氏、神戸にゆかりのある企業に勤めています。ORIX―そうです、イチローのいるプロ野球チームを傘下におく、発達ざかりの元気会社です。

 わたし、実はオリックス・ブルーウェーブのファンなのです。今年は残念ながら3位に終わってしまいましたが、数字的にはシーズン終了間際まで、優勝の可能性を残してくれたことに感謝しています。

 わたしがオリックスファンを名乗るようになったのは、阪神大震災の年にリーグ優勝を果たしてからのことです。あのときのオリックスの活躍ぶりは、うちひしがれた神戸の人たちにどれだけ勇気と元気を与えたことでしょう。やはり、プロ野球というのは、ファンに夢を与えてくれる存在でなくてはいけません。オリックスファンを名乗ると同時に、同じく震災被災地に本拠地がありながら、2年続けて6位に終わったセリーグの人気球団のファンをやめてしまいました。

 あの年初めてオリックスは、市民球団となったといえるでしょう。わたしがこのチームを応援するのも、パトリオシズムのゆえんでしょうか。
 この論理は単純ながら大切な要素が含まれている気がします。良くも悪くも、スペインやイタリアといった国は、パトリオシズムの固まりのような国で、スペイン国民、イタリア国民であることを彼らが意識するのは、4年に一度のワールド・カップの時ぐらいのものではないでしようか。サッカーの盛んなこれらの国の市民は日常ではひたすら市民球団を応援しています。
 
 Japonという国は、フランスやイギリスといった中央集権の国家をモデルにして国民国家を形成してきただけに、英仏タイプではないスペイン・イタリア型は、二流国家として見下してきた経緯があります。それによってなんでも東京に集中してしまうというつまらない国になってしまったのです。

 われわれは神戸という「地方」に住んでいます。そこで毎日、笑い、泣き、怒り、そして食事を食べています。その日常性の延長として地元チームを応援する。まずこの無理のなさから、始めてみることによって、多くのことが、見えてくるのではないでしょうか。勿論パトリオシズムがナショナリズムにいつの間にかすり替わってしまう、あるいは国家がすり替えてしまう危険性は充分注意しておく必要があると思いますが。
9-11月26日(金)
 今日は、神戸の話をしましょう。

 晩秋となると神戸に住む人間の楽しみは、六甲の山並みの紅葉です。なにせ東西に長くのびている六甲連山は、まるで屏風絵のように山々の斜面が黄に朱に染まっていきます。その見事なこと。

 神戸は照葉樹林帯に属しているので、里山の全山が一面紅葉となることはないのですが、やはり山が冬に向かっていくことのシーニュを現出するさまは、このJaponの四季の移ろいの魅力だといえるでしよう。

 ただ、今年の六甲の紅葉は失敗作であるようです。今秋は、暖かさを享受できたかわりに、六甲連山の紅葉は魅力の乏しい「作品」となってしまったようです。スペイン・リオハワインのビンテージ評価風に今年の「作品」を判定してみますと、REGURAL(普通)といったところでしようか。いやDEFICIENT(不出来)かもしれません。五段階評価のうち、一番下かその次の評価点です。

8-11月25日(木)
 このホームページは、Macで制作しています。パソコンを買ってたかだか一年になったばかりですが、今ではMacは手離せない存在となっています。

 そして使っている機種は、iBook。いまこのiBookを持っているのは、あらかじめ発売日前に予約していた人だけで、店頭には置かれているものの、実際に持っている人は多くないようです。機能としてはiMacと変わらないということですが、簡単に説明すると、iMacをぺしゃっと上から押さえて平べったくしたのがiBookだといえるでしょう。

 カルメンのテーブルにさりげなくiBookを置いていると、若い人たちは、必ず立ち止まって「かわいぃ〜」とかいいながら、しげしげと眺めていきます。稀少価値が高いゆえの人気です。

7-11月24日(水)
 カルメン、本日は休みです。阪神大震災の前まで、年中無休だったのですが、震災後の神戸経済の落ち込みで、定休日を設けるようにしたのです。

 夜に、拙宅で友人たちを囲んでミニ宴会を催しました。新聞記者、大学教官、牧師の卵など多様な顔ぶれ。

 そのうち、牧師の卵氏が持参してくれたのが、柿です。ちょうど今の季節に柿がなっています。落葉がさかんな田園風景の中に、柿がたわわになっている様はまさにJaponの原風景といった形容がぴったりきます。

 ところがこのあまりにJapon的な果物が、スペインにもあり、スペイン語でも「カキ」。そうです、日本語の柿と同じ言葉なのです。スペイン人もまた柿を食べるのです。面白いですね。 
6-11月23日(火)
 Japon でいう勤労感謝の日。祝日です。44年前の今日、カルメンはオープンしました。つまり創業記念日ということです。といっても特別に何をするわけでもありません。初代オーナーがいつもと違う少し改まったハイな表情を一日を通して見せるぐらいでしょうか。昭和31年(1956年)に出来た頃は、三宮周辺は繁華街ではありましたが、いまほどビルは少なく、まだ戦後の匂いがそこかしこに漂っている雰囲気でした。

 当時は、木造二階建て。三階もあり、一時そこに住んでいたこともあります。そのころは三宮駅周辺で生活する人も多かったのです。かくいう私(筆者)も2〜3歳まで、三宮の子でした。遊び友達もいて街の雑踏が遊び場だったのです。

 それから44年。阪神大震災もあり、三宮は大きく変わりました。カルメンのような「老舗」も代替わりがなり、人も街も面変わりながらも歴史を刻んでていまます。
 

5-11月22日(月)
 カルメンの定休日は月曜日。ただし今週のように火曜日が祝日で休みの場合は、月曜日は店を開け、水曜日が休みとなります。

 昼過ぎ、カルメンと取引とある酒屋さんから一本の電話。「お客さんが、そちらで呑んだ赤ワインが美味しかったので、買いに来てくれています。どのワインでしょう」との問い合わせでした。こういう電話は悦しいものです。
 
 お出ししたのは、Rioja(リオハ)1995年産の赤。クラスは、Crisnza(クリアンサ)です。リオハという産地は、ワインのクラス分けを厳密に行っていて、信頼できる産地です。このためにBodegas(蔵元)が違っても、同じクラス(例えばCrisnza)ならだいだい味のレベルが推測できる利点があります。

 ということは、こういうこともいえます。日本の商社や、貿易会社が売り出すリオハ産のワインの値段をみていると、その会社の「良心度」というか「ぼったくり度」が測定できるのです。スペインのワインは、フランスのようにその国産というだけで、異常な付加価値を付けにくいので、日本側の現地買い入れ価格は安定しています。これを日本で売るときに、フランス・ワイン並みに儲けてやろうとすると「ぼったくり度」がぐんと上昇してしまうのです。私は、輸入元のワイン試飲会に行って、少しでも、ぼったくっていると、担当者をつかまえて抗議します。

 といいますのは、スペイン・ワインは、現地で呑むと安くて美味しいのです。その当たり前の雰囲気をJaponの人たちにも享受してほしいと思うからです。それにわたしなどそのワインが気に入れば、30〜50ケースまとめ買いするタイプなので、少しでも理不尽な値段を付け方をされると見向きもしません。高く実力以上の値段を付けて、倉庫代を払い続けるのか、それともレストランというメディアを媒介にさらに販路を広げていこうとするのか、輸入元の姿勢が問われているのです。

4-11月21日(日)

 ここ数日、好天が続きます。

 こういう天気をJapon(ハポン)では、「小春日」といいます。小気味のいい命名です。そして今年は暖かかったせいか、紅葉の見頃が例年よりずれ込み、ちょうど今頃となっているようです。

 この時期、食べ物が美味しくなり、またそれに相伴するワインも美味しく感じるようになります。――といったところで今日もワインの話となりますが、美味しいスペインの赤ワインに出会うと、感嘆の声よりもため息がでてしまいます。
 「ああ、文明が違う」とひとりごちるのです。

 つまりJaponに住むわれわれは連綿と米を作り続け、それを食べつつ、同時に米から酒を醸(かも)してきたのです。一方でヨーロッパの人たちは、ブドウを使って何千年も昔から酒を醸し続けてきた。その違いは、ワインの味わいの深さによって否応なく感じさせられてしまう。酒というメディアは面白いものです。文明や歴史が一本の瓶の中にぎゅっと凝縮されている。
3-11月20日(土)
 やはり今年は暖かいのでしようか、去年の今頃は、店内に暖房のエアコンをかけていた記憶があります。それでも、ようやく vino tinto(赤ワイン)が室温で呑んでもしっとりする季節となったといえるでしょう。

 教科書的にいえば、vino tinto(赤ワイン)は、室温で飲めとなっているのですが、これは日本の気候風土を無視しているといっていいでしょう。猛暑のみぎり、エアコンをつけても30度近く室温があるなかでは、常温で保存しているボトル内温度も上昇し、喉ごし感もよくありません。事実、カルメンに来る西洋系の人たち(スペイン人、フランス人、イタリア人、ドイツ人)も夏は赤ワインでも、少し冷えたものを所望します。理想をいえば、四季を通じて摂氏18.19度に保つのが理想ですか、秋から冬、春にかけては室温でも充分、赤の持ち味がでます。

 若い赤ワイン、廉価な赤ワインは、やはり冬でも少し冷やしたほうが、いいようです。カルメンでは、赤なら、室温で呑むか、少し冷えたものを呑むか、四季を通じてお客さんに聞くことにしています。というのは、この極東の列島住民は、最近ワインに随分と呑み慣れてきていますが、やはりワイン通と言い得る人は少数であることに違いないからです。

 ただ、最近は、少しずつスペイン・ワインに詳しいお客さんが増えているのは心強い限りです。フランス、ドイツ、イタリアというワイン王国の陰になりがたちな存在ですが、ワイン産出量ではフランス、イタリアに継いで世界第三位を誇っています。有名でない分、実力が同程度のフランス・ワインに較べて安いという魅力はありますが……
2-11月19日(金)

 どうもおかしいと思ったら、壊れてしまいました。
 愛用のソムリエ用ワイン・オープンナーが、外側のプラスティック部分の破損で使えなくなったのです。カルメンでお出しするワインはほとんどわたしが開けています。一年で何百本となくコルクを抜いているのです。2〜3年使ってきたのですが、ついに酷使に耐えられず使用不能の状態になってしまったのです。
 わたしが愛用しているソムリエ用コルク開けは、ワイン輸入商の人からもらったもので、いわゆる市販の上等なものではありません。それでも何百、何千とコルクを開けているので自然に手になじみ、わたしの手の延長のように働いてくれました。

 こんなわたしでも一年に数度コルク開けに失敗します。忙しい時や、焦っているとき、そしてコルクの状態が悪い時。そんなときのために、99%以上の確率で安全な「ウィング型」コルク開けを用意しているのです。
 幸い、スペインのワインは、コルクの状態がいいようです(他の国のワインは知らないので、第三者から教えてもらったことなのですが)。といいますのは、やはりスペインは、コルクの産地であることが大きな理由であるようです。
 開けたてのコルクはすべすべしていてまるで少年の肌、いや天使の肌のように輝いています。

「いいコルクのワインは美味しい」

これは毎日、ワインのコルク開けに明け暮れているギャルソンであるわたしの箴言です。
1-11月18日(木)
 そろそろマスコミで、千年紀のことが話題になり始めました。

 なにせ、千年続く地上の楽園が出現するとの信仰が、キリスト教世界に根強くあるものですから、欧米での受け止め方は、並大抵のものではありません。「ひょっとして、、西暦のちょうど区切りのいい年である2000年にキリストが再臨して、千年王国(ミレニアム)が始まるかもしれない」と、クリスチャンなら、ひそかに期待するのも無理からぬことです。西洋史をみていますと、ドイツの農民戦争は、千年王国願望が、農民たちの叛乱エルルギーの源泉となっていたなど、その例は多いのです。

 欧米では日本のように経済が低迷していないこともあって、新しき千年紀を余裕をもって迎える準備が進んでいるようです。商業主義も見逃すわけはなく、新ミレニアムに便乗して、さまざまなイベントや商品流通を画策しているようです。この影響は日本にまで影響し、シャンパンが早くも品薄状態になり、牛ヘレ肉の国際価格も上昇傾向です。ここへきて、デジタル時代にあっても、コンピュータの2000年とは無縁で有り続けたわがカルメンも、ミレニアムによる品薄状態という、思わぬところから2000年問題にかかわることになってしまいました。

 ちなみにスペイン語で、ミレニアムは、Milenario  (ミレナリオ)。英語よりいい響きです。

 この千年王国論、なにもキリスト教の独占物ではなくて、世界の各地で見ることができます。「千」という具体的にな数字をあげなくても、救世主の地上への降臨によって、生きながらにして楽園が築かれるという信仰は、われわれの身近なところでは、仏教の弥勒信仰がそうでしょう。ゴーダマシッダルーダ(釈迦)が第5仏として位置づけられ、その入滅後、56億7000万年後に地上に現れ、その次に現れる弥勒(第6仏)によって世界は救われるという信仰です。

 まあ、わがJapon(ハポン=日本)にとっては、56億7000万年後といわず当面の不況を抜け出すことが、第一の「救済」なのですが。